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2009年10月31日

『読まず嫌い』千野帽子(角川書店)

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 読み巧者は幼いころから本の虫、と思っていたら、「児童文学に漂う『お子さんには山葵抜いときました』的な感じが気持ち悪くて」小学生時代は漫画以外の本はほとんど読まなかったという著者が小説に目ざめたのは十三歳のとき、きっかけは筒井康隆だった。
 この、ませているのか奥手であるのかわからぬ少年は、いったん読みはじめると「小説には自分が興味を持てない分野がいっぱいあること」と気づく。  ミステリが嫌い、SFが嫌い、時代小説が嫌い、歴史小説が嫌い、伝奇小説はブームがきたせいで食傷、ファンタジーを読むなら映画のほうがいい、ライトノベルより漫画のほうがいい。さらには純文学、私小説・青春小説・恋愛小説もだめ。「本に人生観を開陳されると、『文学臭が強い』と苦手に思って」しまう。「宮澤賢治、太宰治、サリンジャー。詩歌なら石川啄木も中原中也も、もう全部がアレルゲン」という「筋金入りの読まず嫌い」となった。  ではこの人はいったいぜんたい何を読んできたのだろうと疑問に思う人もおおいかもしれない。ミステリでもSFでもなく、時代ものでも歴史ものでもなく、伝記でもファンタジーなく、純文学でも私小説でも青春小説でも恋愛小説でもない小説って?  「本書は、その読まず嫌いの、さまざまな名作小説との和解の記録」だと著者はいうが、別の言い方をすれば、上に列挙した「××小説」や「○○もの」でもない小説とはなにかという問いへの答えでもある。

 フローベール『ボヴァリー夫人』、ジェイン・オースティン『ノーサンガー・アベイ』、セルバンテス『ドン・キホーテ』。この三つの物語は、それぞれの主人公であるエマ・キャサリン・ドン・キホーテの三者が、恋愛小説・ゴシックロマンス・騎士道物語を読み過ぎたあまり、それらに準ずるしかたでしか世界を眺められない「物語脳」の持ち主であることによって成立した物語である。そのなかでそれぞれの作者たちは、主人公たちが「物語メガネ」をかけていることによってひきおこす破滅や、現実への気づきや、滑稽さを描いたのだ。

 作者たちは通俗恋愛小説・ゴシックロマンス・騎士道物語を単純に軽視ないし敵視していたのだろうか。  むしろ三人の小説家は、既存ジャンルを愛すればこそ、その引力の強さを認め、引力圏から脱さんと果敢に格闘したのではないか。だって、大なり小なり物語という嘘つきなメガネの厄介にならないと、人間は世界を認識できないのだから。  とするなら、この三冊の小説は、読書によって読書を超えるという不可能を試みた書物なのだ。つまり、本が「私を疑え」という。

 筒井康隆によって小説に目ざめた十三歳の帽子少年は、夏休み書店で立ち読みした文芸誌『海』掲載の筒井『遠い座敷』に衝撃を受ける。無茶苦茶な台詞に思わず吹きだし、しかし、「作品の雰囲気はむしろクールで謹厳ですらある。」ため不安にもなった。「ここ、ほんとうに笑っていいのだろうか。」
 「笑う用、怖がる用、泣く用、驚く用、うっとりする用、萌える用」といった効能があらかじめ謳われていない、楽しみかたを読み手が決めなければならない、それは「不親切な作品」であり、少年はこうしたタイプの小説が自分に向いているのではないかと思う。

 (……)不親切な作品は、こちらの鑑賞態度をそこまで限定しない。計算なのか天然なのかわからないこともある。作者が曲球を投げてこちらを試したりもする。どこをおもしろがればいいのか、作品ごとにゼロから手探りで、極端なばあいには一文一文探しながら読むことになる。作品が親切に教えてくれない以上、だいじなものを読み落としても、読み落としたこと自体に気づかない。読み落としたとしても、こっちで勝手に別の部分をおもしろがることもできる。勘違いできる。これはつまり自由で、自由というのはほったらかしで不安なものだ。

 「笑える」「怖い」「泣ける」「驚ける」「萌える」「癒される」。自らの嗜好を満足させてくれる、その機能が明白であること。小説の「ジャンル」とはそうしたものである。
 本を読むことのおもしろさに目ざめた著者は、そうしたくくりにはまらない作品を通じて「本を読むことのおもしろさ」を知り、やがてその自分の感覚を過信し、「『本を読むことはおもしろい』はずなのに、それが『おもしろい本がある(おもしろくない本もある』になってしまったとたん」つまり「読まず嫌い」になってしまうと「読書という行為自体が色褪せてしまった」。

 自分が好きなものを読み続けることによって、いわば「消化試合」の様相を呈してくる読書に倦んだときどうすればよいか。「そういうときこそ名作に帰ろう」。
 本書はあまたの「名作」と呼ばれる作品についてだけでなく、「名作」を「名作」たらしめたものは何だったのか、またそれが読者にもとめられ、わすれられ、もはや「読んでおくべきもの」ではなくなった「名作」の栄枯盛衰にも触れられている。
 ウェブ上のミステリ批評に「壁本」=「読後に壁に叩きつけたくなる本」ということばがあるという。

 もしもなにか本を読んで、それが自分の「おもしろいの理想形」から遠かったときに壁にぶつけたくなったとしたら、そのときほんとうに壁にぶつかっているのは、本ではなく、読者である私のほうなのだ。  壁を作ったのも、読者である私本人。私が脳内の「おもしろいの理想形」にこだわればこだわるほど、四方から壁が迫ってきて、自作の独房のなかで身動きが取れなくなり、ちょっと体を動かしただけでも、本を壁に叩きつけてしまう。

 「おもしろいの壁」の外へ、明るいが自由度の少ない独房をでて、不安な外の暗闇を歩くための指針となるもの、それが「名作」と呼ばれるものだと著者はいう。
 私はなぜ小説を読み、読みたいのか? それが知りたくてまた小説を……。元・読まず嫌いの語る「名作とはなにか」への回答はふたたび、「小説とは?文学とは?」の問いを孕んでゆく。
  


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2009年10月12日

『夏みかん酔つぱしいまさら純潔など 句集「春雷」「指輪』鈴木しづ子(河出書房新社)

夏みかん酔つぱしいまさら純潔など 句集「春雷」「指輪 →bookwebで購入

 ある女性俳人の遺したふたつの句集が一冊となった。
「春雷」より
 畦(くろ)ゆくやマスクのほほに夜のあめ
 霜の葉やふところに秘む熱の指
 うすら日の字がほつてある冬の幹
 冬雨やうらなふことを好むさが
 昃(かげ)る梅まろき手鏡ふところに
 春雷はあめにかはれり冬の対坐
 あめ去れば月の端居となりにけり
 かたかげや警報とかるる坂の下
 防諜と貼られ氷室へつづく廊
 銹あらき鋳物の肌と夏草と
 いちじくに指の繃帯まいにち替ふ
 あきのあめ衿の黒子をいはれけり
 湯の中に乳房いとしく秋の夜
 菊活けし指もて消しぬ閨の燈を
 さかりゆくひとは追はずよ烏瓜
 窓をうつしぐれとほのきくづす膝
 冬の月樹肌はをしみなく光らふ

 「指輪」より             

 にひとしのつよ風も好し希ふこと
 秋燈火こまかくつづるわが履歴
 寒の夜を壺砕け散る散らしけり(きづつく玻璃)

 ひらく寒木瓜浮気な自分におどろく
 春雪の不貞の面て擲ち給へ
 肉感に浸りひたるや熟れ石榴
 好きなものは玻璃薔薇雨駅指春雷
 すでに恋ふたつありたる雪崩かな(春たつまき)

 菊白し得たる代償ふところに
 娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ
 涕けば済むものか春星鋭(と)くひとつ
 いまさらの如くにみるよたんぽぽ黄
 明星におもひ返せどまがふなし
 月の夜やかさなることを好まぬ葉
 夏みかん酔つぱしいまさら純潔など
 燈の薔薇はもつとはなやげ斯かるとき(明星に)


 鈴木しづ子の名は正津勉『脱力の人』で知ったのだった。その、「娼婦俳人」などと呼び慣わされ、謎のおおい伝説の女人だという彼女のポートレイトが正津のことばで定着された一編は、改稿され本書の巻末にも収録されている。

 大正八年、神田に生まれ、ごくふつうの少女として育った彼女は、ひと目をひく美貌の持ち主であった。女学校時代は文学と詩歌に親しみ、女子大受験を失敗したため製図学校へと進む。製図工として就職した先で俳句部に入り、俳人の松本巨湫と出会い、以後、彼を師として作句に励む。同僚と婚約、しかし恋人は召集され、還らぬ人となる。終戦の翌年、最初の句集「春雷」を刊行。愛しい母の死。俳句仲間の学生と恋に落ち、一方で職場の人に求婚され、結婚。意に染まぬ結婚ゆえか、学生との色恋沙汰が尾を引いていたためか、子どもを授かりながらも堕胎し、わずか一年で離婚。その後東京を離れ、ひとり岐阜へ。一切の音信を絶つが、ただ、師の巨湫の主催する句誌『樹海』へは、師への便りを通じて投稿しつづけた。東京時代、気晴らしにならいはじめたダンスに熱中していた彼女はダンスホールで働き、やがて進駐軍相手のキャバレーに出入りし、ここで黒人軍曹と恋に落ちる、昭和二十五年のことである。正津はこう書く。

 それはもう白い目でみられる。指さされ、唾される。そうだけど意に介さないのだ。
 そんなことはどうでもいいのである。世間の目などあってない。すでにしてしづ子は世間を降りてしまっている。つまりは脱力の人なのである。であればなんだってもうすっかりいいのだ。

 朝鮮戦争。戦地から戻ってきた米兵の恋人は麻薬に蝕まれ、看病の甲斐のなく故郷アメリカへ、ほどなくして、死の知らせがしづ子のもとへ。昭和二十七年、第二句集『指輪』を刊行。東京に背を向け、『樹海』に発表される句によってのみ世に通じていたしづ子はすでに、「伝説」の人となっている。このとき催された出版記念会は、しばらくぶりに東京に現れたしづ子をひと目みようという人たちで大盛況だったというが、この日を境に、しづ子は消息を絶つ。その後、ヒロポン中毒だ自殺だと「墜ちた女」の噂がささやかれた。
 しづ子が消えてなお巨湫は、その死の前年の昭和三十八年まで、それまで投稿されたしづ子の句を『樹海』に発表しつづけた。
 作られた句を作者に重ねて詠む。「娼婦またよきか」と詠んだ。それだけでなんだってみんなスケープゴートにしてしまいたいものだから、しづ子は「娼婦」になってしまう。かくて伝聞の果てに伝説が生まれる。
 同じ過ちを犯す。こうしてしづ子について書くことにしてからが、同じ徹を踏んでいることではないか。

 東京を離れ、しづ子の作句はより熱をおびた。便りは巨湫に宛てた投句のみ。『樹海』掲載にあたっての選句は師にまかせた。その選択が、作者の像を演出する向きも少なからずあったという。弟子もまた、師の意図を汲んで詠むということもあったのではないかと、それがいっそう、しづ子の「伝説」をひろげる一因ともなったかもしれないと正津は指摘している。

 しづ子にまつわる数々の伝聞が、仮に真実であったとして、戦後の世に似たような道をたどった女はいくらでもいたはずで、それが「伝説」とまでいわれてるのは彼女が書く人であったためである。そしていまなお、彼女の仕事は、その伝説と切り離しては世にでることが叶わない。
 その時代にあっては、過激とうつる句もあったろうが、こんにちの私の感覚からしては、さほどの衝撃もなく、ぜんたいを通しては、むしろどこか少女趣味的、静謐で澄んだ印象のほうが先にたつ。
 すべてを踏まえて、しかしひたすらにその句を読んでゆくしかないだろう。そこにはただ、しんみりとわが身を愛おしみ、ときに絶望し、あるいはせいせいと強がる、生きることと書くことのへだたりの、あまりに緊密であったひとりの女性がいる。


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