« 2010年09月 | メイン | 2010年12月 »

2010年11月30日

『シズコさん』佐野洋子(新潮文庫)

シズコさん →bookwebで購入

 母親にとって娘はもっとも近しい同性、つまりいちばんの批評家なので、女の人が母親について書いたものを読むのは楽しい(息子のそれはあまり読みたくないが)。わけてもこの、娘・洋子の書いた母・シズコさんのおはなしは格別である。
 それにしても、なんと猛烈な書きっぷりだろう。母とは慈愛に満ちているものと思い込んでいる人が読めば、シズコさんという母親はきっと鬼にみえると思う。
 妹が「私母さんの手紙の『母より』って字を見るのが、すごーく嫌だ、気持ちが悪い」と云ったので、「えーあんたも。やだね、あの『母より』って字見ると手紙読みたくなくなる」そして読まない時もあった。
 

 この姉妹の会話ひとつとっても、シズコさんがどんな母親、どんな女性であったのかがよくわかる。
 身ぎれいで、戦後のモノのない時代でも化粧をし口紅を塗り、いつも実年齢より若くみられていたシズコさん。客好きで、おいしい料理を手早くこしらえては明るくもてなすシズコさん。家事が上手く、所帯持ちがよく、家の中はいつもピカピカで、貧しいときでも子どもたちにむしぱんやらドーナツを作って食べさせてくれ、洒落たセーターを次々を編んでくれたシズコさん。そして、子どもに対して、母親らしい情をかけるということが不思議なほどにない人だった。ことに長女の洋子に対しては特別きつかった。
 洋子は四歳のとき、手をつなごうとして差し出した手を舌打ちとともに振り払われた。このとき娘は、母親と二度と手をつながないと決意した。四歳という年齢でそんな「決意」ができるなんて娘も相当なものである。この長女は、どんなに母親にきつくあたられても泣くということがなかった。というか、泣かない子どもになってしまったのだろう。そして、母親を嫌いなことに対する罪悪感に長いこと苦しみつづけた。
 洋子が十九歳のとき、父親が死ぬ。それまでずっと家庭の主婦だった母親は仕事を持ち、子どもたちを次々と大学へ入れ、家まで建てた。その母のがんばりを尻目に、娘は進学を機に母の元をはなれた。ふたたび一緒に暮らしたときに、母はすっかり老いて呆けていた。娘は母を老人ホーム、それも、かなりのお金持ちでなくては入居できないような高級な施設へ入れた。

 私は私以外に親にこんなに多額の身銭を切った人を知らない。この施設の人は自分の財産がある人で、子どもが費用を払っているのは私だけだと事務の人が云っていた。それは私の母への憎しみの代償だと思っていた。

 母親の呆けは進み、あの気のきついシズコさんは、まったく別の「可愛い何か」になって、すると娘は母親に触れられるようになり、そうできてはじめて、娘は大泣きに泣くことができたのだった。子どものころ、お母さんに甘えて、いい子いい子と撫でさすってもらうことなど一切無く、この娘はそれまでやってきたのだ。
 若くして亡くなった父親は、満鉄の調査員として働き、戦後は教師をしていたインテリだった。長女はこの父親似であった。父親に愛されていた娘は、その期待にこたえ、美術の大学に進み、絵を描く仕事をするようになる。母親のシズコさんもさることながら、娘も実に大変な人生だった。
 それにしても、シズコさんのようにたくましく生活力もあり、女手一つで子どもを育てあげても、やさしい言葉やあたたかい抱擁を与えてくれない母親と、いくらでも子どもを甘えさせてくれるが何もできない無力な母親とでは、どちらがいいのだろう。

 母親を嫌いだという辛く重たい心の枷がはずれ、「シズコさん」について書くことができるようになってはじめて、著者はこんなふうに考えられるようにもなった。

 三十二歳の母は乳のみ子と十歳の兄の間に三人の子供を連れて、終戦後の外地で奮戦した。
 貨物船の船底で母は母親らしい健気に母だった、明るく元気だった。そして健康だった。
 ……
 いつから母はあの様な人になったのか私にははっきりわかる。
 終戦のどさくさのあと民主主義というなじみのないものの洗礼を受けたからだ。
 母は父に口答えをする様になり、子供をこづき回す様になった。時代のしつけに埋もれていた女の価値観が全部はがれ落ちたのだ。これが個性の尊重というものだろうか。地金が全開することか。
 昔の子供に反抗期がなかったわけではないが、表現が異なっていたのではないか。悩み始め、哲学めき、無口になっていった位だと思う。心身のバランスと自ら葛藤して、不機嫌になっていった様に思う。
 民主主義は忍耐も従順もうばった。家族という一つの丸かった団子が、小さな団子に分裂した様になってしまった。

 このふたりが親子でなかったら、あんがい気のあう良い友達になっていたかもしれない。


→bookwebで購入

『展覧会カタログ案内』中嶋大介(ブルース・インターアクションズ)

展覧会カタログ案内 →bookwebで購入

 よほどのことがないかぎり、展覧会カタログを買うということをしなくなった。いちばん最近買ったのは『時の宙づり 生・写真・死』(IZU PHOTO MUSEUM、2008)だが、これは書店売りされていたものたったので、写真集を買う感覚で手に取ったのだった。奥付から展覧会がまだ開催中と知り、あわてて観にいったのだ。おなじことを、本書の著者もしていた。美術館でされるのが主だったカタログの編集が、出版社でされることが増えたため、書店でこれを見つけて展覧会の存在を知る、というパターンが増えてきたのだという。
 本書には、百点あまりの展覧会カタログが紹介されている。とくに、展覧会のカタログを美術史的、あるいは書誌学的に研究するというのではなく、こんなカタログがありますよ、とブックデザインの視点からこれをみせて紹介するというもの。後半にはカタログに関わる各界の方々(印刷博物館の寺本美奈子氏、グリフの柳本浩市氏、森美術館キュレーターの片岡真美氏、アートディレクターの服部一成氏、編集者の都築響一氏に)インタビューすることで、カタログの成り立ちについてをカバーしている。  取り上げられているカタログは、二〇〇〇年代のものがおおいが、古くは一九五〇から六〇年代のものも。美術・イラストレーション・グラフィックデザイン・プロダクトデザイン・写真・建築・カルチャーなどジャンル別に紹介されてゆく。タイトルのとおり、あくまで展覧会カタログの世界へのナビゲーションとして活用するべきか。気になるのは、それぞれのカタログにつけられたキャプションに統一感がないこと。カタログの本なのだから、カタログとしてどうなのか、というところに焦点を定めるか、もしくは、デザイナーである著者の感覚で選書されているのだから、もうすこし個人的なコメントがあってもいいのかなあ、という気がした。  かつては、展覧会カタログというと、やたらと重くて、判型がまちまちなので収納に不便で、買ってきたはいいもののついぞ開かれることのないしろものだった。けれども、私の手元にあるカタログは、どれも観てよかったと思えた、思い出深い展覧会のものばかりである。展覧会そのものに意味があると思えたものなら、たとえ本としての魅力がそれほどでなくても、やはり大切な一冊となりうるのだ。展覧会ありきの出版物なので、魅力的なカタログを作るというところまで行き届いた仕事は大変なことだろう。もちろん、内容、デザインともに本としての魅力をそなえたものもおおくある。そんなカタログの楽しみ方を示してくれるのが本書である。



→bookwebで購入