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2007年12月31日

『潜水服は蝶の夢を見る』 ジャン=ドミニック・ボビー[著] 河野 万里子[訳」 (講談社)

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「まばたきで綴られた精神の自由」

 表題のごとく、重く狭苦しい潜水服と化した自分の身体に閉じ込められたまま、一言も発することができない著者は、左目のまばたきだけで言葉を綴りつづけた。意識は鮮明なまま、まったく身動きできない状態は、「ロックトインシンドローム」と呼ばれ、重度の神経疾患や脊椎損傷や、脳疾患に突然見舞われた人が経験する状態を指す。
 主人公のジャン=ドミニック・ボビーはフランス版「ELLE」誌の編集長として、華やかなファッション業界で活躍していた実在の人物である。その彼が仕事中に脳梗塞で倒れ、三ヶ月もの昏睡状態の後、目覚めたとたんにまったく動かなくなった自分を発見し愕然とする。 やがて、立ち直った彼のコミュニケーション方法は介助者が読み上げるアルファベットに、身体で唯一動く左まぶたの瞬きで一文字一文字を確定し、文を作ることに限定されたのだが、この気の遠くなるような作業を繰り返すことにより意思が表現できようになる。その無表情のどこに宿るだろうと思われる軽快で美しい言葉の数々によって。

 小説がフランスで出版されたのは1997年3月9日、その3日後ジャン・ドゥーは突然、電池が切れたように他界してしまうのだが、彼の不屈のストーリーは、その後も世界28カ国で翻訳され、多くの人々に人間の精神力の脅威を伝えた。ジャン・ドゥーはファッション雑誌の編集長から重度障害者に転身し、命の不可侵性と自由を神経疾患患者の精神生活という舞台において編集し出版したのだ。医療人類学的にもエディターとしても重要な成果を残したともいえるだろう。
 
 しかしながら、実は日本のALS患者たちは、ジャン・ドゥーの本が出版される10年以上も前から、透明文字盤や意思伝達装置につないだ端末スイッチを用いて一文字一文字執筆し、多くの本を出版してきた。いわゆる「闘病記」というジャンルになるが、そのほとんどが、今では、ハリー・ポッターシリーズで一躍有名になった静山社の故松岡幸雄氏の企画編集によるもので、機知と悲哀溢れる作品ばかりである。そして、彼ら日本のALS患者は今もなお、毎年、数多くの自叙伝を執筆しているのだが、そんな彼らを在宅介助するヘルパーの養成と介護技術や意思伝達装置の研究や現実的な支援が私の仕事という風につながっている。
 さらに、ジャン・ドゥーの到達した神経性麻痺者の可能性の臨界ともいうべき地点は、ここにきて、もっと先へ進められようとしている。つまり、ジャン・ドゥーは眼球運動と瞼の開閉によって文字を確定することができたのだが、それよりもさらに重度になると、眼球さえ動かなくなる完全なるロックトイン状態になる。そして、そのような人の脳とコンピューターをつなぎ、意思伝達を介助するための研究は、日本では世界に先駆けて、もう10年以上も前から民間技術者の手によって行われてきたのだが、そんなアウトカムの出しにくい研究も、昨今興隆してきた脳神経倫理学という新しい学問分野のよって取り上げられ、ブレインマシーンの領域として、人体へのエンハンスメントと比較検討されるようになってきたのである。そして、脳と機械との接続のために厚生労働省ではなく、文科省が多大な研究費を用意しているというのだが・・・。(来る1月14日に「脳を活かす研究会」主催で京大で「人間改造のエシックス ブレインマシンインターフェースの未来」という国際シンポジウムが開催されるが、私はそこで文学でも映画でもない現実の話、しかも瞼どころではなく、脳波や脳血流で直接文章をつづったり、意思表出をして生活している人々の話をするつもりだ。ジャン・ドゥーに習って、できるだけ軽やかに。そしてこの企画は前に書評させていただいた美馬達哉先生によるものである。)

 さて、またしても宣伝になってしまったので、話をもとに戻すが、ジャン・ドゥーの作品は闘病記というよりも、文学の域に達しているので、わたくし的に長いこと待っていたのが映画化なのだが、ジュリアン・シュナベール監督によって制作され、2007年カンヌ国際映画祭監督賞に輝いたという。2008年やっと日本各地で上映される。先に映画を見るか、それともまず本書を読むかだ。自分の身体という脱出不可能な環境に封じ込まれた人間の精神は、映像ではさらに軽やかに舞うだろう。

日本語版オフィシャルサイト

監督:ジュリアン・シュナーベル
プロデューサー:キャスリーン・ケネディ/ジョン・キリク、原作:ジャン=ドミニク・ボビー、
脚本:ロナルド・ハーウッド、撮影:ヤヌス・カミンスキー、
美術:ミシェル・エリック/ローレン・オット、編集:ジュリエット・ウェルフィング、
音楽:ポール・カンテロン
マチュー・アマルリック/エマニュエル・セニエ/マリー=ジョゼ・クローズ /アンヌ・コンシニー/マックス・フォン・シドー

 
 


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