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2009年08月24日

『蝶』皆川博子(文春文庫)

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供養の花火

 『蝶』は八篇の短編から成る。いずれも20頁余りの小品だが、戦時を時代背景とした全編は、短さゆえとも言える凝縮した念を感じさせ、厳粛な光芒を放っている。時に妖気、時に殺気を放って風景を変えながらも、打ち上げられる花火のように、胸を衝く閃光の後には、重い音を身体に残す。余韻という言葉では片づけられない重さである。
 実際、多くの登場人物が短命で、死んだ者、死んでいく者、殺された者、殺した者の挟間に、生き延びた者が生息すると言っても過言ではない。いずれの死に方も生き方も残酷と哀しみを負い、希望もないかわりに慟哭も怨嗟もない。いっさいの感傷は排され、彼らの時代の日常が、凍結されていたかのように冷徹に描かれている。

 何篇かに現われる少女の原型は著者かと察せられるが、昭和4年生まれの著者がこれらを作品化するのに、戦後60年を要している勘定となる。戦死者に限らず、逝く者、逝った者への鎮魂の祈りを昇華するのに要した歳月なのだろう。『蝶』は、半世紀以上を経て放たれた、他に追随を許さない、供養の花火である。

 感傷はない。けれども、籠められた思いの丈は、挿入される詩や俳句に宿っている。解説の齋藤愼爾の言い得て妙な表現を用いるならば、それらは作品中に「象嵌(ぞうがん)されている」。
 各短編に配された詩篇や俳句の作者は、たとえば横瀬夜雨、薄田泣菫、伊良子清白といった詩人であったり、ハイネやダンセイニ、フォルといった西洋詩人であったりする。もっとも、上田敏や西條八十、堀口大學らの名訳が醸す古語調の西洋には、現代のわたしたちが失った西洋への異国情緒や当時の日本の面影が、彫り深く刻まれている。これらの詩句が冴え冴えとした白刃のように、また或る時は、凛とした草の花のように、時代を生き永らえ、無数の屍を越えて、語り継がれていく。
 白刃または草の花を語り継ぐのはこどもである。おとなにも難解なこれらの詩句は、大概の作品において、こどもによって諳(そら)んじられる。意味も解しないであろう年の端もいかないこどもに委ねられる象徴詩が、逝った者の遺し文のようにして、こどもに宿り、半世紀を経て、小説を紡ぎだす端緒となって蘇生している。

 短編の多くには、音楽がある。「象嵌」された詩句には、音色がある。詩のリズムそのものが音楽であることは言うに及ばず、実際、マンドリンやらピアノ、パイプオルガンなどの伴奏が詩に重ねられ、場面の要所で奏でられる。
 たとえば冒頭の「空の色さえ」では、ハイネの「空の色さえ陽気です。時は楽しい五月です」という詩句が、祖母によって、叔父によって、「わたし」によって繰り返し歌われる。祖母の歌うそれは、「歌詞はモダンだけれど、節は御詠歌のように哀調をおびて」いる。マンドリンを奏でながら叔父の歌うハイネは、「さても鯨の形のわるさ」までで、傍らで歌詞を黙読していた「わたし」は幾聯(れん)か先を目にして胸を衝かれる。

―「一人の子供が港に落ちた!」

―「海へはまって死んだとはさて美しい死に方だ。」

然し今、誰あって

泣こうなどとは思はない。

空の色さえ陽氣です、

時は樂しい五月です。

 無論、陽気でもなければ、楽しいはずもない。この乖離の意味を解し得ないままに、こどもの「わたし」は祖母や叔父よりも生き永らえて、そうして、わたしは「二つに別れ」ていく。一人は、歳月とともに齢を重ね、知りたくもなかった乖離の意味の断片を知らされていく。「もう一人のわたしは、祖母の家の二階にいる。そこには、うつろう時は存在しない。…わたしは歌う。空の色さえ陽気です。誰あって、泣こうなどとは思わない。誰が死のうと殺そうと、戦があろうとなかろうと、時は楽しい五月です。海は流れる涙です…」
 これ以上解説してしまうのは無粋でもあるし、実際、難しい。読んでいただくほかにない。ひとつ言えるのは、『蝶』の執筆は、この乖離した二人のわたしが融合する作業であっただろうし、齢を重ねた著者が、過去に封印されたまま歌い続ける自分を迎えに行く仕事だったに違いないと思えることだ。
 『蝶』のすべての作品は、亡霊の奏でる音色に乗って漕ぎ出す舟であり、その舟が灯すのは送り火でもあり、迎え火でもある。

 表題となっている「蝶」は、こどもも音楽も登場しない例外的作品である。ひとりの復員兵の戦後を描いた作品で、荒寥とした無彩色の世界と血と炎に凝縮される鮮紅色の世界が交錯する。最北の荒れ地、廃屋となった司祭館、薄い氷の下に透ける真夏の森の幻影、流氷の海原を疾駆する犬、石油缶に灯される焚き火などの視覚的映像が、寒風のなかで刻印される。そして、それら一切合財の戦後が、終末の銃声へと一気呵成に雪崩れて行く。銃声という音、あらゆる音楽を止める音、過去と現在の時間を繋げ、凍った時間に血脈を与え得る音が、氷原に響き渡る。後に残るのは、唯一の救済の音であるかも知れない二発目の銃声の予期である。


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