« 2010年02月 | メイン | 2010年10月 »

2010年08月28日

『いのちの選択――今、考えたい脳死・臓器移植』小松 美彦、市野川 容孝、 田中 智彦 (編) (岩波書店)

いのちの選択――今、考えたい脳死・臓器移植 →bookwebで購入

「いのちの選択・・・自分の頭で考えよう」


昨年7月13日、臓器移植法が改定になった。 これにより、日本でも脳死を一律に死と認めたことになった。そして、本人の意志はなくても家族の判断で生きている身体から臓器を提供できるようになった。では脳死とはいったい何か。

私は人の死は心臓の鼓動の停止として習ってきた(胸を耳を押し当てたりして)。ところが、脳死では心臓は動いたままである。脳が不可逆的に停止しても身体は生きているという人間の状態は、人工呼吸器とともに作られ広がった現実である。つまり、人工呼吸器による副産物が、脳死からの臓器提供ともいえるのである。
それで、この法案が提出されたとき、呼吸障害による人工呼吸器の利用者やその家族、脳性まひの人たちが、それは優生思想だ、功利主義だといって反対した。人工呼吸器をつけた子の親の会の人たちも集会を持ったり、議員会館を尋ねたりしていた。彼らの中には、脳死判定されてから自宅に戻って長期療養してきた子の親がいた。脳死とされながらも死の兆候はなかったから、以前のように学校に通い、家族と同じ家で生活してきた。いわゆる「長期脳死」の子どもたちは、身長体重とも増え、第二次性徴もありすくすくと成長していった。死人が成長したり、髭が生えたりするわけがなく、「脳死」という言葉に私は違和感を覚えた。それに脳死の人から臓器を取り出す時には、全身麻酔を施すという。「死体」が成長したり、痛がったりするはずがない。「脳死」患者が生きている現実を彼らの証言で私も初めて知ったのだった。

  こうして、提供する側にいる人たちから情報をもらうと、臓器をもらう人とあげる人の生死や利益が絡み合っていることに気付いた。その時から、私にとっても臓器提供は、テレビで報道されているような美談では済まない話になってしまった。それまでは、どうせ死ぬんだし、誰かのお役に立てるのなら、できるだけフレッシュな臓器をとってもらったほうが本望だとも思っていたし、誰かの中で私や家族のパーツが生きながらえるのなら、悲しい死も乗り越えられるとさえ思っていた。でも、それは私や家族の死が、誰かのために早められてしまうという考え方もできるのである。
  こうして、脳死患者の家族当事者の証言から、ある程度の知識を得てきた私は、法改正前後は、臓器をもらう人ばかりに偏って報道されていると感じていた。報道は民衆の情動に直接訴えるから、票につながり法改正の追い風になる。しかし、私はすでにその時、移植に対する見方を大きく変えていたので、それこそが、民主主義による圧力、「多数者の専制」(p46)とも感じられた。ひどく病む人が臓器を移植してもらい元気になっていく感動のドラマの裏で、別の物語が起きていて、そこに、事故や病気や暴力や自殺による死があった。ある瞬間を境に家族は悲しみに引き裂かれ、天地が動転する中で決断を迫られていたのである。(柳田邦男氏の『サクリファイス』は二男の脳死に際して臓器移植に踏み切った父親の心情が克明に描かれている。)そのような話は、あまりにも悲しすぎて番組になりにくいし、当事者はもう発言できない。それが、突然死の現実であるから報道されることもない。民衆は心温まる愛と再生と復活の物語に耳を傾けたいのである。


  あの法改正から1年。脳死患者は法律上の死者になり1年経った。そしてこの7月から家族の同意だけで脳死の人からどんどん臓器が取り出されている。こうして、まだ温かい人の身体にメスを入れることに迷いが消えていく。でも、いくら法が認めたとしても、私にとってそれはしてはいけないことの部類に入ったままだ。これは私の体験が私に与えた倫理観だ。それは法制度とは異なる判断を私にもたらしているのである。

「いのちの問題を考える」ということは、どういうことだろう?

 それは、法律家や医者やテレビに映っている人が言っているとおりにしろということではないし、社会に役立つ死に方をしろとかさせろとかいうことでもない。本書は思考を停止させてしてしまうマニュアル型人間、「法律を守る人でなし」(p45)にならないよう、自分の心に照らして考える癖をつけようと呼びかけている。「脳死」をめぐるいろいろな見方を知って、他の誰でもない自分の倫理観を鍛えることだ。これが自分と家族のいのちを考え、守るための勉強である。

だから、この本~脳死・臓器移植法改正に反対した大勢の人たちが書いた本~は、何度でも読み返される価値がある。現在の日本を代表する倫理学者たちが渾身の思いで書いた本でもある。小学校の高学年なら、親や教師の助言があれば十分に理解できる内容であるから、社会通念をうのみにせず、この本を片手に家族や教室でよく話し合ってほしい。そうして、虐待児からの臓器提供や臓器売買の可能性、バラバラにパーツ化された人体が資源化されることよって引き起こされる社会的影響、やがては人の死がどんどん早められ、弱い者のいのちが切り捨てられていく恐れがあることなどを知ってから、家族ではなく自分自身で決断してほしい。



→bookwebで購入