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2008年12月31日

『ニーズ中心の福祉社会へ 』上野千鶴子+中西正司(医学書院)

ニーズ中心の福祉社会へ  →bookwebで購入

「当事者主権の次世代福祉戦略」

  2008年は波乱万丈の年だったが今まさに暮れようとしている。こうして今年を振り返ってみると、まず新年早々から中医協の診療報酬改定があった。後期高齢者医療の終末期相談支援料案が浮上し、驚いて取り下げてもらうように活発に動いた。最終的には4月24日の朝、終末期相談支援料の政府決定を受け、即座に異議を唱えるために当日夜に厚労省で記者会見をし、その後他のメディアの取材もあり多方面から同様の批判が噴出し、6月の大臣判断で相談支援料だけは一時凍結に持ち込むことができた。
こないだは『良い支援?』(生活書院)の感想から、知的障害者の相談支援の難しさについて取り上げたが、終末期医療でも同じことだ。相談支援は一回いくらのシステムにはそぐわない。それにそもそも支援者(医者や事業者)主導の制度で満足できる人がいたとしても少ないだろう。

  夏ごろからは、自立支援法の重度障害者等包括支援の在り方の研究事業に携わり、日本中聞きまわって、モデル事業ができる人と場所を探したりした。しかしこれも難しかった。現行の自立支援法の中で包括的サービスを稼働させることは難しい。重度障害者等包括支援とは、呼吸器をつけて地域で暮らす人を、二種類以上のサービスの組み合わせによって、(つまり施設系サービスと在宅系サービスの組み合わせによって)、はっきり言えばコストダウンを狙った特別なサービス枠組みである。平成18年自立支援法施行時に開始されたが、報酬単価が安すぎること、医療と介護の連携の成果である医療的ケアが医師法17条に抵触するとかで、評価できない点など、事前に解決すべき問題が多すぎて、いまもって全国的に実施できない。そして、ここでも相談支援の在り方に問題は集積している。つまり、いくつかのサービスを利用する際に障害ケアマネというべき相談支援専門員が相談に乗ることになっているが、その仕事たるや膨大で、やってもやっても尽きることがなく、10年以上の長期に及ぶこともざらだ。その上、療養者らは当事者になる以前にクレーマーになってしまい、不平不満で人間関係のトラブルが絶えない。だから、介護派遣事業所ばかりではなく、相談支援専門員もなり手がいないだろう。
 医療が必要な重度障害者のケアプランを埋めること、そしてその遂行を任されることが、実はサービス提供者の大変な負担になっているのだから、なおのこと、患者自身が自分のケアプランは自分で立てられるように、すべきなのだ。そのための相談支援者なら、当事者やアドボカシーの中から養成できる自信がある。この一年はそんなことを考えて、政策立案者にも訴えてきた。

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  これから紹介する本も、当事者が自分でニーズを把握し、政策をデザインし、アクションを起こして制度につなげることを提言している。仕掛け人は医学書院編集者の白石正明。白石の企画「ケアをひらく」シリーズは、いくつもの名著を生み出してきた。うちの本棚の一角も占拠されているが、ここからは、浦河べてるの家の当事者による『べてるの家の「非」援助論』。立岩真也『ALS 不動の身体と息する機械』。故人になってしまった小沢勲『ケアってなんだろう』などが見える。多彩な執筆者に根強いファンが多い。時節にかなった企画にいつも刺激を受けるが、今回の『ニーズ中心の福祉社会へ』の副題は当事者主権の次世代福祉戦略。来年度の自立支援法見直しと介護保険改定みて、上野千鶴子、中西正司両氏の企画を白石が後押しし、出版にこぎつけたのだろう。医学書院社内での編集会議(戦略会議)に幾度も傍聴のお許しをいただき、遠慮なくALSの立場から口を挟ませていただいた。楽しかったし、とても勉強になった。

  日ごろから、患者の権利擁護などをしていると、いつも突き当たってしまう根源的な問題、壁がある。それは彼らにとって自分のニード把握が困難であるという事実だ。そして、患者の多くは最初は自分のニードがわからないのだろうと感じてきた。自分が何を望み、何をしたらよいのか、どこに向かって生きればよいのかがわからなくなってしまっている。だから、もっとつっこんだアドバイスしたいのだが、彼らの主体性を尊ぶ立場でもあるので怯んでしまう。これは高齢者でも同様のようで、当事者主権は何も被支援者だけの問題ではないようだし、彼らの意見をそのまま受け入れさえすれば、それが当事者主権だとも言えないようだ。そのことについては執筆者も各所で触れている。
  これまでも上野、中西両者は、当事者性の生成についてあらゆるところで発言してきた。以前には岩波新書の『当事者主権』で、フェミニズムと障害者運動のそれぞれの当事者性について述べていたが、双方うまくリンクしてはいなかったように思われた。しかし今回は、当事者をケアの対象者である障害者と高齢者に絞り、執筆者も増えたので、多角的にケアの当事者ニーズをフォーカスできていると思われる。
  最初にまず上野が介護「ニーズの顕在化」の困難と構造的な「当事者性の抑圧」「家族の問題」を乗り越えても「当事者になること」の大切さについて語り、最終章で中西は一翼を担ってきた障害者運動団体である全国自立生活センター(JIL)を、高齢者に拡大したような「福祉サービスユーザーユニオン」の構想を広げている。 このあたりは、特に目新しい感じはしない。二人がずっと以前から言ってきたことが繰り返されているが、中盤を埋める執筆者による論考は、上野に言わせれば「合意ができているわけではないが」、ケアワーカーと専門性(笹谷春美)、生活クラブ生協千葉の実践(池田徹)、高齢者のニーズを顕在化させる試み(齋藤暁子)、高齢者虐待とケアマネージャーの介入(春日キスヨ)、「土建政府」から「福祉政府」への転換(大沢真理)、財源と社会サービスモデルの関連性(広井良典)、楽観してよいはずだ(立岩)などが、両者の理念に厚みと幅を持たせることに成功している。
   
  全10章9名の社会・経済学者と実践家による理想論的理論武装によって、国民全部ではなくても、その筋の人々の合意形成を目論んだ論集。私はぜひとも患者にこの本を読んでもらって、当事者性に目覚めて欲しい。個人的なクレームではなくて、社会のためにこそ発言して欲しいと願っている。
 さっそく来年1月20日東大で、執筆者揃ってのお披露目会があると聞いたが、日時がわかり次第、ここにお知らせできると思う。
 → さっそく、お知らせいただきました。 書評会ということですが、こちら的には決起集会になるのかな。申し込みしたほうがよさそうです。http://www.arsvi.com/a/20090120.htm



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2008年12月21日

『良い支援?』寺本晃久、末永弘、岡部耕典、岩橋誠治 (生活書院)

良い支援? →bookwebで購入

「”たいへんな人”の自立生活っ?」

昨日、中野サンプラザでJALSA講習会が行われた。富山県から患者会研究の伊藤さんも参加され賑やかな会になった。
 うちの患者会では年に一度、有志が集まってこのような勉強会を開いてきたが、年々大きな行事になり資金集めも企画も大変な仕事になってきた。  まだ新しい支部がホストになると丸一年間かけて全国からゲストを迎える準備をする。これが支部の結束を固め支援者の機運を盛り上げる。それに呼吸器をつけた人も新幹線や飛行機でやってくるから、医療体制も万全になる。来年は広島県支部がホストだ。それで支部の人たちが視察も兼ねてたくさん参加していた。

「思いついたらすぐ実行しなくっちゃね。何年も時間かけられないし。」

来年の話をすると鬼が笑うというのなら、私たちの周囲ではたくさんの鬼が笑い続けているはず。来年には仲間の命がないかもしれないから。楽しいことは思いついた途端にしなければ意味がない。だから支援にも超スピードが要求される。でも人生の刹那を楽しめるALSの人が好きだから、みんなも頑張れるのだと思う。
  ただ、私にはまだどのような支援が良いのかわからない。そもそも、相談とか支援とか胡散臭いとさえ思っている。それが上流から下流に向かって流れるように行われる時、圧力になる可能性のほうが大きいと思っている。システム化された支援ほど害悪になるものはないから。

  昨日の話はもちろんそういう話ではなかったが。講師を務めた植竹日奈さんは『人工呼吸器をつけますか?』の著者のひとり。MSWにピンとくる人のほうが少ないだろうが、病院勤めのソーシャルワーカーのことである。他にも何人かMSWが参加して、それこそ丁寧に参加者の話を聞いてくれていた。初対面でも優しく傾聴し、相談者に自分で答えを引き出させるのが彼らの得意技だ。ただし、現実にないものを紹介してくれるわけではない。良い未来は相談にくる患者や家族が自分で作るものだから。

     ***
 
 少し前に悲しい事件があった。東金の幼児の遺体遺棄事件だ。そしてさらに悲しいことにしばらくして容疑者が明らかになったが、それは知的障害をもった青年だった。画面いっぱいに映し出された屈託のない笑顔。それは、大人の体に子供の心が住んでいることを語っていた。容疑者が知的障害者だというそのことよりも、報道の配慮のなさのほうに私は驚いた。これではまるで「こういう人には、気をつけましょう」だ。日本中の母親たちにステレオタイプな反乱が起きなければよいが。そして、死んでしまった子と死なしたと言われている子の親のことが気になってきた。
かわいい盛りの子どもを奪われた親の気持ちなど到底理解できるものではないが、テレビ画面いっぱいの容疑者と言われた者の笑顔。人殺しと呼ばれてもなお笑っているのだ。
私は彼の家族のこれまでと、これからの苦労を思い描いていた。地域で暮らす子を持つ親の不安も理解してもらえなかったのではないだろうか。これは大変なコミュニケーション障害である。だから、このような事件があるとなおのこと、いつでも危害を及ぼす危険な動物のように、施設収容だけが解決策のように思われてしまうだろう。
 彼の親子関係は立体的に報道されたが、この家族を取り巻く社会は見えてこなかった。


 『良い支援』。皮肉なタイトルだなあと思う。だから「?」がついているのか。納得。
寺本晃久、末永弘、岡部耕典、岩橋誠治の共著で、知的・精神障害を持ちながら地域社会で暮らす人たちや身内の支援の生生しい体験が綴られている。
知的障害・精神障害の自立生活とは何か。自分で書いたり語ったりできるけっこう多弁な重度身体障害者の運動と比べて彼らの運動の歴史はこれまでほとんど語られてこなかった。したがって障害者の自立といえばまず自己決定で、それができなければならないように言われてきた面があるが、知的精神に障害のある彼らにはその自己決定が難しい。
そのような人たちが、親元や施設を出て暮らすこと自体が無茶だ、危険だと思われている。しかし、そもそも自分で決め自分を治する生活ができる人だけが、地域社会で生活する資格があるといえるのだろうか。
本書の中でも、常識破りの奇行が繰り返され周囲の人たちが振り回される。近隣住民の白い視線に晒される。急激な環境変化についていけず、パニックに陥った身体は破壊的な力を放出する。だから些細な刺激にも反応してしまう知的や精神の障害にも、日常的にそばで見守る人が必要なのだ。奇行に体ごと寄り添うと、それらの行為にはそれなりのワケがあることがわかってくる。自分で決められない人、自己表現ができない人が本当は何をしたいのか、本当はどう感じているかを引き出す「支援」の在り方が具体的に語られている。
ただし、そういえばまた施設に入れば済むだろうという話に舞い戻ってしまう。これはどのような障害も同じだ。そしてまた、誰にでもできそうな見守りという介助に一定の税を配分することも理解されにくい。
後期高齢者終末期相談支援料に自立支援法の相談支援専門員。国の審議会や検討会では、矢継ぎ早に支援の必要性が強調されだした。そして、そのたびに私たちは霞が関に飛び出していくことになった。弱者のための相談支援の必要性が医療機関にも理解されてきたのはうれしいことだが、その支援の在り方の具体的な中身がこれまで何年も問われ続けてきたのである。繰り返すが、システム化された支援は本人にとっては害悪でしかない。

むしろ、何も知らない無資格者が付添い見守り観察しつづけ自問することによって作り出される二人の関係性、「その世界にひたっていく」(p42)ことが良い支援の始まりなのだと本書は教えてくれている。


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