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2007年12月21日

『世相・競馬』織田作之助(講談社文芸文庫)

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蛍を追う

 折々に気がかりになる作品というものがある。わたしの場合、織田作之助の「蛍」がそれで、数年に一回は読み直す。20頁にも満たないその短編を最初に読んだのは、随分と昔のことで、昭和22年に中央公論社から出た織田作之助選集でのことだった。昭和22年とは、織田作之助が33歳で他界した年である。「蛍」は昭和19年に発表されたので、短命だった彼の晩年の作品ということになる。わたしの生まれる前から我が家にあった昭和22年版は、多くの引っ越しによる散逸を免れて、久しくわたしの手元にある。戦後間もない出版なので、紙質は劣悪で、重さは軽石のように心もとない。勿論、随分と色褪せて、先日書棚から取り上げたら、脆くなっていた表紙が呆気なく剥がれ、本体は音も立てずに床に落ちた。不意の解体に虚を突かれて見下ろすと、扉を飾る著者近影が剥き出しになって、和服姿にザンバラ髪のオダサクが歯を剥き出して笑っていた。

 太宰治・坂口安吾・檀一雄らと並んで無頼派として名高い織田作之助だが、文学史への興味が別段あるわけでもないわたしにとっては、派閥も流派も関係がない。しかも、「夫婦善哉」も「猿飛佐助」も要らない。必要なのは「蛍」だけというツレナサである。それほどまでに「蛍」は異彩を放って、わたしの心に住み続けている。

 登勢(とせ)という薄幸の女性の一生をかくも短い文章のなかに凝縮させ、しかも不足がない。簡潔でありながら、息をのむほどに繊細な描写が続く。出来事の顛末と推移が畳みかけられるようでいて、ダイジェスト版の短絡もなければ、紙芝居のような切断された場面展開もない。俗に言えば波乱万丈のはずの一生が、舞台である淀川の流れのように写されていく。幕末から維新へ向かう激動の時代を背景とし、船宿である寺田屋が舞台とあっては、激流のドラマとなっても不思議ではない。かの寺田屋事件で名高いおりょうは登勢の娘という設定で、事件もその後の龍馬遭難も記されているものの、血の騒ぐような高揚も悲嘆もない。すべては蛍の儚い火のように流れ、登勢は折々に現れる蛍の捕らえられぬ火を追って、白い手を伸ばす。

 その絶えざる流れに、蛍火のように点滅する灯を添えているのが、京弁であろう。京弁の語り言葉が書き言葉のなかに微塵の不自然さもなく馴染んで、独特のリズムを与えている。語り・書き言葉がこれほど見事に融合している文学を、わたしは他に知らない。
 添えられる会話が女言葉とは限らないが、「蛍」を読んでいると、どうしてか太宰治の「きりぎりす」が思い出されてならない。「きりぎりす」の女が軒下のきりぎりすの鳴き声にまんじりともせず耳を澄ますのに対比して、登勢は虚心に蛍へ手を放つ。太宰の女の執念に比して、オダサクの女には執着というものがない。この比較が太宰とオダサクの女性観ひいては人生観の違いを物語っているのかどうかはわからない。けれども、心中を吐露する描写のない登勢の姿は、表題の蛍そのもののように静かに放たれて、その残像を読者の心に灯す。

 「蛍」は昭和19年9月の「文藝春秋」に掲載されているが、オダサクは前月に妻の一枝を癌で失くしている。診断から半年余、壮絶な痛みの果ての死であった。本書の解説(稲垣眞美)によれば、「(「蛍」は)一枝との新婚の夜、彼女が蚊帳の中に蛍を放った思い出によっている」。登勢もまた、祝言の席をよぎる蛍火を追うのである。一枝の闘病と死が色濃く反映されているはずでありながら、いっさいの痛恨も慟哭も感じさせないまでに、「蛍」は透徹した美しさを放って、文学へと昇華されている。

 「蛍」の掲載された短編集は幾つかあったが、軒並み絶版か入手不可になっている。『世相』は、「蛍」一篇だけのために手元に置いておく価値がある。そんな感傷を持っているのはわたしだけではなさそうだ。久世光彦は『美の死-ぼくの感傷的読書』で「蛍」を贔屓(ひいき)の作品として挙げている。久世の個人的連想は中原中也の詩に飛躍する。「森の中では死んだ子が蛍のやうに蹲(しやが)んでる」(「月の光 その二」)。久し振りにデカダン詩人の詩集を紐解いて、師走の蛍狩りとなった。


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