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2013年03月03日

『わたしは目で話します』たかおまゆみ(偕成社)

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「伝えることをあきらめない」

 著者のたかおまゆみさんとは何度かお会いしたことがある。
都内のALS患者さんのお宅に見学に来られた時、同席したのが最初の出会い。車椅子から立ちあがって、まだ歩けていた頃だ。彼女のブログの愛読者には「うさぎさん」とハンドルネームで呼ばせてもらったほうがしっくりくる。 

 うさぎさんは3人のお子さんとご主人との5人暮らし。ALS発症当初から家族には負担をかけない療養を考えておられた。ALSとは全身が徐々に麻痺して最期はほとんどどこも動かせなくなり、呼吸も止まる難病で治療法はない。でも気管切開して人工呼吸器を着ければ長く生きていける。患者は発症してしばらくするとそのまま死ぬか、呼吸器をつけて生きるかの選択に迫られる。

 うさぎさんは人づてに私たちの活動のことを聞いて尋ねてこられた。
お会いするとおっとりした中に芯の強さのある人だった。
この人なら病気とうまくやれるだろうと直感し、介護制度を使って暮らせば、家族に頼らずに、たいしてお金もかけずに自宅療養できることなどをお話しした。呼吸器選択のための最重要課題が介護のことだから、その方法を伝授した。


 あれから、3年以上の年月が経ち、連絡も途絶えがちになっていたが、本を執筆していることは知っていた。だからいつ刊行されるのか、心待ちにしていたところだった。うさぎさんのことだから、その素晴らしい言語感覚で何を書かれるのか楽しみにしていた。そしたら、子どもでもわかるような易しく丁寧な文章で、障害者の意思伝達について、とてもよく書かれている。うさぎさんは超特急並みの速さで全身の麻痺が進み、いつの間にか呼吸を確保するために気管を切り、声を失い話すことができなくなっていた。でも着々と言葉を紡ぎ続ける準備をしていた。

 それは、意思を伝えるために透明文字盤をかざしてもらえる環境作り。すなわち家族に頼らない他人介護という前提。それも待っているだけじゃ、使えない。この国の障害者の制度は市町村の裁量次第で、支給されるかどうか、何時間使えるかどうかまで決まる。地域間格差がはなはだしく、患者は病気と闘いながら、同時に地元の福祉行政とも交渉しなければならない。

 病気になっても自宅へ戻せっていう世の中の流行りがあるけれど、重い障害のある病人が自宅で生きていくためには、24時間誰かにそばにいてもらって、吸引をしながら全身を時々動かしてもらって、呼吸器の管理をしてもらわなければならない。その役目はたいてい家族。家族の中でも弱い立場の娘とか、働いていない息子とかになる。だけど、家族に自分の介護をさせたくないって、たいていの母親患者は、そう思ってる。それに、いつでも遠慮なく言葉を読み取ってもらうためには、どうしても24時間の介護保障(全他人介護)を市町村と交渉して勝ち取ってこなければならない。


 うさぎさんは、呼吸器をつけてから「口で話す」機能を失ったけれど、自治体との交渉には成功して、「目で話す」技術をマスターし、本一冊分の読み取りを実現した。難病ALSから「言葉」を取り戻したのだ。
うさぎさんは元気な時には聾学校の教員として活躍。夫の赴任先のドイツで、独学でドイツ語をマスターした。男女共同参画会議の委員もした。これらすべての経験がALSを生きるために使われ、たとえ会話はできなくなっても、心の底から湧きあがる「言葉」をまばたきを使って伝えている。
声を失っても伝えることを諦めなかったたかおまゆみさん。
家族に頼らない在宅療養を、その地域で初めて切り開いたまゆみさん。
絶体絶命のピンチにも脱出の道は必ずある。だから、生きている限り諦めない。改善の方法を探り続ければいい。

 うさぎさんは、「目で話す」方法についての本を書いたんだけど、私が諦めない限りあなたも諦めないで、いつも私の目をみて「言葉を拾って」と呼び掛けているような気がする。

社会とはまさにそういうもので、どんなに小さな声でも読み取ろうとする気持ちがなければ、上から一方的に下される声に、ただ従うだけになってしまう


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2012年12月16日

『海のいる風景 重度心身障害のある子どもの親であるということ』児玉真美(生活書院)

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「親子の間に横たわるもの」

子を授かると、新品の電化製品を購入するかのごとく、どこにも欠陥がなければいいとか、返品不可能なのだから、などと思ってしまう。重い障害のある児は生まれない方がいいとさえ言われてきた。だが、社会との接点で障害は生じる。社会の在り様や人々の接し方次第で、障害はほとんど気にならなくなり、まったく「なくす」こともできるのに、まるで障害を持って生まれたその子が悪いかのように、産んだ母親が悪いかのように、考え考えられてしまうのは、障害の何たるかを知らないからだ。親は秀でた子を求め、劣っている子は疎む。醜いことだが、これは我々の本能と社会に組み込まれた愚かさの一部である。そうではないことを知っている人は、このような書き出しをしてしまうことを許してほしい。現実問題として、この競争社会を生き抜くうえでの損得を考えてしまうと、親はわが子の生まれつきの性能では満足できない。そして親がひどく視野狭窄的な理想主義者であったとしたら、わが子の将来の幸せのために、さまざまな「コントロール」が行われる。
たとえば、過剰なおけいこ事や塾通い、まるで大人のような行為を小さな子に強要することなど、自発的に遊ばせず、時間の使い方に細かく口出し自由を奪うことなどだ。 わが子への介入には、たとえ愛情から発しているとしても、エンハンスメントの臭いがプンプンする。親はよほど意識的でなければ(自戒を込めて、)子を「世界でただ一つの花」とは見ないものだが、著者の児玉真美は海さんを育ててきた中で、社会や家族との接点で起きたさまざまな軋轢に傷つきながらも、その時々の心の揺れを丁寧に描写している。障害児を持つ母親がみな彼女のような鋭い感性を持っているとは言えないが、ほんの些細な悪意のない言葉が(ほとんどが善意から発せられている)いかほどに彼女たちを追いつめていることだろう。

 重度障害児の場合、一種の治療やケアが過剰に行われることがある。日本はまだまだ大人しいのだが、海外の重度障害者はとんでもない介入に直面してきた。そんな生命倫理に係わる事情を収集し、自分のブログに公表しているのが児玉真美だ。
「こんな恐ろしいことが、世界のどこかで起きている」とばかりに、海外の生命倫理が翻訳そのものとして流入し、舶来はなんでもありがたがる学者の一部に警告する。海外事情を日本語訳しブログに掲載、更新するのが「私の仕事」という。児玉の無料奉仕のおかげで、どんなにひどい侵襲的作為的な行為が、いわゆる「自立」「自己決定」「自己選択」が保障されているはずの自由の国で起きているのかを、知ることができる。
児玉のもう一冊の本。『アシュリー事件』もお勧めだ。そこでは、まだ6歳の重複重度障害児、アシュリーにも両親の意向により「ホルモン大量投与」「子宮摘出、乳房芽摘出」が「治療」として行われた。それもアシュリーのQOLのために…。アシュリーが「在宅生活を続けられるために」親が考案し実施した「成長抑制」。アシュリーの身体が大人になれば介護も重労働になってしまう。そんな成長には「用がない」とし、知能の程度に合わせて子どもの身体のままでいることが、「合理的」であるという理由で、幼い子の身体に医療的介入が親の希望で行われたのである。
読めば読むほど醜い事実が判明していくのだが、アシュリーに行われた医療介入は本人のためとの理由から身体への深い侵襲が行われた。父親は「アシュリー療法」と名付け、その詳細をブログで公開しているが、賛同者は少なからずいるようだ。
「親なら許される」という態度が障害児にとってどれほどの脅威をもたらすことか。
ネオリベ生命倫理学者らの持論ひとつひとつに毅然と反論している後半も読みごたえがある。

アシュリー事件から生命倫理を考えるhttp://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara



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2012年12月07日

『弱いロボット』岡田美智男(医学書院)

弱いロボット →bookwebで購入

「ひとりでできないもん、って、つぶやいていたんだけど」

ロボット開発の話かと思いきや、そうではなかった。この本は私に「違う話」をしたがっている。いや、もちろん著者の岡田美智男さんは優秀な科学者でロボットの開発者で、そして、彼が執筆したのはロボットの話だ。独創的な発案で誕生したさまざまな、コミカルなロボットたちが次々に登場する。そしてそれらのロボットの愛らしさについてはここで言うまでもないのだが、たいしたこともできないそれらのロボットの存在理由が、なぜか、じんわり心に沁みた。

読書の真髄は、読み手に意味が託されているところにある。読み手にいかようにも読まれ、委ねられ、託される本が良本である。誰もが読書を通して秘密の関心事の解を読み取ろうとするのである。ちょうど、この本を読みだした時の私は人生最大のストレスに見舞われていて、いかにしてこれを回避できるか、手放せるかが関心事であった。

親しい人との接点や、仕事をして糧を得るという営みの中での、他者との関係において、とても悩んでいた。当然、私は私の身勝手さや不明瞭さ、失敗を許さない。私は真面目にも、きちきちとやるべきことを分担し分担された。仕事でも私生活でも、相手がいれば、最初から私のすべきことは相手によって規定されてしまうと思っていた。思いやりのあるつもりで、相手や第三者の意図を私は想定し、あらゆる可能性に配慮して、予測し、大きな網を張って、近未来を待ち構えてきた。他者がいれば、そのほとんどの営みが、そういった双方向性である(べきである)からには、相手の立場から自らの位置を決めるのだ。よい行いとは、ほぼそんな発想で始まっている。
そして、岡田さんの初期ロボット開発においても求められていたのは、そういった余地のない流暢さだったという。しかし岡田さんは疑問を持ってしまった。そして、いわゆる「非流暢なメカニズム」に惹かれて、関心が移っていったという。何かおもしろい研究テーマはないかなあ、ということで参照されたのが「関西弁」。コミュニケーションにおける相互のシンクロニーでは、相手の言動を予測しなければ次の手が出せないというのではなく、むしろ自分の発話の意味さえ相手に投げ出して、委ねてしまうことのいい加減さに、面白さを発見される。関西弁にある一種の軽快さだ。相手のどんな反応に対してもおおらかに対応できる、という安心感みたいなもの。そして、それが「賭けと受け」という概念として像を結んでいった。

たとえば、一歩踏み出す時の地面は自分が歩いていると同時に「地面が私たちを歩かせている」。歩く時、着地について我々は何かを考えているわけではないが、地面に身体を委ねている。そこに受けと賭けの関係が生じる。ということで、自分は常に主観的に振る舞っているつもりだが、実はそうではないのかもしれない。ためしに、意識を主から従へと切り替えてみる。すると著者が言うように、「投機的な振る舞い」ができる私が感じられるようになり、世界が新鮮に見えてくる。
他に委ねる生き方については、私も拙著『逝かない身体』の主要な要素として、重度障害者の生として描いたことがあったのだが、岡田さんはそれを、ロボット製作のコンセプトとして使ってしまった。
たぶん岡田さんは、何もできなくなってしまった植物状態の人とか、末期患者の生のあり方についても同じように考える人なのだろうなぁと漠然と想像ながら、実はかくいうこの私こそが、たいへん頑固にキチキチと、誰かに期待し、誰かと自分とはこうあるべきだという常識に固執していた。「ひとりではなにもできない。ひとりでは生きられない」そう呟きながら…。

だから、もう、近くにいるたくさんの誰かさんには期待しないで無計画に委ねたいと思う。そうして、私を委ねるところから、がちがちした関係をひらいていく。そのためにも、私をまず柔らかにしていこう。自分をひらくヒントがあった。新しい視座を与えてくれた。この一冊も「ケアをひらく」シリーズである。
 


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2012年06月17日

『脳死・臓器移植Q&A50』山口研一郎監修 臓器移植法を問い直す市民ネットワーク編著(海鳴社)

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「家族の同意による「脳死」臓器移植のおかしさ」

平成22年7月、改正臓器移植法により15歳未満も含めて家族の承諾で「脳死」での臓器提供が可能となった。あれから約2年。この間の15歳以上の提供は89例と急増したが、15歳未満は今回を含めて2例。移植を待つ側の思いはわかる。海外への移植ツアーを聞くにつけ、なぜ国内で解決できないのかというジレンマもわかる。だが、誰かに移植される臓器があるのであれば、同時に奪われる命があることを忘れてはならない。


今回の脳死臓器提供においても不可解な点が私にはあった。ニュースによると「今回、6歳未満で初めての脳死を判定した富山大病院(富山市)が15日、男児は事故で一時的に心肺停止となり、低酸素性脳症になったことを明らかにした。今月初旬に別の病院で治療を受けた後、富山大病院に転院したという。同病院によると、男児の家族に7日「重篤な脳障害を来しており、回復が難しい」と説明。その際に家族から臓器提供の意思が示されたという。9日になって「脳死という状況に近づいている」と家族に話した。記者会見した井上博病院長は、7日の時点で「脳死という言葉は使っていない」と強調した。」

これでは子が「脳死」に至る前に親は臓器提供を決断し、病院に申し出ていることになる。病院の説明でも低酸素脳症で重篤な脳障害が残る可能性を説明した段階での親の意思決定だった。これは「脳死」に至らせるための治療の差し控え、まだ見ぬ誰かの臓器として我が子が移植されるための保全的な治療に切り替えられたとしても、親は黙って容認するということである。なぜそんなにも早く決断がなされてしまったのか。思うに医師の説明どおり、どんなに治療しても重い脳障害が残るのであれば、家族にとっては「あの子が永遠に失われてしまった」ということなのであろう。低酸素脳症による遷延性意識障害と「脳死」の違いなど、家族にとってはどうでもいいことなのかもしれない。重篤な脳障害による植物状態で生き長らえる恐れがあるのなら、いっそのこと臓器を提供して人様のお役に立ってくれた方があの子のためだと思ってしまう。それも普段からこんなことを考えていない人にとっては致し方のないことだろう。


家族の同意により臓器提供のための準備が開始される。まだ「脳死」に至ってもいないのに、患者の身体への処置や親族への説明、臓器提供の打診が開始される。これはホントにおかしなことなのだ。臓器を奪われる側にも生きている限り可能性が残されているし、たとえ「脳死」に至っても細胞のひとつひとつは生存に向けてもがいており、五臓六腑の恒常をひたすら求めるのが生命である。世界各地で「脳死」からの奇跡的な治癒も報告されているように、脳の可塑性は未知数で、我々は脳についてまだ何も知らないと言ってもいい。そして、何より生存に対するどん欲さに、ドナーもレシピエントもないのである。


「脳死」臓器提供の事例が報告されるたびに、そこに倫理的問題がないか、そのつど検証しなければならないと思っている。もちろん愛する子を差し出したご両親の辛さは重々わかる。だが、「脳死」による臓器提供を美談で飾ってしまってはならないし、我々はどんな形であれ人の命を奪うことに慣れてはいけないと思っている。科学的医学的洞察力をつけ、命のリレーの意味を問い続けたい。それが細胞レベルでの回復可能性に賭ける前に臓器を取り出されてしまう「脳死」の人への弔いであり、家族や医師の早すぎる決断を抑止する力にもなるのだから。

本書は臓器移植法改定後の2009年10月、「脳死は人の死ではない」「脳死からの臓器移植に反対する」「臓器移植以外の治療法の研究・確立を求めていく」という3つの共通の立場を掲げて結成した市民連絡会が、2011年に発刊。編集の神谷さんから手渡されてはいたものの、なかなか紹介する機会がなかったが、今回の6歳児への脳死臓器移植に際して再読している。さまざまな論点が提示されていたにも関わらず、議論が足りずに法制化されてしまった。だがいったん法律になれば人々の、特に現場の思考は停止する。


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2010年10月07日

『ザ・ママの研究』信田さよ子(理論社)

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「ママとのつきあい方を研究しよう」

 新大久保の韓国焼肉屋で初めて信田さよ子さんにお目にかかった。編集者や書店の人たちが企画した熊谷晋一郎さんの退院祝いであった。たらふく食べた後、喫茶店で2時間ほどみんなでおしゃべりしたが、私は熊谷さんの身体論に夢中になっていて、お隣に座っていらした信田さんとはあまりお話ができなかった。私の人見知りのせいもあるのだが、ああ、あの時この本のことを知っていたら。私はずっとこんな本が読みたいと思っていたのだから。
この「ママの研究」は平たく言えば母子関係に悩める母子や、ママの言動に傷ついている娘のための本だ。「よりみちパン!セ」の一冊なので、もちろんヤング向け。イラストもとてもかわいい。  本を開くと、まず自分のママがどのタイプに属するか、イエス・ノーのチャートを使って分類することになっている。私もさっそく自分を分類してみた。少女コミック誌のノリである。「どちらかというと家にいるより外が好き」聞くまでもないよ→「エステとかネイルサロン大好き」まあね→「友達は多いほうじゃないかな」かもね→「仕事バリバリふう」自覚あります→それならB。ということで、ページをめくるとこれまた楽しく、AからGの7タイプのママがイラスト、キャッチコピー付きで華々しく登場する。私は「明るさスゴ盛り スーパーポジティブパーフェクトママ」のBタイプということになった。そこでAの「プライドめちゃ高、超ウザママ」タイプを飛ばして、39ページを浮き浮きと見にいく。各章の扉は4コマ風イラスト漫画だ。イラストのママは二つに髪を束ねていて、0点とっても、娘が試合に負けても、彼氏にふられても、いじめられても、ガハハハと大口開けて笑い飛ばして「つぎにガンバ」「大丈夫ふぁいと!」「そんな顔しないの」。その脇で娘はひっそりと呟いている。「そんなママがつらいの…」だ。

 あーーーっと思った。そういえば、私はスーパーポジティブな介護本を書いたばかりだ。それでたくさんの人に好意的に書評していただいたのだが、何人かは「キミのスーパーポジティブについていけない感じ…」と言う風であった。そして、確かにうちの長女はそんな私との生活に長い間かなり窮屈ではあったから、「新宿の母」(超有名な手相占い師)も私の手相で私のそんな性質を見抜いて、「娘さんはお母さんから離れてから開花するよ」と断言したのだった。あの時は、私のほうが反抗的な娘との関係に悩んでいて、新宿の母に相談に行ったのだが、諭されたのは私であった。そして、この本も同様に読める。娘たちのためにかかれた本でありながら、母親に向けてやんわりと関係改善を求めている。
 Bタイプのママの傾向として「大変なママだ。どこから見てもポジティブでパーフェクトなママって、娘にとって大きな圧力になる。反抗するための口実も見つからないし、非難したり文句つける欠点がみつからない」とある。ふむふむ。対策としては「ママにまったく弱みを見せられなくて息苦しいと感じたら、その感じ方を大切にしよう」とある。

「でも、ママのパーフェクトさの裏側にあるものをわかるのは、きっとあなただけだ。でも、だからといって、ママをずっとあなたが理解しつづけてあげなければならないということではない。パーフェクトなママであることに、あなたの責任はない。あるのは、パパだけだ。もしくはママ自身の責任だ。」

 ジーンと目頭が熱くなってしまうではないか。このほかにも、一生「娘」のおしゃれセレブ夢みるプチお譲ママ、ツンデレ小悪魔ママ。ちょいダサ退屈ちょ~平凡のフツ~すぎママ、かわいそうママ、意味不でまじでホラーです恐怖の謎ママ、などがつぎつぎに登場する。どのママも娘を愛するがゆえに自己を過剰に投影したり、甘えたり殴ったりして、母子関係はおかしなことになってしまっているのだが、娘たちはそんなママたちを扱いかねて、遠慮して自立できずにいる。ではママを類型化できたら、次はどうすればいいのだろう。信田さんはさらなるステップを用意している。「ママの研究」として観察を深めていき、ママを対象化しようと言うのである。そしてその方法を易しく具体的に伝授してくれる。

 「こうして、ママという人間が、ママという女性に見えてきた時、ママに関心を持てる自分を発見するだろう。あなたは本当はママが好きなのだ。好奇心は愛情がなければ生まれない。ママのことをずっと好きでいるために、ママを研究するのだ」
「カウンセリングに来ている女性たちが、そんな可能性に少女時代に出会っていれば、ママともっと違うつきあいができたかもしれない」とも。

ティーンの子育てに悩んでいる母親のあなたにも、読んでもらいたい本である。



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2010年02月20日

『リハビリの夜』熊谷晋一郎(医学書院)

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「敗北の体験から会得できる官能」

 著者の熊谷晋一郎は32年前に仮死状態で生まれ、脳性マヒになった。小中高と普通学校に通い、東大医学部を卒業。小児科医として病院勤務を経験し、現在は東大先端科学技術センターの特任講師である。大学在学中は地域での一人暮らしも体験している。このようなカレの背景を聞けば、どのように育てたらそんな風に育つのか?などと、熊谷というよりもカレの親御さんに秘訣を聞きたくなる親もいるだろう。
 もちろん、この本は障害者が世間の波風に負けずに出世するノウハウを提供しているわけではないし、学歴重視の親御さん、障害児をもつ親御さんにヒントを与えるために書かれたわけでもない。むしろ、負ける快感について色濃く書かれているヘンな本である。負けの快感から引き起こされる官能を賛美し、規範や一般的な価値観からの逸脱を勧め、エロチックな部分もあるから、頭が固めな人には不向きかもしれない。  でも、「不随意」や「こわばり」は何も障害者が占有している問題ではなく、多くの人が何かしら不満、つまり「不随意性」を抱えて生きている。だから、真面目に努力しているにもかかわらず、「こんなはずじゃないなあ」などとため息をついている人にとってこそ、これはタメになる本なのである。  たくさんのエピソードと共に、負けて快感を得るコツや秘訣が書かれている。どこから/どこに焦点を絞って紹介すべきかが、とても悩ましいが、第一に本書の根底には、いわゆる専門職批判、リハビリ批判があるので、ここではその部分について、まず述べることにした。

 従来のリハビリとは「私の中にある健常者向け内部モデルを起動するよう指示される」訓練として、専門職によって授けられてきたのであるが、熊谷はその、リハビリ訓練の何が困ったことなのかを、その身体感覚から丁寧に説明している。
 たとえば、専門職の「まなざし」だ。彼らの「まなざし」が、熊谷にして障害児という自己意識を引っ張り出し、強く身体を強ばらせてしまうのである。トレイナー(専門職)とトレイニー(障害者)の「まなざし/まなざされる関係」における切羽詰まった状況が、克明に何度も叙述されている。
 さらに、トレイナーによる「心への介入が身体をこわばらせる」とも。「主体的に動かして」というトレイナーの「声かけ」は、それが上手にできない熊谷にとって、「自らの自由意思に基づいて運動せよ、という意味ではなく、「私の指示に従え」というトレイナーの命令も込められている。」と感じられる。

「私の体だけではなく、私の努力の仕方や注意の向け方などの内面までもが、トレイナーによって監視されている。このようにして《まなざし/まなざされる関係》のような状況では、うまく動けない責任を「私自身」に負わされるような焦りが生じることになる。」

では、熊谷はトレイナーとどのような相互関係を望んでいたのかというと、それは《ほどきつつ拾い合う》と表現される関係である。

 「《ほどきつつ拾い合う関係》のほどけは、ほどけたあとに支えてくれる他者への信頼のなかで身を委ねるようにして起きるのに対して、《まなざし/まなざされる関係》のほどけは、他者からの命令に自ら「主体的」に従おうとして、一人で自壊するように起きる。」

 どちらのほどけにもある種の官能があるが、前者は「安心な気持ちよさ」なのに対して、後者は「恐怖心が入り交じったような鮮烈な官能」である。後者の官能はやがて、《加害/被害関係》へと発展していくというのだが、本書では「官能」が重要なキーワードである。
 学童期の夏を過ごしたリハビリキャンプで熊谷は、「健常な動きを我が身にすり込むことに失敗した恥辱感と、他者身体にほどかれ拾われる開放感・つながり感が重なっていく」体験を繰り返していた。夜になり、ベッドで毛布にくるまれると、この「快感」がよみがえってくる。夜の闇に守られるように、「毎晩、敗北の官能に胸を鷲づかみされながら」、少年は眠りについたのだ。そして、ついに「性器的な快楽を知る前」に「敗北の官能」というモチーフを産み出してしまう。「負けること」による解放が意識されるようになっていく・・・。
熊谷(の文章)の魅力は、熊谷自身の体験と体験の概念化が織りなす説得力だ。たとえば、トイレと「つながれなかった」カレはいったん「便意」に敗北するが、「失禁」が快楽をもたらす他者として意識され、ドラマチックに展開されていく。

「そこには腹ばい競争のときと似た、焦りとこわばりの悪循環がピークに達して自壊するような、退廃的な「敗北」があった。トイレとはつながることができなかった。しかし、交渉していた腸とは、私が負ける形で和解していった。腹ばい競争のときと同じように、焦りとこわばりは徐々に弱まっていく。
私は再びごろんと床に寝そべり、うとうとしばじめた。時間は止まり、私は少しだけ寝た。」

その後、トイレは改修され、「私の体は、差し伸べられた手にいざなわれるように身体内協応構造を少しだけ緩め、それによって生じたあそびが、身体内協応構造の組み直し=チューニングを可能にする。改装によって姿を変えたトイレに触発されるように、私の体も変わるのである。」

 ここでも読者は「はっ」とするだろう。熊谷が《ほどきつつ拾い合う》関係を築くのは、何も人間だけとは限らない。トイレの他にも、床、電動車椅子、患者の腕、シリンジ、病院でのチームワーク、・・・。これらの事物と身体のつながりの体験が紹介されている。

「モノと向き合い交渉する過程で、私はモノについての情報を得るだけではなく、私自身の身体についての情報も得ることになっていった。」
 
 私は本書によって、身体と他者やモノとの「つながり」について考えさせられ、頑張りすぎては、それらとつながりにくい状況を作り出している自分に改めて気づくことになった。でも、きっと、こんな私であっても、老い衰えゆく体験を「敗北の官能」として楽しめるはずだ。熊谷に共感し、「敗北」しながら周囲の人や事物と穏やかにつながっていきたいと思える私がいて、素直に嬉しい。

 本書が、身体や人生の認知の仕方について、重要な提言をしていることは紹介した文章の断片からも伝わったはずである。なお、この本の表紙や挿絵(イラスト笹部紀成、ブックデザイン祖父江慎+コズフィッシュ)も文章に負けず劣らずキッチュであり、書店でも目を引く。


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2009年09月28日

『障害受容再考――「障害受容」から「障害との自由」へ』田島明子(三輪書店)

障害受容再考――「障害受容」から「障害との自由」へ →bookwebで購入

 この土日は、京都の立命館大学で開催された障害学会第六回大会に参加していた。私はALS関連のポスター報告3題にただ名前だけ連ねて報告はせずに済んだので、とても気楽で、大半の時間を図書販売の手伝いをしながら、ロビーの片隅で通行人を呼び止めては世間話に花を咲かせていた。
学会ではロビーイングに意味があるのだ。特に私のように研究者でもなく、障害当事者でもない者にとっての学会とは、イケてる学者に出会える絶好の機会である。誰がどこの大学でまっとうな研究をしているのか。患者にとっての使えそうな若手研究者はどこにいるのか。研究者でなくても元気な当事者でもいいし、記者や編集の人だっていい。切れ味のよさそうな、見込みのありそうな人に逢い、情報を収集または提供し、ネットワークを広げ、研究者を増やすのである。

 
医療や福祉の領域での障害者や病者の扱われ方とは違った眼差しを、私たちは障害学に期待している。もちろん、「難病」といわれてきたような難治性疾患を、障害という概念メガネを通して見直すことが医療専門職にとってはかなり難度の高い試みであることはわかっている。
 でも専門職にとって、当然の作法といわれてきたようなことを改めて問い直し、業界のあり方まで見直すことは、「専門家被害」にあっている当事者のためにこそ重要な作業なのだ。 私たちの大学院には、特定の業界に長年いながらも、そこで使われるコトバや作法に懐疑的になってしまい、それで、対岸からの研究を志した人がたくさんいる。この本を執筆した田島さんもそのひとりで、作業療法士(OT)として長年東京都の身体障害者施設で働いてきた。昨年より吉備国際大学保健科学部作業療法学科専任講師として、岡山に転居している。

 立命館大学大学院先端総合学術研究科に入院したのは2004年。田島さんと私とは同期生で、同じ東京の遠隔地・有職者院生として、東京で自主研究会をしてきた仲間だ。
 田島さんはリハビリの現場で当たり前のように使ってきた「障害受容」という言葉にひっかかりを覚え、疑問を持ってこの大学院にきた。そして、コツコツと障害受容の言説を集め、クライエントや仕事仲間にインタビューしてきた。昨年は「地域リハビリテーション」(三輪書店)という雑誌に調べたことを連載していた。そして、修士論文とその雑誌の内容をまとめたのが、この一冊である。

「「障害受容」という言葉の使われ方の不快さをその言葉の使用から垣間見られるセラピストとクライエントとの関係の非対称性に着目しながら考えてみることに」(p9)した田島さんは、70年代以降の文献から障害受容の使われ方を調べ上げ、その論調の変化にも着目した。そして、70年代から80年代の「障害受容」の使用の変遷から、クライエントにとっての「障害受容」の問題が、セラピストにとっての「訓練の流れ図」的な適応問題にすり替えられてしまっていることを、鮮やかに論証したのである。そして90年代以降には、障害受容を様々な固有の問題から批判する言説が登場したとして、実際のセラピストへのインタビュー調査からその萌芽を示している。  

 本書はたいへん丁寧に障害受容をめぐるセラピストとクライエントとのやりとりを分析しているのであるが、一定の訓練を受けてきた専門家セラピストに対して、クライエントのありのままの「受容」を求め、「できないこと」を肯定するという離れ業を求めているともいえるだろう。

 次世代を担う専門職に、病いのありのままを肯定することによって得られる「障害との自由」が、業務上でも当然の目標となる日を願う私の気持ちは、田島さん以上に強いのかもしれない。
 しかし、障害というものが、そもそもクライエントの自由を阻害するものとして存在してきた以上、障害を自由をもたらすものとして理解し直すことは、何度も言うが、専門職にとっては天地を逆にするようなものであろう。

 だから、本書が投げかけているエール、「再考」に多くの若い専門職が反応し、自分との絶対的な他者であるクライエントとの関係性に新たな快を発見しようとしてくれればいい。謙虚な田島さんは決して「べき論」を論じることはしない。「再考」してほしい。ただそれだけをいいたくて、後続の専門家たちのために本書を刊行されたのだ。




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2009年07月23日

『ゆびさきの宇宙 福島智・盲ろうを生きて』生井久美子(岩波書店)

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「苦悩には意味がある」

 本書の主人公、福島智さんは幼少の頃に光を失い18歳で音も奪われ、盲ろうになった。そして、プロローグの詩にあるように、「闇と静寂の中でただ一人ことばをなくして座っていた」が、現在は東大教授。3年前の障害者自立支援法を巡ってのごたごたの最中は、障害者運動の理念を支える一人でさえあった。
だから、福島さんは偉人に描かれてもよい人なのだが、本書ではもちろん、そのようには描かれていない。  2005年の早春に東大本郷での講義に一度だけ参加させてもらったことがあり、そこで初めて指点字通訳を見た。まるで人間タイプライターのようだった。指点字通訳者は福島さんの脇にいて、福島さんの指にひっきりなしに指を打ち続けていた。それを瞬時に福島さんは読み取って自分の言葉で、しかもはっきりとした発音でお話された。タイムラグもない。講義が終わってから、みんなで居酒屋に行った。私の真向かいに福島さんと指点字通訳の方が座られて、本当に美味しそうに食べて飲んでにぎやかにしていらした。私もリラックスして福島さんと歓談した。その頃、福島さんと奧さまが漫画の主人公になったこともあり、美形に描かれすぎているとからかわれていた。だが本書によればまさにその頃、福島さんは適応障害に苦しんでいたのである。いくつものバリアを突破し多くの人に支えられて夢を叶えてきた。そんな彼のことを主治医は「アイコン」と呼ぶ。
「「アイコン」、象徴として、大きな存在で、とりかえのきかない存在。社会的文脈として、一人の役割を超えている。そうすると、適応(すべきだと本人が考える)要求水準がとても高くなる。」

 アイコン=聖性を帯びた象徴、とりかえのきかないアイドルの孤独だ。脱人格化された福島さんの生身の人格が悲鳴を上げていた。
 福島さんの人生は、まず過酷な盲ろうという障害を抱えて迷い救いを求める者として始まった。でもついにその障害を乗り越えれば、今度は乗り越えた者としての役割に苦しんでいたのだ。私がお会いした頃の福島さんは、障害者自立支援法を協議する社会保障審議会障害者部会の当事者委員として、障害者の予算をできるだけ削ろうとしていた国の政策立案者たちと闘っていたのである。彼が円形テーブルの委員席から「応益負担の導入は、無実の罪で牢獄にいる者に保釈金を払えと言っているようなものだ」と発言した時、私は彼の真後ろの報道者席にいた。その言葉には種別を越えた障害の者の悲しみが凝縮されていた。各障害者団体は一致団結して法案反対運動を開始したが、連帯の継続は難しく、それぞれが自分の障害特性や立場を強調し始めていた。福島さんはその絆をつなぎとめる役割を果たそうとしていた。でも、その福島さんが期待と責任の重圧に押し潰されそうになっていたとは。

 本書では福島智の成長の歴史も描かれ、彼を前へ前へと送り出してきた家族や友人のエピソードが語られている。彼らは智を孤独にしないために、沈黙を遠ざけ、世界を発見させるために、途絶えることなくコミュニケーションを続けた。そうして、大学に進学させ、障害学との運命の出会いへとつなげたのだ。その人たちの思いが行間から溢れてくるようで、前半でまず圧倒されてしまった。
 実は出版後、息もつかずにすぐに読んでしまっていたのだが、いざ感想を書こうとすると、福島さんに申し訳ない気持ちで一杯になり、どうにも筆が進まなくなってしまった。代替のない困難な役目を押しつけてきたのに、それを「苦悩には意味がある。人生には使命がある」などと福島さんは言っている。のんきな健常者にも分かるように「生きること」「自立」「コミュニケーション」を読み解くヒントを生井さんが聞き出してくれている。それはALSのような重度身体障害者が抱える問題とも共鳴した。貴重な言葉に出会うたびに感動し癒され、涙が出てきて立ち止まってしまった。福島さんは超希少な盲ろうの障害の当事者でありながら、その苦悩を学問を通して普遍化する人でもある。

 出張先にもこの本だけは持ち歩き、新幹線や機上で読んでは涙でマスカラを剥がし、周囲の乗客に怪しまれていた。そんなわけで紀伊国屋さんの書評ブログですぐにも紹介しますと著者の生井さんに言ったのに、全くの力不足でどこから紹介してよいのか迷いに迷い、更新するのがずいぶんと遅くなってしまった。
 取材対象に対するこのすさまじい集中力は、あの生井さんの華奢な身体のどこに潜むのだろう。私は彼女も一種の「アイコン」だと思っている。
 最後に、この言葉で括るのは筋違いかもしれないけれど、福島さんが生井さんに伝えたかったことのひとつに、「ペースダウン」があったはずだ。それを生井さんは文中で、福島さんが「自分(自身)に語りかけてもいるのだ」と解釈しているが、確かにそうかもしれないけれども、この時はたぶん、福島さんは本当に生井さんの心と身体を心配していたんだと私は思う。本の執筆を通して二人は深く交流されたのだろう。意思伝達機能の優劣とコミュニケーション能力は別だということも、本書は教えてくれているのだ。


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2008年12月21日

『良い支援?』寺本晃久、末永弘、岡部耕典、岩橋誠治 (生活書院)

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「”たいへんな人”の自立生活っ?」

昨日、中野サンプラザでJALSA講習会が行われた。富山県から患者会研究の伊藤さんも参加され賑やかな会になった。
 うちの患者会では年に一度、有志が集まってこのような勉強会を開いてきたが、年々大きな行事になり資金集めも企画も大変な仕事になってきた。  まだ新しい支部がホストになると丸一年間かけて全国からゲストを迎える準備をする。これが支部の結束を固め支援者の機運を盛り上げる。それに呼吸器をつけた人も新幹線や飛行機でやってくるから、医療体制も万全になる。来年は広島県支部がホストだ。それで支部の人たちが視察も兼ねてたくさん参加していた。

「思いついたらすぐ実行しなくっちゃね。何年も時間かけられないし。」

来年の話をすると鬼が笑うというのなら、私たちの周囲ではたくさんの鬼が笑い続けているはず。来年には仲間の命がないかもしれないから。楽しいことは思いついた途端にしなければ意味がない。だから支援にも超スピードが要求される。でも人生の刹那を楽しめるALSの人が好きだから、みんなも頑張れるのだと思う。
  ただ、私にはまだどのような支援が良いのかわからない。そもそも、相談とか支援とか胡散臭いとさえ思っている。それが上流から下流に向かって流れるように行われる時、圧力になる可能性のほうが大きいと思っている。システム化された支援ほど害悪になるものはないから。

  昨日の話はもちろんそういう話ではなかったが。講師を務めた植竹日奈さんは『人工呼吸器をつけますか?』の著者のひとり。MSWにピンとくる人のほうが少ないだろうが、病院勤めのソーシャルワーカーのことである。他にも何人かMSWが参加して、それこそ丁寧に参加者の話を聞いてくれていた。初対面でも優しく傾聴し、相談者に自分で答えを引き出させるのが彼らの得意技だ。ただし、現実にないものを紹介してくれるわけではない。良い未来は相談にくる患者や家族が自分で作るものだから。

     ***
 
 少し前に悲しい事件があった。東金の幼児の遺体遺棄事件だ。そしてさらに悲しいことにしばらくして容疑者が明らかになったが、それは知的障害をもった青年だった。画面いっぱいに映し出された屈託のない笑顔。それは、大人の体に子供の心が住んでいることを語っていた。容疑者が知的障害者だというそのことよりも、報道の配慮のなさのほうに私は驚いた。これではまるで「こういう人には、気をつけましょう」だ。日本中の母親たちにステレオタイプな反乱が起きなければよいが。そして、死んでしまった子と死なしたと言われている子の親のことが気になってきた。
かわいい盛りの子どもを奪われた親の気持ちなど到底理解できるものではないが、テレビ画面いっぱいの容疑者と言われた者の笑顔。人殺しと呼ばれてもなお笑っているのだ。
私は彼の家族のこれまでと、これからの苦労を思い描いていた。地域で暮らす子を持つ親の不安も理解してもらえなかったのではないだろうか。これは大変なコミュニケーション障害である。だから、このような事件があるとなおのこと、いつでも危害を及ぼす危険な動物のように、施設収容だけが解決策のように思われてしまうだろう。
 彼の親子関係は立体的に報道されたが、この家族を取り巻く社会は見えてこなかった。


 『良い支援』。皮肉なタイトルだなあと思う。だから「?」がついているのか。納得。
寺本晃久、末永弘、岡部耕典、岩橋誠治の共著で、知的・精神障害を持ちながら地域社会で暮らす人たちや身内の支援の生生しい体験が綴られている。
知的障害・精神障害の自立生活とは何か。自分で書いたり語ったりできるけっこう多弁な重度身体障害者の運動と比べて彼らの運動の歴史はこれまでほとんど語られてこなかった。したがって障害者の自立といえばまず自己決定で、それができなければならないように言われてきた面があるが、知的精神に障害のある彼らにはその自己決定が難しい。
そのような人たちが、親元や施設を出て暮らすこと自体が無茶だ、危険だと思われている。しかし、そもそも自分で決め自分を治する生活ができる人だけが、地域社会で生活する資格があるといえるのだろうか。
本書の中でも、常識破りの奇行が繰り返され周囲の人たちが振り回される。近隣住民の白い視線に晒される。急激な環境変化についていけず、パニックに陥った身体は破壊的な力を放出する。だから些細な刺激にも反応してしまう知的や精神の障害にも、日常的にそばで見守る人が必要なのだ。奇行に体ごと寄り添うと、それらの行為にはそれなりのワケがあることがわかってくる。自分で決められない人、自己表現ができない人が本当は何をしたいのか、本当はどう感じているかを引き出す「支援」の在り方が具体的に語られている。
ただし、そういえばまた施設に入れば済むだろうという話に舞い戻ってしまう。これはどのような障害も同じだ。そしてまた、誰にでもできそうな見守りという介助に一定の税を配分することも理解されにくい。
後期高齢者終末期相談支援料に自立支援法の相談支援専門員。国の審議会や検討会では、矢継ぎ早に支援の必要性が強調されだした。そして、そのたびに私たちは霞が関に飛び出していくことになった。弱者のための相談支援の必要性が医療機関にも理解されてきたのはうれしいことだが、その支援の在り方の具体的な中身がこれまで何年も問われ続けてきたのである。繰り返すが、システム化された支援は本人にとっては害悪でしかない。

むしろ、何も知らない無資格者が付添い見守り観察しつづけ自問することによって作り出される二人の関係性、「その世界にひたっていく」(p42)ことが良い支援の始まりなのだと本書は教えてくれている。


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2008年11月25日

『最期の教え』ノエル・シャトレ(青土社)

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「母が予告した死までのカウントダウン」

ある著名な作家の妻がこう言った。
「車椅子の生活になるくらいだったら死んだほうがまし。」

昔、脇役女優だったこともある彼女は、注意深い自然食主義のおかげなのか、今でもその美貌は色あせていない。私は驚いて、すぐに聞き返していた。
「ホントなの?車椅子なんて誰でもふつうに使うと思うのだけど・・」
けれども、彼女にしてみればそれは絶対に許されないこと。車椅子の上の自分など惨めすぎるイメージなのだ。
「歩くことさえ他人の力を借りるなんて耐えがたい。あまりにも不便だし。だから死んだほうがまし。」
知人の死生観を聞いて、どっきりさせられることがよくある。理想の死を語らせると、かえってその人の生き方のほうが透いてみえてしまうから。そして、この手の議論は白熱すると厄介なことになるから長く続けないほうがいい。ただ、心の中で私はこうも思った。
「かくいう彼女だって本当に車椅子生活になれば、あっさりと受け入れてしまうのはわかっているはずだわ。だって彼女の自尊心は最後まで失われないはずだから。」と。

でもだからこそ、こういう人は自分で決めたとおりに死にたいと願う。疲労した自分、依存的生活を受容してしまう前に。この本は実際にそうした決心で死んでいった母親と、その予告を受け入れざるをえなかった娘のことが書いてある。実に、あっさりと数語でそれは始まる。

「それでは、10月17日にしましょう。」

           ~*~

「自分の死の期日を言明し、尊厳死の権利を主張し、逝くことを選んだ92歳の母。
その受け入れ難い決定に苦悩する娘。フランス元首相の妹・尊厳死協会重鎮の娘である作家が綴った葛藤の日々・・・」帯にはこうある。

私は『最期の教え』というタイトルと装丁に惹かれてこの本を手にとり、そして帯をみて、こんな悲痛を飲みこまざるをえなかった娘がフランスにいたことを知った。私はこの人とは正反対の体験をしたのだろう・・・。かわいそうなのは彼女のほうなのだろうか。いや、私も。どちらにしても、母親の死が世間の理解を超えた事として始まったのは違いないのだけど。
そして、私も最初は抵抗したが「最期の教え」に従うことになった。そして、いまなお死んだ母を強く慕って幼い頃の思い出を辿っているのはノエルと変わらない。母親たちが差し出したのは両極端の選択。自分で決める死と誰にも決められない死。

「それら」のいずれが正しいのか。わからない。それに、死んでしまった人に聞くことはできないから。ただ私の母は「決められない人」だった。そういう人は誰かに決めてほしいとさえも思っていない。カウントダウンのない病状悪化の日々は、私たちにとってはルールのない暗号を解読するようなもので、いまだにわからないことはたくさんある。だから思い出しながら書きだしてみる。そうして書くことによって、私たちの関係が整理できるということもあったし、初めて発掘された感情もあった。秘密が解き明かされるように。むしろ、その点においてはノエルの体験と奇妙に共通する。そう、母の死後にわかったことはたくさんある。それは母のことだけとは限らない。ノエルが言うように、
「あなたが対面するように仕組んだのは、わたし自身の様々な部分だった」

ノエルは最初のほうではこうだ。
「ダメ。ママ、そんな考えをわたしに受け入れさせようなんてしないでね。陥り易い考えだけど、突発的なママの死は、わたしにとって、昼間の太陽に黒幕がおりるようなもの。
ダメ。あなたの死ぬ日は、記念日にはならないだろうし、いずれにしてもそうなるべきじゃないわ。
だって、あなたの死ぬ日は、いわばわたしの死ぬ日よ。あなたが何を言おうと!」
慄き怒りに燃えて、理解不能を宣言しているノエル。身勝手な母親の決定を受け入れる義務など私にはないと。でも、母親の謎の言動は少しずつ、物語(レシ)の中で解き明かされていく。

 「家庭用品を修理しない。それは、年をとり過ぎて消耗しすぎた女性を治療しないのと同じだ。それだけ。それが変な話かどうかは別の話だけれど、修理=治療してもらうかどうかの決定は、その年取った女性、彼女一人に責任がある。これがあなたの自覚だった。」

これだってとてもじゃないが賛同できない。助産婦をしていた人が、消耗した機械と高齢の女性が同じなんて言うのだから。ノエルはただ母の自殺予告を受け入れるのに相当な葛藤があったので、その時のエピソードを丁寧に綴ってみただけ。でもそれは、読者にこういう死に方もあり得るということ、母親の決意の強さも伝えてくる。

「疲労があなたを狂わせないうちに、あなたの勇ましさがまったく底をつき、無駄なことをしないうちに、旅立つこと。この「無駄な」という語には―「尊厳のない」とか「疲労」という語と同じく―きわめて特異で独特の、あなたなりの定義があった。あなた自身がユニークであったように。」

経歴にあるようなフランスの上流階級が微細に描かれているのではない。娘のモノローグは母親に話しかけるように流れているが、その中で母親は厳格かつユニークに死ぬ準備を進めていく。育ちの良さが香る文章だ。それは詩のように美しい語り口なので、母の死は娘によるストーリー仕立てで始まり終わらなければならなかったのだと私たちは気づく。
92歳の母親が決めた尊厳の境界線もありありと語られるが、母親は娘の語りの中で永遠に生き、「誰の世話にもならない人生」を貫くことになる。娘に自分が死ぬ日までのカウントダウンをさせること、二人の人生を振り返って語らせること。その実践が「最期の教え」だったのだ。しかし、娘は母親を崇拝していたけれども、いつも「あなたと同じ意見の側に」いたわけではなかった。

「あなたの知っていることと知らないことすべてをあなた宛てで書くことが正しいことなのだろう。そうすれば、あなたは書かれたもの、書かれるであろうものの中に存在しつづける。」

本書は女性の尊厳死がテーマのようではあるが、むしろ母娘にとっての互いの存在の大きさが情緒豊かに語られている。

ノエル・シャトレ
1944年生まれ。作家。パリ第五大学のコミュニケーション学教授。仏文芸家協会副会長。フランス元首相のリオネル・ジョスパンの妹。父は尊厳死協会の中心的な活動家だったミリエル・ジョスパン。哲学者、フランソワ・シャトレと結婚し、ジル・ドゥルーズの講義に参加、身体の解釈学の研究に導かれる。また、数多くのテレビドラマや『他者たち』『女銀行家』といった映画で女優として活動する。



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2008年04月01日

『現代思想』3月号~特集:患者学-生存の技法(青土社)

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「患者の体験に学べ」

2月号、3月号と続けて誌上で貴重なインタビューをさせていただいた。前号はご紹介したとおり、難病治療を現代思想の切り口から中島孝医師に語っていただいたが、今回は難病対策の歴史を遡り、その創始期に活躍された川村佐和子氏のインタビュー。ふたつ合わせて読むと過去から現代に至る日本の医療思想史の傍流を感じられる企画になっている。難病治療は医療の主流にはなりえないが、「不治」と呼ばれる疾患に、人間がどのように対処するかは、哲学の領域でもある。医療と哲学が交差する「難病」という地点で、現場の医師や看護師が何を考え、政策にどのように関与してきたか/しようとしているかがわかるという、なかなか渋い試みなのだ。だからこの二つのインタビューはセットで読んでいただきたい。哲学や生命倫理学を志す人にとっても、難病医療は必修科目と考える。
 川村佐和子先生とはヘルパーの吸引問題が浮上した時に初めてお会いした。 本書を読んでいただくとよくわかるように、スモンの原因究明と患者会の立ち上げの立役者のお一人である。医師や看護師のたまごたちがセツルメント運動と称して山間部の無医村や町の貧困者に訪問医療をおこなっていた頃の話から始まる。川村先生は、東大の看護学生だった頃から、おこころざしが高かったとはいえ、一介の保健師がやがて全国で集積的に発生していた奇病を、若手医師らとスモンによる薬害と特定していくくだり、そして全国の患者家族を束ねて政治につなげ、患者会設立へとつながていく辺りは、難病医療の大河ドラマとも云えよう。その結果、国は世界的に稀な「難病」の定義を行うことになった。何が稀有で貴重であるかといえば、不治の病人に対する医療資源の分配を、日本はその時点で認めることになったからである。そして、それはやがて、治療研究と患者の社会的救済も盛り込んだ難病対策研究事業となり、前号の中島孝氏の戦略に受け継がれていくのである。  しかも、難病研究事業は基礎研究だけではなく、ケア研究にも予算を配分するという姿勢で、欧米の生命倫理の流れとは別の倫理観を日本の医療にもたらした。私は個人的には、難病の定義と歴史は、憲法9条に匹敵する影響力をもっていると考えるが、実際に難病事業のおかげで、日本の難病患者は人工呼吸器がレンタルできるようになり、在宅でも訪問診療や看護が無料で受けることができるようになった。そこで、入院患者はどんどん自宅療養を選ぶようになり、家族と呼吸器と共にのんびり生きる知恵と技を生み出した。最長で33年?。探せばもっといるかもしれないが、患者たちは自宅でこそ生き延びている。それを誰が延命などと呼べるのだろう。機械との生は、希少であっても、患者だけではなく、人類に恩恵をもたらすヒントの宝庫なのである。枯れ木に水をやったかのようにみえる難病医療も、収穫期はこれからなのに、このたわわな実りに気がつかずに腐らせたら、それこそ日本は無駄をしてきた、ということになってしまう。

 3月号の執筆者は、ほぼ全員が何らかのつながりがあるか、折に触れて患者の間で話題に上るような方々であって、私にとっては親近感の強い特集号である。中でも多田富雄先生は、若い執筆者の多い今号中で高名で偉い方なのだが、2年ほど前にある編集者を通して、安楽死尊厳死反対運動に加担をお願いしたことがあった。ちょうど先生はリハビリ期間の短縮のことで、当事者運動を指揮されていた頃で、「遠くから応援しています」との丁寧なメッセージをメールでいただいた。「何でも真剣に取り組んでしまう性質なので、尊厳死反対運動に加担したら、本当に死んでしまうかもしれない」とのお言葉は、もったいないくらい親身に感じられ、多田先生のご活躍とご健康をメールの画面に向かってお祈り申し上げたのだった。それが、あれからたった2年ほどの間に、多田先生は何冊もご執筆になり、新しい能まで書き上げるご活躍ぶりである。全身性麻痺に加え次々過酷な病状に襲われながら、お仕事のペースは落ちないのである。いや、先生はきっと仕事のペースは落としているとおっしゃるだろう。でも、いのちを振り絞っておられる。患者の知恵を伝えていく使命をもっておられるのがわかる。

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 山海先生と松原先生の対談は、前号で中島氏が語っておられたサイバニクス、ロボティクスの延長談義である。松原先生は4年前の大学院入試時に面接官をしてくださった。その際、確か「機械と人体の接続部の痛み」について実際にどうなのかというような質問をしていただいた記憶がある。最近では、大学院でも神経疾患患者の意思伝達装置などの研究を始めたが、研究の広がりや成果のことなども含めて、6月号だかの脳神経倫理特集号で、また私は『現代思想』を紹介することになるのだが、山海先生と中島先生は、倫理というより臨床のほうで、本当に人体と機械の接続を安全に推進する立場におられる。だから、倫理学者の問題意識とは異なる意見が読める。山海先生のような科学者が、お金や悪に心を奪われないよう、働きかけるのも患者学の領域と考える私は、患者サイド、つまり機械の消費者の立場から、臨床と倫理双方にうるさくいろいろ注文をつける役目なのだ。庶民感覚と主婦感覚が役に立つと思うことはよくあるが、実際そういう役回りで科学者ばかりの研究会に参加したり、席があったりしている。

 庶民代表の執筆者では、杉田俊介、ALSDの岡本晃明、伊藤佳世子らの文章がある。病いの当事者ではないが、いつも当事者といっしょにいる目線と体験は患者学特集に欠かせない。GIDの規範からの逃走ということで、GIDって何?レベルの読者に、GID規範を逆に指し示した吉野の文章は切れ味がよい。

 2月号、3月号とも売れているので、ご購入はお早めに。


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2008年02月07日

『現代思想』2月号~特集:医療崩壊-生命をめぐるエコノミー(青土社)

『現代思想』2月号~特集:医療崩壊 生命をめぐるエコノミー →bookwebで購入

「QOLと緩和ケアの奪還」

 20代後半の若手編集者、とても東大卒には見えない甘めのルックスだけど「できる」と評判の栗原さんから、この企画をいただいたのは昨年の暮れだったか。雑誌は集団の力を見せつける。『現代思想』2月号の特集、医療崩壊がそう。 特集号の題名は過激だ。だから私は少し躊躇した。でも栗原さんの口から出た対談相手の名前が中島孝。それならなんとかと私は思った。

 中島先生は「特定疾患患者の生活の質(QOL)の向上に関する研究」という物騒な名称の研究班の班長をここ6年間も勤めてこられた。私も班の一員だった。そして私たちはこの数年間、この国で起きた重症患者の生存をめぐる、ありとあらゆる危機に研究班として対処してきた。

 2003年夏は介護疲れの母親がALSの息子を殺してしまい、そこから始まった「呼吸器停止」「安楽死尊厳死の法制化」「事前指示書」の議論。国は医療費削減策と死の法制化に向けて滑り出していた。メールでも会議でも、日本を代表する神経内科医たちが激しい議論の応酬を繰り返した。彼らの意見は真っ向から対立し時に火花が散った。私の目前で彼らの意見は散々食い違った。それも患者を思えばこそなのだ。当事者の私にはよくわかる。私もいろいろ生意気を述べさせてもらったが、親身な議論をありがたく思わない時はなかった。

 日本の患者だけが一度つけた呼吸器を外せない。だから尊厳死に関する議論は、わが国の医療倫理の特殊性をターゲットに進んだ。他国の患者のように、本人の希望なら死を覚悟した呼吸器停止はあり得るという人と、他国にように(時にナチが引用されるが)、介護負担の大きな患者の自己決定は死の強制につながるに違いないという人と。どちらも患者の意見を代表していた。しかし、議論の中核にあるべきは、制度的な支えがない中での患者や弱者の自己決定の信憑性なのだ。前もって言い残した言葉が、死神が眼前に現れた途端、覆される場面を何度か見てきた。だから私は病者の言葉通り、死なせてはいけないと信じている。自殺の自由など許されないと考える。

 研究班はいわゆる難病オタクの集まりであって、安楽死だの自殺幇助だのの、物騒な話が尽きることなく繰り替えされる場所だった。そのQOL班の主催で、昨年厳冬の京都で第一回「難病と倫理」研究会を開くことができた。当初、私は小泉義之先生を囲む小さな研究会を考えていたが、中島先生の戦略によって、小泉先生を巻き込むQOL研究会に発展していた。さらに、山梨大学からは『死ぬ権利』を出版されたばかりの香川知晶先生にもいらしていただき、私は悦に浸ったのだった。

 今思えば、哲学者と臨床医のコラボレーションによる研究会は、読書好きな介護娘の永遠の夢だった。あの頃、私はALS患者は無駄な延命によって苦しめられていると信じていたし、実際に自分の手で病床の母を殺しかけていた。でも、医療と哲学の相乗効果によってまず心が救われた。そして現実的なこの生活は、初夏のお台場での社会学者の入れ知恵により与えられた。恩ある人々と京都で議論できる。難病患者の希望や夢を語り合える。そんな日が訪れるなんて、在宅介護で日が昇り日が暮れたあの頃には、まったく想像さえできなかったのに。

 人生は突然大きく変わる。善くも悪しくも。だから親やパートナーが難病になったって悲観することなどないのだ。そんな気持ちが研究会に参加していた若い編集者の心に届いた。中島先生との対談、「QOLと緩和ケアの奪還」も、彼の意図したとおり話は進んだ。文系の研究者はQOLというと目くじらを立てる。しかし臨床医にとってQOLは大事な指標になっている。この齟齬こそが使えると。QOL言説を今ひっくり返すのだと。逆転の発想である。安楽死につながる緩和ケアもどうにかしたい。緩和そのものの意味を取り戻したい。画して『現代思想』に難病と倫理をつなぐ対談企画が持ち込まれた。
 
医療崩壊はもう始まっているのかもしれない。でもペンの力が食い止めるに違いないと信じられる特集になっている。

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2007年10月23日

『〈病〉のスペクタクル 生権力の政治学』 美馬達哉(人文書院)

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「「健康」は義務なのか?」

  今回も神経内科医が書いた本を紹介する。   著者の美馬先生とは先日、某書店が企画したイベントで久しぶりにお会いしてその後、飲みに行ったが、正面に座られた美馬さんのステキなネクタイ、よく見ればアニメ柄である。きっと研究者のステレオタイプを「裏切られて」喜ぶゲストの顔が見たかったのだろうが、本書でも一種の「裏切り」を目指していると美馬さんは言う。前書きにもあるように、医学医療を確固たる独自の学問分野としている「既存の知の制度」に喧嘩を売るつもりだ。そしてまた、その医学と社会が作ってきた数々の言説も。 だから、初っ端から「健康増進法」が批判される。

 国民が健康増進に躍起になり、その脇で病気の恐怖を煽るメディアの宣伝があると、病気の恐怖と予防が反照しあうような事態を招いてしまう。そしてそれは、発病した人々を「義務を守れない人々」とラベリングし、人為的状況的差別を引き受ける立場に追いやることになる。
 先ほど地下鉄のつり広告に、「メタボでクビになりました」という週刊誌の見出しをみたばかりだが、まさにこのような状況を美馬さんは困ったことだと思って、「健康増進に役に立たないばかりか、病的な主張を広げている」と言われたくて、本書の執筆を目指すことになったという。

  そんな美馬さんのことを「病的」とは呼ばないまでも、「ひねくれ者」と呼ぶ社会学者の立岩真也氏を相手に2時間超。対談は書店のカフェに陣取って行われ、最初は硬かった美馬さんの口も、立岩氏に煽られて滑らかになった。
  医療批判は社会学の十八番。そしてついでに患者側から言わせていただくと、医療が社会的難問を多く抱えていることは疑いようもない事実だ。しかし、現実を見ているはずの臨床医はなぜか沈黙してしまっている。フーコー以降、医療がひとりひとりの「顔」を、すなわち患者の生活や個別性を消去していることは指摘されている。そうして、政治は医療によって、少数の者を静かに淘汰してきたか、あるいは奴隷化してきたのだが、その「手先」となって働く人々は現実が直視できないのだと、稀少疾患の者は常々ため息交じりに考えるのである。医療従事者が自己を棚上げせずに業界を省みることは難しいらしい、と。*
 しかし、美馬さんの語り口を聞けば、彼が今でも京大の付属病院で週一回診療をしている現役の臨床医だということを忘れてしまいそうになる。医学には内部から風穴を開ける必要があり、それができるとしたら同業者しかない。そしてそれは社会学や医療社会学とはまた別の手法、さらに言えば、学問と臨床といった領域を横断するような別の手法があるはず。私はひそかに美馬先生に期待している。

 * もっとも「医者に患者の気持ちなどわからない」、というのもステレオタイプである。

  さて、美馬さんが紹介しているスペクタクル(壮大)な事例は、SARS、鳥インフルエンザ、エイズ、ES細胞、脳死、脳機能、がん、ストレス、そして難病、植物状態という風に、各国の政治経済史から病いにまつわるエピソードを拾ってきたもので、そういった意味でも本書はスペクタクル(豪華)で、各テーマは拡散し収束しようがないが、それぞれ独立した豊かな科学読み物になっている。
 たとえば、第六章では脳の視覚化が検討されるが、CTスキャンの装置の最初の発売元は、あのEMI、ビートルズのレーベルとしても知られている会社であるというエピソードが紹介される。また、「タンタン」としか言葉を発することができない者の脳のスケッチと美馬さんの「脳」の三次元構成画像が並べられ、病変部位が図解されたりしている。その「タン」としか発声できない男は、医学的には異常で病理的な存在に振り分けられても、「タンタン」に極めて変化に富む身振りをまじえて考えていることはほとんどが表現できたという。歴史的な事例の紹介の中に「医学」と「生活」の断層があらわにされる。

 立岩氏も指摘していたが、各テーマの可能性と方向性が章ごとに一つずつ、ここで示されたと考えれば、それぞれについて膨大な研究が積み残されていることになる。だとすると、私はどの部分を担当することになるだろう・・(という風に読んでみると良い)。

 たぶん、あとがき「アウシュビッツの回教徒」の章は、こちら側に向けられた美馬さんからのエールと私は勝手に解釈している。それは、「合理的な市民社会の価値観が、人間固有の活動的生活(ビオス)としての政治の領域に基礎を置いている」ことを、批判せよという風に聞こえてくる。
 確かに、私の周囲には民主主義社会において、ビオスから分離させられそうなマイノリティが集まっているが、それは植物状態などと呼ばれる重度の脳障害をもつ人、人工呼吸器と経管栄養とナースコールの日常的利用者、他者によって終末期と呼ばれるような人たちである。政治的弾圧により「生ける屍」とも「これが人間なのか」とも呼び捨てられてきたような人たちも入るだろう。現代のゾンビ、つまりあるQOL指標によれば「ゼロ以下のQOL」と一方的に評価されるような、ゾーエとして存在する生である。しかし彼らの尊厳は、社会政治の中に彼らを位置づけ、人間としての基本的な権利を復権させる研究と実践(それでもなお生き、なお生かすこと)によって細々と守られているのである。

 あ、そうか。美馬さんの本で改めて分かったような気がするが、アガンベンも気がつかなかった「その領域に内在している希望のモメント」を、私たちはとっくに発見している。そして、今、美馬さんが興味を抱いておられるという脳神経倫理をめぐる諸問題については、脳にダイレクトに働きかけるインターフェイスを用いて、ゾーエと双方向のコミュニケーションを図ろうとするような「病的な主張」に加えて、その実践をする者のひとりとして、私にも手伝えることがあるかもしれない。

 


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2007年10月09日

『ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足――神経内科からみた20世紀』 小長谷正明(中公新書)

ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足――神経内科からみた20世紀 →bookwebで購入

「多彩な著名人の病状から歴史を診断する」

医者の書いた本がしばらく続く予定である。今回は神経内科医。
著者の小長谷正明氏の医学論文は、私でさえいくつかは存じ上げていたのだが、著者みずから、あとがきで「今回はさまざまな考え方をもっている読書人向けに書いた」とあるように、本書は一般人に向けて執筆された。確かに神経内科的に考察された有名政治家の評伝は、肩が凝らない読み物になっている。

 ある日、小長谷氏がテレビを見ていると、左手を震わせているヒトラーが映った。注文の寄稿に何を書くべきか迷っていた氏はあっと声を出し、目をみはり、猛然とワープロを叩き始めたという。テレビを見てると病気の人が映る。直ちに無意識的に病名を診断してしまうというのは職業病という病であろうが、診断目的で歴史を紐解くと歴代の独裁者に神経難病のなんと多いことよ。

 表題の「ヒトラーの震え」はパーキンソン。「毛沢東の摺り足」はALSだ。またレーニンは動脈硬化だったらしいが、その原因を「強い言葉で同じことを繰り返すうちに考えの幅が狭くなり、頑固になる」アジ演説に筆者はみてとる。後を継いだスターリンもまた同じようにして言葉を失った。マルクス主義が「教条的で荒っぽいイメージになってしまったのは、ロシアで最初にレーニン主導のマルクス主義革命がおこったからかもしれない」。指導者の病歴から小長谷医師は歴史を遡りこう分析するのである。

 やがて、体調を崩したレーニンは共産党の独裁体制を強化するために、後継者として政治面ではトロツキーを、党中央委員会書記長にはスターリンを推薦した。トロツキーは断ったが、スターリンは受諾し、レーニンの脳梗塞の悪化に伴い代わって政権を操ることになるが、彼もまた脳梗塞、しかもパラノイア(誇大妄想)で、治療しようとする者は要人暗殺の疑いがかけられた。主治医のヴィノグラードフも医師団陰謀事件のかどで逮捕されラーゲリに送られてしまっている。そうして主治医を逮捕してしまった後は、獣医の心得のある警備兵にアドバイスを受けていたという。

 スターリンの後、フルシチョフは平和裏に追放され、ブレジネフに続くが、著者の調査をもっても、彼の病名は定かではない。だが、文献からは、重症の動脈硬化か多発性硬化症、脳軟化により判断力はなく、最後の二年間は側近の思うがままであったことは十分推察できるという。そして、アンドローポフ、チェルネンコと病身で統治能力のない書記長が続き、最後のゴルバチョフの時には社会主義共和国連邦の崩壊は、もはやコントロールできないものであった。そこで、マルクス主義国家の成立から崩壊までのことあるごとに「指導者たちの脳の疾患が深く関与していた」となる。ソ連だけではなく、アメリカ歴代の大統領もまた脳の疾患に苦しめられてきたというから、東西で政治という檜舞台の裏に神経難病や脳の器質的疾患が潜み、統治者をコントロールしていた。

 著者はできる限り彼らの診断書や医学文献を取り寄せて、その所見から医学的客観性を保ちつつ、歴史のうねりを診断した。その解説がいかにも難病オタクっぽくて、そしてそうであるがゆえに素人にも十分楽しめ、かつ著名人の病状の克明な解説により、怪しく難しげな神経難病についての、絶好の初心者向けテキストになっているのだ。その点でも一読の価値があろう。

 また著者は最終章の最後でこう結んでいる。
「リーダーの存在感があまりに大きいとき、執務能力の低下・失は強いインパクトとなり、ときには秩序が崩れカオスをもたらしかねない」。
 そう言われると、本職の医者でなくとも私たちだって、テレビ画面に映る政治家の顔色、表情、歩き方、化粧のノリをつぶさに見ては、彼らの健康状態をお茶の間診断しない日はないだろう。ただ、こうも考えられる。現職の総理大臣に倒れられては情けなくもあるが、国にカオスをもたらすほどの政治家がいない国に住んでいるということは、もしかしなくても、私たち、幸いなのである。


 




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2007年06月14日

『マドンナの首飾り-橋本みさお、ALSという生き方』山崎摩耶(中央法規)

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「マヤヤが書いたみさおの本」

前回の続きで、真っ当なジャーナリストの書いた本を
取り上げようと思ってた矢先、
今朝ダウンロードしたe-mailで、がくっと力が抜けた。



さくら倶楽部より宴の御案内

入梅前夜、皆様にはお変わりありませんか
梅雨入りを記念して、また厚労省S氏の異動を祝い、
スコッチと焼き鳥の会を企画しました。
ご多忙とは存じますが、取りあえず飲みませう。
15日、金曜日19時ごろ402号室に、お集まり下さい。
いつものワインと久保田もあります。

 橋本みさお


配信先を大急ぎで確かめると、いつもお世話になっている厚生官僚、
売れっ子女子アナ、NHKの敏腕記者、帝京大のソーシャルワーカー、
ALSの当事者に家族にALS協会の若手理事、それに上野千鶴子さん・・・。

あのお、、怪鳥。  じゃなかった会長。
うちは健全なNPOで飲み屋じゃないんですけど(ひや汗)。
(まあ、健全な飲み処といえないことはないですが)

先々週は、東大に赴任されたばかりの清水哲郎先生を呼びつけた。
そしてまたその翌週は看護協会の小川理事だった。
いつもダンディなこのおふたりは、どうにも逃げきれず、
みさおの常連名簿に載ってしまった。

超多忙でも、操メールで直接呼ばれると断れないので、
仕事が終わり次第、練馬のマンションの一室に
駆けつけてくださる。

みさおさんは鼻からの経管栄養だから、
自分で用意した焼き鳥やワインは飲み喰いできないんだけれど、
美しくテーブルを飾って客人を歓待するのは大好き。
寝たきりでも甲斐甲斐しくヘルパーたちに指示出す姿は
料亭の女将と形容されることもある。

だいたい、毎月かならず偉い人たちを集めて
宴会しているALS患者は、世界中でキミくらいでしょう。

人工呼吸器が一時も放せないキミのような人は世間的には
「終末期」「不治の病」「延命」ってことになっているのに
まったく、重病人の自覚なしで、
世にも珍しいALS患者の独居生活をエンジョイしている。

呼吸器ユーザーのみさおさんとの会話は彼女独自の口文字盤。
私には読み取れない彼女の口文字を読むのは、
彼女が訓練をした若い学生ヘルパーたちだ(老練介護者も数名)。

だから、必ず第三者が介在する付き合いになるのだけれど、
そのようなコミュニケーション方法に
無駄のない暖かく強いつながりを感じるのは、
私だけではないだろう。

またITはALS患者の生活に不可欠なツール。
彼女も、かすかに動く足の中指に
タッチセンサーを設置して
夜中でもあちこちメールを打っている.

費やす労力と時間を感じさせない
みさおさんの文章は軽快だけど、
時に皮肉っぽい。

みさおさんが、もしALSじゃなかったら、
私たちはPTA活動でも出会っていたかもしれないね。
だけど、こんな数奇な運命のおかげで、
私たちは出会えたのだ、とも言えるし、
活動の場も、学校じゃなくて霞ヶ関や永田町のほうが
似合ってる、とも言えるかもね。

今回、紹介する『マドンナの首飾り』の作者、
マヤヤこと山崎摩耶さんも、<みさお倶楽部>の常連だ。
昨年は、毎週のように練馬のマンションに通って、
みさおさんの人生の聞き取りをしていた。
赤いスーツが似合う小柄でパワフルな人。

私から見ても、似た者同士のおふたりは、
ヘルパーの吸引問題をめぐってはあちこちで対立していた。
両極の獅子で、看護職の職域と独居患者の生存をかけて
闘った間柄でもある。

だから、マヤヤの筆によるみさお伝の出版は、
在宅医療という戦場を舞台に、
元看護協会理事の山崎摩耶さんが、
日本ALS協会の橋本みさおとの
終戦を誓って,そして、新たな共同戦線の場を
政治に見いだして書いた本だ、と私は読んだ。

というのも本書の中で、みさおさんのヘルパーたちは、
堂々と医療行為をしているが、それを支えてきたのは
地域の看護職という内容で、それこそが真実なのだから。

素顔のみさおとマヤヤが垣間みれる本。



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