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2007年11月15日

『内藤ルネ自伝 すべてを失くして』内藤ルネ(小学館)

内藤ルネ自伝 すべてを失くして →bookwebで購入

「夢みるクローゼット・クイーン」

 勤めていた洋装店を辞め、岡崎市の親元にもどった青年は、来る日も来る日も絵を描きつづけ、中原淳一のもとへと送りつづけた。戦後まもないころ少女たちを夢みさせた、中原淳一編集の『ひまわり』や『それいゆ』は、彼にとっても「焼け跡に咲く大輪の花」だったのだ。いっこうに返事のくる気配はなく、あきらめかけていたころ、ひまわり社から連絡が。「布団を送って、すぐ来てください」。1951年のことだった。
 天にも昇る気持ちで上京し、神保町の社の三畳半の部屋から、内藤ルネはスタートした。のどかな地方都市から文化と芸術の渦巻く大都会へとやってきた彼は、驚きと喜びで気も狂わんばかり。いままで本で知るだけだった数々の出版社のビルがたちならび、たくさんの古本屋がひしめき、会社の隣には映画館が。当時の神保町には街のいたるところにスピーカーがあり、いつも音楽が流れていたのだという。ルネが上京したころ、よくかかっていたのはピアフの「バラ色の人生」だった。

 お茶くみや原稿とりなどの雑用からはじまり、ちいさなカットから絵の仕事に入ったルネはめきめきと頭角をあらわした。大きな頭と細長い手足、黒目がちの瞳にぽってりとした唇のデフォルメされた少女たちは、中原淳一描く、憂いをふくんだやさしげな少女たちにくらべてたいへんポップものであった。それがあたらしい時代の少女たちの気分にマッチしたのだろうか、読者の支持を得てゆく。54年、『ジュニアそれいゆ』の創刊時にはレギュラーの執筆陣になった彼は、イラストレーションだけでなく、自分のアンテナのおもむくまま、映画や音楽、おしゃれ、雑貨、インテリアといったさまざまなテーマでページを作った。 
 59年には単行本『こんにちは!マドモワゼル』(2004年、河出書房新社より復刻)をひまわり社から出版。これは、おしゃれや手作りの提案、物語や詩、お気に入りの映画やアーティストの紹介など、まるごと一冊がルネの世界で埋め尽くされたヴァラエティ・ブック。企画、編集、デザイン、イラスト、文章、すべてをルネのアイデアとセンスのおもむくままに作り上げたこの本は、そのころとしてはかなり異色なものだったと、当時ひまわり社の若き編集者で、ルネの担当だった本間真夫氏は語っている(河出書房復刻版あとがき「after45 復刻にあたって」)。本間氏は、『こんにちは!マドモワゼル』はもちろん、その後『私の部屋』などでルネとともに魅力的な誌面を作り続けた生涯のパートナーである。

 その後、他社の少女雑誌のふろくの仕事や、キャラクターグッズのデザインと、活躍の場をひろげていったルネ。息つくつまもないほどの忙しさのなかで、60年代・70年代の少女たちに、とびきりのかわいいものたちを提供しつづけた。
 ファッション誌『服装』の増刊としてはじまったインテリア雑誌『私の部屋』では、さまざまなインテリアのアイデアを繰り広げ、ニューファミリー世代の読者たちに影響をあたえた。自らのセンスを発揮して部屋作りをする楽しさと喜びを、ルネのページによって知ったひとはおおいのではないか。派手好きで、ひとを驚かすことが大好きだったという彼にとって、なんの制約もなく自由に誌面を作ることのできる『私の部屋』は、自らの夢を表現できる最高の場所だったという。
 『こんにちは!マドモワゼル』同様、『私の部屋』でも、イラストレーションはもちろん、ページ作りのあらゆる作業を本間氏とふたりでこなしていたルネ。彼の肩書きは「イラストレーター」だが、敬愛する中原淳一がそうであったように、彼は編集者でもあり、ライターでもあり、スタイリストでもあり、デザイナーでもあった。そしてなにより、美しいもの、かわいいもの、ロマンチックなものを見つけだす目利きであり、それを楽しむすべを女の子たちに示してくれるすばらしい案内人だった。
 少年時代から、捨てられた木箱に自作のイラストや拾った小石などをアレンジメントし、うれしがっていたルネ。彼にとっては、どんなに高価なアンティークドールも、安物のキッチュなおもちゃも、拾い集めた貝殻も、彼の夢の世界を彩ることにかけては、まったく分け隔てのない存在だった。そして、ロマンチックとポップ、クラシックとモダン、和と洋など、あらゆるテイストを行き来するセンスと審美眼。彼の展開する世界が、女の子たちの心を捉えたのは、なによりも彼自身が、なにものにも囚われない自由さで室内をプロデュースし、そこですごすことの喜びを謳歌していたからだろう。

 「私のような者のことを、こちらの世界では“クローゼット・クイーン”と言うんです。あまりおでかけをせず、おうち好きな人たちね。」

 “クローゼット・クイーン”ということばを私はここではじめて知ったのだが、そういえば、彼の責任編集による、これもまたルネ色に染められたカルチャー誌のタイトルは『薔薇の小部屋』であった。「薔薇の小部屋の女王様」、彼を形容するのに、これほどふさわしいことばはないような気がする。
 大好きなものに囲まれた「わたしだけの空間」ですごすことを好み、内気でナイーブなルネはまた、自分を評して、とても暢気で楽天的、ひとを疑うことを知らないという。

 「ゲイ=gayには、陽気とか、明るい人っていう意味があるんです。おすぎとピーコなんかはその典型。なんでも笑いとばして、突っ込み入れてね。」

 私は拙著『本と女の子 おもいでの60-70年代』のなかで、『私の部屋』をとりあげ、内藤ルネ、本間真夫両氏に当時のお話を伺ったことがあるが、そのときの彼の印象は、たしかに陽気なはしゃぎ屋というものだった。歯に衣着せぬおしゃべりは、やはり彼ら特有の厳しい批評精神のなせる業だろう。そして、そのテンションの高さが、ともすれば急転直下し、深い奈落の底に落ち込んでいってしまいそうな危なっかしさを感じ、しかしそれは私が彼をゲイのステレオタイプとしてみてしまっていたせいだったろうか。
 お話を伺ったのは、ちょうど本書が出版される間際のことで、そのときルネさんは、本のタイトルを「転落のあとに」としたかったのだと語った。表紙には「After my Downfall」と記されているが、正式なタイトルには採用されなかったらしい。「転落のあとに」というのは、彼の好きな古い映画のタイトルにあったことばらしいが、「わたし、『転落』っていうことばが好きなの。」と言って笑ったときのルネさんが忘れられない。

 実際、内藤ルネはタイトルにあるように、「すべてを失くして」しまう、まさに転落というべき目に遭っている。近年、若い世代によって注目されることで、展覧会が開催されたり、本やグッズがふたたび世に出るようになるまでの十年ちかくは、苦悩の日々の連続であった。くわしくは本書で語られているので、それについてはさておき、彼が逝ってしまったいま、「転落」などという物騒なことばが好きだと彼が語るときの気持ちのありようはいかなるものだったのかと思う。自らの「転落」経験を踏まえ、自分をどこか醒めた目で眺めながら、彼特有のファンタジーにこと寄せ、ヒロインめかしておどけていたのだろうか。
 彼はその「転落」のあと、雑誌『私の部屋』の終刊まぢか、自らの仕事の集大成ともいうべき特集「ロマンティックよ永遠に」でこんなふうに語った。

 「夢見ること、それが私の人生。/振り返ってみると、私は特別に、現実とかけ離れた、どこにもない夢を求め続けてここまで来てしまったような気がする。」

 内藤ルネの訃報に接したとき思い浮かべたのは、彼が好きだったエドウィージュ・フィエールも、ガルボも、ヘップバーンも敵わないほどの絶世の美女、銀幕の女王に生まれ変わり、美しくもかなしい転落の人生を演じてみせる姿である。


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2007年11月06日

『京都文具探訪』ナカムラユキ(アノニマ・スタジオ)

京都文具探訪 →bookwebで購入

   だって 文具売り場って
   ある種の郷愁がありますでしょう
   鉛筆の箱やノートや下じきやサインペンや
   そんなもの みているだけで 
   ときどき気持ちがピリッとひきしまりますものね
   「郷愁」と「ピリッとひきしまる」は
   ちょっと結びつかないような気がするけどね
   気持ちがあらたまるってことですわ

                大島弓子「たそがれは逢魔の時間」

 大島弓子の「たそがれは逢魔の時間」のなかで、妻が、夫の気持ちを翻弄しているらしいヒロインの少女に向かってこんな話をする場面がある。妻は少女をまえに、いささか教訓めいて話をしているふうにもみえるし、文房具がまだ身近であり、大人になったいまよりも軽やかに気持ちをあらためることができた自らの少女時代を懐かしんでいるようにもみえる。

 「郷愁」と「ピリッとひきしまる」は、たしかに結びつかないような気がするが、文房具に関していえば、このふたつの思いは両立すると思うのだ。
 気持ちをあらたにしたいとき、私もまるで儀式のように、あたらしいノートとペンを買っていたが、それもいまはしなくなってしまった。文房具にたいしてずいぶん無頓着になり、文房具屋や、書店やデパートの文具売り場に足を運ぶこともあまりなくなった。
 というのも、ワープロでなくては文章が書けなくなってしまったからなのだが、しかし、手でなにかを書きたい(描きたい)欲求というものはいぜんとして身体にのこっていると思う。手紙を書くのでも、メモをとるのでも、ただなんとなく目についたものを反古の裏に落書きするのでもいい。鉛筆やペンをもって紙にむかうことは、ストレッチをするのにも似て、ふだんの書く作業で固くなった頭と身体がほぐれていくような気持ちのよさがある。けれどもそうした振る舞いはもはや日常的なことではなく、身体ぜんたいはもちろん、手先までもが運動不足になっている。
 
 本書の著者・ナカムラユキさんはイラストレーターなので、いつも手先を動かしている人だろうし、だからこそ文房具も身近な存在であるだろう。描く仕事をしつつ、京都でフランスの雑貨を扱うショップ兼ギャラリー「trico+」(トリコ・プリュス)を営む彼女は、子どものころから、紙や文房具にとくべつの愛着をもっていたという。絵を描くことを仕事としてからは、文房具店や画材屋へ足しげく通い、旅先でもあたらしい出会いを求めて文房具店をめぐる日々。高じてはフランスや北欧を訪れるまでになった。
 そんな彼女が、ある一軒の店との出会いをきっかけに、自らが住む京都の町の文房具屋に目を向けることとなる。

 「それは、京都の通りやそこで商売を営む人々の歩んできた道を知ることへと繋がり、文房具を探ることは京都の町を深く愛することでもあった。」

 町の商店街の文房具屋をめぐり、まるで発掘作業をするかのように、その棚のすみで長年じっとしていた品々を探りあて、そっと手にとり、店主とことばを交わす。彼らがたいてい、店に埋もれた古いものを求めてやってくるお客に慣れているというのは、京都ならではというべきか。お店の人たちとのそうした交流と、京都で育った著者の思い出や京都暮らしの楽しみとともに、古いものとじっくり向き合おうとする彼女の、暮らしとものへの姿勢につらぬかれた訪問記。そこには、あまたの京都の案内本では、「歴史と伝統」というお墨付きの観光名所やお店の紹介のうしろで影をひそめてしまいがちな、京都の町のある一面がクローズアップされている。

 ガラスペン、セルロイドのペン軸、クリップやはと目、カーボン紙、インク瓶、ガリ版刷りの鉄筆の替先針。色褪せたパッケージや触ったら崩れてしまうそうな箱。歳月がもたらした痛みや、積もった埃も大切に、著者の手によってふたたびみいだされ、息を吹き返した文房具たちには、ひとつひとつ丁寧なコメントが付されている。
 書く、消す、切る、貼る、複写する、まとめる、保存する。日々、パソコンの画面に向かってしているそれらの作業を、自分の手指を使ってする機会のなんと減ったことだろう。著者が読み手のまえに差し出してくれた文房具たちをまえに、そんなことを思った。
 古いものはときに、鑑賞するためだけのものとして消費されてしまいがちだが、彼女の文具探訪がそうであったように、それを目でみる楽しさはもちろん、それらに触れたときの感触や音、それを使って手を動かすことの心地よさを、本書は思い出せてくれる。

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