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2013年03月01日

『いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか』内藤朝雄(講談社現代新書)

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世に棲む寄生虫

 数ヶ月前、何気なくテレビの報道番組を見ていた時のこと、出演中のコメンテーターの奇趣に思わず目を奪われた。発語はつんのめるような早口に加えて迂遠。語彙は過激で煽情的。感情的なのにもかかわらず漂う機械的ギコチナサ。司会者の質問を受けるや、的を外して逸れていくこと甚大。総じて、挙動不審の上に焦れったい。忍耐も限界に達したのか、司会者たちも苛立ちを隠せなくなり、語調が厳しくなっていく。詰め寄られるコメンテーターは、それに動じるでもなく(もとより動じている)マイペースである。初めは光景の物珍しさから釘づけになったものの、よくよく聴いていくと、奇矯なうわべとは裏腹に健(したた)かな正論が開陳されている。勿論、このコメンテーターこそが内藤朝雄氏だった。

 わたしが著者の作品を読むようになったのは上記の報道番組以降のことだが、著者の代表作とされる『いじめの社会理論』は2001年、本書も2009年の刊行である。折しも大津市立中学校の事件があって、遅ればせに見聞を拡げてみると、『いじめの社会理論』は頻々と引用され、高い認知度を示している。そして、専門書である『いじめの社会理論』を一般向けに地均ししたのが本書ということらしい。一般向けといっても、読み応えのある濃密な新書で、あの報道番組で著者が言いたかったのはこういう事だったのかと改めて合点がいく体裁となっている。テレビで垣間見た劣悪なコミュニケーション力から、読みにくさを覚悟したが、それも杞憂であった。説得力のある理論は、いじめの現状への理解に裏打ちされて、教育改革への強い意志を伝える確かな足場となっている。

 いかなる集団も、市民社会の秩序とは別に集団固有の「群生秩序」を生じさせ、集団が共生を強いる閉鎖的なものであるほどに、特有の規範を醸成しつつ群生秩序を肥大させ、怪物まで産み出しうるというのが、内藤理論のひとつの骨子である。「ノリがよい、すかっとする」が是であり、「ムカつく、空気を読まない」が非となるような規範は、付和雷同という情動の共振によって増幅し、秩序を絶対化させて「中間集団主義社会」を作っていく。群生秩序におけるメカニズムには、投影性同一化という精神分析的概念が使用されているが、ドーキンスの援用によって、難解な概念がわかりやすく説かれている。
 たとえば、

いじめ被害者は、内部に侵入しかきまわし・その内部から自己の全能を顕現しつつ生き直し・自分が癒される、といったことのために加害者が使用する〈容れ物〉である。

 という表現は、ここだけを抜粋すると小難しい。
 ドーキンスからの引用はというと、

寄生虫は、その中間寄主からあるきまった最終寄主へ移動しなければならないが、しばしば中間寄主の行動を操作して、その最終寄主にその中間寄主が食べられるようにうまく仕向けている。

 これでも難解が重畳されただけかもしれないが、そこで具体例が並べられる。カタツムリに寄生した吸虫は鳥の体内に行きたいがゆえに光嫌いのカタツムリを光に向かわせ天敵(鳥)に発見・捕食させるとか、ミツバチに寄生したハリガネムシは水に向かいたいがためにミツバチを水に飛び込ませるとか、寄生虫が本懐を遂げるために他の生物を乗り物として利用する例の数々だ。これらは、加害者が被害者を操作する仕組みを想像するのに、効果的な比喩となっている。

 これでも理解困難と思われた方も、ご安心願いたい。本書を通読されれば、内藤理論はきっと把握されるはずだ。暴力への強い憤りと独特の個性が行間から漏れ伝わる筆致は、平易を旨とし、語りかけてくる文章は消化しやすい。

 ところで、本書が快挙である所以は、問題現象の解析のみならず、解決策が提示されていることにある。病理の理屈ばかりが練磨されて解決法に結びつかない理論書とは一線を画する。いい加減な現実認識を基に理想的あるいは政治的解決をゴリ押ししようとする類とも異なる。情緒的には同感しえても普遍的論拠に欠ける随筆とも違う。
 本書では、現実に即して、短期的改革と中長期的改革という段階が設けられている。すぐにでも出来ることは、暴力系いじめに対して、きっぱりと法を介入させることだ。「普遍的なルールの支配は、人間の憎悪と妬みと悪意に満ちた邪悪な部分に、出る幕を与えない傾向がある」。コミュニケーション操作系いじめに対しては、学級廃止が短期的対策として勧められている。いずれにしても、学校という聖域を解放し、市民社会の秩序の風を通すことが「解除キー」となる。そして、「彼らが他人を思いどおりにしようとするいとなみにふける余地(チャンス空間)をなくす社会設計」へのアイデアが述べられている。それらのアイデアの是非はともかく、いかなる集団も暴力という病理の可能性を持つかぎり(これにはまったく同意する)内藤氏の提案は考慮する価値がある。
 補足ながら、荻上チキとの共著『いじめの直し方』(朝日新聞出版、2010)は、いじめ被害者を救済する一助となる良書だ。小中校生向けと思しき冊子風の一冊は、読者の視点に立った分かりやすさを備え、具体的・現実的示唆に富んでいる。

 さて、内藤氏の姿は、その後もYou Tubeをはじめとするメディアで見かけることがある。けれども、冒頭の報道番組に匹敵する奇矯さには出会わない。先日、「朝まで生テレビ」でいじめ問題が取り上げられるというので、内藤氏の登場を期待したが残念なことに現れなかった。パネリストの大半は頓珍漢な司会者を吊るし上げるでもなく、平凡に振舞っていた。その慎ましさに物足りなさを感じ、あの日、内藤氏が追い詰められている姿に心躍ったことを思い合わせると、自分のなかにも、ハリガネムシは棲息しているに違いない。


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