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2012年02月27日

『追悼の達人』嵐山光三郎(中公文庫)

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嵐山光三郎という死に物狂い

 嵐山光三郎といえば、タモリのTV番組に出演するひょうきんな髭のおじさん、というイメージが拭えない。思えば30年近くも昔のことになる。矢継ぎ早にエッセイを執筆していたことなど露知らなかったわたしは、『芭蕉の誘惑(後に改題)』や『悪党芭蕉』にいたってようやく仰天することになる。もっとも、只者でない教養と風流を解するこころ(霊媒体質と換言できる)は、記憶のなかの陽気なおじさんに反目するものではない。西行を「なまぐさいほど世俗の人で」「歌を詠む007のようなもの」(『西行と清盛』)と喝破した嵐山光三郎とは、俗っぽさと死に物狂いの気魄が共存する珍しい作家なのだ。

 『追悼の達人』は、追悼文のコラージュによって明治・大正・昭和に没した文人49人の遺影を巡るという体裁で、結果として、日本近代文学史紀行となっている。稀代の企画には、元編集者としての卓見がある。
 あとがきに曰く、

追悼はナマの感情が出る。…人が死ぬのは突然だから、書く側はまだ心がうち震えており、生前の記憶が強く残っている。それで、心情をナマのまま書く。私が追悼に目をつけたのはそのためで、追悼には本心が出る。追悼が後世まで文献として残るとは思っていない。

 明治35年没の正岡子規から昭和58年没の小林秀雄にいたる歳月ともなると、追悼していた作家が追悼される側に廻る。子規を哀切こめて追悼した漱石が死ぬと、芥川は葬式で受付係をしつつ追悼句を詠む。その芥川も、12年後には念入りな遺書とともに服毒自殺をし、犬猿の仲であったはずの朔太郎が「自分の胸中を打ち明けて語るべき真の友人は芥川だった」と慟哭する。
 病死から自殺、情死から老衰にいたるまで、49人の死因は多岐にわたる。人気の絶頂で他界する作家もいれば、不動の地位を得ていた作家、死後にウナギ登りの評価を獲得する作家、忘れ去られて久しかった作家など、死の時候もそれぞれである。今なら老人の孤独死と報道されるに違いない荷風の死は、新聞・雑誌に遺体が掲載されるというスキャンダルを招く。破廉恥なジャーナリズムを激しく断罪した川端は、後年、ガス死という顛末で別のスキャンダルを巻き起こす。一方、「のたれ死にする文学的ダンディズム」と荷風を評した三島は、周知の方法で、川端に先立つことになる。
 絶叫する追悼もあれば、礼儀正しい追悼もあり、嫌味の滲むものもあれば、露骨な中傷もある。死に方も色々なら、葬られ方も多様というわけだ。バトンタッチされていく死を俯瞰し、追悼文を辿っていくと、作家の器量や生々しい愛憎模様が伺えるのみならず、文学界の歴史と流転が焙りだされてくる寸法となる。

 執筆にあたっては、すべての引用文献が新聞と雑誌に限られたという。1世紀近くにわたる膨大なマスメディア資料を単独で渉猟するというのは尋常の体力・気力では適わない。そもそも、累々たる屍への呼声を収集するという発想からして妄執に等しい。嵐山光三郎の筆は、川端康成の弔いにいたっては鬼火を放つ。

 

川端の弔辞は的確で、死者の性格を正しくとらえている。驚くべきことは、一人一人への弔辞の文体がすべて異なることである。武田へは人民文庫の文体、横光へは新感覚派の文体、菊池へは菊池に似会う、男らしくかつ人情的文体、と使い分けた。川端の弔辞は、死者の鎮魂をする秘儀でありつつ、ときとして死者を挑発する。川端にとって死者の魂は目前に実在する炎であり、炎のなかへざくりと手を差し込んでヤケドしつつも昇天寸前の魂を握りしめようとする気魄があり、同席する弔問客をほとんど意識していない。
 弔辞は、死者へむかって語りかける形をとっているが、一般的には葬儀に参加する生者に聞かせる言葉である。それは川端も同じなのだが、川端にあっては死者と自己との距離のみが重要なのであり、弔辞は故人と川端の霊界通信となる。

 無論、追悼文を発掘・調査する嵐山光三郎こそは、霊界に身投げするダイバーのようなものだ。鬼火を恐れるどころか渾身で追い掛けてしまう危うさは、深沢七郎を描いた『桃仙人』を読めば明白となる。深沢の生前葬に参列することから始まり、彼の死をもって終わる実録小説は、奇人作家深沢に没入していく嵐山光三郎の物狂い、危篤すれすれの生き方を具現している。温泉をハシゴしても、包丁を握っても、ローカル線に乗っても、はたまた「笑っていいとも!」に出没しようとも、嵐山光三郎は猛然と死に突入している。陽気で物騒なおじさんは、敢えて臨終に接近し、豪放磊落に身投げしていく。

 平成7年から4年間「小説新潮」に連載され、平成11年に単行本化された本書が、今年にいたってようやく文庫化されたことは喜ばしい。
 637ページにおよぶ本書は、死に物狂いの霊媒師嵐山光三郎による、死の紀行文である。


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