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2013年07月07日

『スウィング・ジャパン―日系米兵ジミー・アラキと占領の記憶』秋尾沙戸子(新潮社)

スウィング・ジャパン―日系米兵ジミー・アラキと占領の記憶 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 いったい何人の日本人がジミー・アラキ(James T. Araki) の名前を知っているだろうか。日本の戦後期にスウィング・ジャズやビ・バップを広めたジャズ奏者として? それともノーベル文学賞候補にもなった井上靖の欧米における紹介者、翻訳者として? はたまた幸若舞の研究者として? だが、何はともあれ、彼は米国軍人として第二次世界大戦を戦い、その後の米軍占領時代に日本の戦後とかかわった人物として、まずは、われわれの前に登場してきた。

 『スウィング・ジャパン』は、こうした複数の顔をもつ日系アメリカ人二世、ジミー・アラキとその足跡を、丹念に資料を洗い、丁寧に取材を行ったうえで、客観性を保ちつつも愛情をこめて描いた優れたノンフィクション作品である。読み進めていくうちに著者のアラキへの思いが読者を巻き込み、いつしかジミー・アラキの虜にされてしまう。読了後に、彼のアルバム『ミッドナイト・ジャズ・セッション』を聴きたいと思わない人がいるだろうか。彼が翻訳した『天平の甍(The Roof Tile of Tempyō)』を読んでみたいと思わない人がいるだろうか。彼の研究対象であった幸若舞とよばれる、いまではほとんど忘れられかけている日本の曲舞への興味すら湧いてくるだろう。戦中戦後の日米関係について彼と語り合いたいと思うのは筆者だけだろうか。

 著者のアラキに注ぐ愛情はそのまま彼の生きた時代におよび、読者をあの哀しく残酷な時代へと向かわせる。そうすると見えてくるものがある。彼の奏するジャズはたんに日系人強制収容にたいする憂さ晴らしや、敗者である日本人への慰めなどではなかったということだ。それはジャズに備わっている創造的ともいえる生存本能の表出であった。その生存本能はジャズの源でもあるブルーズが本来的に有していたものでもある。隔離された強制収容所の中で、後には占領下の日本で、彼が鳴り響かせたスウィング・ジャズやビ・バップは、支配者であるアメリカをおもねってのものでは決してなかった。どちらの場所にも生きるためにジャズを必要とした人々が存在していた。ブルーズが過酷な労働に苦しむ黒人たちを支えたように、アラキもまたそこで暮らす人々のためにジャズを演奏した。

 日本文学研究者としてのアラキを描くさいも、著者の敬愛の眼差しは変わらない。たとえば、一般に流布している川端康成についての解説や論評を読み、違和感をもつ者や、難しいと感じる者がいれば、本書の中で適切に引用されたアラキのコメントにふれてみるがいい。その結果は、「納得した」「よくわかった」という返答ではなく、「川端康成の作品を読みたい」、もしくは「もう一度読み直してみたい」という最上の受容のかたちになるはずだ。アラキの演奏するジャズに言及するときもそうだが、この著者は決してアラキという対象を筆の力で支配しようとはしない。どんな場合でもアラキのコンテキストを尊び、彼の語りに従って描いていく。その語り口はあたかもイエスの生涯を著した福音書記者のようだ。

 アラキという人物は、おそらく本能的に短期間のうちにものの本質を掴むことができる人間だったのだろう。だからこそ、生き続けるためには、ジャズが不可欠なものであると直感し、理想的なかたちでそれを体現することができたのである。彼が後年、日本文学の研究へと進むのも、たんに生きるだけでなく、より洗練された生をめざそうとしたからにほかならない。そうした彼の生への意欲に呼応したのが本書であるといえるだろう。これは、まるでジャズそのものではないか。本書は、著者がジミー・アラキとデュオで繰り広げるインタープレイでもある。

 本能的に本質的なことを掴むことができる人間であるということでいえば、それは著者にも当てはまる。いったいどこの誰が、アメリカ占領期の日本を描くにあたり、その中心に一人の日系米兵を据えようとするだろうか。重要なのは、アラキが日本人の血を引くアメリカ人であったということではない。アラキというトランスナショナリストともいえる人物を占領期日本の中心に据えることで、著者があの戦争とそれに続く時代を複眼的な視点でとらえようとしたということだ。そうすることで、紳士協定、外人土地法を経て、1924年の移民割当法(排日移民法)と続く日系アメリカ人をターゲットにした一連のアメリカの政策を、戦争原因のひとつとしてとらえ直すことが可能になる。同時に、米軍による戦後の占領政策をその延長線上のものとして再考することも可能になる。本書をとおして著者は見事にそれらの試みに成功したといえるだろう。

  『スウィング・ジャパン』の刊行と時を同じくしてCarey McWilliamsの“PREJUDICE Japanese-Americans: Symbol of Racial Intolerance”の邦訳『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944』(渡辺惣樹訳)が草思社から出版された。戦中の1944年にアメリカ合衆国内で書かれた日系人強制収容批判の書である。併読を薦めたい。


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