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2007年06月25日

『星新一 一〇〇一話をつくった人』最相葉月(新潮社)

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「ボッコちゃん」の人

その後たとえSF読みにならないにしても、私くらいの世代の多くは、星新一の本を手にした時期があったと思う。
ずっとあとになって、あるときふと読み返した星の代表作『ボッコちゃん』は、どの話もなにやらもの悲しかった。文体が簡潔で、感情に訴えかけることがないので、かえってそれが際立つ気がした。
あのころは、その意外な結末がただ楽しみで、次から次へと読みすすんだというのに。

著者の最相葉月も、中学時代、星新一を夢中で読んだひとりだった。
「奇妙で、意表を突かれ、読後にはモノクロームのかけらだけが心にコトンと落ちる。そのかけらが何なのかはわからなかったけれど、またすぐに次の作品を読みたいという気持ちになった。あとになって知る『戦後SF小説の開拓者』や、『ショートショートの第一人者』といった作家の情報は何ひとつ知らなかった。星新一は星新一、だと思っていた。」
その後まもなく、「まるで憑きものが落ちたように」星新一から離れた著者が、その評伝を著すことになったのは、書店で目にとまった星新一を再読してのことだった。
「星新一を読み返してみよう。星新一が一編一編の物語に注いだ視線を、現代の科学と幸福を考えるための手がかりにしようと思ったのはそのときである。」
こうして、星作品との対話を通し、現代の最先端技術への違和感を見据えた前作『あのころの未来 星新一の預言』(新潮社)は書かれた。
引き続き、遺品の整理と関係者への取材をもとに生まれたのが本書である。

星新一は星新一。同じ印象を私もまたもっていた。そもそも、星新一の作品をSFであると、私はあまり意識することはなかった。
『宇宙戦艦ヤマト』のブームは年上のお兄さんたちのものだったし、『スターウォーズ』や『未知との遭遇』も映画館に観に連れていってもらっている。日本でSFがすっかり大衆化して以降の子どもだった私にとって、星新一は星新一、まさにそういう感じだった。

若くしてアメリカに学び、その後星製薬をおこして「製薬王」とよばれた父・星一の巻き込まれた阿片にまつわる事件を描いた『人民は弱し 官吏は強し』(新潮文庫)をはじめ、母方の祖父である解剖学者・小金井良精について書いた『祖父・小金井良精の記』(河出文庫)() 、『明治・父・アメリカ』(新潮文庫)、 『明治の人物誌』(新潮文庫)といった星の「明治もの」について知ったのは大人になってからである。
星の作品に熱中していたのは、著者同様、ほんのいっときであったから、そのころ、この作家が、大企業の御曹司であったと知ることなどなかったのだ。

子どものころ抱いていた「『ボッコちゃん』の人」のイメージは、その名前のためか、ピカピカと光るお星様のような軽々とした平明さと、ほんのすこしの胡散臭さをごちゃまぜにしたようなものだった。
そこに、時を隔てて『ボッコちゃん』を読み返したときの感じと、偉大な父の息子として「明治もの」も手がけた作家としての一面が加わることでふくらんでいたこの作家への興味に、本書は答えてくれている。

戦後、SFを広めることに尽力した人たちにとって、星新一はまさにスター、希望の星だった。
星のデビューが戦後の日本のSF史のはじまりといってもいいほど、彼はこの国でのSFの普及におおきく貢献をした。が、SFが市民権を得、後続の作家たちが活躍しはじめると、SFの読み手たちはしだいに星から離れていった。
その作品がより若い読者の人気を得てゆくにしたがい、星新一はいつしか、中学生高校生の好む作家、子どもの読みものだと評価されるようになってしまう。

けれども、昭和三十年代なかばに登場してまもない彼に対するそれはもちろん違った。
「ロアルド・ダールやフレドリック・ブラウンのような雰囲気を持った、都会的で田舎くさくない星さんの登場は新鮮で、大好きでした。」と、著者が取材した文藝春秋編集者・高松繁子は語る。高松は、星が昭和三十五年に直木賞候補となったときの社内選考委員だった。「星作品をおもしろいと思えるかどうかが読み手のセンスを測るリトマス試験紙のようになっていた」のだという。
直木賞受賞はなかった。小林信彦によれば「当時の印象としては、あれはなんだかわからない、といった受け止め方です。星さんの名前はまだほとんど知られていないときで、正直なところはじめからとれないと思っていました。推理作家でさえ社会的な地位が低くて直木賞がとれない時代だったのですから。」と回想している。
一方、当時「読書好きのませた少年」であったという荒俣宏は、「星新一はアメリカの短編小説のエクリチュール(文体)を日本にもってきた人。SF作家というよりも、新しい文化とスタイルを輸入した人です。ぼくたちは、植草甚一と並んで認識していましたね。」
「なんだかよくわからない」と違和感を示されもしたが、星新一はこれまでない新しいタイプの書き手として受け入れられもした。
すっかり低年齢化した読み手の一員だった私にとって、星新一のこうした受容のされかたを知ることができたのはとてもうれしい。

本書によって、断片的だった私の星新一像は、複雑さを増しながらもひとつに結ばれていった。しかし読み終えてみると、私の「『ボッコちゃん』の人」への印象はあまり変わっていない。やれSFだ、やれ文学だと言い出せばややこしくなる。星本人はそこのところにもちろんこだわってもいたろう。しかし私にとって、星新一は星新一、なのである。

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2007年06月01日

『ブンブン堂のグレちゃん 大阪古本屋バイト日記』グレゴリ青山(イースト・プレス)

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「古本育ち」

古本情報誌『彷書月刊』(彷徨舎)で大好評だった連載マンガの単行本化。八十年代半ば、著者が学生時代をすごした大阪の古本屋での日々が綴られている。

ヒロイン・グレちゃんは18歳。夜間のデザイン学校で学ぶことになった彼女が、昼間のバイト先にえらんだのは梅田の古書街にある「ブンブン堂」。本当は、同年代のステキな男子との出会いがありそうな「ナウ」くて青春ぽいバイト先を夢みていたはずだけど、グレちゃんは出会ってしまったのだ、古本の世界に。

古本好きにとっては、思わず顔がほころんでしまうグレちゃんのアルバイト生活。ただし、古本に詳しくないひとが読んでも、古本屋の仕事がどういうものなのかがよくわかるよう、とても親切な描きかたがされており、その、誠実さとまじめさは著者の魅力のひとつ。

ゆえに、彼女が「ブンブン堂」店長や、古書街の、風変わりだが愛すべきキャラクターの古書街の人たちに、とてもかわいがられていたのにも頷ける。本書の裏主人公ともいうべき店長とグレちゃんとの掛け合いは最高で、いちばんの読みどころといっていいかもしれない。

連載のほか、店主の顔がクローズアップされた大阪の古書店紹介も収録。これは、マンガだからこそ、古本屋育ちのグレちゃんだからこそ実現できた楽しさである。あとがきには「この本を読んで『古本屋に行ってみよ』という気になってくれれば幸いです。」とあるが、うんうん、きっとこれを読めば、みんな古本屋へ行ってみたくなると思うよ、グレちゃん。

また、中井英夫、竹中英太郎、生田耕作など、「ブンブン堂」時代に出会い、今日の著者をかたちづくることになったグレちゃん好みの作家についても折り触れて紹介。さらに、古書目録や古書情報誌についてのコラムあり、古本入札市のルポあり、大阪古書店地図あり、本書に登場する古本の目録ありと、至れり尽くせりの内容。とどめは、古書店の棚の写真がカラーでびっしりと並んだ見返しで、これをみるや、古本好きは古本欲がむらむらと湧き起こり、いてもたってもいられなくなる。

マンガとしても楽しめ、古本と古本屋案内の書としてもすぐれている。しかも本書は、古本という未知の世界を通じて、自らの居場所を発見する少女の成長と旅立ちの物語でもある。グレちゃんが、「ナウ」くて青春ぽいファストフード店をバイト先にえらばなくてよかった、「ブンブン堂」に出会って、本当によかったと思う。

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