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2007年11月27日

『貧困の終焉 2025年までに世界を変える』ジェフリー・サックス、訳:鈴木主税・野中邦子(早川書房)

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「アメリカの援助政策を批判する」

 先日、大正大学で行われた日本生命倫理学会で報告してきた。表看板からして達筆な毛筆書きでも 私は怯まず、中年社会人院生の図太さを発揮してきたのだ。母の介護で身と心が引き裂かれていたのを、学問が救ってくれたと私は思っている。だから素直に学会に期待しているし、私のような者の話を先生方に聞いていただくことには意味があるはずと心底信じているのである。
 演題は「自由で幸福なALS療養者を支える経済と倫理」。関西の若手経済学者、下地真樹さんとの協同報告で、夏に京都で行われた障害学会では彼が理論的に、今回は私が実証的に報告する番だった。そこで私はここ20年の間、日本において政策的に行われてきた難病(特定疾患)のALS患者に対する医療と福祉の両面からの豊かな支援が、患者の再就労を世界で初めて実現しているという報告をした。とは言ってもほとんどうちのNPOの宣伝ではあった。うちのNPOさくら会では重度患者の社会事業を手伝っている。そんな話が8割以上を占めた。  呼吸器装着後のALS患者の経済的自立など世界的にも稀有な現象であるからには、日本の生命倫理学に積極的に評価をしていただけたら素敵、と思ったのだった。報告だけではなく、学術論文にまとめなければならない。だから詳細はここでは述べない。ただ、私がもっとも言いたかったことは、ちまちました支援では全くだめだということだった。生存レベルの支援を必要とする者にとって、形式的な支援は焼け石に水だから、もし本当に明らかな効果をみたいのなら、徹底的に支援をしようということであった。それも、しょぼい現物支給に終わるのではなく、計画的で教育的な支援の継続でなければならない。    医療とは、病人と家族の再起に向けた教育だ。そして教育であるからには、明るい思想と豊富な情報提供は欠かせない。しかし、資源の供給を唱えれば、必ず反論として地域間格差がいわれる。今回もそうだった。会場で手を挙げた人は、「私たちは東京とは条件が違う。地方には金がない、人もいない。過疎の市町村の財政基盤では24時間介護が必要な人への分配など「できない」」と言った。地方の支援者の中にも、ため息まじりにそう言う人がいる。しかし、支援における最大の弱点はその弱音にある。現状を受け入れてしまっては覆すことなどできないだろう。それどころか、当事者の誰かが政治的な運動や発言をしようと立ち上がろうとすると、仲間同士で止めてしまうことさえある。問題はペシミスティックで合理性を装ったオドオドした状況判断にこそある。そして重ねて投資の、経済の無駄が言われる。  たとえば、悲観的な医師によるインフォームドコンセントのプロセスだと、「ここではそんなこと(在宅人工呼吸療法など)できない」と何度も言われることがあるが、その言葉の裏には負のアドバイスが丁寧に隠蔽されているものだ。まず家族を中心とした支援者がこの言葉で諦めムードになってしまう。そうなれば、どんなにALS本人が前向きだったとしても、人工呼吸器なんて夢のまた夢だ。「手も足も出ない」。

 ここで、やっと参考書として登場するのが本書である。これから書籍の紹介に移るのだが、著者のジェフリー・サックスは、経済学者で国際開発の第一人者だ。現在はコロンビア大学地球研究所所長である。その彼が世界の貧困を2025年までに解決すると豪語して、その方策を具体的に示したのが本書である。
「アフリカに多額の資金を投下して支援したとしても、今度は人口爆発が起こり、腹をすかせた大人が増え、なおさらエイズが蔓延するだけ」というのは、先進国の一般通念だが、偏見に満ちている。しかし、アフリカがもし経済成長を遂げれば、偏見はあっさりと見直されるだろうと彼は言う。「歴史とは合意の上に成り立つ作り話である。」というナポレオンの言葉をひいて、優位に立つ人々の偏見が、いかに貧困支援の害悪になるかを論じている。
そして、開発経済学の新しい手法として「臨床経済学」を提案している。臨床医の妻ソニアの仕事ぶりからヒントを貰い開発支援に取り入れたいというが、実践的な「治療」のための教訓を5つ挙げている(P130)。
それは、「人体の複雑なシステム」に基づいた「個別診断の重要性」と、「家庭医療」と「観察と評価」そして「専門性」の教訓である。これらはたとえば、北欧とアフリカとを比較して、北欧の福祉国家では政府による再分配が労働者のインセンティブを低下させることはなかったが、だからといって疫病やマラリアに苦しむ途上国に対する支援にも、同様の手法が有効だとはいえないことを指している。
 そもそも、立ち上がることさえ億劫になっている人びとには、立ち上がればより遠くが見えること、遠くが見えればどんな良い事があるかから具体的に教えなければならないし、その前に自分の足で立ち上がれるだけの体力をつけなければならない。だから難病なら寝たままでも摂れる栄養と温かい毛布と呼吸管理への心遣いがまず必要になるのだが、サックス氏もアフリカの人々にはまずエイズやマラリア対策とその上でのインフラ整備が必要だという。難民化したアフリカの人々も難病患者も、世界的な風評被害に耐えているが、計画的な支援さえあれば自力で立ち上がれるようになる。私たちの支援理念はほぼ共通している。どのような援助も、現実の改善を見るまで十分に供給される必要があるのだ。
 偏見に満ちた支援は無力だ。しかし、かと言って帝国主義的なグローバリズムによる介入はもっと嫌われるものである。無理やりに立たせるようなものだからだ。その時は立ち上がる気力がなかったとしても、「足腰」の筋力は自負心の向上と、体調の維持によるものだから、あなたの貧困(病気)は文化や価値観によって運命づけられているなどと根拠もなく言われたくなどない。つまるところ、サックス氏は世界の貧困問題の解決について、経済学の立場から「啓発されたグローバリズム」の必要性とともに論じているのだが、どのような支援もほぼ100%同じ理念、サックス氏によれば「啓発された利己心」により第一歩を踏み出せる。それらは一人ひとりの個人的貢献によって、手放すことのない個別の配慮がなされる「家庭医療」のように始まるのだ。

私たちはこの本を通して、様々な社会的支援の在り方についてほぼ同じ経路と枠組みで考えることができる。


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2007年11月06日

『粗食のすすめ レシピ集』幕内秀夫(東洋経済新報社)

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「忘れていた本当のおいしさと豊かな生活」

  スピード料理の本を探していたら、妹に「はい、これ」と手渡された。
食べ盛りの息子がいつも腹ペコだから(信じられないくらい食べる!)、窓の外が暮れてくると夕餉の支度が気になりそわそわしてしまう。とはいえ仕事合間の手料理はだんだんと手抜きになる一方だ。料理は決して嫌いな方ではないが、致し方なく早くてボリュームに頼るメニューか、デパートのお惣菜に偏ってしまう。でも、そんな貧困な食生活ではいけないよと本書が棹差してくれた。思い返せば親の介護を始める前は日ごろのお料理にも相当手間隙かけていたような気がする。もちろんそんなのは過去の栄光であって、子どもたちの記憶に専業主婦だった頃の、私のエプロン姿は残ってはいない。もちろん夫も。

  でも、香り発つような「粗食」のカラー写真に蘇る主婦感覚。ページを繰るたび現れるスローフーズの数々は、京都の高級料亭の料理に負けない風格である。結婚当初の一日千円以内のお惣菜作りに始まった私のお料理遍歴は、アメリカに渡ってからは同居人に教わったカリフォルニア+ケイジャン料理、そしてヨーロッパに渡れば、伝統的なイギリス料理はマークス&スペンサーの冷凍食品。後に娘のPTAで教わったのが英国領インド料理に韓国料理。サマータイムのBBQでは火おこしが得意になった。また難民寸前のクルド人に教わったのは、ヨーグルト、ニンニク、葡萄の葉を多用する料理で、これらはみな日本人の口に合った。でもこうして多国籍軍を渡り歩いたのが結局はまた和のお惣菜へと引き戻されるのである。

 さあここで、「春の食卓」に紹介されている朝ご飯、昼ご飯、晩ご飯三食のメニューをちょっとだけご紹介すると、朝:ご飯(五分づき米・きび・あわ)うどのみそ汁。昼:小松菜の卯の花和え、根三つ葉と豆腐のみそ汁。晩:ご飯(五分づき米・きび・あわ)あじの塩焼き、春菊のごま和え、たまねぎとわかめのみそ汁。「冬の食卓」では、朝:あずきご飯(玄米、あずき)、大根と油揚げのみそ汁。昼:はりはり漬け(写真では、朝のあずきご飯のおにぎりと番茶が添えられている)。晩:あずきご飯、たらのおろし煮、レンコンの梅肉和え、豆腐とわかめのみそ汁、白菜づけ、番茶。秋の食卓、朝:ご飯(三分づき米、きび、はと麦)、焼き目刺し、たくあん、さつまいものみそ汁、ばん茶。昼:ごまみそうどん、ばん茶、晩:ご飯(三分づき米、きび、はと麦)、さんまの塩焼き、きのこと黄菊のくるみ合え、たくあん、白菜のみそ汁、ばん茶。朝:ご飯(三分づき米、麦、あわ)、大根とにんじんのぬか漬け、焼き海苔、里芋と小松菜のみそ汁、ばん茶、昼:からみもち、ばん茶。夜:ご飯、(三分づき、麦、あわ)、かきと焼き豆腐のみそ煮、きんぴらごぼう、大根とにんじんのぬか漬け、ばん茶・・・・。 1ページに2人分を一食ずつ。

  和食器も素朴な大鉢、小鉢、湯飲み、汁つぎ、豆皿、片口鉢、ぐい呑み、丼。海外転居を繰り返していた頃は和食器は重ねることを想定して作られていないなあとつくづく恨めしく思ったものだが、手元のお茶碗のご飯の上がお皿の役目もするのだから、何枚も同じものを揃えておく必要はないのだ。
そして少しずつ盛られたシンプルなお惣菜は、たぶん息子の胃袋と嗜好を満たすことはできないかもしれない。でもその母親は正直に言えば自分の健康をそろそろ気遣いたい齢である。こってり料理の最中は「息子と同じではいけないよ」と言う囁きがどこかから聞こえてきて質素な食事を好ましく思うし、旅先の田舎料理には日本人の血潮を感じる今日この頃でもある。執筆者の幕内さんによれば、日本人には日本で採れる野菜や魚がカラダに合うそうだ。そして季節の素材を大事にしながら質のよい調味料で調理をすること。基本は何を食べるべきかではなく、その季節に何がとれるか、である。
「長生きしているのは明治の人で、私たちは体格はりっぱになったが、体質体力は落ちている。現代の食生活は豊かになったのではなく、でたらめになっただけ」と語る。「FOODは風土」。伝統食と民間食養法の研究者で、巻末の作者紹介を見れば食生活の総合的なコンサルティングをなさっているらしい。だから、巻頭から20ページまでは「粗食のすすめ」の講義である。ご飯を理想の主食として、「「おかずは残してもいいからご飯を食べなさい」。これが健康への第一歩です。」か。お料理は剣見崎聡美さんが担当されている。

 あくまでも、日本の食文化の継承と食科学に裏づけされた貴方の健康のためにご紹介いたしました。介護予防とかメタボ対策のためではありませんヨ。



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