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2009年09月09日

『エーテル・デイ―麻酔法発明の日』ジュリー・M・フェンスター 安原和見 訳(文春文庫)

エーテル・デイ―麻酔法発明の日 →bookwebで購入

医療史の分水嶺を生きた群像

 麻酔のなかった時代、外科手術は何を当てにしていたのか。ざっと羅列するとこのようになるらしい。ちなみに、これは欧米の場合。1)アヘンの使用。2)アルコールの使用。3)心頭滅却。4)催眠術。5)氷冷却。6)失血による失神。7)手術部位だけを露出させるような箱や袋に患者を閉じ込める。8)痛みの程度や時間について患者に嘘をつく。
 当然のこと、痛みをコントロールするにはどれも不完全だった。手術されるくらいなら病気の進行に身を任せた方がましと考えた患者も少なくなかったし、手術を前に自殺した者もいた。ところが、驚いたことには、麻酔なしに四肢切断はもとより、開胸手術(心臓や肺の手術ということになる)までがなされていたという。上記の3番目、心頭滅却が冗談ではなかったわけだ。加えて、今日のような手術衣と外科手袋といった外科医のシンボルもありはしない。手術衣は、なんと冬外套であった。年季が入るほどに、外套は飛び散った血潮でゴワゴワになり、それとは不釣り合いに、手術台には真っ白なリネンが引かれていた。患者は覚めたままそこに寝かされて、怪奇小説さながらの外套を見上げていたことになる。これが、1846年10月16日までの手術の実状だった。

 『エーテル・デイ―麻酔法発明の日―』は、吸入麻酔の導入という医療史の画期的事件の舞台と舞台裏を描いている。舞台はボストン、マサチューセッツ総合病院。世界初の麻酔外科手術の日となった「エーテル・デイ」の緊迫した1日から始まる本書は、即座に読者を引き込んでいく。医療の専門家には是非とも読んでもらいたい一冊だが、読者層を選ばずに満喫できる実話録であり、世界的発明をめぐる群像を描くドラマは、生き生きとした社会史・文化史でもある。

 新興国アメリカの潮流、親元であるヨーロッパに絶えず秋波を送るボストンという土地柄、そのボストンに苦々しい視線を向けるニューヨークやフィラデルフィア、「ヤンキー」の発見に対するイギリスとフランスの態度の相違、当時の医師・歯科医の社会・経済的地位、大道芸の役割、知識の大衆化による講演会の流行、高邁な倫理観に支えられた医学とビジネスの接点など、興味深い歴史的事情が、吸入法麻酔の発見(発明)家である3人のアメリカ人を軸として展開する。

 科学少年のまま成人した高名な化学者・地質学者(医者でもある)チャールズ・ジャクソンは、事あるごとにフランスの威光を求める。気の多い歯科医ホラ・ウェルズは、いつも貧乏くじを引かされている。高等ペテン師のウィリアム・モートンは、一攫千金のために先手を打つことに余念がない。この3人のアメリカ人が揃うことによって初めて、エーテル麻酔が実現し、外科手術の門戸は拡がり、人類に福音がもたらされた。エーテル法は、独立後100年に満たないアメリカが生んだ初の世界的発明だった。

 「エーテル・デイ」が、なぜ1846年なのか。どうして1846年まで患者も医者も絶叫の手術に忍従しなくてはならなかったのか。答えは、「バカの壁」の一語に尽きる。

 19世紀前半、エーテルや笑気ガス(亜酸化窒素)は大道芸人によって巷間に知られ、社交パーティや学生の余興に使用されていた。後年リボルバーで一躍有名かつ富豪になったコルトも、その特許申請資金集めのために、ひと嗅ぎ25セントの笑気ガス・ショーを巡業する大道芸人だった。エーテル・デイのたった一年前には、或る医学生が、学費稼ぎのため、ブロードウェイの大劇場で笑気ガス実演会をして、爆発的人気を得ている。つまり、エーテルや笑気ガスに意識を失わせ、痛覚を麻痺させる効果のあることは、大衆周知のことだった。
 他方の専門家はというと、1800年に亜酸化窒素の研究書がイギリスで出版され、そこには「外科手術の際に利用できるかもしれない」とまで記されている。それに続く専門書が幾度も亜酸化窒素の効能と可能性について触れ、しかもこれらは欧米の専門家によって広く読まれていた。それにもかかわらず、画期的発明のお宝は、半世紀にわたって、社交の暇つぶしと大道芸の種として埋もれていたのだ。

…そしてかれらの著作を読んだ何千何万という読者も、ほとんど知っていたのである。知る一歩手前まで来ていたのに、みぞを越えることができなかった。そのせいで、エーテルの麻痺効果が麻酔法に使えると気づくことができなかったのだ。 医学の進歩は不可能だったのだろう―これほど完璧に無知の足かせをはめられていた時代には。それは知識がないという文字どおりの「無知」ではなく、知識があっても見えないという意味での「無知」だ。

 この「バカの壁」を打破するのが、ペテン師のモートンにほかならない。にわか歯科医だった彼は、お人よしのウェルズが笑気ガスによって無痛抜歯を成功させたことに、宝の原石を見出す。自らの飼い犬(その名はニグ)をはじめ農場の動物を実験台にして、虎視眈々と原石を宝石にするチャンスを狙っていたモートンは、ジャクソンの肩書と人脈を利用して、着々とマサチューセッツ総合病院に接近していく。モートンはエーテル法が抜歯に有効と確認した翌日には特許弁護士と打ち合わせ、エーテル・デイの11日後には特許申請をし、事もあろうにアメリカ合衆国は特許を与えているのだ。この迅速かつ用意周到な算盤勘定によって、エーテル法は真に重要な医学的発見としては初めての特許を獲得する。

医学の進歩という神聖な領域が、損得勘定によって浸食される時代が到来したのだ。それは医学の進歩を支える精神をそこなったが、同時に進歩を加速させることにもなる。

 他方、モートンに学術的示唆を与えたジャクソンは、モースに電信のアイデアを施しながら発明者としての名を残せなかった過去を負い、モートンとの確執と迷妄を深めていく。ジャクソンは、

モートンのような男が自分の世界に入ってくるのを許すわけにはゆかなかった。その世界では、科学は教会のように組織され、ヨーロッパ的な考えかたによって支配されている。発見というのは大家だけにできるものであり、大家と呼ばれる権利を得るには、勤勉さだけでなく品格も必要である。

 と信じないわけにはいかなかった。

 電話も飛行機もなかった時代にもかかわらず、吸入麻酔法は驚くべきスピードで全米・ヨーロッパへ伝播していく。いかに麻酔法が望まれていたかを示唆する速さである。その勢いのなかで、特許は有名無実となっていくのだが、モートンはアメリカ合衆国を相手どって10万ドルの報奨金請求をし、挙句には特許監督不履行の訴訟を起こして、ロビー活動に明け暮れては身上を潰していく。茶番のように思えるが、下院議員は確実にその茶番に巻き込まれていくのだから呆れるほかはない。

 原因はそれぞれながら、3人の発明家は揃って人事不省・錯乱状態に陥る末期を迎えている。多くの勲章と妄執を宿して、彼らは他界している。

かれらの人生ははるか昔にいきなりねじ曲げられ、安楽な約束された人生からそれて、この瞬間を目指して走りはじめた。それ以前に予想していたとおりの人生を生きていたならば、狂気をさらすことも、自殺することも、名声に傷をつけることもなかっただろう。けれども、三人は人生をねじ曲げられてしまった。三人が三人とも、まったく同じ瞬間に。それは一八四六年十月十六日午前十時半を少しまわったときのことだった。

 ボストンの5つの図書館に捧げられた『エーテル・デイ』は、19世紀の歴史・人物を専門とするフェンスター女史のはじめての単行本で、日本では唯一の翻訳である。ノンフィクションの真骨頂を堪能できる力作で、他作品の翻訳が期待される。


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