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2007年05月16日

『写真ノ中ノ空』 谷川俊太郎=詩、荒木経惟=写真 (アートン)

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 10日、東京八重洲の某所に国公立病院と主要な私立病院から神経内科医が集まっていた。
障害者自立支援法と医療制度改革とが病院経営に、ひいては難病患者の生活や意思決定にどのような影響を及ぼすのか、各地の情報を交換し今後の対策を練るために。
20余名も集まっただろうか、厚生労働省の研究班を構成する彼らは、日々の臨床と難病研究による政策提言の役割をかけ持っている。だが、療養環境は深刻化するばかりだ。
「療養場所を失った患者は、いったいどこへ行けばいいというのか・・」
日ごろは穏やかな表情も眉間に立て皺がよっていた。
難病と対峙する彼らの使命は、罹患した者の尊厳を支えQOLを高く保つこと。今はまだ治癒はできないし、原因も不明だ。だから医療の中でもストレスの多い領域だが、患者と共に歩み続けることはできる。難病は難破船にもたとえられる。船主は病人だが舵取りは医者である。同舟し何度も荒波風雨を乗り越えていくが、そんな風にして難病に魅せられた医者だけが、患者のそばに残っている。

 だが、当事者側の私の仕事は・・。そう、これは先生たちのように、自分で選び取ったものではなく、どちらかといえば天から与えられた類のものだ。当事者とは、結局つまるところどっか神がかりで、何の準備もなく突然走り出さなければならなくなった素人の、貧乏くじを引いた者たちの群像である。
ALSの母の介護から始まった難病との日々は私の生活を飲み込んだ。そして介護保障のために働き出して3年以上になる。
生きていることを否定され、生きようとしているのに死に追いやられる生と付き合う日々だ。今日も、永田町では、医療費削減の煽りを受けて、尊厳死と治療停止のルールは当事者を避けて形になろうとしているが、少子高齢化対策を叫ぶ掛け声の前に、生を慈しむ高齢者や重病人たちの現実は、人工呼吸器のこちら側からは、あまりに「リアル」だ。まだまだ生きられるのに閉塞感が漂っている・・・。

だから、   
ここで紹介するこの写真詩集は、難病の関係者のみならず、そんな風に生きづまった(息詰まった)人や、失速してしまった人と、そこに共にいる人たちに読んで欲しいとおもう。大きめのポケットになら入れて持ち運ぶことができるこの本は、秀逸な写真と詩で構成されている。
「空」を切り取り、いつでも参照できるようにしたものだ。

   

   空は何も見ていない  ただそこにあるだけ

   ヒトがヒトを愛しても   ヒトがヒトを見捨てても

   空は裁かない  いつまでも黙っているだけ

   呆けた母の上で  疲れた妻の上で  働き続ける夫の上で

アラーキーこと荒木経惟によるモノクロ写真は不思議なことに、空の青さをよりいっそう鮮明に心に映しだす。写真の上にカラーペインティングされた合成写真は、実在しない空なのだけれど、ノスタルジー漂うどこかで見た空だ。アラーキーは写真集『緊縛写巻』でも同様の技法を使い、「モノクローム(”死”)とカラー(”生)の融合だね、両性具有っていうか、生があって死があって、それが人生だからね」
と語る。

 その荒木が切り出し創造した「空」の写真は、谷川俊太郎の詩を伴って/伴われて表現力が増幅している。他方の谷川だが、実はALSとの縁は浅くない。今回は紹介しないが、またの機会に。彼の別の詩集の紹介もしたいので、その時にその事柄にも触れたいと思う。

  

  なにもかも失ってもこの空がある

  空は母だ

  どんなに甘えてもいい 空なら


            
 病院の上層階からだって、逃避先はある。長患いの病人からのプレゼントは、窓枠に切り取られた黄昏の空だった。健康な者は眼下に光の海や人々や車の列を眺めるために窓に近寄る。だが病人は、今日もばら色の雲が棚引く空に至り、遠く連なる灰色の雲の峰に立っている。
寝たきりで、瞼も重い彼らの想像力を侮ってはならない。彼らは一瞬にして空に解き放たれているから。

 

  このオフィスのこの天井の上またオフィス

  その天井の上またまたオフィスまた天井

  でも何十もの天井を垂直に突き抜ければ無垢の青



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