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2012年07月04日

『小説的思考のススメ―「気になる部分」だらけの日本文学』阿部公彦(東京大学出版会)

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小説の寺子屋

 著者の阿部公彦氏は、書評空間における仮想クラスメートとして、ずっと気になる存在だった。過去5年間、月に2本(も)という一貫したペースで書評を続ける難行を涼しい顔でこなしているように見えるからだ。しかも、書き方が清々しい。大学で教鞭をとっているわりには、賢しらな言葉や専門用語を散りばめるでもない。活きがいいのに、踊り過ぎてもいない。何よりも読み方が面白い。異様に感覚的でありながら、緻密なロジックが控えている。感性から読むベクトルと理性から読むベクトルが、行儀良く出逢う。結果、紹介された本を読んでみたくなる。

 その阿部公彦(以下、呼び捨て御免)が、今春新刊を発表した。タイトルには、「小説的思考」などという禍々しい言葉に続いて、カタカナで「ススメ」が付され、文学指南と文学コマーシャルという本書の勘所が、すまし顔でドッキングされている。小説について論じるのではなく、その読み方を指南するのが本書の目的で、結果として小説を読んでみたくなる。しかも、例題として挙げられている作品を越えて、末広がりに興味が湧いてくるのだから、本書は歴とした文学の広告塔となっている。

 「はじめに」では、小説の読み方の概論がわかりやすく書かれていて、要約が憚れる。各論は11人の小説家ごとに章立てされ、読み方の見本が例示される。11人の小説家は、太宰治・夏目漱石・辻原登・よしもとばなな・絲山秋子・吉田修・志賀直哉・佐伯一麦・大江健三郎・古井由吉・小島信夫。著者のテリトリーの広さが窺えるセレクションだ。
 副題ともなっている「気になる部分」を気にする本番のお稽古は、オチコボレを作らない丁寧な語り口とペースで、臨場感に溢れる。「気になる部分」を羅列するという芸のない紹介で恐縮だが、見出しを見通しただけでも、気になってきてお稽古に嵌ってしまう。
 例えば、
『明暗』は「この会話は何を隠しているのでしょう?」
「家族写真」は「『は』の小説と『が』の小説」
『悪人』は「女の人はみな嘘をつくのですか?」
「妻隠」は「頭は使わないほうがいいのでしょうか?」等々と続く。

 小説からの引用箇所を片手に、一字一句を読み込んでいくのが阿部風だが、この細かさ・細やかさについては、著者自身が以下のように説明している。

本書でとりわけ注目したのは、作家ごとの、そして作品ごとの言葉の使い道です。…しかし、そこで言葉の十円や二十円をどう使うかで、驚くべき効果の違いが生まれます。比喩的に言うと、私たちは一般に億単位のプロジェクトに目がいきがちです。だから批評もどちらかというと建物や施設にからむようなお金の動きをフォローするのに忙しい。そして書く側も注目されるようなプロジェクトを打ちたてようとするあまり、十円、二十円の使い道をおろそかにするという場合がある。でも、小説の世界は一円の使い道からはじまると私は信じています。それは私たち読者にとっての言葉の十円、二十円の使い道に、生活と人生の真実があるからです。それのレベルの言葉に敏感な小説こそが私たちに訴える力を持っている。また、そういう言葉の作用に反応する術を身につけておくことで、自分にとって最良の言葉の使い方を知ることにつながっていくのではないかと思うのです。

 11作品の読み方にはそれぞれに新鮮味と説得力があり、なによりも楽しい。引用によるダイジェスト版では本書の醍醐味が失われてしまうので、ここでは、虚を突かれた章についてのみ触れてみることにする。
 小島信夫『抱擁家族』には江藤淳の『成熟と喪失―母の崩壊―』という優れた批評があるが、江藤と阿部の違いには、まるで古典的精神分析と現代精神分析の違いを見る思いがする。阿部版では、まず『抱擁家族』の読書会の模様が語られ、参加者のお喋りが記される。卑近で作品から逸脱するような俗っぽい台詞が続くのだが、その読書会の気配が小説の特徴と重なることに、著者は注意を向ける。

…読書会を通しての何よりの成果は、この小説ではいろんな人が発言して非常にうるさい、という実感が確認されたことです。まるでこの読書会のようなのです。つねに誰かがわあわあとがなりたてている。何か言っても、すぐにわあわあと頭ごなしに取り消される。

 ここでは、井戸端談話の実態と小説を関連させる視点が導入されている。この視点は、グループスーパーヴィジョンや症例検討会で、症例のテーマがグループ内力動に転移されるという観点に酷似している。おまけに、一字一句から受ける感情的インパクトや不可思議さを種子に連想していく過程は、夢分析の作業にも通じる。いずれにしても、作品(症例)を「客観的」に解釈するのではなく、それらから受ける読者(治療者)の主観を重視し、特に感覚的反応へのアンテナを大切にしながら検証していく構えは、現代精神分析の傾向と一致する。文芸批評と精神分析の関係は、フロイトの時代から親密で、精神分析の影響は、臨床よりも人文科学一般の方により大きかったのではないかと思われるほどだ。けれども、集団への転移をこれほど生き生きと活用した例があったとは知らなかった。

 この指南書が手習い初級コースだとすると、巻末には、中級以降の読者用に参考書籍やサイトの紹介が挙げられていて、アフターケアも整っている。小説マニアも小説初心者も、揃って楽しめる。是非、ご一読あれ。


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