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2013年12月31日

『シンメトリーの地図帳』 マーカス・デュ・ソートイ (新潮社)

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 今回、途中で放りだしたのも含めると群論関係の本を13冊手にとったが、1冊だけ選べといわれたら、迷わず本書を選ぶ。わかりやすいというだけでなく、文章に含蓄があり、天才たちのエピソードの紹介にも人間的な奥行が感じられるのだ。本書は数学の啓蒙書を超えて一個の文学作品になっているといっていいだろう。

 著者のマーカス・デュ・ソートイは現役の数学者で、群論と整数論を専門にしている。BBCの科学番組にたびたび出演していて(未見であるが、NHKから「オックスフォード白熱教室」として放映されている)、最初の著書『素数の音楽』は世界的なベストセラーになった。

 本書は数学者の一人語りの体裁をとっていて、40歳の誕生日の2005年8月から翌年7月までの1年間の出来事――家族旅行で訪れたアルハンブラ宮殿に平面で可能な17種類のシンメトリーを探したこと、沖縄で開かれた群論の小さな学会、共同研究者のいるドイツのマックス・プランク研究所への出張、自分の研究室の院生とのつきあい方等々――が語られ、それを縦糸として自分の生い立ちと群論の歴史が織りこまれていく。

 デュ・ソートイと数学の出会いは12歳の時の教師の勧めにさかのぼる。大学院で群論を専攻することを決めた際にはサイモン・ノートンに会いにいっている。

 サイモン・ノートンはジョン・コンウェイとともにあらゆる単純群を分類する「アトラス計画」を推進した群論の大御所である。『シンメトリーとモンスター』の後半では颯爽と活躍しているが、外観は颯爽とはかけはなれていた。

 わたしが目にしたのは、まるで浮浪者のような身なりの人物だった。もじゃもじゃの黒髪が四方八方におっ立ち、ズボンは折り返しのところがすり切れていて、着ているシャツは穴だらけ。まわりにたくさんのビニール袋があって、どうやらそこに、身の回りのものがすべて入っているらしい。かかしに似ている。「あの人が、サイモンだ」

 そうこうするうちに、大柄な男がわたしたちのほうにやってくると、ノートンの隣に腰を下ろした。こちらは相手が誰かわからないでいるのに、相手は当然わたしが自分を知っているものと決めこんでいるようだった。この人物も、やはり頭の毛があっちこっちにおっ立っていたが、髪の色は黒ではなく濃い赤で、わたしのほうを見てにやついているその目のきらめきは、怖いまでに荒々しかった。真冬だというのにサンダル姿で、でっぷりとした体をπの小数展開模様のTシャツに包み、ご機嫌な様子で座っている。いささか気の触れたピエロといった趣だ。わたしもじきに知ることになったのだが、この人こそが、海賊船ケンブリッジ号の船長ジョン・コンウェイだった。

 『シンメトリーとモンスター』とのなんという落差!

 二人の大御所以外にも現存の数学者がたくさん登場するが、いずれも期待にたがわぬ奇人変人ばかりで、縁遠いと思っていた数学の世界に親しみが湧いてきた。

 群論を説明するにあたり幾何学を前面に出すのは『シンメトリーとモンスター』と同じだが、方程式の歴史は丁寧に説明している。

 3次方程式の解法をめぐるタルターリアとカルダーノの諍いについてはタルターリアに同情的な人が多く、カルダーノは嘘つきの軽薄才子と相場が決まっているが、デュ・ソートイはカルダーノの言い分を十分紹介し、最初から騙すつもりではなかったとしている。

 カルダーノはタルターリアから秘密を聞いた後、数学書を2冊出版しているが、3次方程式の解法は載せていない。3冊目で載せる気になったのは弟子のフェッラーリがタルターリアの解法を発展させて4次方程式の解法を発見したからだった。それでもカルダーノは躊躇し、公開を決めたのはシピオーネ・ダルフェロの息子と知りあい、ダルフェロがタルターリアよりも早く3次方程式の解法を見つけていたと確認してからだった。もちろん著書にタルターリアの名前は明記している。

 その後の泥仕合はともかくとして、カルダーノは一応の仁義を切っていたのである。

 ずっと敵役とされてきたコーシーは加藤文元『ガロア』で突然親切な恩人になってしまい、いささか困惑していたのであるが、デュ・ソートイはコーシーを生い立ちにさかのぼり、傲慢で自己中心的であるが、血の通った人物として描いている。若い頃は造船所建設に駆りだされたり、知的刺激が受けられなくなって鬱になったり、傷つきやすい若者だったのである。

 しかし「自己宣伝を優先させて基礎工事を行なった人間に体する評価を怠る」傾向はいかんともしがたく、アーベルに先駆けて5次方程式に解法がないことを証明したルッフィーニの業績を科学で紹介すると手紙に書いても、実際はルッフィーニの成果を自分流に発展させたものだけを発表し、ルッフィーニの名前はとうとう出さなかった(ガロアの名前を出したのは異例中の異例だった)。

 科学アカデミーの会合が誰でも出席し質問できたというのも本書ではじめて知った。科学アカデミーで発表するとは会員だけではなく、不特定多数に発表することだったのである。

 別の本でソフィー・ジェルマンという女性数学者がガロアを無礼な若者と書簡に書いていると読み気になっていたが、本書によると三度目の論文を科学アカデミーに提出したガロアは、自分の論文が話題になるかもしれないと思い、毎週科学アカデミーに通い、「報告に口をはさんでは攻撃的な非難を繰り返す人物」としえ札付になっていたというのだ。

 ガロア理論の解説では方程式の解を複素平面上に図示し、解の間の対称性を目に見えるかたちにしている。解の置き換えがようやく腑に落ちた。

 リー群に関しては『シンメトリーとモンスター』の方がわかりやすいのではないかと思う。どちらも比喩による説明ではあるが。

 最後のモンスター群とムーンシャイン問題ではコンウェイが主役となる。『シンメトリーとモンスター』では「アトラス計画」を推進するコンウェイが描かれたが、本書では生い立ちからたどり、『アトラス』刊行後の活動におよぶ(デュ・ソートイが大学院に入った時点では「アトラス計画」は完了していた)。ここまで大きくあつかうのはコンウェイをガロアやリーに匹敵する天才として敬意を払っているのだろう。どこがすごいのか門外漢はわからないが、魅力的な人物であるのは確かなようだ。

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『シンメトリーとモンスター』 マーク・ロナン (岩波書店)

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 群論の研究者が書いた一般向けの本だが、内容はかなり高度である。

 日本版の副題は「数学の美を求めて」だが、原著では「もっとも偉大な数学の探求の一つ」となっていて、著者自身が参加した「アトラス(地図帳)計画」をさす。

 群論を開拓したガロアは群を部分群に分解していくと、それ以上分解できない単純群と呼ばれる特別な群に行き着くことを発見した(単純群とは整数論における素数のようなものといえるかもしれない)。「アトラス計画」とは、この単純群をすべて分類しつくそうという壮大な計画で、1960年代にはじまった。当初は終わりがあるのかどうかもわからず、すくなくとも20世紀中には終わらないだろうと言われていたが、1980年頃には終わってしまい、1985年から電話帳のような『アトラス』の刊行がはじまった。

 めでたしめでたしと言いたいところだが、探求の過程で「モンスター群」と呼ばれる巨大な群が見つかり(最小のものでも19万6883次元空間にある!)、しかもその次元数が整数論の鍵のなる数と1違いということがわかった。モンスター群の巨大な次元数と整数論の鍵となる数の一致はそれ以外にも続々と見つかり、まったく違う分野だと考えられてきた群論と整数論の間に秘められた関係があるのではないかという新しい課題が姿をあらわしてきた。これをムーンシャイン問題という(ムーンシャインとはアイルランドの妖精が月明かりを浴びて踊る情景を意味すると同時に、禁酒法時代の密造酒の意味もあるよし)。

 本書は群論の歴史をふりかえりながら、「アトラス計画」の完成とモンスター群の出現(モンスター群は素粒子論や超弦理論と関係があることがわかってきた)、ムーンシャイン問題という最新の話題をカバーしている。

 群論は方程式の解法を探す過程で生まれたが、本書は群論の基礎にある対称性を重視し、プラトン立体からはじめている(現代の群論は幾何学との関係が深いそうであるが、本書も幾何学を前面に出している)。

 正三角形4面からなる正四面体、正方形6面からなる正六面体(立方体)、ピラミッドを二つ底面で貼りあわせたような正八面体、五角形12面からなる正一二面体、正三角形20面からなる正二十面体はプラトンの学園にいたテアイテトスが発見したとされているのでプラトン立体というが、きわめて対称性の高い図形であることは一目でわかるだろう。

 対称性が高いといっても、それは印象にとどまり、数学的に語る方法がなかった。

 対称性を数学の問題として厳密に語れるようになったのはガロアが群論の基礎を築いてからである。本書にもガロアと5次方程式の話は出てくるが、全17章のうちの1章にすぎない。

 本書のヒーローはガロアよりもむしろソフス・リーである。

 リーはアーベルと同じくノルウェイの牧師の息子として生まれたが、夭折したアーベルと違い頑健な巨体と体力に恵まれ、郷里では「良い子にしなさい。さもないと、ソフス・リーが来て、あなたを連れていってしまうわよ」と言われていたそうである。普仏戦争の時にはちょうどパリに遊学していたが、戦乱の中を徒歩でイタリアまで行こうとし、スパイ容疑で一ヶ月間監獄暮らしをする破目になったという武勇伝まで残っている。

 リーは曲線や曲面のような連続に変化するものを有限の構造に落としこむ方法を開発し、後にリー群とかリー代数と呼ばれる新分野を切り拓くが、ガロア理論のようになかなか理解されなかった。しかしリーは57歳まで生きたので、多くの論文を書き弟子を育てることができた。

 連続を有限の構造に落としこむといわれても雲をつかむような話であるが、著者のロナンは例としてコンピュータの2進法をあげ、音声や画像を周期2の有限代数系に落としこんでいるとしている。

 よくわからないのであるが、単純群探しにはリー群が大活躍するそうで、後半は「アトラス計画」の話になっていく。2129万6876次元空間とか、8億4260万9326次元空間、185億3875万76次元空間等々、途方もない数字が次から次へと出てきて、頭の中が真っ白になる。

 最後の方で超ひも理論の26次元空間や10次元空間が出てくると、なぜかほっとしてしまった(どちらもわからないのであるが)。

 とうてい理解できなかったが、群論の最先端をちょっとだけのぞかせてもらい、こういう世界もあるのだなあと嘆息した。

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2013年12月30日

『もっとも美しい対称性』 イアン・スチュアート (日経BP社)

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 本書の表紙には左右対称の美しい蝶の写真が大きくレイアウトされている。原題は Why beauty is truth: The story of Symmetry(なぜ美は真実か――対称性をめぐる物語)で、エピグラフに掲げられたキーツの詩の「美は真なり、真は美なり」にもとづく。

 著者のイアン・スチュアートは『世界を変えた17の方程式』や『パズルでめぐる奇妙な数学ワールド』などの一般向け数学書を書いている数学者だ。

 著者はガロアの群論によって対称性がはじめて数学の問題になったと評価している。

 ガロアより前、この質問(対称性とは何か)に対するどんな答えも、漠然として内容がなく、均衡の美といったような特徴に訴えるものだった。筋道立てて数学を進めていけるような概念ではない。だがガロア以降、そして数学界が彼の特定の応用法に隠された一般的な考え方を理解して以降は、疑う余地のない単純な答えが姿を現した。第一に“対称性”という言葉は、一つ二つと数えられるものとして解釈し直さなければならない。物体は単に対称性をもつだけでなく、いくつもの異なる対称性、対称変換を持ちうるのである。

 対称性が美であり真実であるなら、群論によって美と真実が計算可能になったことになる。そんなことがあるのだろうか。

 本書は対称性をめぐる数学・物理学史で、バビロンの書記学校からギリシア、アラブ、近世ヨーロッパを経て現代の超ひも理論まで、人間精神の三千年の歩みを概観している。

 といえばわかるように、本書は先ほど紹介したリヴィオの『なぜこの方程式は解けないか』とかなりかぶっている。もっともスチュアートにはリヴィオのような才気走ったところはなく、生物学や病跡学にまで話を拡げたりはしない。あくまで数学と物理学の土俵を守り、ことに数学については一般向けの本としてはかなり突っこんだ内容まで語ってくれる。

 たとえばアーベルに先駆けて5次以上の方程式に代数的に解をもとめる公式がないと証明しようとしたパオロ・ルッフィーニ。彼の証明はまわりくどく、516頁もの長さだったので同時代の数学者は一人を除いてまともに読んでくれなかったという。

 リヴィオはルッフィーニの証明は後に間違っていたことがわかったで片づけていて、欲求不満が残った。本書ではルッフィーニの証明について次のように書かれている。

 ラグランジュが認識していたとおり、根に関する式の中には、ある種の置換に関しては対称的だが、別の置換に関しては対称的でないものがある。この“部分的対象式”は、方程式の解の公式と密接に関わっている。ルッフィーニ以外の数学者たちも、置換の持つこの性質のことはよく知っていた。だが、ラグランジュのもう一つのアイデアを体系的に用いるというルッフィーニのやり方は、あまり理解していなかった。そのアイデアとは、二つの置換を連続して施すことでそれらを“掛け合わせる”ことができる、というものである。

 アーベルと同じ戦略ではないか。ルッフィーニはアーベルの一歩手前まで行っていたのである。

 ルッフィーニの証明をきちんと読み、評価した同時代人が一人だけいたと書いたが、それはあのコーシーだった。コーシーはルッフィーニが亡くなる半年前に送った書簡で「私の判断では、五次以上の一般的な方程式が解けないことを完全に証明しています」と激賞し、科学アカデミーで彼の証明を紹介したと述べているそうである。

 コーシーがガロアの論文を評価できた背景にはルッフィーニがいたわけだ。コーシーはルッフィーニの証明を完全な証明と思いこんでいたが、そう考えるとガロア理論の真価を見抜けなかった理由もわかる。

 スチュアートはアーベルとルッフィーニの証明における方程式像を 梯子付の塔になぞらえている。1~4次方程式までは天井の上がり口に梯子をかけて最上階まであがれるが、5次以上の方程式は2階の天井に上り口がなく、それより上にあがれない欠陥建築だというわけだ。

 この比喩はいまいちピンと来ないが、スチュアートはガロアの証明法は方程式を塔ではなく木になぞらえるようなものだとしている。幹がガロア群で、幹からわかれる枝葉が部分群にあたるが、こちらの譬えは秀逸だと思う。部分群の説明は結城浩『数学ガール ガロア理論』の図解がわかりやすかったが、あれは木を年輪方向に輪切りにした図解だった。横から見れば枝わかれする樹木になるわけだ。

 群論はノルウェイのソフス・リー(彼もアーベル同様牧師の息子だった)によって新たな段階にはいる。ガロアは代数方程式から群を作ったが、リーは微分方程式から群を作ろうとした。リー群である。

 『なぜこの方程式は解けないか』はリー群について「連続タイプの群」という矛盾した言い方で片づけていたが、本書を読んでなぜ「連続タイプの群」なのかがようやくわかった。

 物理学は連続の世界をあつかうので、リー群はきわめて強力な、なっくてはならぬ武器となる。素粒子論や超ひも理論もリー群なしには成立しないという。

 本書のクライマックスでは8元数が語られる。8元数は4元数を発見したハミルトンの友人のジョン・グレーヴスが、そんなものなら自分にもできると発見(考案?)したもので、グレーヴス自身何の役にも立たないと考えていたが、10次元の超ひも理論の中で現実の宇宙に対応している可能性の最も高い4つのモデルはいずれも8元数によって基礎づけられているのだそうである。もしかしたら我々の宇宙は、19世紀の暇人が余興に考えついた8元数でできているのかもしれない。

 このあたりさっぱりわからないし、わかるはずもないのであるが、物理学者が世界の対称性を探しているということだけはうっすらと理解できたような気がした。対称性は真実、真実は対称性というわけだ。

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『なぜこの方程式は解けないか』 マリオ・リヴィオ (早川書房)

なぜこの方程式は解けないか →紀伊國屋ウェブストアで購入

 題名は『なぜこの方程式は解けないか』となっているが、方程式にふれているのは9章のうち3~5章で、全体の1/3ほどにすぎない。それ以外はすべて群論と対称性の話で、量子力学から生物学、さらには宇宙論にまで話がおよぶ。群論はそれほど射程が広いのだ。

 著者のマリオ・リヴィオは宇宙物理学者だが、『黄金比はすべてを美しくするか?』という一般向け数学書で国際ピタゴラス賞とペアノ賞を受賞していて、才筆には定評があるようだ。

 群論に関する本は本欄でとりあげなかったものも含めて何冊か読んだが、情報量は本書が飛び抜けて多く、トリビアが機関銃のように連射される。対称性がテーマだけに章題を

対称性を見る心の目

と鏡字で記すなど遊び心にあふれている。

 第3章「方程式のまっただ中にいても忘れるな」ではメソポタミア文明から16世紀のヨーロッパまでの方程式の研究史が駆足でたどられるが、タルターリアの条では三次方程式の複雑な解法を記憶しておくために、謎詩を作ったという話が出てくるのだ。当時は数学試合の結果で実入りのいい就職が決まったから、解法は絶対に秘密にしておかなくてはならず、他人に盗み見られてもわからないように謎詩にするのが賢明な選択だった。こんな話は他の本には載っていないが、巻末の付録には謎詩と、その詩を解いて出てくる式引用されているのである。

 第4章「貧困に苛まれた数学者」は結核で若くして死んだアーベルが主人公だが、ノルウェイ政府の補助金でベルリンに遊学した際、留学仲間と協同で部屋を借り、パーティでどんちゃん騒ぎをし、同じ建物に住んでいたヘーゲルを怒らせたというエピソードが出てくる。芝居にもよく行っていたという。アーベルというと少女漫画風の繊細そうな肖像画の印象が強いが、実は大の芝居好きで、パーティで騒ぐような陽気な面もあったのである。

 方程式はガロアによって最終的な解決があたえられ、方程式の研究には終止符が打たれるが、そのガロアはご存知のように決闘で腹部に銃弾を受け、腹膜炎で夭折してしまう。

 ガロアの死体は病理解剖にまわされ検死報告書が作られたが、報告書の半分以上は脳の解剖所見なのだそうである。銃弾が当たったのは腹部なのに、「大脳は重く、脳回は広い。脳溝は深く、とくに側面で顕著……」というような記述が必要なのか。リヴィオはこう推測している。

 この病理学者は、死因が明らかなガロアの脳をなぜこれほど徹底的に調べたのだろう? 報告書の冒頭の一文が手がかりになるかもしれない。「若き優秀な数学者エヴァリスト・ガロア(二一歳)は、何よりもその旺盛な想像力で知られていたが、二五歩の距離から撃たれた弾丸による急性腹膜炎のため、一二時間後に死亡した」。思うに、この病理学者は、ハーヴェイがアインシュタインの脳を持ち出したのと同じ好奇心に駆られたのではなかろうか。

 そうだとするなら、天才児ガロアの名は数学者の間のみならず、インテリの間で広く喧伝されていたことになる。

 ガロアは5次以上の方程式は代数的方法では解けないことを証明したが、楕円関数(アーベルの最後の研究テーマ)を使って解くことに成功した数学者がいる。シャルル・エルミートで、彼はガロアが卒業した11年後にルイ・ル・グラン校に入学し、ガロアの天才を見出したリシャール先生に教えを受けている。なんと在学中に権威ある数学の専門誌に論文が掲載され、その題名が「五次方程式の代数的解に関する検討」だというのである。

 因縁はさらにつづく。彼はエコール・ポリテクニークに合格したものの、足の奇形が理由で一年で退学させられてしまうのだ。陸軍省所管の学校だからだろうか(エコール・ノルマルとエコール・ポリテクニークについては彌永昌吉『ガロアの時代 ガロアの数学〈1〉時代篇』参照)。

 楕円関数による五次方程式の解法はほぼ同時にクロネッカーも発見していて、なぜ楕円関数を使うと解けるのかという理由まで掘りさげたという。

 クロネッカーの成果をもとにエルランゲン・プログラムで有名なクラインは『正20面体と5次方程式』を書き、5次方程式の五つの解の置換群と正20面体の回転群が同型だと証明したということである。リヴィオは「5次方程式と回転の群と楕円関数が絡みあった壮大なタペストリー」と書いている。さっぱりわからないが、大変なことらしい。

 量子力学の根底に群論があり、超ひも理論も群論の産物だということは他の本にも出ているが、リヴィオはさらに生物の性選択と対称性の問題まで語りはじめる。竹内久美子が悪名高き『シンメトリーな男』で紹介した、左右の対称度が高いオスほどもてるという例の理論である。

 対称度の高い顔を美しいと感じる傾向は脳のMRI画像でも確認されていて、文化に関係ないそうである。「健康で生殖能力の高い配偶者を求めるという点で、われわれの心は、石器時代の祖先とまったく同じようにプログラムされている」というわけだ。

 最後の章「ロマンチックな天才へのレクイエム」では天才の病跡学まであつかっている。話題を拡げすぎではないかと思わないではないが、最後の最後まで息つく暇もないほどの面白さである。

 なお本書はよくも悪くも「広く浅い本」である。専門書は歯が立たないが、もうちょっと数学的な内容を知りたいという人は次に紹介する『もっとも美しい対称性』をお勧めする。

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2013年12月29日

『数学ガール ガロア理論』 結城浩 (ソフトバンククリエイティブ)

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 わかりやすいといわれているガロア理論の解説本をもう一冊読んでみた。ライトノベル風の物語にしたてた数学書として非常に人気のある『数学ガール』の五冊目である。

 このシリーズは高校生の「僕」と、同じ高校にかよう秀才のミルカさん、一年下のテトラちゃん、そして「僕」の従妹で中学生のユーリの四人組が楽しくおしゃべりしながら数学を学んでいくという趣向で、今回は数学好きの集まる双倉図書館で「ガロア・フェスティバル」が開かれることになり、四人組も群論にチャレンジする。

 第1章から第9章までが準備段階で、ガロア理論に必要な群論や体、線型空間、剰余類などの武器を入手し、経験値を高めていく。そして最後の第10章でいよいよガロアの「第一論文」の攻略にとりかかる(科学アカデミーに三度目に提出した論文だが、遺書に書かれた三本の論文の構想では一本目にあたるので「第一論文」と呼ばれることが多い)。

 本欄にとりあげた以外でも群論の入門書を何冊か覗いたが、ほとんどの本があみだくじを例にあげている。本書もあみだくじから説明をはじめているが、あみだくじのイラストがわかりやすいし、縦三本のあみだくじを《すとん》、《ぐるりん》、《どんでん》に分類するのもアイデアである。《すとん》、《ぐるりん》、《どんでん》は後々何度も出てくるので、直感的にわかった方がいいのだ。

 巡回群から複素平面、正n角形、共役複素数、作図を例にした代数と幾何学の関係へと話題を進める順序は実に自然で、この流れで線型空間の概念がすらすらとわかる。

 ラグランジュの分解式は本書では「ラグランジュ・リゾルベント」という名前で登場する。二次方程式を復習問題にまわし、規則性が見えやすい三次方程式からはじめたのはよかったし、三つの解を《すとん》、《ぐるりん》、《どんでん》で置換すると共役複素数になるというのもわかったが、最小分解体のところで理解に自信がなくなった。こういう初歩的なところで足踏みしてしまうのだから、年はとりたくないものだ。

 それでも二次方程式の解が、有理数体に判別式の √b^2-4ac を添加した体の中にあるのはわかり、これだけでも世界が広がった感じがした。

 塔の理論から作図可能性に進む条はわくわくしてきた。この辺りが数学の醍醐味なのだろうか。

 剰余群の部分はガロア理論理解の鍵になるらしいが、ここも難物だ。時間を置いてから読み直してみようと思う。

 さてアイテムが一通りそろったところで、いよいよガロア理論である。

 物語の上ではフェスティバルの前日、四人組が準備のために残っていると電車が不通になってしまい、図書館に泊まることになる。翌朝、開場前の展示室を歩きながら、ディスプレイされた第一論文の文言をもとに四人が議論しあうという設定になっている。

 体の塔と群の塔が対応しあうことをガロア対応と呼び、補助方程式の根を添加していくと体は拡大して行き、一方群は縮小していく関係にあるそうだ。このあたり、わたしにはもうお手上げである。

 もともと難しい上に、あてられた紙幅が多くないので早足になっているような気がする。若い人ならすらすらわかるのだろうが、わたしの老化した脳ではついていけなかった。

 ガロア理論がわかったとはいえないが、レヴィ=ストロースを読むのに必要な群の知識は十分知ることができたような気がする。本書が群論の入門書としてすぐれていることは間違いないだろう。

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『13歳の娘に語るガロアの数学』 金重明 (岩波書店)

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 方程式の研究は16世紀に急激に進んだ。まず3次方程式の解法が発見され、すぐに4次方程式が解かれた。次は5次方程式だが、多くの数学者が挑戦したもののどうしても解けなかった。そこで解けない理由があるのではないかという疑いが出てきた。

 5次方程式が加減乗除と√では解けないことを証明したのはノルウェイのアーベルだが、どういう方程式なら解けるのかという証明がまだ残っていた。

 方程式の問題を最終的に解決したのは17歳のガロアである。彼は単に方程式が解ける必要十分条件を示しただけでなく、証明の過程で無限の問題を有限のモデル(群)に落としこんで解決する手法を編みだした。これがガロア理論で、現代数学のもっとも強力なツールとなっている。

 今日大学でガロア理論をとりあげる際は、アルティンの『ガロア理論入門』(ちくま学芸文庫)のように、まず抽象化された群論を教え、最後にその応用として方程式論にふれるそうである。ガロア理論は方程式論からはじまったが、方程式が解けるか解けないかは今では単なるおまけなのだ。

 書店でアルティンの本をぱらぱらめくってみたが、とうてい歯が立ちそうにないので、中学生にもわかるという『13歳の娘に語るガロアの数学』を読むことにした(高校生を想定した結城浩『数学ガール ガロア理論』も読んだが、一長一短である)。

 著者の金重明氏は『算学武芸帳』で朝日新人文学賞した小説家である。和算ものの時代小説を得意としているが、『戊辰算学記』という小説にガロア理論を盛りこもうとしたところ、読者にはわからないという理由で編集者にばっさり削られてしまった。その捲土重来を期して書かれたのが本書である。

 講義パートに娘との議論パートがつづく体裁だが、執筆の際は講義パートを書きあげるごとに中学一年生だった娘さんに読ませ、その時のやりとりを議論パートに活かしたという。

 アルティンの本は著者も挫折したそうで、本書は歴史的な流れに沿う形で話を進めている。第1章で2次方程式を復習し、第2章では3次方程式と4次方程式の解法が出てくる。4次方程式は3次方程式におろすところまでだが、ややこしい数式がつづく。4次方程式まで引っ張りだしたのは著者の趣味だろう。

 放りだしそうになったが、和算家が代数学に向かわなかったのはなぜかという話題が出てきたので興味をつなぐことができた。

 和算家は求積問題を追求して微積分の一歩手前まで行ったが、代数学では目だった成果を上げていない。その理由は算盤だそうである。和算家は3次方程式でも4次方程式でも、算盤を使ってたちどころに近似値を出すことができた。算盤で簡単に近似値を出せたので、原理的な解法を探求したり、数学を抽象化したりする方向には向かわなかったわけだ。

 第3章ではラグランジュの分解式が出てきて群論につながるが、この部分がわからなかった。式の展開はついていけるし、

 方程式を解くとは、体の立場で言えば、係数の体Qにその体の元の巾根を添加して、方程式の根を含む体に拡大していくことを意味していた。

という条は視界が一気に開ける感動を覚えた。しかし

代数方程式が巾根で解ける、つまり

  X^n=A

をつぎつぎに解くことによって解けるのは、根の置き換えによってその巾根の間を動いていくような値を見つけることができたからだ、ということを発見する。

という条はわからない。もっと説明してほしかったと思う。

(余談だが、通常「冪」ないし「囂」と書くところを著者は「巾」と書いている。和算ものの時代小説を書いている著者だけに和算の伝統にしたがったのだろう。)

 群の説明はあみだくじや15ゲーム、ルービックキューブを例にしている。ルービックキューブを例としたのは、根の置換えが120通りもある5次方程式を説明するためだが、必要以上に難しくしてしまったのではないか。4次方程式の解法同様、著者が趣味に走ったのではないかという気がする。

 第4章でいよいよガロア理論となるが、わたしの場合ラグランジュの分解式の理解があやふやなので、論旨は追っていけたが、あやふや感が消せなかった(もちろん、すらすらわかる人もいるだろう)。

 ガロアの生涯についても語られているが、研究が進んでいない段階で書かれた『神々の愛でし人』に寄りすぎている。ガロアの伝記に興味のある人は加藤文元『ガロア 天才数学者の生涯』(中公新書)を読んだ方がいい。

 本書はわたしには難しかったが、5次以上の方程式が代数的な方法では解けないということの意味について、以下の条ははじめて腑に落ちる答えをあたえてくれた。

 前に数の拡張を考えるとき、実数を有理数と無理数に分けた。そしてそのときには無理数として √2 のような巾根を考えた。しかし今の結果は、無理数の中に、巾根であらわすことのできない数が無数に存在することを示している。
 ただ、今発見した「巾根で表現できない数」も、代数方程式の根であるという重要な手がかりがあり、まったくわけのわからない数というわけではない。実は無理数の中には、代数方程式の根では表現できない数が無限にある。そのような数を「超越数」と読んでいる。円周率πは代表的な超越数だ。
 実数は数直線上に並んでいる。
 どんなに近い有理数を取ってきても、その真ん中には別の有理数がある。つまり、有理数はぎっしり詰まっている。
 その有理数の隙間に、巾根であらわされる数が無限にある。さらにその隙間に、巾根であらわすことのできない代数方程式の実数根が存在する。そこまででも想像を絶するのに、さらにその隙間に、超越数がこれまで考えたいかなる数よりも濃密に存在するというのだ。

 眩暈がしてくるようなビジョンだが、5次以上の方程式の解法がないとはそういう意味だったのである。

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2013年12月28日

『ガロアの時代 ガロアの数学』時代篇&数学篇 彌永昌吉 丸善出版

ガロアの時代 ガロアの数学〈1〉時代篇
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ガロアの時代 ガロアの数学〈2〉数学篇
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 百歳の天壽をまっとうした日本を代表する数学者が93歳と96歳の時に上梓した本である。こういう言い方は失礼かもしれないが、よくある回想録の類ではなく、原資料や最新の研究にあたって書かれた本格的な著作である。文章はきびきびしていて無用のくりかえしはない。90代半ばにしてこれだけの文章が書けるとは。かくありたいものだ。

 本書はガロアの生涯を描いた「時代篇」と業績を解説した「数学篇」の2巻からなる。

 「時代篇」は4章にわかれ、各章の末尾には簡単な年表がついている。

 第1章「時代背景 政治史から」は25頁ほどの簡単なものだが、ガロアが在籍したルイ・ル・グラン校やエコール・プレパラトワール、入学を果たせなかったエコール・ポリテクニークについてまとめられているのはありがたい。

 エコール・ポリテクニークとエコール・ノルマルは恐怖政治が終わった1794年に国家を立てなおすためのための学校として設立された。

 エコール・ポリテクニークは土木技術者の養成が主目的で内務省所管だったが、革命を守るための軍事技術者が必要となり、陸軍省所管に移された。帝政期にはナポレオンが肩入れしており、共和主義的色彩の強い学校だった。

 エコール・ノルマルは教員資格の認定権を教会から国家に移すために文部省所管の師範学校として設立された。王政復古で教会が復権すると格下げされてエコール・プレパラトワール(準備校)という屈辱的な名前になり、共和主義的な教員が追放された。七月王政で再びエコール・ノルマルにもどり、エコール・ポリテクニークと同格のエリート校になっていくわけであるが、ガロアが入学したのはエコール・プレパラトワール時代の最後の時期だった。

 第2章「時代背景 数学史から」はギリシアからガロアの時代にいたる数学史で110頁ほどある。興に乗ってリーマンやワイエルストラスなど、ガロア後の展開にもふれているが、ガロアと因縁のあるコーシーの人となりと業績については類書よりも詳しく書かれている。

 いきなり読んだら歯が立たなかったろうが、リヴィオの『なぜこの方程式は解けないのか?』を読んでいたので、何の話をしているかぐらいは見当がついた。

 第3章「生涯」は本書の中心部分で80頁ほどある。加藤文元『ガロア』と重なるが、本書の特色は原資料や、1896年に書かれその後のガロア観を方向づけたとされるデュピュイの伝記を随所で引用していることである。書簡類や親友のシュヴァリエの記事などが生に近い形で読めるのは貴重だが、デュピュイの伝記の最後の部分は引用する価値がある。

 デュピュイはガロアの不運と早すぎる死を嘆く人々に対し、もしエコール・ポリテクニークに入学していたなら7月革命の時に街頭で殺されていたかもしれないし、決闘で死ななかったとしても6月暴動で命を落としていただろう、だから彼は「生命を生ききった」と考えるべきだと説き、こうつづける。

 エヴァリストは不滅なものは、人間の思い出のうちにあるとよく言っていたが、そうだとすれば、人間のいる限り彼は不滅である。一般大衆には知られないかもしれないが、彼の名はエリートの賞賛によって忘却から守られるであろう。その人たちのために私は次の願いをこめてこの論文を書いたのである。それは天才への賞賛だけではなく燃えるような魂、苦悩に充ちた哀れな心情への同情心を持つことである。理念のみを表すこの名の傍らに、生きた人間の姿があることを知っていただきたいのである。

 全部読みたくなるではないか。70頁ほどの短い伝記らしいので、誰か翻訳してくれないか。

 ガロアの死については断定していないが、陰謀説には否定的で、自殺説というか革命の人柱説をかなり肯定的に紹介している。決闘で死ぬのは1/14程度の低い確率だったのに、遺書で死に確定的に言及しているのはおかしいという説である。これ以上資料は出てこないだろうし、何ともいえないけれども。

 第4章「ガロアが書き残したものから」はガロアの遺稿3編が解説付で収録されている。

 まず1829年に『数学年報』に「ルイ・ル・グラン校の生徒」という肩書で発表されたガロアのデビュー論文「循環分数に関する一定理の証明」で、すでにガロア理論の基礎となる定理が含まれているという。連分数は当時流行の問題だったので多くの人に読まれたのではないかという。

 2番目は1832年3月にフォートリエ療養所で書かれた「純粋解析の進歩についての討論」というエッセイである。論文集の序文にするつもりだったらしいが、権威に対する批判を乱暴な言葉づかいで述べている。

 最後は『神々の愛でし人』でも引用された、決闘の前夜に書かれたシュヴァリエ宛の遺書である。これは涙なくしては読めない。

 「数学篇」は3章にわかれる。

 第1章「19世紀遺稿の数学の発展から」は「歴史篇」の数学史の章のつづきであるが、いきなり偏微分が出てきてまったく歯が立たなかった。

 第2章「ガロアの理論」は純粋数学の基礎として発展した現代の群論の視点から再構成したガロア理論だが、これもまったく歯が立たない。結城浩『数学ガール ガロア理論』の1~9章までと展開が似ているような気がするので、『数学ガール』を読み終えてからもう一度チャレンジしたが、やはりわからない。『数学ガール』の群の解説は非常に明快でわかったようなつもりになったが、ラスボスのガロア理論となるとやはりわかっていなかった。

 第3章「ガロアの主著」は科学アカデミーに提出した三度目の論文の全訳をもとに、ガロアがどのように証明したかを再検証している。最初はまったく歯が立たなかったが、金重明『13歳の娘に語るガロアの数学』と、ガロアの論文を逐条的に解説している『数学ガール ガロア理論』の10章を読んだ後にながめたら、何をやっているかがうっすらとわかるような気がした(気がしただけで理解できたわけではない)。

 考える材料をたくさん提供してくれる本だ。数学に自信のない人は「数学篇」は飾っておくだけになってしまうかもしれないが、「歴史篇」の方は十分有益だろう。

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2013年12月27日

『ガロアの生涯』 インフェルト 日本評論社/『ガロア』 加藤文元 中公新書

ガロアの生涯 神々の愛でし人
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ガロア 天才数学者の生涯
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 数学に群論という新分野を切り拓きながら、20歳で決闘に倒れたエヴァリスト・ガロアの劇的な生涯はある年齢以上なら文系の人間でも知っている。1970年代に高校生だった人はインフェルトの『ガロアの生涯 神々の愛でし人』を読んだか、評判を聞いたかしたことがあるだろう。羞しい言い方になるが、この本は多くの高校生にとって青春の書だったのだ。

 レヴィ=ストロースの『神話論理』を読みはじめて、いよいよ群論を勉強しないといけないなと思い、まず頭に浮かんだのが『神々の愛でし人』だった。絶版を危惧したが、2008年に新版が出ていた。今でも読みつがれているのだろう。

 高校時代に感動した本を読みかえすには躊躇があったが、今でも面白かった。ただ、伝記だと思いこんでいたが、これはまったくの小説だった。しかもガロア研究があまり進んでいなかった1948年に出版されただけに、多くの間違いが含まれている。

 決闘の原因を作った女性として、小悪魔的な魅力をもったエーヴというコケティッシュな娘が登場し、ラストでガロアを陥れるために警察が放ったスパイだったことがほのめかされるが、これはインフェルトの完全な創作だった。ガロアの片恋の相手が判明したのは1968年だから仕方がないにしても、警察による陰謀説をとる人は今ではほとんどいない。

 リシャール先生とアーベルの五次方程式の論文をいっしょに読む場面で、

 エヴァリストは、怒りと憎悪に眼を見開きながら言った。「アーベルは貧乏しながら二七歳で死んだんですね。彼の原稿もコーシー氏が失くしたんですね」。むきになって彼は言い続ける。「それは別々の出来事ではありません。ある型にはまっていますよ。ね、リシャール先生、互いに関係のある出来事じゃありませんか? ぼくの父が死に、ルイ=ル=グランに反乱があり、アーベルやぼくの原稿が消え去り、またアーベルが死んでいるんです」

と吐露する条は迫害妄想的になっているガロアの心境をよくあらわしているが、この時点ではまだアーベルの論文を読んでいなかったことが後に発見されたノートで明かになっている。エコール・ポリテクニークの愚昧な試験官に黒板拭きを投げつけ「これです、ぼくの返答は」と見えを切る場面もやはり創作だった。

 過激王党派に加担して暗殺されたベリー公の追悼ミサを共和主義者の仲間とともに妨害にきたのに、ミサにきた貴族の娘の肉感的な美しさにくらくらしてしまう条など小説としておもしろい場面がある。インフェルトは物理学者にしておくには惜しいくらい小説家の才能がある。

 センチメンタル・ジャーニーは苦いものになったが、オスマンの大改造前のパリのごみごみした街並やルイ・ル・グラン校の冷え冷えとした寮生活を描いた条はリアルに迫ってくる。

 インフェルトはクラクフの貧しい靴屋の家に生まれたユダヤ系ポーランド人だった。長じて理論物理学者になったが、ナチスの迫害を逃れてアメリカにわたり、プリンストン高級研究所でアインシュタインの共同研究者になった。小説の筆をとった背景には中世都市の面影を残した故郷のクラクフを懐かしむ気持があったのかもしれない。

 ガロアの事実に即した生涯とはどのようなものだったか。

 ガロアの生涯については多くの本が出ているが、現時点で最も新しく、目配りがきいているのは加藤文元氏の『ガロア 天才数学者の生涯』だろうと思う。

 この本を読んで驚いたことがいくつもあるが、その第一はガロアの生涯が『レ・ミゼラブル』とほとんど重なっていたことである(なぜ気がつかなかったのだろう!)。

 ジャン・バルジャンが徒刑場から仮釈放されるのは1815年だが、ガロアはその4年前に生まれている。コゼットの恋人のマリユスはABCの会という共和派の過激集団のメンバーだったが、ガロアはそのモデルとなった団体に属していた。物語のクライマックスは1832年の6月5日にはじまるパリ暴動だが、ガロアはその5日前の5月31日に亡くなり、6月2日には葬儀がおこなわれ2000人以上の共和派の同志が集まっている。

 もし前日にラマルク将軍が亡くなっていなかったら、ガロアの葬儀をきっかけにパリ暴動が起きたとする見方があり、そこからガロアは革命のためにみずからを人柱にしたという自殺説が出てくる。

 『レ・ミゼラブル』を読めばわかるが、当時のパリは民衆の不満で一触即発の状態だった。ガロアは決闘で命を落とさなかったとしても、マリユスのような同志とバリケードに立てこもって、銃撃戦で死んでいたかもしれないのである。

 つぎに驚いたのは吉良上野介なみの悪役にされてきたコーシーが実はガロアの庇護者だった可能性があることである。

 他人の研究に無関心なコーシーが珍しくガロアから送られてきた論文を読み、科学アカデミーの席上で報告すると予告した。科学アカデミーの議題にするとはガロアの研究のオリジナリティに報告者が責任をもつということである。これは異例中の異例であり、コーシーがガロアの真価を理解していた証左となるはずだが、これまでは無視されてきた。というのもコーシーは結局報告せず、論文もなくしたとされてきたからだ。

 ところが近年コーシーが報告でガロアをとりあげなかったのは、ガロアに科学アカデミーの数学論文大賞に応募を勧めたためという説があらわれた(科学アカデミーの議題にすると論文は既発表になり、応募できなくなってしまう)。

 コーシーはアーベルの論文も無視したことになっているが、すくなくとも五次方程式に関する論文は読んでいて、ガロアにアーベルを教え、アーベルにないガロア独自のアイデアを強調して書き直すようアドバイスした可能性まであるという。だとしたらコーシーは論文をなくしたのではなく、書き直すように本人にもどしたのである。

 ガロアは大賞に論文を応募しているし、コーシーに対しては何ら不平を述べていないから、この推定は説得力がある(論文の査読はフーリエが担当するが、急逝したために論文は行方不明になる)。

 ガロアはエコール・ポリテクニークの入試に失敗し、当時二流校だったエコール・プレパラトワールに入学するが、ここでもコーシーの世話になったらしい。

 ガロアのような天才なら「二流校」のエコール・プレパラトワールくらい難なく入れると思いがちだが、現在のエコール・ノルマルの前身だけに、エコール・プレパラトワールの学生は国家公務員に準ずる身分で給料がもらえ、就職先も保証されていた。当然倍率も高かった。

 当のガロアは最先端の数学以外にはまったく興味がなく、入試の成績は惨憺たるものだった。入試の物理担当の試験官の所見はこんな具合だ。

 私はここまでロクな答えもできない学生に出会ったことは初めてだと言い得る。彼はまったく何も知らない。
 彼には数学の才能があるということを聞いていたが、またく驚くべきことだ。なにしろ試験において見る限り彼にはほとんどまったく学識があるようには見えない。……たとえ彼が世間で言われているような人物だったとしても、私は彼が良き教師になれるとは到底思えない。

 天才は単なる秀才とは違い、かくもあつかいにくい代物なのだ。

 こういう成績でよく入学できたものだが、そもそもエコール・プレパラトワールの出願期限は過ぎていて、受験できたこと自体が異例中の異例だった(ガロアは教育大臣に受験を認めてもらう請願書を出している)。リシャール先生は一介のリセ教師にすぎず、教育大臣を動かすような力があったとは考えにくい。コーシーが裏で動いてくれたのではないかという説が出てくる所以である。

 ガロアは周囲の人々の骨折りでなんとかエコール・プレパラトワールにすべりこむ。ガロアは無理解な大人たちから迫害された悲劇の天才とされてきたが、すくなくともこの時点までは迫害されるどころか特別な待遇を受けていたようである。

 しかしガロアはこの後いよいよ政治にのめりこみ、エコール・プレパラトワールを放校処分になる。

 ガロアは前年に応募した論文がフーリエの死で行方不明になったために、1831年1月再度書き直して科学アカデミーに提出する。この三度目の論文が幸い残ったのでガロア理論が世に知られるようになったが、科学アカデミーの大賞はとれなかった。

 査読報告が残っているが、加藤氏は「そもそも論文の目的を把握することに失敗している。これは驚くべきことだ」と評している。

 1831年10月ガロアは二度目の逮捕で懲役6ヶ月となるが、コレラ騒動のために監獄からフォートリエ療養所に移される。この時療養所長の娘のステファニー・デュ・モテルが親切に接してくれ、女性経験のなかったガロアは彼女の親切を自分に気があると誤解し、一方的にのぼせあがったらしい。

 ガロアの決闘は謎が多い。大きくわけると陰謀説、自殺説(革命の人柱説)、恋愛説の三つの見方があるが、加藤氏は陰謀説は論外とし、自殺説については革命のきっかけにするなら人の集まりやすい月曜日が好都合なのに、決闘は水曜におこなわれていると疑問を呈している。断定はしていないが、消去法で恋愛説に傾いているような印象を受ける。わたしも恋愛説というか、片恋説が妥当ではないかと思う。

 市街戦で重傷を負ったマリユスはジャン・バルジャンに救われるが、ガロアにはジャン・バルジャンにあたる人物はいなかった。

 フーリエがもうちょっと長生きしていたら、あるいはコーシーが七月革命で亡命しなかったら、ガロアは正当に評価され、あんなにも政治にのめりこまなかったかもしれない。しかし早すぎる死も含めて、これが運命だったのだろう。

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2013年09月13日

『改訂普及版 人類進化大全』 ストリンガー&アンドリュース (悠書館)

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 古人類学の図鑑である。原著は2005年に刊行され、2011年に改訂版が出た。日本では2008年にハードカバーで邦訳が出ているが、1万2600円という個人には手の出しにくい価格だったので、2012年に装幀を簡略化し価格を6,090円におさえた本書が出た。

 単に値段が安くなっただけでなく、原著の2011年版にあわせて改訂された点が重要だ。2008年に発見された現生人類の最古の祖先アウストラロピテクス・セディバや2009年に復元されたラミダス猿人、さらに日進月歩の観のあるDNA分析など最新情報が追加されており、「改訂普及版」というにふさわしい内容になっている。

 著者は人類のアフリカ単一起源説を提唱したことで知られるロンドン自然史博物館人類進化研究室のクリス・ストリンガーとその同僚のピーター・アンドリュースで、どちらも30年以上の研究歴のある古人類学界の重鎮であり、発掘経験も豊富である。

 アリス・ロバーツ編の『人類の進化大図鑑』(以下『大図鑑』)は一般向けで文字量がすくなかったが、本書は本格的な勉強をしたい人向けで文字量が多い(小さめの活字で横二段組)。図鑑というより古人類学の教科書といった方がいいかもしれない。

 巻末に「さらに読みたい読者のために」という参考文献一覧が細かい活字で3頁たっぷり載っているが、1/4は学術誌に載った論文であり、残りも専門書ばかりである。

 本書は三部にわかれる。

 第一部「私たちの祖先を求めて」は導入編で人類進化のあらましと、それが地球誕生からのタイムスケールでどのような位置にあるか、動物の食性と身体の大きさの関係、化石はどのようにしてできるか、発掘と解析技術、古代の環境などを解説した後、著者たち自身が発掘にたずさわった六つの現場を紹介している。

 オルドヴァイ溪谷やジブラルタルのような有名な遺跡も出てくるが、英仏海峡に近いボックスグローブ遺跡の条は面白かった。

 50万年前の層から歯が2本出土しているが、これは英国最古の人類化石でホモ・ハイデルベルゲンシスと同定されている。近くで黒曜石がとれるが、打ち欠いて石器を作った場所がそのまま残っていて、石屑が散らばっているそうだ。大型哺乳類の解体場所も見つかっている。

 歯を顕微鏡で観察したところ多くのひっかき傷があった。肉や草を噛んでいて噛みきれないと、石器で切断しようとして歯を傷つけたらしい。歯根部には歯石が付着していたというが、歯槽膿漏で歯茎が下がっていたのか。

 第二部「化石から進化を探る」は本書の中心部分である。霊長類の起源から現生人類までの進化の歴史を、出土資料にもとづく骨格と環境の復元を通して描きだしている。

 人類進化の本は何冊か読んだことがあるが、化石の写真や模式図がふんだんに使われているので理解がとても助けられた。ロンドン自然史博物館が全面協力したということだが、百聞は一見に如かずである。

 ただ『大図鑑』と違って写真の多くはモノクロである。学問的には問題がないのだろうが、モノクロの骨の写真が次から次へと出てくると、気分が滅入ってくる。また猿人や原人の生活を描いたパステル画が随所に出てくるが、『大図鑑』の精巧な想像図と較べるとぱっとしない。

 「ネアンデルタール人のDNA」の章は改訂版で追加されたのだろう、2011年時点の最新情報がはいっている。ネアンデルタール人と現生人類の分岐は50万年前であり、別系統であることはもはや動かしようがない。現生人類の核DNAの3%はネアンデルタール人由来であることがわかり、出アフリカの直後に混血があったことが確実になった。本書は二段階出アフリカ説ではなく、12万年前の北ルートによる出アフリカが失敗せず、そのまま世界に拡散していったという立場なので、混血の場所は中東だとしている。南ルート説をとった場合、交雑の場所が問題になるだろう。またデニソワ人の指の骨からDNAが採取でき、現生人類と混血したことが判明したという。この分野は目が離せない。

 第三部「化石証拠の解釈」は第二部で描かれた歴史をもとに、行動様式と社会構造の進化を考察している。行動様式は最終的には現生人類の芸術活動につながっていく。第二部がハード面の進化だとするなら、第三部はソフト面の進化といえよう。

 ネアンデルタール人の化石の多くに骨折し治癒した痕があることが知られているが、部位別の負傷の割合をロデオ騎手と対照したグラフは興味深い。なぜロデオ騎手かというと、さまざまなスポーツ選手の負傷の割合と比較したところ、ロデオ騎手が一番似ていたからである。

 両者は凶暴な動物を日常的に相手にしているという共通点があるが、ロデオ騎手が頭と手の怪我が多いのに対し、ネアンデルタール人は足の怪我が多いという違いがあった。

 進化心理学を紹介した部分では現代の狩猟採集民の生活から旧石器時代の生活を類推する動きに対し「彼らの社会構造、言語、宗教的なシステムが「先進国」の社会のものと違わぬほど複雑であることを前提にすれば、古代人が彼らに匹敵するものをもっていた可能性は低いだろう」と警鐘を鳴らしている。

 重要な指摘である。レヴィ=ストロースが明らかにしたように、野生の思考は素朴な外見にもかかわらず精緻を極めており、あれほど複雑なシステムは社会的発展の産物と考えるしかないのかもしれない。旧石器時代に人々の精神世界はまた遠のいてしまった。

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2013年09月12日

『人類の進化大図鑑』 アリス・ロバーツ編 (河出書房新社)

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 『人類20万年 遙かなる旅路』のアリス・ロバーツが企画・編集した図鑑である。すこし前に邦訳されたストリンガー&アンドリュースの『人類進化大全』が専門的に勉強したい人向けなのに対し、こちらは一般読者向けの図鑑であり、多数の写真を美しくレイアウトしたグラフ雑誌のような作りになっている。眺めているだけで楽しく、想像力を刺激される。

 一般向けといっても、人類学の最新の成果がてんこ盛りにされており、古い知識しかない人はここまでわかっているのかと圧倒されるだろう。

 本書は「過去を知る」(マイケル・ベントン)、「霊長類」(コリン・グローヴズ)、「人類」(ケイト・ブラウン)、「出アフリカ」(アリス・ロバーツ)、「狩猟者から農民」(ジェーン・マッキントッシュ)と五章にわかれ、英国の古人類学者が執筆しているが、一番の見せ場は「人類」の章だろう。

 チンパンジーとの共通祖先から現生人類が誕生するまでにはさまざまな種があらわれては消えていき、複数の系統が入り乱れる複雑な様相を呈していたが、本書は代表的な20の種を選んで解説し、そのうちの12種は化石の頭骨から復元模型を製作し、恐ろしくリアルな写真を掲載しているのである(ホモ・サピエンスだけ男女二体を製作)。

 化石のレプリカにさわったことがあるならともかく、アウストラロピテクス・アフリカヌスとかホモ・ハビリスといわれても、素人には見当もつかない。人類誕生の物語にはさまざまな旧人が登場するが、どれも系統樹の上の名前以上のものではないのだ。ところが本書を開くと、強烈な「人格」となって立ち現れてくるのだ。

 こうした復元模型は適当に作ったわけではない。化石をCTスキャンしたデータをもとに3Dプリンタで頭骨を再現、その上に筋肉と皮膚を法医学の手続ではりつけていき、最後に毛を一本一本手植えしている。初期人類の氷漬け遺体は見つかっていないので復元はあくまで推測であるが、チンパンジーと現生人類の主要な顔筋は一致していることがわかっており、かなり信憑性の高い復元となっている(実際の作業は「過去を知る」の章に四頁にわたって解説がある)。

 どれも強烈だが、特に印象的な種について感想を書こう。

 最初のサヘラントロプス・チャデンシスは今世紀になって発見された最古の猿人である。ヒトとチンパンジーの共通祖先の前か、後かで説がわかれているが、本書では共通祖先と同時期に生きていた可能性があるとし、チンパンジーよりもゴリラに似た顔に復元されている。類人猿の原始的な形態を残しているのかもしれない。

 アウストラロピテクス・アフリカヌスは愛敬のあるチンパンジー顔で、SMAPの中居正広そっくりである。アフリカヌスより現生人類に似ているといわれているが、チンパンジーの方向にもどってしまったようにしか見えない。

 ホモ・ハビリスは女性の化石から復元しているが、ウーピー・ゴールドバーグを凶暴にした感じだ。石器による狩猟をはじめていたらしい。

 ホモ・エレクトスは世界中に広まったが、本書の復元模型はジャワ島で発見された男性の化石を元にしている。黒い朝青龍という感じで、モンドロイドを先取しているように見える。ジャワ原人にはアジア的特徴がすでにあらわれているという記述を読んでもぴんと来なかったが、復元模型で見せられると一目瞭然である。多地域進化説が出てくるわけだ。

 ホモ・フロレシエンシスはついこの間までフローレス島に生息していたアナザー人類である。系統は違うはずなのに、現生人類の中にもいそうな顔である。

 ホモ・ネアンデルタレンシスはイアン・マッケラン演ずるガンダルフという風貌で、ほとんど白人ではないか。間違っているとはわかっていても、多地域進化説はひょっとしたらと思ってしまう。

 特定の化石を元に復元するとその種固有の特徴なのか、その個体の個性なのかを曖昧にしてしまい、学問的ではないという批判もあるだろう。しかし13の復元模型が700万年の人類進化史を手の届きそうなところに引き寄せてくれるのも確かだと思う。

 つづく「出アフリカ」の章では10万年におよぶ現生人類の拡散史が図解中心に解説されている。ここの写真もみごとだ。驚いたのはクローヴィス尖頭器の美しさだ。モノクロの写真や模式図では見たことがあったが、カラーで見たのは初めてだ。クローヴィス石器を作っていた工房遺跡の所有者が一日25ドルの入場料をとって発掘させていたそうだが、こんなのが出てくるのだったら25ドル払おうという素人がいてもおかしくない。

 写真と図解が中心なので文字の量は多くないが、原著刊行の半年前に発表された「ネアンデルタール人のDNAをアフリカ人以外の現世人類が受け継いでいる」という最新の説もちゃんとはいっている。

 『人類20万年 遙かなる旅路』の時点ではネアンデルタール人のゲノム解読は2/3しか終わっておらず、ミトコンドリアDNAには共通点がないという結果から、現生人類とネアンデルタール人の交雑はないとされていた。

 ところが核DNAではアフリカ人以外の現生人類の中にネアンデルタール人から受け継いだ遺伝情報を持つ人々がいるのだ。ヨーロッパ人だけでなくアジア人にもいるということは出アフリカから間もない時期に交雑があったということだろう。そしてミトコンドリアDNAに共通部分が見られないことからするとネアンデルタール人の男と現生人類の女の組み合わせで交雑がおこったことになる。

 ネアンデルタール人の男が現生人類の群れに参加したということは考えにくいから、ネアンデルタール人の男が現生人類の女をレイプしたのか、あるいは現生人類の女がネアンデルタール人の洞窟に拉致され、受胎してから逃げだしたのかのどちらかだろう。寝案であるタール人は滅びたが、その遺伝子のいくつかは現生人類の遺伝子プールの中に残ったのである。

 なお、河出書房のサイトに本書の紹介ページがある。

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2013年09月11日

『人類20万年 遙かなる旅路』 アリス・ロバーツ (文藝春秋)

人類20万年 遙かなる旅路 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 2009年にBBCで5回シリーズとして放映された「The Incredible Human Journey」の書籍化である。異なる立場の意見も丁寧に紹介されており、現時点で人類のグレート・ジャーニーものとしてはもっとも内容豊かで信頼できる本だと思う。

 著者のアリス・ロバーツは医師でバーミンガム大学で解剖学を教えるかたわらサイエンス・コミュニケーターとして活躍している。彼女のサイトを見ればわかるように大変な美人で、宣伝文句風にいえば美しすぎる解剖学者である。

 解剖学と関連の深い古人類学の学位をもち、最近河出書房から翻訳の出た『人類の進化大図鑑』(以下『大図鑑』)も彼女の編著である。『大図鑑』を見ればわかるが、サイエンス・コミュニケーターとしての実力は第一級である。

 「The Incredible Human Journey」では案内役として世界各地の現場に飛び、先住民や研究者と語りあったり、石器や土器作りから筏による航海、零下70度の雪原での野営まで体当たりの取材をしている。人類史の最新の知見を伝える一方、美しすぎる解剖学者の秘境冒険ものとしての面もそなえている。

 元の番組は先日NHKの『地球ドラマチック』枠で「人類 遥かなる旅路」として放映されたが、5回のうち3回だけだったし(本書の第1章、第3章、第5章に相当)、正味59分が43分に短縮された。アリスの出演場面はすべてカットされ、渡辺徹のナレーションで進むように再編集されていた。秘境冒険もの的な要素がなくなってしまい、ほとんど別の番組である。話の流れのおかしなところが多々あったが、本書を読んでようやく論旨が一貫した。

 人類のグレート・ジャーニーについてはさまざまな本が出ているが、著者がもっとも評価し、本書の下敷きとしているのはオッペンハイマーの『人類の足跡10万年全史』である。グレート・ジャーニーの最初と最後のイベント――出アフリカとアメリカ大陸到達――の時期でオッペンハイマー説を踏襲しているし、オッペンハイマー自身に会いにいき、教えを受けてもいる。オッペンハイマー説は2003年時点では大胆だったが、その後の発見で信憑性をましつつある。

 本書で意外だったのはDNA解析でとどめを刺されたと思っていた多地域進化説の信奉者が世界中にまだ残っていることである。多地域進化論者は化石資料を重視するが、解剖学から古人類学に進んだアリスは貴重な標本を前に彼らの言い分をじっくり聞いており、本書のというか番組の見せ場となっている(NHK版ではカット)。

 アボリジニはジャワ原人から進化したと主張するアラン・ソーンにWLH50の頭蓋骨を見せてもらう場面では明らかに現生人類とは違う特徴をもつ骨に、病気をわずらっていたのではないかと動揺していた。まだ謎はあるのである。

 中国では「中国人は北京原人の血を引く世界最古の民族」という愛国主義教育がおこなわれていて、北京原人の頭骨のレプリカは国宝級のあつかいを受けている。モンゴル人も、チベット人も、ウイグル人もすべて北京原人の子孫ということになれば、中国国内の民族問題が解決するというわけだ。

 アリスは中国古人類学学会の重鎮の呉新智に周口店を案内してもらい、厳重な保管庫からうやうやしく取りだされた北京原人の骨のレプリカを見せられるが、老学者に敬意をはらいながらも「頭骨の特徴の解釈は主観的になりがちだ」とにべもない。頭骨の形状は硬いものを食べて育ったか、柔らかいものを食べて育ったかだけで変わってしまう。解剖学を専門にしている著者は骨の形状の危うさをよく知っているのだ。

 旧人がそのまま現生人類になったとする説のもう一つの根拠は東アジアの石器が原始的な段階にとどまりつづけたことだ。3万年前になってようやく進んだ石器があらわれたが、それはゲノムの研究から東アジアに現生人類が到達したとされる時期より1万年も後のことだった。呉新智は原始的な石器がずっと使われつづけたことも種の交代がおこらなかった証拠としている。

 もっともこれには有力な反論があらわれている。東アジアでは石器にするような石がとぼしいかわりに、すぐれた道具となる別の素材――竹――が豊富だったので、石器を発達させる必要がなかったというものだ。番組では原始的な石器で竹を切り出し、あっという間に竹のナイフを作りあげて鶏肉を切ってみせた。切れ味はなかなかである。

 中国のさまざまな民族のDNAを調べ、中国人がアフリカ起源ではないことを証明しようという調査もおこなわれていた。中心となったのは上海復旦大学遺伝学研究所の金力で1万2000人を超えるサンプルを収集した。結果について金は次のように語っている。

「もちろん中国人としては、わたしたちのルーツが太古の中国にあるという証拠を見つけたかったですね。そういう教育を受けてきましたから。わたしたちは皆そう教わったのです。しかし科学者としては、この結果を受け入れなければなりません。そしてこの結果は、アフリカ単一起源説が正しいことを示しているのです。地域連続説は間違っていたのです」

 この調査の後も中国は北京原人起源説を子供たちに教えつづけているのだろうか。気になるところだ。

 出アフリカが7万4000年前のトバ火山の噴火前だったか(早期拡散説)、後だったか(後期拡散説)はまだ決着がついていないが、6万5000年前に出アフリカしたとする通説にしたがえば後期拡散説になる。日本語で読める本だと早期拡散説はオッペンハイマー本くらいで、ウェイドの『5万年前』、NHKの『ヒューマン』などは後期拡散説側である。

 本書は早期拡散説をとり、トバ火山噴火の時点にはインドまで達していたとする新説も好意的に紹介している。

 その根拠となるのはインドのジャワラプラム遺跡のトバ火山噴出物の堆積層の下と上で石器に連続性がみられるらしいことだ。灰の下の石器を作った人と上の石器を作った人が同じかどうかはわからないし、石器を作ったのが現生人類なのか旧人なのかも決着がついていない。とはいえインド洋を越えてトバ火山の灰が直接降ってくるインドで噴火の前も後も人類が生存していたということに驚く。

 トバ火山噴火は大災害には違いなかったが、絶滅した哺乳類はすくなく、ほとんどの種は百年足らずで回復していたという。トバ火山の影響を大きく考えすぎていたのかもしれない。

 『ヒューマン』で特筆大書されていた農業のお祭り起源説は本書では「宗教が圧力となって農業が発明された」と述べられるにすぎないが、狩猟採集生活から農耕生活への転換によって「全般的な健康状態の低下」がもたらされたという指摘は重要である。

 狩猟採集民に比べて、農民は、歯の欠損や虫歯が多く、成長不良で身長が低く、平均余命は短かった。また、外傷の残る骨が多く見られ、暴力や闘争が増加したことが察せられた。伝染病にかかる人も増えた。おそらく、貧しい生活に加え、多くの人が密集して暮らすようになったことがも影響しているのだろう。貧血症も一般的になった。しかし、個人レベルではそのような不利益をもたらしたものの、農耕の開始は、平均寿命の減少を補って余りある出生率の増加をもたらし、そのせいで人口は増加した。

 ヒトは定住生活向きには進化してこなかったとする西田正規『人類史のなかの定住革命』の指摘は正しかったのだ。

 さて人類学の調査は民族問題や差別問題に抵触しかねない面がある。アメリカ先住民のミトコンドリアDNA調査で過去に不正があり、先住民の研究者でもなかなか協力してもらえない状況があるという。

 本書では蔑称という理由で使われなくなった「ブッシュマン」が使われている。「ブッシュマン」の代りに使われていた「サン」は現地語で「牛泥棒」を意味していることがわかり、「牛泥棒」よりは「薮の人」の方がましという判断のようである。

 ネアンデルタール人がゲノム解析で赤毛だったことがわかったが、赤毛にする遺伝子は現生人類とは違うとわざわざ断っている。はっきり書いていないが、ヨーロッパで赤毛の人が嫌われるのはネアンデルタール人との混血が赤毛だったからではないかという説を想定してのことだろう。

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2013年07月29日

『暴力はどこからきたか』 山極寿一 (NHKブックス)

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 近年、母親の彼氏による児童虐待や子殺しが増えている。ガールフレンドの子供をうるさがるくらいなら子供嫌いの延長かなと思わないではないが、実の子と義理の子がいると、実の子は猫かわいがりするのに義理の子には食べ物を食べさせなかったり、ちょっと泣いただけで障害が残るほど折檻したり、頭を殴って脳出血で死なせたり、何ヶ月もかけて徐々に衰弱死させたりと、あきれるようなニュースが多々伝えられている。

 ここで連想するのは動物の子殺しだ。ローレンツの『攻撃』で動物は同族どうし殺しあわないような仕組を発達させてきたことが知られるようになり、動物=野蛮という思いこみが覆されたが、その後、新しく来たオスによる子殺しの事例が多くの種で発見され、ローレンツが主張していたようなきれいごとではすまないことがわかってきた。

 新しく来たオスが前のオスの子供を殺すのは自分の遺伝子を残すためである。ほとんどの種ではメスは授乳中は発情が抑えられているから交尾できない。前のオスの子供が殺されるとメスは発情し、子殺しの相手とめでたく交尾にいたるというわけだ。

 人間は言語によって本能が壊れてしまっているので、動物の子殺しと直接結びつけることはできないにしても、母親の彼氏ないし新しい父親による子殺しはちょっと似すぎている。チンパンジーやゴリラでも報告されている子殺し行動と関連はないのだろうか。それを確かめたくて本書を読んでみた。

 本書はサルの誕生から説き起こし、サルが進化を通じてどのように社会性を発達させ、食物と生殖相手という限られた資源をめぐる葛藤を解決してきたかを語り、最後に初期人類の社会構造を類人猿や現在に残る狩猟採集民の生活との比較で推定している。

 著者の山極寿一氏はゴリラの研究で世界的に知られたサル学の研究者である。近年はフィールドワークの経験をもとに人類の進化史を論じた本を発表しているが、本書もその一冊といえる。

 まず食物であるが、サルはモグラやハリネズミのような食虫類からわかれ、樹上で果実にたかる虫を主食とするようになった。密林の林冠部は鳥の天下だったので、身体の小さな初期のサルは夜しか活動できず夜行性になった。昆虫は分散していて一度にたくさん捕食することができないので、夜行性のサルはテリトリーを作って単独か雌雄のペアで暮らしている(小型の原猿類)。

 その後サルは花や蜜、花粉、果実、トカゲなどの小動物も食べるようになり、体が大きくなっていった。果実は食べ頃の時期が限られているので、広い範囲を移動する必要があり、夜行性は具合が悪い。体が大きくなって鳥と張りあえるようになったので昼行性のサルが誕生した。これが大型の原猿類と真猿類で、群れを作って生活する。真猿類にはオランウータン以外単独で暮らす種はいない(オランウータンももともとは群れで暮らしていたと思われる)。

 昼行性のサルが群れを作るのは果実のような一ヶ所に集中的に見つかる食物を群れの力で独占するためでもあるが、それ以上に捕食者に襲われる危険性をすくなくするためだと考えられる。捕食者は子供を集中的に狙うが、群れが大きいほど子供の死亡率が下がる傾向が確認されている。

 しかし群れで暮らすとなると、食物と生殖相手の分配という大問題がもちあがる。樹上性のサルは体の小さなサルは枝先、大きなサルは幹に近い部分と棲みわけが可能なので食物の争いはおきにくいが、地上性で果実食のサルの場合は食物をめぐる争いが深刻化しかねない。

 食物の争いを防ぐ方法としては厳格な序列を作ることがあげられる。ニホンザルでは母系集団による序列が明確であり、序列にしたがって食物をとる優先権が決まるので食物をめぐる争いは抑制されている。タイワンザルやアカゲザル、カニクイザルなども序列社会で争いを防いでいる。こうした序列社会では優位なサルに攻撃されたサルは自分よりも劣位なサルを攻撃することで鬱憤ばらしをする傾向がある。

 群れで暮らすヒヒの世界でも食物をめぐる葛藤は序列で解決されている。劣位の個体は優位の個体に注視されると、食物に手が出せなくなる。優劣関係がすべてなのだ。

 ところが類人猿では優位者が劣位者に食物を譲ったり贈ったりする行動が見られる。チンパンジーはよく喧嘩をするが仲直りにも積極的である。オスの場合、同盟を組んで地位を維持しているので、優位のオスは劣位のオスの御機嫌とりをおこたらず、肉が手にはいると子分にだけ分配したりする行動も見られる。

 チンパンジーにとって肉は希少な食物だが、自分一人で食べてしまえばいいのに、獲物をわざわざ仲間のところにもっていき、みんなに分配をせがまれながら、いっしょに食べることを好む。チンパンジーの狩りは食欲のためより自己顕示のためにおこなわれている可能性がある。

 飼育しているチンパンジーとボノボで一頭の個体では食べきれないほどの食物をあたえる実験をおこなったところ、食物の分配には互酬性が認められた。以前食物をわけてもらった相手とか、その日に毛づくろいしてくれた相手により多く分配しており、序列とは関係なく、明らかに義理のある相手にお返しをしているのである。

 ゴリラの場合はおいしい食物のある採食場所を優位な個体が劣位な個体にゆずってやり、隣あったり、視線をかわしたりしながら同じ物を一緒に食べるという行動が観察されている。ゴリラにとって食べるという行動は食欲を満たす以上の意味があるのだ。

 類人猿は食物をわかちあうという共同性を発達させることによって、優劣関係によらない葛藤の解決をはかっているようである。

 生殖はどうだろうか。重要なことは食物と違い、性の相手はわけられないことである。

 ニホンザルのような序列社会では優位なオスが発情したメスと独占的に交尾すると考えられていたが、実際はメスが優位なオスを拒否をすることが多く、劣位なオスにも交尾の機会はたくさんあることがわかった。しかもDNA鑑定で父子関係を調べたところ、高順位のオスよりも低順位のオスの方がたくさん子孫を残しているという驚くべき事実が判明した。

 低順位のオスとは最近群れに来たオスである。メスは古なじみのオスよりも新来のオスにより魅力を感じるのかもしれない。母系制のニホンザルの社会ではメスが群れを移ることはないので、多様な遺伝子を残すために新来のオスを選んでいる可能性もある。

 チンパンジーはニホンザルとは逆にメスが群れをわたりあるく。発情期間が長いので複数のオスと交尾するが、発情メスの共有には三つのタイプがある。

  1. 優位なオスが交尾を独占するが、劣位なオスにも交尾の機会をあたえる
  2. メスが劣位のオスと一時的に群れを離れ、恋愛旅行に出る
  3. 乱交

 劣位なオスにも繁殖の機会があたえられているように見えるが、DNA鑑定をすると優位なオスが多くの子孫を残していることがわかった。優位なオスは妊娠する可能性の低い日には子分のオスにメスを譲るが、排卵日が近くなるとちゃっかりメスを独占していたのだ。メスの方でも優位なオスの子孫を残したがっているようである。

 ゴリラは基本的に単雄複雌で息子は成熟後に群れを離れるが、父親が老齢になった場合、息子が群れにとどまり複雄複雌の群れになる。メスの独占が原則にもかかわらず父親と息子が交尾相手をめぐる競合をしないですんでいるのはそれぞれに交尾回避をするメスがいるからだ。息子は母親とは交尾しないし、娘は父親との交尾を避けようとする。近親相姦回避の傾向が複数のオスの共存を可能にしているようだ。

 近親相姦の回避はサル全般に見られる。息子が母親との交尾を避ける行動はすべてのサルで見られるし、父親が子供を育てる種では父親と娘の交尾も抑制されることがわかっている。ニホンザルは四親等(従兄弟どうし)まで交尾を回避するという。

 近親相姦を避けるからといって、サルたちが血縁関係を認識しているわけではないらしい。血縁がなくてもいつも近くにいて仲良くしている雌雄は交尾を避ける傾向が発見されている。おそらく親密さによる交尾の抑制が結果的に近親相姦を防いで生き残りに有利に働き、本能として定着したのだろう。

 著者は類人猿に見られる近親相姦の回避と食の共同が初期人類にも受けつがれ、それが家族を誕生させたのではないかと推論している。

 家族の中で性行為が許されるのを夫婦間に限定することで性的な競合におちいらない親しさが生まれ、また性の対象を他の家族に送りだしたり、むかえたりすることで家族間のつながりが生まれた。

 こうして生まれた家族内、家族間のきずなは、食の共有によって強められた。人類は奇妙な食習慣を持っている。それは常に仲間と食事をともにするということだ。自分ひとりで食べられるものもわざわざ仲間と分け合おうとするし、仲間といっしょに食べるために食物を集めにいく。本来葛藤のもとになるはずの食物をなぜ、親しい仲間との社会交渉に使うのか。よく考えてみれば、ずいぶんおかしなことをやっている。だがこれは、類人猿の行なう採食場所の譲渡や食物の分配から受け継がれて来た行動特性であり、それを独自に発展させてきたものである。……中略……初期の人類はこの食の共同とその共存を支える働きを、家族内だけでなく家族間にも用いたに違いない。共食はどの文化でも家族を超えた仲間に対して行われており、隣人に食物を与えない家族は軽蔑され、みんなに後ろ指を指されることになる。人類は性を家族に閉じ込めたかわりに、食を公開して共同行為に発展させたのである。

 ここで重要なのは「独自に発展」させたという部分である。類人猿の食の共有と、初期人類に近いと考えられる狩猟採集民の食の共有はまったく違うのだ。チンパンジーやボノボは食物の分配を政治の道具に使っているが、狩猟採集民は食物から所有の概念を徹底的に消し、あたえる/あたえられるという優劣関係が生まれないように細心の注意を払っているのだ。

 狩猟採集民が食物の分配に細かなルールやエチケットを設け、人間関係に影響しないような社会を作っているのは、食物で怨みが生まれると集団が分裂しかねず、生存が危うくなるからだ。群れでしか生きていけない初期人類はおそらく食物を政治の道具とすることをみずから禁じたのである。

 こういう社会では間引きはおきても、新しい父親による先夫の子殺しは起こらなかっただろう。

 だが農業の開始とともに人間は土地に帰属するようになり、所有概念が生まれ、個人間に優劣がつくようになった。子殺しがあったかどうかはわからないが、自分の血を引く子供だけを有利にしようと思えばできるようになったのである。

 

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2010年06月27日

『コペルニクス革命』 トマス・クーン (講談社学術文庫)

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 パラダイム理論で知られるトマス・クーンが1957年に上梓した処女作である。クーンは本書の5年後、『科学革命の構造』でパラダイム理論を提唱し、科学史のみならず思想界に衝撃をあたえることになる。

 本書にも2ヶ所「パラダイム」という言葉が出てくるが、まだ実例という意味にしか使われておらず、パラダイム理論でいう「パラダイム」の意味には達していない。

 しかし「パラダイム」の萌芽はすでに見られる。「概念図式」である。

 本書は星をちりばめた天球という球体が地球を中心に回転しているという「二つの球」の概念図式から、無限の宇宙を無数の天体が重力の法則にしたがって運動しつづけるというニュートンの概念図式に移行する過程を段階を追って跡づけているが、この概念図式は単なる天文計測のための方便ではなく、世界における人間の位置を説明するという「心理的機能」をももっており、科学者であると否とをとわずさまざまな人々さまざまな分野に影響をおよぼしたと指摘する。クーンは書いている。

 科学者も非科学者も同様に、実際に星は人間の地上のすみかを対称形に囲んでいる巨大な球上の輝点なのだ、と信じていた。結果として、二つの球の宇宙論は何世紀もの間多くの人間に世界観、すなわち創造された世界での人間の位置を定義し、人間と神との関係に物理学的意味を賦与するもの、を実際に供給した。

 閉じた「二つの球」からニュートンの無限空間への移行は運動の説明から社会のありかたまで人間の思考のあらゆる分野の変革とからみあっていた。

 「二つの球」の概念図式はアリストテレスの目的論的自然学と不可分の関係にあった。アリストテレスの自然学では万物は五大元素からなり、各元素にはあるべき場所が決まっていて、運動は元素本来の場所にもどるために生じると考えられていた。手を離すと物が地面に落下するのは物の中に「地」元素が含まれているので「地」のあるべき場所=地球の中心に帰ろうとするためだし、炎が空に向かって燃えあがるのは「火」の元素の固有の場所が空にあるためだ。

 地上の世界は「地」「水」「火」「風」の四元素でできているが、天上世界は「エーテル」という第五元素のみでできていると考えられていた。一番外側の恒星をちりばめた天球の内側に土星を載せた透明な天球殻が密着し、その内側には木星の天球殻、さらに火星、太陽、金星、水星の天球殻がきて、一番内側に月の天球殻がくる。地上の世界とは月を載せた天球殻の直下にあたるので「月下の世界」と呼ばれる。アリストテレスの宇宙論をクーンは次のように要約している。

 アリストテレスは、月の天球の下側は宇宙を二つの完全に別々の領域、すなわちつまっている物質もまた支配している法則も異なる領域に分けている。人が住む地上界は多様性と変化、誕生と死、発生と堕落の世界である。対照的に、天上界は不滅と無変化の世界である。すべての元素のうちでエーテルだけが純粋でけがれがない。組み合わされた天球だけが、速度変化がなく、その占める空間が常に厳密に同一で、永久に元の位置へと戻ってくるという、自然かつ永遠の円運動を行なう。天球の実体および運動は天の不変性および尊厳と両立しうる唯一のものであり、天こそが地上の多様性および変化のすべてを作り出し支配している。

 太陽と月を除く惑星は時々逆方向に動いた。この逆行運動を説明するために周天円が考案された。惑星を載せた天球殻にはかなりの厚みがあり、惑星は天球殻の内部で厚み方向に円運動(周天円運動)をしているとしたのである。惑星が天球殻の厚みの中心から外側の領域で運動する期間は天球殻の回転方向と一致するので順行するが、内側の領域にはいった期間は天球殻の回転方向と逆方向になるので逆行して見える。しかも地球に近づくので明るくなるというわけだ。

 周天円システムを提案したのはアポロニオスとヒッパルコスだが、完成させたのはプトレマイオスだった。プトレマイオスは近地点や遠地点を説明するために副周天円を考え、さらに運動速度の変化を説明するためにエカントという架空の中心を作りだした。プトレマイオスが『アルマゲスト』で提案した天球殻システムは千年以上にわたって天文計算の基礎となり、惑星の位置の近似値を提供した。プトレマイオス以後の天文学者は計算結果を観測値により近づけるために周天円に周天円を重ねていき、プトレマイオスのシステムはしだいに複雑化していった。

 この流れに一石を投じたのがコペルニクスだが、注意しておきたいのはアリストテレス=プトレマイオスの地球中心説に対して太陽中心説を主張したのはコペルニクスが最初ではないということだ。古代ギリシアにはピタゴラス学派をはじめとする太陽中心説の流行があったし、ルネサンスになると新プラトン派の台頭とともに太陽中心説が復活した。だが太陽中心説をとなえたのはフィッチノのような詩人であって太陽賛歌・太陽崇拝に終始し、太陽中心の天文学にはつながらなかった。

 天文学者が太陽中心説に関心をもたなかったのには理由がある。周天円を何重にも重ねあわせたプトレマイオスの地球中心の数学モデルはきわめて精緻に組み立てられている上に、ある程度の精度の近似値を提供してくれたからである。より正確を期したいならさらに周天円を重ねて数学モデルを改良すればいいというのが当時の天文学者の考え方だったのだ。

 コペルニクスは改良ではなく革命を選んだ。彼は『アルマゲスト』の改良ではなく、太陽中心の数学モデルをゼロから作りあげた。クーンは『回転論』で重要なのは太陽中心説を定性的に描写した第一巻ではなく、定量的な説明を試みた第二巻以降だとしているが、新たな数学モデルの構築が決定的だったのだ。

 もっとも『回転論』の数学モデルは成功しているとはいえない。逆行を説明するための周天円は不要となったものの、惑星の軌道を円とした上にエカントを排除したので周天円は依然として必要なままだった。コペルニクスは『コメンタリオルス』の時点では周天円は34ですむと目論んでいたが、実際に『回転論』を書きすすめていくうちにどんどん増えていき、最終的には『アマルゲスト』よりも多くなってしまった。それだけ周天円を増やしても近似の精度が多少上がった程度で、格段に正確になったわけではなかった。太陽中心説を裏づけるデータが出てくるのは『回転論』刊行後半世紀以上たってからなのである。

 コペルニクスが地球中心説を棄てて太陽中心説を選んだのは観測値が理由ではなかった。ではなぜ彼は太陽中心説を選んだのか。

 ここからが本書の読みどころで、ジャン・ビュリダンというスコラ哲学者がインペクトゥス理論という形で慣性の原理に近い認識に達していたとか、その弟子のニコル・オレームはガリレオの『天文対話』の議論を先取りしていたとか、科学革命の背景が次々と明らかにされる。スコラ哲学が科学の進歩を阻害したなどという見方は間違っていたのだ。

 パラダイム理論は濫用され気味だが、もともとは科学史の地道なケーススタディから生まれたものだった。そのことを確認できたことも本書の大きな収穫である。

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2010年05月31日

『誰も読まなかったコペルニクス』 ギンガリッチ (早川書房)

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 科学革命の端緒となったコペルニクスの『回転論』は1453年の初版が273部、1566年の第二版が325部残っているが、著者のギンガリッチは世界中を飛びまわって現物にすべてあたり、本の現状と来歴、補修の有無、書きこみを調べ、2002年に『コペルニクスの『回転について』の注釈つき調査』として出版した。本書はそのメイキングというべき本である。

 ギンガリッチが『回転論』を調べようと思いたったのはエジンバラ王立天文台でびっしり書きこみのある初版本を見つけたことにはじまる。アーサー・ケストラーは天文学の歴史を描いたベストセラー『Sleepwalkers』(日本ではケプラーの章だけが訳されている)で『回転論』を「誰も読まなかった本」と決めつけたが、書きこみがあるということは読んだ証拠である。しかも書きこみは宇宙論を述べた第一章ではなく、天文計算を解説した難解な第二章以降に集中していた。書きこみの主がヴィッテンベルク大学でレティクスの同僚だったエラスムス・ラインホルトだったことがわかると、ギンガリッチの好奇心に火がついた。ラインホルトが書きこんでいるなら、ティコ・ブラーエやケプラー、ガリレオも書きこみを残しているのではないか。書きこみを通して『回転論』が科学革命の渦中でどのように読まれ、どのような影響をおよぼしたのかがさぐれるのではないか。

 かくしてギンガリッチの『回転論』追跡の旅がはじまる。まずは滞在していた英国からはじめ、ヨーロッパ、アメリカ、エジプト、ソ連、中国にまで足を伸ばす(中国にはイエズス会の宣教師が皇帝への贈物として二部もちこんでいる)。アメリカにはコンピュータ化された稀覯書の目録があったが、これが当てにならなかった。入力するのは学生アルバイトなので、後世作られた初版の複製を誤って初版と登録している例が多かったのだ。

 モスクワの国立レーニン図書館には六冊あるはずだったが、六冊目はどうしても見る許可がおりない。ソ連崩壊後にわかったことだったが、ソ連軍がドイツから戦利品として奪ってきた本だったのである。

 ヨーロッパの田舎町の小さな図書館にまで初版本が眠っているというのは驚きだった。そうした図書館は管理がゆるいので盗難にあい、オークションに出品されるケースがある。ギンガリッチはオークションの目録でそれらしい本を見つけると図書館に連絡をとるが、小さいところでは迅速な措置がとれないという。オークション会社は後のトラブルを恐れ、『回転論』が出品されると事前にギンガリッチに鑑定を依頼するようになったということである。現存するすべての『回転論』を見ているわけだから、盗品ならすぐにわかるわけだ。

 オークションでは百万円を超える値段がつくので贋物や「ソフィスティケートされた本」と呼ばれる補修本がすくなくない。「ソフィスティケートされた本」とは欠損のある本物二冊から完全な一冊を作ったり欠損部分を複製で差し替えた本で、贋物とはいえないが値段は大幅に下がる。

 贋物や「ソフィスティケートされた本」を見破るためには印刷史や出版史の知識が不可欠となる。当時の本は仮綴じさえせず印刷した紙の束のまま販売したので装丁は一冊一冊異なり、決め手にはなりにくい。

 ポイントとなるのは紙だ。紙には製法上、鎖線と呼ばれる平行線の透かしがはいたが、印刷工房によっては意図的に透かしをいれている場合もある。『回転論』の初版を印刷したペトレイウスはPという透かしをいれていたので、真贋を判断する手がかりとなる。

 初版発行部数を推定する条もおもしろい。ガリレオの『天文対話』のように発行部数がわかっている本もあるが、『回転論』は初版も第二版も記録がない。ギンガリッチはペトレイウスの印刷工房の印刷能力を推定するところからはじめる。印刷の前日に紙を水でぬらし半乾きの状態で印刷していたとか、蘊蓄を思う存分披露してくれている。

 初版・第二版あわせて千部前後というのがギンガリッチの結論だが、とすると残存率は60%になる。この数字はニュートンの『プリンキピア』とほぼ同率だそうである。

 肝心の書きこみであるが、ティコ・ブラーエの書きこみを発見したとよろこんだのもつかの間、ギンガリッチのライバル学者(こういう超マニアックな分野にライバルがいること自体すごい)がまったく同じ書きこみのある本を見つけ、謎解きを迫られる条が前半の山場となる。

 まったく同じ書きこみが複数の本に異なる筆跡で見つかる例は他にもあった。どうも先生の書きこみを弟子が自分の本にそのまま書き写す習慣があったらしいのである。先人の書きこみに後の所有者が補足や反論の書きこみをしている例も多かった。本が貴重品だった時代、本の書きこみが知の共有手段として機能していたわけだ。

 電子書籍でも書きこみは可能だが、誰が書きこんだかを筆跡で確定するといったことができなくなる。電子書籍時代の幕開けをむかえるにあたって、紙の本の思いがけない使われ方を知っておくのは必要なことだろう。ギンガリッチはそんなことは考えていないだろうが、本書は時宜にかなった出版ではないかと思う。

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2010年05月30日

『コペルニクスの仕掛人―中世を終わらせた男』 ダニエルソン (東洋書林)

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 コペルニクスの『回転論』はレティクスという若い数学者との出会いがなかったら完成することも出版されることもなかったろうが、本書はそのレティクスの生涯を描いている。

 いくらコペルニクスが偉大にしても脇役の伝記まで本になり、邦訳されるのはなまなかのことではない。なにが書いてあるのだろうという興味で読みはじめたが、レティクスの波瀾万丈の人生にこれがルネサンス人なのかと思った。

 レティクスはルターが『95ヶ条の論題』で宗教改革をはじめる3年前の1514年にアルプス山麓のフェルトキルヒに生まれた。父親のゲオルグ・イセリンは著名な医師だったが、レティクス14歳の時に詐欺と窃盗の罪で斬首された上にイセリンという姓も抹消されてしまう。レティクスは母の姓であるド・ポリスをもちいるが、後にフェルトキルヒ一帯のローマ時代の属州名、レチアにちなんでレティクスと名乗るようになる。

 レティクスは父を失ったものの、母がイタリアの名家の出だったので学資に困ることはなく、チューリヒとヴィッテンベルクで最高のレベルの教育を受けることになる。

 ヴィッテンベルクはルターが『95ヶ条の論題』を発表した地であり、ルター派の拠点だった。ルターが教鞭をとっていたヴィッテンベルク大学はルターの右腕だったメランヒトンが指導していたが、レティクスはメランヒトンに数学の才能を見いだされ、卒業後、ただちに数学の講師に任命される。

 学者としては順風満帆のすべり出だしだが、レティクスには生来放浪癖があったようで、2年半で休暇を願いでて南ドイツを遍歴しニュールンベルクから生まれ故郷のフェルトキルヒまで足を伸ばす。レティクスはニュールンベルクでコペルニクスとその斬新な学説を知ったろうと考えられている。

 彼はヴィッテンベルクにもどるもののコペルニクスの学説が知りたくてたまらなくなり、またしても長期休暇を願い出てコペルニクスのいるフラウエンブルクに向かう。

 こうして1539年の春、65歳のコペルニクスと25歳のレティクスの出会いが実現し、2年間の共同作業の後、『回転論』が上梓の運びとなる。

 レティクスがライプツィヒ大学から破格の条件で招聘されたために、出版の実務はルター派の牧師のオジアンダーに託されたが、オジアンダーは太陽中心説は計算のための便宜的な仮説だとする序文を無断でつけくわえた。レティクスはもちろんコペルニクスの友人たちも怒ったが、結果的に見れば序文と題辞は『回転論』を宗教論争から救ったことになる(『回転論』は出版の70年後に禁書目録に載せられるが、これはケプラーが序文と題辞の筆者はオジアンダーであり、コペルニクスは太陽中心説を信じていたと明らかにしたためである)。

 レティクスがコペルニクスから引きついだのは太陽中心説だけではなかった。三角表の完成という大仕事も引きついでいたのである。

 惑星の緯度・経度を計算するには三角関数が必要だが、いちいち計算しては大変なので、あらかじめ計算した結果を載せた数表があると便利である。『回転論』には三角表の簡略版が載っていたが、レティクスはそれを1秒きざみで10桁まで計算した表に拡充しようとした。

 レティクスの後半生は三角表の完成に捧げられるが、計算量が厖大なので多数の計算士を雇わなければならない。彼は大衆向けの暦の出版を手がけ、その収益で三角表を作ろうとするが、暦の出版で負債をかかえて自転車操業におちいったようだ。

 そのストレスのせいかどうかはわからないが、レティクスは破廉恥事件を起こしてしまう。教え子を泥酔させて鶏姦行為を強制しようとしたと学生の父親から訴えられたのだ。レティクスは夜逃げ同然にライプチヒを出奔した。債権者の差し押え目録によると、彼は印刷済みの暦だけでなく大量の未使用の紙(200頁の四折版の本にして3000部相当)を仕事場に残していったという。

 レティクスは各地を遍歴した後、悪い評判の届いていないクラクフに落ち着き医師として再出発するが、コペルニクスの太陽中心説以上に危険なパラケルススの新医学に傾倒するあたり、ルネサンス人の面目躍如である。

 クラクフは数学のレベルが低く協力者がえられなかった上に、レティクスがパラケルススにのめりこんだので、三角表はなかなか進まなかった。

 晩年のレティクスは三角表をほとんど放棄していたが、学会は三角表を待望していた。ここでめぐりあわせのような出来事が起こる。ヴィッテンベルク大学で数学を学んでいたヴァレンチン・オットーという若い数学者がレティクスに教えを請いにやって来たのだ。オットーはかつてのレティクスのように師の仕事を引きついだ。

 オットーが三角表の出版にこぎつけるのはレティクスの死の22年後のことだったが、致命的な誤解があったことが明らかになる。レティクスは小数点以下10桁までの表を作るために15桁まで計算していたが、オットーは10桁までしか計算していなかった。0度や90度に近い角度では10桁まででは十分な精度が出ず、オットーの三角表は使いものにならなかったのである。

 オットーは改訂にとりかかろうとしたが、余力は残っていなかった。三角表に欠陥があることは表を献呈された選帝侯フリードリヒ四世の耳にもはいった。フリードリヒ四世は三角表の改訂をカルヴァン派の牧師ピチスクスにゆだねた。

 ピチスクスはオットーが引きついだレティクス資料の中から15桁までの計算結果を掘りだし、レティクスの生誕99年にあたる1613年ついに三角表の決定版を出版した。コペルニクス、レティクス、オットー、ピチスクスと四人の学者に引き継がれた三角表は20世紀まで使われつづけたということである。

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2010年05月29日

『コペルニクス―地球を動かし天空の美しい秩序へ』 ギンガリッチ&マクラクラン (大月書店)

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 オックスフォード大学出版局から出ている「科学の肖像」という科学者の伝記シリーズの一冊である。共著者のオーウェン・ギンガリッチはコペルニクスの権威であり、書誌学の怪物的達成というべき『誰も読まなかったコペルニクス』の著者でもある。

 邦訳にして150ページの小著であるし図版が多数はいっているので、あっという間に読みきってしまった。

 コペルニクスの伝記と学説については『回転論』の二つの邦訳の解説でもかなりの紙幅がさかれているし、コペルニクスの唯一の弟子、レティクスの生涯を描いた『コペルニクスの仕掛人』でもふれられているが、本書は生涯の物語と平行して地動説=太陽中心説の幾何学的概要が解説されている。

 本書はコロンブスの航海のニュースがとどいて沸きたつ1493年のヤギェーウォ大学からはじまる。当時20歳だったニコラウス・コペルニクスは兄のアンドレアスとともに三年次に在籍していた。

 彼が生まれる20年前にはグーテンベルクが活版印刷をはじめ、44歳の時にはルターが宗教改革の烽火をあげている。コペルニクスはヨーロッパが大きく変貌する時代に生きたのである。

 コペルニクスはヴィスワ河畔のトルニで生まれた。ヴィスワ河はクラクフやワルシャワとバルト海に面したグダニスクをつないでいたが、トルニはヴィスワ川水運の中心で、ハンザ同盟に加盟した商業都市だった。父はワルシャワから移ってきた成功した商人。母はトルニの大商人の娘で、母方の祖父は町の有力者だった。

 コペルニクスは10歳の時、父と死別するが、教会で出世街道を歩んでいた母方の伯父ルカス・ヴァッツェンローデが学資を出してくれた。コペルニクスが16歳の時、ルカス・ヴァッツェンローデはヴァルミアの司教に就任する。

 『コペルニクスの仕掛人』によると、ルカスは教育畑で出世しようとしたが、学校長の娘に私生児を産ませたために教育界にいられなくなり、教会に鞍替えしたという。司教になった後、私生児を町長に任命しているというが、私生児スキャンダルのために聖職者に転じるというのも面白い。

 コペルニクスはまずヤギェーウォ大学で学ぶが、初級と上級の天文学の講義を聞いたことが記録に残っている。上級ではプールバッハの『惑星の新理論』を学んだが、この本には周天円が天球に埋めこまれた構造が図示してある。コペルニクスはアルフォンソ天文表とレギオモンタヌス天文表を購入し、メモ用紙16ページとあわせて製本している(このメモ用紙には後に太陽中心説の原型となる図が描かれることになる)。

 司教は教会領の行政長官を兼ねており人事権をもっている。伯父のヴァッツェンローデ司教はヤギェーウォ大学を終えたばかりのコペルニクスを空席のできたヴァルミア聖堂参事会員に強引に押しこんだ。定収入のできたコペルニクスは翌年から四年間ボローニャ大学に留学して教会法を学ぶことになる。伯父はコペルニクスに自分と同じように教会で出世して欲しいと願ったのである。

 伯父はコペルニクスの兄のアンジェイも聖堂参事会員にするが、この兄はケストラーの『Sleepwalkers』によるときわめて問題のあった人物のようである(本書では暗示するにとどめられているが)。

 コペルニクスはボローニャでは天文学の教授ドメニコ・マリア・ダ・ノヴァラの家に下宿し観測助手をつとめた。出版されたばかりの『アルマゲスト要約』も購入しており、天文学に対する並々ならぬ関心がうかがえる。

 コペルニクスは権力よりも学問に関心があったようで、四年の学業を終えた後、医術の勉強をするという条件でさらに二年間パドヴァ大学に遊学する。当時の医術は占星術が不可欠だったから占星術も学んだはずである。

 30歳になったコペルニクスは帰国し、ヴァルミアで律修司祭となって教会の土地と財産を管理する仕事につくが、すぐに伯父のヴァッツェンローデ司教の補佐役兼侍医に抜擢され、司教の宮殿に出仕することになる。伯父は優秀なコペルニクスを自分の手元で後継者にしこもうと考えたのだろう。

 1504年に惑星が一ヶ所に集まる大会合があったが、この頃太陽中心説につながる着想をえたらしい。天文表といっしょに製本したメモ用ページには火星、木星、土星の周天円の半径が太陽の公転半径と等しいとした図が描かれているからだ。彼は1510年37歳の時に司教宮殿を出てに律修司祭の職務にもどり、3年後に自費で天文観測用の塔を建てている。伯父のもとをはなれるとは教会での出世の道を放棄したことを意味するだろう。

 この頃、コペルニクスは太陽中心説をまとめた小冊子を少部数筆写してクラクフの知人に送っている。今日「コメンタリオルス」として知られる覚書である(高橋憲一訳『コペルニクス・天球回転論』に併録)。

 1515年にプトレマイオスの『アルマゲスト』がはじめて刊行された。コペルニクスはそれまで『アルマゲスト要約』しか読んでいなかったと思われるが、『アルマゲスト』には天文計算のための多数のパラメータや表が掲載されており、「コメンタリオルス」で述べた太陽中心説を実証するには『アルマゲスト』に匹敵する体系を打ち立てなければならなかった。

 コペルニクスは職務のかたわら、天体観測をつづけ『回転論』となる原稿を書きたしていったが、学問の中心から離れた僻地に住んでいたので彼の革命的な学説に興味をもつ者はごく少数の友人だけだった。彼は近在で名医として知られるようになったが、天文学者だと知る者はほとんどいなかったろう。

 だが学問の世界は彼を忘れていなかった。太陽中心説は枢機卿や司教という高位の人の興味を惹き問い合わせの手紙があったが、コペルニクスは『回転論』の改訂をつづけるのみで発表にはいたらなかった。

 65歳の時に転機が訪れる。レティクスという若い数学者がコペルニクスの新説を知ってわざわざ教えを請いにきたのである。レティクスはコペルニクスのもとに2年間滞在して草稿の仕上げを手伝い、太陽中心説の概要を「ナラティオ・プリマ」という小冊子にまとめて学会に発表した。コペルニクスの新説はにわかに注目を集め『回転論』の出版が決まるが、レティクスがライプツィヒ大学に移ったために作業はルター派の神学者であるオジアンダーに託された。印刷の終わった『回転論』が届けられたのはコペルニクスの死の直前のことだった。

 なお『回転論』出版に尽力したレティクスについては『コペルニクスの仕掛人』に詳しい。

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『天体の回転について』 コペルニクス (岩波文庫)

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 地動説=太陽中心説をとなえ、科学革命の端緒となったコペルニクスの主著が岩波文庫のリクエスト再刊で書店にまたならぶようになった。みすず書房からは高橋憲一訳が出ているが、こちらは絶版である。紙の本で手にはいるのは今回が最後かもしれない。欲しい人は買っておいた方がいい。

 コペルニクス自身のつけた表題は『回転論』だったが、校正にあたったオジアンダーか版元が『天球回転論』に変えてしまった。コペルニクスは惑星は天球という透明な殻に固定されていると考えていたから、『天球回転論』でも間違ってはいない。岩波文庫の矢島祐利訳は『天体の回転について』になっているが、天体の回転にするのは無理である。

 矢島訳と高橋訳では底本が違う。矢島訳はコペルニクスの自筆原稿をもとにしたコワレ版によっているが、高橋訳は初版本をもとにした批判版によっている。初版は校正者のオジアンダーが太陽中心説を計算の便宜のための「仮説」と決めつけた序文をつけくわえているので評判が悪く、自筆原稿こそがコペルニクスの真意をあらわすと考えられてきた。だが、近年の研究によって自筆原稿は下書きであり、初版の異同と初版に付された正誤表はコペルニクス自身によるものであることがわかり、初版が優先されるようになった。

 系統の異なる底本にもとづく複数の邦訳があるのはありがたいが、どちらも全訳ではなく、六巻のうち第一巻のみの部分訳である(高橋訳は初版の30年前に書かれ、筆写本として流布した「コメンタリオルス」を併録)。

 第二巻以降には何が書かれているのだろうか。付録の内容目次によると第二巻は赤道・黄道・子午線の関係、第三巻は太陽の運動、第四巻は月の運動、第五巻は太陽と月以外の惑星の運動、第六巻は各惑星の緯度の計算について解説しているという。われわれは太陽中心説=思想革命ととらえがちだが、実際の本は惑星の位置を計算するための記述に大部分のページがさかれ、実際、ラインホルトのように本書にもとづく天文表も作られている。

 矢島訳では割愛されているが、扉の題辞がおもしろいので高橋訳から引用しよう。

 好学なる読者よ、新たに生まれ、刊行されたばかりの本書において、古今の観測によって改良され、斬新かつ驚嘆すべき諸仮説によって用意された恒星運動ならびに惑星運動が手に入る。加えて、きわめて便利な天文表も手に入り、それによって、いかなる時における運動も全く容易に計算できるようになる。だから、買って、読んで、お楽しみあれ。

 題辞の筆者はまたしてもオジアンダーだが、太陽中心説という「驚嘆すべき仮説」よりも星の位置を計算するための数表の方を売りにしていたのである。

 天文表に需要があったのは占星術のためだ。ギンガリッチの『誰も読まなかったコペルニクス』によると、自由七科に天文学が含まれていたのはなにをするにも占星術が必要だったからである。パトロンができたらホロスコープを作ってあげるくらいは大学で学んだ者のたしなみだったようだ。

 コペルニクスは天文家としてより医家として名声が高かったが、当時の医術は特に占星術と密接に結びついていた。臓器は対応する惑星の影響を受けていると考えられていたので、瀉血のタイミングを星の位置で決めるなど占星術の知識が不可欠だった。

 コペルニクスは若い頃ギリシア語の書簡集のラテン語訳を上梓したほどの人文主義者だったから、古代ギリシャの数学や天文学に通じていた。本書の第五章でも地球の自転や公転という考え方はピタゴラス派に先蹤があったことを指摘している。第十章は宇宙論の核心部分で、一番外側に恒星球、その内側に土星球、木星球、火星球……と同心球が入れ子になり、いよいよ中心に太陽が位置すると書く。

 そして眞中に太陽が靜止している。この美しい殿堂のなかでこの光り輝くものを四方が照らせる場所以外の何處に置くことができようか。或る人々がこれを宇宙の瞳と呼び、他の人々が宇宙の心と言い、更に他の人々が宇宙の支配者と呼んでいるのは決して不適當ではない。トリスメギトスは見える神と呼んだ。ソフォクレスのエレクトラはすべてを見るものと呼んだ。太陽は王樣の椅子に坐ってとりまく天體の家來を支配しているようなものである。

 いかにも人文主義的な文飾だが、無味乾燥な理詰めの文章の中に唐突に出てくるので異様な印象を受ける。コペルニクスは古代の太陽崇拝を復活させたという見方があるが、あるいはあたっているのかもしれない。

 コペルニクスは宇宙は天球という透明な殻が入れ子になってできているという天球説を信じていた。回転するのは天体ではなく天体を載せた天球なのである(矢島訳の表題は『天体の回転について』となっているが『天球の回転について』とすべき)。後のティコ・ブラーエは太陽と月が地球の周りをめぐり、他の惑星は太陽の周りをめぐっているという折衷説を提唱した。コペルニクスもその可能性を検討しているが、太陽の天球と火星の天球がぶつかるとして斥けている。

 コペルニクスはルネサンス人であって、その宇宙論は近代の幕を開いたにしても近代的ではなかったというべきだろう。

 本書には本文とほぼ同じ分量の解説が付されている。解説はコペルニクス小伝とコペルニクス以前の宇宙論、コペルニクスの影響にわかれるが、小伝に特色がある。最近の本ではふれられていないコペルニクス=ドイツ人説を紹介しているのである。

 コペルニクスの生まれたトルニはドイツ人の作ったハンザ同盟の都市であり、家系的には父方・母方ともドイツ系で日常的に話していたのもドイツ語だった。遊学時代はドイツ人の学生組合に属していた。しかし壮年時代はポーランド王の保護下にある教会領の行政官としてドイツ騎士団の侵略に対抗していた。国籍概念・民族概念が近代以降と異なるので難しいところだが、ドイツ系ポーランド人あたりが実情に近い。ドイツでは今でもドイツ人と見なされているそうである。

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2010年04月30日

『新日本人の起源』 崎谷満 (勉誠社)

新日本人の起源 : 神話からDNA科学へ →bookwebで購入

 著者の崎谷氏はもとはウィルス学が専門ということだが、日本人の成り立ちをさぐるために、分子遺伝学、人類学、言語学までを射程におさめ、京都大学の伝統である学際的なとりくみをおこなっている研究者である。本書も第一章はDNA、第二章は文化、第三章は言語とアプローチを変えている。

 崎谷氏は2003年の『日本列島の人類学的多様性』以来、日本人の起源論を精力的に発表し、2008年には一般向けの『DNAでたどる日本人10万年の旅』(以下、『10万年の旅』)を上梓したが、同書執筆中にY染色体の研究が急速に進んだために、あらためて本書『新日本人の起源』を書いたということである。

 『10万年の旅』は現在絶版になっているが、『新日本人の起源』には『10万年の旅』にないような画期的な発見が盛りこまれているのだろうか? 素人目には大筋は変わっていないように思えたが、専門家が見れば違うのかもしれない。

 しかし、記述面では明らかな違いがある。『10万年の旅』では「縄文人」が複数の起源をもつ多様な集団であることを示すためか、「縄文系の人々人」とか、「縄文系ヒト集団」としたものの、弥生人については「渡来系弥生人」と呼んでいた。ところが『新日本人の起源』では「渡来系弥生人」という呼称を排したのみならず、「縄文人」「弥生人」という呼称の批判に多くの紙幅がさかれているのである。

 「縄文人」「弥生人」がなぜいけないのだろうか? 「縄文人」「弥生人」とくくってしまうと、その集団の中の多様性が見えなくなってしまうというのが理由の一つだが、それ以上に特筆されているのは「縄文人」「弥生人」という名称が多地域進化説を前提にしており、人種の違いを含意して差別的だからという理由だ。

 多地域進化説とは百万年前にアフリカを出た原人が世界各地に散らばってネアンデルタール人や北京原人になり、そのままコーカソイドやモンゴロイドに進化したとする説である。ミトコンドリアのイヴ仮説が出てアフリカ単一起源説が有力になった後も、各地で独自に進化した旧人との混血があり、それが民族差になったのではないかとする説が根強く残っているのである。

 二重構造モデルを提唱した埴原和郎氏によれば縄文人は北上してきた南方旧モンゴロイド、弥生人は南下してきた北方新モンゴロイドであり、人種的な違いがあることになる。ところがミトコンドリアDNAやY染色体、成人T細胞白血病やピロリ菌の研究が進んだ結果、新旧モンゴロイドという対立概念そのものが否定されてしまった。

 南から大量の人口移動があったという説も否定されている。氷河時代、ニューギニアとオーストラリアの間にサフル大陸と呼ばれる陸塊があって多数の人口を擁していたが、温暖化でサフル大陸が沈むと北方へ大量の人口が流出した。それが日本までやってきて縄文人になったとされていたが、南からの流れは思いのほか細く、せいぜいフィリピンのあたりまでしか来ていなかったことがわかっている。縄文人南方起源説は完全な誤りである。

 いわゆる「縄文人」の中核をなすD系統はもともとは華北にいて、漢民族に追われて西に向かったD1がチベット人の中核になり、東に向かったD2が縄文人の中核になったらしい。縄文人はチベット人と兄弟関係にあり、むしろ北方起源というべきだ。

 一方「弥生人」の中心のO2系統は長江流域で水稲栽培をしていた人々で、長江文明の担い手だったらしい。長江文明が漢民族に滅ぼされた結果、O2系統の人々は四散し、南に向かってベトナムに逃げこんだのがO2a、北に向かって日本に逃げこんだのがO2bだという。弥生人はベトナム人と兄弟だったわけで、南方起源は彼らの方だったのである。

 弥生時代、数十万人から百万人規模の大量移民があったとされてきたが、現在では小グループがさみだれ式にやってきたという見方が有力のようである。秦に滅ぼされた呉・越の遺民がボートピープル化して日本に流れ着いたということだろう。

 二重構造モデルによればアイヌ人と琉球人は弥生人の大量流入によって南北に分断された縄文人の末裔であり、同一起源とされたが、近年の研究ではそうした見方は否定されている。琉球の先住民は南方系の漁撈民だったが、南九州から多くの移住者が農耕をもちこんだ結果、言語的にもDNA的にも南九州と非常に近くなった。他方、アイヌ人の方はオホーツク文化と近縁の集団もいれば、本土と近縁の集団もいるというように多様な人々の集まりで、言語的には非常に古いシベリアの言語を今日まで保存していると考えられるようになった。

 『10万年の旅』では日本語の成り立ちについては弥生人の渡来で言語が交代したとする見方を否定し、縄文語が弥生系言語の影響を受けて日本語となったという小泉保氏の『縄文語の発見』に似た成立史を推定していた。『新日本人の起源』でも大筋は同じだが、「日本語」という括りを斥け、「琉球語」、「九州語」、「西日本語」、「東日本語」に解体し、「アイヌ語」と同列に並べて多言語共存を強調した書き方になっている。

 たった一年で多言語性に大きくシフトしたのは東日本の基層集団にテュルク系、モンゴル系、トゥングース系のみならず、ウラル系の集団が思いのほか多く含まれており、言語的に単なる縄文語の地域差とは言えない可能性が出てきたからということかもしれない(微妙な書き方なので、この解釈があっているかどうかはわからない)。

 本書は最新の知見が盛りこまれた得がたい本だが、一般向けの本ではなくかなり敷居が高い。過去の自著への引照が多いのも論旨をわかりにくくしている(『10万年の旅』を読んでいたので、おおよそのことはわかったが)。

 民族や言語のルーツをさぐる試みは政治性を帯びざるをえないが、次の条は心して読むべきだろう。

 さらに歴史的に、東アジアでは漢民族の膨張が極端なまでの文化的、言語的、民族的単一化を引き起こしてきた。それと対照的に、海で守られたこの日本列島において、DNA、文化、言語の多様性が維持されてきたのは奇跡のような幸運であった。その自らの内の多様性を厭って、自ら進んで中華文明の支配下に身を置き、自らを否定しようとする行為は問題である。この日本列島内部の多様性、そして東アジアとのDNA、文化、言語の本質的な違いとその意義を、もう一度よく理解する必要がある。

 『Y染色体からみた日本人』と同様の結論である。やはり日本人は大陸の負け組の集まりだったらしい。

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『Y染色体からみた日本人』 中堀豊 (岩波科学ライブラリー)

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 ミトコンドリアDNAが母系で受け継がれるのに対し、Y染色体は父系で受け継がれる。ミトコンドリアDNA解析は過去10万年の人類の移動を明らかにしたが、正確には女性の移動なので、ヨーロッパ人のアメリカ大陸侵略のような男性主体の移動は検知することができない。男性の移動を明らかにするにはY染色体の解析が必要である。

 本書は2005年発行とやや古いが、Y染色体の研究者による日本人の起源論である(2009年時点の研究は崎谷満氏の『新日本人の起源』を参照のこと)。

 Y染色体による民族のルーツ探しの本としてはブライアン・サイクスが『イブの七人の娘』の姉妹編として書いた『アダムの呪い』があるが、読みすすむにつれ鬱になった。

 女性は妊娠によってしかDNAを残せないのに対し、男はその場限りのセックスで子孫を残せるので、Y染色体はミトコンドリアDNAよりも寡占が起きやすい。ミトコンドリアDNAのハプロタイプを図であらわすとクラスターがきれいに並ぶのに対し、Y染色体のクラスターは不揃いで不規則だ。大半のY染色体は途中で失われ、少数のY染色体のみが栄えるというのがY染色体の現実なのだ。サイクスの本には900年前に死んだサマーレッドという武将のY染色体が40万人に、チンギス汗のY染色体は1600万人に受け継がれているとか、南アメリカのインディオのY染色体はヨーロッパ系ばかりだとか、恐ろしいことがたくさん書いてある。

 きっとその類の話だろうと心して読みはじめたのであるが、意外にも日本人のY染色体は攻撃的でも侵略的でもなかった。

 日本人の起源については縄文人の基層の上に稲作文化をもって渡来した弥生人がくわわり、混血したという二重構造モデルが定説化していたが、Y染色体でも縄文人と弥生人という二大グループは一応確認できた。弥生系の中核をなすOb1は中国に多いクラスタから派生しているのに対し(中国では絶滅している)、縄文系の中核であるD2はアジア人の祖形に近い古いタイプらしく、日本と朝鮮に見られる他は、近縁のD1がチベット人に残っているにすぎない。Y染色体の系統図では縄文系と弥生系は相当離れているのである。

 それにくわえて縄文系の中核であるD2の男性は精子の濃度が低く(!)、無精子症になりやすいことがわかった。

 常識的に考えれば縄文人は侵略された側であり、その上に精子濃度が低いとなれば現代日本人のY染色体は弥生系一色になっていてもおかしくはないだろう。ところがそうはなっておらず、都市部では縄文系・弥生系ともほぼ同頻度なのだという。

 そうなった理由は二つある。まず、弥生人侵略説は誤りだったこと。弥生人は百万人規模で押し寄せていたとされていたが、DNA解析の結果、渡来した弥生人はすくなく、しかも少人数づつさみだれ的にやってきたことがわかった。第二に精子濃度の季節変動が縄文系と弥生系では逆になっていたこと。

 縄文系D2の男性は1~6月生まれが多く、弥生系の中核をなすOb1の男性は7~12月生が多いという結果が出たので精子濃度の月変化を調べたところ、縄文系D2は秋から冬が濃度が高く春になって急落するのに対し、弥生系Ob1は春から夏にかけて濃度が高く秋に急低下することがわかった。

 縄文系D2と弥生系Ob1は受精させやすい時期がずれていたのだ。

 著者は最後にこうまとめている。

 日本の男性は大陸の落ちこぼれである。一度目の落ちこぼれである縄文人と、二度目の落ちこぼれである弥生人が、互いを滅ぼしてしまうことなく共存したのが現代日本の男性たちである。まさに、窓際族同士仲良く机を並べて、極東の小島で自然の恵みを享受し、自然に従って生きてきた。互いの言葉も融合させてしまった。

 うーむ、妙に説得力がある。複雑な気分である。

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2009年02月28日

『5万年前』 ニコラス・ウェイド (イースト・プレス)

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 オッペンハイマーの『人類の足跡10万年全史』と同じく、アフリカを出た人類が世界に拡がっていったグレート・ジャーニーを描いた本であるが、同じ事実から出発しながら解釈がずいぶん違う。

 まず「5万年前」という表題からわかるように、ウェイドの立場は絵を描き、歌をうたい、踊りをおどるといった「現代的行動」の能力は5万年前の「創造の爆発」で獲得されたものであり、それ以前の人類は身体だけヒトの格好をした「解剖学的現生人類」だとしている。  「現代的行動」の起源を5万年前におく学者はヨーロッパで獲得されたとする人が多いが、ウェイドは「創造の爆発」が起こったのはアフリカであり、出アフリカした現生人類は皆等しく「現代的行動」をとっていたとするために、出アフリカの時期を5万年前まで遅らせている。通説よりも1万5000年以上遅い。

 5万年前以前の現生人類の痕跡が続々と出て来ているので、これは明らかに無理筋である。

 著者のウェイドは「ネイチャー」、「サイエンス」という二大科学誌の記者をへてニューヨーク・タイムスにむかえられた科学ジャーナリストで、『恋のかけひきはグッピーに学べ』、『化石は愉しい!』など、多くの著書がある。生粋のジャーナリストだけに語り口は平易にして洒脱、すらすら読める。雑学的な話題が豊富なのも魅力だ。

 出アフリカの時期には疑問符がつくが、知らない話やその後の展開が気になっていた話が次から次へと出てきて楽しめた。たとえば『眠れない一族』には狂牛病に対抗する遺伝子コードを日本人だけがもっていないとあったが、本書によると日本人は別の場所に同様の機能を持つコードを持っていることがわかったそうである。まずは一安心だが、それは日本人もまた過去に食人の習慣をもっていたことを意味するのだろうか。

 イスラエルがシルクロードに沿って「失われた十支族」を探していて、ユダヤ人特有のY染色体をもった集団を見つけると、ユダヤ人としてイスラエルにむかえているという怪しげな噂を聞いたことがある。噂の真偽はともかくとして、ユダヤ人特有のY染色体は確かにあるそうである。正確にはコーヘンと呼ばれる祭祀階級に特有のY染色体の変異形ハプロタイプで、セファラディ(アラブ系ユダヤ人)のコーヘンの70%、アシュケナジ(西欧系ユダヤ人)のコーヘンの45%がこのハプロタイプだという。伝説によればすべてのコーヘンはモーセの兄の祭祀長アロンの末裔ということになっているが、ハプロタイプからするとこの伝説は案外正しかったのかもしれない。

 ここまでは科学の範囲だと思うが、アシュケナジの知能が高いのは職業差別で淘汰圧が高かったからだとか、アシュケナジ特有の遺伝病と知能の関係だとかとなると眉に唾をつけた方がいいかもしれない。

 人種とDNAの関係を調査した研究を紹介した条はいささか面白すぎる。ウェイドによれば肌の色による人種の分類には根拠がないが、リスクの提唱する大陸をもとにした人種にはゲノムの裏づけがあるという。大陸をもとにした人種とは次の五つである。

  • アフリカ人
  • コーカサス人
  • アジア人
  • 太平洋諸島人
  • アメリカ先住民

 「人種」というと頭から拒否反応を示す人もいるだろうが、出アフリカをして初大陸に拡散した人類は長期にわたって互いに交わることなく各地で独自の発展をとげたのだから(だからゲノム解析で人類の足どりが復元できた)、各大陸ごとに特徴的な遺伝子の偏りが生まれたとしても不思議ではない。同じ大陸の中でも、西アフリカ出身者には短距離走の選手が、東アフリカ出身者には長距離走の選手が多いそうである。ハプロタイプによって得意な競技種目が変わってくるという研究は日本でもやっているそうだが、これまた面白すぎる。

 本書がゲノム解析に次ぐ柱としているのは言語である。言語はDNAより遙かに速く変わってしまうので、比較言語学では数千年さかのぼるのがせいぜいだとされているが、ウェイドは厳密な音韻対応にもとづく比較言語学ではなく、語彙の類似の統計にもとづく言語年代学を援用し、アメリカ先住民の言語から印欧語までを網羅したユーラシア大語族、さらには人類最初の言語である世界祖語にまで話を進める。

 世界祖語は舌打ち音を使っていたらしい。ミトコンドリアDNAの最古の枝であるL1に属するサン族(かつて「ブッシュマン」と呼ばれていた)のクン語と、次に古い枝であるL2に属するハザ族のハザ語は舌打ち音を使っているが、両者は似ても似つかない言語で舌打ち音を使う点以外には共通点はない。舌打ち音を使う言語はアフリカ南部に30あるが、どれも周囲から孤立した言語で相互の違いも大きいそうである。狩猟採集生活をつづけた小集団が各地で古い特徴を持った言語を維持したということらしい。

 ジョーゼフ・グリーンバーグのユーラシア大語族説も興味深い。ユーラシア大語族とはインド=ヨーロッパ語族、ウラル語族、アルタイ語族、日本語、アイヌ語、カムチャッカ語族、さらには新大陸に拡がったエスキモー・アレウト語族、ナデネ語族、アメリンド語族の共通の祖語として想定される言語で、疑問形には k、否定形には nを含むのだそうである。そういえば井上ひさしも『私家版 日本語文法』の「n音の問題」で同じようなことを述べていた。近藤健二の『言語類型の起源と系譜』を読んで以来、ユーラシア大語族は気になっていたが、これはひょっとするとひょっとするかもしれない。

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『人類の足跡10万年全史』 スティーヴン・オッペンハイマー (草思社)

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 人類の起源の手がかりはかつては化石しかなかったが、今ではDNA解読と古気候学の進歩によって人類がどのように生まれ、どのように世界に広がっていったか、グレート・ジャーニーの道筋がほぼたどれるようになった。出アフリカをはたしたのはわずか150人ほどの集団で、アフリカ人以外の人類はすべてこの150人の子孫であることがわかっている。

 本書は10万年におよぶ人類の旅を概観した本である。著者のオッペンハイマーは人類学者だが、科学ライターとしても活躍しているよし。

 本書でまず目を引くのは巻頭の8ページのカラーの口絵である。特に最初の3ページには化石から復顔したアウストラロピテクス、ホモ・エレクトス、ネアンデルタール人の写真が掲げられているが、よほどの名人が復顔したのか、見ていて飽きない。

 最初のアウストラロピテクスはルーシーの家族と見られる骨から復顔したそうだが、チンパンジーとあまり変わらない。次のホモ・エレクトスは現生人類に先だって出アフリカして全世界に拡がり、アジアでは北京原人やジャワ原人、ヨーロッパではネアンデルタール人に進化した旧人のルーツであるが、第一印象は人間である。ワイルドすぎる点と鼻と顎にチンパンジーの面影が残るが、眼は人間そのものといってよく、叡智を感じさせる。

 三番目のネアンデルタール人になると、これはどう見ても面長で知的な白人である。最近、ネットでネアンデルタール人の少女の復顔像を見たが、繊細で可憐でさえある。以前はいかにも原始人然としたごつい風貌で描かれることが多かったが、実は現生人類とほとんど変わらなかったのかもしれない。以上の三葉の写真だけでも、本書を買う価値はある。

 とはいえ図版の素晴らしさばかりに目を奪われていると、本書の真価を見誤ることになる。本書は論争の書なのだ。

 オッペンハイマーは出アフリカの時期を8万5000年前とし、現生人類は「描き、話し、歌い、踊りながら」アフリカを出ていったと記している。

 わざわざ「描き、話し、歌い、踊りながら」と書いたのは絵を描き、言葉を話し、歌をうたい、踊りをおどるといった現生人類特有の象徴をあやつる能力は5万年前にヨーロッパで出現したのであり、人類の文化はヨーロッパから全世界に伝わったと考える学者が多数派を占めていたからだ(ウェイド『5万年前』は題名からわかるようにこの立場)。

 確かに世界最初の洞窟絵画も、世界最初の骨笛もヨーロッパで見つかっているが、象徴活動を暗示する出土品は5万年前以前の地層から徐々に見つかっている。そもそも描き、話し、歌い、踊る能力をもたない民族はない。5万年前のヨーロッパではたまたま象徴をあやつる能力を発現させるきっかけがあっただけで、能力としては現生人類が誕生した時からそなわっていたと考えるべきではないか。

 オッペンハイマーが次に挑むのは出アフリカがシナイ半島を通ってレバノンに抜ける北ルートでおこなわれたか、ソマリアの角から紅海をわたってアラビア半島に上陸する南ルートでおこなわれたかの論争だ

 TV番組や類書では簡単にすまされることが多いが、考えてみれば不思議なことである。北ルートはつねに地つづきだったが、南ルートはもっとも海面が低くなった6万5000年前でも104mしか低下せず、水深137mの紅海の入口は海でありつづけたのだ。

 モーセのように紅海をまっぷたつに割ってみせるといった芸当はわれわれの先祖には無理だったろうから、筏かなにかでわたったのだろう。なぜそこまでして出アフリカを決行したのだろう。出エジプトをしたユダヤ人のように誰かに追われていたのだろうか。

 本書によれば出アフリカをうながしたのは気候変動だった。150人の先祖が出アフリカを敢行したのはヴュルム氷期のまっただなかだった。北ルートにあたるエジプトからレバノンにかけての一帯は砂漠化し、ヒトが立ちいれるような状態ではなかった。紅海は完全に外洋から遮断されることはなかったものの内海化し、塩分濃度が高まっていた。塩分濃度が高くなるとプランクトンが激減し、蟹や貝などが育たなくなる。オッペンハイマーは書いている。

 紅海のプランクトン・レベルの低下はさらに浜の採集民の暮らしにも影響をおよぼしただろう。それにひきかえ対岸にあるイエメンのアデン湾の浜は、<悲しみの門>の外にあって栄養豊富で、インド洋から押し寄せる海水によって酸素が供給された。つまり南アラビアの沿岸では浜で採集する条件は非常によかったと思われる。
 紅海西岸のとぼしくなる食料、アデン湾の魅力ある海岸、そして避難地に適した涼しく湿ったイエメンの台地が、わたしたちの祖先をきわめて重要な行動にかりたてたのだろう。

 アラビア半島に上陸した先祖たちは半島の南岸沿いに広がっていき、海面低下で陸地化していたペルシャ湾を横切ってインドに達する。当時のインドは温暖で、ヒトの第二の揺籃地となった。先祖たちはここで人口を増やしてユーラシア大陸の西と東に散っていくのである。

 南ルート説が出てくる前は北ルート説が一般的だった。南ルート説が定説になった後も北ルート説に固執する学者はすくなくない。彼らが北ルート説にこだわる背景にはヨーロッパ人の起源の問題があったようだ。北ルート説なら出アフリカした人類は直接ヨーロッパにはいれるが、南ルート説だと一度インドまで行き、人口が増えてから改めて西進してきたことになる。白人至上主義にとらわれた人にとっては認めたくない事実に違いない。

 本書はまたアメリカ先住民の起源にも多くのページをさいているが、これもまた政治的に微妙な問題である。興味深い指摘がいろいろあるが、詳しくは本書を読んでほしい。

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『狩りをするサル』 クレイグ・スタンフォード (青土社)

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 『ヒトは食べられて進化した』は、初期人類は集団による狩りを通じて認知能力や言語を発達させたというヒト=狩人説を完膚なきまでにやっつけたが、否定する立場の本だけでは片手落ちなので、ヒト=狩人説をもうすこし知りたいと思った。"Man the Hunter" を今さら英語で読むのは億劫なので、本書を手にとってみた。

 本書の内容は予想とは違った。著者のクレイグ・スタンフォードは東アフリカをフィールドにするチンパンジー研究者ということだが、"Man the Hunter" のような古典的なヒト=狩人説はもはや不可能と見切り、新しくわかった事実と矛盾しないようにヒト=狩人説の修正を試みているからだ。

 古典的ヒト=狩人説の難点は狩猟の獲物はわずかだったことにある。初期人類はもちろん、現生人類でも肉食はたまの御馳走でしかなく、主食は依然として植物食だった。脳を巨大化させるためには肉というる高カロリー食物が不可欠だとする説もあったが、濱田穣の『なぜヒトの脳だけが大きくなったのか』は脳の巨大化には肉食が必ずしも必要ではないと指摘している。

 スタンフォードは肉食がたまの御馳走だったという点に注目する。彼は総摂取カロリーの中で肉食の占める割合が微々たるものだったことを逆手にとり、肉食には稀少価値があったとする。肉は「稀少な資源」、「社会的通貨」であり、それをメスに分配する権限をもったオスは子孫を残す機会が増えるというわけだ。

 分配するといっても、チンパンジー社会は微妙なバランスの上に成りたっており、αオスといえども独裁者ではありえない。初期人類もそうだったろう。肉の分配には知恵を絞らなければならず、それが知能と言語の発達を促したというわけだ。

 スタンフォードは書いている。

 肉食行動は、人類や他の霊長類社会では、栄養と同時に政治に関するものである。貴重な資源のコントロールは、権力に関するものである。両性が権力争いに係わっている場合、物理的に優位な性は、しばしば資源をコントロールして、したがって、同様にメスの繁殖をコントロールする。性的な政治は、チンパンジーの肉食行動において、ちょうど、いくつかの伝統的な人類社会における様に主要な役割を果す。哺乳類の肉が頻繁に採食される、ほとんどすべての人類と人類以外の霊長類社会では、オスがメスより頻繁に肉となる動物を狩猟するので、両性間の関係は、肉の捕獲と分配行動の需要部分である。

 訳文が稚拙なので一回読んだだけではわかりにくいかもしれないが、肉という御馳走の分配権を握ったことでオスの優位が確立し、ひいては家父長制が成立したというのがスタンフォードの修正版ヒト=狩人説の要点である。

 おもしろい着眼だとは思うが、サバンナにおける初期人類の無力で哀れな立場を考慮していないのではないか。スタンフォードはチンパンジーや現代の狩猟採集民の観察をもとに推論を進めているが、チンパンジーは安全な森に住んでいるし、現代の狩猟採集民は洗練された武器を手にしている。猛獣の徘徊するサバンナに、石や棍棒程度の武器で放りだされた初期人類に肉の分配に頭を使っている余裕があっただろうか。現生人類もつい最近まで似たような境遇にいたはずである。

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2009年02月27日

『ヒトは食べられて進化した』 ドナ・ハート&ロバート・サスマン (化学同人)

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 表題はセンセーショナルだが、論旨は明解である。森を出て、見通しのいい草原で暮らすようになった初期人類は肉食獣のかっこうの餌食にされた。ヒヒのような牙をもたない非力な彼らは生きのびるために知能と言語を発達させるしかなかった、というわけだ。

 ヒトは肉食獣に食べられないために知能を発達させたという指摘に、なるほどと思ったのはわたしだけではないだろう。ほとんどの日本人は、地動説を抵抗なく受けいれたように、人間=獲物説をすんなり受けいれると思う。

 ところが、西洋人は違うらしい。万物の霊長であるヒトが肉食獣の餌食にされるはずがないと決めこんでいるようなのだ。いや、ヒトだけではなく、サル全般が肉食獣の餌食になることはないと信じられてきた。事実はまったく逆なのに。

 本書は第三章から七章まで全体の半分の量を費やして、ヒトを含むサル類が豹やチーター、ピューマ、ライオン、虎、熊、狼、ハイエナ、ジャッカル、オウギワシ、カンムリクマタカ、アナコンダ等々に食べられてきたことを一々実例をあげて論証している。御苦労様と言うしかはないが、雑学的にはおもしろい部分である。

 珍しい話を集めているが、アフリカ奥地に出かける宣教師のために作られた『蛇に呑みこまれた時の心得』という小冊子には爆笑した。この『心得』によると、大蛇に遭遇したら逃げてはいけないのだそうである。大蛇の方がヒトより速い上に、大蛇は動く獲物を見つけると、胴体に巻きついて窒息させる習性があるので、死んだふりをするべきなのだ。死んだふりをしていると、大蛇は口を大きく開けて足から呑みこみはじめるが、ここで身動きすると巻きつかれるので、絶対に動いてはならない。腰のあたりまで呑みこまれたところで、やにわにナイフを取りだし、大蛇の口の端から切り裂いていけばよい、云々。蛇に腰まで呑みこまれているのに、死んだふりをつづけられるのだろうか。そもそも、頭から呑みこまれたらどうなるのか。

 西洋人にとってヒトは狩る側であって、狩られる側であるはずがない。つい最近までヒト=狩人説が自明のこととしてまかり通っていた所以である。

 ヒト=狩人説を提唱したのはレイモンド・ダートだった。ダートはかつてヒト=死肉あさり説を提出したが、1950年代になって、殴られて凹んだようなヒヒや初期人類の頭骨が発見されると、そうした凹みを作ったのはヒトで、ヒトは狩りをうまくやりとげるために知能を発達させたとした。ヒトは狡賢く凶暴な狩人であり、時には仲間殺しもやる罪深い存在だというわけだ。

 植物食と考えられていたチンパンジーが集団による狩りをおこない、獲物の肉を食べていたという発見は仲間殺しの発覚とともにヒト=狩人説を補強した。チンパンジーや初期人類の「悪魔めいた凶暴さ」が強調され、殺し屋サルキラー・エイプ説がとなえられるにいたった。

 この流れを決定づけたのは1966年にシカゴ大学で開かれたシンポジュウムと、その発表をまとめた "Man the Hunter"(『人間、狩りをする者』)という本だったようだ。日本ではなぜか訳されていないが、欧米では大きな反響を呼んだという。本書は "Man the Hanted" という原題からもわかるように、同書に反駁するために書かれたといっても過言ではない。

 今では頭骨の凹みを作ったのはヒトではなく豹であることがわかっている。豹の牙の形状と頭骨の凹みの形状が一致したのである。ヒヒや初期人類は豹に捕らえられ、頭から齧られていたのだ。チンパンジーの「狩り」にしても、果実や木の芽をあさっている時に、獲物に遭遇した場合に偶発的に起こることであって、最初から獲物を物色しているわけでは決してない。仲間殺しにしても、最近は人間の干渉によって集団が歪んだ結果であり、自然状態ではありえないとする説が有力ということである。

 ダートは死肉あさり説時代から肉食の重要性を力説してきたが、歯列や歯の摩耗具合の研究から、初期人類は植物中心の雑食だったことが判明している。よくマンモスを集団で狩りたてている想像図があるが、大型哺乳類の肉を大量に食べるようにはヒトの体はできていない。歯は生肉の繊維を切断することができないし、消化器も肝臓も大量の生肉には対処できない。肉食文化が生まれたのは火で調理できるようになってからだと考えられており、いわゆる狩猟は最近になってはじまったにすぎない。

 肉食が例外的なものにとどまるとしたら、集団で狩りをするために認知能力や言語が発達したという説は前提を失うだろう。認知能力や言語は狩りのためではなく、捕食者から逃げるために発達したという説の方が納得できる。

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2008年12月28日

『歴史を変えた気候大変動』 ブライアン・フェイガン (河出書房新社)

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 『千年前の人類を襲った大温暖化』の8年前に上梓された本だが、内容的には補完しあう関係になっている。『大温暖化』では同時代という切口で切り、中世温暖期はヨーロッパと北米以外の地域では大旱魃期だったことをあきらかにしたが、本書では時間軸方向に視線を転じ、中世温暖期につづいてやってきた小氷期を描いている。

 寒冷化のきざしは1315年にあらわれた。1315年は気温が低下した上に嵐と長雨が襲い、農作物に打撃をあたえただけでなく、北海沿岸の干拓地を海没させた。翌年も冷害がつづき種籾さえ底をついた。その後も天候の不順がつづき、1317年から8年にかけての冬期には多くの家畜が餓死した。1320年代になって天候は回復するが、家畜の不足のために耕作ができず、多くの農地が放棄された。

 小氷期は単に気温が低下するだけでなく、寒暑の差が烈しくなり、異常気象が頻発した。特に嵐がたびたび襲った。1362年の冬にも大嵐が襲い、オランダでは大量溺死グローテ・マンドレンケと呼ばれる大災害をまねいた。デンマークでは60の教会区が海没し、英国でも多くの港が破壊された。

 1588年にスペインの無敵艦隊は劣勢の英国艦隊に敗れるが、その敗因は嵐に二度つづけて遭遇し、決戦前に大損害をこうむっていたからだと見られている。

 中世温暖期の満ち足りた時代は終わり、飢えと疫病の時代に突入した。フェイガンは書いている。

 飢饉がいっそう深刻化したのは、その前の世紀に人口が急増していたからである。十一世紀末に約一四〇万人だったイングランドの人口は、一三〇〇年には五〇〇万人にまで増えていた。フランスの居住者は、十一世紀末の約六二〇万人から約一七六〇万人、ないしそれ以上に増えていた。一三〇〇年には、これまでよりも高度や緯度の高い場所で穀物が栽培されるようになり、ノルウェーには五〇万人が暮らしていた。だが、経済の発展は人口増加と同じ速度では進まなかった。地方経済はすでに一二五〇年には停滞をはじめ、一二八五年以降はどこでも成長の速度がにぶった。

 現在のアルプスでは氷河の後退が問題になっているが、当時は前進が恐怖の的となっていた。氷河に呑みこまれそうになった村の住民は氷河の突端まで聖像を押してて行進し、司教にミサをあげてもらったという記録が残っているそうである。

 悲惨なのはグリーンランドである。グリーンランドの植民地は牧畜で自給自足していたが、中世温暖期が終ると牧草が育たなくなった。沿岸には流氷が増えて航海が危険になり、ノルウェイ本国との連絡が何年も途絶えるようになった。最後の船から150年後、探検隊が訪れると植民地はゴーストタウン化し、住居には牛の蹄だけが残されていた。最後の生存者はどうしても食べられない蹄以外の部分をすべて食べつくしたのだろう。

 その一方、危険な北洋に乗りだす船乗りもいた。目当ては鱈だった。

 キリスト教会は金曜日と四旬節の40日間に赤肉と熱い食物をとることを禁止したが、魚と鯨肉は海でとれるので「冷たい食物」とされたので重要な蛋白源になった。中でも最長二年間保存できる干し鱈は重宝された。

 中世温暖期の間、鱈の漁場はノルウェイ沖だったが、寒冷化とともに南へ移っていった。バスクや英国の漁師は鱈を追ってアイスランド沖、グリーンランド沖、最後は北米沖にまで船を進めた。

 グリーンランド植民地が築かれた直後、アメリカ大陸は発見されていたが、その事実は隠され、アイスランドでサーガの中に語り伝えられるにとどまった。アメリカ先住民に阻まれたので定住はできなかったが、木材を伐りだすために定期的に訪れていたらしい。

 バスクと英国の漁師たちもアメリカ大陸の存在を知っていた可能性が高いが、外部に漏らされることはなかった。

 バスク人は山岳民族だとばかり思っていたが、実は恐れ知らずの船乗りで、優秀なバスク船は重要な輸出品になっていたという。イグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルを産んだ土地だけのことはある。

 陸でも小氷期に立ち向かう人々がいた。農業革命の推進者たちである。

 農業革命は北海沿岸とオランダではじまり、その成功がオランダの繁栄を支えた。英国の地主貴族ジェントリーたちはオランダの農法の信奉者となり、細分化された農地を買いとって土壌を改良し、大規模農業をはじめた。第二次囲いこみエンクロージャーである。

 エンクロージャーはマルクス主義系の学者たちからは資本の原始蓄積の手段として否定されてきたが、非マルクス主義系の歴史家からは農業革命として評価されてきた。フェイガンは後者の立場で、エンクロージャーのおかげで英国は不順な天候の年でも餓死者を出さずにすんだとする。むしろ人口は増え、その余剰人口が都市に移って産業革命をささえる労働者となった。マルクスは土地を奪われた農民が都市に流入したとしたが、集約型の大規模農業は農業労働者を必要とするので実際は人口の増えた分が都市に向かった。

 対照的なのはフランスである。フランス貴族は農業にはまったく関心がなく、農村は旧態以前のままだった。しかも、貧しい農民までもがジャガイモを嫌い、麦から作るパンに固執したので天候の変化が社会不安に直結した。

 フェイガンは英国が漸進的な改革に成功し、フランスが革命に突っ走った要因の一つは農業革命に成功していたかどうかだとしている。

 一七八八年の気候は、もちろん、フランス革命を起こした最大の要因ではない。しかし、穀類やパンの不足や食糧難による苦境は、革命勃発の時期を決定するのに大きな役目をはたしていた。何世代にもわたってつづく慢性的な飢えによって生じたフランスの社会秩序の脆さは、一七八九年夏の歴史的事件の前の暴動を起こす引き金となった。「一七八九年の大恐怖」はフランス国民の大半を集団ヒステリー状態にさせ、フランス革命を引き起こし、農民を政治の舞台に引きずりだしたのである。

 フランス革命の主役を農民としていることに疑問を持つ人がいるかもしれない。フランス革命はブルジョワジーが主導したのではなかったかというわけだ。しかし、フランス革命がブルジョワ革命だというマルクスの説は間違っていたことが明らかになった。ルネ・セディヨの『フランス革命の代償』あたりを読めばわかるが、ブルジョワジーが台頭してくるのは革命後40年以上たってからで、革命当時のフランスでは弱小勢力にすぎなかった。

 フランス革命のような流血の混乱をまねかないためにも、農政は重大なのである。今、異常気象が頻発する時期にはいっているが、政治の役割はいよいよ重くなるだろう。

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『千年前の人類を襲った大温暖化』 ブライアン・フェイガン (河出書房新社)

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 温暖化懐疑論にくみするわけではないが、昨今のエコの大合唱には首をかしげたくなるところがある。古今未曾有の大惨事が起きるかのような騒ぎになっているが、地球はこれまでにも温暖期と氷河期をくりかえしてきたのである。

 北極の氷が消えるとシロクマが絶滅するという趣旨の映像が飽きもせずに流れているが、北極に氷のない時期ならこれまでに何度もあった。たとえば七千年前から五千年前まで二千年間つづいた完新世の最温暖期である。流氷がないと餌がとれないのなら、シロクマはとっくに絶滅していたはずである。

 近いところでは12世紀をピークとする中世温暖期がある。現在、葡萄栽培の北限はドイツ南部だが、当時はノルウェイでもワインが生産されていた。グリーンランドでは10世紀末から14世紀半ばまでの400年間、バイキングが牧畜をいとなんでいた。ヨーロッパは温暖な気候と十分な雨に恵まれた。人口は急増し、12世紀ルネサンスと呼ばれる文化が花開いた。各地でゴシックの大聖堂の建設がはじまったのもこの頃である。温暖化は北の国にとっては歓迎すべきことなのである。

 だが、温暖化によって不利益をこうむる地域もある。『千年前の人類を襲った大温暖化』はこの問題をあつかっている。

 著者のブライアン・フェイガンは自然人類学者で人類の起源に関する著書が多いが、サイエンス・ライターとしても一家をなしていて、専門からすこしはずれる気候史についても本書にくわえて『歴史を変えた気候大変動』と『古代文明と気候大変動』をものしている。

 本書はまず中世温暖期がヨーロッパにとっていかに恵みの時代だったかを描きだした後、他の地域に目を転じるが、これが死屍累々なのである。

 アメリカ大陸についていうと、北米大陸の北ではヨーロッパと同じ恩恵を受けたものの、南部のプエブロ、中米のマヤ、南米太平洋岸のチムーは数百年つづく大旱魃にみまわれ、文明が崩壊した。

 同様のことがエジプトやインド、カンボジアのアンコール朝でも起こった。亜寒帯に属するヨーロッパや北アメリカ、中国北部では温暖期でも、それまで文明の中心だった温帯や亜熱帯に属する地域にとっては数百年つづく大旱魃期だったのだ。

 いや、旱魃が数百年つづくという言い方は適切ではないだろう。旱魃というような一時的なものではなく、文明を育んでくれた降雨帯が移動してしまい、肥沃な農業地帯が乾燥地になったのである。温暖化というと海面上昇ばかりが話題になるが、フェイガンは本当に深刻なのは旱魃の方だと指摘する。正論である。

 さて、中世温暖期で得をしたヨーロッパであるが、いいことばかりではなかった。中央アジアのステップ地帯が旱魃にみまわれたために、食いつめた遊牧諸部族はチンギス汗の旗下、一丸となって大征服事業をはじめたのだ。モンゴル帝国である。

 モンゴルの矛先はヨーロッパにも向けられた。チンギス汗の孫のバトゥはロシア全土を手中におさめた後、ポーランドとハンガリーを席巻し、中欧に狙いをさだめた。だが、二代皇帝オゴディが薨去したためにバトゥはクリルタイに出るために軍を引いた。バトゥはクリルタイからもどった後、ロシアの支配に専念し、ヨーロッパに軍を進めることはなかった。

 その理由はさまざまに忖度されてきたが、フェイガンは雨がもどり、牧草地が回復したからだとする。

 バトゥはつねに西方へ戻る野心をいだきつづけたが、本拠の牧草地の状態は良好で、彼の民はヴォルガ川とドン川からブルガリアまでの広大な領土で放牧することができた。牧草地が豊富にあって、南方の地との交易が盛んな時代には、野心的な征服に人を駆り立てるものはなかった。

 もしステップ地帯の旱魃があと三年つづいていたら、ヨーロッパはバトゥの軍勢に蹂躙され、イベリア半島の突端までモンゴルの版図にはいっていたかもしれない。そうなったら、フェイガンは中央アジアと同じことが起きただろうと見ている。ヨーロッパはモンゴル帝国の交易網の一部となるのでコロンブスの航海は動機がなくなる。モンゴルの宗教保護政策によって、イベリア半島のイスラム教徒がピレネー山脈を越えて影響力をのばすことも十分ありえただろう。歴史に if はないが。

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2008年08月31日

『ミトコンドリアが進化を決めた』 ニック・レーン (みすず書房)

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 『生と死の自然史』の続篇である。進化史と人間の健康の両方をおさえているのは前著と同じだが、両方の鍵となるミトコンドリアに話を絞っているのでまとまりがいい。また書き方が弁証法的というか、ドラマチックであり、劇作家はだしである。

 著者のニック・レーンは移植臓器を長持させる研究からミトコンドリアの研究にはいったという。悠久たる進化の話をしていても人間の健康という視点があるのは臨床に密着したテーマからはじめた人だからなのだろう。

 ミトコンドリアが酸素呼吸の要であることはご存知と思うが、細胞によってミトコンドリアの量が違う。脳や肝臓、腎臓、筋肉など代謝の活発な細胞の細胞質の40%はミトコンドリアだという。成人の場合ミトコンドリアは1兆の1万倍個あり、体重の実に10%を占める。そのミトコンドリアが本書のテーマである。

 前著では先カンブリア代の細菌の進化が語られたが、本書では生命の起源にさかのぼり、酸素を使わない代謝機構からはじめている。プロトン・ポンプという言い方をしているが、生命活動は電子のやりとりにまで還元できるらしい。生命の起源はプロトン・ポンプをどう駆動するかという問題になるようだ。

 光合成と酸素呼吸もプロトン・ポンプという視点から統一的にとらえられている。最初の生命は極限状況に棲む古細菌のようなものだったらしいが、このレベルの進化は一言でいえばプロトン・ポンプの試行錯誤ということになる。

 リン・マーギュリスは真核生物は古細菌と酸素呼吸細菌の合体で誕生し、ミトコンドリアは酸素呼吸細菌の名残だという説を提唱したが(『共生生命体の30億年』参照)、具体的に何と何が合体したのかは議論があった。

 当初はミトコンドリアをもたない生物――微胞子虫類、古アメーバ類、メタモナス類、パラベイサル類など、病原性をもった困った連中――が候補だったが、そうした生物は最初はミトコンドリアをもっており、後で失ったことが判明して候補から消えた。最終的に酸素呼吸細菌と合体したのはメタン生成菌だということがわかっている。酸素呼吸細菌の正体はリケッチアらしい。

 ここの議論は専門的だが本書の白眉である。というのも、合体が古細菌主導でおこなわれたのか、酸素呼吸細菌主導でおこなわれたのかにかかわるからだ。もし古細菌主導ということになれば、古細菌が酸素呼吸細菌を食べたことになるが、酸素呼吸細菌主導ということになれば、酸素呼吸細菌が古細菌に寄生したことになる。

 著者はアポトーシス(細胞自殺)を手がかりに、まず寄生説よりに議論を進める。アポトーシスはミトコンドリアによって発動されるが、これは細胞にはいりこんだ細菌が宿主の細胞を破壊し、巣立っていくのに似ていないだろうか。そうだとしたら、真核生物はミトコンドリアにあやつられていることになる。

 ぎょっとする仮説だが、ここで著者は弁証法的な変わり身を見せる。アポトーシスはミトコンドリアが起こしているのではなく、ミトコンドリアの破壊によって漏れだした活性酸素がシグナルとなって起こるというのだ。寄生説で決まりと思わせておいて相互補完説へ反転するあたり、プロの劇作家なみの手際である。

 真核生物の一部となったミトコンドリアは800以上の独自遺伝子を核に移されたが、自己修復関係の13の遺伝子は依然としてミトコンドリア内にとどまっているという。ミトコンドリアは原子力発電所のようなものなので、もし事故が起きたら核まで設計図をとりにいっている暇がないからだ。

 自己修復できればいいが、できなかった場合は活性酸素がミトコンドリア外に漏出し細胞を内側から破壊する。こうなるともはやアポトーシスで自爆するしかない。抗酸化サプリに寿命を伸ばす効果がないのはアポトーシスの引金になる活性酸素を隠してしまうかららしい。

 日本の田中雅嗣氏の寿命を延ばすミトコンドリア遺伝子の研究が紹介されているが、この遺伝子をもっていると活性酸素の発生量がわずかにすくないそうである。百歳以上の長寿者にはこの遺伝子の持主が通常の五倍もいるが、活性酸素発生量のわずかな違いが蓄積されることで大きな違いを生むのだろう。

 鳥や運動選手が長命なのはミトコンドリアが多く、一つ一つのミトコンドリアにかかる負荷が小さいからだという。負荷が小さければ、事故が起こる確率は低くなる。

 また、唯一実証されている長命法である絶食は燃料を減らすことで原発の運転に余裕を生む。ミトコンドリアの事故を防ぐことが長寿と健康の鍵のようである。

 ミトコンドリアだけでここまでわかるのかと驚くとともに、気分が高揚してくる。40億年の生命のドラマはわれわれの細胞一つ一つに宿っているのである。

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『生と死の自然史』 ニック・レーン (東海大学出版会)

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 『恐竜はなぜ鳥に進化したのか』に『酸素』という題名でたびたび言及されていた本である。原題は "Oxygen" だが、すでに邦訳が出ていたのだから邦題を示すべきだったろう。

 著者のニック・レーンはミトコンドリア研究の第一人者だそうだが、恐るべき博覧強記ぶりを発揮しており、しかもわかりやすい。読み進むうちに頭がよくなっていくような錯覚におちいる。

 どれくらい博覧強記かというと、普通、酸素の発見者としてはプリーストリーとラボアジェをあげ、気のきいた本だとシェーレをつけくわえるが、ニック・レーンはさらにセンディオギウスという錬金術師にまでさかのぼるのである。センディオギウスはラボアジェより170年も早く、硝酸カリウムを加熱して発生する気体が燃焼を促進し生物を元気にすることを発見していた(錬金術の世界ではこの発見はかなり知られていたらしい)。

 本書は酸素という視点から進化を検討し直した前半と、人間の生命現象を見直した後半にわかれる。500ページもある本なので二冊にわけるという手もあったろうが、一冊にまとめたことでわれわれの日々の営みがそのまま40億年前の先カンブリア代につながっているというビジョンが見えてくる。

 進化をあつかった前半では先カンブリア代の細菌の進化史を酸素の脅威という視点から再構成している。酸素は大きなエネルギーをもたらす反面、DNAを含む有機物を酸化し、ばらばらにしてしまう危険きわまりない元素である。最初期の生命は酸素のない環境で進化したので、酸素は猛毒だった。その酸素をいかに封じこめるかが細菌の進化の課題だった。

 酸素呼吸細菌がミトコンドリアとして細胞内に共生するようになったのも酸素対策が主因だったらしい。通説では酸素のエネルギーを利用するために酸素呼吸細菌をとりこんだということになっているが、酸素を利用するメカニズムは共通祖先ももっており、わざわざとりこむ理由にはならない。著者によれば酸素呼吸細菌はむしろ抗酸化作用のためにとりこまれたという。逆転の発想である。

 カンブリア爆発については Hox遺伝子のスイッチの入れ方で統一的に理解できるという説を引き、すべての動物の共通祖先が先カンブリア代に Hox遺伝子を進化させていた可能性に触れている。

 石炭紀からペルム紀についてのトンボの巨大化等についても代謝という観点からメカニズムを説明している。『恐竜はなぜ鳥に進化したのか』のやや強引ともいえる主張は本書を踏まえていたのである。

 さて、後半ではわれわれの健康・長寿という身近な話になるが、主役がミトコンドリアで一貫しているので異和感はない。

 驚いたのはサプリメントで抗酸化物質を摂取しても効果がないと断定していることだ。CoQ10やアルファリポ酸、ビタミンCがアンチエイジングの切札のようにもてはやされているが、寿命を延ばす効果を実証した研究は一つもないといわれている。その理由が明らかにされているのだ。

 抗酸化物質は活性酸素を取りのぞいてくれる。一見するとそれはよいことのように思えるが、活性酸素はミトコンドリアの修復機能を発動するスイッチの役目もはたしている。ミトコンドリアは火力発電所のようなもので、ちょっと運転を間違えると活性酸素を発生させ、みずから傷ついてしまう。だから、細胞は活性酸素を検知するとミトコンドリアの修復機能を発動させる。抗酸化物質をとりこむと、活性酸素の検知が遅れ、修復機能がうまく発動されなくなってしまうというわけだ。

 百害あって一利もないとはサプリメント大好き人間としては焦る結論だが、ミトコンドリア研究の第一人者の発言なので無視するわけにはいかない。抗酸化サプリを常用している人は本書を読んでおいた方がいい。

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『恐竜はなぜ鳥に進化したのか』 ピーター D.ウォード (文藝春秋)

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 空を飛ぶのは酸素を大量に消費する激しい運動だが、鳥は空気の薄い高空でも難なくやってのける。そんなことが可能なのは、鳥には気嚢システムというきわめて効率のいい呼吸器官があるからだ。

 鳥だけでなく、鳥の先祖にあたる恐龍も気嚢システムをもっていたことが、骨の特徴から確実視されている。そして、そのことが恐龍に繁栄をもたらしたらしい。

 古生代後半、地上を支配していたのは哺乳類型爬虫類と呼ばれる、恐龍とは別系統の爬虫類だった。哺乳類型爬虫類は子孫の哺乳類に受けつがれる優れた歯をもっていたので、恐龍の先祖を圧倒して繁栄を誇っていた(恐龍は貧弱な歯しかもっていないので、鳥と同じように石を呑みこんで胃の中で食物をすりつぶした)。

 ところが古生代と中生代を区切るペルム紀末の大絶滅で哺乳類型爬虫類は小型の種を除いて壊滅し、代わって恐龍が君臨した。中生代は恐龍の時代である。

 ペルム紀末の大絶滅の原因については隕石衝突説など諸説があったが、酸素濃度低下説が最近有力になっている。

 ペルム紀は酸素濃度が30%もあったが、末期には地球史上最低の12%にまで低下したらしい。哺乳類型爬虫類が大型化したのが高い酸素濃度のおかげだとしたら、酸素の激減は致命的である。小型の種しか生き残れなかったとしても不思議はない。

 一方、恐龍は気嚢システムをそなえていたので、低酸素状態でも素早く動くことができた。

 この説をはじめて知ったのはNHKが2004年に放映した「地球大進化」シリーズの第四集でだった。「地球大進化」はNHKの科学番組の中でもとりわけ面白かったが、中でも第四集と地球全球凍結仮説を紹介した第二集は群を抜いていた。

 酸素と進化の関係をもっと知りたいと思っていたところ、本書が翻訳された。邦題は「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」だが、恐龍だけでなく、カンブリア爆発から新生代の哺乳類の台頭までを酸素濃度の変化で統一的に解こうとした野心的な試みである。

 本書はまず酸素の重要性と、地上の酸素濃度と二酸化炭素濃度が時代によって大きく上下したことを説明し、酸素濃度と二酸化炭素濃度の時間的推移を推定したバーナー曲線というグラフを提示する。以降、各章の扉にはバーナー曲線が掲げられ、曲線のどの部分をあつかっているかが図示されている。

 バーナー曲線によると、カンブリア爆発のあった古生代のはじまりの時期は酸素濃度が低下したらしい。著者はカンブリア爆発で進化の実験室といっていいような多種多様な構造(体制)の生物があらわれたのは酸素不足に対応するためだったとする。たとえば、節足動物でいえば、体節を増やすという単純な操作によって鰓の数を増やし、とりこめる酸素の量を増やしたというように。

 ここで著者は一つの仮説を立てる。低酸素期には体制の変化というような大進化が起こり、高酸素期には種の多様化という小進化が起こるのではないか、というのである。高酸素期には個体数が増えやすいから、種の多様化が起こりやすいのは確かだろう。

 古生代はオルドビス紀末に酸素濃度が低下し、大絶滅が起こった後、酸素濃度はどんどん上昇し、ペルム紀には30%という史上最高の濃度に達する。酸素が増えるとともに生物はどんどん巨大化していき、さしわたし2mもある巨大なトンボまで出現する。生物の地上進出を可能にしたのも高い酸素分圧だという。

 さて、いよいよペルム紀末の大絶滅である。「地球大進化」は大陸が一つにまとまった結果、マントル対流に異変が起き、ホットプリュームという高温の塊が上昇してきて、シベリアで何万年もつづく大噴火が起こったという説をとっていたが、本書の著者も慎重な留保をつけながらも、酸欠の原因をシベリアの大噴火にもとめている(ただし、ホットプリューム説はとっていない)。

 「地球大進化」はすべての恐龍が最初から気嚢システムをもっていたような描き方だったが(TVなので話を単純にした可能性もある)、著者は気嚢システムをもったのは鳥につながる竜盤類だけで、しかも鳥盤類がわかれた後に獲得したとしている。

 では、大絶滅期に恐龍の祖先はどのように酸欠に対処したのか? 著者は二足歩行が酸欠への適応だという。

 爬虫類は歩く際、体を左右にくねらせるので呼吸がしにくくなる。恐龍と祖先を共通にするワニは脚を腕立て伏せの形にすることで肺の変形をすくなくしたが、恐龍は脚を胴体から垂直におろし、さらに二足歩行に移行することによって、走っても胸郭が変形しないようにした。トリケラトプスやステゴサウルスのような鳥盤類の巨大恐龍は四足で体を支えているが、もともとは二足歩行の恐龍から進化したということである。

 壮大な進化史を展開する野心的な本であるが、十分材料が集まっていないらしく、理屈で押していく演繹的な書き方になっている面は否めない。本書を強引に感じた人はニック・レーンの本『生と死の自然史』や『ミトコンドリアが進化を決めた』の併読をお勧めする。

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2008年08月26日

『クマムシ?!』 鈴木忠 (岩波科学ライブラリー)、『クマムシを飼うには』 鈴木忠&森山和道 (地人書館)

クマムシ?!
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クマムシを飼うには
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 『クマムシ?!』は出た時から読むつもりだったが、雑事にとりまぎれて放っておいた。目次にアノマロカリスの名前が出ていたのを思い出して、この機会に読んでみた。

 クマムシは1mmにも満たない小さな原生動物で、最大2mもあるアノマロカリスとは縁遠いように思えるが、クマムシ=緩歩動物を有爪動物などとともに汎節足動物という大分類にまとめる説があり、アノマロカリスも仲間になる可能性があるらしい。

 節足動物はミミズのような環形動物から進化したと考えられているが、環形動物から節足動物にいたる過程で試行錯誤した名残が汎節足動物ということになるだろう。ちなみに、アノマロカリスとの関係が有力視されているハルキゲニアは有爪動物で確定のようだ。

 近いといっても、門のレベルの近さであるから、人間と魚よりも離れているわけだが、分類学上、謎とされてきた生物のつながりがうっすらとでも見えてきたという状況はわくわくする。

 さて、クマムシである。クマムシは近縁の生物が現存しないので、単独で緩歩動物門 tardigrada という独立の門に分類されているが、tardigradaとはのろまという意味のラテン語で、このサイズの動物としては動きが非常にゆっくりしているのだそうである。こちらの映像を見るとちょこまか動いているように見えるが、似たような大きさのワムシや線虫と較べるとのろいというわけだ。

 『クマムシ?!』の著者の鈴木忠氏は大学キャンパスで採取した苔をシャーレで水に浸し、中に棲んでいる動物を調べたところ、二種類のクマムシを発見した。二ヶ月後、シャーレを見てみると、クマムシがまだ生きていたので、飼うことにしたという。

 放置しているだけでは飼っている実感がないので(!)餌をやることにしたが、文献に線虫を食べるとあったので線虫をあたえたが、クマムシは逃げまわり、食べるどころではない。結局、ワムシがいいとわかり、ワムシの飼育からはじめる。このなし崩しの展開はクマムシ的である。適度に湿った環境を維持するために、シャーレに寒天をコーティングする工夫をするなど、実に楽しそうである。

 ワムシをあたえるとクマムシはぱくぱく食べて、どんどん成長する。ある程度まで成長すると脱皮をする。4回目以降は脱皮と同時に産卵する。産卵といっても、体外に卵を産むのではない。脱皮した抜殻の中に卵を残してくるのだ。抜殻を卵の保護に利用するとはうまいやり方だ。

 クマムシといえば乾眠だが、乾眠するのは陸上種だけで、海に棲むクマムシのはその能力がない。陸上といっても、苔などにへばりつているのだが、ちょっとしたことで干からびてしまう。クマムシはゆっくり干からびると、樽のように体を丸めて乾眠状態に入る。乾眠状態になると、他の生物が耐えられないような放射線や高音、低温にも耐えられるようになる。クマムシ不死身伝説である。

 伝説の多くは本当だが、乾燥が急速に進むと乾眠に入れずに死んでしまう。  乾眠状態なら二百年大丈夫という説もあったが、実際は最長で九年だそうである。二百年説は、ある研究者が二百年前に採取された苔の標本を水につけたところ、クマムシがふやける際、生きているかのように動いたと書き残したところから生まれたようだ。水でふやけただけで、生き返って動きだしたわけではなかったのだ。

 本書には多数の図版がおさめられているが、クマムシの研究者でも見たことのない、知る人ぞ知る貴重なものだという。それがわかったのは『クマムシを飼うには』を読んだからだ。

 『クマムシを飼うには』はサイエンスライターの森山和道氏による鈴木氏のロング・インタビューで、もとは有料のメールマガジンに掲載されたものである。長さの制約がないので未編集で載せているということだが、どこに話が転がっていくかわからないスリルがある。

 題名は「飼うには」となっているが、飼い方のハウツーが書いてあるわけではない(飼い方は『クマムシ?!』の方に詳しい)。前半は『クマムシ?!』で語り残したクマムシ関連の話題だが、後半、鈴木氏の研究歴やデンマーク留学の話に広がっていく。科研費のおりにくい不要不急の研究をやっているだけに、切実な話もまじる。同じ不要不急の分野でも、天文学は業界をあげてPRしているのでお金が出るなどというやっかみめいた感想も出てくる。

 著者はデンマークではラインハルト・クリステンセンのもとでクマムシを研究したということだが、図書館と博物館が日本では考えられないくらい充実している。『クマムシ?!』にはいっている貴重な図版も司書に頼んだだけで出てきたそうだ。そんな司書は日本にはなかなかいないし、第一、資料そのものが残っていないだろう。

 日本でも資料を集めていないわけではない。しかし、いくら集めても、保存する文化がないので、教授が代替わりすると廃棄されるのが普通だそうである(ありそうな話だ)。

 デンマークでも最近は基礎研究の予算が削られているそうだが、50年ぶりにビーグル号のように世界を一周する調査船を送りだしたというから、較べるのも恥ずかしくなる。科学研究の伝統の差だが、その背景には科学を支える市民社会の差があるだろう。Scientific Americanの日本版が「サイエンス」として出ているが、発行部数に十倍の差があるそうである。人口比から考えると、日本版は今の三倍売れていてもおかしくないが、それだけ科学に対する興味を大人が失っているわけだ。子供の理系離れが危機感をもって受けとめられているが、子供の前にまず大人が科学に対する関心を失っているのである。

 はじまりはクマムシだったが、考えさせられるところの多い対談であった。『クマムシ?!』ともどもお勧めである。

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『カンブリア紀の怪物たち』 サイモン・コンウェイ・モリス (講談社現代新書)

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 バージェス動物群研究の第一人者、サイモン・コンウェイ・モリスによるカンブリア爆発の一般向け概説書である。モリスはウィッチントンを長とするケンブリッジ大学のバージェス頁岩プロジェクトに参加したのみならず、北極圏にあるシリウス・パチェットには本書執筆時点までに三度訪れている。ハルキゲニアの記載論文を書き、ハルキゲニアと命名したのも彼である。

 本書は1997年3月刊行に講談社現代新書のための書き下ろしとして出版された。翌1998年にオックスフォード大学出版局から"The Crucible of Creation: The Burgess Shale and the Rise of Animals"という本が出ているが、目次を見るとほぼ重なっているから、おそらく本書の英語版にあたるのだろう。

 十年以上前に書かれた本だが、今回、確認のために拾い読みしたところ、面白くて最後まで読んでしまった。素人目にも古くなった部分は目につくが、依然としてカンブリア紀を知るための最良の入門書ではないかと思う。

 19世紀末にバージェス頁岩が発見され、1960年代にハッチントンの再調査プロジェクトによってカンブリア爆発があきらかになる経緯を述べた最初の二章は簡にして要を得ているが、第三章「タイムマシーンに乗って」というカンブリア紀探検記は本書の一番の読みどころである。こんな具合だ。

 アユシュアイアは泥底をのんびりと横切っている。ちょっとみたところ、巨大な毛虫のようだ。上部は大体濃い赤で、下部は少し赤が薄くなっている。しかし胴回りを規則的なリング状にとり囲む小さな突起はあでやかな紫に、中心の点は黄色に彩られている。

 長い蠕虫のような胴は並んだ短い丸い足で海底上で支えられ、足の先には二つのツメが付いている。これらの足は軟らかく乳頭状をしており葉状肢と呼ばれる。ちょうどマーレラの歩脚のように、アユシュアイアが歩く時、それぞれ対になった葉状肢を後ろに押し、前に振り戻すといった運動のうねりが体の前後に伝わる。……中略……

 さらにアユシュアイアが海底を横切って進むのを観察し続けると、大きなカイメンの群に近づき、足に付いているツメを使って難なくカイメンの表面にくいいり、登り始める。アユシュアイアの頭は左右にゆっくり揺れ続け、それからひと休みしてカイメンの表面に向かって上半身を曲げる。トラベラーはすでに気づいているが、アユシュアイアの口は体の前端にあって、前方に向かって並んだ突起がそれをとり囲んでいる。カイメンを食べはじめた。カイメンの表面をしゃぶり、小さな組織片を吸い上げる。一つの場所をひととおり食べ終わると、次の場所に這っていってまた同じことを始める。

 化石には色は残らない。アユシュアイアが赤いというのはモリスの想像である。硬い甲羅もトゲもなく、柔らかな背中を無防備にさらしていることから、アユシュアイアは毒を持っていたのだろうと仮定し、威嚇色としての毒々しい赤にしたのだろう(攻撃と防御に視覚が重要な役割を果たしていたことはアンドルー・パーカー『眼の誕生』を参照)。

 葉状肢でのそのそ歩く様子はユーモラスだが、これも想像である。しかし、このように描写されると、葉状肢が節足動物の脚につながっていくのがすんなり納得できる。

 第四章では新たに発見されたシリウス・パセットと澄江を簡単に紹介し、第五章からはいよいよグールドと対決する。

 グールドの『ワンダフル・ライフ』は衝撃的だった。カンブリア爆発を世に知らせ、アノマロカリスを世界的な人気者にしたのは同書の功績といっていい。

 グールドは動物のバリエーションはカンブリア紀に極大に達したが、多くの門はすぐに絶え、少数の門だけが現在まで子孫を残したとする。しかも、この選別には偶然が大きく働いており、もしテープをカンブリア紀まで巻きもどして進化をやり直したら、別の門が生き残っていたかもしれない。アノマロカリスの末裔が高度な知能を獲得していた可能性もあるというわけである。

 モリスはグールド説を誤りと断じる。カンブリア紀の動物のバリエーションはモリスが考えるほど広くはなく、その後に狭まってもいないというわけだ。

 グールド説を批判するにあたり、モリスはグールド説の前提となっているウィッチントンとケンブリッジ学派の考え方の再検討からはじめる。

 ウィッチントンはモリスのかつてのボスだが、モリスはバージェス頁岩プロジェクトに参加するためにブリストル大学からケンブリッジに移ってきた人なので、外様意識があるのかもしれない。

 バージェス頁岩を再調査するプロジェクトが進められていた当時、ケンブリッジではシドニー・マントンの説にしたがい、節足動物には共通祖先がなく、四つのグループがそれぞれ独立に進化し、収斂進化で間接肢という共通の特徴をもつようになったと考えられていた。四つのグループとは鋏角類(クモ、サソリ)、甲殻類(エビ、カニ)、単肢類(昆虫、ムカデ)、三葉虫類である。

 節足動物が系統の異なる四つの独立した門の寄せあつめなら、バージェス頁岩から見つかった新種の奇妙奇天烈な動物たちを整理することも難しくなる。実際、ウィッチントンが最初に描いた系統図は「系統の芝生」と揶揄されたように、多数の門がただ一列に並んでいるだけで、系統づけは最初から放棄していたに等しい。ウィッチントンの「系統の芝生」を一般向けに簡略化すれば、カンブリア紀になって多数の門が独立に一斉に出現したというグールドの説になる。

 しかし、コンピュータによって多数の特徴を整理して分岐図を描きだす分岐分類学と、現生動物の遺伝子から遺伝的な距離を算出する分子生物学の発展によって、節足動物の分類は大きく改められた。三葉虫は鋏角類の中に包含され、三大グループに編成しなおされ、三大グループ間の系統関係も明らかになってきている。

 最新の説によると、環形動物(ミミズなど)からわかれた節足動物の共通祖先から、まず葉状肢動物(アユシュアイア、ハルキゲニアなど)が分岐し、次に有角類(昆虫など)が分岐した。最後に鋏角類と甲殻類が共通祖先からわかれたと考えられている(鋏角類と甲殻類はスキゾラミア類と総称される)。

 このような系統図を描くと、バージェス動物群はどこかにおさまってしまうのだそうである。現在進行中の研究なのでどうなるかわからないが、『ワンダフル・ライフ』の仮説がもはや維持できないのは確かだ。平行宇宙のどこかにアノマロカリス人間がいたら面白いと思っていたのだが、その可能性はなさそうだ。

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『カンブリア爆発の謎』 宇佐見義之 (技術評論社)

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 カンブリア紀は長らく三葉虫の時代と考えられていたが、通常化石にならない軟組織をもった生物が化石になったバージェス頁岩の発見で、多種多様な生物が一挙に出現し、進化の実験室の様相を呈していたことが明らかになった。これをカンブリア爆発という。

 その後、バージェス頁岩と同じような軟組織の化石が世界各地で見つかるようになった。グリーンランドのシリウス・パセットと中国雲南省の澄江ではまとまって出土したが、中でも澄江の化石は量とカバーする年代の長さでバージェス頁岩をはるかに凌駕した。本書は澄江を中心に、カンブリア爆発の最新の研究成果を紹介した本である。

 著者の宇佐見義之氏はもともとは古生物畑ではなく、コンピュータ・シミュレーションを研究していたが、アノマロカリスの遊泳をシミュレートしたのを機にカンブリア爆発を研究するようになったという。コンピュータで復元したアノマロカリスの泳ぐ姿は著者が開いている「インターネット自然史博物館」で見ることができる。

 澄江の化石はバージェスよりも1500~2000万年古く、カンブリア紀の地理では古太平洋パンサラッサをはさんで5000キロ以上隔たっていた。5000キロといえば、東京からハワイの手前あたりだし、1500~2000万年前といえば人間とオランウータンが共通祖先からわかれた頃にあたる。地理的にも時代的にもそんなに離れているのに、生物には共通するものが多いというのは興味深い。バージェス動物群は特殊な生物ではなく、カンブリア紀にごく普通に見られる生物だったということだろう。

 本書は澄江で発見された奇妙な生物を復元図つきで紹介している。アノマロカリスだけでも五種類いて、ながめているだけでも楽しい。ただし、化石の図版は多くない(化石を見たい人には『澄江生物群化石図譜』という本が出ている)。

 アノマロカリスは脚がなく、脇腹の鰭をひらひらさせて泳いでいたと考えられてきたが、澄江では脚をもったアノマロカリスが発見された。アノマロカリス・サーロンとパラベイトイア・ユンナネンシスである。

 ここで注目したいのは、最後の章で披露されるアノマロカリスの遊泳法のシミュレーション結果で、ヒレの長さが7cmを越えると遊泳能力が突然向上するというのだ。それが正しいなら、初期のアノマロカリスは海底を歩いたり泳いだりしていたが、だんだん巨大化してヒレの長さが7cmを越えたところで泳ぎ中心になり、脚が退化していったということになるだろうか。

 しかし、澄江最大の発見はミロクンミンギアという魚が発見されたことだろう。魚の誕生はオルドビス紀とされていたが、それが一気に5000万年も遡ったのである。グールドは『ワンダフル・ライフ』で、バージェスで発見されたピカイアという原始的な脊索動物をわれわれの先祖と紹介したが、直系の先祖である原始的な魚類が確認された以上、ピカイアは傍流にすぎなかったことになる。

 グールドはバージェス動物群を現存の動物の分類体系には含まれないまったく新しい門に属し、子孫を残すことなく滅んだと主張して衝撃をあたえたが、その後、サイモン・コンウェイ・モリスの『カンブリア紀の怪物たち』などで反論が出された。シリウス・パセットや澄江で新たに見つかった化石の研究によって、バージェスの奇妙奇天烈な動物群は節足動物の近縁にあたるという見方が有力になっているようだ。本書もその見方をとっていて、脚を中心に節足動物との関係を論じているが、この部分は記述が錯綜している。現在進行中の分野だけに、まだ結論を出せる段階ではないのかもしれないが。

 最後になったが、「インターネット自然史博物館」では本書の正誤表が公開されていることを申しそえておく。

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2008年02月29日

『インフルエンザ危機』 河岡義裕 (集英社新書)

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 インフルエンザ・ウィルスの人工合成に成功するなど、世界的な業績をあげているインフルエンザ学者による啓蒙書である。その道の権威が研究生活をふりかえりながら、一般読者向けに解説するという古き良き新書の流儀で書かれており、文章が平明なので二時間もあれば読める。

 H5N1型インフルエンザはヒトに感染しやすい方向に着々と進化しており、新型誕生は時間の問題なので、最近のインフルエンザ関係の本は危機感があらわだが、本書は2005年の刊行なので、牧歌的といっていいくらいのんびりした書き方である。しかし、それがよい。新型インフルエンザ関係の本は何冊も読んだが、見通しのよさという点では本書が群を抜いている。本書のおかげで、ジグソーパズルがようやく一つの絵にまとまってくれた。

 語り口はのんびりしているが、よくよく考えると、恐ろしいことが書いてある。

 1997年5月に香港でH5N1型の死者が出た際、著者の河岡義裕氏が現地にはいって調査にあたったことは『四千万人を殺した戦慄のインフルエンザの正体を追う』にも書いてあったが、この時、河岡氏は弱毒型のウィルスが強毒型のウィルスに変異する鍵となる遺伝子を特定している。たった一つのアミノ酸が置きかわるだけで、弱毒型のウィルスは強毒型に変化してしまうという。日本では弱毒型の鳥インフルエンザであっても、全羽殺処分することになっているが、それは弱毒型はいつ強毒型に変わるかわからないからである。

 最近注目されるようになったインフルエンザ脳症のメカニズムについても触れられている。三歳以下の子供はインフルエンザの免疫がないので、肺でウィルスが一気に増殖し、防衛のためにサイトカインという物質が大量に分泌される。それが脳にはいって炎症を引き起こすというのである。インフルエンザ脳症を起こした子供の50%に後遺症が残るという。著者は三歳以下の子供と書いているが、ワクチン接種を受けないまま成長した子供はどうなのだろう。

 タミフル耐性ウィルスが問題になっているが、大人よりも子供の方が耐性ウィルスができやすいという。原因はやはり免疫がないことだ。ウィルスが一気に増えるので、耐性をもったウィルスが生まれやすくなるわけだ。

 インフルエンザの流行を阻止するにはワクチンが決め手になるが、日本とアメリカのワクチン事情の違いは思いのほか大きい。アメリカではスーパーマーケットなど、人の集まる場所に日を決めて看護婦が出張してきて、日本の半額程度でワクチン接種を受けることができるそうである(高齢者は無料)。ワクチンには副作用がつきものだが、訴訟社会のアメリカでそんなことができるとは意外である。ワクチンのリスクが国民によく理解されているのだろう。

 新型インフルエンザ発生後、半年でワクチンが出てくるといわれているが、森田高参議院議員のblogによると、全国民にゆきわたる量にはまったく届かないそうである。インフルエンザ・ワクチンの集団接種が廃止されて以後、大手製薬会社がワクチンから引いてしまい、公益法人と小さな製薬会社が製造しているにすぎない。年間2000万人分を製造するのがやっとで、緊急増産など不可能ということである。

 欧米諸国は半年程度で全国民分のワクチンを製造する体制を確立しているが、日本の場合、全国民分のワクチンがそろうのは五年後になるようだ。その五年間、国民は無防備のまま、くりかえし襲ってくるパンデミックにさらされることになる。市民運動家の妄言に惑わされてインフルエンザ・ワクチンの集団接種をやめたことの重大さにあらためて慄然とする。

 なお、本書は2005年の刊行なので、やや古い。最新の情報を知りたい方は田代眞人・岡田晴恵『新型インフルエンザH5N1』(岩波科学ライブラリー)、個人でできる対策法を知りたい方は岡田晴恵『H5N1型ウイルス襲来―新型インフルエンザから家族を守れ』(角川SSC新書)をお勧めする。

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2008年02月28日

『四千万人を殺した戦慄のインフルエンザの正体を追う』 ピート・デイヴィス (文春文庫)

四千万人を殺した戦慄のインフルエンザの正体を追う →bookwebで購入

 1998年8月、北極圏に浮かぶノルウェイ領スピッツベルゲン島の共同墓地で、各国のマスコミが注視する中、永久凍土を掘りおこして7人の青年の凍りついた遺体が発掘された。青年たちは極北の島の炭鉱で働く炭坑夫だったが、1918年にスペイン・インフルエンザで死に、この地に葬られたのだった。

 80年前の遺体を掘りだすのはスペイン・インフルエンザのウィルスを採取し、塩基配列をつきとめるためだった。インフルエンザのウィルスがはじめて分離されたのは1933年であり、1918年当時はファイファー桿菌が病原体だと信じられていたから、パンデミックをおこしたのがどういうウィルスだったかわかっていなかった。今後予想される強毒型の新型インフルエンザにそなえるためには、これまでヒトに感染したインフルエンザのうち最も症状の激しかったスペイン・インフルエンザの遺伝子を調べる必要がある。

 同様の試みはアラスカでおこなわれたことがあったが、埋葬された場所が永久凍土ではなかったために遺体は融解と凍結をくりかえしており、遺伝子を採取することはできなかった。インフルエンザはRNAウィルスなので、簡単に損なわれてしまうのである。一方、スピッツベルゲン島は永久凍土の島なので、遺伝子が無傷で残っていると期待されていた。

 本書はこの1998年のウィルス採取プロジェクトを中心にした科学ドキュメントである。

 プロジェクトを率いるのはトロントの大学で地理学を教えるカーティス・ダンカンという女性で、彼女は学生時代にクロスビーの『史上最悪のインフルエンザ』を読んで感銘を受け、いつかスペイン・インフルエンザのウィルスを発見したいと考えていた。徒手空拳プロジェクトをはじめた彼女は大物ウイルス学者や研究機関、大手製薬メーカーの後援をえて、五年目にしてようやく墓場の発掘にこぎつけたのだ。

 と紹介すると、『プロジェクトX』のような感動的な物語を期待するかもしれないが、このプロジェクトは問題がありすぎた。

 リーダーのカーティス・ダンカンは情熱の人だったが、プロジェクトが大きくなりすぎて彼女の能力を超えてしまった。カナダ人だけの仲良しグループだけの間は彼女でも仕切れたが、いろいろな国の研究者が参加し、国際的に名前が知られた大物がくわわってくると、未経験な彼女の手には負えなくなったのだ。地理学という畑違いの研究者であることも悪い方向に働いた。

 困ったことに、ダンカンは窮地に追い詰められると逆に我を張る性格だったらしい。すべてを自分で仕切るろうとするようになり、チームは何度も空中分解しそうになる。CDCが途中で降りたのも、彼女が原因だったらしい。

 運営がまずかった上に、いざ掘りだしてみると、プロジェクトの前提を覆すような事実が明らかになった。

 永久凍土といっても、すべてがカチカチに凍りついているわけではない。地表から一定の深さまでは「活動層」といって、夏に融け秋に凍るという融解凍結をくりかえしている。事前の地中レーダーの調査では遺体は活動層の下に埋まっているはずだったが、棺は活動層の中から出てきた。

 プロジェクトは失敗したのだろうか?

 インフルエンザ学に詳しい人なら、発掘した遺体からウィルスが採取されたことをご存知だろう。実はこの後どんでん返しが二つあるのである。それにはリンカーン大統領が設立した(!)アメリカの研究機関がからんでくる。アメリカの科学情報の蓄積はおそるべきである。

 ドキュメント部分は読み物としておもしろいが、本書の一番の読みどころは実はそこではない。ウィルス採取プロジェクトの重要性を読者に伝えるために、デイヴィスは最初の三章をついやして長い前書きを書いているが、この前書き部分が読ませるのである。

 まず、第一章では1997年5月に香港で起きたH5鳥インフルエンザ・ウィルスがヒトに感染し、死に至らせた事件を語っている。H5とH7は他の亜型と異なり、全身の細胞で増殖できる強毒型であり、家禽ペストとも呼ばれていたが、ヒトには絶対に感染しないと考えられていたので、ヒト・インフルエンザの研究者はH5ウィルスのための検査薬すらもっていなかった。そのためにウィルスの正体をつきとめるのに三ヶ月もかかっている。そして、正体が判明した後の研究者たちのうろたえぶり。背筋が寒くなった。

 最初のH5型の死者が5月に出たという点も注目である。8月にウィルスの正体がわかり、12月に香港のすべての家禽が殺処分にされるまで、さみだれ的に罹患者と死者が出つづけた。インフルエンザといっても、暖かくなれば大丈夫というわけではないのだ。

 第二章と第三章はスペイン・インフルエンザ早わかりである。第二章はクロスビーの『史上最悪のインフルエンザ』の要約といってよく、第三章はクルスビー以後の研究成果を紹介している。クロスビーの本でも暗澹たる気持ちにさせられたが、実際はもっと悲惨だったようである。

 クロスビーはスペイン・インフルエンザの発生地をシカゴ近郊と考えていたが、本書によると現在では諸説があって結論は出ていないらしい。第一次大戦で若い男が出征して生まれた労働力不足をおぎなうために、中国人が数万人ヨーロッパに出稼ぎにきていたが、その彼らがウィルスを持ちこんだという説まであるそうである。鳥インフルエンザがヒト型に変わる揺籃地は中国南部という例が多かったが、スペイン・インフルエンザにもその可能性があったのである。

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2008年02月27日

『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』 速水融 (藤原書店)

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 世界を席巻したスペイン・インフルエンザは日本にも襲来した。まず、1918年5月に先触れの流行があり、1918年冬の第二波、1919年冬の第三波が欧米とほぼ同時期に日本を駆け抜けた。先触れ流行は大角力夏場所で休場力士が多数出たことから「角力風邪」と呼ばれた。高病原性を獲得して以降の第二波と第三波は多数の死者を出したので疫病としてあつかわれ、「前流行」、「後流行」と呼ばれている。

 本書は日本におけるスペイン・インフルエンザの流行を研究したはじめての単行本である。クロスビーの『史上最悪のインフルエンザ』に倣った部分が多く、周辺地域や文藝作品にまで目を配っている。クロスビーはアメリカを中心に全世界をあつかっていたが、本書は日本だけなので生の史料を多数引用している。ほとんどのページに当時の新聞(ローカル紙が多い)に載ったスペイン・インフルエンザ関連の記事が画像で掲げられているが、「全村惨死」、「棺桶大払底」、「漁夫続々死亡」、「屍体を原野に山積して火葬す」といった見出しを眺めているだけでも惨状がうかがえる。巻末には栃木県の矢板で診療にあたった五味淵伊次郎医師の手記と、軽巡洋艦「矢矧」の航海日誌が付録として全文収録されている。

 どちらも克明な日録であり貴重だが、「矢矧」の記録は特に興味深い。「矢矧」は第一次大戦に際し南方の警戒と輸送船保護にあたったが、シンガポールでスペイン・インフルエンザに感染し、次の寄港地であるマニラにたどり着くまでに458名の乗組員全員が罹患、副長をふくむ48名が死亡するという事態にいたった。航海士までもが倒れたが、たまたま便乗していた「明石」の乗組員が操艦を引き継ぎ漂流をまぬがれた。「明石」は地中海に派遣されていたので、乗組員は免疫があったのである。

 「矢矧」が寄港した時点のシンガポールはインフルエンザ禍の最中で、艦長は乗組員の上陸を許さなかったが、交代の船が遅れたために停泊は2ヶ月におよんだ。出航の時点では流行がおさまっていたので、艦長は温情から乗組員に上陸を許した。それが裏目に出たのである。

 インフルエンザの流行は数ヶ月で終息するが、免疫ができて新しい発症者が出なくなったというだけであって、ウィルスは空気中に充満しているのだ。免疫のない人間がそんなところへ出ていったら一発で感染する。

 この教訓は重要である。パンデミックが起きたら第一波が通りすぎるまでの二ヶ月間、自宅に籠城するといいという説があるが、感染がおさまったように見えても、免疫が間にあわなかった人が死に、間にあった人が生き残っただけであって、ウィルスが消えたわけではないのだ。そんなところへ出ていったら、シンガポールに上陸した「矢矧」の乗組員同様、感染は必至である。

 著者の速水融氏は日本で歴史人口学を確立した人だけに、歴史人口学的な考察ではクロスビーを一歩進めている。「前流行」と「後流行」の死亡者数を地域ごとに集計し、比較するという精密な作業をおこなっているのである。

 「前流行」と「後流行」では死亡率が5倍も違うので、別種のウィルスではないかという説もあるそうだが、速水氏は「前流行」で死者の多かった地域では「後流行」の死者がすくなく、逆に「前流行」で死者のすくなかった地域は「後流行」で多いという相関関係をつきとめ、「前流行」でできた免疫が「後流行」で有効だったとしている。

 免疫の有効性は陸軍の統計からもうかがえる。アメリカ同様、日本でも若い兵士が密集して生活する兵営が感染の温床となったが、いったんおさまった流行が、12月1日に新兵が入営してくるとふたたび猖獗をきわめたのだ。しかも、罹患者と死者のほとんどは初年兵だった。二年兵以上には「前流行」で免疫ができていたと考えるべきだろう。「前流行」でできた免疫が「後流行」でも有効なら「前流行」と「後流行」は同一ウィルスだった可能性が高い。

 こうした分析が可能なのは日本では戸籍が完備している上に、内務省による統計とその元になった都道府県別の統計が残っていたからだが、都道府県別の資料をみていくと内務省の統計の不備が見つかった。ローカル紙の記事からすれば死者が出ているはずなのに、死者ゼロになっている県や、京都府のように途中から数字がなくなっているところがすくなくないのだ。そもそもインフルエンザで亡くなった人の死因がすべてインフルエンザないし肺炎となっているかどうかも怪しい。

 そこで本書では流行の前年の1917年の死者数を基準に差分をとるという「超過死亡数」という手法で推計をやり直している。従来、スペイン・インフルエンザによる死者数は38.5万人ということになっていたが、本書では7万人も多い45.3万人という数字を導きだしている。

 これだけの被害が出ているのに、日本でも欧米同様、スペイン・インフルエンザは忘れられてしまった。欧米の場合は第一次大戦の惨禍の蔭に隠れたが、日本の場合は3年後に起きた関東大震災が影響したのではないかと著者は推測している。死者はスペイン・インフルエンザの方が4倍も多かったが、震災は街に目にみえる傷痕を残し、復興に何年も要したのである。

 もう一つ、「風邪」という呼称も軽んじられる一因となったと考えられる。著者は「スペイン風邪」ではなく「スペイン・インフルエンザ」という呼称を提案しているが、致死率60%というH5系のウィルスの凶悪さからすると「インフルエンザ」も軽すぎるかもしれない。

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2008年02月26日

『史上最悪のインフルエンザ』 アルフレッド・W・クロスビー (みすず書房)

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 新型インフルエンザの関連でスペイン・インフルエンザが注目されているが、本書はスペイン・インフルエンザを歴史の観点からあつかった最初の著作である。初版刊行は1976年だが、30年以上たった現在でも読みつがれており、この分野の古典といってよいだろう(邦訳では「スパニッシュ・インフルエンザ」と表記されているが、本欄では速水融氏の提唱する「スペイン・インフルエンザ」という呼称で統一する)。

 スペイン・インフルエンザは第一次大戦さなかの1918年春、アメリカのシカゴ近郊で誕生したと著者は考えている(現在では必ずしもそう考えられてはいない)。スペイン・インフルエンザは普通のインフルエンザとは異なり、若者を狙い撃ちにした。感染の温床となったのは軍の訓練キャンプだった。当時、アメリカは毎月20万人以上の兵士をヨーロッパ戦線に送っていたが、訓練キャンプで蔓延し、アメリカ兵とともに大西洋をわたった。そして、長引く戦争で疲弊していたヨーロッパで感染爆発を起こした。高病原性を獲得した株が生まれ、1918年秋に第二波、1919年秋にはさらに激症化した第三波が全世界に拡がり、犠牲者はすくなく見積もっても2500万人にのぼるとされている(クロスビーの推計では4000万人)。

 スペイン・インフルエンザは弱毒型であり、子孫が数年おきに流行しているので、風邪の延長のように思いがちだが、出現当初は風邪とは次元の違う病気だったらしい。罹患すると5人に1人が鼻血を出し、重症者のベッドは鼻血と血痰で血まみれ、死亡して死後硬直がはじまると鼻から血の混じった液体が染みだしてきて、遺体を包んだ布を赤く染めたという。初期に治療にあたった医師が肺ペストを疑ったのもむべなるかなで、クロスビーはウィルスに襲われた都市の惨状を「グランギニョール的カオス」と形容している。弱毒型でここまで凶悪では、強毒型になると予想されるH5N1の新型インフルエンザはどうなるのだろうか。

 スペイン・インフルエンザの蔓延には第一次大戦が影響している。若者を過密に詰めこんだ兵営は感染のかっこうの温床になったが、もっとひどいのは兵員輸送船だった。軍当局は乗船一週間前からヨーロッパに送る部隊を隔離し、罹患の疑いのある兵士を出航直前までふるい落していったが、潜伏期があるので感染を防ぐことはできなかった。大西洋を横断するのに8日かかったが、出港後数日たつと患者が増えすぎて隔離が不可能になり、全乗員の1%以上が洋上で死んだ。フランスについても10%は自力では下船できずに入院、死亡者が続出した。

 アメリカ本土では兵営を中心に感染が広まっていったが、戦費調達のためにたびたびおこなわれた戦時公債販売促進のためのイベントが感染に一役買った。医師や看護士も不足していた。医師の25%が軍に動員されて出征し、感染爆発がはじまると医師と看護士自身がどんどん罹患して倒れていった。自治体によっては遺体の埋葬が追いつかなくなり、平時の6倍の金額をふっかける葬儀屋まであらわれた。

 ヨーロッパでは四年つづいた総力戦で人々の抵抗力が落ちていた上に、十分な医療を受けることができなくなっていた。そこへ狙いすましたように、スペイン・インフルエンザが襲いかかった。

 スペイン・インフルエンザのパンデミックは第一次大戦が促進したといっていいいが、第一次大戦の方もスペイン・インフルエンザに影響された。第二波の流行はドイツ軍の戦線が崩壊した時期にあたり、大戦の終結を早めたといわれている。

 クロスビーはパリ講和会議にもスペイン・インフルエンザが影響したと考えている。講和条件は実質的にはアメリカ、英国、フランス、イタリアの四首脳の秘密会議で決められたが、ドイツに対する天文学的な賠償金とラインラント占領に反対していたアメリカのウィルソン大統領が会議の終盤、スペイン・インフルエンザで病床につき、阻止できなくなったというのだ。

 首脳会議が参加者の個人的資質に影響される部分が大きいのは確かだが、ウィルソン率いる民主党は1918年秋の選挙で負けており、後に国際連盟加盟も否決されている。ウィルソンがスペイン・インフルエンザで倒れなかったとしても、ドイツに対する懲罰的な処分を押しとどめることができたろうか。パリ講和会議への影響は話半分に受けとっておいた方がよさそうだ。

 抗ウィルス剤が開発されるまでインフルエンザに対抗する手段はマスクとワクチンしかなかったが、当時のマスクはウィルスを素通しするガーゼマスクだった。サンフランシスコでは公共の場でマスクの着用を義務づける条例が可決された。たまたま第二波の終息期にあたっていたのでマスクには効果があるということになったが、第三波の流行がはじまると効果がないことがわかり、マスクを強制する警官とマスクを嫌がる市民の間で衝突がくりかえされた。

 ワクチンは作られたことは作られたが、標的を間違えていたので効果はなかった。1890年のインフルエンザ流行の直後、細菌学の権威であるファイファーが患者の痰の中から桿菌を発見し「インフルエンザ菌」と発表したため、当時はその細菌がインフルエンザの原因と誤解されていたのだ。

 マスクもワクチンも駄目となると、残された手段は検疫だけである。オーストラリアはいちはやく厳重な検疫体制を確立し、第一波と第二波は水際で阻止したが、第三波は二ヶ月もちこたえたものの上陸を防ぎきれなかった。しかし、時間を稼ぐことはできた。第一波の直撃を受けたニュージーランドとは被害の規模が違う。

 明暗をわけたのは太平洋の島々である。もともと離島の先住民は伝染病に弱いが、オーストラリアの保護下にあった島はほとんど被害を受けなかったのに対し、ニュージーランドの保護下の島では甚大な被害を受けた。

 たとえば、サモア諸島。サモア諸島は東側をアメリカが、西側をドイツが領有していたが、第一次大戦が勃発するとドイツ領サモアはオーストラリアとニュージーランドに分割された。オーストラリア領サモアとアメリカ領サモアはウィルスの上陸を阻止したが、ニュージーランドは検疫の重要性を理解しておらず、島民の20%がインフルエンザで死亡した。

 本書の邦題には「忘れられたパンデミック」という副題がついているが、これは1989年に刊行された原著第二版の題名 America's forgotten Pandemic にもとづく。これだけの犠牲を出した世界的疫病だったのに、スペイン・インフルエンザは経験が後の世代に継承されず、1989年の時点でも「忘れられたパンデミック」だったのである。

 本書の最終章はなぜスペイン・インフルエンザが忘れられたかをテーマにしている。クロスビーはいくつか理由をあげているが、もっとも大きいのは第一次大戦と重なったことと、数ヶ月で終息するインフルエンザの疫学的特質の二つだったようである。第一次大戦はスペイン・インフルエンザの忘却にもかかわっていたのである。

 今、H5N1インフルエンザのヒト型化が焦眉の問題となっており、さまざまな情報が飛びかっているが、こういう時期こそ歴史をさかのぼり、過去の失敗に学ぶべきだろう。本書はウィルス学的には古くなったとはいえ、多くのことを教えてくれる。

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2007年11月30日

『ワープする宇宙』 リサ・ランドール (NHK出版)/『リサ・ランドール異次元は存在する』 リサ・ランドール&若田光一 (NHK出版)

ワープする宇宙
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リサ・ランドール異次元は存在する
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 NHK BSの「未来への提言」で日本でも一躍有名になった女性物理学者、リサ・ランドールの本を二冊紹介する。ランドールはケイト・ブランシェットを思わせる美人で、『ロード・オブ・ザ・リング』のガラドリエルが似合いそうだ。

 『ワープする宇宙』は彼女がが提唱する5次元理論を一般向けに解説した本で、600ページを超える大冊だが、アメリカでベストセラーになっただけあって、とてもわかりやすく書かれている。

 いや、「わかりやすく」というのは誤解をまねくかもしれない。この種の本は数式を使わないことを売りにしていて、馬鹿にしたようなヘナヘナ球を投げてくることが多いが、ランドールは過剰な手加減はせず、素人にはきつめの球をビシビシ決めてくる。人柄なのだろうが、すがすがしい印象をもった。

 『リサ・ランドール 異次元は存在する』の方は「未来への提言」を活字に起こしたもので、100ページ足らずである。宇宙飛行士若田光一氏との対談が主となっていて、『ワープする宇宙』の内容を簡潔に伝えるとともに、内気な数学少女だったハイスクール時代からハーバード大学の教授になり、5次元理論で頭角をあらわすまでのライフ・ヒストリーが語られている。

 『ワープする宇宙』は章の頭にアシーナという11歳の少女の物語を置いて、枕にしている。アシーナはタイムマシンで現代にやってきたアイク・ラシュモア42世という未来人に導かれ、『不思議な国のアリス』そこのこけの冒険をして5次元時空の不思議を体験する。ルイス・キャロルが大好きだというランドールらしい趣向である。

 ランドールの5次元理論は余剰次元理論の一種だが、余剰次元理論はひも理論から出てきた。ひも理論では万物は振動する微小なひもだと考えるが、3次元でひもを振動させると振幅が宇宙規模に広がってしまうので、9次元+時間の10次元時空で振動を考える。10次元時空の振動だときれいに振幅がおさまるそうだが、3タイプのひも理論ができてしまった。その後、次元を1増やして11次元時空を考えると、3タイプのひも理論が統一的に理解できることがわかった。これをM理論という。10次元時空の3つのひも理論は、11次元時空のM理論の特殊な場合というわけである。

 10次元でも11次元でもいいが、われわれが知覚できるのは縦・横・高さの3次元だけである。時間をくわえても4次元にすぎない。残りの次元――余剰次元――はどうなっているのか。

 余剰次元はミクロの世界に縮んでいるというのがひも理論の答えである。

 ストローを考えてほしい。ストローは離すと一本の線に見えるが、目に近づけてよくよく見るると円筒形をしており、長さにくわえて円周というもう一つの次元をもっている。余剰次元はストローの円周方向のように隠れているというのだ。

 余剰次元が本当にあるのかどうかはわからない。10次元にしろ、11次元にしろ、そう考えると式がきれいにまとまるという数学の都合の話であって、実証されたわけではない。だからひも理論でノーベル賞をとった学者はまだいない。

 縮んだ余剰次元を説明した条はみごとである。9次元+時間、もしくは10次元+時間であっても、3次元+時間と見なせることを、ランドールはニュートン万有引力の法則を例に説明する。引力は距離の二乗に反比例して弱まっていくが、これはホースで水をまくと、距離の二乗に反比例して水がまばらになっていくようなものだという。距離の二乗になるのは、水のまかれる面積が二乗で増えていくからである。水のまかれる面積が増えれば増えるほど、水はまばらになっていく。それと同じように、重力も距離の二乗に反比例して弱まっていく。

 もし余剰次元が縮んでいなかったら、重力は距離の8乗とか9乗で急激に弱まっていただろう。

 こんな説明はこれまで読んだことがなかった。しかもこの記述は重力が他の3つの力に較べて桁違いに弱い理由を解明した5次元理論の伏線となっている。

 『ワープする宇宙』が長いにはそれだけの理由があるのである。生クリームに砂糖をまぶしたような啓蒙書に物足りなくなっている人には、本書は打ってつけの本といえる。ランドールは先生として第一級にちがいない。

 しかし程々ですませたいという人には『リサ・ランドール 異次元は存在する』をお勧めする。こちらはコンパクトにまとめられた、よくできた対談本である。

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『光速より速い光』 マゲイジョ (NHK出版)

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 最近の宇宙論の本ではインフレーション理論はビッグバン理論同様、確定的な事実であるかのように書かれている。ビッグバン理論はインフレーション理論と一体化している。ビッグバン理論には遠方の銀河ほど赤方変移が大きいという物証があるが、宇宙の背景輻射の驚くべき均一性までは説明できないので、インフレーション理論とこみで語られるわけだ。

 しかし宇宙が超光速で膨張していくインフレーションを認めてしまうと、なんでもありになりかねない。その先にあるのは『宇宙のランドスケープ』や『多世界宇宙の探検』で語られているような、無数の平行宇宙を生みだす永久インフレーション説だ。

 本書の著者、マゲイジョはインフレーション理論を否定する数少ない研究者であるが、宇宙の均質性は、超高速で膨張したとするインフレーションを考えなくとも解決できるとしている。

 マゲイジョの解答はコロンブスの卵だ。宇宙誕生間もない頃は光の速度が今よりも桁違いに速かったと考えるのである。光速が速ければ、宇宙全体が均質化するというわけだ。これを「光速変動(VSL, Varying Speed of Light)理論」と呼ぶ。

 光速度一定の原理をくつがえすとは大胆な仮説だが、アインシュタインも一般相対性理論を研究している途中段階で光速度変動の可能性を検討していたそうだし、他にも先例はあるという。

 VSL理論は「科学的取り調べの真っ最中」とマゲイジョが認めるように、まだ広く認められたわけではないが、インフレーション理論に批判的な研究者がすくなくない英国では一定の注目を集めているそうである。VSL理論が正しければ、「宇宙のひも」と呼ばれる領域では今でも光速度が速いというから、SF作家にとっては朗報だ。

 本書は前半でVSL理論のあらましを述べるが、後半では定説をくつがえす仮説を世に出すまでのゴタゴタと、その後の反響を語っている。VSL理論もさることながら、このゴタゴタがおもしろい。マゲイジョの才筆というか、毒舌の才能は冴えに冴えている。

 マゲイジョはポルトガル人だが、ケンブリッジ大学留学以降、英国で研究をつづけている。ケンブリッジ大学はクレージーな発想を求められる「快適な精神病院」である一方、芝生にはいれるのはフェローだけとか、フェローは今でも一段高いハイテーブルで食事をとるといった中世以来の伝統を残しているそうである。

 VSL理論が単なる突飛な一仮説で終わってしまうのかどうかはわからないが、インフレーション理論を批判的に解説した部分は出色の出来だと思う。

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2007年11月29日

『多世界宇宙の探検』 ビレンケン (日経BP社)

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 著者のビレンケンは旧ソ連出身の宇宙論研究者で、本書はサスキンドの『宇宙のランドスケープ』とほぼ同じ立場で書かれている。「多世界宇宙」とはサスキンドのいう「メガバース」にあたり、そこに無数の「島宇宙」(サスキンドの「ポケット宇宙」)が生みだされている。

 『宇宙のランドスケープ』を読んだ後だったので、それほどひっかからずに読めた。サスキンドがひも理論というミクロの世界の研究者なのに対し、ビレンケンは宇宙論というマクロの世界の研究者である。サスキンドの理論は無数の島宇宙が存在するようになってからの話が中心で静的な印象を受けるが、ビレンケンの方は永久インフレーションにより無数の島宇宙が生みだされていく生成過程に重点をおいている。光速を越える速度のインフレーション過程が今でもつづいているという頭がクラクラするようなビジョンはビレンケンの独擅場だ。仮説のぶっとび具合は『宇宙のランドスケープ』をしのいでいる。

 『宇宙のランドスケープ』と本書はアプローチの仕方が対照的であり、二冊を合せ読むことでよくわからなかった部分がかなりわかってきた。しかし依然としてわからないところも多い。たとえば永久インフレーションによって生みだされていく無数の島宇宙と、量子力学の多世界解釈で分岐していく無数の平行宇宙がどうして結びつくのだろう。『宇宙のランドスケープ』で一番疑問だったのがそこだったが、本書を読んでも疑問は晴れなかった。

 なお、多世界宇宙の中には、われわれの宇宙とまったく同じ宇宙が無数に存在するという仮説はサイフェの『宇宙を復号する』にも書かれていたが、サイフェが島宇宙の情報量の有限性という切口から論証するのに対し、本書では量子論の多世界解釈という切口から攻めている。異なる観点から出発しているのに、同じ結論に達しているのである。

 われわれの分身は多世界宇宙のどこかに存在しているのだろうか。存在してもおかしくないという気になってきている。

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『宇宙のランドスケープ』 サスキンド (日経BP社)

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 「宇宙の風景ランドスケープ」というと比喩のようだが、ランドスケープとはひも理論の創始者の一人であるサスキンドが2003年に提唱した概念で、われわれが住んでいるような宇宙(「ポケット宇宙」と呼ばれる)を分類した一覧表をさす。

 アンドレイ・リンデやアレックス・ビレンケンの「永久インフレーション理論」ではメガバースと呼ばれる空間が光速を超える速度で膨張をつづけ、無数のポケット宇宙を生みだしていく。メガバースにはエネルギー密度の高い場所と低い場所があり、エネルギー密度を高さであらわすと相当デコボコしている。このデコボコを分類したのがサスキンドのランドスケープで、10500種類もあるという。

 エネルギー密度の高い山の部分にあるポケット宇宙はエネルギー密度の低い谷の部分に転がり落ちていくが、この時エネルギー密度の落差が熱に変わり、ポケット宇宙は急激に膨張していく。これが「インフレーション」であり、その後にビッグバンが起こる。

 サスキンドがこんな途方もない絵図を引いたのは「人間原理」を合理的に説明するためである。この「人間原理」がまた落語みたいな話なのである。

 われわれの住んでいるポケット宇宙は 140億年以上前にビッグバンで誕生し、膨張をつづけていると考えられている。ポケット宇宙の構造はアインシュタインの一般相対性理論にしたがっているが、一般相対性理論の式には宇宙定数とか宇宙項と呼ばれる定数λラムダがある。宇宙定数λはアインシュタインによっていったんは否定されるが、その後の研究によって、きわめて小さい数ながらあると考えるしかないことがわかっている。

 問題はポケット宇宙が長期間安定して存続するためには、宇宙定数λが限られた範囲におさまっていなければならないことだ。われわれのポケット宇宙はすくなくとも140億年存続し、その間に生物が発生して進化し、ついに知性を生みだすにいたったが、こんなことは確率的にほとんどありえないことなのだそうである。

 われわれの宇宙の宇宙定数λはなぜこんな絶妙の値をとっているのか。

 そこから宇宙は人間を生みだすべく、万能の設計者によって絶妙のバランスで創造されたという説をとなえる物理学者が出てくる。いわゆる人間原理である。

 大半の物理学者は人間原理に拒絶反応を示すが、サスキンドによればそれは目をそむけているだけで、真面目に考えるなら人間原理にぶつからざるをえないのだという。

 サスキンドは人間原理を合理的に説明するために、永久インフレーションによって生みだされつづけている無数のポケット宇宙はランドスケープで分類されるような多様な定数をとるという絵図を引いてみせた。ほとんどのポケット宇宙は不適切な宇宙定数λのために物質が安定して存在しえず、空っぽだったり、灼熱地獄だったりすることだろう。われわれのポケット宇宙はたまたまうまい位置に転がってくれたおかげで、生命が進化する猶予があたえられ、われわれのような知的存在を生みだすにいたったというわけだ。

 ダーウィンの進化論は淘汰されて滅んだ無数の種を視野におさめることによって神なしで人間が誕生するメカニズムを示したが、サスキンドの解決法はそれと似ている。10500種類もあるポケット宇宙の類型のほとんどは失敗したポケット宇宙なのだ。

 もちろん、こんな途方もない話は証明することも反証することもできない。

 カール・ポパー以来、反証可能性をもつかどうかが、その仮説が科学的か、エセ科学かを判断する決め手という考え方が一般化しているが、反証しようのないこんな説はエセ科学のレッテルを貼られても仕方がないだろう。事実、そうした批判があるという。

 サスキンドは「どこかの哲学者の反証可能性に関する意見と衝突するからという理由だけで、ある可能性を否定するのは愚の骨頂だ」と反論する。

 ほとんど逆切れであるが、ビレンケンの『多世界宇宙の探検』はまったく違う視点から本書と同じ結論にいたっている。現代の宇宙論はとんでもないところに来ているようだ。

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2007年11月28日

『宇宙をプログラムする宇宙』 セス・ロイド (早川書房)

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 目下、情報理論による科学の再編成が進んでいるようだが、本書は多分、その最前衛に位置する本である。

 著者のセス・ロイドはMITの機械工学科で量子コンピュータの開発にあたっている第一線の研究者である。機械工学科で量子コンピュータを作っているのは妙な感じがするが、農学部で遺伝子工学を研究するようなものなのかもしれない。

 ロイドは研究者としては優秀なのだろうが、一般向けの本を書くのに慣れているとはいえない。ロイドは宇宙はキュビット(量子ビット)の集合体であり、宇宙と量子コンピュータは区別できず、宇宙そのものが量子コンピュータだといきなり断定する。そして、その断定を本書のそこかしこでくりかえすのであるが、なぜそうかという説明は言葉足らずで終わっている。ロイド自身にとってはあまりにも自明のことなので、説明のしようがないのかもしれないが。

 幸いサイフェの『宇宙を復号する』を読んだ後だったので、言葉足らずの説明の背後にある洞察をある程度察することができたが、予備知識なしにいきなり本書を読んだ読者は途方にくれるのではないか。

 不親切な本だが、本書にはそれを補ってあまりある洞察が埋めこまれている。

 サイフェの『宇宙を復号する』ではマクスウェルの魔物退治が焦点となったが、本書ではラプラスの魔物の復活がテーマとなる。

 ラプラスの魔物とは、ある時点の宇宙の状態を知ることで、それ以後に起こるすべてのことを予測するという怪物的な知性だが、量子力学と不確定性原理によって息の根を止められたと考えられてきた。しかしロイドはキュビット(量子ビット)によってラプラスの魔物は復活したという。宇宙の全粒子の状態は1092ビットという気の遠くなるような数だが、決して無限ではなく有限であって、量子コンピュータなら計算可能である。ロイドによれば宇宙とはキュビットを操作するラプラスの魔物にほかならず、それ自体巨大な量子コンピュータとみなせる。

 マクスウェルの魔物を退治したチャールズ・ベネットの研究は『宇宙を復号する』の前半の山場となっていたが、同じ研究が本書の後半でラプラスの魔物がらみで取りあげられている。ロイドはサイフェがふれなかった「論理深度」というベネットの核心概念を「熱力学的深度」として拡張し、宇宙がなぜ生命を生みだすほど複雑なのかを論証するためのツールに鍛えなおしている。正直言って、よくわからない部分が多いが、ロイドが途方もない洞察をもっていることはおぼろげながら察せられる。情報理論はとんでもないところにきているらしい。

 本書には途方もない話がたくさん出てくるが、物理学者の身辺雑記もふくまれており、これはこれで興味深い。わたし的に一番おもしろかったのはケンブリッジ大学の庭園でボルヘスと出会った話だ。『伝奇集』が量子力学によく似ており、なかでも「八岐の園」は多世界解釈そのものだと考えていたロイドはボルヘスに量子力学から影響を受けたのかどうか質問した。ボルヘスは「自分が量子力学の研究に影響を受けたことはないが、物理法則の方が文学作品のアイデアを真似ていることには驚かない」と答えたそうである。「八岐の園」はヒュー・エヴェレットが多世界解釈を発表する16年前に書かれているから、影響を受けたとすればエヴェレットの方なのである。

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『宇宙を復号する』 チャールズ・サイフェ (早川書房)

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 以前、フォン=バイヤーの『量子が変える情報の宇宙』を読み、情報理論が大変なことになっているらしいと知ったが、どう大変なのかが本書によってかなり見えてきた。「情報」という概念は今や宇宙論の核心にすえられ、科学のすべてが「情報」という観点から書きかえられつつあるようなのである。

 情報理論が単なるコンピュータの基礎理論ではなく、熱力学とつながった深遠な理論であることはよく知られている。情報量を算出する式は熱力学のエントロピーを計算する式と同じ形をしており、情報量はエントロピーとも呼ばれているのだ。

 シャノンに情報量をエントロピーと呼ぶように勧めたのはフォン・ノイマンで、最初はハッタリだったらしい。フォン・ノイマンは「エントロピーとは何なのか、だれも知らないから、論争ではいつでもきみが有利だ」と助言したそうである。

 ところがこのハッタリからマコトが生まれた。情報理論と熱力学はシャノンが考えていたよりはるかに緊密に結びついており、情報量はエントロピーそのものだったのだ。

 ここまでは情報理論を解説した本には必ず書いてあることだが、サイフェは一歩進めて熱力学は情報理論の特殊な場合であり、情報理論の一部門にすぎないとまで書いている。

 熱力学が情報理論の一部であることを示すために、サイフェはマクスウェルの魔物を持ちだしている。

 一つの容器を二つに仕切り、一方に熱い湯、他方に冷水をいれ、仕切りに穴をあける。すると湯と冷水はまじりあい、温度が均一化していく。これは逆戻り不能な過程であり、ぬるま湯が湯と冷水にわかれるなどということはありえない。熱力学の第二法則である。

 しかしマクスウェルは仕切りの穴に魔物が住みつき、一定の運動量以上の水分子だけ通行を許すようにすれば、仕切りを境にして湯と冷水にわかれていくはずだという思考実験をおこなった。これがマクスウェルの魔物である。

 熱力学にとってマクスウェルの魔物は熱力学の第二法則を脅かす困り者であり、喉に刺さった骨だったが、1982年になってIBMのチャールズ・ベネットによってようやく退治された。マクスウェルの魔物は水分子の運動量を観測して情報処理をおこなっているが、ベネットは情報処理にはエネルギーの消費が必ずともなうことを証明した。エアコンがエネルギーを消費することによって温度差を作りだしているように、マクスウェルの魔物も水分子を選別することによってエネルギーを消費しており、熱力学の第二法則が成立っていることが明らかになったのだ。

 情報理論と熱力学の関係は今一つわかっていなかったが、本書を読んでようやくわかったような気がする。本書は情報理論の入門書としてもすぐれている。

 ここまでは前半で、後半になると遺伝子や量子力学、宇宙論へと広がっていく。ユダヤ人の祭司階級に固有の塩基配列がY染色体に発見され、ジンバブエに住むレンバ族が失われた十支族の末裔と認定されたといった余談は興味深いが、本書の本当の読みどころは相対性理論と量子力学をも情報理論の一部として読み直したくだりだろう。快刀乱麻を断つというか、サイフェの筆は冴えていて眩暈がするような広大な視界が開ける。

 シュレーディンガーの猫の謎解きを軸に宇宙が宇宙自身を観測するというビジョンに導いていく部分は本書の白眉といえる。量子コンピュータの説明もわかりやすい。

 最後の部分では多世界解釈に踏みこんでいるが、われわれの宇宙の情報量は厖大とはいっても有限であることから、われわれとまったく同じ宇宙が無数に存在すると論証する条は息を呑む。科学の凄みを久々に味わった。

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2007年07月31日

『眼の誕生』 アンドルー・パーカー (草思社)

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 副題に「カンブリア紀大進化の謎を解く」とあるように、カンブリア爆発の謎に挑んだ本である。著者のアンドルー・パーカーは1967年生まれの動物学者であり、光スイッチ説を考えだした本人である。

 パーカーはカンブリア爆発の本質をこう看破する。

 カンブリア紀の爆発とは、五億四三〇〇万年前から五億三八〇〇万年前に、現生するすべての動物門が、体を覆う硬い殻を突如として獲得した出来事なのである。

 カンブリア紀以前は硬い殻におおわれた生物は存在していなかった。硬い殻の出現こそがカンブリア爆発の本質だというわけである。

 バージェス動物群はどうなるだろうか。バージェス頁岩は通常化石にならない軟組織をもった多種多様な生物を奇跡的に化石として保存したが、その中にも背側にトゲを生やしたハルキゲニアや、鱗状の骨片で背中を鎧った上に十数本の剣を突きだしたウィワクシアのような生物がいたのである。硬い殻でこそおおわれていないが、装甲で身を守っている点は同じだ。

 生物はなぜ突然硬い殻やトゲ、剣、鱗で防衛するようになったのだろうか。パーカーはコロンブスの卵のような答えを出す。眼をもつ動物があらわれたからだ、と。

 触覚や味覚、嗅覚、聴覚は細菌の段階から存在した。明暗の知覚を原始的な視覚というなら、やはり細菌段階から存在したろう。しかし、物体の像を見ることのできる視覚はカンブリア紀まで存在しなかった。

 最初に視覚を獲得したのは三葉虫だったらしい。パーカーはその瞬間を印象的に描いている。

 やがて最強の感覚となるべき感覚は、ある種の原始三葉虫、すなわちこの世で初めて眼を享受した動物の誕生とともに世に解き放たれた。地球史上初めて、動物が開眼したのだ。そしてその瞬間、海中と海底のありとあらゆるものが、実質的に初めて光に照らしだされた。カイメンの上を這いまわる蠕虫の一匹一匹、海中を漂うクラゲの一匹一匹が、突如、映像となって姿を現した。地球を照らす光のスイッチがオンにされ、先カンブリア時代を特徴づけていた緩慢な進化に終止符が打たれた。

 視覚が他の感覚と異なるのは接触を必要としない点だ。触覚と味覚は文字どおり接触によって生じる感覚だし、嗅覚と聴覚は物質によって仲立ちされた間接的接触で生じる。ところが視覚は直接的にせよ、間接的にせよ、接触を必要としない。視覚の有効範囲は他の感覚よりも格段に広く、しかも防ぎようがない。いくらじっとしていても、頭隠して尻隠さずになってしまうのだ。視覚をもった動物が最強の捕食者になるのは当然のことである。

 レーダーの発明が戦争の様相を一変させたように、眼の出現は動物たちの生活を根本から変えた。動物たちは多大なコストを費やして硬い殻で身を鎧うようになり、対抗上、みずからも眼を持つようになった(眼の維持も大変なコストがかかる)。動物の進化はいやでも加速された。これがパーカーの考えるカンブリア爆発のシナリオである。

 パーカーは更に驚くべき指摘をおこなう。カンブリア爆発では多種多様な形状の動物がデザイン・コンクールのように一斉にあらわれたが、それは内部構造(体制)の違いが表面的化しただけであって、分類上の「門」に相当する内部構造の違いはカンブリア爆発以前に出来あがっていたというのだ。

 動物は三八の門にわかれるが、それは三八種類の内部構造が存在するということである。外的形態は収斂進化で似ることがあるが、内部構造が似るということはありえない。内部構造は外部形態よりも多くの遺伝子の支配を受けており、変化するためには関与する遺伝子すべてに一斉に突然変異が起こらなくてはならないからだ。エディアカラ動物群は似たりよったりの形状をしていたらしいが、外見は似ていても内部構造は違っていたというわけだ。

 スノーボール仮説についてはパーカーは批判的だ。極度の寒冷化がおこったことは認めるが、それがカンブリア爆発の原因だという説には異議を唱えている。最後のスノーボール期からカンブリア爆発まで3000万年以上隔たっている以上、うねりを増幅した可能性はあるにしろ、直接の因果関係は認められないとしている。

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『スノーボール・アース』 ガブリエル・ウォーカー (早川書房)

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 スノーボール仮説とは先カンブリア代に地球が極度に寒冷化し、赤道地帯もふくめて地表すべてが数千メートルの氷におおわれるようなことがすくなくとも一度、最多で四度あったとする仮説で、日本語では「全地球凍結」という。2004年にNHKが放映した「地球大進化」で紹介されたので、ご存知の方も多いだろう。

 スノーボール仮説は学会で大論争をまきおこした。地球全体が凍りついていたというだけでもセンセーショナルだが、気候史だけでなく、地球化学、生物学にまで広がりをもっていたからだ。特に多細胞生物の出現と、それにつづく「カンブリア爆発」が最後のスノーボール期が終わり、温暖化に向かう過程で起きたという仮説は重大である。スノーボール仮説はウェーゲナーの大陸移動説のように、地球と生物進化の歴史を根本から書きかえる壮大な仮説なのである。

 本書はサイエンスライターのガブリエル・ウォーカーが、スノーボール仮説の立役者であるポール・ホフマンを主人公に仮説の誕生から論争までを追った本である。先カンブリア代の研究者は数がすくなく、ほとんどが顔見知りという狭い業界なので、その中での論争は熾烈をきわめる。著者はホフマンを格好良く描いているが、川上紳一氏の解説によると自信過剰で、あくの強い人物のようである。

 発端はアフリカのナミビア砂漠の堆積岩中の種々雑多な岩石だった。色も形も大きさも起源も異なる岩石が灰色の堆積岩の中に埋めこまれているのだ。ホフマンは氷河が運んできたと考えれば説明がつくことに気がつく。そしてあらためて見直すと、ナミビアの先カンブリア代後期の地層には氷河の痕跡がさまざま見つかった。

 氷河に覆われていたと考えれば説明がついたが、問題は当時のナミビアは赤道付近だったことだ。赤道地帯が氷河に覆われていたとしたなら、地球全体が凍りついていたことにならないか。

 赤道付近が凍っていたという説はカリフォルニア工科大で地磁気を研究しているジョー・カーシュヴィンクがすでに発表していた。

 そのアイデアはカーシュヴィンクのオリジナルではなく、査読を依頼された論文中で見つけたものだった。必要な証明の手続を怠っていたので、論文は掲載されなかったが、赤道付近の石が氷河に運ばれたというアイデアはカーシュヴィクの頭の中で成長していき、先カンブリア代末期に鉄鉱石の形成がふたたび見られるという謎の解明につながった。

 地球の大気に酸素がなかった時代、海水中には大量の鉄分がとけこんでいた。先カンブリア代中期になりシアノバクテリアが酸素が放出しはじめると、海水中の鉄は酸化されて海底に堆積していき、鉄鉱石の鉱脈となった。ところが、鉄鉱石の形成は一度中断してから、先カンブリア代末期にまた盛んになるのである。

 カーシュヴィクが考えた説明はこうだ。海が全面的に氷結し大気から遮断される期間が数千万年つづけば、その間に海底火山から大量の鉄分がとけだし、氷が溶けてから一気に酸化されて堆積する……。

 地質学者のダン・シュラグによって炭酸塩岩という証拠が追加される。スノーボールの間、光合成はおこなわれないので大気中には火山の放出した二酸化炭素が蓄積していく。二酸化炭素濃度が高まると、一気に温暖化が進み氷がとけだす。二酸化炭素濃度が高いので、雨は酸性雨となって降りそそぎ、大量の炭酸塩が海に流れこんで堆積する。事実、先カンブリア代末期には氷河堆積物の上に炭酸塩の層が形成されていたのである。

 スノーボール仮説はさらに多細胞生物の起源にも拡大されるが、ここで難問にぶつかる。先カンブリア代の終わりにエディアカラ動物群と呼ばれる最初の多細胞生物が出現するが、最後のスノーボール期の終わりとエディアカラ動物群の最古の痕跡の間には2500万年という時間が横たわっていたのである。

 いくら地質学的スケールとはいえ、2500万年のズレは無視できない。たとえば現在から2500万年前は最初の類人猿があらわれた頃にあたり、ヒマラヤ山脈はまだ影も形もなかった。

 また、多様な真核生物が生き残ったという事実もスノーボール仮説では説明しにくい。

 NHKの「地球大進化」を見た時はこれで決まりと思ったが、スノーボール仮説はまだ仮説の段階のようである。興味のある方はsnowballearth.orgというスノーボール仮説の伝道サイトを御覧になられるとよい。

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2007年07月30日

『生命 最初の30億年』 アンドルー・ノール (紀伊國屋書店)

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 もっとも古い生物の化石は35億年前の地層から見つかっているが、それ以降の30億年はあまりぱっとしない。生命が目覚ましい進化を見せるのは5億年前にはじまるカンブリア期からである。この時期、アノマロカリスやハルキゲニアなど、奇々怪々な動物が堰を切ったように出現したので、「カンブリア爆発」と呼ばれている、

 カンブリア紀以前の時代は地球の歴史の8割を占めるのに、これまでは先カンブリア代とか隠生代と呼ばれて一括されてきた。しかし研究が進んだ結果、最近ではこの期間を三つの時代に区分している。45億年前と推定される地球誕生から40億年前の最古の大陸の誕生までの5億年が冥王代、大陸誕生から25億年前にうまれた酸素環境までの15億年が始生代、それからカンブリア紀までの20億年が原生代である。

 本書は最初の化石が発見された35億年前からカンブリア紀までの30億年間の進化をあつかう。進化といっても、大部分は細菌の進化の話で、最後の方になってようやくエディアカラ動物群やバージェス動物群のような目に見える動物が登場する。

 細菌の進化なんておもしろいのかと思うかもしれないが、これがおもしろいのである。生命が誕生した始生代の頃の地球の大気には酸素がなかった。始生代の生命は酸素の代わりに硫化水素や鉄や硝酸塩を使ってエネルギーを生みだしていたのである。

 やがてシアノバクテリアという始生代のスターがあらわれ、猛烈な勢いで酸素を放出していき、地球の環境を一変させてしまい、酸素を呼吸する細菌が誕生する。進化論を弱肉強食から共生へと転換させたリン・マーギュリスの連続細胞内共生説や、スノーボール・アース説のようなドラマチックな説も登場する。硫化水素や鉄を食べる細菌と較べたら、恐龍なんてかわいいものである。

 こうした驚くべき発見をもたらしたのは化石の研究だが、細菌の化石だけに顕微鏡でなれば見つからない微化石で、一見、鉱物の結晶と区別がつきにくい。生物起源の物質であることを判定するには同位元素の比率を使う。たとえば炭素には12Cと13Cという二つの安定した同位体があるが、光合成などで生物がとりこむ場合、わずかに軽い12Cの方を優先してとりこむので、12Cと13Cの比率に偏りが生まれる。この偏りが検出できれば、生物起源の炭素と断定できるのである。

 先カンブリア代の地層が露出している場所はめずらしくはないが、高い圧力や高熱による変成作用を受けると微化石はそこなわれてしまう。変成作用を受けていない古い地層を見つけなければならないが、そいういう場所はきわめて限られている。

 著者のノールは資料をもとめてシベリアや中国辺境の鉱山、さらにはオーストラリアやアフリカ南端まで出かけている。微化石となった細菌が繁栄していた当時は、いずれも熱帯のおだやかな海辺だったのに、今は酷寒の極地だったり、炎熱砂漠だったりする。フィールドワークはそのまま探検記である。

 シアノバクテリアのいい化石のみつかるスピッツベルゲンは北極海に浮かぶ孤島だが、かつてはハバマの海岸のようなおだやかな土地だったらしい。鞘におおわれた新種のシアノバクテリアの化石を発見したノールは、現在のシアノバクテリアを研究している生物学者とともにバハマを訪れ、化石と同じ環境をさがしたところ、生きている鞘におおわれたシアノバクテリアをみごとに見つける。そのシアノバクテリアが20億年前のシアノバクテリアの直系の子孫なのかどうかは断定できないが、シアノバクテリアは誕生した直後にあらゆるバリエーションを生みだしており、直系の子孫の可能性はかなりあるらしい。ちょっと感動的である。

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2007年07月29日

『共生生命体の30億年』 リン・マーギュリス (草思社)

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 一家をなした科学者が自分のやってきた研究を一般読者向けに解説する「サイエンス・マスターズ」シリーズの一冊である。著者のリン・マーギュリスは連続細胞内共生説(SET)のパイオニアで、天文学者カール・セーガンの最初の妻でもある。

 ミトコンドリアと葉緑体は細胞内部からうまれたものではなく、別の生命体を取りこみ、共生しているうちに、細胞の不可欠な一部になったものだという見方が現在では定説となっているが、この説をいちはやく提唱したのがマーギュリスなのである。

 ミトコンドリアと葉緑体が外部起源だというのは企業買収のようなものだ。企業が新しい分野に進出しようとする場合、ゼロからはじめたのでは大変なので、実績のある企業を買収するという手法が使われることがあるが、それと同じことが進化の過程で起きたというわけである。

 太古の地球には酸素はなかった。生物は無酸素環境の中で誕生し、進化していったが、光合成をする細菌が大量発生し、大気中にどんどん酸素を放出していき、水中の酸素濃度も高まっていった。無酸素環境で進化してきた生物にとって酸素は有毒であり、酸素が増えれば増えるほど生存できる場所が狭まっていった。そうなると、毒である酸素を利用する細菌があらわれた。酸素呼吸はエネルギー効率がいい上に、酸素のある環境でも生存できるので圧倒的に有利だが、酸素呼吸の能力を獲得できた細菌は少数だった。それ以外の系統の細菌はどんどん狭まっていく無酸素環境に退却していくしかないのか? 退却を選んだ細菌もいるけれども、酸素呼吸細菌を買収し、ミトコンドリア事業部にしてしまう細菌もあらわれた。それがわれわれの遠いご先祖である。

 葉緑体も細胞内にとりこまれたシアノバクテリアという光合成細菌が起源と見られているが、ミトコンドリアは動物、植物、菌類、細菌に広くわけもたれているのに対し、葉緑体は植物と一部の細菌しかもっていないことからすると、葉緑体はミトコンドリアの後にとりこまれたと考えるのが妥当だろう。

 ミトコンドリアは20世紀になってから発見されたが、共生による進化という考え方は19世紀から存在し、「共生発生」という用語も生まれていたが、正統的な進化論からすれば異端であり、ヴェーゲナーの大陸移動説なみのトンデモ学説として無視されてきた。

 ウェーゲナーの大陸移動説は残留地磁気とマントル対流の発見によって劇的に復活するが、共生による進化という考え方はDNAの解読によってよみがえる。ミトコンドリアと葉緑素は細胞核とは別に独自のDNAをもっており、しかもそのDNAは起源と想定される酸素呼吸細菌や光合成細菌のDNAと酷似していたのである。

 ミトコンドリアと葉緑素についてはDNAという物証があるので認められたが、マーギュリスの連続細胞内共生説はもう一回り大きな進化のシナリオを提案しており、まだ公認されていない部分がある。細胞には細胞分裂の時にあらわれる紡錘体や精子の尾、細胞表面の繊毛、鞭毛など、糸状の運動器官があるが、これらは細菌内部にはいりこみ共生するようになったスピロヘータが起源だというのである。

 スピロヘータはコルクの栓抜きのような螺旋状の細長い細菌で、梅毒の病原体として悪名高いが、病原性をもつスピロヘータはごく一部にすぎず、ほとんどは平和共存する常在菌である。マーギュリスは運動性の細胞器官がミトコンドリア以上に広くわけもたれていることからいって、スピロヘータのとりこみはきわめて早い段階で起きたと考えている。核そのものがスピロヘータのとりこみの結果として誕生した可能性もあるという。

 おもしろい説だが、マーギュリスが見つけることができたのは、今のところ紡錘体や精子の尾、鞭毛などが同一構造をとっているという状況証拠だけである。こうした細胞器官にかかわる遺伝子は核の内部に存在しているが、とりこみが早い段階でおきたとすれば、遺伝子が核に移されたとしても不思議はないかもしれない。核外に鞭毛の遺伝子をもつ細菌が発見されたという報告があったが、後に否定されたそうである。

 スピロヘータのとりこみ、酸素呼吸細菌のとりこみ、光合成細菌のとりこみが順に起ったというのがマーギュリスの連続細胞内共生説の骨子であり、本当に決定的な進化は単細胞生物の段階でおこなわれたとしている。言われてみれば、その通りである。

 こういうスケールの大きな仮説を提唱し、実証しようとすれば、摩擦が生まれないはずはない。本書はマーギュリスの半生記でもあるが、親に内緒で転校したハイスクール時代にはじまり、5歳年長で院生時代からカリスマ性のあったカール・セーガンとの出会いと結婚、子供をかかえての学生時代、生物学のことをまったく知らない化学畑出身の生物学者の大群と戦った見習い時代と、彼女の独立不羈の人となりを示すエピソードが興味深い。

 本書の最後の部分はラヴロックのガイア仮説と共生論の関係が論じられている。マーギュリスが研究しているのは宿主に完全にとりこまれた共生だが、独立を保ったままの共生ならいたるところに見られる。珊瑚を養う共生藻、牛やシロアリの消化管の中でセルロースを分解する細菌など、宿主の生存にとって不可欠な共生生物は枚挙にいとまがない。最近話題のビフィズス菌だって、われわれの腸管にすむ共生生物である。生態系は共生の網の目でもある。

 共生という概念を広げていけば、地球そのものが一個の生命体だというラヴロックのガイア仮説にいきつく。マーギュリスはかなり迷惑そうに書いているが、彼女の連続細胞内共生説はガイア仮説とならべて論じられることが多いのだそうである。

 マーギュリスは自分の連続細胞内共生説とガイア仮説とはなんの関係もないと否定しているが、大衆化する前の本来のガイア仮説については好意的な見方をしている。彼女は非科学的という批判とずっと戦ってきたので、反科学的な色彩をおびている現在のガイア仮説には用心深くなっているのかもしれない。

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2007年01月31日

『歌うネアンデルタール』 スティーヴン・ミズン (早川書房)

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 認知考古学の視点から音楽と言語の起源に切りこんだ画期的的な本である。ルソーは『言語起源論』で「最初の言語は、単純で、方法的である前に歌うような情熱のこもったものだった」とし、言語と音楽は同じ起源から生まれたと述べているが、ミズンもまた言語=音楽同一起源説をとっている。ただし、結論は直観ではなく、緻密な論証によって導きだされている。

 本書は「第一部現在」と「第二部過去」にわかれるが、「第一部現在」では脳科学の知見を動員して、言語と音楽が別のモジュール群で処理されていることを明らかにしている。

 われわれの脳では言語と音楽は独立に処理されているが、といって無関係なわけではない。言語中枢が左脳のブローカ野にあることはよく知られているが、音楽の中枢もブローカ野にあるのだ(左脳だけでなく右脳のブローカ野も使っている)。療法の中枢は近接しているだけでなく、韻律など一部のモジュールを共用していることまでわかっている。

 現在においても密接な関係にある言語と音楽だが、過去においてはどうだったろうか。

 ヒトと近縁のチンパンジーやボノボ、ゴリラは吠え声やうなり声といった大雑把な音声コミュニケーションしかできないが、サル全般に視野を拡げると、ヒトに匹敵するような多種多様な音声レパートリーをもった種がすくなかららずいる。ベルベットモンキーは危険の種類に応じて警戒音を使いわけることが知られているし、ゲダラヒヒのお喋りはヒトのお喋りそっくりに聞こえるという。

 サルが音声メッセージをとりかわすのは群れの一体感を維持するためであり、いわば音声的グルーミングである。チンパンジーなど大型類人猿は、音声メッセージこそ貧しいものの、身振りによって群れの一体感を保っている。

 ゲダラヒヒのお喋りが人間そっくりでも、ゲダラヒヒは人間のような言語を喋っているわけではない。人間の言語は単語を組みあわせることによって、ありとあらゆる意味をあらわすことができるが、ゲダラヒヒをはじめとするサルの音声は単語に分解できず、全体で一つのメッセージをあらわしている。

 また、蛇を見つけたベルベットモンキーが蛇に対応した音声を発しても、それは蛇の存在をあらわしているのではなく、蛇から逃げる動作をしろというメッセージを伝えているにすぎない。ベルベットモンキーの音声メッセージは指示的・記述的ではなく、あくまで逃げるという動作を誘導するためのものであって、操作的なのである。

 ミズンは単語が析出してくる以前のヒトの言語はサルの音声メッセージに近いものだったのではないかと推定し、Hmmmmmと命名している。Hmmmmmとは以下の略である。

Holistic multi-modal manipulative musical mimetic
(全体的・多様式的・操作的・音楽的・物真似的コミュニケーション)

 Hmmmmmが言語の起源であると同時に、音楽の起源でもあることは見やすい。

 ミズンは『心の先史時代』では、ネアンデルタール人を芸術と無縁の存在として描いたが、Hmmmmmという視点からは別のネアンデルタール人像が見えてくる。ネアンデルタール人は分節言語は使えなかったが、Hmmmmmで仲間とコミュニケーションをとり、一体感を保っていたのである。ネアンデルタール人は喋れなかったが、歌うことはできた。本書が『歌うネアンデルタール』と題された所以である。

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『心の先史時代』 スティーヴン・ミズン (青土社)

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 考古学の立場から人類の心の進化に切りこんだ本である。

 考古学というと物証絶対主義の学問という印象があるが、1990年代から出土物を通じて先史時代人の知的能力や世界観、認知枠の問題をあつかう認知考古学が勃興した。原著は1996年に出版され、認知考古学の存在を一般読書界に知らせた。本書はこの分野の基本図書と目されているようである。

 原始の心性は心理学の分野でも研究されており、進化人類学と呼ばれている。進化人類学は人間の心のメカニズムは進化の過程で獲得されたという仮定に基づき、心理学の立場から初期人類から現生人類にいたる心の発展を再構成する。アプローチの仕方は異なるものの、認知心理学と研究対象がかなり重なり、本書も進化心理学の成果を積極的にとりこんでいる。

 著者のミズンは学部の学生時代に、30万年前には現代人と同じ心が生まれていたとするトマス・ウィンの論文に触発され、先史時代人の心の問題に関心をもつようになったという。ウィンが根拠としたのは対称形に作られた握 斧ハンド・アックスという石器である。対称形の握斧を作るには闇雲に石を叩いては駄目で、心の中に存在する完成形のイメージに照らしあわせながら、注意深く石を整形していかなければならない。ウィンはピアジェの発達心理学を援用し、握斧を製作した原始人は12歳以降の獲得される形式的操作知能をもっているとした。

 ピアジェは心は学習を通じて自らを組みかえながら一連の発達段階を通過していくと説いたが、現在ではピアジェの発達段階説は疑問とされている。ピアジェに代わって有力視されているのがモジュール説である。モジュール説では、人の能力は言語能力や音楽能力、共感能力など、いくつかのモジュールから構成されており、各モジュールは別個に発達すると考えられている。

 進化心理学もモジュール説をとっている。狩猟採集時代の人類が直面する問題はいくつかの類型にわけられるが、類型ごとにまったく違った対処法を必要としており、単一の学習能力で対処しようとしたら命を落としかねない。十徳ナイフのように各類型に特化したモジュールを発達させた方が適応的だというわけである。

 ミズンは進化心理学を踏まえながら、人類の心の発達過程を建て増しされていく聖堂になぞらえているが、わたしは本書を読みながら、むしろパソコンの歴史に喩えた方がわかりやすいのではないかと思いついた。本書の記述から離れるが、少々おつきあい願いたい。

BASIC段階

 最初期のパソコンは電源を入れるとBASICというコンピュータ言語が起動した。BASICは汎用言語で、文字処理でも、画像処理でも、音響処理でも、何でもできることになっていたが、何かをやるにはいちいちプログラムしなければならなかったし、労力の割りには大したことはできなかった。

 BASIC段階はチンパンジーや猿人の段階に相当する。チンパンジーは木の実の中味や骨髄を掻きだすには短い棒、蟻や蜂蜜を食するには長い棒というように、道具選択と食物採取という異なる作業をなめらかに連繋させることができる。これは二つの作業を単一の過程で処理しているからだと推定できる。BASICのような機能は低いが、汎用のプログラムが動いていると考えられる。

MS DOS段階

 MS DOS段階ではワープロや表計算、お絵かきソフトなど多種多様なソフトが利用できるようになったが、個々のソフトは連繋しておらず、融通がきかなかった。表計算ソフトで作った表やお絵かきソフトで作った画像をそのままワープロに取りこむのは不可能だった。

 MS DOS段階は原人や旧人の段階に相当する。ネアンデルタール人は石や木を素材に高度な道具を作ったが、動物の骨から道具を作ることはなかった。道具に関する技術モジュールと、動物に関する博物モジュールが連繋していなかったのである。

Windows段階

 Windows段階になると、各ソフトをクリップボードやOLEによって連繋させることが可能になった。原則として、データはソフトからソフトへそのままの形で貼りつけることができる。

 Windows段階は現生人類の段階に相当する。ミズンはクリップボードにあたる心的機能を「認知的流動性」と呼んでいる。

 自画自賛になるが、人類の心の発達をパソコンの歴史になぞらえるのは悪くない喩えだと思っている。

 ただ、この喩えでは「認知的流動性」をクリップボードに矮小化してしまう恐れがある。「認知的流動性」は単なるデータの一時置き場ではなく、比喩と類推を可能にし、人類の思考を自在に羽ばたかせる新しい時限だからだ。芸術も、科学も、文明も、すべては「認知的流動性」の産物なのだ。人類は「認知的流動性」を獲得するまでに何百万年もかかったのである。

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『ネアンデルタール人の正体』 赤澤威 編 (朝日選書)

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 2004年1月に開かれた『アイデンティティに悩むネアンデルタール――化石人類研究の最前線』というシンポジュウムを活字化した論集で、11人の研究者が参加している。座長で編者の赤澤威氏は1993年にシリア北部のデデリエ洞窟で完全に近いネアンデルタールの子供の骨を発掘し、その骨をもとに学際的な「ネアンデルタール復活プロジェクト」を推進した人である(プロジェクトの成果は『ネアンデルタール・ミッション』としてまとめられている)。

 本書の副題は「彼らの「悩み」に迫る」になっているが、こえはもともとのシンポジュウムのタイトルに『アイデンティティに悩むネアンデルタール』とあるように、現代人の作りあげた勝手なネアンデルタール人像に当のネアンデルタール人が当惑しているだろうから、最新の成果をもちより、すこしでも実像に迫ることで、ネアンデルタール人を慰めようという趣旨である。編者の赤澤氏は「ネアンデルタール人はよろこんでくれるだろうか」と繰りかえしているが、ネアンデルタール供養といったところか。

 実像に迫るにしても、さまざまな分野の専門家が11人も集まると、背景の違いや立場の違いが目立ってくる。われわれ現生人類を「ホモ・サピエンス」と呼ぶ筆者もいれば、「クロマニョン人」、「現代人」と呼ぶ筆者もいる。ネアンデルタール人の埋葬儀礼についても、積極的に認める筆者もいれば、ハイエナが洞窟に骨を持ちこんだのだろうと否定的な筆者もいる。ネアンデルタール人は石器の材料を近場で調達したことが知られているが、ある筆者は20km以内とし、別の筆者は2km以内としている。小説家的な空想を排し、学問的に近づこうとしても、ズレは出てきてしまうのである。しかし研究の現状を知る上で、ズレは決してマイナスではない。

 いくつか目についた箇所を紹介する。

 片山一道「地球上から消えた人々」は極地のイヌイットやポリネシア人、オーストラリアのアボリジニに遺伝的な繋がりがないにも係わらず、ネアンデルタール人的な特徴をもった人がいることに注目し、ネアンデルタール人固有のものとされてきた骨太、ずんぐり、大頭、胴長短脚といった特徴は環境の影響にすぎないのではないかと指摘している。

 赤澤威「人類はいつ、なぜ争うようになったか」は人類の同族どうしの殺しあいの淵源は、1万2千年前、旧石器時代後期のクロマニョン人にさかのぼるとしている。根拠は二つある。第一にスペインのモレリャ・ラ・ヴェリャ洞窟に、二つの集団が弓矢をもって対峙している岩絵があること。第二にほぼ同時期のスーダンのジャバル・サハバ117遺跡から、石器で殺されたとおぼしい大量の人骨が出土していること。

 米田穣「2つの人類が出会ったとき」はネアンデルタール人とクロマニョン人をさまざまな観点から比較し、最後に混血の可能性を検討している。

 ネアンデルタール人は一年を通じておなじ洞窟に住み、獣肉しか食べなかったのに対し、クロマニョン人は季節ごとに住居を移り、獣肉だけでなく魚をたくさん食べていたようだ。

 ミトコンドリアDNAの研究から混血の可能性はないとされているが、そう断定するには疑問があるという。ロバと馬から生まれたラバは一代限りの雑種で、子供を残すことができないが、ネアンデルタール人とクロマニョン人の間で通婚があっても、子孫が残らない可能性がある。また、子孫を残せても、遺伝子浮動でネアンデルタール人の遺伝子が長い年月の間に消失する可能性もある。

 斎藤成也「遺伝子から探る」にはネアンデルタール人の遺伝的系統図が紹介されているが、同じネアンデル渓谷から出土した個体でも、遺伝的に他の地域で出土した個体と近いケースがある。ネアンデルタール人の活動範囲は意外に広かったのかもしれない。

 河内まき子「成長のしかたを考える」は、ネアンデルタール人の成長パターンは基本的にわれわれ現生人類と同じだが、成長速度と成熟時期は早くなっているという。

 澤口俊之「脳の違いが意味すること」には意外な研究が紹介されている。これまで現生人類は類人猿や化石人類よりも格段に大きな前頭葉をもっているとされてきたが、MRIで生きたチンパンジーを調べたところ、脳に占める前頭葉の比率は35~36%あり、現生人類の37%とほとんど変わらないことがわかった。大型類人猿は30~38%の範囲におさまっているそうである。

 澤口氏は体重に対する前頭葉の体積(相対前頭葉体積)という別の指標を考案した。これで見ると、現生人類はネアンデルタール人よりも40%大きくなっている。

 西秋良宏「1日を想像する」ではネアンデルタール人などの化石人類をあつかった小説三作を紹介している。アウルの『大地の子エイラ』はクロマニョン人の子、エイラがネアンデルタール人に育てられる話、ダーントン『ネアンデルタール』は現代の科学者が凶暴なネアンデルタールの生き残りを発見し観察する話で、どちらも現代人の視点から描かれているのでおもしろく読める。それに対して、プロの『原始の風が吹く大地へ』は400万年前の初期人類を厳密に考証し、初期人類になりきって書かれた意欲作だが、思考内容が単純すぎてつまらないという。

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2007年01月30日

『なぜヒトの脳だけが大きくなったのか』 濱田穣 (講談社ブルーバックス)

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 表題の通り、なぜ人類の脳だけが異常に大きくなったのかという切口から書かれた異色の人類進化史である。著者の濱田穣氏は東南アジアをフィールドにサルの身体面の進化を研究している人だそうで、人類(ホモ属)段階の進化だけでなく、サル段階の進化、さらには哺乳類段階の進化も視野にいれて話を進めており、すこぶる見通しがいいのである。

 もともとサルは身体のわりに大きな脳をもっているが、その要因が樹上生活にあることは大方の研究者が一致している。不連続三次元空間である森の中で枝から枝へわたっていくには高度な空間把握能力と運動制御能力が不可欠だからだ。

 人類がチンパンジーとの共通祖先からわかれたのは600~700万年前とされているが、その半分の期間は脳の大きさはあまり変わらなかった。われわれのルーツとされる華奢型アウストラロピテクスになると、大きさは変わらないものの、前頭葉と側頭葉の前部が発達し、われわれの脳に近いプロポーションになっている。そして、ホモ・ハビリスあたりから急激に巨大化していく。

 濱田氏は脳の巨大化は手と発声器官の進化と互いに刺激しあいながら起きたとしている。いわゆる共進化である。

 チンパンジーの手と較べると、われわれの手は親指が発達し、他の四本の指と向かいあっている。チンパンジーは人差し指から小指までの四本の指で枝を握りしめるのに対し、われわれは向かいあう親指と四本の指を使って物をつまんだり、つかんだりする。チンパンジーはわれわれと較べるまでもなく、ニホンザルと較べてさえ、ひどく不器用である。チンパンジーとの共通祖先とわかれた後、人類はだんだんと手を進化させていったらしい。手の化石はあまり残っていないが、石器の進歩で手の進化が推測できる。

 発声器官の方はどうか。われわれが自由に言葉を話せるようになったのは咽頭が下がり、喉の上方に音を共鳴させる空間ができたからだが、問題は咽頭の下降がいつ起こったかである。

 咽頭の下降はごく最近、ネアンデルタール人との共通祖先からわかれた後に起きたとする説が定説とされてきたが、濱田氏によると強力な反論が出てきていて、もはや定説ではなくなったという。喉の形状の復元から推定する手法は限界なので、目下、脳の言語野の発達具合から推定する手法が試みられているが、まだ答えは出ていない。濱田氏は大胆な推測と断った上でこう述べている。

 ここで大胆に推測すると、アウストラロピテクス類はチンパンジーなみの音声しか出せなかったものの、「アー」、「ウー」、「オー」とその中間的母音を用いて、かなりの「会話」を行なっていただろう。そして、ホモ属の出現とともに、脳容量が時代とともに拡大し、多様な音(母音と子音)が出せるようになり、多くの語彙を持つようになっただろう。

 濱田氏は言語の発達も漸進的に起こったと考えているようだ。

 脳が異常に巨大化した結果、われわれはハンディキャップも背負いこむことになった。脳はエネルギーを大量に消費する器官だからである。

 脳が巨大化できたのは肉食をはじめたからだとするのが一般的な説であるが、濱田氏はこれについても別の可能性を指摘する。料理による消化管の短縮と脂肪の蓄積である。

 人類の消化管がゴリラやチンパンジーと較べると短いのは肉という効率のいい食物を食べるようになったからだとされている。濱田氏は植物食でも調理して食べれば消化管は短くてすむこと、消化管はエネルギーを大量に消費しており、消化管が短縮すればその分のエネルギーを脳にふりむけることができると指摘する。

 料理のおかげで脳を巨大化させることができたというわけだが、初期人類がはたして植物を料理したのだろうか。

 料理説はともかく、脂肪の蓄積の方は説得力がある。

 最近、脂肪はすっかり悪者にされているが、われわれにとって脂肪が本当に不要だったら、脂肪の多い食物を口にいれただけでまずいと感じたり、吐き気がしたりするはずである。

 事実は逆であって、われわれの味覚は脂肪を甘いと感じる。脂の乗ったトロや霜降肉、豚の角煮、焼肉のカルビなどは人気メニューであり、脂肪をほどよくつけた女性はグラマーと呼ばれて男性に人気がある。われわれは脂肪を好ましいものとする方向に進化してきたのである。

 人類はサルの中では飛びぬけて体脂肪率が高い。人間の体脂肪の年齢変化はさまざまに研究されているが、サルの体脂肪の年齢変化はほとんどデータがなかった。そこで、濱田氏みずから研究した結果、ニホンザルのオスは15歳まで上昇するが、標準値8.5%をピークに減少に転じることがわかった。メスはのピーク値は8%ほど。チンパンジーは10%程度だそうである。これに対して、ヒトの大人は15~25%と著しく高い。

 幼児期の違いはさらに大きい。ニホンザルとチンパンジーの子供の体脂肪率は5%前後で推移するのに対し、ヒトの赤ん坊は生まれた時には15%だが、生後6~10ヶ月では25%に急上昇する。

 脂肪の蓄積は体温維持のためという説もあるが、濱田氏は脳に絶え間なくエネルギーを供給するのに必要だからだと考えている。脂肪はすぐには燃えないが、単位重量あたりのカロリーが糖の二倍あり、糖をバックアップしている。特に脳が急激に発育する幼児期には脂肪の蓄積が重要だという。

 われわれがまるまると太った赤ん坊を可愛いと感じるのは、脳が健全に発育しそうな赤ん坊を好むように進化の過程でプログラムされたからなのかもしれない。

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2007年01月29日

『人類進化の700万年』 三井誠 (講談社現代新書)

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 コンパクトにまとめれた人類進化の概説書である。著者は読売新聞の科学記者だけに目配りがよく、しかも最新の情報を集めている。新発見があいついでいる分野だけに、知識が古くなっていたと教えられる箇所がすくなくなかった。本書の発行は2005年9月5日だが、なんとチンパンジーの化石がはじめて発見されたという同年7月のニュースまで盛りこまれている。

 ちょっと前に「イーストサイド・ストーリー」という説が流行した。大地溝帯ができて、その東側では森が消えたために、チンパンジーと変わらなかった初期人類はサバンナに放りだされ、直立二足歩行を余儀なくされたという仮説である。今では否定されたと聞いていたが、本書ではどこが間違っていたのか、そして現在はどう考えられているかが手際よくまとめられている。

 ジャワ原人の末裔がフローレス島で小型化し、1万2千年前の大噴火まで生きていたという話があるが、本書によると頭骨のCTスキャンの結果、側頭葉と前頭葉が発達していたことがわかり、言語を話していた可能性があるらしい。また、ジャワ原人の末裔ではなく、ジャワ原人との共通祖先がいて、そこから分かれたという説も出てきているそうだ。

 人類最古の楽器は鳥の中空の骨で作られた笛とされてきたが、2004年にドイツの炭鉱でもっと古い象牙の笛が見つかったという。象牙を二つに割り、中心の穴をくりぬいてから、また接合するという手のこんだ方法でできているというから、人類史を書き換えるような大発見である。

 進化の研究に遺伝子が不可欠となっているが、本書の遺伝子の解説は特にすぐれている。哺乳類が一度失った色覚の遺伝子をサルがどうとりもどしたか、また言語を可能にしたとみられるFOXP2遺伝子がどのように分岐したかという具体例を題材に、すこぶる平明に説明している。いろいろな本を読んできたが、ここまでわかりやすく書かれた本は他に知らない。

 進化の流れを見ていくと、不要になった遺伝子はすぐに失われてしまうことがわかる。恐龍全盛時代、哺乳類は夜行性の動物として細々と暮らしていたが、夜は十分光がないので、四原色(赤、緑、青と紫外線)を感知する遺伝子のうち、緑と青が失われてしまい、色覚が退化した。

 ところがサルの共通祖先が森の中に住み、果実を主食にするようになると、紫外線を感知する遺伝子が青を感知するようになり、さらに赤を感知する遺伝子に突然変異が起きて、緑を感知する遺伝子になった。サルは色覚をとりもどしたのである。色覚に関係する突然変異が定着したのは、森で果実を探すには色がわかった方が好都合だからにほかならない。

 しかし、果実を主食にするようになると、ビタミンCを体内で合成する遺伝子が失われてしまった。果実はビタミンCが豊富なので、わざわざ体内で合成する必要がなかったからである。

 意外だったのは、チンパンジーとの共通祖先から現生人類に進化する過程で新しく生じた遺伝子はFOXP2の二つの突然変異くらいだという説である。人類化の鍵といえる脳の巨大化はどうかというと、新しい遺伝子ではなく、顎の筋肉の遺伝子の退化によってもたらされたのだという。遺伝子は一筋縄ではいかない。

 現時点で本書は人類進化の最良の概説書だと思うが、しかし数年後はどうかはわからない。それくらい進歩の早い世界なのである。

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『はだかの起源』 島泰三 (木楽舎)

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 人類と他のサルとの一番はっきりした違いは裸だという点である。体毛がうぶ毛にまで退化していて、皮膚が剥きだしになっているのだ。

 人間は裸になったために、体温や水分を保ち、皮膚をすり傷や打撲から守るために衣服や住居や火が必要になった。衣服と住居と火なしでは人類は生きのびることが出来なかった。

 裸化は生存には明らかに不利であって、進化論の難題となってきた。ダーウィンとほぼ同時に適者生存説を提唱したウォーレスは裸の皮膚と数学的能力は適者生存では説明できないと匙を投げていたそうだし、ダーウィンはダーウィンで「性選択」という別の原理を持ちだしている(『人間の進化』)。体毛の薄い個体の方が異性にもてたので、人類はだんだん体毛が薄くなったというわけだが、性淘汰の例としてあげているのは昆虫や鳥の例ばかりだから、あまり説得力はない。

 本書は『親指はなぜ太いのか』で「口と手連合仮説」を提唱した島泰三氏が人類の裸化問題にとりくんだ本である。

 島氏は本書の冒頭で「口と手連合仮説」では裸化は説明できないと宣言する。そして、人類の直立二足歩行を説明できた「口と手連合仮説」でも説明できないのだから、裸化は直立二足歩行とは無関係に、おそらくは別の時期に生じたのだろうと推論している。

 島氏はまず人類以外で裸化した中小型哺乳類の検討からはじめる。すなわち、水辺に掘ったトンネルの中で暮らすコビトカバ、湿地で水陸にまたがった生活をするバビルーサ、翼をしまう袋をもったハダカオヒキコウモリ、1頭の女王を中心に地中の巣穴でアリのような高度の社会生活をいとなむハダカデバネズミ、人間が実験用に育種したヌードマウスである。ハダカデバネズミの条はすこぶるおもしろいが、他の裸の動物の研究は十分すすんでいないそうで、もどかしい思いが残る。

 陸上の中小型哺乳類では裸化はきわめて珍しい現象で、各分類群で一回しか起きていない。ゾウのような大型哺乳類なら体毛を失っても体温と水分を保持できるが、中小型哺乳類は特別な条件が整わないと生きのびることができない。もちろん、霊長類においても、人類だけに生じた例外的な形質である。

 となると、人類は水辺で進化したというアクア説が説得力を持ってくる。アクア説は学問の世界では異端視されているが、裸化と直立二足歩行をいっぺんに説明できるので、アマチュアの間では人気のある説である(エレイン・モーガン『進化の傷あと』)。だが、島氏はアクア説に対して徹底的に批判をくわえる。サルを研究している学者がアクア説を本格的に批判したのは、日本ではこれが最初ではないかと思うが、ほとんどめった切り状態である。わたしはアクア説のファンだったが、考えを変えなければならないようだ。

 島氏は胎児化ネオテニー仮説や自己家畜化仮説、体温冷却仮説などの学界で認められた仮説も俎上に載せ、やはりめった切りにする。そして、返す刀でダーウィンの適者生存という思想そのものもぶった切る。ダーウィンがフィールドワークをしない書斎派だとか、サブリミナル的な印象操作をおこなっているという指摘は新鮮だったが、論旨には直接関係ないだろう。

 さて、人類はなぜ裸化したのか?

 島氏は偶然が重なったのだとしている。そして、こう書いている。

 裸化に利点はない。しかし、裸化して人間が成功した理由は、裸化にある、と矛盾したことを言ってもいい。

 この指摘は言い得て妙だと思う。

 刺激的な本ではあるが、ところどころ引っかかる箇所がある。たとえば、ネアンデルタール人が裸ではなく、毛皮に覆われた野生動物だと断定している点。最近の復元図はみな裸で、毛皮で作った服をまとった姿で描かれているし、肌が白かったという説も有力のようである。島氏は裸化は分類群ごとに一属一科にしか起きていないというドグマ以外に論拠を示していない。こういう強引な部分が本書ではやや目についた。

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2007年01月28日

『親指はなぜ太いのか』 島泰三 (中公新書)

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 マダガスカル島にアイアイという不思議なサルがいる。どこが不思議かというと、中指だけが異様に細く、針金のようなのだ。

 アイアイの中指はなぜ一本だけ細いのか? 謎が解けたのは1984年のことだ。本書の著者、島泰三氏が、それまで昆虫食だと考えられていたアイアイがラミーという木の実を食べているところをはじめて観察したのだ。

 ラミーの実は胡桃のように硬く厚い殻に包まれているが、アイアイは切歯で殻に穴を開け、そこに針金のような中指を突っこんで、中味を掻きだして食べていた。アイアイの細い中指と鋭い切歯は、他の動物がもてあましていたラミーの実を主食とするために進化したものだったのである。

 島泰三氏はマダガスカル島をフィールドにアイアイをはじめとする多様な原猿類を研究しているが、手と口の形状と主食の間に密接な関係があることに気づく。

 たとえば、ネズミキツネザルは切歯から臼歯まですべての歯が尖り、手に吸盤をもっているが、これは甲虫を捕まえて食べるのに適していた。一方、体の大きさはネズミキツネザルと同じだが、樹液を主食とするピグミーマーモセットは鋭い鉤爪と、同じ高さにならんだ切歯と犬歯をもっている。鉤爪は樹皮に打ちこんで体を安定させるため、同じ高さにならんだ切歯と犬歯は樹皮を削りとるために適していたのである。

 島氏はマダガスカル島でえた知見をもとに、主食がサルの口と手の形状を決定するという「口と手連合仮説」を提唱している。

 マダガスカル島以外のサルはどうか。ゴリラは日本のヤエムグラのような棘のあるツル植物を主食としているが、指はツル植物を引きよせるように動き、掌はグローブのように分厚く、犬歯は皮を剥くのに適した形状になっている。一方、ニホンザルの主食は木の芽や果実、種子であり、季節季節で熟したものを器用につみとって食べている。ニホンザルの手は人間の手に似て摘みとる繊細な動作が可能であり、顔で目立つ大きなほお袋は種子などを一時的にためておくのに役立っている。どちらも「口と手連合仮説」がよく当てはまっている(本書ではもっと多くの例で検証されている)。

 「口と手連合仮説」はチャールズ・エルトンの「ニッチ概念」や今西錦司の「棲みわけ原理」と似ているが、「ニッチ概念」や「棲みわけ原理」がマクロな視点から見ているのに対し、「口と手連合仮説」は動物の形状というミクロなレベルから出発している。島氏は「ニッチ概念」を「主食に対する諸関係」、「棲みわけ原理」を「食べわけ原理」と捉えなおす。新種が確立するということは新しい独自の主食を開発することであり、新しい職業に就職することだというわけだ。

 これだけでもおもしろいが、以上は前置きにすぎず、本書の眼目は初期人類の誕生を、主食という視点からさぐることにある。

 初期人類もサルである以上、「口と手連合仮説」が正しければ、それまで利用されていなかった主食を新たに開発したはずである。初期人類の主食とは何だったのか?

 主流の説では、初期人類は森を失い、サバンナに進出せざるをえなかったとされている。初期人類はまだ非力で、歩行が遅く、狩りをするどころか、肉食獣の餌食になっていた。

 頑丈型アウストラロピテクスと呼ばれる初期人類は、それまで顧みられなかった草の根を主食としていたらしいが、同時代に生息していた華奢型アウストラロピテクスと呼ばれる別系統の初期人類は肉食をしていたらしい。われわれ現生人類は華奢型アウストラロピテクスの末裔であることがわかっている。

 肉食と行っても、当時の人類は狩猟はまだ下手だったから、肉食獣が食べ残した死骸をあさっていただろうと考えられている。いわゆるスカベンジャー(残肉処理者)仮説であるが、骨についている肉はハイエナなどと競合するので、他の動物が利用できない骨を石器で割って、中の骨髄を食べていたという説が有力である。

 島氏は「口と手連合仮説」をもとに、骨髄食仮説を一歩進め、骨を食べていたのではないかと推論している。

 骨を食べるなどというと奇矯な説のように聞こえるが、人類の歯は貝を噛みくだくラッコ並に厚いエナメル質に覆われている上に、牙状の犬歯が退化し、サル類では類例のない平らな噛み合わせ面をもっている。人類の口は骨のかけらをゆっくり転がすのに適した形状だというのだ。

 しかし、骨などに栄養があるのだろうか?

 骨髄は髄腔のなかだけではなく、海綿質の骨柱のあいだにも満たされていて、血液を造っている。血液を造る作用を失ったものが脂肪になる。つまり、骨髄は骨の構造物質なので、骨を煮て脂肪だけを取り出すならともかく、食物としては骨と骨髄を分けることは現実的ではない。

 骨のかけらをしゃぶっていれば、養分がしみでてくるというのである。駄目押しとして富山県食品科学研究所による骨と豚肩肉との栄養分析比較を提示しているが、なるほど、栄養的には問題なさそうである。まとまった骨髄は手足の骨にしかないことを考えれば、骨髄食よりも骨食の方が食いっぱぐれがないのは確かだ。著者はこう断定する。

 初期人類の手と歯は、骨を主食とするために必要不可欠の条件をすべて満たしている。どんな大きな骨でも砕くことができる石を握りしめる大きな親指のある手と、硬度4の骨を砕いてすり潰すことのできる硬度7(水晶と同じ硬さ!)のエナメル質に厚く覆われた歯によって前後左右上下のすり潰し運動を可能にした平らな歯列こそが、初期人類の主食である骨を開発した道具セットである。

 われわれの祖先はサバンナに転がっている骨をしゃぶって生きのびてきたのだろうか。豚骨ラーメンでも食べながら、初期人類を偲んでみよう。

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2006年11月28日

『冷蔵庫と宇宙』 ゴールドシュタイン (東京電機大学出版局)

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 エントロピーと情報理論を一般向けに解説した啓蒙書だが、わかりやすく面白いという点で本書は群を抜いている。

 この種の本はどうしてもたとえ話が多くなるが、本書はたとえ話に逃げることなく、真っ向から直球で勝負している。不正確なたとえ話でお茶を濁されるより、直球で攻めてくれた方がはるかにわかりやすい。

 本書の前半は熱の正体をめぐる19世紀の熱力学を解説しているが、今ではエーテル説とともに科学史の一エピソードになってしまった熱素説について詳しく解説している点が興味深い。

 当時は熱の正体は熱素という元素だと考えられていたが、熱素を仮定すると、意外や意外、熱という現象がきれいに説明できるのである。熱素説が真理と考えられていたのにはそれなりの理由があったのだ。

 驚いたことに、カルノーによる熱力学の第二法則の発見も熱素説にもとづいてなされていた。カルノーは水車の発生する力が水の落差と、水の量に比例することにヒントをえて、熱機関の発生する力は温度差と熱量に比例すると考えたのだ。熱素を水車を動かす水に見立てたわけだが、もちろんこの前提は間違っている。間違った前提から正しい結論が出てくるという珍らしいことが起こったのである。

 熱素説が崩れ、エントロピー概念が確立されていく条は本書の白眉であって、長年もやもやしていた疑問がそういうことだったのかと得心がいった。

 真ん中のあたりでシャノンの情報理論が登場するが、メッセージの表面的な文字数と内容を区別するという日常的な直観を手がかりに、シャノンの情報量の概念の革新性を手品のように説明してのけている。こういう説明があったのかと、舌を巻いた。

 後半は量子力学と相対性理論によってエントロピーと情報の概念がどう変わったかを解説している。ここもみごとである。

 エントロピーと情報理論について知りたかったら、まず本書を読むことをお勧めする。ちょっと厚いが、出来の悪い本で頭をかかえるよりずっと効率的である。

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『量子が変える情報の宇宙』 フォン=バイヤー (日経BP社)

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 邦題だけ見ると量子コンピュータの本のようだが、原題は『情報――新しい科学言語』(Information: The New Langage of Science)で、情報という観点から科学史を読み直そうという壮大な試みらしい。

 著者は大学で物理学を教えるかたわら、一般向けの啓蒙書を多く上梓しているということだが、数式を使わず、たとえ話で解説しようと工夫しているのはわかるが、決してわかりやすくはない。テーマそのものが最先端で、南海ということもあるのかもしれないが。

 本書は四部にわかれている。第一部「背景」では情報という概念がどのように生まれ、科学をどう変えたかを語り、第二部「古典的概念」ではシャノンの情報理論と表裏の関係にあるエントロピー概念を解説している。第三部「量子情報」では量子状態の重ねあわせから「キュビット」(量子ビット)という新たな情報の単位が生まれた経緯を語り、第四部「現在進行中の研究」では、いよいよシャノンを越える新しい情報理論を紹介している。観測者問題と情報の主観性の問題をもっと詳しく教えてほしかったが、シャノンでは等閑にふされていた情報の質を考慮しようということらしい。

 数式を使わずに語ろうという著者の努力はわかるが、たとえ話は必ずしも成功しているわけではない。特に第一部と第二部の出来は今一つのように感じた。噛んで含めるように語ろうとするあまり話がくどくなり、見通しがよくないのである。『冷蔵庫と宇宙』を読んだ直後だったので議論は追えたが、読みとおすのは苦痛だった。情報理論について一般向け解説書程度の知識があれば、本書の前半は読み飛ばしてかまわないかもしれない。

 第三部はのびのびと語られており、かなり読みやすくなっている。第四部は本書の一番の読ませどころで、イアン・コーリーとザイリンガーの新たな情報理論が好奇心をそそる。わたしのような門外漢にはよくわからなかったが、情報理論の最先端の動向を解説した最初の啓蒙書であるのは確かだろう。

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