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2008年06月26日

『旅の仲間 澁澤龍彦/堀内誠一往復書簡』澁澤龍彦・堀内誠一【著】・巖谷國士【編】(晶文社)

旅の仲間 澁澤龍彦/堀内誠一往復書簡 →bookwebで購入

「「SEC」なふたり」

 「アンアン」の創刊当初のエピソードが綴られた赤木洋一『「アンアン」1970』(平凡社)。アートディレクターだった堀内誠一の手によって創刊号の巻頭を飾ったカバーストーリーのための、パリでの撮影隊の様子など、まるでロードムービーのようにすてきだけれど、著者が堀内に連れられ、澁澤龍彦邸を訪れるという一幕もまた、時代のひとつのシーンを印象的に映している。パリから連れ帰った専属モデルの「ベロちゃん」と著者、新客のとまどいをよそに、邸の主人は気さくに一行を迎え入れるとすぐ、まるでつい昨日のつづきのように、堀内と最近面白かった本などの話をはじめる。著者はこのときの堀内の楽しげな様子と饒舌に驚いたという。

 澁澤龍彦と堀内誠一は、澁澤の友人だった堀内の妻・路子をつうじて知り合い、1968年、澁澤責任編集の雑誌『血と薔薇』のアートディレクトを堀内が担当したのをきっかけに親交を深くした。その年から、ふたりが奇しくもおなじ病でおなじ夏に亡くなった1987年までの往復書簡が収められたのが本書である。
 前半にはすべての書簡がカラー図版で収録され、後半には活字にされた文面が、編者の巖谷國士の丁寧な註とともにある。そのおおくは、堀内が74年から七年間滞在したパリ郊外のアントニーと鎌倉を行き来したもの。「アエログラム」というフランスのエアメール用の細長い便箋にしたためられた堀内の手紙はたいてい絵入りである。迷いのない筆と爽やかで温もりのある色で、旅先の風景などが描かれ、そこでみたもの、あるいはパリでの展覧会や映画についてなどが綴られる。そこには前出のエピソードにみられる、堀内の澁澤への親しみがあふれている。
 澁澤のほうはたいてい、それを受けるかたちで、あいわらず鎌倉で隠者のような暮らしを…などと近況報告しているが、ところどころで旅への思いももらしている。長らく書斎のひとであった澁澤がはじめてヨーロッパへ出かけたのは1970年、このとき羽田に見送りにきた友人のなかに堀内もいた。これをはじめとして、澁澤は生涯に五回のヨーロッパ旅行をしているが、うち二回、77年のフランス・スペイン旅行と、81年のイタリア・ギリシア旅行には堀内夫妻も同行、ふたりはまさに「旅の仲間」であった。はやくから世界各地へと出向き、旅がものづくりにおける大きなエッセンスであった堀内という友の存在と、彼からのエアメールは、澁澤が書斎の椅子をたちあがり、海を越えようとするときの、そのいきおいをどこかで支えていたのではないか。

 ある手紙のなかで堀内は「あらためて澁澤さんの文章は疲れないことを認識しました」と書き、それを受けて澁澤は「大へん嬉しい。ますます疲れない文章を書いていますから、まとまったらぜひ読んでいただきたいものです」と返しているのが心に残る。また、別のある手紙の最後に堀内は、澁澤の手紙を心待ちにしていると述べたあと、「とてもSECなので」と結んでいる。巖谷の註によれば「SEC」とは「乾燥している、生のままの、辛口の、といった意味。」だとか。じつに、この肩肘張らず、率直で爽やかで、そして粋なふたりの親しみが流れる往復書簡じたい、「SEC」という形容詞がふさわしい。


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2008年06月11日

『センネン画報』今日マチ子(太田出版)

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「沿線アドレッサンス」

 同名のブログでほぼ毎日書きつづけられている一ページマンガの単行本化。
 河原、高架線、校舎、屋上。舞台はおそらく、都心から急行で四、五十分の町のはずれ。登場するのは制服の女の子と男の子。電車が鉄橋を渡る音や、夕暮れのざわめく葦の原、風にはためく教室のカーテン、美術室の木炭と絵の具のにおい、川の向こうの町の灯、それらを背景に、彼らのどうということのないある日のできごとをうつす。

 感じやすさをもてあまし、それをやりすごすためのこのお年頃独特のほうけた気分がゆるゆると流れるなか、それでも抗うことのできない若い感性の針が振りきれるような一瞬を孕んでいる数コマ。そんな時代はすでに遠い日、というあなたも、過ぎ去りし春の、けだるく、それでいて身の置き所のきめかねる焦燥感が彷彿としてよみがえるはず。
 エピソードにさえならないような他愛のない瞬間のつらなりの傍らで、時間というものは、彼らの暮らす町をつらぬく川とおなじく、ずっと前から、そしてこれからもかわることなく流れていく……そんなマクロな視点が、この沿線の彼らのたよりない気分をみまもっているようだ。それは、ちいさくてささやかな喜びを愛しむいっぽうで、妙に醒めて冴えきった著者の感性によるものではないか。

 今日マチ子を知ったのは、彼女が発行していたミニコミ『Juicy Fruits』によってだった。脱力気味のイラストと手書き文字で綴られる、身辺のあれこれにスポットをあてた個人的ルポルタージュ。その鋭い視点にはいつも楽しませてもらっていた。筆者もミニコミ出身(というかいまなお継続中)であるので、互いのメディアに寄稿しあったりなどしてゆるやかに交流してきたのだが、彼女にこんなにもセンチメンタルな一面があったとはつゆしらず。これまでの今日マチ子の仕事のイメージというと、ちいさな誌面に情報満載、ぎゅっと中身の詰まった濃縮果汁、という具合だったが、本書は甘酸っぱい微炭酸ソーダのよう。けれど、ぴりりとした喉ごしはかわらない。一話一話の意味深なタイトルにも、それはあらわれている。


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