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2013年01月08日

『幻談・観画談 他三篇』幸田露伴(岩波文庫)

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露伴という不易流行

 幸田露伴は、大政奉還の年に生まれ(漱石・子規・熊楠と同じ歳)、明治・大正・昭和の戦後に至るまで、文筆業を貫いて80歳の天寿を全うした。言文一致の揺籃期から無頼派の隆盛までの歳月は、昭和・平成の80年間とは比較にならない日本文学の変動期で、露伴の文体も作品も当然変化した。「風流仏」から「五重塔」を経て、「連関記」から「芭蕉七部集」への軌跡に、その変容を辿ることができる。
 一方、時代の趨勢に翻弄されることなく、終始一貫、露伴は露伴であったとも言えて、出世作である「風流仏」と本書に収められた晩年諸作品の間には、いかにもひと連なりの同じ露伴がいる。

 平成の読者にとっては、露伴の初期作品は敷居が高い。晩年の作品すらも、ルビつきの漢字ひしめく文面に尻込みする読者は少なくないだろう。「五重塔」は、いつの頃だったか教科書で出逢った記憶があるが、それとても日本文学史の明治版サンプルとして登場していたに過ぎない。「五重塔」を超えて、昭和の露伴を訪ねる具合にはなっていなかった。明治の文豪というレッテルとともに、大正・昭和の露伴は埋れ木とされていたかに見える。

 「風流仏」を22歳という若さで成したのも驚嘆ながら、それから僅か3年で、露伴は「五重塔」の名調子を得ている。斎藤孝の音読破シリーズ(小学館)に「五重塔」が抜擢されているのも頷けることで、身体を誘うリズムは音頭取りさながらに読者を導いていく。漢文の屋台骨にまとう和文が弾み、硬軟合い抱く言葉の流れが心拍に添う。声に出して読んだかどうかは不知ながら、西鶴を筆写したという露伴には、俳諧スピリットもろともに西鶴が沁みている。白川静の甲骨文字トレースは言うに及ばず、字義通り体得した文字や文章には、摩訶不思議な作用があるに相違ない。西鶴に限らず、露伴の文書には、古今を生きた人間の筆遣いが堆積されている。いかなる薀蓄もこの深い地殻から湧出する泉水であって、借り井戸の貰い水から成る教養とは比較にならない。

 露伴の文章は、晩年に近づくほどに、泰然自若となっていく。「連関記」(昭和16年)にいたっては、漢書古籍への磐石な造詣と滑稽な独白が平然と同居する。どこまでが歴史的実話でどこからが露伴の創作なのか、浅学のわたしにはその境界を知る由もないが、そもそも随筆なのか小説なのかといった境界すら消えていく。自在にして奔放に過ぎず、史実と私感を角なく居合わせる芸当は、かつての露伴が成し得た漢文と和文の同居に通じる巧みさである。

 『幻談・観画談』は、大正14年から昭和13年までの5篇を収めている。露伴50歳代後半から60歳代にかけての作品となる。いずれも読み易く、安定感のある逸品が揃っている。20歳代の囃子方は退場し、見事な地唄舞のごとき無駄のなさには文章の格がある。そもそも30代後半には小説から遠ざかり、史伝や古典の評釈へと傾斜していた露伴である。本書に掲載されている小品においても、史実や注釈と実話らしき随筆が、創作と入り混じって、虚実を越境していく。他方、具象は時に徹底し、釣りの作法など細部に及んで記されるが、いかなる仔細も必要な部分となって大局に住まう。心柄の遠近法と筆致のあいだには、躓(つまづ)きや躊躇(ためら)いがない。遠い過去も身近な事柄も、心がどちらの方向へ馳せようとも、その運動に無理はなく、文章がその息遣いに添っていく。不安に追われ、意地や見栄に押されて、小さな井戸で言葉を商う作家とは縁のない、日本文学の大きな水源である。

 さて、私事となるが、推敲の便有り難くワープロを使うようになって久しい。この堕落は、フリースにライトダウンで平然と雑煮を食すようになったことと同根である。ここまで堕ちれば、おせち料理が宅配すれすれになっても不思議はない。電子カルテの導入に眉をひそめつつ電子書籍に食指を動かしている矛盾に鷹揚になる始末も、正月の膳の延長線上にある。騙りづくしの生活に歯止めをかけるのは容易ではない。年末から露伴を読み出したのも、便利さの代償として亡くしつつあるものへの懐古や憧憬にあったのだと思う。されど、頭は漆の重箱や和服や筆硯に感服しても、身体は見向きもしようとしない。億劫なのだ。露伴の娘に生まれて台所に立つなど、いくらなんでも御免だった。やれやれ、と個別包装の切り餅パックを開けた昼下がり、平成25年はとうに明けていた。


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