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2009年04月11日

『33個めの石 傷ついた現代のための哲学』 森岡正博(春秋社)

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「なにげないエピソードを糸口に」

 バージニア工科大学でおきた無差別な銃乱射によって、32名の大学生の命が奪われた。犠牲者を悼んでキャンパスには32個の石が置かれ、花や手紙で飾られていたが、ある日、33個目の石が置かれていた。犯人も大学生だったのだ。犯人を悼んで置かれた石も他と同様に飾られ、追悼の対象になっていたが、何度も持ち去られ、そのたびに石はまた置かれたという。
 これは2007年の出来事ということだから、そう昔の話ではない。でも、私にとっては海外で起きた一瞬の衝撃的事件でしかなかったから、本書を手に取るまではこんな後日談も知らずにいた。しかし、森岡さんは、この事件は他人ごとでも、過去の出来事でもないと言っているのである。   バージニア工科大学銃乱射事件は、犯人のための33個目の石が置かれたことから、陰惨なアメリカ社会にも、ささやかな希望があることを示している。そして、森岡さんが次に並べたエピソードは、JR福知山線の脱線事故である。犠牲者106人の慰霊祭が行われたが、運転手はその中にはいなかった。 「運転士も無残に殺されたのだ。」「死者となった運転士をも追悼する社会へと変わっていってほしい」。私も同感だが、実際には、  「神戸新聞の報道によれば「JR西は慰霊式の内容を遺族アンケートを踏まえて決定。慰霊の対象は、運転士を含め百七人とすべきだとする声もあったが、百六人を希望する声が上回った」という。  バージニア工科大学の話には救いがあるが、結局のところ、大学サイドは慰霊碑には32名の名前しか刻まなかった。どちらの事件も、許せないのは社会なのだが、なんだか、これでは空しいだけという気がする。 遺族の気持ちもわからないでもないが、どのようにしたら、人は殺人や過ちを犯した人間を許せるようになるのだろうか。許すとしたらどのように許せるのだろう。こうして、ひとつのエピソードから、普遍的な真理を追究する哲学的思考が始まる。

  森岡さんの哲学には、いくつかスタイルがあるが、学者らしい理路整然とした部分は置いておいて、私がいつも面白いなあと思うのは、森岡さんの人間性がほとばしっているようなところである。それは個人的な弱さを曝け出しても、あなたはどう思う?と問いかけてくるような気さくな態度で、たとえば硬派な学者が反論許さじと緻密な理論を展開するのとは対極の唐突さと強さで、錆びついた思考回路の活性化と本性の開示を迫ってくるような感じだ。それを森岡さんは「自分を棚上げしない」とおっしゃるのだが、「え?森岡さんはそんな風に考えるの?」とびっくりしたところから、「私は違うわよ」と改めて考える糸口を与えられ、ずるずると引き込まれていくのだ。何か反論しなければならないが、そういう考えもあるのかも・・・という風にも思い出し、でもやっぱり違うわ、と再び我に戻ってきて、そうやって森岡さんと自分の思考の間を往復しながら、自分の鈍感な心性に気付くのである。(と同時に心のどこかで、森岡先生が繊細すぎるのではないか、大丈夫だろうか、などと心配になったりもするのも面白い)。
  「おしゃれと化粧」という章があって、私はそれなりにおしゃれも化粧も楽しくするのだが、森岡さんによれば、おしゃれとは「おしゃれじゃない人」を外す「集団のダイナミズム」で、「「あの子、おしゃれじゃないよね」と自分がけっして言われないようにするために、決死の覚悟で自分を飾り立てて守ろうとする営みという一面をもっているのである。」
すぐさま「それば違うだろう!」と私は反駁するのだが、そういうこともあるかもしれないとも考えてみた。そしてそんな思考が提示されたからには、化粧が差別的構造をもっていることも、少しは意識しなければならないのかな?という風に考え始めるのである。森岡さんの哲学には後を引くメッセージ性がある。
 他にも「中絶について」、「不老不死について」、「加害と被害について」など、森岡さんは独自の考えを述べておられるが、私の思考回路とどこか似通っていながら、どこかがすごく違っている。
あえていえば、相対主義に対する態度が違うのかもしれない。何かを批判するとき、私はたんにキツくなるだけであるが、森岡さんはそうではない。自分をさらけ出して他者を問う。優しくまじめな人だといつも思う。
 森岡さんの本を紹介するのは二回目である。同じ人の本を続けて紹介していいのかなあという思いもあるが、歪な現実と崇高な学問を行き来しながら、人の生き死にを考えようとする者にとって、森岡さんは貴重な先導者で、書き手である。


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