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2011年12月28日

哲学の歴史 03 神との対話』中川純男編(中央公論新社)

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 中公版『哲学の歴史』の第三巻である。このシリーズは通史だが各巻とも単独の本として読むことができるし、ゆるい論集なので興味のある章だけ読むのでもかまわないだろう。

 本巻はキリスト教神学の基礎となった2世紀のアレクサンドリアの哲学からルネサンス直前の14世紀のマイスター・エックハルトまでの1400年間をあつかう。中世というくくりになるが、年代的に長大なだけでなく、ギリシア哲学を継承し西欧近代に伝えたビザンチンとイスラムの哲学、さらにはユダヤ思想までカバーしている。これだけ多彩な思想の営みを一冊に詰めこむのは無茶であるが、従来の哲学史だとまったく無視するか、ふれても普遍論争に言及する程度だったことを考えると、中世の巻を設けてくれただけでもありがたい。

 このシリーズは編集がゆるく執筆者を選んだらまかせきりという印象があるが、本巻はその傾向が特に強く出たように思う。後半ではラテン・アヴェロエス主義が台風の目となり、トマス・アクィナスやボナヴェントラ、ヘンリクスらをあつかった章ではラテン・アヴェロエス主義が仮想の論敵として大きく取りあげられているが、当のラテン・アヴェロエス主義を論じた章ではラテン・アヴェロエス主義などというものは存在しない、実態はソルボンヌ内部の派閥争いだったとしているのだ。執筆者間の連絡がなんとかならなかったのだろうか。

 他にも不満はあるが、一般向けの本がすくない分野だけに貴重な本であることは間違いない。

「Ⅰ アレクサンドリアの神学」

 ユダヤ思想家のピロン(フィロン)と初期ギリシア教父のクレメンス、オリゲネスのさんにんをとりあげている。

 ピロンは活動期がキリスト教の成立時期と重なるために注目され、35タイトルの著作がほぼすべて今日に伝えられているということである。

 ピロンは聖書の比喩的解釈の先鞭をつけ、ギリシア哲学との折衷をはかったことがキリスト教神学に大きな影響をあたえた。律法をノモイと訳し、「ノモイに従う人はコスモポリテース(世界市民)である」と自然法的に解して普遍化をはかるなどである。「創世記」については一日目に範例となるイデア界が、二日目以降に可感的世界が創造されたとというプラトンに準拠した二段階創造説を提唱しているが、面白いのは二つの資料の不一致を二段階説で辻褄をあわせていることである。「創世記」には「人間は神の像になぞらえかたどられた」と「ヤハウェ神は地の塵から人間を造った」という二つの人間創造説があり、今日では起源の異なる二つの文書をいっしょにしたためだとわかっているが、ピロンは一の日に創造されたエイコーンは形をもたないイデアだとして神人同形論を回避し、可視的世界の人間はイデアの影(神の影の影)で神から隔たっているために堕罪の可能性があるとする。もっともイデア=神の思考だと明言してしまうと神の一性に抵触するので、比喩にとどめる。神の思考という発想はアウグスティヌスにも継承されるという。

 クレメンスはキリスト教徒のための最初の学校をパンタイノスが設立したことが知られているが、主著の『雑録集』は「綴れ織り」という意味で「高齢から来る忘却への薬」としてさまざまな著作からの断片を記録している。仏陀に関するキリスト教文献最初の言及を含むということである。

 オリゲネスはエウセビオス『教会史』第6巻など伝記資料がたくさん残っている。アレクサンドリアの主教とまずくなってカイサリアに移住し学園を開いたが、没後、異端宣告を受けたために著作が散逸し、ラテン語訳の形でしか残っていない。ところが蔵書の方はカイサレイア主教バンピロスによって図書館が建てられ保存されたという。七十人訳の校訂をおこない、さまざまな翻訳を一覧できる『六欄対訳聖書』を刊行したことも功績とされている。

 『ケルソス論駁』で復活批判に反論したが、コリント書15:42を根拠に復活した肉体は復活前と異なるとする。「朽ちるものとして播かれ、朽ちないものとして甦る」というわけだ。

「Ⅱ アウグスティヌス」

 どこかで読んだ話ばかりで新味はない。

 ドナトゥス派との論争の条でキルクムケリオネスという暴力的な土地を失った下層民集団が無法を働くとあるが、映画「アレクサンドリア」に登場した「修道兵士」のようなものかなと思った。

 もう一方の論敵のペラギウス派はギリシア的教養に通じたローマの富裕層が基盤だった。アウグスティヌスはペラギウス派には容赦なかったが、ドナトゥス派にはずいぶん寛容である。ドナトゥス派にある種の共感を抱いていたのだろう。

 『三位一体論』についてはかなり立ち入った紹介がある。いつか読んでみたい。

「Ⅲ 継承される古代」

 前半では自由七科に代表されるギリシア的教養を中世世界に伝えたボエティウスとカッシオドルス、後半では神学をいきなり高みに押しあげた偽ディオニュシオス・アレオパギテスとエリウゲナを紹介しているが、後者について「古代の継承」というのはどうだろう。この章は二つにわけるべきだったのではないか。

 ボエティウスはギリシア語を理解できなくなった同胞の教育は政治家の義務と任じて、東ゴート王国の宰相という激務のかたわら、自由七科の教科書を編纂し、アリストテレスの論理学書と『エイサゴーゲー』をラテン語に訳し、注解をくわえた。

 ボエティウスというと『哲学の慰め』が名高いが、カロリング・ルネサンスで評価されるまでは埋没していたという。

 カッシオドルスはボエティウスの地位を襲い、学問的にもボエティウスの衣鉢をついだが、神学と世俗的学問(自由七科)の両立を提唱し、引退後は故郷のスキュラケウムに隠修士のための修道院と世俗的学問のための修道院ウィウァリウムの二つを建設した。後者には膨大な蔵書を納めた図書館を設けた。写本工房もあったらしく、ウィウァリウムの蔵書は後に教皇のラテラノ宮の図書室に移管され、各地の各地の修道院に貸与されたり贈与され、広く流布したという。

 偽ディオニュシオス・アレオパギテスとエリウゲナはそれぞれ独立の章をたててもおかしくない大物だが、百科事典的なコンパクトな記述で終わっている。

「Ⅳ アンセルムス」

 最初のスコラ哲学者と呼ばれている人だが、北イタリアの貴族の家に生まれ、父親に修道院入りを反対されて出奔し、フランスの修道院にはいったという激しいところもあった。

 神の存在証明で知られているが、同時代人からも批判が出ていたという。あれが証明になっているとはとても思えないが、20世紀になってからカール・バルトとハーツホーンが再評価しているそうである。どう再評価したのか、知りたいところだ。

「Ⅴ ビザンティンの哲学」

 坂口ふみの『<個>の誕生』でであった名前や学説、議論に再会して懐かしかった。ここに書かれているのはほんのさわりだけだけれども、ビザンチンの神学は深い。

「Ⅵ 一二世紀の哲学」

 12世紀ルネサンスをアベラルドゥスを中心に描いている。アベラルドゥスとは『アベラールとエロイーズ』のあのアベラールである(最近、岩波文庫から新訳が出た)。

 アベラールといえば普遍論争だが、普遍的な物の実在を否定したために語と対象が対応する理由の説明に苦しみ、ストア派のレクトンに近いstatusという概念を編みだすが、十分発展させることなく撤退してしまったという。

 アベラールの神学についてはかなり詳しい紹介がある。アンセルムスと対立的にとらえる従来の説は誤りで、著者はアベラールが軸足を置くのはアンセルムスの論理学的神学だとする。サン=ヴィクトル学派のフーゴーとの影響関係などもおもしろい。

 アベラールは頭はめっぽういいが性格的に問題のある人だった。教え子のエロイーズを妊娠させてしまったこともそうだが、恩師を片っ端からバカ呼ばわりしているようなところがあり、敵が多いのも当然である。異端審問にかけられたのだって神学的内容よりも性格がまねいた面があったようだ。

 こんなにおもしろい神学者はいない。誰か映画化しないものか。

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2011年08月29日

哲学の歴史 02 帝国と賢者』 内田勝利編 (中央公論新社)

哲学の歴史 帝国と賢者 →bookwebで購入

 中公版『哲学の歴史』の第二巻である。このシリーズは通史だが各巻とも単独の本として読むことができるし、ゆるい論集なので興味のある章だけ読むのでもかまわないだろう。

 本巻では紀元前4世紀から紀元後6世紀まで、アリストテレスの没後からユスティアヌス帝によるアカデメイア閉鎖までの850年間をあつかう。ヘレニズム期から古代の終焉まで、つまり古代後期というくくりになるが、一冊本の哲学史だと数頁ですましているものが多い。数頁でもさくならいい方で、まったく無視しプラトン、アリストテレスからいきなり中世末期の普遍論争へ飛ぶという書き方をしている本もすくなくない。

 従来の理解だとヘレニズム期は不毛な折衷主義の時代、ローマ哲学はギリシアの模倣で片づけられ、新プラトン派にいたってようやく評価されるものの、キリスト教教父哲学に影響をあたえたという視点からの評価にすぎない。古代後期は哲学的には不毛な時代と決めつけられて来たのだ。

 しかし暫く前からこうした捉え方が変わってきているらしい。きっかけはソクラテスとプラトンの地盤沈下である。

 ソクラテスとプラトンにいたってギリシア哲学が完成したという見方はニーチェ以来大きく揺らいでいる。ハイデガーやハイデガーに影響を受けた木田元氏の『反哲学史』のような哲学史ではプラトンのイデア説はギリシア土着の考え方とは異質であり、プラトン没後、揺りもどしが起こってソクラテス以前の自然哲学が復活したという見方が出てきている。

 古代後期においてソクラテスとプラトンは懐疑主義の伝統から理解される傾向にあり、イデア説はお伽話の一つでしかなかったらしい。イデア説が復活したのは新プラトン派のおかげであり、キリスト教教父哲学にとりいれられたのは新プラトン派的に改変されたプラトンだった。今日我々が知っているようなプラトンは古代後期においては知られていなかったといっていい。プラトンの巨大な影をとりさってみれば、850年におよぶ思惟のいとなみはまったく別の相貌を見せるだろう。

 「総論 地中海世界の叡知」はこうした価値転換を踏まえながら古代後期の哲学史を概観しており、すこぶる刺激的である。ここでは次の一節を引いておこう。

 古代哲学を総体として俯瞰するかぎり、主要な動向としては、プラトン、アリストテレスの哲学を別格の(あるいはほとんど孤立した)存在として傍系に置き去りにするようにして、初期ギリシア的な思想基盤がそのままヘレニズム以降にまで連続一体的に継承されていったものとみなすべきであろう。この時代を代表するストア学派やエピクロス学派は、個々人の生死のあり方に関わる倫理的問題に哲学の焦点を当てながらも、その一面においては、「ソクラテス以前」の宇宙論的体質をきわめて強く受け継いでいるのを見て取ることができる。彼らは共通して、宇宙世界がどのように形成され、現にどのようにあるかについての考察を第一義とし、それを踏まえることで人間の生の意味と運命を洞察しようとしている。

 注目されるようになってから日が浅いので研究はまだ進んでおらず、編者の内田氏は「豊穣な未開拓地」と呼んでいる。この未開拓地には今日的な意義がある。ポリスというまとまりがこわれ危機と混乱にあけくれたヘレニズム期はグローバリズムに揺れる現代の状況と共振するものがあり、「埋もれた叡智」の再発見が喫緊の課題だというのだ。

「Ⅰ エピクロスと初期エピクロス学派」

 古代後期をあつかう本巻がまずとりあげるのはエピクロスである。エピクロスはBC341年に生まれ、アリストテレスが亡くなったBC322年には21歳だった。エピクロス派とともに古代後期を代表するストア派を開いたキティオンのゼノンはBC335年頃に生まれたという説が有力で、エピクロスよりやや年少だったらしい。

 アリストテレスが亡くなる前年、アレクサンドロス大王が崩御しアテネではマケドニアに対する反乱が起きた。エピクロスはサモス島の生まれだったが、アテネの市民権を得ようとアテネに加担して戦う。だがアテネが敗北したためにサモス島にいられなくなり、当時蔑まれていた読み書き教師をしながら各地を転々とする。この遍歴時代に原子論と出会い、独自の立場を確立していったらしい。

 32歳の時、かつてアリストテレスが逗留しアテネに次ぐ学問の中心だったレスボス島で自分の学園を開いたが、ペリパトス学派と対立したためか小アジアのランプサコスに移り、ここで35年間すごし主著の『自然について』の大半を書いている。アテネで「エピクロスの園」と呼ばれる学園を開くのは72歳になってからである。

 エピクロスはデモクリトス以来の原子論にクリナメンという概念を導入し、自由意志を根拠づけたとされているが、クリナメンはルクレティウスの造語でエピクロスは「逸れる運動」と呼んでいたらしい。クリナメンは空間の極小単位から単位への飛躍であり、一部で言われているような斜めにずれる運動ではない。本章の著者は決定論の否定であっても、自由意志の証明ではないと注意をうながしている。

「Ⅱ ゼノンと初期ストア学派」

 エピクロス派の次はストア派である。ストア派はアテネのアゴラわきの彩画列柱廊ストア・ポイキレを本拠にしていたことからそう呼ばれている。

 開祖のキティオンのゼノンはキプロス島のフェニキア人植民都市の出身でセム系ではないかという説もあるそうだ。アテネに出てきたゼノンは本屋でクセノポンの『ソクラテスの思い出』を読んで感じるところがあり、小ソクラテス派に学んだが(ストア派の論理学はメガラ派の影響があるらしい)、ソクラテスが斥けた自然研究に傾斜し、魂の主導的部分は物体としての気息プネウマという立場を確立していった。ロゴスと一致した生き方がストア派の金科玉条であり、宇宙論の延長上に倫理説がある。

 ゼノンの学説を発展させ論理学・自然学・倫理学の三部門を整備したのは第三代学頭のクリュシッポスだが、その浩瀚な著作はほとんどが失われてしまい断片が残るにすぎない。クリュシッポスが完成したストア派の論理学はアリストテレスの主語=述語論理学とは発想を異にする命題論理学であり、現代の数学者によって再評価されているが、同時にレクトンという意味を中心とした言語論でもあり、この面はジル・ドゥルーズが『意味の論理学』でスリリングな読み直しをおこなっている。

 ストア派というと克己主義の道徳を連想する人が多いが、現代思想に直結する思索をおこなっていたのである。

「Ⅲ 古代懐疑主義」

 アリストテレスが去った後もアテネでは諸学派が学説を競いあい、学問の都として地中海世界に君臨しつづけた。諸学派の交流は盛んで、論争をつづけるうちにしだいに旗幟が鮮明になっていった。

 新興のストア派とエピクロス派はそれぞれ強烈なドグマを主張していたが、実証主義のペリパトス派はドグマが弱かったためにアテネでは影が薄くなってしまった。

 アカデメイア派はドグマを持たないという立場を打ちだし存在感を示した。その代表者は第六代学頭となったアルケシラオスである。アルケシラオスはペリパトス学派やストア派に学んだ後、最終的にアカデメイア派を選ぶ。彼は無知の自覚に立ち論駁に徹する初期対話編のソクラテスを理想とし、判断保留エポケーを提唱する。

 アルケシラオスの判断保留の立場の背景にはもう一つ、エリスのピュロンの無動揺主義があった。ピュロンはアレクサンドロス大王の東征に従軍し、インドで火に焼かれても動じない行者を見て強い印象を受けた。動揺しないためにはあらゆる判断をさしひかえる必要があるというわけだ。

 アルケシラオスの判断保留はあらゆる議論を袋小路に追いこんだソクラテスに倣い問答法と結びついていたが、アカデメイア派は問答法から離れ、無知を積極的に主張するようになる。不可知論がそれ自体ドグマになると、到達不可能な絶対の認識を目指すストア派と原理的に変わらなくなってしまう。紀元後のアカデメイア派はストア派と五十歩百歩になっていたようだ。

 1世紀のアイネシデモスはアカデメイア派に学んだが、ストア派化したアカデメイア派にあきたらなくなり、ピュロンの原点に返ろうとしてピュロン主義を提唱する。このピュロン主義がルネサンス以降に復活し、近代懐疑主義を生みだすことになる。

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2011年07月28日

『マヤ文明 聖なる時間の書』 実松克義 (現代書林)

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 青木和夫氏は『古代メソアメリカ文明』で日本人が仏教という外来宗教から神仏習合の日本仏教をつくりだしたように、マヤ人も多神教的なフォーク・カトリシズムをつくりだしたと指摘しているが、現代マヤ人の精神世界とはどのようなものなのだろうか。

 まさにその疑問に答えてくれる本がある。宗教人類学者の実松克義氏の『マヤ文明 聖なる時間の書』である。実松氏はグアテマラ太平洋側のキチェー地方を1994年から1999年まで6年間フィールドワークし、現代マヤのシャーマン(みずからをサセルドーテ・マヤと呼んでいる)から聞きとり調査をおこなったが、本書はその記録である。

 キチェー地方はマヤの『古事記』というべき『ポポル・ヴフ』が発見された土地でマヤ文化の色彩が濃く、現在でも多くのサセルドーテ・マヤが活躍している。キチェーのサセルドーテ・マヤは『ポポル・ヴフ』を特に重視しており、本書の後半は『ポポル・ヴフ』(著者は『ポップ・ヴフ』と表記すべきだという立場に与しているが)の話になる。

 先住民の呪術師というと教育のない貧しい拝み屋さんというイメージがある。確かにそういうサセルドーテ・マヤが多いが、著者の出会った中には大学教育を受けたインテリもいる。実業家として成功していたり、大学で教えていたり多士済々で、人気のあるサセルドーテ・マヤのところには国外からも依頼者が来ている。教育があるのになぜイニシエーションを受けて呪術師になるのだろうか。重病をサセルドーテ・マヤに治してもらい、自らの運命に目覚めるというパターンが多いようだ。

 サセルドーテ・マヤは宗教を聞かれると一様にカトリックと答えているが、やっていることはおよそカトリックではない。神聖暦で占いをし、壇を築いて火の儀式をおこなう。十字を切るものの、マヤ十字という別の意味あいの十字である。グアテマラのカトリックはマヤ古来の信仰と混淆しているのである。

 シンクレティズムの象徴というべきはサン・シモンという神格である。サン・シモンというといかにもカトリックの聖人のようだが、聖書に出てくる9人のシモンとは関係がなく(関係があると言い張っている人もいるが)、シモン兄さんとかシモン兄貴と気安くお願いできる現世利益の神様として広く信仰を集めている。

 サン・シモンは10月28日が誕生日だったり、「五人の博士」という治癒神になったり、マシモンという怖い神様に姿を変えたり得体が知れないが、研究者によると信仰の歴史は古くはなく150年ほど前、教会の土着信仰弾圧を期にはじまったらしい。サン・シモンといういかにもカトリック的な装いをまとわせることで土着の神の温存を図ったということだろう。

 マヤ十字も興味深い。マヤに十字架のシンボルがあったことはパレンケのレリーフでも明らかだが、もともとは世界樹だったマヤ十字がキリスト教の十字架と習合してしまい、「父と子と聖霊、聖人の名において」という祈りの言葉は同じながら、心の中では死霊の住むマヤの世界が表象されているというのだ。マヤ十字の詳しい意味あいについては人によって異なるが、十字架の横棒が黄道、縦棒が黄道と交差する銀河、さらに十字架の二次元に垂直に雨の軸が貫き、マヤの立体的な宇宙像をあらわすという解釈まである。

 260日周期の神聖暦も考古学上の遺物ではなく占いの暦として普及していて、日本の神宮暦くらいにはポピュラーなようだ。

 神聖暦にはいろいろな解釈があり、サセルドーテ・マヤごとに違うといっても過言ではないらしい。しかし時間を生命の動きそのものとしてとらえるという点では共通しているようだ。

 最後に『ポポル・ヴフ』だが、これが一筋縄ではいかない。16世紀にキチェー人の貴族がアルファベットで音写したキチェー語の原本を18世紀にフランシスコ・ヒメネス神父がチチカステナンゴで発見し、筆写してスペイン語訳を付して書庫に残した。それが150年後に再発見されるという経緯をたどるが、ヒメネスがつくった写本しか残っていないのでテキストの信頼性に疑問がもたれているのである。

 『ポポル・ヴフ』には十を超える現代語訳があるというが、その中でキチェー語のテキストを本来の形に復元するところからはじめたチャベスの翻訳があり(『ポップ・ヴフ』はチャベスが復元した発音)、キチェーのサセルドーテ・マヤの多くから支持されているというのである。

 本書の後半ではチャベス訳を評価するヴィクトリアーノ・アルヴァレス・フアレスと彼が主宰するグアテマラ・マヤ科学研究所の見解が紹介されている。実松氏はチャベス訳について『マヤ文明 新たなる真実』という本を別に書いておられるので、興味のある方はそちらを見られたい(中公文庫の『ポポル・ヴフ』とはまったく違う)。

 一つ気になったのは民衆のカトリック離れが進む一方で福音派教会が急速に勢力を伸ばしているという記述だ。カトリック教会はコフラディアという信徒会に支えられていて、中にはサン・シモンの護持をしているところもあるというが、改宗者が続出したために解散したコフラディアがかなりあるらしい。教皇庁が「解放の神学」にブレーキをかけた結果がこれだとしたら皮肉である。

 福音派教会については芝崎みゆき氏の『マヤ・アステカ遺跡へっぴり旅行』に偶然ラカンドンの教会に連れていかれた時の体験が書かれている。福音派はアメリカからの豊富な資金で信者に援助をあたえるといわれているが、芝崎氏の伝える熱狂ぶりからすると援助だけが理由ではないのかもしれない。

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2011年07月23日

哲学の歴史 01 哲学誕生』 内田勝利編 (中央公論新社)

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 中央公論社は創業120周年を記念して2008年から『哲学の歴史』全13巻を刊行した。近年にない大規模なシリーズで2008年度の毎日出版文化賞特別賞を受賞しているが、新書に近い手軽さで読めることがわかったのでこれから一年かけて紹介していこうと思う。

 通史ではあるが各巻とも単独の本として読むことができるし、ゆるい論集なので興味のある章だけ読むというつきあいかたでもかまわないだろう。

 各巻は目次の後、「イメージの回廊」として地図や写真、図版が12頁にわたっておさめられている。第1巻でいうと哲学者の彫像の写真が2頁、『ニコマコス倫理学』の15世紀の写本の書影が1頁、エーゲ海をはさんで小アジアからギリシアにかけての地図が見開き2頁、ギリシア的な世界観の基本である四大元素(地・水・火・空気)関連の図版が9頁である。

 責任編集者の総論につづいて、ソクラテス以前の哲学者からアリストテレス学派まで、8章にわたって専門の研究者による各論がつづく。章の末尾には灰色の紙に印刷された数頁のコラムがつく。たとえば「ギリシア七賢人」では選ばれる顔ぶれにかなりのバリエーションがあるが、その多くは政治家であり、ギリシア人の考える叡智の原型が示されているとし、「プラトンとアトランティス伝説」ではアトランティスに関する史料はすべてプラトンにさかのぼり、プラトンの創作の可能性を否定できないと指摘した後、プラトンがアトランティスにこめた意図を忖度している。

 巻末には索引と参考文献、執筆者略歴、年表、代表的な哲学者の生没年を図示したクロノロジカル・チャートがおさめられている。参考文献は各章ごとに「原典と翻訳」と「研究文献」にわけて記載されており簡単なコメントがつく。パルメニデスの「原典と翻訳」では井上忠氏と鈴木照雄氏の著書があげられているが、コメントはこんな具合である。

 現在参看できる日本語の専門的研究書はこれら二書のみ。両書が描き出すパルメニデス像は比較することが意味をもたないほど異質である。

 こんなことを書かれたら、読みたくなってしまうではないか。

 さて、第1巻である。「総論 始まりとしてのギリシア」ではタレスからアリストテレスにいたる250年間の営みをまず次のように一筆描きする。

 もともと彼らのあいだにあっては、哲学とは何か一個の学術として固定されたものではなかった。本質をなすのは「知」それ自体ではなく、むしろ既成の知に満足することなくそれを超え出てさらなる知の高みを求めようとする意欲(ピロソピアー=知の愛求)にあった。

 次いで本巻の構成にしたがって、時代順に政治情勢をからめながら学派を紹介していくが、最後に哲学史はアリストテレスが創始したものであり、今日に伝わる断片はペリパトス学派の学説誌をソースとしていると指摘していること、実際は「より広汎な「知」の伝統が、けっして無視できない力で、哲学の形成を促してきた」ことに注意を喚起している。

 各論に移ろう。

「1 最初の哲学者たち」

 タレスとミレトス学派をあつかう。ギリシアの知の営みはオリエントの先進地域と接した小アジアのイオニア地方ではじまったが、ギリシア人は複数の先行文化に直面することによって、単に受けいれるのではなく相対化しつつ脱神話化して摂取することができたとする。

 タレスでいえば、水に着目したその思想の背後にエジプトやバビロニアで一般的だった水神創世神話があったのは確実だが、単に水の神を受けいれるのではなく、宇宙全体を水という統一的視点から把握しようというスタイルはタレス独自だったというわけだ。

 宇宙全体を統一的に把握しようとするタレスのスタイルはアナクシマンドロスやアナクシメネスという後継者をうることで確固とした知の営みとして発展していくが、ペルシアの圧力によってイオニアは衰退し、ピュタゴラスらは南イタリアに移住することになる。

「2 エレア学派と多元論者たち」

 哲学の新たな中心となったのは南イタリアのエレアで、この地で生まれたパルメニデスは初期ギリシア哲学の分水嶺となった。パルメニデスはあるものはあり、あらぬものはあらぬと同語反復のようなことを説いたが、これはあるものはずっとあり、あらぬものはずっとないということであり、あらぬものからあるものが生じることはないという変化の否定を含意している。ゼノンの有名な背理もこの変化否定の応用問題にすぎない。

 パルメニデスの命題は同語反復だけに反論のしようがない。しかし変化はある。変化をどう説明したらいいのか。

 この難題を解決するために編みだされたのがエンペドクレスの四大に「愛」と「争い」をつけくわえた宇宙論であり、万物は不生不滅の原子の組みあわせからなるとする古代原子論である。

「3 ソフィスト思潮」

 前5世紀はじめにペルシャの侵攻をスパルタとともに阻止したアテナイは政治的にも経済的にも文化的にもギリシア世界の中心となる。アテナイは成人男性市民による直接民主政で治められており、弁論術を柱とする市民教育の需要が増大した。こうしてギリシア各地から一流の知識人が集まった。

 彼らはソフィストと呼ばれ、弁論術を教えるところからいかがわしいと見なされることが多かった。普通のアテナイ市民から見ればソクラテスやプラトンもソフィストの一味である。

 ソフィストは多彩な背景を持った人々であり一致した教説があったわけではないが、法律・慣習はポリスごとに異なるという相対主義では共通しており、本章ではそれを「ソフィスト思潮」と呼んでいる。

「4 ソクラテス」

 ソクラテスはペルシャ戦争勝利後のアテナイの高度成長期に青年時代をすごした。『弁明』では否定しているが、若い頃イオニア自然学にかぶれたことがあるのは確実だろうという。

 しかし40歳の頃、繁栄に酔いしれていたアテナイはスパルタとペロポネソス戦争に突入し、20年間の戦いの末に敗北することになる。同盟国は離反し、政治は混乱をきわめる。ソクラテスに対する告発と刑死はこの混乱の中で起きた。

 中年以降のソクラテスは自然学探求から離れ倫理の問題に集中するが、この方向転換の説明がクセノポンとプラトンでは異なる。この違いから「無知の知」を深めていく条が本章の読みどころだろう。

「5 小ソクラテス学派」

 ソクラテスの一面を引きついだとされるキュレネ学派、キュニコス(犬儒)学派、メガラ学派をあつかう。

 不可知論で快楽主義のキュレネ学派、芝居がかった詭弁を弄するキュニコス学派、屁理屈のメガラ学派がいずれもソクラテスから出ているとされているのは興味深い。

「6 プラトン」

 プラトンはペロポネソス戦争のさなかに生まれた。23歳の時にアテナイは全面降伏に追いこまれ、その5年後、師であるソクラテスが刑死する。プラトンも亡命を余儀なくされ、以後十年以上にわたって地中海各地を遍歴しギリシア以外の思想にふれることになる。

 40歳でアテナイにもどったプラトンはアカデメイアを創設し教育と執筆にたずさわることになる。「優れた資質をもって名家に生まれたアテナイ市民たる者が、国家公共の場から身を退いてあたかもソフィストたちが行っているような仕事に専念することは、途方もなく果敢な決断を要したはずである」とあるが、決断にいたったのは祖国の混乱と師の刑死に直面して教育の重要さに目覚めたからであろう。

 プラトンといえばイデア説だが、本章ではプラトンを懐疑主義者と見なす解釈が古来からあったと指摘している。対話篇の中ではイデア説は対立する教説の一つにすぎず、結末では決定不能に宙吊りにされる。実際、プラトンの没後、アカデメイアは古代懐疑論の中心となるが、本章の筆者はプラトンがあらゆる言説を相対化していたと見なすのは短絡だとしている。「ソクラテスの対話的活動が対話相手の思いなしを客観的な吟味の場に引き出すことを意図していたように、「対話篇」とは知と真理を客観的なものとして成立させるためのスタイルであった」というわけだ。

 『国家』が政治論として読まれ、主著と見なされるようになったのは19世紀の英国がはじまりだったという指摘は面白い。エリート政治の模範が描かれているともてはやされたが、20世紀になり社会主義やファシズムが台頭すると逆に独裁政治を正当化としてして指弾されるようになる。逆説とアイロニーに満ちた対話篇をモノローグに単純化したことからうまれた誤読である。

 『パルメニデス』以降の後期思想にかなりの紙幅をさいている点も本章の特徴だろう。最後の『法律』やオカルト好きの間で重視されている『ティマイオス』の宇宙論を紹介し、『ピレボス』では「ミレトス学派以来の「生ける宇宙」を継承・賦活せしめるとともに、より深い意味をそこに込めた」としている。

 面白いと思ったのは実践的な政治家養成を目指したイソクラテスの学校からはたいした人材が出なかったのに対し、実学とは無縁のアカデメイアから多くの政治家が出たという指摘である。アカデメイアは中断はあったにせよ900年近くつづいたのだから立派なものである。

「7 アリストテレス」

 アリストテレスはプラトンの最晩年、アカデメイアを離れて小アジアのアッソスやレスボス島で研究教育活動をおこなった後、マケドニア王フィリッポス二世からアレクサンドロスの家庭教師に招聘されている。12年後アテナイにもどるが、アカデメイアに復帰することなくリュケイオンに自分の学校を開いている。

 ディオゲネスの『哲学者列伝』にプラトンの言葉として「アリストテレスは、私を蹴飛ばして行ってしまった。まるで仔馬が生みの母親をそうするように」とあることから、アリストテレスとプラトンは不仲だったとか、実力第一なのに学頭に選ばれなかったので飛びだしたとか、いろいろなことが言われてきたが、本章の筆者はアカデメイアの施設はプラトンの個人財産だったと考えられ、プラトンの甥のスペウシッポスが相続するのが自然であり、アテナイ市民でないアリストテレスが継承する可能性は最初からなかったと指摘する。アッソス行きにしてもアカデメイア第三代学頭となるクセノクラテスが同行しており、アッソスの僭主のヘルミアスがアカデメイアと関係が深かったことから、アッソスにアカデメイアの分校が開かれた可能性があるという。

 学説についてはアリストテレスの知の区分がヨーロッパの学問の基本となっていること、論理学を支える論証以前の知の形態としてヌースを考え、ヌースは経験から帰納的に生まれるが、個別的な経験を蓄積しても普遍的な原理にはならず、知はわれわれの精神に本源的に備わっていると洞察していたことを指摘している。ヒュームからカントへという近代哲学の大転換をアリストテレスが先取りしていたということだろうか。カテゴリー論の元祖もアリストテレスである。

 生々流転する現実を考究する部門として『自然学』がある。有名な四原因説も『自然学』にあるが、『自然学』のあつかいが軽いように感じた。本書に限らず、日本では『自然学』がないがしろにされているような気がする。『動物学』よりはるかに重要だと思うが、なぜ文庫版が出ないのだろう。

 一方『魂論』(『心とは何か』という題で文庫になっている)についてはかなりつっこんだ記述がある。アリストテレスの考える魂が思考能力だけでなく、栄養摂取能力も含むことにわれわれは異和感をいだくが、それはデカルト以後の考え方にならされているからだという指摘はわかりやすい。著者は「心的活動も生命の働きの一つの発現のかたちである、というのがアリストテレスの根本的な思想である」としている。身体の変化が感覚知覚だというスピノザを先取りするような視点もあったらしく、アリストテレスの心身相関論は近年注目されているようだ。

 『形而上学』は実体論争を中心に紹介しているが、きわめて難解とだけ言っておこう。

 アリストテレスの幸福――善く生きる――とは何かを追求して倫理学という学問をはじめたが、人間の生き方は社会のあり方と不可分なのでアリストテレスの倫理学は政治学と連続していると言える。本章では政治学は倫理学との関連で論じられている。

 興味深いのは最後にとりあげられる奴隷肯定論である。本章の著者はアリストテレスは奴隷制度を自明のものとは考えていなかったし、当時の奴隷制度を無条件に肯定しているわけでもなく「戦争捕虜のようなかたちで多くの人々が奴隷とされていることへの批判」が潜在的に含まれていると弁護しているが、逆にいうと知的・身体的能力が不十分な人間は奴隷にしていいことになり薮蛇だろう。天下のアリストテレスが奴隷を認めていた事実は大きく、トドロフの『他者の記号学』によると、ほぼ2000年後の16世紀にアメリカ先住民の奴隷化の是非をめぐってもちあがったバリャドリード論争でも『政治学』の奴隷肯定論が持ちだされたということである。

「8 テオプラストスと初期ペリパトス学派」

 アリストテレスは弟子たちと散歩しながら講義をおこなったのでアリストテレス学派のことを逍遙ペリパトス学派という。ペリパトス学派は名前こそ有名だが哲学史の扱いは小さく、まったく無視したり数行で片づける本が多い。本書はこのマイナーな学派に一章をさいている。

 アリストテレスの学統はエウデモスがロードス島に開いた学園とデメトリオスがプトレマイオス朝に招聘されて作ったアレクサンドリア図書館で継承され、一世紀のアリストテレス復活を準備したとされているが、問題はリュケイオンでつづいたペリパトス学派である。

 アテナイのペリパトス学派でもっとも有名なのは第二代学頭に指名されたテオプラストスだ。テオプラストスはレスボス島出身でアカデメイアに学び、アッソス行以降アリストテレスと行動を共にしたと見られている。

 多数の本を書いたと伝えられるが、今日完全なかたちで残っているのは『植物誌』や『人さまざま』くらいしかなく、大部分は失われてしまった。

 失われた著作の中でもっとも重要なのは『自然学説誌』だろう。自分の時代までの哲学者の学説を集大成した本で、ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』やアエティオスの『学説誌』、ストバイオスの『自然学抜粋集』などの種本だったとされている。テオプラストスが『自然学説誌』をまとめなかったらソクラテス以前の哲学者の断片の多くは後世に残らなかった。

 資料を重視するアリストテレスの研究スタイルはペリパトス学派に受けつがれ、数学などさまざまな分野の学説誌がまとめられたらしい。資料の取捨選択や配列はペリパトス学派の見解が軸になる。見えないかたちながら他学派にあたえた影響はすこぶる大きい。

 資料を集め事実に即して考えるという学風はアレクサンドリアで文献学を生んだが、リュケイオンでは独自学説の発展をうながした。アリストテレスの見解に異を唱えるのも自由だった。テオプラストスはアリストテレス形而上学の要である「不動の動者」を否定したと伝えられるし、論理学では様相の概念をくわえてストア派の命題論理学に近いところまでいっていたらしい。アリストテレスの『魂論』は魂を身体を統括する原理とみる立場と身体のあり方とみる立場の二つを含んでいたが、ペリパトス学派は後者に向かい、魂の存在を否定する者まで出たという。独自学説が発展した結果、ペリパトス学派の求心力が低下し学派としての存在感が薄れていったということらしい。

 アリストテレスの見解に距離をとったペリパトス学派の活動は一世紀のアリストテレス復活以降忘れられてしまったが、近年本格的な研究ははじまったそうである。今後の展開が楽しみである。

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2011年02月26日

『記号論と言語哲学』 エーコ (国文社)
『テクストの概念』 エーコ (而立書房)

記号論と言語哲学
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テクストの概念
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 エーコの記号論を二冊紹介しよう。

 エーコは記号論関係の本をたくさん書いているが、中心となるのは記号論三部作と呼ばれる『記号論』、『物語における読者』と今回とりあげる『記号論と言語哲学』である。

 『記号論』はソシュールからパース、イェルムスレウ、記号論理学、情報理論にいたるまで、記号に関するさまざまな視点を網羅し整理した記号論大全というべき本で、記号を論ずる上での基本図書中の基本図書といえよう。

 『物語における読者』は『記号論』の整理をもとにテクストに複数の読み方が成立するメカニズムを精密に跡づけた本で、1982年の『開かれた作品』の深化といえる。読みの複数性を様相論理学の可能世界論で記述したのがポイントだろう。

 『記号論と言語哲学』は前二作における共時的な議論を歴史的にとらえなおした本で、若い日にスコラ哲学を学んだエーコならではの学説史が展開されている。

 『記号論と言語哲学』は読者は前二作を読んでいるという前提で書かれているが、困ったことに『記号論』の邦訳も『物語における読者』の邦訳も絶版(長期品切?)であり、入手がむずかいくなっているのだ。

 エーコ自身がチェックした英語版で読むという手もあるが("Theory of Semiotics"と"The Role of the Reader")、幸いなことに両著をダイジェストした本が邦訳されている。『テクストの概念』である。

:『物語における読者』は2011年3月に新版が刊行され入手可能になった。翻訳は篠原資明訳の方が格段に読みやすい)

 『テクストの概念』はサンパウロ大学大学院で1979年にエーコがおこなった講義をブラジルで出版したもので、『記号論』と『物語における読者』を要約した内容となっている。いわば二番煎じ本だが、あれもこれも詰めこみすぎの二作と較べるとずいぶん見通しがよくなっているのも確かだ。原著はポルトガル語でイタリア語版は出ていないが、翻訳にあたって講義のもとになったエーコのイタリア語原稿をとりよせたということだから重訳ではない。

 『記号論』にあたる部分ではパースとイェルムスレウを統合した

       解釈項
     /    \
  代表項………………直接対象
  (記号)    (イメージ)
             ↓
           力動的対象
           (物自体)

というおなじみの図式からはじめ、構造意味論で意味の階層構造を紹介した後、換喩と提喩の考察に移っていく。

 換喩とは「沖の白帆」のように「帆」という部分で「船」という全体をあらわすことをいい、提喩とは「痩せたソクラテス」のように「ソクラテス」で「賢者」という上位概念をあらわすことをいう(上位概念で下位概念をあらわしてもいい)。では「春秋をかさねて」のように「春秋」で「歳月」をあらわす場合は換喩だろうか、提喩だろうか。

 こういう曖昧なケースをどう受けとるかは読者の問題になり、ここで読者論に話が移る。読者論では『物語における読者』と同様、アルファンス・アレーの二編の笑劇を題材にして考察しており、大筋は同じである。

 訳文がややぎこちないのが難だが、本書を出してくれたことは感謝したい。

 さて『記号論と言語哲学』である。エーコは言語や人為的記号のみならず、煙が火事をあらわすといった自然的記号をも統一的に論ずるパースの立場を引きついでいるが、それに対するギルバート・ハーマンという論理学者の批判を槍玉にあげることからはじめる。

 ハーマンはパースの記号論は三つの異なる分野の理論――意図された意味の理論、徴候の理論、絵画的表示の理論――を含んでいるが、これら三つの分野が共通の原理にもとづいているという証拠はないとしている。エーコはストア派から中世のスコラ哲学、ロック、フッサール、ヴィトゲンシュタインにいたるまで、こうした三つの分野のための共通の基盤を見いだそうと試みてきたと反論するが、ここで重要なのは「ストア派から」と書いている点である。ストア派の論理学が出てくるまでは言語と記号は別ものと考えられていたからである。

 記号はギリシア語ではセーメイオンだが、糸口、徴候、症状の同義語とみなされていた。一方、言葉は名称オノマと同一視されており、パルメニデスは記号セーマタ名称オノマゼインを対比して論じていた。アリストテレスも記号と言葉は区別しており、言葉にはシンボルという語をあてていた。アリストテレスが記号に距離をおこうとしたのは糸口、徴候、症状という意味での記号は三段論法の根拠として不十分だからだ。熱があるからといって、風邪をひいているとは限らないのだ。

 これに対してストア派の論理学は p⊃q という命題論理学であり、語の意味するものも霊魂の状態でもイデアでもなく、非物体的なものという範疇があらたに設けられ(本書では「無体的」と訳しているが、ストア派の訳語としてはあまり使わないのではないか)、言語理論と記号理論の統合が試みられている。

 言語理論と記号論を最終的に統合したのはアウグスティヌスだそうで、いよいよスコラ哲学者エーコの本領が発揮されるが、興味のある方は本書を読んでほしい。

 ややこしい議論にはこれ以上立ち入らないが、特筆したいのは最後の章で鏡像は記号といえるのかどうかという意表をついた問題提起をしていることだ。鏡を代名詞になぞらえるなど面白い観点を次々とくりだし、記号とは何かという問いに哲学史とは真反対の角度から光をあてている。映画の最後にNG集をつけるようなもので、お堅い本でこういう読者サービスをやるところがエーコである。

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2011年02月23日

『セレンディピティー―言語と愚行』 エーコ (而立書房)

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 ウンベルト・エーコは多くの本を出しているが、主著から派生した著作がすくなくない。いわば二番煎じ本である。

 二番煎じとはいっても、エーコの場合はそれなりの存在理由がある。まず主著では使わなかった材料を用いて主著とは違った視点を打ちだしている場合があること。

 第二にエーコは若い頃にトマス・アクィナスを研究しただけに大全コンプレックスとでもいうべき網羅癖があり、特に主著にあたる本にはあれもこれも詰めこみすぎる傾向があるが、二番煎じ本ではエーコ自身によって要点が絞りこまれ、見通しがいいこと。

 第三に日本の特殊事情だが、エーコの主要著作の邦訳は大手版元から出ているためにすぐに絶版になってしまう。『開かれた作品』、『記号論』、『物語における読者』、『完全言語の探求』、『カントとカモノハシ』、『前日島』はエーコを語る上ではずすことのできない重要な本だが、いずれも絶版ないし増刷の予定のない長期品切である。一方、二番煎じ本は小回りのきく小出版社から出ているためか、現在でもほとんどが書店で買えること。

 本書であるが、ウソから出たマコトを集めた第一章は別として、第二章以降は『完全言語の探求』(平凡社、絶版)の二番煎じである。

 第二章「楽園の諸言語」は起源の言語をさがす試みについてで、バベルの塔以前の人類は何語を話していたか、神は何語でアダムに話しかけたかが真剣に問われた時代の話である。

 旧約聖書がヘブライ語で書かれている以上、失われたアダムの言語は原ヘブライ語と考えるしかないが、起源の言語の探求がラテン語に対する俗語の優位という思想を生みだしたという指摘はおもしろい。

 第三章「マルコ・ポーロからライプニッツへ」は文字の話で、ライプニッツの考えた普遍表記法や普遍文字としての漢字がとりあげられている。

 第四章「アウストラル国の言語」は人工的に作った理想言語を論じているが、『完全言語の探求』ではふれていなかったガブリエル・フワニのユートピア小説『既知の国アウストラル』を例にしている点は注目したい。

 第五章「ジョゼフ・ド・メートルの言語学」では『完全言語の探求』では題名が言及されたにすぎない『サンクト・ペテルブルクの夜』に考察がくわえられている。

 『完全言語の探求』が入手できない現在、本書の存在は貴重だが、谷口訳はあまり読みやすいとは言えない。たとえばこんな具合だ。

 問題への一つの解決策は、マリーア・コルティが提案している。今日までに一般に認められているのは、ダンテを聖トマス・アクイナスの思想の正統な踏襲者としてだけ見なすわけにはいかないということである。状況次第で、ダンテはさまざまな哲学的・神学的典拠を活用した。
 さらに、彼がシジェ・ド・ブラバンを主たる代表者とするいわゆる過激アリストテレス主義のさまざまな流派に影響されたこともよく突き止められている。過激アリストテレス主義のもう一人の重要人物はダキアのボエティウスであって、彼はシジェと同じく、1277年にパリ大司教から破門された。ボエティウスはいわゆる様態論者なる文法家グループの一員だったし、論文『表意様態論』を著したのだが、これは――コルティによると――ダンテに影響をおよぼしたらしい。

 原文を確認したわけではないが、この条は『完全言語の探求』の第三章の使い回しらしい。上村忠男・廣石正和訳の相当箇所を引用しよう。

 マリア・コルティは、この問題にたいするひとつの解決法を提案している。ダンテを理解するにはたんにトマス主義の正統な継承者と見なしていてはだめだというのは、いまや異論の余地のないところである。ダンテは、時と場合によって、哲学や神学のさまざまな源泉を参考にしている。そして、ブラバンのシゲルを最大の代表者とする急進的アリストテレス主義のさまざまな潮流に影響されていたのは、うたがいない。ことに、急進的アリストテレス主義の面々のなかには、様態論者と呼ばれる文法学者たちの最大の代表者のひとりであるダキアのボエティウスもいた(この人物は、シゲルとともに、一二七七年にパリ司教が発布した非難宣告の対象となっている)。このダキアのボエティウスの『表意様態について』からダンテは影響をうけていた可能性があるというのである。

 「シジェ・ド・ブラバン」と「ブラバンのシゲル」はフランス語読みかラテン語読みかの違いである。原文が Siger de Brabant になっているのか、 Sygerius de Brabantia になっているのかはわからないが、大した問題ではないだろう。

 問題は谷口訳ではシジェ/シゲルとダキアのボエティウスが破門されたことになっていることだ。調べてみたが、破門はされていないようである。破門と非難宣告は大変な違いなのだが。

 精力的にエーコを翻訳してくれる谷口氏と而立書房の功績は多としたいが、訳文は日本語としてこなれているとは言いにくいし、全体に荒っぽい印象があるのは否めないだろう。それでもないよりはあった方がいいのは言うまでもない。

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2010年03月29日

『<中性>について ―コレージュ・ド・フランス講義 1977-1978年度』 バルト (筑摩書房)

<中性>について ―コレージュ・ド・フランス講義 1977-1978年度 →bookwebで購入

 コレージュ・ド・フランスでの二年目の講義ノートである。講義は1978年2月18日から6月3日まで13回にわたっておこなわれたが、第一日目に断っているように講義の準備をはじめようとする時期にバルトは母を亡くしている。

 『彼自身によるロラン・バルト』を読んだ人ならおわかりのように、バルトはきわめつけのマザコンであり、母にべた惚れし、母以外の女性にはまったく興味がなかった。そういう重症のマザコン男が母と死別したのだから、悲しみに打ちひしがれ気力を失ったことは想像にあまりある(悲しみから立ちなおろうとした記録が『喪の日記』として残されている)。

 二年目の「<中性>について」というテーマは一年目の講義が終わった直後に事務局に提出していたの変更することはできないが、母の死をへて「中性」の意味あいが変わってしまったとバルトは語る。

<中性>について語ろうとする主体は、もはやそれについて語ろうと決意した主体とは同じではありえない→当初は、闘争の解除についてお話しすることが問題だったし、これからお話しすることは、やはりそのことである。なぜなら、コレージュの掲示を変えることはできないからだ。しかし、梗概と方法をお伝えしたこの言説のなかに、わたしは自分自身、今日、束の間、ある別の音楽を聞いている。どのような音楽なのか。次のようにして、この音楽の住まう領域、彼方を位置づけてみよう。つまり、最初の疑問から分離した第二の疑問として、最初の<中性>の背後にかいま見える第二の<中性>として。

 第二の<中性>についてふれるに、そもそも<中性>という言葉がなにを意味するかについて確認しておきたい。

 日本語で<中性>というと男性でも女性でもない中性という意味にとられやすい。特にバルトの場合ゲイであることをカミングアウトしているので、そう受けとる人はすくなくないだろう。

 だがそれは「零度のエクリチュール」を「凍りつくエクリチュール」とうけとるのと同じで、まったくの誤解である。バルトが「わたしは<中性>Le neutre を、範列の裏をかくものと定義する」と語っているように、<中性>と訳された Le neutre は中立とかニュートラルという意味であって、対立を回避し、やりすごすところに重点がおかれている。

 なぜバルトは<中性>というテーマを選んだのだろうか? 初年度のバルトは「いかにしてともに生きるか」という標題で抑圧のない共同体は可能かと問うた。二年目はそれを受けて、抑圧のない言語活動の可能性を考えようとしたのである。

 言語は分類であり、単語は対立によってなりたっている。言語で語った瞬間、われわれは対象を対立の一方と決めつけ、分類表に、つまりは範列に押しこめてしまう。言語とは本質的に抑圧的なのである。

 さらに他者とコミュニケーションしようとする場合は両者の力関係がからんでくる。コミュニケーションの過程でわれわれは自分自身でありつづけること、アイデンティティを押しつけられる。なによりも自我の一貫性がもとめられ、強固な自我をもつことがよしとされる。自我の一貫性があいまいだとうさんくさい奴と決めつけられ、しまいには狂人に分類される。

 バルトは分類を回避する言語活動の理念型として懐疑主義と否定神学と禅と老荘を援用する。

 「正当な信仰は言葉を経由する」とボシュエが語ったように教会は言葉を使って祈れと命じ、神秘主義者の沈黙に敵意を向ける。これに対して懐疑主義者は沈黙で答える。懐疑主義者の沈黙は単なる口の沈黙ではなく、「思考」「理性」の沈黙である。

 懐疑主義は分類からの退却だが、否定神学は未分化なものに積極的な意義を見出す。バルトはシレジウスの詩句を引く。

あらゆる形<あらゆる色>を失いなさい、そうすればあなたは神と等しくなるだろう、
あなたの空は、静かな安らぎのうちに、あなた自身と等しくなるだろう。

 さらに禅と老荘は未分化を肯定するのみならず、攻勢に転じる。バルトは鈴木大拙の公案の紹介と岡倉天心の『茶の本』によりながら、言語の裏をかくコミュニケーションの可能性について語っている。

<中性>は、目印と目印とのあいだに適切な距離を保つという微妙な実践となるだろう:<中性>=間隔(空隙をつくりだすこと)。それは異化や、距離を置くことではない。という、きわめて重要な日本の概念:時間、空間の間隔こそが、時間性、空間性を決定している:それらを決定しているのは、積み重ねでも、「過疎化」でもないのだ。

 日本人にとってはこそばゆくもあるが、これはあくまで 『記号の国』の日本像と同じバルトの夢想であって、そのことはバルト自身が何度も念を押している。

 禅や老荘をもちあげているといっても、バルトはフリッチョフ・カプラのように東洋神秘主義に淫しているわけではない。バルトが公案の突飛な戦略になみなみならぬ関心をいだくのは西洋の抑圧的な思考から逃れるためであって、東洋に真理が隠れているなどというニューエイジの物理学者のようなナイーブな期待はもっていないのだ。

 だから、バルトは無我の境地を実体化したり崇めたてまつったりはしない。公案はあくまでずらしであり、言語体系の揺さぶりであって、真理に通じる道ではない。公案で獲得した自由は西洋的自我を相対化するために用いられる。バルトはヴァレリーの『テスト氏』について語っている。

今日ヴァレリーの作品において時代遅れのようにみえるのは、自我である。というのも、自我が心理的(観念論的)実体とみなされているからだ。しかし実際には、ヴァレリーは自我を一つの異常、異常性として扱っている→テスト:流行ではこの主知主義的錯乱を理解できないために、ますます周辺的に見える、極度の周辺性の記述→絶対的に、反画一主義の本。わたしが話そうとしている意識、そしてテスト氏のなかには、完全に魔法にかけられたような自我との関係、自我による捕獲がある。

 バルトは自我の権化とされてきたテスト氏を自我の脱構築として評価しているのである。

 さて、いよいよ第二の<中性>である。当初、バルトが講義で語ろうとしたのは言語体系をやりすごし、アイデンティティのくびきをすりぬけるような<中性>だった。ところが母の死を経験して、そうした<中性>の背後に別の<中性>が垣間見えるようになったという。

 バルトはそれをパゾリーニの「ある絶望的な活力」という詩とダンテの『新生』を引きながら、生きる意欲と区別された「生命力」と表現している。それが何かは三年目の講義『小説の準備』を待たなければならない。

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2010年03月28日

『いかにしてともに生きるか ―コレージュ・ド・フランス講義 1976-1977年度』 バルト (筑摩書房)

いかにしてともに生きるか ―コレージュ・ド・フランス講義 1976-1977年度 →bookwebで購入

 フランスにはコレージュ・ド・フランスという毛色の変わった学校がある。入学試験も卒業証書もなく、知的好奇心のある人は誰でも無料で自由に受講できるのだ。

 というと市民講座のようなものかと思うかもしれないが、市民講座とは格が違う。創立は1530年でフランソワ一世の時代。教授陣は世界的に名の知られた学者で、最近ではレヴィ=ストロース、ミシェル・フーコー、ジャック・モノーがいた。ちょっと前だとメルロー=ポンティ、レイモン・アロン、ポール・ヴァレリーがいたし、歴史をさかのぼればキュリー夫人の夫のジョリオ・キュリーやミシュレもそうだった。市民サービスなどは一切考えずに、世界最高の学者が最先端の研究成果を世に問う場所なのである。

 コレージュ・ド・フランスの教授になることはその分野でフランス最高の権威と認められるに等しいが、面白いのはアカデミズムと微妙に対立関係にあることだ。

 たとえば、ベルクソンである。ベルクソンは20世紀前半を代表する哲学者だったが、アカデミズムの世界では長らく異端あつかいされ、ソルボンヌでは教授になれなかった。そのベルクソンを教授にむかえたのがコレージュ・ド・フランスなのである。

 コレージュ・ド・フランスとアカデミズムとの微妙な関係は設立の経緯から来ているのかもしれない。コレージュ・ド・フランスの前身はフランソワ一世が1530年に設立した王立教授団だが、フランソワ一世はレオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンであったことからもわかるようにルネサンスの自由な学問を保護した開明的な君主であり、王立教授団の創設には教会と結びついたソルボンヌの権威を削ごうとする狙いがあった。王権によって教権と対抗する権威を作りだそうとしたのである。

 ロラン・バルトはミシェル・フーコーの推挙でコレージュ・ド・フランス教授に選ばれ、1977年1月から亡くなるまでの4年間「文学記号学」の講義とセミナーを主宰したが、彼にとってはコレージュ・ド・フランス教授が一番おさまりのいいポストだったかもしれない。

 バルトは大学院大学にあたる高等研究院の教授としてアカデミズムの一角に地位を占めていたが、大学教授資格アグレガシオンも博士号ももっていなかった(フランスでは大学で教えるにはアグレガシオンが必要)。だから院生しか教えることができないのに、博士論文の指導はできないという中途半端な立場だった。さらにまた『ラシーヌ論』をめぐるバルト=ピカール論争のしこりもあった。

 アグレガシオンをとれなかったのは20代を結核療養所ですごしたからだが、博士号をとらなかったのは自分の選択だった。バルトは『モードの体系』を博士論文として書きはじめたものの、途中で論文のスタイルで書くことに嫌気がさし、彼一流の文体で書き直してエッセイとして出版した。記号学の大きな成果が退屈な論文調ではなく、ちょっとお洒落な、きびきびした名文で書かれたのは読者にとっては幸いだったけれども。

 バルトのコレージュ・ド・フランス教授就任は文学的な事件だった。文壇のスーパースターになっていたバルトの講義を聞こうと世界中から聴衆が押し寄せ、一番大きな教室でもはいりきらず、もう一つの大教室に急遽スピーカーを設置する破目になった(二教室体制は最後までつづいたそうだ)。

 1977年1月7日におこなわれた開講講義はすぐに出版され、『文学の記号学』として邦訳されているが、本講義の方は遺族の意向でCD版が出たのみで活字化はされていない(現在入手可能なのはCD-ROM版。なお、権利関係が不明なのでリンクはしないが、ネットを探せばmp3で公開しているサイトがある)。

 ところが2002年になって講義ノートの出版が許され、三巻本として上梓された。本書はその第一巻の邦訳であり、1977年1月12日から5月4日までの初年度の講義14回分のノートをおさめる。

 バルトの講義は流れるようで即興で喋っているようだったというが(録音を聞いた印象もそうである)、実際は綿密にノートをつくってほぼ原稿通りに読みあげ、脱線や余談はあまりなかったそうである(邦訳では脱線や余談は訳注で補われている)。

 初年度のテーマは「いかにしてともに生きるか」で、アトス山の独居修道士の生活を紹介したラカリエールの著書に触発されたものだという。講義は23の断章にわかれ、Akèdia(虚脱状態)から Xéniteia(異国での滞在)までアルファベット順に並べられている(当初13回の予定が14回になったので、最後の断章は Utopia だが)。

 修道院というと厳格な規則と時間割でがんじがらめにされ、窮屈な共同生活を営むところと決まっているが、そのような修道院(共住修道院)ができたのは四世紀末にすぎない。それ以前の修道士は山の洞窟や砂漠、矌野で独居生活をおくり、一人孤独のうちに神とむきあっていた。バルトは書いている。

一切が4世紀に決せられたことがわかるだろう。少なくともこの年代をおさえておくことで、事態がはっきり理解できるという印象がある。独居修道生活を一新するものとしての共住修道院は、キリスト教を迫害される(殉教者たちの)宗教から国家の宗教へ、つまり「非=権力」(無権力)から「権力」へと移行させた逆転とまったく同時代のものなのである。テオドシウス帝の勅令の年、380年は、ひょっとしたら私たちの属する世界の歴史において最も重要な年(そして隠蔽された年、なにしろ誰も知らないのだから)かもしれない。

 アトス山には独居修道士の伝統が残っており、普段は一人で修道生活を送り、週一回集まって共同で儀式をおこない、一週間の手仕事の成果と引換に食物など生活必需品を受けとるというゆるい信仰共同体が維持されている。バルトはこのゆるやかな関係を「イデォリトミー」と呼んでいる。

野生のイデォリトミー(エジプト、アントニオス):いかなる組織もなし。唯一の共同体的行為:毎週の共同儀式、仕事(ござ)とパンの直接交換。この野生状態は、官僚制度が存在せず、国家権力の萌芽も、個人と小グループのあいだの物象化、制度化、モノ化されたいかなる関係も存在しないことによって厳密に定義づけられる。
共修制の誕生:相接して同時に、ごく萌芽的なものとはいえ、官僚制装置の誕生。執行部:週番制。

 バルトは多分に理想化されたこのイデォリトミーという概念を縦糸にして、抑圧をともなわない共同体が可能なのかをトーマス・マンの『魔の山』 、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』、サドの『ソドムの百二十日』、ゴールディングの『蠅の王』、ジッドの『ポワチエの監禁された女』などを材料に考察していく。

(最後の『ポワチエの監禁された女』は未読だが、実の母に25年間監禁されつづけた女性の話で、1901年に実際にあった実話にもとづいている。監禁されていた女性は監禁が長期にわたった結果、監禁状態を受けいれてしまい、救出を拒否するまでになっていたという。)

 本書を読みながら、わたしは安部公房のことを思っていた。そして、なぜここで『砂の女』や『友達』にふれないのだろうとやきもきした。

 まったく言及していないところをみると、バルトは安部を読んだことがないのだろうが(日本贔屓のバルトのことだから、読んでいたら言及したはずである)、バルトの講義は安部公房的な問題圏を何度も横切っているのだ。

 バルトは1876年にマラルメ、マルクス、ニーチェ、フロイトがスイスで出会う可能性について語っているが、わたしはバルトと安部公房のありえたかもしれない出会いの方が気になった。もし安部公房と出会っていたら、この講義はもう一段深いものとなっていただろう。

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2009年12月31日

『哲学史講義』上中下 ヘーゲル (河出書房新社)

哲学史講義 上巻
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哲学史講義 下巻
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 哲学史をまとめて読んでいるうちに哲学が発展していくというストーリーに異和感をもつようになり、発展臭さがあまりない堀川本熊野本や年表形式で発展ストーリーと無縁な『年表で読む哲学・思想小事典』を新鮮に感じるようになった。

 岩崎本の序論にあるように、哲学の歴史を単なる列伝ではなく理性の発展の歴史としてとらえ、一つの学問にしたのはヘーゲルである。発展ストーリーの是非を考えるなら、どうしても張本人のヘーゲルの哲学史に当たらなければならないだろう。

 幸いヘーゲルの『哲学史講義』にはわかりやすいと評判の長谷川宏訳がある。前から読みたいと考えてきたが、この機会に読んでみることにした。上中下三巻、総ページ数1350ページ余の大冊で、なんとか最後まで読み終わった。

 確かにヘーゲルの本とは思えないくらい読みやすいが、それでも難物であることに変わりはない。

 『哲学史講義』は三つの部分からできている。

  1. 哲学者の伝記
  2. 哲学者の思想内容
  3. 発展段階の概観

 伝記部分は要するに伝記だからすらすら読める。発展段階の概観も尾根から見はるかす部分なのでわかりやすい。問題は思想内容で、絡みあった藪を山刀で打ち払い、かきわけていくような体力勝負だ。

 山刀が必要になるのはヘーゲル論理学の用語が蔓のように絡まりあっているからである。「否定」や「抽象的」、「概念」といった言葉がしきりに出てくるが、これらはすべてヘーゲル語であって、普通の「否定」や「抽象的」、「概念」ではない。他人の思想内容を無理矢理自分の用語で絡めとろうとしているのだから、もとの思想の難解さにヘーゲル論理学の難解さがくわわる。しかし、もとの思想の知識があればヘーゲル論理学の思考パターンが透けて見えてくるという利点がある。特に哲学史の本をまとめて読んだ後だったので、思ったよりも理解しやすいという印象があった。

 たとえば運動を否定したゼノンのパラドックスの条で運動とは「否定性と連続性の統一」という、いかにもヘーゲル的な表現が出てくる。このままではわけがわからないが、ちょっと先で次のように敷衍されている。

 わたしたちが一般に運動について話すとき、わたしたちは、物体がある場所にあり、つぎにはべつの場所にあるという。が、運動している物体はもはや第一の場所にはないし、いまだ第二の場所にもない。どちらか一方にあるとすれば、それは静止していることになる。二つの場所のあいだにある、というのも正確ないいかたではない。二つの場所のあいだのある場所にあることになって、おなじ困難が生じるからです。だが、運動するということは、この場所にあると同時にこの場所にないことである。それが空間および時間の連続性ということであり、それによってはじめて運動が可能になるのです。

 この説明がゼノンのパラドックスの解決になっているかどうかはともかくとして、ヘーゲル論理学のわかりやすい説明になっているのは御覧のとおりだ。

 ヘラクレイトスの「なる」を説明した条でははからずもヘーゲル論理学の核心を語っている。

 「なる」はまだ抽象的なものですが、しかし同時に具体への第一歩、すなわち、対立する観念の最初の統一体です。対立する存在と非存在は、「なる」という関係のなかでは静止せず、生き生きとうごくことを原理とします。……中略……だから、ヘラクレイトスの哲学は過去の哲学ではない。その原理はいまも不可欠で、わたしの『論理学』でも、はじまりのところ、「存在」と「無」のすぐあとに位置をしめています。「ある」(存在)と「あらぬ」(非存在)は真理なき抽象概念であり、「なる」こそが第一の真理だ、ということを認識するには、大きな洞察力が必要です。分析的思考は、「ある」と「あらぬ」をべつべつにして、どちらも真にして有効なものと考えます。ところが、理性は一方のうちに他方を、一方のうちに他方がふくまれることを認識し、――こうして、絶対的な全体は「なる」と定義されるのです。

 ヘーゲルは「真理とは、「なる」過程のこと」という言い方もしている。ヘーゲル論理学というか、ヘーゲル弁証法を勉強したいなら『論理学』より本書の方がはるかにとっつきやすいかもしれない。

 ここで目次を掲げておく。まず、上巻。

序論

  1. 哲学史とはなにか
  2. 哲学史と哲学以外の領域との関係
  3. 哲学史の時代区分、資料、論じ方

東洋の哲学

  1. 中国の哲学
  2. インドの哲学

第一部 ギリシャの哲学

はじめに
七賢人
時代区分


第一篇 タレスからアリストテレスまで

第一章 タレスからアナクサゴラスまで

  1. イオニアの哲学
  2. ピタゴラスとピタゴラス派
  3. エレア学派
  4. ヘラクレイトスの哲学
  5. エンペドクレス、レウキッポス、デモクリトス
  6. アナクサゴラス

第二章 ソフィストからソクラテス派まで

  1. ソフィストの哲学
  2. ソクラテスの哲学
  3. ソクラテス派

 哲学史とはなにかを論じた条は一番面白かった。ヘーゲルによれば「哲学史の全体が内部に必然性のある一貫したあゆみ」であり、「哲学史上のどの哲学も必然的なものであったし、いまなお必然的なものであり、したがって、どれ一つとして没落することなく、すべてが一全体の要素として哲学のうちに保存されている」としている。ただ、こういうことが言えるのは自己展開する絶対精神を認めた場合のことである。

 東洋の哲学を論じた条はずっと興味があったが、東洋を頭から幼稚と決めつけている上に、ブッダと老子を混同していてがっかりした。知らないことは書かなければいいのに、世界のすべてを理解しなければならないという強迫観念がヘーゲルらしいところだろうか。

 「第一章 タレスからアナクサゴラスまで」はヘーゲル流の発展ストーリーで完全制圧していて、本人としては得意なのだろう。

 「第二章 ソフィストからソクラテス派まで」のソクラテスを論じた条は自己へかえっていく意識と共同体が視野にはいってくる。『精神現象学』ではどうなっていただろうか。

 意外だったのは『雲』でソクラテスを笑いものにしたアリストファネスを「冗談の底にはまじめなポリスへの思いが横たわっている」と絶賛していることだ。『雲』は読んだことがあるが、そんな高級な喜劇ではない。

 次は中巻である。

第一部 ギリシャの哲学


第一篇 タレスからアリストテレスまで(つづき)

第三章 プラトンとアリストテレス

  1. プラトンの哲学
  2. アリストテレスの哲学

第二編 独断主義と懐疑主義
  1. ストア派の哲学
  2. エピクロスの哲学
  3. 新アカデメイア派の哲学
  4. 懐疑派の哲学

第三編 新プラトン派
  1. フィロン
  2. カバラとグノーシス主義
  3. アレクサンドリア派の哲学

 プラトンの条は力がこもっているのはわかるが、かなり無理があるのではないか。『エンチクロペディ』よろしく「弁証法」、「自然哲学」、「精神の哲学」にわけて論じており、「弁証法」を代表する作品として『ピレポス』、『ソフィスト』、『パルメニデス』、「自然哲学」を代表する作品として『テアイテトス』、「精神の哲学」を代表する作品として『国家』を論じている。この中では『国家』しか読んだことがないので「弁証法」と「自然哲学」は留保するが、プラトンの理想国家批判はいかにもヘーゲルである。

 すなわちプラトンの国家観はギリシアの発展段階(個の原理が確立せず、共同体の原理こそがすべての基礎をなす)にもとづくもので「どんな人も自分の時代をとびこえることはできない」のだから、近代的な視点から批判するのは見当はずれな見解をうむだけだというのだ。

 そう言いながらも、こう批判している。

 そもそも一つの理想が理念ないし概念の力によって真なる内容をもつとき、それは幻ではなく、真理です。そして、そのような理想は余計なものでも無力なものでもなく、現実的なものです。真の理想は実現されるべきものではなく、現実そのものであり、唯一の現実である。――そのことが第一に信じられなければなりません。ある理念が実現するには立派すぎるとすれば、それは理念そのものにいたらないところがある。プラトンの国家が幻であるとすれば、それはその国家をうけいれるほどには人類が立派ではないからではなく、立派に見える国家が人類にとって欠けるところがあるからです。

プラトンをうまくヘーゲル化できなかったので、面倒くさくなって滔々と自説を開陳したということだろうか。

 アリストテレスも『エンチクロペディ』に準じた論じ方をしているが、こちらはプラトンの条よりも無理がなく、説得力があるように感じた。

 「第二編 独断主義と懐疑主義」と「第三編 新プラトン派」は読んだことのない哲学者ばかりだが、発展ストーリーにうまくはまっていると思った。専門家の評価は別かもしれないが。

 中巻を読むのは骨だったが、下巻は一番面白かった。まず、目次。

第二部 中世の哲学

はじめに

第一篇 アラビアの哲学
  1. 議論派の哲学
  2. アリストテレスの注釈家たち
  3. ユダヤ人の哲学者たち

第二篇 スコラ哲学
  1. スコラ哲学とキリスト教の関係
  2. 歴史的概観
  3. スコラ派全体の一般的立場

第三篇 学問の復興
  1. 古代研究
  2. 哲学独自のこころみ
  3. 宗教改革

第三部 近代の哲学

はじめに

第一篇 ベーコンとベーメ
  1. フランシス・ベーコン
  2. ヤコブ・ベーメ

第二篇 思考する知性の時代

第一章 形而上学の時代

  1. 第一部門(デカルト、スピノザ、マルブランシュ)
  2. 第二部門(ロック、グロティウス、ホッブス、カドワース、プーフェンドルフ、ニュートン)
  3. 第三部門(ライプニッツ、ヴォルフ、通俗哲学)

第二章 移行期

  1. 観念論と懐疑主義(バークリー、ヒューム)
  2. スコットランド派の哲学(リード、ビーティ、オズワルド)
  3. フランスの哲学

第三篇 最新のドイツ哲学
  1. ヤコービ
  2. カント
  3. フィヒテ
  4. シェリング
  5. むすび

 「第二部 中世の哲学」の「はじめに」では原罪の意外な解釈が出てくる。ヘーゲルは「人間が生まれつき悪だ」というのは苛烈すぎるとし、こう述べている。

 原罪の観念をわたしたちのことばでいえば、人間のうまれつきの素朴なありかたは、神を前にした本来のありかたとはちがうもので、本来のありかたを実現しなければならないことが、まさに原罪を負っていることです。

 まさか智慧の林檎を食べたのは人間の本来の姿からの逸脱だと言っているわけではないだろうが、思いきったことを言うものだ。

 「第一篇アラビアの哲学」は固有名詞の羅列で終わっているが、近世西洋哲学の発展がアラビア哲学に負っていることをいち早く認めていたことだけでも評価すべきかもしれない。

 「第二篇スコラ哲学」では形式論理に終始したスコラ哲学を徹底的に罵倒しているが、注目すべきはスコラ哲学を生んだのはゲルマン民族の民族性だとしている点だ。ヘーゲルは自らもその一員であるゲルマン民族の野蛮さをこきおろすが、そこには後段につながる伏線が仕こまれている。

 この民族[ゲルマン]のうちには無限の苦痛、途方もない苦悩がうずまいていて、そのありさまは十字架上のキリストにも比すべきものです。かれらはこのたたかいをもちこたえねばならなかったので、たたかいの一面をなすのが哲学ですが、最初は外からおそいかかった哲学が、やがて精神の内部に位置づけられる。この未開民族は野蛮な鈍感さをしめしつつも、心や心情には深いものがあって、そこに精神の原理がはいりこむと、精神と自然のたたかいがどうしてもはげしい苦痛をもたらさないではすまない。

 ゲルマン民族が内包し、苦しんでいた矛盾から宗教改革と近代哲学が立ち上がってきたという見立てがヘーゲルの哲学史の肝になっているようである。

 野蛮で愚鈍だが、内心に敬虔な魂をもったゲルマン民族の代表者としてヘーゲルが最大の評価をあたえているのはベーメである。ベーメは「はじめてのドイツの哲学者」とされ、ベーコンやデカルトと同格かそれ以上に重く位置づけられている。Ich(わたし)と Nichts(否)にひっかけた Ichts という造語を堕天使ルチフェルとからめて考察した条は鬼気迫るものがあり、シェリングの『人間的自由の本質』に通ずるものがある。

 デカルトのことは千年の迂回の後に「哲学の土台をあらたにつくりだした英雄」と持ちあげているが、主体への回帰を評価しているだけで本心ではそんなに買っていないのではないか。

 意外だったのはスピノザに対する冷たい扱いである。近代哲学の中心に位置するとか、スピノザ主義にあらずんば哲学にあらずと書きながら、冷たく突きはなした書き方になっていて、ベーメに対する熱っぽい語り口とは対照的である。

 デカルトやスピノザに較べれば、英国の経験論者の方が共感をこめて語られている。ヘーゲルはベーコンを思いのほか買っているし、ロックに対しては罵詈雑言を浴びせる一方で個体性への注目を評価している。デカルトやスピノザが独断論的なのに対し、ベーコンやロックは外物にぶつかり、格闘し、乗り越えるという「経験」を重視しているからだろう。

 「第三篇 最新のドイツ哲学」はカントからフィヒテ、シェリングにいたるドイツ観念論を論じており、ヘーゲル哲学史の白眉というべき部分である。勝利者の傲慢さか、はっきり言って上から目線で書いている面がなきにしもあらずだが、先輩哲学者に真剣勝負を挑んでいて、思想のドラマの大団円をみる思いがする。

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『年表で読む哲学・思想小事典』 フォルシェ- (白水社)

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 哲学史関係の記事を年代順にならべた「読む事典」で、紀元前2300年頃のエジプト神学の誕生からドゥルーズ=ガタリの最後の共著『哲学とは何か』(1991)までをカバーしている。

 書店で本書を手にとった時、たまたま開いたのが529年にユスティアヌス帝がアカデメイアを閉鎖させた記事だった。そこにはこうあった。

 この年は古代哲学が終わりを告げる象徴的な年となる。
帝国のまとまりを維持するためには、宗教的統一が必要であった。そこで皇帝は、反キリスト教的なギリシア哲学者たちに対して教育活動を禁止した。彼はギリシアの方々の哲学学校を閉校させ、その後それらの財産を没収した。
ダマスキオス、シンプリキオス、エウラミオス、プリスキアノス、ヘルミアス、ディオゲネス、イシドロスといった六人の哲学者たちはペルシアに亡命し、五三二年にはメソポタミアのハランに定住した。この地はその後、イスラーム文化に対する〔ギリシア哲学の〕中継基地の役割を果たすことになる。

 6世紀にアカデメイアが900年余の歴史を閉じたことは知っていたが、それがユスティアヌス帝の哲学禁止令の一環であり、アカデメイア以外の哲学学校も閉鎖されていたとは知らなかった。しかも哲学者たちがペルシアに亡命してイスラム圏に哲学を移植したことまで書いてある。これは「買い」だと思った。

 原著はフランスのクセジュ文庫から古代・中世篇と近代篇の二分冊で出ているが、日本版は一冊にまとめ、堅牢なハードカバーで出た。値段ははるが、手もとにおいて長く使うにはこの方がありがたい。

 西洋哲学だけでなく、東洋やイスラム圏、ビザンチン圏の思想・宗教上の事件や世界史的な事件も載っている。ぱらぱらめくって拾い読みしていたが、面白くてつい何ページもつづけて読んでしまう。たとえば、アナクシマンドロスが謎めいた言葉を書きつけた頃、ペルシアではゾロアスター教が開教され、イスラエルでは第二イザヤの「主の僕の歌」や『ヨブ記』が書かれていた。中国で孔子が諸国を遊説していた頃、ギリシアではアイスキュロスやソフォクレスが悲劇を書いていた。ストアのゼノンがストア派を創始した頃、アレクサンドリアでは図書館の建設がはじまり、七十人訳聖書が翻訳されつつあった。

 錯覚にも気づかせてくれる。ストア派は普通の哲学史だとエピクロス派とこみでオマケのように語られるだけだが、本書にはストア派関係の項目が頻出し、紀元前3世紀から紀元後2世紀まで500年以上つづいた一大思想運動だったことがわかる。

 新プラトン派は教父哲学の前が定位置なので、プロティノスはキリスト教以前の人のように思いこんでいたが、なんとオリゲネスよりも後だったのである。ということはグノーシス主義よりもずっと後だ。グノーシス主義は新プラトン派の影響を受けたように書いた本があるが、そんなことはありえないのだ。

 ここで目次を紹介しておく。

第1章 哲学の創始者たち

  1. <始まる>ということの意味の問題
  2. 場所の問題―哲学はどこで始まったのか
  3. 目安となる時代
  4. 年代確定の問題―哲学の重要な創始者たち

第2章 理性の時代


第3章 大転換

  1. 歴史的遠近法による転換
  2. 古代の連続性

第4章 再開と再生の時代

  1. 中世は<暗黒時代>なのか、<未知の時代>なのか
  2. 中世の年代確定の問題―輪郭の揺らぐ中世
  3. 場所の問題―哲学は各地を放浪する

第5章 ルネサンス哲学―実り多いが曖昧な時期


第6章 古典期の哲学


第7章 啓蒙の時代


第8章 十九世紀―哲学と科学


第9章 哲学の二十世紀

 熊野本岩崎本を読んで、発展ストーリーで整理することに疑問をもったが、本書を読んでいくと発展ストーリーが多くの錯覚をうむということがよくわかる。本書は哲学史にありがちな錯覚を避ける上でも役に立つ。

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2009年12月30日

『西洋哲学史』 岩崎武雄 (有斐閣全書)

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 学生時代に読んで感銘を受けた本である。本書は1952年に初版が出て以来、半世紀以上にわたって版を重ねているロングセラーであり、簡にして要を得た哲学史として定評がある。今回、書店で健在なことを発見し、おおと声をあげた。

 本書は1961年と1975年に改訂されているが、1975年改訂では冒頭に「哲学史とは何か」という序論が追加されている。わたしは熊野純彦氏の『西洋哲学史』の感想を書いた際、哲学には発展などということがあるのかという疑問を述べたが、本書の序論はまさにこの問題をあつかっているのである。

 岩崎はヘーゲルによってはじめて哲学史は学問になったと認める一方、絶対精神の展開というヘーゲル流の形而上学を捨て去っても「なおかつ哲学史のうちに哲学思想の展開を見ることができるのみならず、むしろそう見るべきではないかと考える」と断言する。核心部分を引けばこうである。

 哲学者自身がたとえそれ以前の哲学と対決するという意識を持たず、ひたすら自己の思索によって新しい哲学思想を持つにいたったとしても、もしその新しい哲学思想が何らかの時代的意義を持つものでないとしたら、すなわちそれがそれ以前の哲学思想の持つ限界を乗り越えるという意味を持っていないとしたら、それは多くの人々にその意義を認められることはないであろう。そしてまた哲学史のうちに残ることもなく消えてしまうであろう。……中略……私はもとより哲学史上における思想の展開が論理的に必然的なものであったということを主張しようとするものではないが、少なくとも哲学史上に残ってくる哲学はそれ以前の哲学の限界を何らかの意味で越えてゆくという意味を持っているのであり、この意味で哲学史のうちには一貫した思想の展開が存すると考えるのである。

 岩崎の考え方を一言でいえば適者生存説の哲学版になるだろう。後世に残った哲学は残らなかった哲学を「越えている」というが、この場合の「越える」ことは前代の思想を否定しつつ保存することだとは限らない。前代の思想とはまったく無関係な思想が残ったら、それまでの伝統は途切れてしまう。後代の思想がそれまでの思想を内側に保持しつづけないとしたら、単なる流行の交代であって発展とはいえないだろう。絶対精神抜きの哲学史は成立するのだろうか。

 発展史観の問題は釈然としないが、今回岩崎本を読みかえして気がついたことがある。

 まず、目次を示そう。

序論 哲学史とは何か


第1編 古代哲学

第1章 創始期の哲学
  1. ミレトス学派
  2. エレア学派およびヘラクレイトス
  3. ピュタゴラス学派および多元論者
第2章 アテナイ期の哲学
  1. ソフィスト
  2. ソクラテス
  3. プラトン
  4. アリストテレス
第3章 ヘレニズム・ローマ時代の哲学

第1期 倫理時代

  1. ストア学派
  2. エピクロス学派
  3. 懐疑派

第2期 宗教時代

  1. ピロン
  2. 新プラトン学派

古代哲学の概観


第2編 中世哲学

第1章 教父哲学
  1. 護教家
  2. アレクサンドリアの学校
  3. アウグスティヌス
第2章 スコラ哲学
  1. 初期のスコラ哲学
  2. 中期のスコラ哲学
  3. 後期のスコラ哲学

中世哲学の概観


第3編 近世哲学

第1章 過渡時代の哲学
  1. 文芸復興期の哲学
  2. 自然科学確立期の哲学
第2章 17世紀の哲学
  1. デカルト
  2. ホッブス
  3. スピノザ
第3章 啓蒙時代の哲学
  1. ライプニッツおよびヴォルフ
  2. ロック
  3. バークリ
  4. ヒューム
第4章 カントの哲学
第5章 ドイツ観念論の哲学
  1. フィヒテ
  2. シェリング
  3. ヘーゲル
第6章 ヘーゲル以後の哲学

第1期 19世紀前半の哲学

  1. ショーペンハウアー
  2. ヘルバルト
  3. フォイエルバッハ
  4. コント

第2期 19世紀後半以降の哲学

  1. 実証主義的傾向
  2. 批判主義的傾向
  3. 非合理主義的傾向

近世哲学の概観

 波多野精一の『西洋哲学史要』の目次と比較してみるとわかるが、両者はよく似ているのである。新カント派時代の哲学史という大枠が共通している以上、似てくるのは当たり前だが、古代と中世の部分ではドゥンス・スコトゥスの条のように論旨の運びまで似ている箇所があったり、グノーシス主義のように見出しだけで実質的な中味のとぼしい箇所があったりする。

 プラトンとアリストテレスについては掘りさげた考察がおこなわれているが、古代編と中世編のそれ以外の話題については岩崎本は波多野本の強い影響下で書かれたらしい。

 もっとも本書の本領は近世編にあり、とりわけカントからヘーゲルにいたるドイツ観念論を祖述した条は岩崎本の独擅場で、今回読み直して多くを教えられた。ドイツ観念論をこんなにわかりやすく、魅力的に紹介した本は他に思いつかない。

 進化史観できれいにまとまりすぎているという印象はなくはないが、本書は伝統的な哲学史としてはもっとも完成度の高い本ではないかと思う。今後も哲学史の古典として長く読みつがれていくだろう。

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『西洋哲学史』上 熊野純彦 (岩波書店)
『西洋哲学史』下 熊野純彦 (岩波書店)

西洋哲学史 上巻
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西洋哲学史 下巻
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 ヘーゲルは『哲学史講義』の最初の部分で哲学史は単なる私見の陳列室であってはならず、発展する体系でなければならないと述べているが、ヘーゲル的な絶対精神が説得力を持たなくなった今日、発展ストーリーで整理する方がおかしくはないだろうか。

 哲学史ではヒュームの懐疑論に答えるためにカントが超越論哲学を編みだしたとか、カントの二元論を克服するためにフィヒテ、シェリングをへてヘーゲルが登場したというようなストリーが語られるが、ヒュームの提起した問題は本当にカントによって解決されたのだろうか。ヘーゲルの弁証法はカントの二元論を止揚したのだろうか。すくなくともカントによってヒュームが不要になったわけでも、ヘーゲルによってカントを読む意味がなくなったわけではないだろう。

 そもそも哲学の発展などということがありうるのだろうか。もし発展がないなら、歴史上の学説を陳列しただけの哲学史こそが望ましいのではないか。

 熊野純彦氏の『西洋哲学史』を読みながら、そのような疑問が頭に浮かんだ。

 急いでお断りしておくが、熊野氏は哲学には発展はないなどという暴論を主張しているわけではない。熊野氏の本はいい意味で陳列室的な哲学史なので、私が勝手に上記のような妄想をめぐらしただけである。

 熊野本が陳列室的だというのは二つの理由による。まず、新書判で上下巻あわせて500ページという限られた分量なのに、50人近い哲学者を原典のさわりを引用しながら紹介している点。

 概念的な説明だけだったら発展しているように見えたかもしれないが、原典の引用が並ぶと、それぞれが哲学史上の名だたる本だけに存在感が強烈で、とても発展の図式にはおさまりきらないのである。

 第二に学説の紹介にあたり、同時代の文脈から説明するだけでなく、時代を越えた反響にまでふれている点。

 ヘラクレイトスの条ではヘーゲルのヘラクレイトス解釈が引かれているし、古代原子論の提出した真空の問題ではデカルトとガッサンディの真空論争が言及されている。アンセルムスの神の存在論的証明ではデカルトやカント、ヘーゲルだけでなく、フレーゲの二階述語論理まで呼びだされる。ドゥンス・スコトゥスでは「想像的誤読」と断った上でだが、ドゥルーズの存在の一義性をめぐる議論が紹介されている。

 熊野本は一見バランスのとれた優等生的な哲学史に見えるが、中味を読んでみるとスリリングな刺激的な本である。

 ここで目次を紹介しよう。まず、上巻。

古代から中世へ

第1章 哲学の始原へ
タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス
第2章 ハルモニアへ
ピタゴラスとその学派、ヘラクレイトス、クセノファネス
第3章 存在の思考へ
パルメニデス、エレアのゼノン、メリッソス
第4章 四大と原子論
エンペドクレス、アナクサゴラス、デモクリトス
第5章 知者と愛知者
ソフィストたち、ソクラテス、ディオゲネス
第6章 イデアと世界
プラトン
第7章 自然のロゴス
アリストテレス
第8章 生と死の技法
ストア派の哲学者群像
第9章 古代の懐疑論
メガラ派、アカデメイア派、ピュロン主義
第10章 一者の思考へ
フィロン、プロティノス、プロクロス
第11章 神という真理
アウグスティヌス
第12章 一、善、永遠
ボエティウス
第13章 神性への道程
偽ディオニシオス、エリウゲナ、アンセルムス
第14章 哲学と神学と
トマス・アクィナス
第15章 神の絶対性へ
スコトゥス、オッカム、デカルト

 「ハルモニアへ」では万物流転はミレトス学派の共通の前提だという指摘がある。「知者と愛知者」ではソクラテスは「無知の知」を主張したことはなく、そもそも「無知の知」は論理的におかしいという見方が有力だとある。「生と死の技法」ではストア派の論理学の現代性にふれている。

 「古代の懐疑論」はあまりとりあげられることのないマイナーな哲学者の話で面白かった。「神という真理」ではデカルトの方法的懐疑の原型がアウグスティヌスにすでにあると指摘し、さらに時間論について踏みこんだ解説をくわえている。

 「一、善、永遠」はボエティウスを詳しく紹介していて、上巻では一番面白かった。「哲学と神学と」はトマス・アクィナスをあつかった章だが、アリストテレスの『霊魂論』の能動知性説をめぐる論争が興味深かった。「神の絶対性へ」ではオッカムよりもスコトゥスを大きくとりあげている。最近はスコトゥスの方が評価が高いようである。

 次は下巻である。

近代から現代へ

第1章 自己の根底へ
デカルト
第2章 近代形而上学
スアレス、マールブランシュ、スピノザ
第3章 経験論の形成
ロック
第4章 知識への反逆
バークリー
第5章 モナド論の夢
ライプニッツ
第6章 経験論の臨界
ヒューム
第7章 理性の深淵へ
カント
第8章 言語論の展開
コンディヤック、ルソー、ヘルダー
第9章 自我のゆくえ
マイモン、フィヒテ、シェリング
第10章 同一性と差異
ヘーゲル
第11章 批判知の起源
ヘーゲル左派、マルクス、ニーチェ
第12章 理念的な次元
ロッツェ、新カント学派、フレーゲ
第13章 生命論の成立
ベルクソン
第14章 現象の地平へ
フッサール
第15章 語りえぬもの
ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、レヴィナス

 「経験論の形成」ではロックの想定した論敵はデカルトではなく、ケンブリッジ・プラトン主義者だったという指摘し、生得観念やタブラ・ラサ説に話をつなげている。「モナド論の夢」ではライプニッツと易経の関係までふれている。

 「知識への反逆」はバークリー論だが、下巻ではここが一番面白かった。「経験論の臨界」ではドゥルーズのヒューム解釈が俎上に載せられている。

 「言語論の展開」は啓蒙主義時代をあつかうが、よくある百科全書とか英国かぶれといった視点ではなく、当時流行した言語起源論という視点が新鮮だ。バークリー論とともに下巻の白眉だろう。

 「自我の行方」はフィヒテとシェリングをあつかった章だが、この両所よりもマイモンというリトワニア出身のユダヤ人哲学者の方に紙幅をさいている。ドイツ観念論という難物をあつかうにしては分量が短すぎて何がなんだかわからない。もっと詳しい解説が読みたい。

 「理念的な次元」はフレーゲの数学基礎論の仕事にふれている。最後の章の「語りえぬもの」ではハイデガー、ウィトゲンシュタイン、レヴィナスにくわえてデリダまで出てくるが、この長さでは無茶である。

→上巻

→下巻

『エピソードで読む西洋哲学史』 堀川哲 (PHP新書)

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 哲学者には奇人変人が多く、紀元前三世紀には珍奇なエピソードを集めたディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』のような無類に面白い本まで書かれたが、本書はもしかしたらその近代版を意識したのかもしれない。堀川哲氏はデカルトから現代のリチャード・ローティまで、30人以上の哲学者の学説と肩の凝らないのエピソードを平明な語り口で披露している。

 もちろん哲学者は最終的には残した著作で判断されなければならないが、本書のようにどうやって食べていたか、どんな学校で勉強したかにこだわって見ていくと、通常の哲学史では切りおとされているものがいろいろ見えてくるのである。

 デカルトはラ・フレーシ学院というイエズス会がやっていた全寮制のエリート校で勉強したが、生来体が弱く、学院長が親族だったこともあって、朝寝坊してよい特権があたえられた。若い頃、軍隊にはいったが、無給士官というお客様待遇だったので、費用一切を自分で賄うかわりに戦闘義務がなく、朝寝坊の習慣もつづけることができた。デカルトは母親から一生困らないだけの財産を受け継いだが、その財産をすべて現金に換え、当時経済大国だったオランダで投資をした。今でいう財テクである。デカルトは朝寝坊の生活をつづけたが、晩年、名声が災いしてスウェーデン宮廷に強引にまねかれ、極寒の地で早起きしなければならなくなった。デカルトはわずか三ヶ月で体調を崩し急逝した。

 デカルトのような財産に恵まれなかった哲学者は若い頃、貴族の家庭教師や大学の私講師で食いつないだが、家庭教師や私講師の生活がどんなものだったかも紹介されている。アダム・スミスは週15時間、カントは週20時間も授業をやっていたそうである。

 18世紀の初版部数は千部が相場だったが、スミスの『国富論』は半年で売りきったのでベストセラーとされたが、ヒュームの『人性論』はまったく売れなかった。ヒュームは真面目な本は売れなかったが、『道徳・政治論集』のような軽いエッセイ集はベストセラーになったという。ディドロが論文ではなく、小説の形で思想を表現したのは本をたくさん売って生活費を稼ぐ必要があったからだった。

 マルクスの妻のイェニーは世界的な家電メーカー、フィリップスの創業者一族につらなる名門の出だったが、マルクスは政治的に過激なので定職につけず、収入がなかった。

 収入もないのにマルクス家の生活は贅沢である。生活水準を落として、労働者階級並の生活で我慢しようなどとはけっして考えない。では、生活費はどうしたか。友人のエンゲルスが面倒をみたのである。こういうのはスピノザと似ている。

 生涯独身で質素に暮らしたスピノザと、お金持ちのお嬢様と結婚し、四人の娘と一人の隠し子をもうけたマルクスを一緒にするのはおかしいが、友人頼みは共通している。本書ではふれられていないが、マルクスもロンドンで事務員になろうとしたことはあった。しかし字が汚いのと計算が不得意だったので採用にはいたらなかった。

 下部構造が上部構造を決定するというマルクスの主張はマルクス自身については当たっているのかもしれない。

 19世紀以降、フランスの名だたる哲学者のほとんどは高等師範学校エコール・ノルマル・シュペリウールという超エリート校(学生は公務員待遇で給料が出る)の出身だが、そのこととフランスの現代思想の反体制傾向が関係していると堀川氏は書いている。

 なぜサルトルもボーヴォワールも、その後の世代の知識人たちにしても、リベラル・デモクラシーでOKとならなかったか、それにはさまざまな理由があるけれど、どうやら一つにはエコール・ノルマル(高等師範)特有の心理もありそうである。彼らは資本主義が嫌いだというよりも、大衆社会が嫌いであるらしいのである。
 サルトルたちもまた民衆が自立した自由で民主的な社会を望むわけである。しかしデモクラシーは実際のところは大衆民主主義というかたちでしか実現されることはない。そこには愚民政治的な要素はあるし、非知性的でだらいのない大衆文化が登場するわけだ。ディズニーランド、援助交際、「ケータイを持ったサル」の世界が登場するのである。これがまあ言ってみれば現実のデモクラシーの社会である。この社会を(吉本隆明のように)基本的に肯定できるかどうか、そこに知識人の真価が問われることになる。

全面的に首肯はできないが、一つの見方ではあるだろう。

 ここで目次を見ておこう。

第Ⅰ部 これがモダンだ(十七~十八世紀)

第一章 機械と神
デカルト、スピノザ
第二章 イギリス人の哲学
ホッブス、ロック、ヒューム
第三章 百科全書派とルソー
ヴォルテール、ディドロ、ダランベール、ルソー

第Ⅱ部 調和の快感(十八~十九世紀)

第四章 モダンの優等生
アダム・スミス、カント
第五章 歴史の哲学
ヘーゲル、マルクス、エンゲルス

第Ⅲ部 歴史の終わり(二十世紀)

第六章 超人と精神分析
ニーチェ、ルー・ザロメ、ハイデガー、フッサール、アレント、フロイト、ウィトゲンシュタイン、ラッセル
第七章 フレンチ・コネクション
サルトル、高等師範学校、ボーヴォワール、メルロ=ポンティ
第八章 コンピュータとDNA
ウィーナー、ドーキンス
第九章 リチャード・ローティのアメリカ
ローティ、チョムスキー、ロールズ

 御覧のようにアダム・スミスやローティに一章があてられるなど英米の哲学者が重視されている一方、ライプニッツ、フィヒテ、シェリングあたりは無視されており、総じてドイツの哲学者が弱い。それは中味についてもいえる

 英米哲学についても認識論で重要なバークリーは落ちていて、ロックやヒュームも認識論の面からではなく、社会契約説の面から評価されている。アダム・スミスがカントと同等か、それ以上に重視されていることからもわかるように、著者の関心は社会論にあり形而上学にはない。ロック、ヒューム、ルソーの社会系約説の比較はとても勉強になったけれども。

 20世紀についても同じで、英米哲学重視といっても、分析哲学にはほとんどふれず、ローティももっぱら社会運動家的側面からとりあげられている。

 面白い本ではあるが、これ一冊だと一面的になりかねない。岩崎武雄の『西洋哲学史』のようなドイツ哲学を中心とした本をあわせ読んだ方がいいだろう。

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2009年12月29日

『反哲学入門』 木田元 (新潮社)

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 本書は題名からして『反哲学史』とかぶっているが、中味も完全にかぶっている。異なるのは『反哲学史』が大学の講義を元にしているのに対し、本書は哲学とは縁遠い若い女性編集者に語った録音を原稿に起こし、新潮社のPR誌『波』に連載した点である。『反哲学史』も驚異的にわかりやすかったが、本書はそれ以上にわかりやすい本を目指しているのである。

 結果はどうか?

 わたしの見るところ、デカルト以降は本書の方がいいが、古代・中世をあつかった前半部分は前著の方がよかったと思う。

 急いでつけくわえておくが、本書は前著の二番煎じにならないように、前半部分にも新しい論点が追加されている。ギリシア土着の自然観と日本土着の自然観がよく似ているという指摘は前著にもあったが、本書では丸山眞男の「歴史意識の『古層』」(『忠誠と反逆』所収)に出てくる、世界のさまざまの民族の宇宙創成神話が「なる」「うむ」「つくる」という三つの動詞のどれかに分類できるという説を引き、ギリシアと日本の土着の自然観がともに「なる」系なの対し、プラトンはセム民族の「つくる」系の自然観を持ちこんだとしている。ちなみに西欧の「自然」という言葉の語源となったラテン語の natura は「うむ」系だそうである。

 芽生え生長していく、おのずから「なる」自然から生命力を奪い、「つくられる」自然、材料としての自然に置き換えたところに哲学的思考の本質があるとするのがニーチェにはじまる哲学批判の流れである。

 「なる」「うむ」「つくる」という分類は面白いが、その点を考慮しても本書の前半部分は前著におよばないような感想をもった。前著がそれだけみごとに書かれているからだが、それだけでなく、本書の前半部分はちょっと崩しすぎではないかという印象を受けるのだ。

 一方、近代をあつかった後半部分は本書の方が断然いい。前著は講義が元だけに学期末が迫ってきて駆け足になり、十分展開しきらなかった憾みが残ったが、本書は数学化された自然の成立を実にすっきり説明しており、「主観」と「客観」という言葉が近代にまって逆転した顚末などほとんど名人芸を見る思いがする。

 また最終章は「反哲学」の大成者であるハイデガーにまるまるあてており、「反哲学史」がようやく完結したという手応えをもつことができた(推測だが、木田氏自身、前著の後半部分には満足していなかったので、本書の企画に乗ったということはないだろうか)。

 勝手なことを言うと、前著の1~6章の後に本書の4章以降をつなげ、序文で「なる」「うむ」「つくる」の三類型にふれた本を作れば、最強のハイデガー系哲学史になるのではないか。

 最後に目次を載せておく。

第1章 哲学は欧米人だけの思考法である
第2章 古代ギリシアで起こったこと
第3章 哲学とキリスト教の深い関係
第4章 近代哲学の展開
第5章 「反哲学」の誕生
第6章 ハイデガーの二十世紀

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『反哲学史』 木田元 (講談社学術文庫)
『現代の哲学』 木田元 (講談社学術文庫)

反哲学史
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現代の哲学
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 『反哲学史』は立花隆&佐藤優『ぼくらの頭脳の鍛え方』(文春新書)で波多野精一の『西洋哲学史要』とともに哲学史の名著として紹介されていたが、すごい本である。こんなにわかりやすく、しかも核心を素手で摑みとってきたような哲学史が日本語で書かれるようになったのだ。

 著者は日本の哲学者には珍らしい波瀾万丈の前半生を送っているが、そのこととざっくばらんな語り口は無関係ではないだろう。

 『反哲学史』という表題はケレンのようだが、決してケレンではない。「反哲学」という言葉を使いはじめたのはメルロ=ポンティだったが、メルロ=ポンティがそのようなことを言いだした背景には「西洋哲学」が決して普遍的な真理ではなく、非常に偏った一種病的ともいえる思考様式にすぎないとするニーチェ以来の「哲学」批判の潮流がある。ハイデガーの「存在の忘却」批判も、構造主義の西洋中心主義批判も、デリダの脱構築も、後期フッサールの「生活世界」への還帰もこの流れに棹さすものといえる。「反哲学」は現代思想の本流なのである。

 著者はプラトン以来の「哲学」とは「この現実の自然の外になんらかの超自然的原理を設定し、それに照準を合わせながらこの自然を見てゆこうとする特殊なものの考え方、思考様式」であり、自然を植物のようにおのずから芽生え生長する「フュジス」としてとらえたギリシア土着の考え方とは異質だと指摘する。科学が自然を死物視する非ギリシア的な「哲学」という思考様式の上に立脚していることは見やすいが、問題はなぜこのような思考様式が生まれたかだ。

 ハイデガーやデリダは「哲学」の起源を秘教的な言葉で語ったが、著者はプラトンがギリシア本来の考え方に逆らって「哲学」を編みださなければならなかった事情をアテネの没落とソクラテスの刑死という時代状況から説明している。自然の内なる生命力を肯定するギリシア土着の考え方にしたがう限り、ポリスのコントロールはできない。ポリスをコントロールし、ソクラテスの刑死のような衆愚政治に歯止めをかけるには世界を被造物ととらえるセム系の考え方に切り替える必要がある。あまりにもわかりやすすぎて拍子抜けしないではないが、なるほどと思う。

 プラトンの編みだした「哲学」はアリストテレスによって一旦はギリシア土着の考え方に引きもどされるが、超自然的原理から自然を説明するという根本は変わることはなく、キリスト教に合流することになる。

 「哲学」は近代の科学革命の流れの中で新たな展開をはじめ、自然を数量化してとらえる力学的自然観となって全世界を席巻するようになった。

 本書は力学的自然観の完成と19世紀末に表面化したそのほころびまでをあつかっている。以下に本書の目次を示す。

第1章 ソクラテスと「哲学」の誕生
第2章 アイロニーとしての哲学
第3章 ソクラテス裁判
第4章 ソクラテス以前の思想家たちの自然観
第5章 プラトンのイデア論
第6章 アリストテレスの形而上学
第7章 デカルトと近代哲学の創建
第8章 カントと近代哲学の展開
第9章 ヘーゲルと近代哲学の完成
第10章 形而上学克服の試み
後期シェリングと実存哲学
マルクスの自然主義
ニーチェと「力への意志」の哲学
終章 十九世紀から二十世紀へ

 第6章までは間然するところのない叙述であるが、第7章以降、駆け足になってテンションが下がったような印象がある。大学の講義を元にした本なので、学期末にあわせて話を急いだのだろうか。そこが本書の唯一の不満である。

 この目次構成を見ると、新田義弘氏の名著、『哲学の歴史』(講談社現代新書)と似ていると思う人がいるかもしれない。どちらもニーチェ以来の「哲学」批判の流れの中で書かれた本なので似てくるのは当然だが、木田氏はハイデガー、新田氏は後期フッサールに依拠しているので、視角はかなり異なる。より深く理解したい人は両著を読みくらべるといいだろう。

 『反哲学史』は19世紀末までしかカバーしておらず、20世紀については『現代の哲学』を読んでほしいとある。そこで読んでみたが、『現代の哲学』は『反哲学史』の単純な続編ではなかった。

 『反哲学史』は1995年刊行だが、『現代の哲学』はそれより四半世紀前の1969年に刊行されていたのである。『現代の哲学』といっても、1969年時点での「現代の哲学」であり、構造主義は最後の章でわずかにふれられる程度、ポスト構造主義にいたっては影も形もない。文章は若書きで今ほどわかりやすくはないし、肝腎の「反哲学」の視点も明確には出てこない。

 『現代の哲学』に『反哲学史』の続編を期待するとがっかりするが、読み進むうちに本書には別のよさがあることに気がついた。

 どのような構成になっているのか、目次を示そう。

序 理性の崩壊
1 20世紀初頭の知的状況
1 科学の危機
2 人間諸科学をめぐる問題
3 現代哲学の課題
2 人間存在の基礎構造
1 事象そのものへ――生活世界への還帰
2 世界内存在(一)――物理的構造と有機的構造
3 世界内存在(二)――シグナル行動とシンボル行動
4 世界内存在(三)――フッサール
5 世界内存在(四)――ハイデガー
6 情動の現象――サルトル
3 身体の問題
1 心身の関係(一)――幻影肢のばあい
2 心身の関係(二)――心身の区別と統一
3 身体的実存(一)――精神盲のばあい
4 身体的実存(二)――シンボル機能の基盤
5 性的存在――フロイト
4 言語と社会
1 言語(一)――話者への還帰
2 言語(二)――ことばのもつ実存的意味
3 言語(三)――ソシュール
4 相互主観性(一)――サルトルとメルロ=ポンティ
5 相互主観性(二)――ヴァロン
6 人間と社会構造――レヴィ=ストロースとマルクス
7 状況と自由――意味の発生と意味付与
5 今日の知的状況
1 マルクス主義哲学の問題(一)――レーニン主義と西欧マルクス主義
2 マルクス主義哲学の問題(二)――人間主義と構造主義
3 構造主義――レヴィ=ストロース、ラカン、フーコー
4 構造と人間

 本書は現象学の視点からというか、身体論の延長で言語を考察した本なのである。メルロ=ポンティは動物行動学や人類学、児童心理学の成果を大胆にとりこみ、ハイデガーもユクスキュルの環境世界論の影響を受けていたが、本書も科学の知見を積極的に参照している。

 構造主義の流行以降、言語を数学的なシステムと見る見方が主流になった。ポスト構造主義は言語=システム観を批判したものの、数学的なシステムにおさまりきらない余剰に注目したにすぎず、言語=システム観から抜けきれていない。

 本書を読んで、メルロ=ポンティ的な身体論から言語に接近する方法は決して古びていないと再認識した。構造主義以後の言語観しか知らない人は本書から得るものが大きいだろう。

→『反哲学史』

→『現代の哲学』

2009年12月28日

『西洋哲学史要』 波多野精一 (未知谷)

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 立花隆&佐藤優『ぼくらの頭脳の鍛え方』(文春新書)で木田元の『反哲学史』とともに哲学史の名著として紹介されていた本である。

 波多野精一は『基督教の起源』(岩波文庫)、『原始キリスト教』(岩波全書)で知られている宗教哲学者だが、本書の評価も高く、現在ではマルクス学者の牧野紀之氏による再話版(現代語訳)が版を重ねている。

 牧野氏の再話がどのようなものか、冒頭部分で見てみよう。まずオリジナル。

 西洋古代の哲學史は殆ど全く希臘哲學史といもいふべきものなり。只アリストテレース以後の時代に於て希臘の哲學思想は羅馬帝國に傳はりて其の人文の一大勢力をなしたるものの、其時すら創始原造の見とては殆ど無く、皆希臘に於て旣に唱へ出でられたるものを或は補充し或は通俗化したるものに過ぎざりき。

 きびきびした躍動感あふれる名文だと思うが、文語体に慣れていない人には敷居が高いだろう。牧野氏はこれを次のように現代日本語に移している。

 西洋古代の哲学史はほとんど完全にギリシャ哲学史と重なる、と言って好いと思います。たしかにアリストテレス以後の時代、ギリシャの哲学思想はローマ帝国に伝わってその文化の一大勢力となりましたが、その時でもローマで広まった思想には独創的な点がほとんどなく、皆ギリシャで既に唱えられたものを補充したり通俗化したりしたものにすぎませんでした。

 オリジナルの断定を「と言って好いと思います」とやわらげている分、躍動感が薄れたような印象があるが、明快な論旨はちゃんと受け継がれている。

 オリジナルは明治34年(1901年)に弱冠25歳だった波多野が書いている。いくら名著の評判が高いとはいえ、100年以上前に25歳の青年の書いたものがどれほどのものかという興味で読んでみたが、面白くてたちまち引きこまれた。

 哲学史は哲学の学説史という視野で完結する傾向があるが、波多野は時代背景を簡潔に紹介した上で、どういう課題に答えるためにその哲学が出てきたかという視点で叙述しているのである。

 ギリシア哲学はギリシア本土ではなく小アジアのギリシア植民都市で生まれたが、それは本土がいまだ未開だったのに対し、小アジアの植民都市は地中海貿易で諸国と交流し商業が栄えていたからだと説明している。プラトンの哲人政治説にしても、プラトンの時代のギリシアは国運衰退期にあたり、政治が乱れていたのであのような理想国家を説いたのだとしている。

 ここで全体の構成を紹介しておく。

古代哲学史

第1篇 アリストテレスにいたる迄のギリシャ哲学
第1章 ミレトス学派
第2章 生成の問題
第3章 生成の説明
第4章 開明時代の哲学
第5章 デモクリトスの唯物論とプラトンの観念論
第6章 アリストテレス
第2篇 アリストテレス以後のギリシャ哲学
第1章 倫理時代の哲学
第2章 宗教時代の哲学

中世哲学史

第1篇 教父時代の哲学
第1章 ニカイア会議以前の時代
第2章 ニカイア会議以後の時代
第2篇 スコラ哲学
第1章 スコラ哲学の発生
第2章 実在論と名目論
第3章 トマスとスコットゥス
第4章 スコラ哲学の衰頽

近世哲学史

第1篇 カント以前の哲学
第1章 過渡時代
第2章 イギリス経験論
第3章 デカルト
第4章 スピノザ
第5章 ライプニッツ
第6章 ロック
第7章 バークレー
第8章 ヒューム
第2篇 カント及びカント以後の哲学
第1章 カント
第2章 フィヒテ
第3章 シェリング
第4章 ヘーゲル
第5章 ヘーゲルの反対者
第6章 ヘーゲル派の分裂と唯物論の勃興
第7章 唯物論の反対者
第8章 一九世紀の英仏の哲学

 アリストテレスを古代哲学の頂点と評価するが、波多野は早くも共通感覚に注目している。

 これらの感覚を統合して事物全体の知覚を作ったり、諸々の感覚器官に共通な事物の関係とか時間的空間的な関係と運動の状態を看取したりするのは中央器官で、これはここの感覚器官とは別に備わります。アリストテレスはこれを「共通感覚」と呼び、その座は心臓にあるとしました。この中央器官にはさらに自覚の働きがありまして、外界の物を知覚するだけでなく、その知覚の働きを知覚する作用があります。外界の刺戟が去ってからも知覚に痕跡が「想像」として残るのはこの中央器官の働きによるのです。この想像が過去の知覚の模像である場合には、それは「想起」となります。

 意外だったのは哲学史では軽視されがちな古代後期から中世にかけての叙述が充実していることである。新プラトン派については「学者の宗教」と断った上でかなり立ち入った紹介をしているし、アウグスティヌス一辺倒になりがちな教父哲学についてはニケア信経確立以前の混乱期について一章をさき、正統信仰を脅かしたグノーシス主義に踏みこんでいる。また、ドゥンス・スコトゥスをトマス・アクィナスと対等に扱っている点も目を引く。1901年の時点でこういう本が日本で書かれていたとは驚くべきことだ。波多野の宗教哲学の本を読んでみたくなった。

 古代篇と中世篇は今読んでも新鮮だが、近世篇となるとちょっと古いかなという印象は否めない。もっとも古さも徹底すると面白くて、「ヘーゲルの反対者」としてヘルバルトとハルトマン、「唯物論の反対者」としてランゲ、フェヒナーといった今日では忘れられた哲学者を挙げている点は興味深い。

 波多野は宗教哲学者として名前が残っているが、本書の隠し味となっているのは宗教哲学とは正反対の唯物史観だと思う。唯物史観一辺倒だと賞味期限切れになるが、唯物史観的な見方を踏まえた上で、それを乗り越えようと努力したことが生気あふれる記述につながったのではないか。

 こういう素晴らしい本を現代に甦らせてくれた再話者の牧野氏には感謝したいが、現代的視点からの注をくわえるのは必要にしても、いささか出しゃばりすぎという印象がなくはない。巻末にマルクス主義についての紹介が再話者によって追加されているが、古色蒼然たる反映論で、百年前に書かれた本篇よりよほど黴臭いのである。

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2009年10月31日

『ロシア 闇と魂の国家』 亀山郁夫&佐藤優 (文春新書)

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 『カラマーゾフの兄弟』の新訳で一般読書界にも知られるようになった亀山郁夫氏との対談本である。

 亀山氏も佐藤氏も今ではジャーナリズムのスターであるが、もともとロシア語業界というマニアックで狭い世界の住人だけに、『罪と罰』のソーニャの聖書というディープな話題にいきなりつっこんでいく。

 ソーニャがもっていた革装の聖書については故江川卓氏が古い訳だったことをつきとめ、分離派ラスコーリニキィの影響説の傍証としたが、分離派の共同体の中で育った「黒い大佐」ことアルクスニスをよく知る佐藤氏は分離派は動物の革を教会にもちこむことを嫌うから、江川説は無理だと指摘する。そして当時の聖書はいつでも換金できる高価な商品だったので、ソーニャは財産保全か投機のために革装の聖書をもっていた可能性があるとつづける。いざという時のために純金の十字架を身につけておくようなものだろう。

 こういう話にぞくぞくするかどうかで、本書を楽しめるかどうかが決まる。わたしはぞくぞくする方なので舌なめずりしながら読んだが、佐藤氏に実学の知識を期待する人にとっては無用の本かもしれない。

 無用の話をつづける。ソ連時代はインテリにとっては息苦しかったが、庶民にとっては幸福な時代だったらしい。スターリン時代はいつ収容所送りになるかわからない緊張感があり、フルシチョフ時代もその緊張感が残っていたが、ブレジネフ時代になると規律がゆるみ、一日三時間しか働かなくても食うには困らない「甘い腐臭」のただよう社会ができあがる。ウォッカでへろへろに酔った時の陶酔感とか、ユーフォリアの時代とか、貧しい平等とか、両氏はさまざまに形容して思いいれたっぷりに語り、亀山氏にいたっては「あの時代のソ連なら、住んでも悪くない」とまで述べている。

 ブレジネフ時代が一種の「黄金時代」だったことについては『国家の崩壊』に冷静な分析がある。オイルショックの結果、産油国であるソ連には潤沢なオイルマネーがはいるようになったが、ブレジネフ政権は肉とウォッカとパンの価格をひきさげ、国民にたらふく食わせて飲ませる愚民政策をとっていたというのである。愚民政策の時代を本書では手放しで賞賛し、懐かしがっているわけで、両氏ともすっかりロシア人の気分になっているようだ。

 キリスト教の美徳であるケノーシスがロシアでは集団主義と融合して独特の発展をとげているという指摘も興味深い。ケノーシスは「謙遜」とか「へりくだり」と訳されることが多いが、ロシア的なケノーシスに佐藤氏は「他者のための奉仕」、「まこと心」、亀山氏は「おバカさん」という日本語をあてている。欧米人には日本の「神風の精神」は理解不能だが、ロシア人はドイツとの大祖国戦争をケノーシスで戦ったので理解できるというのである。中国や韓国・北朝鮮が靖国に神経をとがらせるのに、同じ隣国でありながらロシアが不問に付しているのはケノーシスのためではないかという。

 本書は佐藤氏の著作の中では密教系に属する本だろう。深い話が読めて満足だったけれども、誤解を招きそうな部分もすくなくない。

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2009年10月30日

『なぜ私は生きているか』 フロマートカ (新教出版社)

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 佐藤優氏が私淑するチェコの神学者、ヨゼフ・ルクル・フロマートカの自伝である。佐藤氏自身が翻訳しているが、佐藤氏の本のようにすらすら読めるわけではない。本文わずか140ページだが、読みきるのに三日かかった。

 本書が読みにくいにはいくつか理由がある。

 まず第一にチェコの歴史・地理を知っている読者向けに書かれていることである。わたしは本文から読みはじめたが、いきなりプロテスタントが山の中に立て籠もる話が出てきて面食らった。よほどチェコに詳しい人でない限り、まず巻末の解説を熟読した上で本文にかかった方がいい。

 第二に自伝とは言い条、具体的な話があまり出てこないこと。生い立ちと経歴にふれているのは最初の30ページだけで、それ以降は抽象的な時代分析に終始している。まるで牧師の説教のようなのだ。

 第三に「プラハの春」に向かう時期に書かれたとはいえ、共産党政権とソ連に対して非常に気をつかった書き方になっていること。留保に留保をかさね何重にも逃げをうっているので、読んでいて苛々してくる。

 たとえば、第二次大戦後のソ連による東欧侵略についてはこう書かれている。

 東ヨーロッパすなわちソ連とのチェコスロバキアの同盟は、私見によるならば、戦前の過ち、戦争の惨禍の不可避の結果であり、ソ連で実現した社会革命の到達目標であった。大戦中のソ連国民の惨禍は筆舌につくし難い。ソ連国民の犠牲者は数えきれないほどである。戦間期にソ連が国際社会から排除されていたことを忘れてはならない。新秩序建設におけるソ連の権利は、ソ連国民が血で払った勝利に基づいている。ソ連は戦争を強いられ、またソ連のエルベ川への進撃は、支配をもくろむ攻撃的傾向から生じたのではなく、生死を賭けた闘争の結果である。さらに、最も困難な危機の際に、チェコスロバキア国民は西欧諸国から見捨てられ、ナチス・ドイツの手に渡されたことを忘れることはできない。

 「支配をもくろむ攻撃的傾向から生じたのではなく」などと書いてあると、バルト併合やポーランド分割はどうなのだと茶々をいれたくなるが、もちろん、フロマートカはそんなことは百も承知のはずである。こういう書き方しかできなかったということはわかるが、それにしてもソ連に気を使いすぎではないか。「赤い神学者」という批判ももっともかと思わないではない。

 真意のとりにくい折れ曲がった文章をたどるのは気分が滅入るが、我慢して読みすすんでいくと、二枚腰のつよさがだんだんとわかってくる。ソ連に迎合しているのは表面だけで、その下には不屈の精神が底光りしているのである。フロマートカはキリスト教のめざすものと共産主義のめざすものは同じであり、キリスト教がやるべきことを怠っていたから共産主義が代わりにやったとくりかえすが、これは迎合すると見せかけて共産主義をキリスト教に呑みこもうとしているのではないか。そう考えると、次の条などは感動的だ。

 教会は、常に動いている信徒の共同体であり、そして信徒は聖なる慈愛に満ちた神に向かってへりくだって行くのである。教会は、人間の強さと弱さのすべての中で、喜びと絶望の中で、人間を忘れたことは決してない。このことによってわれわれは、無防備なところからわれわれを十字架の陰へと導いて下さる方が最終的勝利者であり、今後も最終的勝利者であることを信じることができるのである。

 神学のことはわからないが、共産主義政権と妥協しながらも信念を貫こうとした学究がここにいるということは感得できる。

 こういう人がどんなドストエフスキー論を書いたのだろうか。読んでみたいものである。

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『神学部とは何か』 佐藤優 (新教出版社)

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 「非キリスト教徒にとっての神学入門」という副題がついているが、佐藤優氏が母校の同志社大学で非キリスト教徒の学生に神学に関心をもってもらうためにおこなった講演がもとになっており、神学がいかにおもしろいか、神学部の勉強がいかに役に立ったかが力説されている。あろうことか現存する六つの大学の神学部の入学案内がコラムとして挿入されていて、卒業生の行き先なども書かれている。

 神学部の客引きをはじめたのかと思ったが、そういう面は確かにあるものの、すくなくとも第一章「神学とは何か」に関する限り、学問論として出色の文章となっている。

 最初に「神学は虚学である」と宣言しているのがうまい。「虚学」というのは著者による造語で「見えない事柄を対象とする知的営為」をさし、普通の学問=実学の「実」を土台でら支えるのが「虚」の部分であり、ヨーロッパでは神学部がないと university(綜合大学)を名乗れないとたたみかける。

 著者によると哲学や文学は神学と比べるとまだ「実学」なのだそうである。その証拠として著者は神学の二つの特徴をあげる。「神学では論理的整合性の低い方が勝利する」ことと「神学論争は積み重ねられない」ことである。

 文学は微妙だが、哲学については論理的整合性の高い方が勝つし、三千年にわたってつみかさねられてきた哲学史が厳然と存在する。哲学は間違いなく学問といえる。ところが神学は「論理的に正しい者が負けて、間違っている者が政治的に勝利する」傾向がある上に、同じような論争が数百年周期でくりかえされる。無駄というならこれほど無駄な営みはないだろう。

 神学がそうなる理由を著者は「絶対的な結論が出ない問題について議論している」からだと喝破する。それは神学は真理の探求ではないと言っているに等しい。神学論争とは真理に到達するための論争ではなく論争のための論争であり、神学的思索もまた思索のための思索だろう。しかし、真理を求めない学問に何の意味があるのだろうか。

 著者はだから神学は役に立つと開き直る。人間は有限で、いつかは死ぬ。人生とは何かと考えても、答えは出るはずがない。人生とは何かを考えなければならなくなった時に、答えのない思索をくりかえしてきた神学こそが役に立つというわけだ。

(実にみごとな弁証法で、こういう黒を白といいくるめる技術を身につけるには神学が一番だという見本を見せてくれている。)

 神学の四分類(聖書神学、歴史神学、組織神学、実践神学)が簡潔に紹介してあるのはありがたい。佐藤氏によってにわかに知られるようになった「組織神学」とは言語学における共時言語学のようなものらしい。

 第二章「私の神学生時代」の最初と最後は『私とマルクス』と『自壊する帝国』の二番煎じでどうということはないが、真ん中の部分はボンヘッファー、カール・バルト、フロマート力という現代を代表する神学者の仕事を紹介していて勉強になる。ナチスが「ドイツ的キリスト者」という国家教会運動を推進していたとか、興味の引かれる話が出てくる。

 第三章「神学部とは何か」は神学業界の話で、これがおもしろい。

 前半は欧米の、後半は日本の業界事情で、全共闘運動以降、日本の神学は聖書神学一辺倒になり、組織神学が著しく縮小したことを「神学が本来持っていたはずの大事なものを落としてしまった」と批判している。

 部外者もそれは感じている。田川健三氏の影響が大きいと思うが、非キリスト教徒の目にはいる神学書は聖書神学の本ばかりで、組織神学という分野があることを佐藤氏の本ではじめて知ったという人は多いと思う(わたしもその一人だが)。

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2009年10月27日

『私のマルクス』 佐藤優 (文藝春秋)

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 佐藤優氏の思想的自伝である。いくら『国家の罠』がすごい本だからといって、自伝を書くのは30年早いんじゃないかと思ったが、これはこれで腹にこたえる読物になっていた。

 両親の経歴にはじまり、生い立ちから高校時代、同志社大学神学部入学と進んでいくが、そのすべてが「濃い」のである。

 たとえば高校時代。生徒会と文芸部と応援団(!)をかけもちしたというだけでも常人ではないが、高校一年の夏休みにはチェコのペンフレンドを訪ねて東欧の一人旅に出ているし、二年の時には社青同向坂派に加入してマルクス主義文献の学習会に通い、教会にも顔を出している。

 キリスト教とマルクス主義は佐藤氏の思想的バックボーンだが、このミスマッチな組みあわせのルーツは母親にあったようだ。佐藤氏の母は沖縄出身で、第二次大戦中、女学生ながら電話交換手や看護士として軍にしたがい、あわや自決というところまでいったという。戦後、キリスト教の洗礼を受ける一方、後に社会党の県会議員になる兄の影響で熱烈な社会党支持者となる。

 十代にしてキリスト教とマルクス主義という二大思想をかかえこんだ著者は無神論の研究を志し、そういう無茶苦茶なことをやりたいなら同志社の神学部しかないといわれて同志社の門をたたくことになる。

 同志社大学は東京の大学からは想像もつかないくらい「濃い」大学で、「同志社ガラパゴス」と呼ばれているほどだそうである。その同志社の中でもとびきり「濃い」のが神学部だった。

 これまでに読んだ佐藤氏の本はモスクワとか外務省とか東京拘置所といった異世界が舞台だったが、本書は大学が主な舞台となっているのでやけに生々しく、むせかえるような体臭がもわっと襲ってきた。絶対にかかわりあいになりたくないタイプである。

 佐藤氏は神学部自治会が不法占拠位していた「アザーワールド」と呼ばれる研究室にいりびたるが、神学部の教授会はこの不法占拠を黙認していた。

 あるとき野本真也神学部教授が私たちに「神学には秩序が壊れている部分が絶対に必要なんです。だから神学部にアザーワールドのような、既成の秩序にはまらない場所と、そういう場所で思索する人たちが必要なんです」といっていたが、これはレトリックではなく、神学部の教授たちは、あえて通常の規格には収まらない神学生たちの活動場所を保全していたのである。

 理屈はいくらでもつけられるだろうが、要するに血の気の多い学生が集まっていたということである。血の気の多い学生は左翼運動で騒いでいても、最後はクリスチャンになると牧師でもある教授たちは見切っていた。佐藤氏も洗礼を受けて正式のクリスチャンになっている。

 氏のライフストーリーはどうでもいいし、労農派マルクス主義にも興味はないが、面白い知見がそこここにちりばめられている。

 マルクスの文体が三回変わり、『ドイツ・イデオロギー』以降はタルムード的になるというのはその通りだろう。マルクスはアジア的生産様式を低く見ていなかったのに、ソ連の公式イデオロギーは「アジア的」に否定的な意味あいをつけくわえたというのは知らなかった。ソ連のイデオロギー官僚はそういう改変をする一方、アジア的生産様式を評価したメモを全集に収録して、インテリゲンチャとしての使命を果たしているという。

 田川健三と廣松渉については突きはなした見方をしているが、宇野弘蔵には賛辞を捧げている。宇野が労農派の流れから出てきたということもあるが、経済学を純化するために唯物史観を経済学の外にくくり出した理論構成が、キリスト教とマルクス主義を結合するのに具合がいいということもあるようだ。

 著者が学部と大学院を通じて研究対象にし、外務省にはいるきっかけともなったフロマートカと東欧神学に関する記述には力がはいっている。

 西欧ではカトリック内改革運動とされるフス派の運動は、東欧では宗教改革の第一期に位置づけるそうだ。カール・バルトの弁証法神学が19世紀の自由主義神学と連続しているという見方が東欧では当たり前になっているという指摘もへえーである。佐藤氏が訳したフロマートカの自伝を読みたくなった。

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2008年11月30日

『1冊でわかるユダヤ教』 ノーマン・ソロモン (岩波書店)

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 オックスフォード大で教鞭をとっていたラビによるユダヤ教の入門書である。

 本書は9章にわかれる。1~3章はユダヤ教とユダヤ人の長い歴史を解説し、4~6章はユダヤ教の風習を紹介する。7~9章では19世紀以降の激動の歴史の中で試行錯誤してきたユダヤ教の姿を描いている。

 小さい本なのに情報量が多いが、百科事典的な羅列ではなく、血の通った叙述になっている。ユダヤ人をなんとかわかってもらいたいという著者の姿勢のゆえだろう。

 ユダヤ教はキリスト教の母体といわれることが多いが、旧約聖書にもとづく信仰をそのまま残しているわけではない。キリスト教がわかれた後、ユダヤ人は信仰の中心だった神殿をローマ帝国によって破壊され、イスラエル王国の故地からも追われる。イスラエル王国時代のユダヤ教はサドカイ派、ファリサイ派、エッセネ派等々多様な流れがあったが、離散生活の中でファリサイ派の流れだけが生き残り、ラビと呼ばれる宗教指導者によってユダヤ人のアイデンティティが維持された。異民族の中で律法を守りつづけるために口伝が重視され、口伝とその解釈を記した膨大なタルムードが編纂され、旧約聖書に次ぐ典拠として尊重された。いわゆるユダヤ教とは、このラビ的ユダヤ教のことなのである。

 本書の内容は多岐にわたるが、一番の読みどころはユダヤ人のアイデンティティを論じた第一章「ユダヤ人は誰か」だと思われる。

 ユダヤ人はキリスト教圏でもイスラム教圏でも差別を受けたが、差別の不当性を強調するあまり、サルトルの『ユダヤ人』のように、ユダヤ人とは「他の人々がユダヤ人と考えている人々」と極論するのは、ユダヤ人のアイデンティティを無視した暴論だろう。外部から見れば差別問題であっても、ユダヤ人の側から見ればユダヤ人としてのアイデンティティの問題なのだ。

 ゲットーに閉じこめられていた中世、ユダヤ人のアイデンティティは自明で、そんなことで悩む者はいなかった。迫害を受けても、「主は愛する者を懲らしめられる(「箴言」)で、「選ばれた民」である証と受けとられた。ところが啓蒙主義の時代になり、市民としての権利がユダヤ人にも認められるようになると、ユダヤ人としてのアイデンティティがゆらぎはじめる。差別が薄れたことで、「選ばれた民」である自信が怪しくなったからである。

 だが、啓蒙主義時代が終わり民族主義が勃興すると、ユダヤ人差別が再び激化し、近代的な反ユダヤ主義が形成されていく。ユダヤ人の側にも迫害に対抗する宗教的熱情が生まれ、それがシオニズムにつながっていくが、すべてのユダヤ人がユダヤ人の誇りを取り戻そうとしたわけではないという。

 近代社会に同化することを選んだユダヤ人もいて、彼らはユダヤ人蔑視の価値観を受けいれ、自らがユダヤ人であることを恥じるようになっていく。著者がその例としてあげるのは、カール・マルクスである。

 カール・マルクスの初期の論文「ユダヤ人問題によせて」は、ユダヤ人の自己嫌悪の知的形態を示す好例である。彼は、「ユダヤ人性」とは宗教でも民族性でもなく、獲得しようとする欲望である、と論ずる。その際に彼は、中部および東部ヨーロッパの膨大な数のユダヤ人プロレタリアートの存在を完全に黙殺し、ユダヤ人と、そのユダヤ人から生まれた宗教であるキリスト教を信じるキリスト教徒とを「敵」と――すなわちブルジョワ資本主義者と――同一視する。マルクスは明らかに、自分自身がユダヤ人であるということから逃避し(彼は六歳のときに洗礼を受けていたが、両親ともユダヤ教のラビの家系である)、反セム主義的なフォイエルバッハの文化的環境に「同化」し、フォイエルバッハのかたよったユダヤ教の定義を採用し、そして、社会主義的国際主義の中にユダヤ的な特殊主義からの避難所を見出したのである。

 マルクス主義がユダヤ教の濃厚な影響を受けていることは多くの論者が指摘するところだが、ユダヤ人の眼から見るとマルクスは裏切者ということになるらしい。

 日本で出ているユダヤ教関係の本は意外に多く、訳者による日本語文献案内は12ページにおよぶが、なぜかボール・ジョンソンの『ユダヤ人の歴史』(最近、徳間文庫から三分冊で再刊された)がはいっていない。あの本は読み物として抜群に面白いし、内容も信頼できると思うのだが、どうなのだろう。

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2007年08月31日

『根源の彼方に―グラマトロジーについて』 ジャック・デリダ (現代思潮社)

根源の彼方に・上
→『根源の彼方に―グラマトロジーについて』上
根源の彼方に・下
→『根源の彼方に―グラマトロジーについて』下

 デリダを一躍有名にした初期の代表作である。ロゴス中心主義批判とか、フォネー批判とか、原エクリチュールなど、デリダのおなじみのスローガンはこの本に登場する。

 現在、書店に並んでいる本は1996年の新版で、普通のカバーがかかっているが、1972年の初版は茶色いボール紙の箱に青いビニールの本が剥きだしてはいっていて、「グラマトロジーについて」というオリジナルの題名よりもはるかに大きく「根源の彼方に」という邦題が印刷されていた。このそっけない装丁が、「グラマトロジー」(文字学)という謎めいた言葉とあいまって、蠱惑的なオーラを放っていた。

 大学にはいって早々わたしはこの訳書に挑戦したが、何度読んでもさっぱりわからなかった。「グラマトロジー」という題名のもとになったゲルプの "A Study of Writing" を大学図書館で読もうとしたが、これもわけがわからなかった。

 今年になってゲルプの本を読んだ勢いで、デリダの本に30数年ぶりで再挑戦してみたが、今度はわかった。

 デリダはプラトン以来の形而上学を転倒するとか大風呂敷を広げているが、本書の仮想敵はソシュールのようである。もちろん、ソシュールの背後には、当時隆盛をきわめていた構造主義があり、だから第二部ではルソーの前にレヴィ=ストロースをやっつけている。ソシュールを戴く構造主義に挑戦状をたたきつけ、ソシュールの音声中心主義をソシュール自身の論理を使ってひっくりかえしてみせたのが『グラマトロジーについて』という本だったのである。

 デリダのいわんとしていることは次の一節に尽きていると思う。デリダは音声的な差異(=離散的な音素)というモデルは文字から借用してきたと伏線を張った上で、こうたたみかける。

 差異はそれ自体では、また定義上、けっして感覚的な充溢ではなく、その必然性は、言語の生来音声的な本質という主張に矛盾する。それはまた同時に、表記的な<意味するもの>のいわゆる自然的な依存関係にも異を唱える。それはまさしく、言語の内的体系を規定する緒前提に逆らってソシュール自身がひきだす結論である。今や彼は、彼に文字言語エクリチュールを除去することを許していたまさにそのものを、つまり音を、そして音と意味との「自然的な絆」を、排除せざるを得ない。

 言葉の意味は内的な声に宿っているというのは錯覚で、実際は文字のような離散的な音素のくみあわせから生みだされる宙ぶらりんのものだというわけだ。この直観を手を変え品を変え、さまざまに変奏したのが本書の第一部である。

 本書の後のデリダは書き方がうまくなって、ややこしくからみあった文章の中に直観を巧妙によりこんでいくが、この時点ではまだ若書きなので直観が生な形でとりだせてしまうのである。

 第二部ではデリダの代名詞となった「脱構築」がぎこちなく素朴な形で実践されており、手の内が透けて見える。デリダも一日にしてデリダになったわけではなかったのだ。

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2007年05月31日

『グノーシス』筒井賢治(講談社選書メチエ)

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 日本の新世代のグノーシス研究者によるグノーシス概論である。従来のグノーシス紹介は「厭世的」、「禁欲的」、「反体制的」、「実存的」などのキーワードが定番だったが、本書の描きだすグノーシス像はずいぶんちがう。

 グノーシス主義はこの世のすべてを悪と決めつけ、霊魂の故郷に帰ることを願う運動なのだから、切羽詰まったキーワードがくっつくのは当然といえばいえるが、異和感もないではなかった。そもそもこの運動はなぜ「グノーシス」(知識)と呼ばれるのか。

 本書はそうした異和感が決して根拠のないものではなかったことを教えてくれた。

 グノーシス主義を論じる人の中にはグノーシス主義を一般的な傾向ととらえ、さまざまな時代にグノーシス的なものを読みとる論者もいるが、本書はグノーシス主義がもっとも盛んだった時代、すなわち二世紀のキリスト教グノーシスに話を絞り、二世紀の地中海世界という時代背景の中でとらえている。

 二世紀の地中海世界ではローマ帝国が五賢帝時代という最盛期をむかえていた。都市文化は爛熟をきわめ、教養をそなえた有閑階級がかつてなく増え、人間とは何か、人間はどこから来てどこへ向かうのかという哲学的問いが流行した。知的好奇心が高まり、そうした欲求に応えるものとして「知恵文学」が誕生した。

 著者はこうした時代を象徴する作品としてアプレイウスの『黄金のろば』、なかんずく「アモールとプシケ」をあげ、「好奇心」のために破滅し、神の援助によって救われるという構造がグノーシス主義と同型だと指摘する。

 こうしてみると、理論ないし話のパターンがアプレイウスの『黄金のろば』と驚くほど同じだということがわかる。プトレマイオスにおけるソフィアとアプレイウスにおけるプシュケーおよびルーキウスは、いずれも自らの好奇心によって破滅しかかるが、自分より上位の存在(それぞれプレローマ、アモル神、イシス神)からのめぐみによって助けてもらう。もう少し踏み込んで言うなら、自分から知りたがるという「好奇心」が悲劇をまねき、相手から知らせてもらうという「啓示」が救いをもたらすという構造が共通している。

 注意しよう。著者は「アモールとプシケ」 がグノーシス的だと言っているのではない。グノーシス主義もまた「アモールとプシケ」同様、哲学的関心というか、ゆとりから生まれたと言っているのだ。

 ちょっと乱暴な単純化だが、グノーシス主義のそもそもの担い手は暇をもてあましたインテリだったかもしれないのである。

 そう考えると、腑に落ちることがいろいろある。グノーシス文献にはひどく手のこんだ複雑怪奇な創世神話が書かれているが、あんなややこしいお話は相当な暇人でなければ考えつくものではない。神の超越性をめぐる煩瑣な思弁も同じである。

 また、グノーシス主義者には貧しく無学なキリスト教徒をバカにしている傾向があるが、ああいうエリート主義もグノーシス主義者が暇をもてあましたインテリだったと考えれば説明がつく。

 もちろん、五賢帝時代といえども繁栄を楽しんだのは一部にすぎず、社会の下層には多くの虐げられた人がいた。そうした人たちはキリスト教にすがった。

 こう考えると、グノーシス主義は一時の徒花だったのかもしれない。

 しかし、仮にそうだとしても、グノーシス主義は思想として純化されていき、後のカタリ派など多くの異端運動に思想的基盤を提供した。閑暇の産物であっても、徹底的に考え抜かれた思想は力を持つのである。

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2007年05月30日

『禁じられた福音書』 ペイゲルス (青土社)

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 おどろおどろしい題名だが、『トマスによる福音書』を中心に、グノーシス文書を一般読者向けに解説した本である。『トマスによる福音書』は早くに隠滅され、1945年にエジプトでナグ・ハマディ文書の一部として発見されるまでは幻の書だっただけに『禁じられた福音書』という邦題は当たっていなくもない。

 著者のエレーヌ・ペイゲルスは初期キリスト教史の研究者だが、ハイスクール時代は福音主義にかぶれ、『ヨハネによる福音書』の熱烈な読者だったという。しかし、友人が交通事故で死亡した時、教会の仲間たちは彼がユダヤ人だという理由で自業自得のようにくさした。ペイゲルスは信仰に疑問をおぼえるようになり、大学では初期キリスト教史を専攻した。初期の純粋で単純な信仰に立ちかえれば疑問が晴れるかもしれないと考えたのだ。しかし、疑問は晴れるどころか、逆に深まった。最初の二百年間のキリスト教はさまざまな思潮が流れこんで混沌としており、純粋でもなければ単純でもなかったからだ。

 ハーバード大学の大学院に進学し、当時、まだ未公開だったナグ・ハマディ文書と出会ったことはペイゲルスにとって決定的だった。彼女は文書を解読する作業に参加し、1978年という早い時期に『ナグ・ハマディ写本』を刊行している。同書は『トマスによる福音書』や『マグダラのマリアによる福音書』など、グノーシス系の福音書を時代背景とともに歯切れよく紹介していて、グノーシス主義に関する基本図書の一つといってよく、現在でも読みつがれている。

 ペイゲルスのことは複数の人が美人と書いているが、『ビジュアル保存版 ユダの福音書』のDVDを見ると可愛らしいオバサンで、確かに若い頃は美人だったろう。

 本書は『トマスによる福音書』と『ヨハネによる福音書』の類似性に着目するところから本論をはじめている。両者の類似性は新井献編の『トマスによる福音書』でもすでに指摘されているし、両者は共通の資料にもとづいて書かれたという説もあるようである。ペイゲルスはさらに踏みこみ、『ヨハネ』の著者は『トマス』を危険視していたのではないか、『ヨハネ』は『トマス』に対する反論として書かれたのではないかと推論する。

 根拠はいくつかあるが、もっともわかりやすいのは『ヨハネ』だけがトマスという弟子をうたぐり深い愚か者として印象づけていることだ。復活したイエスが弟子たちの前にあらわれる条では、イエスはトマスに自分の身体を手でふれさせてから、こう叱りつける。

「わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである」(ヨハネ20-29)

 他の福音書ではトマスは特別扱いされいないのに、『ヨハネ』だけがトマスを執拗に馬鹿にしている。トマス派とでもいうべき一派を意識して書いたという仮説は説得力がある。

 なぜ『ヨハネ』の著者は『トマス』を危険視したのか。神の光の分有という思想は両者に共通しているが、『トマス』は神の似像である人間はすべて神の光を分有していると主張しているが、『ヨハネ』は「神の一人子」であるイエスのみが神の光にあずかれるとしたのだ。

 『トマス』の思想はキリスト教神秘主義の系譜からみても独自であり、過激である。キリスト教神秘主義は聖テレジアにせよ、ベーメにせよ、自己と神の同一視は慎重に避けているのに対し、『トマス』は自己の内に神の光が隠れていることを堂々と宣揚しているからだ。

 本書の後半はニケア信経に代表されるキリスト教正統信仰形成の過程で、『トマス』の思想がいかに排除されていったかに焦点をあわせている。ニケア信経をまとめた神学者たちは、神の似像論に対しては、アダムは確かに神の似像として作られたが、原罪によって決定的に損なわれてしまったととどめを刺している。

 ペイゲルスは『マルコ』、『マタイ』、『ルカ』の読み方には暗黙のうちに『ヨハネ』のキリスト論が混入していると指摘し、もし『ヨハネ』の代わりに『トマス』が第四の福音書に選ばれていたら、共観福音書は別の読み方がされ、別のキリスト教、別のヨーロッパが生まれていただろうとしている。今さらそんなことを言っても死んだ子供の年を数えるようなものだが、魅力的な仮定ではある。

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2007年05月29日

『捏造された聖書』 バート・アーマン (柏書房)

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 きわものめいた題名だが、原題は Misquoting Jesus(間違って引用するイエス)で、まっとうな聖書文献学の入門書である。

 新約聖書については、日本でも田川健三の『書物としての新約聖書』や加藤隆の『新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか』のようなすぐれた入門書が出ているが、ちょっと敷居が高い印象があった。本書はアメリカ人の聖書学者がアメリカの読者に向けて書いた入門書なので、巧みな話術で飽きさせない。

 アメリカは進化論を学校で教える是非が裁判になる国で、聖書を一字一句すべて真実と信じこむ人がすくなくない。著者のアーマン自身、ハイスクール時代にキリスト教原理主義にかぶれ、原理主義ゴリゴリの神学校に進んだという。ところが聖書文献学の授業を受講し、聖書は筆写に筆写を重ねて伝わる中で多くの異文が生まれていたこと、しかも意図的な改変や加筆まであったことを知り、愕然とする。イエスや使徒の言葉が正しく伝承されていなかったとしたら、聖書を金科玉条とする原理主義は土台から揺らいでしまう。信仰の危機に直面した著者はさらに研究を深め、ついには原理主義から転向する。

 それゆえ、本書は原理主義的な読者をかなり意識した書き方になっている。語り口はあくまでざっくばらんだが、その下には論争家の鎧が隠れている。

 キリスト教原理主義者を相手に、いきなりここは後世の改竄だなどとやったら、そこで本を閉じられてしまうだろう。著者はキリスト教はどのように広まったのかと、搦手から話をはじめる。

 初期のキリスト教はユダヤ教の新興宗派であり、離散ユダヤ人の間で信仰されたが、しだいにユダヤ人以外、多くは貧しい虐げられた階層に広まっていき、4世紀にはローマ帝国に公認されるまでになる。

 使徒の手紙はイエスの死の10年後くらいから、福音書は30年後くらいか書きはじめられたと考えられている。初期のキリスト教には教会はなく、最初はユダヤ教のシナゴーグを借りて、ユダヤ教徒の関係が悪化してからは裕福な信者の家で密かに集会を開いていた。集会では読み書きのできる信者が使徒の手紙や福音書を読みあげたが、そうした文書類は信者の中の読み書きのできる者がボランティアで書き写したものであることがわかっている。

 ローマ時代、読み書きのできる者はすくなかった。文書を専門的に筆記する書記という職業もあったが、キリスト教の文書が専門の書記によって筆写されるようになるのは4世紀以降と推定されており、最初の300年間は素人によって書き写されていたらしい。その結果、夥しい写し間違いが生まれた。

 著者はどのような手続で後世の改変や加筆と判断するのかを噛んで含めるように説明した後、いよいよ神学的改竄という微妙な問題に踏みこむ。語り口はざっくばらんながら、地雷原を歩くような緊張感が伝わってくる。アメリカの聖書学者は大変である。

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2007年05月28日

『乗っ取られた聖書』 秦剛平 (京都大学学術出版会)

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 聖書が「乗っ取られた」とは穏やかではないが、「七十人訳聖書」を一般向けに紹介した本である。聖書文献学の入門書にはおもしろい本が多いが、本書もめっぽうおもしろい。

 「七十人訳聖書」とは妙な名称だが、アレキサンドリアに大図書館を築いたプトレマイオス二世のために、エルサレムから招聘された七十二人の長老が七十二日間かけて「モーセ五書」のギリシャ語訳を完成させたという伝説があるので、こう呼ばれている。長老たちは別々に翻訳をおこなったが、出来あがった訳文をもちよってみると、一字一句にいたるまで完全に一致していた。「七十人訳」は神の霊感を受けて完成した完全無欠な翻訳であり、いかなる改変も許されないとされてきた。

 もちろん、これは伝説にすぎない。伝説中の史実に誤りがあるだけでなく、「七十人訳」は完全無欠どころか、問題だらけだからだ。難解な箇所はヘブライ語を音訳してすませることがすくなくなく(カタカナだらけの邦訳のようなものか)、地名などはパレスチナを実地に知っていれば絶対おかさないような間違いをおかしているという。

 そうした語学力不足や単純ミスだけでなく、確信犯的な超訳もあるらしい。「七十人訳」はヘブライ語を解せなくなったアレクサンドリアのユダヤ人のために作られたという説が有力だが、秦剛平はすくなくとも「創世記」と「出エジプト記」はギリシャ語を読み書きする知識人に読ませるために訳された可能性を指摘している。

 「七十人訳」が成立したのはヘレニズム期だが、この頃は各民族が起源の古さを競いあっていた。

 「創世記」に登場する人物の多くは百年以上生きたことになっているが、「七十二人訳」の「創世記」ではさらに数十年づつ下駄をはかせていて、「創世記」全体では千年以上サバを読んでいる。ユダヤ民族の歴史をより長く見せたいという動機があったのは間違いないだろう。

 この時期、ユダヤ人について芳しからぬ風説が流布していた。モーセと出エジプトはユダヤ人以外にも広く知られていたが、モーセはハンセン氏病に罹ったエジプトの神官で、同じ病気に苦しむ賤民とともにエジプトを追放されたのがユダヤ人の起源だというのだ。

 誤解を晴らすには「モーセ五書」をギリシャ語に翻訳するのが一番いいが、「モーセ五書」にはモーセがハンセン氏病に罹っていると誤解されない箇所がある。一つは神が力を示すためにモーセの手を一時的にハンセン氏病に侵されたように見せたという「出エジプト記」の記述であり、もう一つはハンセン氏病に罹っていたモーセの姉ミリアムが神の奇跡によって回復するという「民数記」の記述である(新共同訳では「重い皮膚病」と訳されている)。「七十人訳」ではこの二箇所とも、ハンセン氏病という言葉が省かれているそうである。

 「七十人訳」の最初の動機がユダヤ人の名誉回復と、歴史の古さの宣伝にあったことは間違いないだろうが、皮肉なことに聖書の権威はキリスト教徒に利用されることになる。

 初期のキリスト教はユダヤ教の一派と見なされ、離散ユダヤ人の間に広まっていったが、キリスト教徒はユダヤ人に「七十人訳」を見せ、キリストの到来はあなた方の聖典に予言されていると説いたのだ。以後、「七十人訳」はキリスト教徒の聖書として流布していく。「七十人訳」はキリスト教徒に乗っとられたのである。

 ユダヤ人にとってこんなに腹の立つことはないだろう。対抗策として、彼らは「七十人訳」よりもすぐれたギリシャ語訳を作りだし、キリスト教徒に利用されそうな箇所をつぶそうとしたが、うまくいかなかった。多少の問題はあろうと、先に広まってしまったものの方が強いのである。

 こうなると「七十人訳」の実物が読みたくなるが、著者の秦剛平によって邦訳が進行中で、すでに「モーセ五書」が完結している(『創世記』、『出エジプト記』、『レビ記』、『民数記』、『申命記』)。

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2006年12月30日

『サド、フーリエ、ロヨラ』 ロラン・バルト (みすず書房)

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 ちょっと大袈裟なことをいうと、本書はわたしにとって青春の書である。学生時代に読んでガーンとやられてしまい、その後、英訳で読み、気にいったところだけだがフランス語で読み、多くのものを学んだと思っている。

 しかし、青春の書などという割には手抜きをやっていた。本書はサドの『ソドムの百二十日』、フーリエの『愛の新世界』、ロヨラの『霊操』(訳書中では『心霊修行』)を論じているが、そのどれも読んでいなかったのだ。

 読もうにも、当時は邦訳が出ていなかった。厳密にいえば、『ソドム』には澁澤訳があったものの、全体の1/6にすぎず、読んだうちにははいらない。『霊操』にはエンデルレ書店というその方面の出版社から翻訳が出ていたが、「エンデルレ書店」という名前に恐れをなして注文しなかった。

 その後、『ソドム』と『霊操』は入手しやすい形で出版されたが、今年、『愛の新世界』の完訳が出たのを機に、三冊を読んだ上で『サド、フーリエ、ロヨラ』を読み直してみた。

 当たり前の話だが、元の本を読んでいないとわからないということを確認した。

 批評として見ると「サドⅠ」と「フーリエ」はやや強引な印象がなくはなかったが、「ロヨラ」と「サド⅞」はみごとというしかない。ロヨラとプロテスタントのバルトの接点は一見なさそうだが、バタイユが論じていたということだし、『旧修辞学』でラテン語のレトリックをとりあげた縁がある。バルトのロヨラ論の核心はレトリック論にあるような気がする。

 バルトは脱皮を繰りかえしていて、1973年の『テクストの快楽』から後期バルトがはじまるとされてきた。

 しかし、1971年の本書の段階で「テキストの快楽」という言葉は出てきているし、「フーリエ」と「サド⅞」はテキストの快楽の実践となっている。

 本書の出た1971年には片想い的日本論である『表徴の帝国』も上梓されている。記号学的バルトから後期の快楽のバルトへの転回には日本体験が決定的だったとする見方があるが、本書はまさに日本体験を反芻していた時期に書かれた。実際、本書には記号学的バルトと快楽のバルトが混在していて、バルトの作品史の上で重要な位置にあるといえるだろう。久々に読み直し、やはりすごい本だと確認できたのは幸福だった。

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『霊操』 イグナティウス・デ・ロヨラ (岩波文庫)

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 イエズス会の創始者、イグナティウス・デ・ロヨラが後進の指導のためにまとめた瞑想の指導書である。カトリックにはこれだけ具体的・組織的に書かれた本が他にないので、イエズス会以外の修道会や一般信徒も本書を使って瞑想しているそうである。

 ロヨラはカルドネル河畔で神秘体験を経験し、それによって人間が変わったとされているが、本書はロヨラと同じ体験に導くために書かれた。ロヨラは以前にも神秘的な体験をしているが、カルドネル河畔の体験はイメージを伴わない純粋に知的な直観だった。それゆえ、『霊操』はイメージを通じた神との一体化ではなく、神の意志を探し見いだすことに主眼がある。

 訳者の門脇佳吉氏はこの点に注目し、『霊操』と禅が似ていると指摘している。門脇氏はイエズス会の会士だが、高校時代から参禅していて、『霊操』の修行を実践して禅との共通点をいよいよ感じたという。具体的には次のような点である。

  1. 万物は道/神の活動で活かされているという自覚
  2. 「無」/「不偏」の相似性
  3. 自愛心からの脱却
  4. 世俗の生活から離れて集中的に黙想

 門脇氏は西田哲学の用語を援用し、デカルト的自己が「意識的自己」なのに対し、『霊操』の自己と「行為的自己」だとして、次のように書いている。

 『霊操』における観想は、キリストが御父の御意志をどのように実行され、このキリストの模範に促されて、われわれがどのようにキリストに従って「父なる神」の御意志を実行して行かなければならないかを観る。その場合、キリストも父なる神も人類救済のために「働く方」であり、行為的主体として観られ、それと同じように霊操者も「働く者」である。霊操者はキリストにならって、どのように神と人類に奉仕して行けばよいかを探求する。観想修道会のように、静寂の中に神を観想し、讃美し、祈ることが中心課題ではない。

 門外漢としてはなるほどと思うしかないが、実際に読んでみると、イメージを多用していて、禅より密教や浄土教の観想に似ていると感じた。たとえば、こんな具合である。

四、私のこの生身が朽ち果て、醜い骸になることをじっくりと視る。

五、私のこの身が潰瘍や膿腫におかされ、そこからおびただしい罪と悪事とが吹き出し、汚らわしい膿が流れでるのを観察する。

 こういう観想は密教や浄土教以外の宗派でもやっているようだが、次に引くようなシナリオにしたがった瞑想は密教や浄土教の観想によく似ている。禅ではこういう瞑想はやらないのではないか。

第一前備 歴史的出来事である。ここでは、「われわれの貴婦人」が御懐妊九ヶ月の身でありながら、ナザレをどのような様子で出発されたかを想う。雌ろばに乗られ、牛を連れたヨセフと婢に伴われてベトレヘムに旅立たれた。それはローマ皇帝がすべての国に課している貢物を納めるためであった。

第二前備 想像力を使って場所を見ながら、現場に身を置く。想像の目でナザレからベトレヘムへの道を見、その道の長さと幅、また、平坦であるか、谷や丘を超えて行くか、を見る。同様に御降誕の場所(洞窟)がどれほど大きいか、小さいか、どれほど低いか、高いか、どのように調度品が置かれているかをよく見る。

 あるいはイメージは単なる道具であって、イメージの先にある経験が重要ということなのかもしれない。『霊操』には夥しい注釈書が書かれているというが、多分、口伝の類もあるだろう。これはもう実地に指導を受けて、やってみないことにはわからない。

 瞑想のやり方だけではなく、修行生活全般の注意点も具体的に書かれている。瞑想修行を深めていくには体力が必要だと喝破し、体力を維持するためにパンは減らさない方がよく、減らすなら副食の方だとアドバイスしている。禅病や魔境にあたるような症状についても記述がある。

 禅なのか密教なのか浄土教なのかはおくとしても、東洋で育まれてきた身体知に通ずるものがあるのは間違いない。井筒俊彦は『意識と本質』で仏教、道教、ヒンズー教、イスラム教の身体知の共通の基盤に注目したが、多分、カトリックも例外ではなく人類共通なのだろう。

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2006年12月29日

『愛の新世界』 シャルル・フーリエ (作品社)

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 「空想的社会主義」という言葉がある。マルクス主義を差別化するために作られた言葉で、他の社会主義が「空想的」(原語ではユートピア的)なのに対し、マルクス主義は「科学的」だというのである。

 自分の思想がエセ科学なのをさしおいて、他の思想を「空想的」と決めつけるなど一方的なレッテル貼りだが、しかし、ことフーリエに関しては「空想的社会主義」という呼び方がぴったりくるような気がする。フーリエの本には「空想的」という罵倒語をプラスに変える力があるのだ。

 フーリエが36歳の時にはじめて出版した『四運動の理論』という本がある。翻訳物の思想書がすぐに絶版になる中、今でも現役をつづけている珍らしい本だが、これがとんでもない代物なのである。

 フーリエは人類社会の生存期間は8万年であり、最初と最後の5千年は不幸の時代、真ん中の7万年は幸福の時代だと断定する。現在は最初の不幸の時代の後半にあたっているが、幸福の時代が近づくとオーロラの光がどんどん強まり、「北極冠」という北極をとりまく光の環を形成する。北半球の高緯度地域は「北極冠」によって煌々と照らされ、肥沃な耕地に変わっていく。北極と南極の氷は解け、海の水は甘くなって、人類は調和世界を実現するというのだ。

 SFもびっくりの未来図であるが、これで驚いていてはいけない。フーリエの真骨頂は集団を左右する情念の力学にあり、世界が調和的に発展するのに必要な情念の運動法則なるものを明らかにしていくのである。「四運動」の「運動」とは政治運動のことではなく、情念の運動のことなのである。

 さて、『四運動の理論』が初期の代表作なのに対し、中期の代表作であり、現代におけるフーリエ評価を決定的にした『愛の新世界』が今年ようやく完訳された。

 この本は長らくノートの形で埋もれており、フランスでも出版されたのはフーリエ没後134年をへた1967年のことである。フーリエが残した98冊のノートのうち、5冊が『愛の新世界』の遺稿だったが、首尾一貫した状態ではなかったので、編纂者のシモーヌ・ドゥブーがフーリエのプランにしたがって編集したそうである。

 訳者の福島知己氏はドゥブー版を底本に、フーリエのノートのマイクロフィルムを参照しながら訳したということだが、翻訳物の思想書としては最上の日本語になっており、とても読みやすい。

 本書を読んでいくと「求愛者たちは、ぜひとも天使の快楽を両面で[ ]しようと考えるのである」のように[ ]ではさまれた空白が目立つが、これはフーリエが執筆中に適当な言葉が浮かばず、後で埋めるつもりでこういう形で残したのだそうである。また、「┐」という記号が出てくるが、これは行間に書きこまれた挿入箇所を示すとのこと。読みはじめる前に凡例を確認しておいた方がいい。

 序文の次にいきなり「第四部第一〇節」という見出しが出てきて面食らうが、これは『大論』という未完の大著の一部として構想された名残である。フーリエは純愛(本書中では「セロドン愛」)をとっかかりに、肉体的恋愛と精神的恋愛の種々相を分類していくが、『四運動の理論』を読んでいないと、話が見えにくいかもしれない。

 恋愛とは富裕な者のいとなみなのである。どれほど手広く事業をしていようが、富裕者はいつでも恋愛をしているのだ。反対に、年老いた貧しい怠け者は恋愛しない。貧乏人は若いうちでさえほとんど恋愛しないものだ。

 社会主義者にあるまじき暴言に聞こえるかもしれないが、本書で語られているのはユートピアが実現している時代であり、調和世界には貧乏人は一人もいないことを思いだそう。それゆえ、

 だれもかなり高齢に至るまで恋愛にいそしむことができる。だれもが恋愛という情念に一日の一定時間を充てるから、そこでは恋愛がなによりも大事な問題になる。このため恋愛法典、恋愛法廷、恋愛宮廷その他の諸制度が制定されている。

 調和世界で恋愛とならんで重要なのは美食である。

 調和世界のメカニズムを奥底まで知れば次のことが理解される。つまり、新秩序では叡智とは健康法と料理の二部門からなるということである。両者を組み合わせることにより、野心と大食という第一次長調情念が保証される。この享楽の一大部門を際立たせるため、美食の実践に長調聖人位が与えられる。

 19世紀初頭、王政復古から七月王政にいたる動乱期に、フーリエは恋愛と美食が一大関心事となったユートピアを考えていたのである。まさに空想的社会主義者の面目躍如だが、歯を食いしばって、我慢に我慢を重ねて、理想社会を建設しようとした社会主義が民衆の抑圧と粛清という悲惨な末路をむかえたことを考えると、欲望を肯定したフーリエの「空想」が輝いて見てくる。今日の高度資本主義社会では、近代化型の社会主義はことごとく馬脚をあらわし、悪い冗談と化しているが、フーリエの冗談のような社会主義は逆に思想的衝撃力をもちはじめている。

 ユートピア物語では、ユートピアを知らない人間にユートピアを訪問させる趣向が多いが、本書も途中から戯曲仕立てに変わり、北インドから西欧の調和世界を訪問するという聖英雌ファクマの旅が語られる。さすがフーリエというか、調和世界への訪問者は一人や二人ではなく、千人の黄水仙群団であり、それ自体が一つの共同体となっている。

 この劇中劇をどう考えるかは、もうちょっと時間が必要である。

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2006年06月30日

『グノーシス考 』大貫隆 (岩波書店)

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 『グノーシスの神話』の編訳者であり、日本のグノーシス研究をリードしてきた大貫隆氏によるグノーシス論集である。さまざまな機会に書かれた論文を集めているが、もっとも完成されたグノーシス文書とされている『ヨハネのアポクリュフォン』をめぐる論考群が柱となっている。

 六部にわかれるが、第五部までは文献学的研究で、話が微にいり、細をうがっている。専門的すぎて素人にはついていけない部分もあるが、イメージの使い方を手がかりにした考察が多いので、半分くらいはおもしろく読めた。

 第一部ではグノーシス派の禁欲を正統的なキリスト教の禁欲と比較しているが、グノーシス文献に頻出する性的比喩、特に世界を子宮に見立てる比喩の解明から話をはじめているので、引きこまれた。

 グノーシス文献では至高神を子宮に見立てる例はないことはないが、圧倒的多数の用例では悪しき世界のメタファーとしているという。魂が肉体をとって誕生するということは悪しき子宮に墜落することであり、死はそこからの解放を意味する。子宮が呪わしい現実世界の比喩であるなら、そこから性欲に対する嫌悪はただの一歩である。
 グノーシス主義は表舞台から姿を消した後も、歴史の闇の部分を伏流水のように流れつづけ、カタリ派など、過激な禁欲をともなう異端を生んできたが、子宮としての世界というイメージが根柢にあったと考えればわかりやすい。

 第二部では新約聖書にある「ヨハネの第一の手紙」に、それより後に書かれたはずの『トマスの福音書』の一節を想定した反論が書かれている点に着目し、『トマスの福音書』の素材となった伝承を推定しているらしい。文献学の顕微鏡的議論であり、素人には読みとおせなかった。

 第三部は『ヨハネのアポクリュフォン』の現存する四つの写本の先後関係を推定するといういかにも文献学らしい論考で、きわめて微細な議論がつづくが、意外におもしろかった。

 『ヨハネのアポクリュフォン』はもともとはユダヤ教の一派の文書だったらしいが、キリスト教グノーシス的に改変されていき、それがさらにコプト語に翻訳された形で残っている。ある写本で「母」となっている箇所が、別の写本では「母父」、それも「光のプロノイアの母父」になっている。こうした語句の異動から、グノーシス運動の歴史を読みとっていこうとしているのである。

 第四部は第三部の補遺にあたる論考である。第三部はグノーシス運動の深化の目安として、ストア派批判の度合を使っていたが、クイスペルという研究者から『ヨハネのアポクリュフォン』が直接批判の対象としているのはストア派ではなく、中期プラトン主義ではないかという指摘を受けて書かれたもので、これも素人にはついていけなかった。

 第五部は『ヨハネのアポクリュフォン』が中期プラトン主義から受けた影響を、否定神学という視点から検証したもので、これはおもしろかった。

 第六部は文献学からはなれ、『ヨハネのアポクリュフォン』を実存主義とユング心理学という現代思想の見地から読み直そうというもので、クールダウンにちょうどいい。

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2006年06月29日

『グノーシスの神話 』大貫隆 (岩波書店)

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 グノーシス主義を原典に語らせたアンソロジーである。

 グノーシス主義を紹介した本はたくさんあるが、原典にはなかなかふれることができない。『ナグ・ハマディ文書』は岩波書店から学問的な翻訳が全四巻で出ていたが、現在は品切で入手できない。『トマスによる福音書』は文庫で手に入るが、この文書は比較的早い時期に書かれたものなので、グノーシス主義の複雑怪奇な神話はうかがいしれない。今回、邦訳された『原典 ユダの福音書』は完成されたグノーシスの神話体系を背景にしていることがうかがえるが、神話そのものは語っていない。そうした中で、グノーシス文書を抜粋し、テーマごとにならべた本書は貴重である。

 本書は五章に分かれる。最初の章はグノーシス入門だが、ありきたりの入門ではない。天地万物を讃美した旧約詩篇とストア派の『ゼウス賛歌』を引用した後、グノーシス主義の生き残りというべきマンダ教の葬儀で用いられる歌と対比して、グノーシスのグノーシスたるゆえんを原典によってあきらかにしているのだ。マンダ教の葬儀の歌はこんな感じである。


幸いなるかな、幸いなるかな、魂よ、

  汝は今この世を立ち去れり。

汝は立ち去れり、滅びと

  汝が住みし悪臭のからだ、

悪しき者たちの住まい、

  もろもろの罪に溢れたこの場所を、
闇の世界、

  憎しみと妬みと不和の世界を……


 グノーシス主義がどのようなものかはいろいろ読んでいたが、どんなよく書けた解説もオリジナルの迫力にはかなわない。

 第二章はナグ・ハマディ文書から、第三章はマンダ教の経典から、第四章はマニ教文書からの抜粋が集められている。各章は半ページから数ページの長さの断章をテーマごとに編集し、適宜解説をくわえており、とてもわかりやすい。

 グノーシス主義では悪しき造物主の作った、汚れたこの世界に、真実の世界から魂が落ちてきて、身体に閉じこめられるという創世神話がさまざまに語られるが、その一端を『ヨハネのアポクリュフォン』から引用する。


 その時、ヤルダバオートはアダムの傍らに若い女が立っているのを見た。彼は愚かな思いでいっぱいになり、彼女から自分の子孫を生じさせようと欲した。彼は彼女を辱しめ、一番目の息子を、続いて同じように二番目の息子をもうけた。すなわち、熊の顔をしたヤハウェと猫の顔付きをしたエローイムである。その一方は義なる者であるが、他方は不義なる者である。エローイムが義なる者、ヤハウェが不義なる者である。



 イヴを凌辱するヤルダバオートとは、この悪しき世を創造した造物主である。『ヨハネのアポクリュフォン』では、旧約聖書の神、ヤハウェは悪しき造物主ですらなく、不良造物主がレイプして生まれた出来そこないの息子とおとしめられている。

 『魂の証明』では、肉体をまとってこの世に生まれるとは、無垢なる魂が凌辱されるようなものだと語られている。


 彼女(魂)が一人で父のもとにいた間、処女であり、同時に男女おめの姿をしていた。しかし彼女が身体の中に落ち込み、この命の中に来たとき、そのときに彼女は多数の盗賊の手中に陥った。そして無法者どもは交互に彼女を襲い、彼女を辱しめた。ある者は暴力で彼女に障害を与え、ある者は偽りの贈物で彼女を説得した。要するに彼らは彼女を凌辱したのである。こうして彼女は処女を失った。



グノーシス文献は思想も過激だが、表現も過激である。

 『フィリポによる福音書』では、創世神話は洗礼の儀礼の意味づけに使われている。


 活ける水とは身体である。われわれが活ける人間を着ることは適切なことである。それを着ようと、彼が水へと降りて行くときに裸になるのはそのためである。



美しい表現だが、この身体は服のように魂を覆うものにすぎず、魂の本来のすがたをとりもどすためには、身体を脱ぎ捨てなければならないという含意がある。グノーシスの徒にとっては身体もこの世も邪魔物なのだ。

 魂がもともと属していた真実の世界はプレローマーとかバルベーローと呼ばれる。『ユダの福音書』でも、ユダはイエスに「あなたは不死の王国バルベーローからやって来ました」と呼びかけるが、『ヨハネのアポクリュフォン』からバルベーローに言及している箇所を引用する。


 霊の泉が光の活ける水から流れ出て、すべてのアイオーンとあらゆる形の世界の支度をした。彼は自分を取り巻く純粋な光の水の中に自分自身の像を見たとき、それを認識した。すると、彼の「思考」が活発になって現れ出た。それは光の輝きの中から彼の前へ歩み出た。

 この今や現れ出たものが万物に先立つ力であり、万物の完全なる「プロノイア」、光、光の似像、見えざる者の影像である。それは完全なる力、バルベーロー、栄光の完全なるアイオーンである。



 イエスがバルベーローからこの世に来て、またバルベーローに返っていく存在であるなら、受難の意味はまったく変わってしまう。『ペトロの黙示録』ではこう書かれている。


 救い主は私に言った、「あなたが見ている十字架の傍らで笑っている人物は、活けるイエスである。しかし両手と両足を釘で打たれているのは、彼の肉的な部分、すなわち彼の『代価』である。活けるイエスの模倣物として成ったものを彼らは辱めているのである。しかし、あなたはその模倣物と私を区別しなさい」。



 十字架にかけられたイエスの肉体はイエスそのものではない。真のイエスは磔刑ごときで傷付けられはしないのだ。イエスが笑うことも含めて、『ユダの福音書』の発想とよく似ている。

 ナグ・ハマディ文書からの抜粋が一番多く、第二章は本書の半分近くを占める。マンダ教の経典の抜粋を集めた第三章はそれほど長くないが、内容は実に興味深い。

 いや、マンダ教そのものが興味深いと言いなおそう。マンダ教はもともと洗礼者ヨハネの教団の流れをくむ宗教共同体がグノーシス化したもので、ヨルダン川流域を本拠としていたらしいが、ユダヤ人がローマ帝国に対して反乱を起こした前後、ユダヤ教団の迫害を逃れてチグリス・ユーフラテス河下流の湿地帯に移ったようである。当初はゾロアスター教徒に、イスラム教が広まってからはイスラム教徒に迫害されたが、二千年にわたって独自の信仰を守りつづけたというから、気が遠くなってくる。不幸なことに、マンダ教徒の居住地はイラクとイランの国境地帯にあたるために、イラン・イラク戦争と湾岸戦争でかなりの被害を受けたと見られている。

 本書にはマンダ教の根本経典『ギンザー』の抜粋がおさめられているが、これがまた興味深いのである。

 マニ教から抜粋した第四章はほとんどファンタジーの世界で、この宗教が生きのびてくれていたらおもしろかったのにと思った。

 最後の「結び」では、一時流行したチャネリングや宮台真司氏の女子高生論を引きあいにだして、グノーシス主義の現代性についてふれているが、この章はあまりおもしろくなかった。現代の若者がグノーシス主義と同質のメンタリティをもっているのは確かだろうが、このくらいのスペースで論じられる問題ではないと思う。中途半端に現代性に触れるより、もっと抜粋を載せてほしかった。

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2006年06月26日

『原典 ユダの福音書』 ロドルフ・カッセル編 (日経ナショナル・ジオグラフィック社)

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 1700年ぶりに発見された『ユダの福音書』の翻訳に、文書の修復にあたった専門家チームの解説と解題をくわえて一冊にした本である。翻訳部分は50ページあるが、注釈が多いので、本文だけなら20ページ足らである。

 翻訳にあたっての後書や解題がないので断定はできないが、訳者の顔ぶれが『ユダの福音書を追え』と重なっていることからすると、コプト語からの翻訳ではなく、英語からの重訳だろう。素人が好奇心から読むには十分だが、おそらく十年後か二十年後、岩波書店から出ている『ナグ・ハマディ文書』のような学問的な翻訳が刊行されることになるのかもしれない。

 裏切者とされてきたイスカリオテのユダが実はイエスのもっとも忠実な弟子で、イエスの命令によって彼を当局に通報したという内容だが、要するにグノーシス派の文献であって、こういう解釈もあるというだけのことである。わたしは信仰に無縁な人間だが、信者が読んでも信仰が揺らぐようなことはないと思う。

 同じグノーシス派の文献でも、『トマスによる福音書』には、イエスの時代にさかのぼるかもしれないと思わせるような言葉がそこここにみられが、『ユダの福音書』にはそうした生々しさは感じられなかった。あくまで素人の感想だが、グノーシス派の複雑な宇宙生成論が完成した後に書かれた、教義の絵解きにしか思えない。

 おもしろいと思ったのは、ここに出てくるイエスはよく笑うことである。四福音書には、イエスが笑う場面は一つも出てこない。正統的なキリスト教からは笑いは排除されており、ウンベルト・エーコはそれをモチーフに『薔薇の名前』を書いた。

 笑うイエスは興味深いが、ただ、この笑いは大らかな笑いではなく、馬鹿にしたような笑いで、笑われた弟子たちは傷ついたり、怒ったりしている。このあたり、エリートの宗派であるグノーシス派の特徴が出ているのだろうか。

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2006年06月23日

『ユダの福音書を追え』 ハーバート・クロスニー(日経ナショナル・ジオグラフィック社)

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 死海文書やナグ・ハマディ文書の発見に匹敵するといわれる『ユダの福音書』の発見の経緯を描いたドキュメンタリーである。著者のクロスニーはTVジャーナリストだが、本書も文書の数奇な運命を追いながら、文書の歴史的背景と意義をおりこんでいくというTVのドキュメンタリー番組のような構成になっている。

 『ユダの福音書』はグノーシス派の文献で、名前は知られていたが、四世紀には失われたと考えられてきた。それが千七百年ぶりに出てきたのである。本書には発見から修復完了までの30年間の歴史が書かれているが、悲鳴をあげそうになる箇所がいくつもある。裏切者ユダを主人公としているだけに、この文書には不運と裏切りがつきまっとっているのだ。

 『ユダの福音書』を含むパピルス写本がナイル河中流域で発見されたの1970年代後半だったらしい。その後、古美術商どうしの諍いから盗難にあい、エジプトから秘かに持ちだされた。

 古美術商間の手打ちがすんだ結果、パピルス写本は最初の所有者のエジプト人古美術商の手にもどる。彼は欧米で買い手を探すが、内容がわからなかったにもかかわらず、300万ドルという桁外れの金額をふっかけた。文書は売れず、16年間、アメリカの貸し金庫の中で、劣化しながら死蔵されることになる。

 文書を貸し金庫の中から救いだしたのはフリーダ・ヌスバーガー=チャコスというギリシャ系の古美術商だった。彼女は30万ドル前後で購入し、買い手候補のエール大学のバイネッキ図書館に寄託して、詳しい調査を依頼したところ、『ユダの福音書』が含まれていたと判明する。エール大学は文書が本物だという確信をもっていたが、不法にアメリカに持ちこまれた疑いがあったために、購入を見送ってしまう。

 資金繰りに困ったチャコスはブルース・フェリーニという稀覯書ディーラーに250万ドルで転売するが、これがとんでもない食わせ者だった。フェルリーニは日本企業を巻きこみ、東京の印刷博物館で展示公開した後、文書の複製版と翻訳を出版しようともくろむが、後援者との間にトラブルが生じ、計画は空中分解してしまう。

 結局、チャコスに代金が払えなくなり、パピルス文書は彼女に返却することになるが、フェリーニは文書に致命的なダメージをあたえてしまう。パピルスに絶対にやってはいけない凍結保存を試みてボロボロにした上に、文書の状態をよりよく見せかけるために、ページの順番をいれかえていたのだ。しかも、チャコスに返却するする際には、一部のページを抜きとり、勝手に売却していたのだ。

 ナグ・ハマディ文書は早い段階でエジプト当局に押収されたので、それ以上の劣化をまぬがれたが、『ユダの福音書』を含む写本は良好な状態で発見されたにもかかわらず、間にはいった古美術商たちの無知と強欲のために、四半世紀の間、劣化しつづけた。チャコスがとりもどした時にはボロボロに崩れる寸前だった。

 チャコスは修復の費用をまかなう余裕がなかったので、フェリーニとの交渉に尽力してくれたロバーティ弁護士の設立したマエケナス古美術財団に、将来、エジプト政府に文書を返還するという条件で寄贈した。『ユダの福音書』を含むパピルス写本は、彼女に敬意を払って「チャコス写本」と呼ばれることになった。

 マエケナス古美術財団はコプト学の権威で、ナグ・ハマディ文書にもかかわったロドルフ・カッセルに修復と出版をゆだねた。カッセルのチームは修復にとりかかった。パピルスの破片をジグソーパズルのように組みあわせる作業をつづけ、5年かかって文書を判読可能な状態にした。この事業には、本書の版元であるナショナル・ジオグラフィック財団が資金援助をしているということである。

 『ユダの福音書』にふさわしく、本書には裏切り者が何人も登場する。フェリーニについてはすでに紹介したが、オランダ人で、古美術業界のスキャンダルを売物にしたArtnewsというニュースサイトを運営しているファン・レインもなかなかのものだ(彼の視点から見た『ユダの福音書』騒動の顛末はこちらのページで読むことができる)。

 文書の修復が完了し公開される時期にあわせたかのように、『ダ・ヴィンチ・コード』が世界的なベストセラーになり、映画が公開されるというのも、なにかのめぐりあわせかもしれない。『ダ・ヴィンチ・コード』はイエスとマグダらのマリアが結婚していて、娘までいたというスキャンダラスな内容だが、この余波でグノーシス関係の専門書が書店の目立つ場所にならぶという珍事態が生まれている。

 『ユダの福音書』は世紀の発見とはいっても、あくまで聖書学やグノーシス主義というマイナーな分野の発見である。もし、盗難前にエジプト政府が押収し、1980年に公開していたら、あるいは2001年にフェリーニが東京で公開していたら、本書が日本の書店で平積みになるようなことはなかったろう。宿命というものはやはりあるのかもしれない。

 なお、本書中には『ユダの福音書』は紹介されているにとどまるので、本文を読みたい人は同じ版元から出ている『原典 ユダの福音書』を買う必要がある。

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