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<title>加藤弘一の書評ブログ</title>
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<description>加藤弘一（文芸評論家）</description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2012</copyright>
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<title>『安部公房伝』 安部ねり (新潮社)</title>
<description><![CDATA[<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784103293514" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0"><img alt="安部公房伝" title="安部公房伝" src="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/4103293519.jpg" border="0" /></a>
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<p>　安部公房の一人娘、ねりによる父親の伝記である。</p>
<p>　実の娘というだけでなく、日本の全集のレベルを越える完全編年体の精緻な『安部公房全集』を編纂した人の書いた伝記だけに、資料的価値が高いことはいうまでもない。さまざまな年譜や事典の記述、最近の『安部公房・荒野の人』にいたるまでに蓄積してきた誤りを正し、安部公房の伝記的事実を明確にしたのはもちろん、別刷の写真ページが48ページもあり、それ以外にも多数の写真が掲載され、ほとんどが今回はじめて公開されたものだ。</p>
<p>　最後のセクションは「インタビュー」となっていて、『安部公房全集』の月報に掲載された関係者25名のインタビューを再録している。すでに鬼籍にはいった人がすくなくなく、関係者の日記でも発見されない限りこれ以上の話は出てこないだろう。</p>
<p>　安部の小説によく登場する山師のモデルとおぼしき叔父がいたり、安部公房自身も叔父から受けついだ商才を発揮してサイダーの製造で大もうけをしたりといった小説の反映を私生活の中に見つけだすことができるが、他の作家に較べて作品と実生活の共通点はすくない印象を受けた。</p>
<p>　むしろ興味深いのは作品には使わなかった材料が多いことだ。</p>
<p>　たとえば終戦直前、滿洲になだれこんだソ連軍は安部公房の住む奉天にも怒濤のように押し寄せてくるが、その予兆はこう語られている。</p>
<blockquote cite="pp50">
<p>　８月の終りにソ連軍が侵攻してきた。ソ連軍侵攻の３日前から、テノールの歌声が荒野の地平から地響きのように聞こえてきた。恐ろしいソ連軍の、天使のような美しい歌声の響く光景を、公房は娘の私に熱心に話した。</p>
</blockquote>
<p>　凄絶なまでの崇高美であり、
ワグナー的な陶酔と言っていいかもしれない。もちろん小説家の夢想の産物だろうが、安部公房の小説にはこの種の崇高美は絶対に出てこない。安部公房は崇高美に魅せられながらもファシズムの美学につながりかねない陶酔を自らの作品では封印していたということだろうか。</p>
<p>　本書では政治的には正反対の立ち位置だった三島由紀夫との深い友情が描かれており、ここまで信頼しあっていたのかと驚かされたが、両者は通ずるものが多かったのかもしれない。</p>
<p>　安部公房の父浅吉は南滿医学堂（後の滿洲医科大学）を卒業して医師となるが、滿洲の医大に進んだ経緯は次のように語られている。</p>
<blockquote cite="pp16">
<p>　しかしタケ（安部公房の祖母：引用者註）から聞かされていた金毘羅歌舞伎の話を思い出した浅吉は神戸に向かい、きらびやかな衣装をまとった女性と男装の女性達が歌って踊る宝塚歌劇に通いつめたという。<br />
　公房によれば、浅吉が気がついた時には医学部の試験が全て終了していた。そして、ふと見た電信柱に南滿医学堂の学生募集の貼り紙があった。</p>
</blockquote>
<p>　メルヘン的な印象を受けるが、大学受験のために北海道から上京したのに神戸まで行ってしまい、宝塚通いにあけくれて受験の機会を逃すなんていうことが本当にあったのだろうか。にわかには信じられないが、浅吉がのほほんとした好人物に思えてくるは確かだ。</p>
<p>　しかし安部公房はこんなメルヘン的な場面を描くことはなかったし、こんな好人物を作品に登場させたこともなかった。安部の小説や芝居に出てくるのは大体がひねくれた一癖ある人物か、実存的に懊悩する人物ばかりで、浅吉のような極楽とんぼは絶対に出てこない。</p>
<p>　女性像もそうだ。安部公房の父方の祖母安部タケは庄屋の家付娘で夫と子供のある身だったが、夫の出征中、近在の士族黒川勝三郎と駆け落ちをして北海道にわたるというはなはだ活動的な女性だったらしい。</p>
<blockquote cite="pp13">
<p>　1984年3月3日、夫が徴兵されたタケは勝三郎と駆け落ちをした。香川から北海道に移民が始まったのはその3年前の1891年のことが。すでに入植していたタケの妹ヤクを頼って汽車に乗って北に向かった。このとき勝三郎は30歳を越えている。駆け落ちには家族も同行した。勝三郎の父弥三郎、兄吉太郎など黒川家の6人に、タケの幼い下の娘ふたりを連れ、若干の資金を持って出発した。</p>
</blockquote>
<p>　これもすぐには呑みこめない。駆け落ちにくっついて一家の北海道移住を決めるなんていうことがあるのだろうか。その通りだとしたら、黒川家は相当そそっかしい一家ということになる（黒川家側には別の物語が伝わっている可能性がないとはいえない）。それは置くとして、恋人の一家を引き連れて北海道という新天地に向かうタケはタラの丘を目指したスカーレット・オハラに通じる美丈夫に思えてくる。しかしこういう陽性の女性も安部公房の作品には絶対に登場しないのだ。</p>
<p>　本書を読んでいると、安部公房という人は読者が期待する安部公房像を維持するために多くの可能性を自らに禁じていたのではないかという気がしてくる。</p>

<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784103293514" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→bookwebで購入</a></p>]]></description>
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<category>日本文学（小説/詩/戯曲/エッセイ等）</category>
<pubDate>Sat, 31 Dec 2011 23:30:00 +0900</pubDate>
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<item>
<title>『安部公房の“戦後”植民地経験と初期テクストをめぐって』 呉美&amp;#22979; (クレイン)</title>
<description><![CDATA[<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784906681334" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0"><img alt="安部公房の“戦後”植民地経験と初期テクストをめぐって" title="安部公房の“戦後”植民地経験と初期テクストをめぐって" src="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/4906681336.jpg" border="0" /></a>
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<p>　韓国人の安部公房研究者が東大に提出した博士論文を刊行した本である。鳥羽耕史の『運動体・安部公房』の二年半後に出た本であるが、『終りし道の標に』から『砂の女』までとあつかっている時代が重なっているだけでなく、政治運動と安部公房という視角を共有しており、鳥羽の論の強い影響下に書かれたといって差し支えないだろう。</p>
<p>　しかし重なっている部分が多いだけに、相違点も際立っている。鳥羽が1950年代の安部にポストモダンの大波に洗われ、脱政治が当たり前になっている現代日本の先駆を見ているのに対し、呉は植民地生まれの愚直なコミュニストとしての安部公房像に固執しているのだ。</p>
<p>　鳥羽は文化人類学的で人形劇を思わせる『飢餓同盟』をとりあげ、滿洲を舞台にした『けものたちは故郷をめざす』を等閑に付したが、呉は逆に『飢餓同盟』を無視し『けものたち』に一章をさいている。「<q cite="pp164">引き揚げの過程で接する他民族への眼差しの変化</q>」が他の引き揚げものの小説とは一線を画していると考えるからである。</p>
<p>　「壁」の読解も対照的だ。鳥羽は手のこんだ『資本論』読解を「壁」に読みこんだが、呉は名刺の「<q>戦時中、反抗できぬ弱虫はただ発狂することをねがった。……中略……そのじめじめした願望を現実にして奴等にたたき返し、<em>うん</em>と言わしてやるのがおれたちの復讐なんだ</q>」という台詞に着目し、こう書いている。</p>
<blockquote cite="pp076">
<p>　名刺が「ぼく」に復讐を試みた理由は、人間「ぼく」の愚かさにあった。カルマ、すなわち＜罪業＞は、戦争に抵抗できなかった「ぼく」の無力さを指している。「ぼく」から名前が逃げた原因は「デンドロカカリヤ」の「コモン君」と同じく＜戦争＞の記憶にあったのである。したがって、名前と実体の分離という変形は、戦争のトラウマが露呈した形にほかならない。主体として行動できなかった「ぼく」の愚かさは自らを客体化してしまい、その結果、名刺との分裂に羞恥心と虚脱感を感じるほかなくなってしまうのである。</p>
</blockquote>
<p>　知識人の戦争に対する悔恨と自責が名前と実体を分離させたとというわけだ。こういう直球勝負の読み方はそれなりに説得力がある。</p>
<p>　とはいえ天皇制に対する諷刺とまで言ってしまうと異和感がある。</p>
<blockquote cite="pp78">
<p>　語り手はカルマの名前を消して病院で「十五番」という名を与える。これも敗戦に対する寓意であるが、名前もない存在としてのカルマの羞恥、屈辱は敗戦が招いたことである。アメリカに占領され、&lt;occupied in Japan&gt;になった名前のない被占領状態の日本が否応もなく浮上するのである。さらに名前を失ったカルマをＹ子が三回も「人間あひる」として戯画化しているにも、極めて暗示的で、それは「人間宣言」によって戦後も存続しえた天皇制への諷刺としても読めるのである。</p>
</blockquote>
<p>　こういう読み方は無茶だろう。</p>
<p>　『東欧を行く』の相違も興味深い。鳥羽は安部公房が東欧の民族間の対立にこの時点で気づいており、国家の間の境界＝対立ではなく民族集団の間の境界＝対立を「国境病」と呼んでいること、社会主義国にも矛盾があるが、その矛盾を「プラスの矛盾」と言い換えることで擁護していることを指摘する。一方、呉は植民地と本土の対立や滿洲の民族問題には鋭敏な反応を見せていたのに、安部が東欧で見てとった民族間の対立はなぜか無視し、チェコの共産党には「民主主義」があるという言葉だけに着目している。安部が様々な社会主義的矛盾を指摘していると抽象的に書くだけで、その矛盾の重要なものが民族間の矛盾だということは触れていない。東欧旅行後の日本共産党批判にいたる過程は鳥羽の論の方がはるかに説得力がある。</p>
<p>　しかし一番違うのは『砂の女』の評価である。主人公が監視を解かれたにもかかわらず逃亡をあきらめる結末をコミュニズムからの離脱と解釈する点では両者ともに軌を一にしているが、鳥羽はそれを「自らを密室のなかへと幽閉していく志向」と、現在のオタク文化の先駆のようにとらえているのに対し、呉は「個人的＜主体＞への源泉回帰」、「平常時における闘いのあり方」と評価している。</p>
<p>　こういう論の構えだと『砂の女』の結末の評価は運動をやめた後の安部公房をどう評価するかという問題に直結するが、『砂の女』の読み方はそれだけではないと思う。</p>

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<category>日本文学（小説/詩/戯曲/エッセイ等）</category>
<pubDate>Sat, 31 Dec 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『運動体・安部公房』 鳥羽耕史 (一葉社)／『1950年代』 鳥羽耕史 (河出ブックス)</title>
<description><![CDATA[<table>
<tr><td><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784871960373" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0"><img alt="運動体・安部公房" title="運動体・安部公房" src="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/4871960374.jpg" border="0" /></a>
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</tr></table>
<p>　安部公房の年譜を眺めていると20代から30代にかけて「夜の会」とか「綜合文化協会」、「世紀の会」、「人民芸術集団」、「現在の会」、「記録芸術の会」といったグループに属していたとある。参加者は小説家、評論家、画家、音楽家、映画関係者と幅広く、1960年代以降頭角をあらわす文化人の多くが含まれている。日本共産党への入党も「会」の活動の延長だったらしい。</p>
<p>　1970年代以前にデビューした日本の作家の多くは小説家の卵の集まる同人誌を修行の場としたが、安部の場合『近代文学』の同人にはなったものの、熱心に参加したのは多ジャンルのメンバーが離合集散する「会」の方だった。同人誌の活動が戦中の反動で活発化していたことを考えると、「会」に軸足をおいた安部は珍しい新人作家だったといえよう。</p>
<p>　安部は岡本太郎らと「夜の会」を立ち上げた直後、自己の実存に視線を集中した『終りし道の標に』を刊行するが、その後社会諷刺という形で視野を広げていき、ルポルタージュ的手法をものにして『砂の女』の硬質な文体を獲得していく。20代後半から顕著になる安部の変貌には「会」の活動がなんらかの影響をおよぼしたと考えないわけにはいかない。</p>
<p>　安部公房を考える上で「会」が重要なのはわかっていたが、『世紀群』などの機関誌の多くはガリ版刷りで復刻版が出ているわけではなく、日本近代文学館に日参するとかしなければ概略をうかがうことすらできない。『人民文学』のような共産党系のクズ雑誌にも当たらなければならないだろうし、花田清輝、岡本太郎を筆頭に関係した人物の伝記や回想録にも目を通しておく必要がある。</p>
<p>　どこから手をつけたらいいのか途方にくれていたところ、まさにまん真ん中を射抜いてくれる本が出た。鳥羽耕史氏の『運動体・安部公房』と『1950年代』である。</p>
<p>　『運動体・安部公房』は三部にわかれる。</p>
<p>　第一部は総論で、潤沢な資金を見返りなしに若手作家につぎこんだ真善美社という特異な出版社を発端に「夜の会」や「世紀の会」が連鎖的に生まれ、それが共産党の引力に引き寄せられて左傾化していき、激動する政治状況の中で記録芸術の理念が若い芸術家の間にわけもたれていった経緯が素描されている。</p>
<p>　第二部と第三部は安部の個々の作品の中に「会」の活動がどのように反映しているかを論じた論文が対象作品の発表年順におさめられている。</p>
<p>　第二部「芸術運動と文学」は1948年の「名もなき夜のために」から「デンドロカカリヤ」、『壁』をへて1951年の「詩人の生涯」までをあつかうが、「マルクス主義と文学」とした方が適切かもしれない。「名もなき夜のために」の章こそ大山定一訳の『マルテの手記』の影響が論じられているものの、他の章はマルクス主義の影響がテーマだからだ。「デンドロカカリヤ」が前後して書かれた花田清輝の社会主義リアリズム批判と軌を一にしているという指摘には目を開かれたが、「壁」の名刺がマルクスの商品論の絵解きであり、「詩人の生涯」はプロレタリア独裁の寓話だというのはどうだろうか。考証部分は本当に勉強になるし、短編集『壁』が画家桂川寛との共同作業だというのは納得できるけれども、当時の文学者が『資本論』の批判的な読解をおこなっていたかどうかは留保したい。</p>
<p>　第三部「＜記録＞の運動と政治」は1952年の「夜陰の騒擾」から『飢餓同盟』、『東欧を行く』、「可愛い女」、「事件の背景」をへて1961年の『砂の女』までを論じる。それぞれ教えられるところが多かったが、一番面白かったのは『飢餓同盟』論である。鳥羽は『飢餓同盟』が杉浦明平の諷刺小説と柳田國男の民俗学を先行テキストとして成立していると指摘し、一見リアルな背景よりも戯画化された政治的人形の方にリアリティがあるとしている。</p>
<p>　『1950年代』は「記録」というタームを軸に生活綴方、サークル詩、ルポルタージュ絵画、記録映画、テレビ・ドキュメンタリーと、1950年代の左翼文化運動全般に視野を広げており、『運動体・安部公房』以上の労作である。</p>
<p>　共産党員時代の安部公房が党の指令で下丸子の労働者の文化活動の指導にあたっていたことは年譜にあるが、『安部公房全集』月報に載った『下丸子詩集』編集発行人のインタビューくらいしか手がかりがなかったので、具体的にどういう成果をあげていたのか見当がつかなかったし、サークル詩がどういう拡がりをもっていたのかもわからなかった。</p>
<p>　鳥羽によると1950年代前半には「サークル誌」と呼ばれるガリ版刷りの雑誌が各地で族生し、サークルどうしのネットワークで全国的に流通し、『人民文学』のような中央の雑誌が優秀な作品を掲載して広く知らせた。そこまでは同人誌と同じだが、同人誌が作家で身を立てたいインテリのものだったのに対し、サークル誌の担い手は労働者であり、貧困や困難を書き記す生活記録としての性格を強めていき、「へたくそ」に独自の価値を見いだしていったという。</p>
<p>　労働者たちの創作は危機感をあおる紋切り型におちいっていき、高度経済成長とともに生活条件が向上すると運動は退潮していったが、労働者と接触した作家たちには多大の刺激をあたえていた。安部公房がシュールレアリスムのシュール（上へ）をサブ（下へ）に転倒したサブレアリスム（現実の底を潜り抜けていくリアリズム）を提唱していたことを不勉強にもはじめて知った。</p>

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<category>日本文学（小説/詩/戯曲/エッセイ等）</category>
<pubDate>Fri, 30 Dec 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
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<title>『哲学の歴史 03 神との対話』中川純男編(中央公論新社)</title>
<description><![CDATA[<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784124035209" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0"><img alt="哲学の歴史" title="哲学の歴史" src="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/4124035209.jpg" border="0" /></a>
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<p>　中公版『哲学の歴史』の第三巻である。このシリーズは通史だが各巻とも単独の本として読むことができるし、ゆるい論集なので興味のある章だけ読むのでもかまわないだろう。</p>
<p>　本巻はキリスト教神学の基礎となった2世紀のアレクサンドリアの哲学からルネサンス直前の14世紀のマイスター・エックハルトまでの1400年間をあつかう。中世というくくりになるが、年代的に長大なだけでなく、ギリシア哲学を継承し西欧近代に伝えたビザンチンとイスラムの哲学、さらにはユダヤ思想までカバーしている。これだけ多彩な思想の営みを一冊に詰めこむのは無茶であるが、従来の哲学史だとまったく無視するか、ふれても普遍論争に言及する程度だったことを考えると、中世の巻を設けてくれただけでもありがたい。</p>
<p>　このシリーズは編集がゆるく執筆者を選んだらまかせきりという印象があるが、本巻はその傾向が特に強く出たように思う。後半ではラテン・アヴェロエス主義が台風の目となり、トマス・アクィナスやボナヴェントラ、ヘンリクスらをあつかった章ではラテン・アヴェロエス主義が仮想の論敵として大きく取りあげられているが、当のラテン・アヴェロエス主義を論じた章ではラテン・アヴェロエス主義などというものは存在しない、実態はソルボンヌ内部の派閥争いだったとしているのだ。執筆者間の連絡がなんとかならなかったのだろうか。</p>
<p>　他にも不満はあるが、一般向けの本がすくない分野だけに貴重な本であることは間違いない。</p>

<h5>「Ⅰ アレクサンドリアの神学」</h5>
<p>　ユダヤ思想家のピロン（フィロン）と初期ギリシア教父のクレメンス、オリゲネスのさんにんをとりあげている。</p>
<p>　ピロンは活動期がキリスト教の成立時期と重なるために注目され、35タイトルの著作がほぼすべて今日に伝えられているということである。</p>
<p>　ピロンは聖書の比喩的解釈の先鞭をつけ、ギリシア哲学との折衷をはかったことがキリスト教神学に大きな影響をあたえた。律法をノモイと訳し、「ノモイに従う人はコスモポリテース（世界市民）である」と自然法的に解して普遍化をはかるなどである。「創世記」については一日目に範例となるイデア界が、二日目以降に可感的世界が創造されたとというプラトンに準拠した二段階創造説を提唱しているが、面白いのは二つの資料の不一致を二段階説で辻褄をあわせていることである。「創世記」には「人間は神の像になぞらえかたどられた」と「ヤハウェ神は地の塵から人間を造った」という二つの人間創造説があり、今日では起源の異なる二つの文書をいっしょにしたためだとわかっているが、ピロンは一の日に創造された<ruby><rb>像</rb><rp>（</rp><rt>エイコーン</rt><rp>）</rp></ruby>は形をもたないイデアだとして神人同形論を回避し、可視的世界の人間はイデアの影（神の影の影）で神から隔たっているために堕罪の可能性があるとする。もっともイデア＝神の思考だと明言してしまうと神の一性に抵触するので、比喩にとどめる。神の思考という発想はアウグスティヌスにも継承されるという。</p>
<p>　クレメンスはキリスト教徒のための最初の学校をパンタイノスが設立したことが知られているが、主著の『雑録集』は「綴れ織り」という意味で「高齢から来る忘却への薬」としてさまざまな著作からの断片を記録している。仏陀に関するキリスト教文献最初の言及を含むということである。</p>
<p>　オリゲネスはエウセビオス『教会史』第6巻など伝記資料がたくさん残っている。アレクサンドリアの主教とまずくなってカイサリアに移住し学園を開いたが、没後、異端宣告を受けたために著作が散逸し、ラテン語訳の形でしか残っていない。ところが蔵書の方はカイサレイア主教バンピロスによって図書館が建てられ保存されたという。七十人訳の校訂をおこない、さまざまな翻訳を一覧できる『六欄対訳聖書』を刊行したことも功績とされている。</p>
<p>　『ケルソス論駁』で復活批判に反論したが、コリント書15:42を根拠に復活した肉体は復活前と異なるとする。「朽ちるものとして播かれ、朽ちないものとして甦る」というわけだ。</p>

<h5>「Ⅱ アウグスティヌス」</h5>
<p>　どこかで読んだ話ばかりで新味はない。</p>
<p>　ドナトゥス派との論争の条でキルクムケリオネスという暴力的な土地を失った下層民集団が無法を働くとあるが、映画「アレクサンドリア」に登場した「修道兵士」のようなものかなと思った。</p>
<p>　もう一方の論敵のペラギウス派はギリシア的教養に通じたローマの富裕層が基盤だった。アウグスティヌスはペラギウス派には容赦なかったが、ドナトゥス派にはずいぶん寛容である。ドナトゥス派にある種の共感を抱いていたのだろう。	</p>
<p>　『三位一体論』についてはかなり立ち入った紹介がある。いつか読んでみたい。</p>

<h5>「Ⅲ 継承される古代」</h5>
<p>　前半では自由七科に代表されるギリシア的教養を中世世界に伝えたボエティウスとカッシオドルス、後半では神学をいきなり高みに押しあげた偽ディオニュシオス・アレオパギテスとエリウゲナを紹介しているが、後者について「古代の継承」というのはどうだろう。この章は二つにわけるべきだったのではないか。</p>
<p>　ボエティウスはギリシア語を理解できなくなった同胞の教育は政治家の義務と任じて、東ゴート王国の宰相という激務のかたわら、自由七科の教科書を編纂し、アリストテレスの論理学書と『エイサゴーゲー』をラテン語に訳し、注解をくわえた。</p>
<p>　ボエティウスというと『哲学の慰め』が名高いが、カロリング・ルネサンスで評価されるまでは埋没していたという。</p>
<p>　カッシオドルスはボエティウスの地位を襲い、学問的にもボエティウスの衣鉢をついだが、神学と世俗的学問（自由七科）の両立を提唱し、引退後は故郷のスキュラケウムに隠修士のための修道院と世俗的学問のための修道院ウィウァリウムの二つを建設した。後者には膨大な蔵書を納めた図書館を設けた。写本工房もあったらしく、ウィウァリウムの蔵書は後に教皇のラテラノ宮の図書室に移管され、各地の各地の修道院に貸与されたり贈与され、広く流布したという。</p>
<p>　偽ディオニュシオス・アレオパギテスとエリウゲナはそれぞれ独立の章をたててもおかしくない大物だが、百科事典的なコンパクトな記述で終わっている。</p>

<h5>「Ⅳ アンセルムス」</h5>
<p>　最初のスコラ哲学者と呼ばれている人だが、北イタリアの貴族の家に生まれ、父親に修道院入りを反対されて出奔し、フランスの修道院にはいったという激しいところもあった。</p>
<p>　神の存在証明で知られているが、同時代人からも批判が出ていたという。あれが証明になっているとはとても思えないが、20世紀になってからカール・バルトとハーツホーンが再評価しているそうである。どう再評価したのか、知りたいところだ。</p>

<h5>「Ⅴ ビザンティンの哲学」</h5>
<p>　坂口ふみの『＜個＞の誕生』でであった名前や学説、議論に再会して懐かしかった。ここに書かれているのはほんのさわりだけだけれども、ビザンチンの神学は深い。</p>

<h5>「Ⅵ 一二世紀の哲学」</h5>
<p>　12世紀ルネサンスをアベラルドゥスを中心に描いている。アベラルドゥスとは『<a href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784003211922" target="_blank">アベラールとエロイーズ</a>』のあのアベラールである（最近、岩波文庫から新訳が出た）。</p>
<p>　アベラールといえば普遍論争だが、普遍的な物の実在を否定したために語と対象が対応する理由の説明に苦しみ、ストア派のレクトンに近いstatusという概念を編みだすが、十分発展させることなく撤退してしまったという。</p>
<p>　アベラールの神学についてはかなり詳しい紹介がある。アンセルムスと対立的にとらえる従来の説は誤りで、著者はアベラールが軸足を置くのはアンセルムスの論理学的神学だとする。サン＝ヴィクトル学派のフーゴーとの影響関係などもおもしろい。</p>
<p>　アベラールは頭はめっぽういいが性格的に問題のある人だった。教え子のエロイーズを妊娠させてしまったこともそうだが、恩師を片っ端からバカ呼ばわりしているようなところがあり、敵が多いのも当然である。異端審問にかけられたのだって神学的内容よりも性格がまねいた面があったようだ。</p>
<p>　こんなにおもしろい神学者はいない。誰か映画化しないものか。</p>

<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784124035209" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→bookwebで購入</a></p>]]></description>
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<category>哲学/思想/宗教</category>
<pubDate>Wed, 28 Dec 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『テルマエ・ロマエ』1-4 ヤマザキマリ (エンターブレイン)</title>
<description><![CDATA[<table><tr>
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</tr></table>

<p>　表題の「テルマエ・ロマエ」とは「ローマ風呂」という意味のラテン語である。マンガ大賞2010、手塚治虫文化賞短編賞などを受賞、現在第4巻が予約募集中で来年には映画が公開されるという話題作である。</p>
<p>　古代ローマの風呂技術者が現代日本にタイムスリップしてくるギャグマンガと聞いていたが、毎回どんぴしゃりの場所にタイムスリップするという御都合主義の一方で古代ローマの考証がしっかりしているのに驚いた。各話の末尾に見開きで「ローマ＆風呂、わが愛」という作者自解が載っているが、この人の蘊蓄は本格的である。</p>
<p>　著者のヤマザキマリ氏は17歳でイタリアにわたってフィレンツェの美術学校で学び、イタリア人と結婚したが、夫君はローマ皇帝の名前をそらで言えるほどのローマ帝国オタクだそうである。年季の入り方がちがうのだ。『<a href="http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2011/08/post_272.html">古代ローマ人の24時間</a>』あたりは邦訳前から読んでいることだろう。</p>
<p>　古代ローマ人である主人公のルシウス技師は現代日本人を「平たい顔族」と呼び奴隷と勘違いしているが、ローマよりも進んだ日本の風呂文化を知って感激するというのが毎回のパターンである。ルシウス技師の反応は笑えるし、大げさな感動ぶりに日本人として自尊心をくすぐられるが、それだけだったら1巻もつづかないだろう。巻が進むごとに評価が高まっているのは単なるワン・アイデア・ストーリーではなく、古代ローマの社会問題と現代日本の社会問題をリンクさせているからではないか。</p>
<p>　たとえば入浴のマナーをめぐる第7話。ローマ帝国では属州民でも25年間の兵役をつとめればローマ市民権を獲得し都市に住むことができたが、兵士あがりのニューカマーと旧来の市民との間にはいろいろと摩擦が生じた。当然、浴場でもトラブルが起きただろう。『テルマエ・ロマエ』では新旧市民の対立を日本の観光地に増えた外国人観光客の入浴マナー問題と重ねあわせ、ルシウス技師が温泉地の工夫から対立解消のヒントをえるというストーリーに仕立てている。この作品を読んでいるとローマ帝国と現代日本はよく似た社会状況にあるという気がしてきて古代ローマ人に親近感をおぼえてしまう。</p>
<p>　一話完結の不定期掲載から連載に格上げされたのはもちろん人気が高いからだが、構想がしっかり組み立てられていたことも見のがせない。</p>
<p>　ルシウス技師は第4話でハドリアヌス帝に引見され、第2巻の半ばからハドリアヌス帝お抱えの建築家になって政治の裏舞台に係わるようになる。第3巻になると連載マンガのスタイルになってストーリーが複雑化し、皇帝対元老院という政治問題に巻きこまれるようになる。</p>
<p>　ハドリアヌス帝との関係が大きな柱になっているが、帝がルシウス技師を重用するようになったきっかけは愛人のアンティノウスの不慮の死で体調を崩したことだった。アンテイノウスが亡くなったのは紀元130年だが、第1話はその2年前、紀元128年という設定になっている。絵になりマンガの材料に事欠かないハドリアヌス帝との関係を中心にしようという構想は最初からあったはずである。</p>
<p>　まもなく第4巻が出るが、読めば読むほど実によく考えられている。ハドリアヌス帝の治世はあと7年つづくし、次の次の皇帝であるマルクス・アウレリウスが早くも子役で登場している。『テルマエ・ロマエ』にはあと何年も楽しませてもらえそうだ。</p>

<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784047261273" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→ 1を購入</a></p>
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<category>マンガ/アニメ</category>
<pubDate>Sun, 25 Sep 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『エリュトゥラー海案内記』 村川堅太郎訳註 (中公文庫)</title>
<description><![CDATA[<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784122055049" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0"><img alt="エリュトゥラー海案内記" title="エリュトゥラー海案内記" src="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/4122055040.jpg" border="0" /></a>
 <a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784122055049" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→bookwebで購入</a></p>

<p>　世界史をとった人ならこの題名におぼえがあるだろう。エリュトゥラー海とはギリシア語で「紅い海」、紅海をさすが、東西の海上貿易がはじまると紅海につづくインド洋やペルシャ湾もエリュトゥラー海という言葉で総称されるようになった。</p>
<p>　『エリュトゥラー海案内記』は1世紀の半ば――クラウディウス帝からネロ帝の御代――にアレクサンドリアのギリシア系商人が書いた実務本位の地理書で、紅海北端からアラビア半島を経てインドにいたる航路にどのような交易地があり、どのような商品が売買されているか、航行にはどのような危険があるかが記されている。</p>
<p>　インド洋横断航路は南西の季節風の発見で可能になった。本書はその発見者はヒッパロスというギリシア人の舵手だとしているが（この季節風のことを「ヒッパロスの風」という）、フェニキア人やアラブ人がすでに発見していたという説の方が有力のようである。誰が発見したにせよ、プトレマイオス朝期にはエジプトとインドの海上交易がはじまっていたが、本格化するのはエジプトがローマに併合され、アウグストゥスの帝政がはじまってからだ。地中海世界にローマの平和が確立された結果、富裕層が増え東洋の奢侈品の需要が急増したからである。本書はまさにこの時期に執筆されたようだ。</p>
<p>　東西交易というと陸のシルクロードが有名だが、交易量は海上ルートの方がはるかに多かった。冒険的な西方商人はインドの南端を越えてマライ半島まで船を進めていたことが確実視されているが（プトレマイオスの地理書は彼らの情報をもとに書かれたと考えられている）、本書の著者である無名氏はローマ交易の中心地だったインド西北部のバリュガザ（現在のバルーチ）までしか行かなかったらしい。</p>
<p>　実際に訪れた土地については記述が詳しく生き生きしている。バリュガザの条を引こう。</p>
<blockquote cite="pp128:9784122055049">
<p>　ところでバリュガザのところの湾は狭いので大海から来た者にとり近づき難い。といのは右側なり左側なりに片寄ることになるからであるが、左側の方が別の側に較べれば楽に進める。即ち右側にはちょうど湾の入口に、マンモーニ村のところに当たってヘーローネーという険しい岩だらけの出鼻が横たわり、一方左手にはこれに向かい合ってアスタカブラの前面の岬があり、パピケーと呼ばれ、その辺の海流のために、また険しい岩からなる海底が錨を切り去るために停泊困難である。</p>
</blockquote>
<p>　湾内は浅瀬が多く航行が難しいので、王に仕える漁師がタグボートのような舟で出迎えにあらわれ、定められた船着き場まで曳航してくれるとある。こういうことは体験しないと書けないだろう。</p>
<p>　一方、明らかに伝聞で書いたとわかる箇所もある。中国に関する条である。</p>
<blockquote cite="pp142:9784122055049">
<p>　この地方の後に既に全く北に当たって或る場処へと外海が尽きると、其処にはティーナイと呼ばれる内陸の大きな都があり、此処からセーレスの羊毛と糸と織物とがバリュガザへとバクトゥラを通じて陸路で運ばれ、またリミュリケーへとガンゲース河を通じて運ばれる。このティス地方へは容易に到達することが出来ない。というのは此処からは稀に僅かの人たちが来るに過ぎないから。其処は小熊座の直下に位し、ポントスとカスピアー海との最も遠隔の部分に境を接するといわれる。カスピアー海の傍らにはマイオーティス湖が横たわり、大洋に注いでいる。</p>
</blockquote>
<p>　ティーナイとは<ruby><rb>支那</rb><rp>（</rp><rt>チャイナ</rt><rp>）</rp></ruby>、ガンゲース河とはガンジス河、カスピアー海とはカスピ海、マイオーティス湖とは黒海北部の内湾であるアゾフ海のことである。中国からカスピ海までの広大な地域がギュッと圧縮されたかっこうだが、歪んではいるにしても中国の絹がバクトリア経由でインド北部にもたらされるという経路は間違っていない。</p>
<p>　本書は二千年前の西洋人の世界観をのぞき見ることのできる珍しい本である。本文は40頁ちょっとだが、見慣れぬ地名や人名（そのほとんどは史書に残らなかったローカルな支配者）ばかりなので、80頁の序論と140頁の註釈がついている。地名の考証や香料や象牙、犀角、珊瑚といった交易品の解説は推理小説的で面白いが、多忙な人には向かないかもしれない。</p>
<p>　原著は奇書中の奇書だが、訳本が出た事情も異例である。「序」は校了直前に書かれたらしいが、その日付が昭和19年10月となっているのである。出版社からたびたび催促されたとか、註釈の組版で凸版印刷に面倒をかけたとあるから、空襲の激しい中、編集作業が粛々と進められていたことになる。</p>
<p>　組み上がった活版はさいわい戦火にあうことなく昭和21年1月末に上梓の運びとなった。あの物資のない時代にこんな不要不急の本がよくぞ出版にこぎつけられたものだと思う。</p>
<p>　先人の労苦に頭が下がるが、このような珍籍が安価な文庫で再刊されたのだから日本の出版文化もまだ捨てたものではない。</p>

<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784122055049" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→bookwebで購入</a></p>]]></description>
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<category>歴史</category>
<pubDate>Thu, 22 Sep 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『悲しみの歌・黒海からの手紙』 オウィディウス (京都大学学術出版会)</title>
<description><![CDATA[<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784876981137" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0"><img alt="悲しみの歌・黒海からの手紙" title="悲しみの歌・黒海からの手紙" src="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/4876981132.jpg" border="0" /></a>
 <a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784876981137" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→bookwebで購入</a></p>

<p>　紀元8年、ウェギリウスもホラティウスもすでになく、50歳になったオウィディウスはローマ随一の詩人の名声をほしいままにしていたが、滞在先のエルバ島から急遽ローマに呼びもどされ、黒海の畔の町トミスへの「左遷」を言いわたされた。元老院の正式決定でこそなかったが、皇帝アウグストゥスの意向であり事実上の流刑であった。</p>
<p>　トミスは現在のルーマニアの<a href="http://maps.google.co.jp/maps?q=44%C2%B010.4%E2%80%B2N+28%C2%B038.3%E2%80%B2E&oe=utf-8&rls=org.mozilla:ja:official&hl=ja&client=firefox-a&um=1&ie=UTF-8&ei=2k96TvnaE4HGmAWw4_G4BA&sa=X&oi=mode_link&ct=mode&cd=3&ved=0CA0Q_AUoAg" target="_blank">コンスタンツァ</a>にあたる。ミレトスのギリシア人が築いた古い植民市であり、アルゴ船が立ち寄ったとされているが、当時はローマ帝国領になったばかりの辺境の町であり、野蛮なゲダエ族が混住していた。国境のドナウ河に近いだけに冬に河面が凍れば蛮族の来襲を恐れなければならなかった。</p>
<p>　オウィディウスは『祭暦』や『<a href="http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2011/09/post_275.html">変身物語</a>』の書きかけの原稿を他の持ち物とともに火に投じてローマを出た。</p>
<p>　詩で罰っせられたオウィディウスだったが、詩なしで生きることはできなかった。流謫地でも詩作をつづけ『悲しみの歌』と『黒海からの手紙』という二作品を残した。</p>
<p>　本書の解説によると両作品とも長らく評価されず、「奴隷のように卑屈なこびへつらいの詩」、「卑屈で臆病なごますりの言葉」等々とくさされてきたという。ようやく再評価されるようになったのは第二次大戦以降である。</p>
<p>　確かに作風は一変し女々しい自己憐憫の言葉が目につくが、ラシーヌよりボードレールを上におくこの国の読者には初期や中期の作品よりむしろ親しみやすいのではないか。</p>
<p>　後に古典主義と呼ばれる文学理念では詩は普遍を描くべきとされ、特殊なもの、個別的なものは詩の対象として値がないと見なされていた。地方色や個人的な体験が堂々と詩に描かれるようになったのはロマン派以降のことにすぎない。オウィディウスの流謫地での作品にはロマン派より1800年も早く地方色や個人的な体験が歌われているのである。</p>
<p>　トミスの様子を教えてほしいという友人にオウィディウスは書き送っている。</p>
<blockquote cite="pp217:9784876981137">
<p>この海岸にはギリシア人とゲタエ族とが混在していますが、<br />
　治安のよくないゲタエ族が大半です。<br />
サルマタエ族やゲタエ族の大群が<br />
　馬に乗って道を行ったり来たりしています。<br />
その中で、矢筒と弓を持たぬ者、<br />
　蛇の胆汁で薄黄色の矢を持たぬ者は皆無です。<br />
声は荒々しく、顔つきは恐ろしく、軍神マルスの真の姿をとり、<br />
　髪の毛は切られたことなく、髭も剃られたことなく、<br />
右手は小刀を突き立て傷を与えるにすばやく、<br />
　蛮族の者は一人残らず腰に小刀を差しています。</p>
</blockquote>
<p>　オウィディウスは個人的な思いのたけもなりふりかまわず吐露している。たった一人僻遠の地に流され病に伏した心細さを詩人は訴える。</p>
<blockquote cite="pp100:9784876981137">
<p>この最果ての地と人々の中で、私はぐったりとなって横になっており、<br />
　弱り果てた私に思い浮かぶのはすべてここにはないものばかり。<br />
あらゆることが思い浮かぶが、妻よ、お前がすべてを凌駕して、<br />
　私の胸の半分以上をお前が占めている。<br />
ここにはいないお前に私は話しかけ、私の声が呼ぶのはお前一人。<br />
　お前なしでは夜も昼も私の所には来ない。</p>
</blockquote>
<p>　このような語り口はわれわれにはおなじみだが、ロマン派までは詩とは認められなかったのだ。オウィディウスの後期作品は時代をはるかに先取りしていたといえるかもしれない。</p>
<p>　「卑屈なこびへつらい」、「卑屈で臆病なごますり」とくさされたのはアウグストゥス帝に減刑嘆願の書簡詩を書いたからだが、実際に読んでみると「卑屈」とは感じなかった。</p>
<p>　オウィディウスは流刑地をローマの近くに変えてほしいと嘆願した後、こんなことを書いている。</p>
<blockquote cite="pp58:9784876981137">
<p>でも、もし私の罪がなければ、どうしてあなたは寛大さを示すことが<br />
　できたでしょう？　私の運命があなたに寛容の機会を与えたわけです。</p>
</blockquote>
<p>　親子ほども年の違う老帝に対してため口をきいていると感じたのは日本的な誤解だろうか。</p>
<p>　詩人は忠誠心をアピールするためにこうも書いている。</p>
<blockquote cite="pp60:9784876981137">
<p>さらに言う必要があるでしょうか、私の罪の元になった本でさえ<br />
　千の箇所であなたの名前で一杯だったということを？<br />
未完のもっと大きな作品を調べてみて下さい、<br />
　――信じられない仕方で変容を遂げた者たちの本を――
あなたはそこにあなたの名前の賛辞を見つけることでしょう、<br />
　私の忠誠心の証拠を数多く見つけることでしょう。</p>
</blockquote>
<p>　帝の不興をかった原因をオウィディウスは「詩と罪」と書いている。「罪」は帝の孫娘がらみといわれているが、具体的なことは明らかにされていない。「詩」は『恋愛指南』をさすが、オウィディウスは同作は遊女のために書いた本であり、最初の頁で「高潔な女の手が降れないように警告」したと弁明している。さらに天下のウェルギリウスも同罪だと切り返す。</p>
<blockquote cite="pp87:9784876981137">
<p>しかし、あなたの『アエネイス』のあの幸運な作者は<br />
　「英雄」をテュロスの女王の床に導き、<br />
全巻の中で最もよく読まれているところといえば、
　不義の恋の部分にほかならない。<br />
この同じ作者は、ピュリスと優しいアマリュリスの恋の火を<br />
　若いときに牧歌の調べで戯れにつくった。<br />
私もまた随分昔にそのようなものを書いて、罪を犯した。<br />
　古い罪が新しい罰を受けているというわけだ。</p>
</blockquote>
<p>　異国人の誤解かもしれないが、わたしにはへりくだっているのは表面だけで、腹の中では皇帝に舌を出しているように感じた。</p>
<p>　自作に対する自負も並々ならぬものがある。蛮地についたばかりの頃は原稿を焼いたと書いていたが、焼いたのが事実だとしても作品は後世に伝わっているわけで本気で湮滅しようとしたわけではあるまい。</p>
<p>　落ち着いてくるとローマの友人宛にこんな書簡詩を書いている。</p>
<blockquote cite="pp141:9784876981137">
<p>私の詩を整理してくださっているのですか、<br />
　作者を破滅に追いやった『恋愛指南』以外の詩を？<br />
そうして下さい、お願いします、新詩人の称賛者よ、<br />
　可能な限りローマに私の体を引き留めてください。<br />
私には追放が宣告されましたが、本には追放は宣告されませんでした。<br />
　本はその主人の罰を受けなくてもよかったのです。</p>
</blockquote>
<p>　『恋愛指南』は公共図書館で廃棄されたもののオウィディウス作品の出版が禁止されたわけではなかったのだ。</p>
<p>　オウィディウスは妻への書簡詩に墓に刻む墓碑銘を書き記した後、こうつづけている。</p>
<blockquote cite="pp104:9784876981137">
<p>碑銘にはこれで十分。というのも、私には碑銘より本の方が<br />
　より大きな永続的な記念碑であるからだ。<br />
私は確信している、本は作者を傷つけたけれども、<br />
　また作者に名声と永遠の命を与えてくれるだろうと。</p>
</blockquote>
<p>　詩人は流謫地にあってなお意気軒昂である。</p>

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<category>海外文学（小説/詩/戯曲/エッセイ等）</category>
<pubDate>Wed, 21 Sep 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『変身物語』上下 オウィディウス (岩波文庫)</title>
<description><![CDATA[<table><tr>
<td><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784003212011" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0"><img alt="変身物語 上" title="変身物語 上" src="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/4003212010.jpg" border="0" /></a>
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<td><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784003212028" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0"><img alt="変身物語 下" title="変身物語 下" src="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/4003212029.jpg" border="0" /></a>
 <a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784003212028" target="_blank" ><br /><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→下巻を購入</a></td>
</tr></table>

<p>　オウィディウス中期の代表作であり、ヨーロッパ文学の古典中の古典として著名な作品である。ヨーロッパ人がイメージするギリシア・ローマ神話は本書であって、まかりまちがっても<a href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784003211014" target="_blank">アポロドーロス</a>ではない。西洋古典絵画はほとんどが本作にもとづいていて、美術史を学ぶ上でも必読書とされている。</p>
<p>　15巻1万2000行の叙事詩形式の雄編で、『アエネイアス』の向こうを張って書かれたといわれているが、一貫したストーリーはなくギリシア・ローマ神話のさまざまなエピソードに託して恋愛や家族愛、情欲、嫉妬を描いている。</p>
<p>　一貫したストーリーはないが、テーマは一貫している。「変身」である。オウィディウスは神のわがままや気まぐれによって、あるいはみずからの意志で他の生物に変身するさまを最近のSFX映画のようにありありと描いてみせる。</p>
<p>　どれもみごとな描写ばかりだが、ここではパエトンの姉妹が彼の死を傷むあまり樹木に変わってしまう条を引こう。</p>
<blockquote cite="pp67:9784003212011">
<p>　あるとき、長女のパエトゥーサが、大地にひれ伏そうとしていながら、急に足がこばわって動かなくなったと訴えた。まばゆいばかりに色白のマルペティエが、姉のそばへ駈け寄ろうとすると、これも、突如根が生えたように、動けなくなった。つぎの妹は、手で髪の毛をかきむしろうとしていたが、見ると、むしり取られたのは木の葉だった。ひとりは、脚が固まって木の幹になったと嘆き、もうひとりは、腕が長い枝に化したと悲しむ。彼女たちがこの出来事に驚いているうちに、樹皮が下腹部を包み、腹部、胸部、肩、手というふうに、しだいに上へあがっていく。口だけが残っていて、母親を呼び求める。が、母親に何ができるだろう？　ただ、うろうろと、あちらこちらへ駈け寄って、時間の許すかぎり、口づけをしてやることしかない。しかし、それだけでは足りなくて、娘たちのからだを幹から引き離そうと試みたり、細い枝を手で折りとってみたりする。と、そこから、傷から出るかのような血の滴が、滴り落ちるのだ。<br />
　「やめてちょうだい！　お願いだから、お母さん！」傷つけられた娘は、こう叫ぶ。「やめてちょうだい、お願いだから！　あなたが裂いている木は、わたしたちのからだなのだもの。ああ、これがお別れ！」――樹皮が、この最後の言葉をふさいでしまった。そして、そこから、涙が流れ落ちる。できたばかりの枝からしたたるこの樹脂は、日光で凝固して、琥珀となり、澄んだ流れの河がこれらを受けとって、ローマへ運び、妙齢の婦人たちの身につけられることとなった。</p>
</blockquote>
<p>　ほとんど映画ではないか。映画が発明される二千年も前にイメージの変容をコマ送りのように精密に追いかけることがどうしてできたのだろう。人間の想像力は最初から完成の域に達していたということか。</p>
<p>　『変身物語』の登場人物は牡鹿に変えられたり、蛇に変えられたり、イルカに変えられたりする。きわめて稀だが、獣に帰られた人間が元に戻されることもある。</p>
<p>　河の神イオナコスの娘イオはユピテルにおいまわされるが、ユピテルは彼女を追いかけているところを妻ユノーに見つかりそうになり、あわてて彼女を真っ白な雌牛に変えてしまう。ユノーの機嫌がなおったところで、ユピテルはイオをもとの姿にもどしてやる。</p>
<blockquote cite="pp46:9784003212011">
<p>　女神の怒りが和らぐと、イオはもとの顔をとりもどし、姿も、前どおりになった。からだからは荒い毛が抜け落ち、角がなくなる。丸い目が小さくなり、大きく裂けた口もせばまる。肩と手が、もどって来る。ひづめは消えて、五本の指の爪に変わる。まぶしい白さのほかには、雌牛のおもかげはどこにもなかった。二本の脚の働きを頼りに、乙女は、真っすぐに立つこともできている。しかし、ものをいうことは恐ろしかった。雌牛のようにモーと泣きはしないかと心配なのだ。そして、久しぶりの言葉を、おずおずと口に出してみる。</p>
</blockquote>
<p>　オウィディウスの世界では人は動物になり、動物は人になる。人と動物の垣根は低く、神々のちょっとした気まぐれで行ったり来たりさせられる。</p>
<p>　オウィディウスはなぜこれほど変身のテーマにこだわったのだろうか。どうもピタゴラスの思想がからんでいるらしいのである。</p>
<p>　最後の第15巻に変身の秘密をうかがわせるエピソードが出てくる。ローマを建国したロムルスのあと、世評に高いヌマが第二代の王に推戴されるが、ヌマは見聞を広めるために旅に出る。ヌマが訪れたのは南イタリアのクロトンの町である。ヌマは土地の古老からかつてクロトンに住んでいたピタゴラスの教えをさずかる。</p>
<p>　ピタゴラスは現代ではピタゴラスの定理など数学の業績で知られるが、古代には肉食と豆食を禁ずる禁欲的な教団の教祖として知られていた。クロトンはピタゴラス教団が誕生した地である。</p>
<p>　ヌマがさずかった最初の教えは食の禁忌だった。かつて「黄金時代」と呼ばれた時代、人は木の実や草木を食するだけで幸せだった。生けるものみなは、罠を知らず、欺瞞を恐れる必要もなかった。いたるところに平和がみちていていた。ところがある時どこかの誰かが獅子の食べ物を羨んで肉をくらい、それを意地きたない腹へ送りこむことを始めた。人は重い鋤を牽いて畑を耕してくれる牛を屠り、あろうことか牛殺しを神々が犠牲を求められたからだと神々のせいにしている。</p>
<p>　なぜ肉食がいけないのか。ピタゴラスの教えによれば生命は死んでも生まれ変わり、輪廻転生してつづいていく。現世では人でも来世では動物に生まれ変わるかもしれないし、逆に現世は動物でも前世では自分の親や子供だったかもしれない。子牛の喉にナイフを突き立てる行為は家族殺しに等しい行為なのである。</p>
<blockquote cite="pp308:9784003212028">
<p>　霊魂も、つねに同じものではありながら、いろんな姿のなかへ移り住む――それがわたしの説くところだ。だから、警告しよう。口腹の欲に負けて、人の道をあやまってはならぬ。そのためには、非道な殺戮によって、われわれの同類というべき魂たちをそのからだから追い出してはならないのだ。生命によって生命を養うことは許されぬ。</p>
</blockquote>
<p>　生命の観点から見れば変身と輪廻転生は同じだ。生きたままの生まれ変わりが変身であり、死を契機にした変身が生まれ変わりである。</p>
<p>　オウィディウスがピタゴラスの徒だったかどうか、生まれ変わりを本当に信じていたかどうかはわからない。流謫後の『<a href="http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2011/09/post_276.html">悲しみの歌</a>』には魂の永世を茶化すような一節があるからだ。</p>
<blockquote cite="pp103:9784876981137">
<p>私の魂は私の肉体とともに消滅し、私の<br />
　いかなる部分も貪欲な火葬の薪から逃れることがありませんように！<br />
というのも、魂が不死で空中高く飛んでいき、<br />
　サモス島の老人ピュタゴラスの言葉が本当だとすれば、<br />
ローマ人の亡霊がサルマティア人の亡霊の間をさまようことになり、<br />
　永遠に野蛮な亡霊の中で異邦人でありつづけるだろうから。</p>
</blockquote>
<p>　死後も流刑地の蛮族とつきあうのはごめんだから、肉体とともに魂も滅びてくれというわけだ。ピタゴラス教団の一員だったらこんなことは書けないだろう。</p>
<p>　しかし第15巻の前半をまるまる費やして教説を祖述するのはよほどピタゴラスにいれこんでいるからだろうし、人から動物へ、動物から人へとたやすく移行する『変身物語』の世界はピタゴラスの輪廻転生の世界と地つづきでつながっている。西洋の古典中の古典に輪廻説が封じこまれていた可能性を考えるのはおもしろい。</p>

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<link>http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2011/09/post_275.html</link>
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<category>海外文学（小説/詩/戯曲/エッセイ等）</category>
<pubDate>Tue, 20 Sep 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『恋愛指南』 オウィディウス (岩波文庫)</title>
<description><![CDATA[<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784003212035" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0"><img alt="恋愛指南" title="恋愛指南" src="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/4003212037.jpg" border="0" /></a>
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<p>　ラテン文学の黄金時代を代表する詩人、オウィディウスによる恋愛の指南書である。</p>
<p>　オウィディウスはカエサルが暗殺された翌年、アペニン山中のスルモ（現在のスルモナ）に生まれ、15歳になると勉学のためにローマに出た。アウグストゥスが帝政をはじめた頃である。ウェルギリウスやホラティウスはアウグストゥスと同年代だから、一世代あとということになる。</p>
<p>　ウェルギリウスやホラティウスはアウグストゥスら有力政治家の庇護を受け、ローマの繁栄をたたえる硬派の作品を残したが、子供の世代にあたるオウィディウスはエロチックな恋愛詩で民衆の喝采をはくした。さらには男女の機微をあけすけに書いた本書を上梓してさらに文名をあげた。中期になると露骨にアウグストゥスにごますりをはじめるが、青年時代は反骨精神があったのかもしれない。</p>
<p>　オウィディウスはユゴーに対するボードレールにあたるような立ち位置にあったと考えても間違いではないだろう。ボードレールは風俗紊乱のかどで罰金刑を受けたが、オウィディウスには辺境の地に流刑になるという悲劇が待っていた。</p>
<p>　本書は反骨精神が旺盛だった頃に教訓詩のパロディの形で恋愛指南をおこなった長編詩で、洒脱な語り口といい、露悪趣味といい、ローマ社会の爛熟を感じさせる。スタイルは古典主義そのもので、なにかというとギリシア神話を引きあいに出すが、ローマの風俗に言及した部分もある。</p>
<blockquote cite="pp36">
<p>　だが君は焼き鏝を当てて髪を巻き毛にして悦に入ったりしないことだ。ざらざらした軽石で脛をこするのもやめたまえ。</p>
</blockquote>
<p>　質実剛健をもってなるローマでも、女性にもてるためにパーマをかけたり脱毛したりする軟弱な若者がいたわけだ。共和制から帝政に変わる時期の生活がうかがえる史料としても貴重である。</p>
<p>　女性の望むものも現代とさして変わらない。</p>
<blockquote cite="pp15">
<p>　よくあることだが、お目当ての女性の膝に塵が落ちかかるようなことがあったら、指で払い取ってやらねばならぬ。たとえもし塵など全然落ちかかってこなくとも、やはりありもせぬ塵を払い取ってやりたまえ。なんでもいいから、君が彼女に尽くしてやるのに都合のいい口実を探すのだ。</p>
</blockquote>
<p>　オウィディウスは詩人だが詩の限界はよく知っていて、女性には詩よりも贈物だと現実的なアドバイスをしている。</p>
<blockquote cite="pp68">
<p>　やさしさあふれる詩をも贈れなどと、どうして私が勧めたりしようか。悲しいかな、詩歌は大して敬意を払われはしない。詩歌は誉められはするが、求められるのは立派な贈り物なのだ。金持ちだというだけで、異国の蛮人でさえも（女たちに）好かれるのだ。まことに当代こそは黄金時代である。黄金のあるところ名誉もまた多く群がり、愛も黄金で手に入る。</p>
</blockquote>
<p>「愛も黄金で手に入る」とは身もふたもないが、永遠の真実だろう。</p>
<p>　日本では本当の年齢を聞きだすために干支を訊いたりするが、古代ローマにも同じような手段があった。生まれた年に誰が執政官だったかを聞くのだ。</p>
<blockquote cite="pp91">
<p>　何歳だとか、誰が執政官だった年の生まれかなどと、訊いたりしないことだ。そんなことは厳格な監察官の務めである。ことにも女が花の盛りを過ぎ、女盛りも終わってしまい、白髪を見つけては抜いているような場合はなおさらのことだ。おお、若者たちよ、この年頃の、あるいはもっと年増の女は、身のためになるぞよ。こういう畑こそは稔りをもたらす、こういう畑にこそ種をまくにふさわしい。</p>
</blockquote>
<p>　ローマ時代にも熟女ブームがあったということだろうか。ローマ女性が恋愛に積極的だったのは確かなようで、こういう一節もある。</p>
<blockquote cite="pp46">
<p>　接吻を奪ってからは、満願成就までなにほどのことがあろうか。ああ、なんたることぞ。そんなのは恥じらいではない、野暮というものだ。力ずくでものにしてもいい。女にはその力ずくというのがありがたいのである。女というものは、与えたがっているものを、しばしば意に添わぬ形で与えたがるものだ。</p>
</blockquote>
<p>　本書は三巻構成になっていて、第一巻は女性と知りあうまで、第二巻は女性をものにするまでのテクニックが披露されているが、第三巻では女性が男性を落とすための技術が指南されている。</p>
<p>　男をつかまえるにはあらゆる機会を使えというアドバイスはいいとして、夫を失った女性に対して夫の葬式がボーイハントのチャンスだと勧めるのはどうしたものか。確かに喪服の女性は美しく見えるが。</p>
<blockquote cite="pp121">
<p>　釣り針は絶えず垂らしておくがいい。こんなところにまさかと思う淵にも魚はいるだろう。森に覆われた山を猟犬どもが駆けまわっても無駄だということもよくあるが、誰が駆り立てたわけでもないのに、鹿が網にかかることもあるものだ。縛りつけられたアンドロメダには、涙を流して誰かの心をとらえることのほかに、どんな望みがあるのだ。夫の葬式の際に新たな夫が求められるということがよくあるものだ。髪をふり乱しこらえきれずに泣く姿がよく映るのだ。</p>
</blockquote>
<p>　ローマ時代は不倫が盛んだったが、不倫の証拠になるものを相手の男に握られたら危険だという実践的な教えもたれている。</p>
<blockquote cite="pp125">
<p>　しかしながら、髪紐を巻くという名誉ある地位はもたないにせよ、旦那に隠れて不貞をはたらいてみたいとの願いをいだいているからには、小間使いや奴隷の不器用な筆つきで手紙を書かせ、心の証となるものを、不慣れな奴隷に託するようなことはしてはならぬ。そんな心の証を後生大事にとっておくような男は信が置けない男だが、とはいうものののやはりアエトナ山の雷霆のようなものを手中にしてはいるのだ。女たちが哀れにもそんな恐怖に蒼ざめて、いつまでも男の意のままにされているのを、この私は眼にしたことがある。</p>
</blockquote>
<p>　現代のフェミニストが呼んだら目を剥きそうな条もある。</p>
<blockquote cite="pp">
<p>　男たちは確かに騙すこともあろうが、だからといって、そなたたちがどんな損をするというのだ。なにもかも元通りなのだから。千人もの男がそなたのからだをむさぼったとしても、それで失われるものはなにひとつない。鉄だって摩滅するし火打石も使っているうちに摩り減るが、あの部分だけは存分に使うに耐え、摩耗したりすることはない。</p>
</blockquote>
<p>　なんともコメントのしようがない。</p>
<p>　オウィディウスは紀元8年、51歳の時にアウグストゥス帝によって黒海沿岸のトミスに追放される。はっきりした罪状はわかっていない。本書の刊行のためとも、アウグストゥスの孫娘にオウィディウスがちょっかいを出したためともいわれているが、綱紀粛正のためにスケープゴートにされたという説が有力なようである。</p>
<p>　スケープゴートにされたとすれば、オウィディウスがエロチックな詩で有名になったけしからぬ詩人だったからだが、もう一つ、初期においては皇帝におもねらない独立独歩の姿勢を示していたこともあるかもしれない。</p>
<p>　若気のいたりといっていいかどうか本書にはアウグストゥスの機嫌をそこねたかもしれない一節がある。</p>
<blockquote cite="pp17">
<p>　つい最近のこと、カエサルが模擬海戦でその模様を再現して、ペルシア軍とケクロプスの末裔（アテナイ人）との軍船をわれわれに見せてくれたが、あのりはまあどうだ。あちこちの海から若者たちが、また若い娘たちがやってきて、広大な全世界がローマ一都の中に収まったかの観があった。これほどの人々が群集まった中で、愛する相手を見つけられぬ者があっただろうか。</p>
</blockquote>
<p>　ここでいう「カエサル」はユリウス・カエサルではなく称号としての「カエサル」であり、皇帝のアウグストゥスをさす。アウグストゥスはBC2年、マルス神殿を寄進した記念にヤニクルムの丘に巨大な池を掘ってサラミスの海戦を再現した大規模な模擬海戦を興行した。訳注には「彼はこれを誇りにしていたが、オウィディウスはそれにはふれず、ただ大勢の人が集まるので、男女出会いの場を提供した出来事としか見ていない」とある。確かにこれでは機嫌をそこねるだろう。</p>

<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784003212035" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→bookwebで購入</a></p>]]></description>
<link>http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2011/09/post_274.html</link>
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<category>海外文学（小説/詩/戯曲/エッセイ等）</category>
<pubDate>Mon, 19 Sep 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『ラテン語名句小事典』 野津寛 (研究社)</title>
<description><![CDATA[<p>
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<p>　コンピュータのおかげで調べ物は格段にたやすくなった。電子辞書は以前から重宝していたが、ちょっとした単語ならインターネットで無料で調べられるようになった。自動翻訳の訳文は読めたものではないが、知らない言語の文章のおおよその意味がわかる程度の精度には達しており、それはそれでありがたい。</p>
<p>　しかしラテン語のような過去の言語となると数がぐっと減るし、引用句を調べるとなると<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Latin_phrases" target="_blank">英語版Wiki</a>くらいしか思いつかない。ラテン語の決まり文句や格言、金言は今でも欧米語の文章中によく引用されるから需要はあるはずなのだが。</p>
<p>　サーチエンジンで検索するという手もあるが、関係ないページが多すぎて正解にたどりつくまでが手間である。たとえば diem perdid&#x12b; を検索すると最初に出てくるのがダイエットのサイトだったりする。</p>
<p>　ラテン語の引用句辞典は英語なら定評のある<a href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fbooksea%2ecgi%3fISBN%3d9780415969093">Routledge</a>のが手ごろな値段で出ているが、日本語では岩波書店から出ている『<a href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784000800129" target="_blank">ギリシア・ラテン引用語辞典</a>』がほとんど唯一の選択肢だった。しかしギリシア語やラテン語の基礎知識のない者には敷居が高いし、値段も六千円を越えているのでよほど必要に迫られないと手を伸ばしにくいだろう。需要と供給の問題になるが、ラテン語の辞書も羅英辞典ら<a href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fbooksea%2ecgi%3fISBN%3d9780553590128">安くていいもの</a>が出ている。</p>
<p>　最近ラテン語の知識がなくても使える名句事典が岩波版の半分の価格で出たので紹介しよう。野津寛編著の『ラテン語名句小事典』で、岩波と較べると判型は一回り大きいもののページ数は1/4である。</p>
<p>　さきほどの diem perdid&#x12b; を引くとこうある。</p>
<blockquote cite="pp74"><p><strong>diem perdid&#x12b;</strong><br /><strong>ディエム ペルディディー</strong><br /><strong>私は一日を失った</strong> [Suet. <i>Tit.</i>8]<br />▼スエトニウス『ローマ皇帝伝』によれば、その情け深さで民衆に好かれた皇帝ティトゥスは、自分に会いに来た人々に常に何らかの約束を与え、希望を与えて帰していたが、誰にも何も与えなかった日は、後悔して「私は一日を無駄にした」と言ったという。</p></blockquote>
<p>　「一日を無駄にした」ということでダイエットのサイトの表題になっていたわけである。</p>
<p>　ラテン語の読みはローマ字と同じだが、カナで読みが書いてあるのは心強い。和訳の後ろの [Suet. <i>Tit.</i>8] はスエトニウスの「ティトゥス皇帝伝」第8章という意味で、凡例に出典の略語の一覧があるが、多くの項目では説明の部分に「スエトニウス『ローマ皇帝伝』」のように出典を織りこんであるので凡例にもどる必要はない。</p>
<p>　すべてではないが、簡単な文法解説もはいっている。</p>
<blockquote cite="pp175"><p><strong>mend&#x101;cem memorem esse oportet</strong><br /><strong>メンダーケム メモレム エッセ オポルテト</strong><br /><strong>嘘つきは記憶が良くなければならない</strong> [Quint. 4.2.92]<br />▼クインティリアヌスは、演説家が演説の中で嘘の陳述を行う場合、その演説全体を通じ首尾一貫して嘘を貫かなければならず、どんな嘘をついたかをよく覚えている必要があると言っている。人はついた嘘を忘れてしまう傾向があるからである。<br /><span style="border:thin solid teal; margin:2pt;">文法</span>mendacem 嘘つき＜<span style="border:thin solid teal; margin:2pt;">男</span>  mendax の単数・対格＞/memorem 記憶力がよい＜<span style="border:thin solid teal; margin:2pt;">形</span> memorの男性・単数・対格＞/esse oportet ～であるべきである＜<span style="border:thin solid teal; margin:2pt;">動</span>sum の不定法現在＋<span style="border:thin solid teal; margin:2pt;">非人称・動</span> 直接法現在＞</p></blockquote>
<p>　よけいな情報と考える人もいるかもしれないが、ラテン語は動詞だけでなく名詞も活用するので、こういう説明がないと初心者は辞書を引くのもおぼつかないのである。</p>
<p>　ラテン語の引用には聖書の章句も多いので聖書由来の言葉も上げておこう。</p>
<blockquote cite="pp221"><p><strong>omnia munda mund&#x12b;s</strong><br /><strong>オムニア ムンダ ムンディース</strong><br /><strong>清い人にはすべてが清い</strong> [新約聖書「テトス書」1章15節]<br />▼この後に「しかし、汚れた不信仰な者には、清い物は一つもなく、その精神も良心も汚れてしまっている」と続く。</p></blockquote>
<p>　文脈の解説があるので聖書の当該箇所にあたる手間が省ける。出典を参照すればいいという人がいるかもしれないが、聖書ならともかく、ウェギリウスやオウィディウスの元の文章を調べるとなると大変な手間である。</p>
<p>　もちろん近世以降の名句も載っている。</p>
<blockquote cite="pp150"><p><strong>in [ad] &#x16b;sum Delph&#x12b;n&#x12b;</strong><br /><strong>イン[アド] ウースム デルピーニー</strong><br /><strong>王太子御用（の）、（卑猥な箇所などが）削除された（本）</strong><br />▼文字通りの意味では「皇太子が使用するための」となる。ちなみに、フランスの国王ルイ14世の息子の教育のために39人の学者によって注釈を施され出版された古典作家のコレクションのテキストでは、教育上不適切箇所がほとんどすべて削除されていたという。</p></blockquote>
<p>　読む事典としてもなかなかのものである。</p>
<p>　これだけ使い勝手のいい事典が三千円ちょっとで手に入るのはありがたいが、普通の平綴じなのですぐにガタがきそうである。長く使いたい本なので500円くらい高くてもいいから装丁をもうちょっと頑丈にしてほしかった。</p>

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<category>言語/語学</category>
<pubDate>Thu, 01 Sep 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『古代ローマ人の24時間』 アンジェラ，アルベルト (河出書房新社)</title>
<description><![CDATA[<p>
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<p>　表題のとおり古代ローマの一日を事実にもとづいて再現した架空ルポルタージュである。著者はイタリア国営放送で科学番組のキャスターを長年勤めてきた人だけに、ローマ帝国絶頂期の帝都に実際にテレビカメラを持ちこんで番組を作ったかのような臨場感にあふれている。</p>
<p>　時は五賢帝の二番目、トラヤヌス帝の治政の終わりに近い紀元115年。ちくま文庫版『ローマ帝国衰亡史』でいえば第一巻、塩野七生の『ローマ人の物語』でいえば第九巻にあたる。とある火曜日の夜明けから深夜までを時間を追って描いているが、カメラは奴隷市場から元老院の内部まで自由自在にはいりこみ、歴史書や映画だけではわからない古代都市の生活をリアルに描きだしている。</p>
<p>　この時代のローマは1800ha（新宿区とほぼ同じ面積）に、120万人（新宿区の4倍！）の人口がひしめいていた。新宿西口のビル街にあたるような巨大建築が林立する公共区域や新宿御苑にあたるような神域が大きな面積を占めていたから居住区域は狭く、建物は上に伸びるしかなかった。ドムスと呼ばれる一戸建ての邸宅はわずか1700戸しかなく、かなり裕福な者でも4万棟以上あったインスラと呼ばれる集合住宅に住んでいた。</p>
<p>　インスラの高さは18m以下（6階建相当か）と法令で定められていたが、貸し手市場だっただけに違法建築が後をたたず、後から上に継ぎ足す危険な建物が多かった。現代では眺めのいい最上階が一番高いが、この当時は逆で金持ちは二階に住み、上に行けば行くほど貧乏人が住み、最上階は貧民窟だった。一階は商店や工房になっていたが、商人や職人は中二階を作って家族で住んでいた。</p>
<p>　インスラにはトイレはなかった。昼の間は外の公共トイレを使い、夜はおまるで用をたした。おまるの中味は一階においてある壺にためることになっていたが、上の階に住む者は下まで運ぶのがめんどくさいので、窓から路地に捨てる不心得者がすくなくなかった。見つかればもちろん厳罰である。</p>
<p>　インスラで集めた尿は洗濯屋が金を払って引きとった。尿は洗剤の代わりだったのである。洗濯屋は道路脇に壺を置いて尿を集めたが、それだけでは足りないのでインスラから買ったわけだ。</p>
<p>　現代ともっとも違うのは奴隷がいたことだ。奴隷は戦争捕虜や外国から売られてきた者が多かったが、捨子や犯罪を犯したり破産したりして奴隷身分に落とされた者、貧しさから自分で自分を奴隷に売る者もいた。奴隷はローマ市民の正装であるトガの着用を禁じられており、金属製の首輪をはめられている者もいた。</p>
<p>　奴隷の持ち主は金持ちだけではない。貧乏人でも生計のために奴隷を持つ者がいた。奴隷を賃仕事に貸しだすことで現金収入がえられたのである。能力のある奴隷には主人が資本をあたえ、商売をさせることもあった。大きな利益をあげれば奴隷でもいい暮らしができ、自由を買いもどすこともできた。奴隷の解放は制度化されており、解放奴隷はローマ社会の活力源となっていた。</p>
<p>　労働時間は現代より短く、大体昼には仕事を終えていた。インスラの狭い家にもどっても窮屈なだけなので、ほとんどのローマ市民は浴場で時間をつぶしたり、コロッセオで公開処刑や見せ物を見物した。浴場には温水浴室や冷水浴室などさまざまな風呂があり、運動場が併設されていた。現代のスーパー銭湯とスポーツ・ジムを兼ねたようなものと考えればいいが、現代と異なるのは混浴だったことだ。</p>
<p>　このほか料理や饗宴、剣闘士の試合、裁判、教育、本屋（タキトゥスとすれちがう！）と、生活の細部まで蘊蓄を披露している。</p>
<p>　現代の都市生活そのままの部分もあれば、現代では想像もつかない部分もあるが、ローマ人たちが二千年前とは思えないくらい高度な文明を享受していたのは間違いない。都市に住むというのは25年間の兵役に値する特権だったのだ。</p>
<p>　訳文は平明で読みやすい。服装や髪型などは挿画が理解を助けてくれるが、欲をいうならローマの地図や住居の間取りの平面図もほしかった。</p>

<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784309225319" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→bookwebで購入</a></p>]]></description>
<link>http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2011/08/post_272.html</link>
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<category>歴史</category>
<pubDate>Tue, 30 Aug 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『哲学の歴史 02 帝国と賢者』 内田勝利編 (中央公論新社)</title>
<description><![CDATA[<p>
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<p>　中公版『哲学の歴史』の第二巻である。このシリーズは通史だが各巻とも単独の本として読むことができるし、ゆるい論集なので興味のある章だけ読むのでもかまわないだろう。</p>
<p>　本巻では紀元前4世紀から紀元後6世紀まで、アリストテレスの没後からユスティアヌス帝によるアカデメイア閉鎖までの850年間をあつかう。ヘレニズム期から古代の終焉まで、つまり古代後期というくくりになるが、一冊本の哲学史だと数頁ですましているものが多い。数頁でもさくならいい方で、まったく無視しプラトン、アリストテレスからいきなり中世末期の普遍論争へ飛ぶという書き方をしている本もすくなくない。</p>
<p>　従来の理解だとヘレニズム期は不毛な折衷主義の時代、ローマ哲学はギリシアの模倣で片づけられ、新プラトン派にいたってようやく評価されるものの、キリスト教教父哲学に影響をあたえたという視点からの評価にすぎない。古代後期は哲学的には不毛な時代と決めつけられて来たのだ。</p>
<p>　しかし暫く前からこうした捉え方が変わってきているらしい。きっかけはソクラテスとプラトンの地盤沈下である。</p>
<p>　ソクラテスとプラトンにいたってギリシア哲学が完成したという見方はニーチェ以来大きく揺らいでいる。ハイデガーやハイデガーに影響を受けた木田元氏の『<a href="http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2009/12/post_173.html">反哲学史</a>』のような哲学史ではプラトンのイデア説はギリシア土着の考え方とは異質であり、プラトン没後、揺りもどしが起こってソクラテス以前の自然哲学が復活したという見方が出てきている。</p>
<p>　古代後期においてソクラテスとプラトンは懐疑主義の伝統から理解される傾向にあり、イデア説はお伽話の一つでしかなかったらしい。イデア説が復活したのは新プラトン派のおかげであり、キリスト教教父哲学にとりいれられたのは新プラトン派的に改変されたプラトンだった。今日我々が知っているようなプラトンは古代後期においては知られていなかったといっていい。プラトンの巨大な影をとりさってみれば、850年におよぶ思惟のいとなみはまったく別の相貌を見せるだろう。</p>
<p>　「総論　地中海世界の叡知」はこうした価値転換を踏まえながら古代後期の哲学史を概観しており、すこぶる刺激的である。ここでは次の一節を引いておこう。</p>
<blockquote cite="pp21">
<p>　古代哲学を総体として俯瞰するかぎり、主要な動向としては、プラトン、アリストテレスの哲学を別格の（あるいはほとんど孤立した）存在として傍系に置き去りにするようにして、初期ギリシア的な思想基盤がそのままヘレニズム以降にまで連続一体的に継承されていったものとみなすべきであろう。この時代を代表するストア学派やエピクロス学派は、個々人の生死のあり方に関わる倫理的問題に哲学の焦点を当てながらも、その一面においては、「ソクラテス以前」の宇宙論的体質をきわめて強く受け継いでいるのを見て取ることができる。彼らは共通して、宇宙世界がどのように形成され、現にどのようにあるかについての考察を第一義とし、それを踏まえることで人間の生の意味と運命を洞察しようとしている。</p>
</blockquote>
<p>　注目されるようになってから日が浅いので研究はまだ進んでおらず、編者の内田氏は「豊穣な未開拓地」と呼んでいる。この未開拓地には今日的な意義がある。ポリスというまとまりがこわれ危機と混乱にあけくれたヘレニズム期はグローバリズムに揺れる現代の状況と共振するものがあり、「埋もれた叡智」の再発見が喫緊の課題だというのだ。</p>

<h5>「Ⅰ エピクロスと初期エピクロス学派」</h5>
<p>　古代後期をあつかう本巻がまずとりあげるのはエピクロスである。エピクロスはBC341年に生まれ、アリストテレスが亡くなったBC322年には21歳だった。エピクロス派とともに古代後期を代表するストア派を開いたキティオンのゼノンはBC335年頃に生まれたという説が有力で、エピクロスよりやや年少だったらしい。</p>
<p>　アリストテレスが亡くなる前年、アレクサンドロス大王が崩御しアテネではマケドニアに対する反乱が起きた。エピクロスはサモス島の生まれだったが、アテネの市民権を得ようとアテネに加担して戦う。だがアテネが敗北したためにサモス島にいられなくなり、当時蔑まれていた読み書き教師をしながら各地を転々とする。この遍歴時代に原子論と出会い、独自の立場を確立していったらしい。</p>
<p>　32歳の時、かつてアリストテレスが逗留しアテネに次ぐ学問の中心だったレスボス島で自分の学園を開いたが、ペリパトス学派と対立したためか小アジアのランプサコスに移り、ここで35年間すごし主著の『自然について』の大半を書いている。アテネで「エピクロスの園」と呼ばれる学園を開くのは72歳になってからである。</p>
<p>　エピクロスはデモクリトス以来の原子論にクリナメンという概念を導入し、自由意志を根拠づけたとされているが、クリナメンはルクレティウスの造語でエピクロスは「逸れる運動」と呼んでいたらしい。クリナメンは空間の極小単位から単位への飛躍であり、一部で言われているような斜めにずれる運動ではない。本章の著者は決定論の否定であっても、自由意志の証明ではないと注意をうながしている。</p>

<h5>「Ⅱ ゼノンと初期ストア学派」</h5>
<p>　エピクロス派の次はストア派である。ストア派はアテネのアゴラわきの<ruby><rb>彩画列柱廊</rb><rp>（</rp><rt>ストア・ポイキレ</rt><rp>）</rp></ruby>を本拠にしていたことからそう呼ばれている。</p>
<p>　開祖のキティオンのゼノンはキプロス島のフェニキア人植民都市の出身でセム系ではないかという説もあるそうだ。アテネに出てきたゼノンは本屋でクセノポンの『ソクラテスの思い出』を読んで感じるところがあり、小ソクラテス派に学んだが（ストア派の論理学はメガラ派の影響があるらしい）、ソクラテスが斥けた自然研究に傾斜し、魂の主導的部分は物体としての<ruby><rb>気息</rb><rp>（</rp><rt>プネウマ</rt><rp>）</rp></ruby>という立場を確立していった。ロゴスと一致した生き方がストア派の金科玉条であり、宇宙論の延長上に倫理説がある。</p>
<p>　ゼノンの学説を発展させ論理学・自然学・倫理学の三部門を整備したのは第三代学頭のクリュシッポスだが、その浩瀚な著作はほとんどが失われてしまい断片が残るにすぎない。クリュシッポスが完成したストア派の論理学はアリストテレスの主語＝述語論理学とは発想を異にする命題論理学であり、現代の数学者によって再評価されているが、同時にレクトンという意味を中心とした言語論でもあり、この面はジル・ドゥルーズが『意味の論理学』でスリリングな読み直しをおこなっている。</p>
<p>　ストア派というと克己主義の道徳を連想する人が多いが、現代思想に直結する思索をおこなっていたのである。</p>

<h5>「Ⅲ 古代懐疑主義」</h5>
<p>　アリストテレスが去った後もアテネでは諸学派が学説を競いあい、学問の都として地中海世界に君臨しつづけた。諸学派の交流は盛んで、論争をつづけるうちにしだいに旗幟が鮮明になっていった。</p>
<p>　新興のストア派とエピクロス派はそれぞれ強烈なドグマを主張していたが、実証主義のペリパトス派はドグマが弱かったためにアテネでは影が薄くなってしまった。</p>
<p>　アカデメイア派はドグマを持たないという立場を打ちだし存在感を示した。その代表者は第六代学頭となったアルケシラオスである。アルケシラオスはペリパトス学派やストア派に学んだ後、最終的にアカデメイア派を選ぶ。彼は無知の自覚に立ち論駁に徹する初期対話編のソクラテスを理想とし、<ruby><rb>判断保留</rb><rp>（</rp><rt>エポケー</rt><rp>）</rp></ruby>を提唱する。</p>
<p>　アルケシラオスの判断保留の立場の背景にはもう一つ、エリスのピュロンの無動揺主義があった。ピュロンはアレクサンドロス大王の東征に従軍し、インドで火に焼かれても動じない行者を見て強い印象を受けた。動揺しないためにはあらゆる判断をさしひかえる必要があるというわけだ。</p>
<p>　アルケシラオスの判断保留はあらゆる議論を袋小路に追いこんだソクラテスに倣い問答法と結びついていたが、アカデメイア派は問答法から離れ、無知を積極的に主張するようになる。不可知論がそれ自体ドグマになると、到達不可能な絶対の認識を目指すストア派と原理的に変わらなくなってしまう。紀元後のアカデメイア派はストア派と五十歩百歩になっていたようだ。</p>
<p>　1世紀のアイネシデモスはアカデメイア派に学んだが、ストア派化したアカデメイア派にあきたらなくなり、ピュロンの原点に返ろうとしてピュロン主義を提唱する。このピュロン主義がルネサンス以降に復活し、近代懐疑主義を生みだすことになる。</p>

<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784124035193" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→bookwebで購入</a></p>]]></description>
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<category>哲学/思想/宗教</category>
<pubDate>Mon, 29 Aug 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『アステカ帝国滅亡記―インディオによる物語』 トドロフ＆ボド (法政大学出版局)</title>
<description><![CDATA[<p>
<a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784588004445" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0"><img alt="アステカ帝国滅亡記" title="アステカ帝国滅亡記" src="http://booklog.kinokuniya.co.jp/images/noimage.gif" border="0" /></a>
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<p>　もう8年前になるが、レオン＝ポルティーヤの『<a href="http://www.horagai.com/www/book/read/rd2003a.htm#R005">インディオの挽歌</a>』という本を読んで文学性の高さに驚き、感銘を受けた。</p>
<p>　コロンブス到達以前のアメリカというと人身御供にあけくれる石器段階の未開人しかいなかったと思われがちだが、チャールズ・マンの『<a href="http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2008/01/1491_nhk.html">1491</a>』やライトの『<a href="http://www.horagai.com/www/book/read/rd2001a.htm#R008">奪われた大陸</a>』にあるように、マヤやアステカ、インカ、アマゾン河流域、ミシシッピー河流域には同時代のヨーロッパやアジアの大国に引けをとらない高度な文明が存在した。そこには知識人階層が存在し、多くが殺されたとはいえ生きのびた者もいた。</p>
<p>　アステカで生きのびた知識人はキリスト教に改宗し、子弟にスペイン語やラテン語の教育を受けさせた。読み書きを学んだ子供たちはナワトル語をアルファベットで書きあらわすようになり、親や兄弟から聞いたアステカ滅亡の&#39002;末を文字にした。布教のためにナワトル語を修得した宣教師の中にも古老の聞書を書き残す者がいた。</p>
<p>　インディオの視点から描いた亡国記は多数あったらしく、ほぼ完全なかたちで現存するものが12点、断片が残るものが40点あるという。『インディオの挽歌』はこうした記録の中から見せ場を抜きだし、ひとつづきの物語になるように編集した本だった。感動的ではあったが、元のテキストはどんなものだったのだろうという疑問が起きた。</p>
<p>　本書はアステカ滅亡を記録した文書を6点選び、現代フランス語に訳した本の邦訳である。『インディオの挽歌』のような翻案と違って学術的な翻訳であり、訳出した部分には省略はないということである。各文書の解題を翻訳にあたったナワトル語の研究者のジョルジュ・ボドが書き、巻末の解説は『<a href="http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2011/07/post_270.html">他者の記号学</a>』のトドロフが担当している（本書は『他者の記号学』の資料篇として企画されたらしく、同書の翌年に出版されている）。</p>
<p>　ボドによればインディオの記録が残った背景にはフランシスコ会改革派の千年王国運動があった。ヨアキム・デ・フローリスの千年王国論ではキリストの再臨と最後の審判の前には最後の非キリスト教徒の回心により慈愛の王国が地上に実現するとされていたが、一握りのスペイン人があっという間に広大な帝国を征服した奇跡、神の摂理に合致したかのようなインディオの清貧と謙虚な生きかた、インディオの自発的な集団的回心に、フランシスコ会改革派はメキシコこそ千年王国を築くべき地であり、最後の非キリスト教徒とはインディオのことだと考えるようになった。</p>
<p>　フランシスコ会は組織的にアステカ文化の調査に着手した。サアグンの『ヌエバ・エスパーニャ諸事物概史』もその一環として編纂されたが、『概史』が完成した直後、フェリペ二世はフランシスコ会の千年王国構想の全貌を知り、『概史』を押収するとともにインディオ文化の研究を禁止した。為政者にとって千年王国は危険思想であり、アメリカ各地では先住民の反乱があいついで不穏な情勢だった。先住民に誇りをもたせるような動きはつぶしておくのが賢明だったろう。</p>
<p>　フランシスコ会が収集し編纂した記録の多くは失われたか行方不明になったが、『概史』の原本は押収の直前ヨーロッパに持ちだされ、いかなる経緯をたどったのかフィレンツェのロレンツォ図書館に収蔵されて19世紀に発見されることになる。</p>
<p>　18世紀にイエズス会がインディオのユートピアを作ろうとした話は『<A href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-JCD%3d4907953035522" target="_blank">ミッション</a>』という歴史大作になって広く知られているが、16世紀のメキシコでフランシスコ会がこんな動きをしていたとは。</p>
<p>　閑話休題。本書には6篇の記録が納められている。ナワトル語のテクストが3篇、スペイン語のテクストが3篇だが、ナワトル語のテクストにはヤオクイカトル（「戦争の歌」）やイクノクイカトル（「孤児の歌」）といったアステカ伝来の口承文芸の形式を踏襲した条を含んでいるということである。対句や畳句を多用しているので口承文芸であることは翻訳でもわかる。古拙な味わいがすばらしい。スペイン語のテクストは平明だが、味わいが乏しい。</p>
<p>　政治的視点は口承が誕生した地域、もしくは情報提供者の属する地域によって明確に三つにわかれる。</p>
<p>　第一は湖上の帝都テノチティトランに向かう堤道を扼する位置にある都市国家トラテルコの視点である。トラテルコは最後までテノチティトランの同盟者だったが、皇帝とテノチティトラン人には辛辣であり、スペイン人に抵抗した主役は自分たちだと主張している。</p>
<p>　第二はスペインの消極的な同盟者となった都市国家の視点で、自分たちの功績を誇ることもなく公平である。</p>
<p>　第三はスペイン同盟軍の中核となった都市国家の視点で、コルテスに対する忠誠を宣言し手柄自慢が多い。</p>
<p>　アステカ帝国の支配層だったテノチティトランの視点で書かれた記録は残っていない。テノチティトランの人々は虐殺され、生き残った者も奴隷化されたり疫病で大量死したことが考えられる。また征服初期にはテノチティトランの文物が徹底的に破壊されており、絵文書はことごとく焚かれたと考えられる。</p>
<p>　個別の文書に移ろう。まずナワトル語のテクストである。</p>

<h4>『フィレンツェの絵文書』</h4>
<p>　フィレンツェのロレンツォ図書館で発見されたサアグンの『ヌエバ・エスパーニャ諸事物概史』からスペイン征服を語った「第十二の書」を収録している。1550年から1555年にかけてサアグンがトラテロルコでおこなった古老からの聞きとりがもとになっている。</p>
<p>　テノチティトラン陥落から30年たっているが、描写は細かく迫力があり、6篇の中では文学的完成度がもっとも高いと感じた。おそらく征服から間もない時期に口承の叙事詩が作られ伝承されていたのだろう。</p>
<p>　スペイン人来寇の10年前にあらわれたとされる前兆の彗星の描写からはじまっているが、ここではモクテスマが人質にとられる場面を引用しよう。</p>
<blockquote cite="pp120">
<p>　スペイン人は宮殿に着き、その中に入ると、モテクソーマをしっかりと捕らえて放さず、ずっと見張っていて、もはやモテクソーマから目を離さなかった。モテクソーマと共にイツクァウツィンがいたが、しかしそのほかの者は出ていってしまった。<br />
　このようなことがおこなわれる一方で、はやくもその時、火のラッパが火を吹いた。目の前の万物が揺れ動いたかと思われた。みな呆然とした目付きで、やみくもに走りだした。方々からパンパンという音が聞こえた。人々はまるで息も絶えなんばかり、ただただ弱り果ててしまい、毒茸にあたってふらふらとなったかのごとく、何か得体の知れないものを目の前にしたかのようであった。</p>
</blockquote>
<p>　「火のラッパ」とは火縄銃と大砲のことである。新大陸にいなかった馬をノロ鹿と呼ぶなど、征服当時の呼称が残っていて生々しい。</p>
<p>　スペイン人はテノチティトランで歓待されたにもかかわらず、皇帝を人質にとってウィツィロポチトリ祭に集まった貴族や神官、戦士を虐殺し、神殿に籠城した。その攻防戦の条を引こう。スペイン人は銃、大砲、弩弓、鉄剣、鉄槍、鉄の甲冑で武装していたが、アステカ側は棍棒や石斧、石槍くらいしか武器がない。</p>
<blockquote cite="pp140">
<p>　そして四日間の戦闘の後に、優れた戦士のうちから選ばれた勇猛果敢な戦士、勲章に覆われ、白兵戦を生き抜いてきたこれらの選ばれた戦士たちが神殿の頂上によじ登っていった。彼らは二本の大梁と神々の木と言われている何本もの樫の木の太い丸太を上に運び上げた。それらを高いところに持ち上げて、スペイン人の上に投げ落とそうとしたのである。<br />
　しかしスペイン人も、ただちによじ登った。神殿の頂上に向かった。彼らスペイン人は隊列を組んでやってきた。縦と横に隊列を組んでやってきた。先頭にたつ者は、火のラッパを手に持つ者で、彼らはゆっくりと登ってきた。立ち止まることもなく、手持ちの火のラッパを発射しながら前進してきた。人を突き刺すのもこの武器だった。第二列目には金属の弓をもつ者、金属の弓を使用する者がやってきた。第三列は金属の剣をもつ者、こうもり槍をもつ者がやってきた。<br />
　そのとき、勇敢な戦士たちは一丸となって、丸太、巨大な樫の丸太をスペイン人に投げつけたが、まったく無駄なことだった。スペイン人はこの丸太を彼らの盾で実にあっさりと押し返してしまった。たちどころに、この丸太は役に立たなくなった。そしてスペイン人は頂上につくと、そのとき、ただちにメシーカ人に四方八方から襲いかかり、突き刺し、めった斬りに葬った。ただちに、そのとき、勇敢な戦士たちは神殿の階段から身を投げた。それはまるで黒蟻のように、落ちて行った。スペイン人は神殿の上に登っていたすべての勇敢な戦士たちを、その高みから投げ落とした。ことごとく神殿の外に投げ落とした。そのときいち早く逃れ去れる者は一人としていなかった。虐殺を済ませると、スペイン人はそれからすみやかに引きかえした。ただちにもどって籠城した。</p>
</blockquote>
<p>　アステカ側はいったんスペイン人を撤退させるが、スペイン側は同盟軍を組織して再び攻め寄せてくる。80日間の死闘の末にテノチティトランは陥落する。住民は逃げようとするが、逃げ道はスペイン人の制圧する堤道か湖しかない。</p>
<blockquote cite="pp210">
<p>　舟にいた者、木組の足場の棧敷上で生活していた者、トルマエイェカンの人々、これらすべての者たちの逃れる先は水中のみであった。水はある者には腹に達し、ある者には胸に達し、またある者には首に達した。そして水が深いところでは、何人かは水中に没した。ごく小さな子供たちは大人が背負って運んだ。嘆きの声がいたるところで起こった。陸の道に到達した者は喜び、喚声を上げた。小舟の所有者、舟のあるものはほとんど夜のうちに出ていった。とはいえ、しかしながら昼に立ち去る者もあった。まるで押し合いへし合いのありさまであった。<br />
　一方、道沿いのいたるところでスペイン人は住民から強奪をしていた。彼らが求めたのは黄金であって、翡翠やケツァル鳥の羽毛、トルコ石には目もくれなかった。身分の高い女はこうした黄金を胴着やスカートの中などところかまわず身につけていた。我ら男たちも、腰布や口の中のいたるところに黄金をしまいこんでいた。<br />
　さて、スペイン人は、女、きれいな女すなわち小麦色の身体をした女を列から引きずり出して、選び取った。なかには引きずり出されそうになったときのために、顔に泥を塗り、つぎはぎだらけのぼろを腰にまとって、胴着にはぼろを着こむ女たちもいた。彼女たちは全身ぼろだらけにしたのだった。</p>
</blockquote>
<p>　この後、最後の皇帝クァウテモクが投降し、黄金のありかを尋問される場面がつづくが尋問の主役はマリンチェである。奴隷に売られた女がスペイン人に代わって皇帝を問いつめているのだから世は無常だ。</p>

<h4>『トラテロルコ編年史』</h4>
<p>　テノチティトラン陥落から7年しかたっていない1528年にトラテロルコの無名氏によってナワトル語で書かれた記録である（パリ国立図書館グーピル・コレクション所蔵）。1528年という編纂年は記録中に記載されている。</p>
<p>　記録は五つの文書からなる。最初の四つは王名表や王朝の系図だが、最後の文書はアステカ人の伝説的な移住以前からスペイン人による征服までのトラテロルコの歴史をつづった年代記になっている。</p>
<p>　筆者名はわかっていないが、1523年にはフランシスコ会のペドロ・デ・ガンテ師がトラテロルコで布教を開始しており、テスココに先住民に読み書きを教える学校を開いているから、おそらくフランシスコ会と密接な関係のあったトラテロルコの<ruby><rb>書記生</rb><rp>（</rp><rt>トラクイロ</rt><rp>）</rp></ruby>か<ruby><rb>学者</rb><rp>（</rp><rt>トラマティニ</rt><rp>）</rp></ruby>であり、ペドロ・アルバラードによる神殿での虐殺の生き残りだろうといわれている。</p>
<p>　神殿の虐殺の場面は俯瞰的な視点ではなく、まさに目の前で起きている事出来事として描かれており、『フィレンツェの絵文書』よりも即物的で生々しい。</p>
<blockquote cite="pp223">
<p>　神をたたえる歌を歌うものは衣類はいっさい着けていなかった。身に着けているものといえば、貝殻、トルコ石、唇飾り、首飾り、アオサギの羽飾り、ノロ鹿の足のみであった。長太鼓を叩く者は、瓢箪の鈴、タバコ入れ用の瓢箪をもっている小さな愛すべき古老たちであったが、まさにこの人々にたいしてスペイン人はまず攻撃の火蓋を切った。この人たちの手を切り落とし、頭を突き刺した。そしてすぐに彼らは死んでいった。神をたたえて歌っていた者、見物していた者がことごとくその場で死者となった。<br />
　スペイン人はわれわれを攻撃し、三時間にわたってわれわれを虐殺した。スペイン人は住民を神殿の中庭で虐殺した。それからすばやくスペイン人は建物の中に侵入し、人々を皆殺しにした。それらは水を運んで来た者、馬の餌を運び込んで来た者、トウモロコシの粉を作っていた者、地面を帚ではいていた者、見張りに立っていた者などであった。</p>
</blockquote>
<p>　テノチティトラン陥落後にアステカの遺民がなめた苦しみはイクノクイカトルという哀歌形式で書かれている。</p>
<blockquote cite="pp234">
<p>通りにも、広場にも、うじ虫がうごめく、<br />
家の壁には、飛び散った脳味噌。<br />
染めたような真っ赤な水、<br />
飲んでみれば、<br />
塩辛い硝石の水。<br />
それでも飲んだ、この硝石の水。</p>

<p>……中略……</p>

<p>ひとの値段が決められた。<br />
若者、神官、<br />
若い娘、子供の値段が<br />
わずかとうもろこし二つかみ分、<br />
沼地バエの平たいパン一〇枚のみ、<br />
ひとの値段がわずか<br />
ギョウギシバの平たいパン二〇枚分のみ、</p>
</blockquote>

<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784588004445" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→bookwebで購入</a></p>]]></description>
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<category>歴史</category>
<pubDate>Wed, 10 Aug 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『他者の記号学―アメリカ大陸の征服』 トドロフ (法政大学出版局)</title>
<description><![CDATA[<p>
<a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784588001994" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0"><img alt="他者の記号学―アメリカ大陸の征服" title="他者の記号学―アメリカ大陸の征服" src="http://booklog.kinokuniya.co.jp/images/noimage.gif" border="0" /></a>
 <a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784588001994" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→bookwebで購入</a></p>

<p>　スペインのアメリカ征服を記号学の視点から分析した本である。著者のツヴェタン・トドロフはロラン・バルトの弟子で、文芸批評家として知られた人である。</p>
<p>　なぜアステカやマヤの滅亡に記号学が関係あるのか、なぜ文芸批評家が首を突っこむのかと訝しむ人が多いかもしれない。トドロフはブルガリアからフランスに留学していついた人で、フランスではよそ者である。植民地問題や他者の問題に敏感で『<a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784588007071">われわれと他者―フランス思想における他者像</a>』のような著書もある。本書もその系列の仕事で、近代ヨーロッパが誕生しようとしていた時に遭遇したアメリカ先住民を鏡にして、近代ヨーロッパのアイデンティティを探ろうという試みである。</p>
<p>　本書は四部にわかれる。「Ⅰ 発見」ではコロンブス、「Ⅱ 征服」ではアステカを記号の力で制圧したコルテス、「Ⅲ 愛」ではインディオ救済に生涯をかけながらインディオとすれ違いを演じたラス・カサス、「Ⅳ 認識」ではインディオをようやく他者として認識するようになった晩年のラス・カサスとインディオ側の亡国の記録を後世に伝えた宣教師たちを論じている。</p>
<h4>Ⅰ 発見</h4>
<p>　まずコロンブスである。本書ではコロンブスを「コロン」と表記するが、これはフランス語の本だからではなく、コロンブス自身が25歳以降、コロンボという伝来の姓を捨てコロンという表記に固執したからである。コロンブスの業績を書き残したラス・カサスは コロンとは「新たに植民する」、クリストバルとは Christum Ferens で「キリストを運ぶもの」という意味で、コロンブスは自分は姓名が意味するところを実現すべく神に選ばれたという考えに動かされたとしている。</p>
<p>　コロンブスは自分自身だけでなく、すべての事物がそれにふさわしい名前をもたなければならないと考えていた。コロンブスはインディオがどう呼んでいるかにはお構いなく「発見」した土地に<ruby><rb>美しい平野</rb><rp>（</rp><rt>ベル・プラド</rt><rp>）</rp></ruby>、<ruby><rb>銀の山</rb><rp>（</rp><rt>モンテ・デ・プラタ</rt><rp>）</rp></ruby>、<ruby><rb>乾いた岬</rb><rp>（</rp><rt>プンタ・セカ</rt><rp>）</rp></ruby>等々と勝手に名前をつけていく。</p>
<p>　コロンブスはジェノヴァ語、カスティーリャ語、ラテン語など、ラテン系の言語を自由にあやつる多言語生活者だったが、ラテン系の言語が普遍的と思いこんでいて、異質の言語があるという意識が欠落していたらしい。インドを目指す航海に出発したのもアラビア人天文学者アルファルガニの算出したアラビア海里をイタリア海里と同じと思いこみ、インドまでの距離を短く誤認したからにほかならない。</p>
<p>　異質の文化、異なるコードがあるという自覚のない人間がインディオと出会ったのだから誤解の連続だった。コロンブスはインディオは善良で気前がいいと褒めちぎるが、ほどなく野蛮な泥棒だと評価を逆転させる。コロンブスには自分と同じ人間か、文化をもたない動物なみの生き物かという二つのカテゴリーしかないのだ。トドロフは書いている。</p>
<blockquote cite="pp58">
<p>　彼の態度は二つに分けられるが、それはつぎの世紀に引きつがれるだけでなく、実際上、現代の植民地支配者一人一人の、被支配者としての原住民にたいする関係のなかにすでに見たとおりである。すなわち、ある場合には、彼はインディオを、完全な権利を有する、つまり彼と同じ権利を持つ人間だと考える。だがその場合、彼らを対等であるばかりでなく、同一のものと見なしているのであって、こうした態度は同化主義に、すなわち自分自身の価値観を他者へ投影することに帰着する。そうでなければ、彼は差異から出発する。だがこの差異は、ただちに、優越と劣等をあらわす言葉に翻訳される。人は、自己のたんなる不完全な状態にとどまらないような、まったく他者的な人間の本質が存在することを、認めたがらないものだからである。</p>
</blockquote>
<p>　コロンブスは人間の平等を信じる素朴な同化主義者であり、それがインドにキリスト教を布教しようという夢とないまぜとなってインディオをキリスト教に改宗させようとするが、従わないインディオは奴隷にしてしまう。キリスト教徒でなければ人間ではなく、平等にあつかう必要がないからだ。コロンブスには自分とは異なるが自分と同じ権利を有する主体という観念が欠けており、この欠落が後の植民地主義に引きつがれていく。</p>

<h4>Ⅱ 征服</h4>
<p>　他者が欠落していたのはコロンブスだけではなかった。最悪の選択をくりかえしてアステカを滅亡に導いたモクテスマ皇帝も異なる文化の存在が理解できなかった。</p>
<p>　アステカ文化は雄弁を尊び、モクテスマも雄弁で名をはせた優秀な人物だった。モクテスマはコルテス以前の遠征隊を知っていて、海岸を見張らせていた。コルテス隊500人の上陸はただちにモクテスマのもとに知らされ、モクテスマはコルテス隊の動静を監視させた。だがモクテスマは情報収集を活かすことができなかった。コルテス隊を全滅させようと思えばできたのに豪華な贈物を差しだしてスペイン人の黄金熱を刺激し、ついにはおとなしく退去してくれれば帝国を贈ると懇願する始末だった。インディオが書き残した年代記は「モクテスマはうなだれ、まるで死者か&#21854;でもあるかのように、口に手をあてたまま、声もなく、長いあいだじっとしていた。彼には話すことも答えることもできなかった」と伝えている。</p>
<p>　トドロフはモクテスマは捕らえられる前から負けていたのだと指摘する。</p>
<blockquote cite="96">
<p>　モクテスマはただたんに話の内容を恐れているのではない。このテクストに＜死者＞と＜&#21854;＞とが意味ありげに並べておかれていることからも分かるように、彼は文字通りコミュニケーションが不可能なことを示しているのだ。この機能停止はたんに情報収集を弱体化させるばかりではない。アステカの君主とはなによりもまず言葉の支配者であり、したがってその言語活動の放棄は挫折の告白である以上、それはすでに敗北を象徴しているのである。</p>
</blockquote>
<p>　モクテスマが茫然自失におちいったのは単に呪術師や美々しく飾りたてた戦士の勇姿がスペイン人になんの効果ももたらさなかったからではない。スペイン人がアステカのコード体系におさまらない他者だったからだ。コロンブスは自分のコードからはずれたインディオを動物と同じにあつかったが、モンテスマはスペイン人を神々と同列に置いた。</p>
<p>　コルテスはモンテスマやコロンブスとは違う種類の人間だった。他の<ruby><rb>征服者</rb><rp>（</rp><rt>コンキスタドール</rt><rp>）</rp></ruby>とも異なっていた。キューバを出発した時は他の征服者と変わらなかったかもしれないが、アステカ帝国の存在を知ると帝国全体を手にいれようと決意し、目先の黄金あさりより情報収集を優先させた。彼は通訳を重視し、マヤ人に奴隷に売られていたマリンチェというアステカ女性を手にいれる。コルテスはマリンチェを愛人にしアステカの内情を学び、アステカ側との交渉には必ず立ちあわせた。モンテスマ逮捕では彼女が指揮をとった。同時代のスペイン人の記録もインディオ側の記録もマリンチェを通訳を超えた存在として描いている。</p>
<p>　スペイン人がアステカやインカを電撃的に征服できたのはダイアモンドの『<a href="http://www.horagai.com/www/book/read/rd2001a.htm#R006">銃・病原菌・鉄</a>』やマンの『<a href="http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2008/01/1491_nhk.html">1491</a>』のように、武器の優位性と意識せずに新大陸にもちこんだ疫病のためだという見方が一般的だが、トドロフは記号の関与に注目する。</p>
<p>　コルテスはマキャベリの同時代人だったが、マキャベリばりに自分の行動がインディオにどう解釈されるかを気にしていた。同盟軍の村でニワトリを二羽うばった部下は即座に絞首刑にした。秘密の保持にも神経を使った。インディオは馬は不死身と思いこんでいたので戦闘で死んだ馬の死骸は夜のうちにひそかに埋めさせた。</p>
<p>　モンテスマとの交渉では相手を混乱させるためにことさら矛盾した対応をとった。ケツァル神との同一視もコルテスは積極的に助長した。わずか500人でアステカ帝国を制圧できたのもアステカ側の内紛につけこんで不満部族をとりこみ、5万人もの同盟軍を組織できたからだった。</p>
<p>　一方、アステカの戦士はスペイン人に対しても伝統的な戦い方を変えない。鬨の声は相手を威嚇するどころか自分の位置を知らせるだけだったし、最後の皇帝クァウテモクは帝室の紋章で飾りたてた舟で逃げようとして捕らえられている。コルテスは記号を武器にしたのに対し、アステカ側は伝来の記号体系に自縄自縛になって自滅したのだ。</p>

<h4>Ⅲ 愛</h4>
<p>　ラス・カサスがアメリカ大陸における植民者の血に塗れた不法行為を告発し、インディオのために尽力したことはよく知られている。彼は従軍司祭として参加したキューバ征討戦でカオナオ族虐殺を目撃する。彼は自分の農場で使っていたインディオ奴隷を解放し、インディオの立場に立って発現するようになる。</p>
<p>　ラス・カサスはスペイン人に虐げられるインディオを狼に襲われた羊、ファラオに酷使されるユダヤ人、モール人の圧政に苦しむスペイン人に喩えた。だがこれはインディオを悪魔に喩えた論敵の主張をひっくり返しただけではないだろうか。</p>
<p>　ラス・カサスの平等主義はキリスト教にもとづいており、インディオをキリスト教徒にし、同化することは自明の前提だった。植民地化も否定しておらず、1531年のインディアス枢機会議への書翰にあるように、植民地化は乱暴なコンキスタドールによってではなく「神を恐れ、良心と真の賢明さをもつ人々」によっておこなわれるべきだと主張しているにすぎない。彼は国王に対する意見書でインディオを大切にあつかえば乱暴な植民地化以上の利益があがり、陛下のためになると説いている。彼の提言がスペイン当局を動かし、部分的にとりいれられたのは彼の平等主義が同化政策の枠内だったからだ。</p>
<p>　その成果はどうか。ラス・カサスはクマナ地方の平和的植民化事業に乗りだし、修道士と農民入植者を連れてくるが、インディオは彼が期待していたほど従順ではなく計画は失敗に終わる。</p>
<p>　ラス・カサスはインディオを愛しているつもりだったが、自己の理想を投影しただけでインディオがまったく見えていなかったと言っていいだろう。ラス・カサスのインディオ観はコロンブスと五十歩百歩であり、コルテスの方がよほどインディオのことを知っていた。インディオ側もそれに気づいていたらしい。</p>
<blockquote cite="pp246">
<p>　この当時のインディオがラス・カサスにたいしてどのような感情を抱いていたかについては、ほとんどまったく知られていない。このこと自体がすでにそれなりの意味をもっている。反対にコルテスは非常に人気があり、スペイン皇帝の代理人である法権所持者をふるえ上がらせる。彼らはコルテスが一声かければ、インディオが蜂起することを知っているのである。</p>
</blockquote>
<p>　ラス・カサスよりコルテスの方がインディオに慕われていたとは皮肉な話である。</p>

<h4>Ⅳ 認識</h4>
<p>　新大陸でインディオのために奔走していた時代のラス・カサスは他者としてのインディオに出会いそこねていたが、最晩年、スペインにもどって『インディアス史』を執筆した時期には自分とは異なる主体であることに気がついていたらしい。</p>
<p>　トドロフはラス・カサスの他者認識はインディオの奴隷化の是非をめぐって戦われたバリャドリード論争の中で醸成されていったのではないかと推測している。</p>
<p>　<a href="http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2011/07/_01.html#Slave">アリストテレスの奴隷肯定論</a>をふりかざすセプルベタは人身御供の儀式を根拠にインディオの劣等生をあげつらった。定期的に生贄を殺し心臓を抉りだして偶像に捧げるなど、インディオの野蛮さの証拠ではないかというわけだ。</p>
<p>　ラス・カサスは一人息子を生贄にしようとしたアブラハムを引きあいに出し、人が神を愛していることを示す最大のあかしはもっとも貴重なもの、すなわち人間の生命を捧げることだとし、「真実の神、あるいは彼らが真実の神だと考えているいつわりの神」に犠牲を捧げることは宗教感情の発露として肯定されると説く。</p>
<p>　この論法が妥当かどうかはおくとして、重要なのは「真実の神、あるいは彼らが真実の神だと考えているいつわりの神」という言い方をしている点である。インディオの神がインディオにとって真実の神だと認めることは、キリスト教の神を相対化することにつながる。ラス・カサスがキリスト教の神の方が高級だと信じているにしても、それはもはや唯一神ではない。晩年のラス・カサスは宗教的多元主義に踏みこみ、事実上インディオを同化することをあきらめていたらしい。</p>
<p>　ラス・カサスにつづく世代からはベルナルディーノ・デ・サアグンやディエゴ・ドゥランのようにアステカ文化を正確に理解し、後世に重要な記録を残した聖職者が出ている。</p>
<p>　サアグンは1499年スペインに生まれた。ラス・カサスより15歳若い。サマランカ大学で学んだ後、フランシスコ会修道士となり、コルテスがオアハカ侯爵に任じられた1529年にメキシコに渡った。フランシスコ会はナワトル語とナワトル文化の研究に力を入れていたが、サアグンも徹底的にナワトル語を学び、1536年にインディオの聖職者を養成するための修道会付属学校が設立されるとラテン語文法の教授に就任している。生徒の多くはアステカ貴族の子弟だったが進歩は著しく、サアグン自身も彼らからナワトル語とナワトル文化をより深く学んでいく。</p>
<p>　ドゥランは現地のフランシスコ会の支持のもとにインディオの口承文芸を収集し、征服戦争の生き残りから聞書をおこない、『ヌエバ・エスパーニャ諸事物概史』という百科全書をまとめあげることになる。</p>
<p>　最初はサアグン同様布教に役立てるためにはじめた仕事だったが、途中からナワトル文化を理解し保存しようという第二の動機が比重を増してくる。彼はナワトル語の本文ができあがると最優秀の教え子を集めて加筆訂正をおこなわせ、完成するとスペイン語の翻訳を添付し、インディオの絵師に挿絵を描かせた。サアグンの『概史』はナワトル語、スペイン語という二つの言語のテキストと挿絵で構成されている。ナワトル語の本文が別にあるので、スペイン語のテキストは逐語訳である必要はなく、注釈を織りこんだ自由訳になっているとのことである。</p>
<p>　『概史』は画期的な仕事だったが、完成した直後フェリペ二世の勅令で禁書とされ、19世紀になるまで図書館の中で埃をかぶることになる。この間の事情については本書の資料篇にあたる『<a href="http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2011/08/post_271.html">アステカ帝国滅亡記</a>』をお読みいただきたい。</p>
<p>　ドゥランは1537年にスペインに生まれた。ラス・カサスより53歳、サアグンより38歳若い。晩年のラス・カサスがバリャドリードで熱弁をふるっていた頃、家族とともに5歳でメキシコに渡っている。メキシコで育っただけにドゥランは自由にナワトル語をあやつり、アステカの文化・宗教に通じていた。</p>
<p>　ドミニコ会の修道士となったドゥランはインディオと同じように暮らしながら布教につとめるが、インディオがキリスト礼拝に偽装して古い神を拝んでいることを嘆き、偶像崇拝根絶のためにはまず偶像崇拝のなんたるかを学ぶべきだと説いてアステカ文化の貴重な記録を残す。彼はインディオの信仰の中に偏執的に偶像崇拝を嗅ぎだすが、その一方アステカの古い祭儀の中にキリスト教との共通点を見いだし、これほどまでに似ているのは聖トマスがかつて伝道に訪れていたのではないか、ケツァルコアトルとは聖トマスのことではないかという妄想をいだくにいたる。ドゥランはインディオのサンクレティスムを告発しながら、自分自身サンクレティスムにおちいっていたのかもしれない。</p>
<p>　サアグンとドゥランは同時代的には例外的な存在であり、著書は長く埋もれることになるが、その布教・教育活動はスペイン人でもアステカ人でもないメキシコ人という新たなアイデンティティを形成する上で大きな影響をあたえ、ひいてはヨーロッパ人の自己認識を変えていったのである。</p>

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<category>歴史</category>
<pubDate>Sat, 30 Jul 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
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<item>
<title>『古代マヤ・アステカ不可思議大全』 芝崎みゆき (草思社)『マヤ・アステカ遺跡へっぴり旅行』 芝崎みゆき (草思社)</title>
<description><![CDATA[<table><tbody><tr>
<td><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784794217622" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0"><img alt="古代マヤ・アステカ不可思議大全" title="古代マヤ・アステカ不可思議大全" src="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/4794217625.jpg" border="0" /></a>
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<td><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784794217639" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0"><img alt="マヤ・アステカ遺跡へっぴり旅行" title="マヤ・アステカ遺跡へっぴり旅行" src="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/4794217633.jpg" border="0" /></a>
 <a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784794217639" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→bookwebで購入</a></td>
</tr></tbody></table>

<p>　ヘタウマのイラストと手書きの文字でつづられたメソアメリカ遺跡案内である。著者の芝崎みゆき氏は『<a href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784062116329">古代エジプトうんちく図鑑</a>』と『<a href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784062116329">古代ギリシアがんちく図鑑</a>』を出しているが、メソアメリカは一冊では書ききれなかったのか紀行篇と蘊蓄篇が独立した本になっている。</p>
<p>　ロットリングで書いたようなナール風手書き文字は読みやすく、難しい話でも肩の力が抜ける。「文」と「女」がまぎらわしいといった書き癖もあるが、すぐに慣れる。これだけの文字量を清書するのは大変だったろう。</p>
<p>　まず『古代マヤ・アステカ不可思議大全』である。著者とおぼしいトウモロコシ風ポニーテイルのキャラクターと水滴頭巾のキャラクターが案内役となって進み、一部マンガになっている。モンゴロイドのアメリカ大陸移住にはじまり、オルメカから時代順に紹介する。順番は違うが、青木和夫氏の『<a href="http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2011/07/post_267.html">古代メソアメリカ文明</a>』を下敷きにしているふしがある。青木氏は各文明にほぼ同じくらいの分量を割りふっているが、本書はマヤとアステカが中心で全300頁中マヤに115頁、アステカに60頁をあてている。</p>
<p>　不気味カワイイ絵柄なので軽く読める本かと思ったら、情報がてんこ盛りで巻末の参考文献はダテではない。時代遅れの説やトンデモ学説も紹介されいるが、「と見る人もいる」という一歩引いた書き方をしたり、二人のキャラクターが突っこみをいれたり考えこんだりして鵜呑みにしてはいけないとわかる。意外にちゃんとした内容である。6頁かけたマヤ暦の図解は秀逸。今まで読んだ中ではこれが一番わかりやすかった。現在絶版の『ポポル・ヴフ』と『ユカタン事物記』の中味をマンガで紹介している点も貴重。</p>
<p>　マヤ関係の本はけっこう読んでいるつもりだが、それでも知らない話がたくさん出てくる。あまりにも詳しくて消化不良をおこす読者がいるかもしれない。全編手書きにしたことといい、著者は相当しつこい性格なのだろう。</p>
<p>　次に紀行篇の『マヤ・アステカ遺跡へっぴり旅行』である。2007年にエキという友人とメキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、ベリーズをバックパッカーとして旅した経験をまとめた本だが、交通機関やトイレ事情、見どころといった観光情報だけでなく、現地の人との交流が描かれている。</p>
<p>　メキシコは不穏なニュースがよく伝えられる国なので著者は身構えて入国するが、案に相違して親切な人ばかりだし、高原部はバス網が発達し便数が多く、旅行しやすい土地だそうである。オクタビオ・パスが「微笑が仮面である」と書くように日本に似た相手を立てる文化があるらしい。</p>
<p>　しかしユカタン半島にはいるとバスが当てにならなくなり、貧しい地域のせいか人々の顔つきが厳しくなる。</p>
<p>　グアテマラとホンジュラスは観光で食べている国なので油断もすきもならない。ベリーズは移民が多く英語が通じるが、遺跡はあまりなく、基本的に物価の高いリゾート地域のようだ。</p>
<p>　中米でもどこにいっても日本のマンガとアニメのオタクがいて、日本人というだけで親切にしてもらえたそうである。欧米人のバックパッカーもオタクの比率が高く、バックパッカー宿で欧米人どうし浦沢直樹や高橋留美子の話で盛りあがっていたりするという。</p>
<p>　一番興味深かったのは福音派教会の体験記である。実松克義氏の『<a href="http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2011/07/post_268.html">マヤ文明 聖なる時間の書</a>』には何もしてくれないカトリックに代わって福音派の教会が勢力を急速に伸ばしていると書かれていたが、著者はラカンドンで福音派の教会のミサに出る破目になる。宿の子供になつかれてしまい、近くの教会に連れていかれるが、様子が普通ではない。メリハリのない下手糞なゴスペルと牧師の説教が延々とつづくのに信者は異様に熱狂し、帰るに帰れなくなったというのだ。後で福音派だったとわかるが、マヤ意識が強くカトリックを拒否してきたというラカンドンで福音派が受けいれられているとは何を意味するのか。</p>

<p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784794217623" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→『古代マヤ・アステカ不可思議大全』を購入</a></p><p><a Href="http://ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=2234571&pid=873402948&vcptn=000027&vc_url=http%3a%2f%2fbookweb%2ekinokuniya%2eco%2ejp%2fguest%2fcgi-bin%2fwshosea%2ecgi%3fW-ISBN%3d9784794217639" target="_blank" ><img Src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=2234571&pid=873402948" height="1" width="1" Border="0">→『マヤ・アステカ遺跡へっぴり旅行』を購入</a></p>
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<category>歴史</category>
<pubDate>Fri, 29 Jul 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
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