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2013年12月30日

『もっとも美しい対称性』 イアン・スチュアート (日経BP社)

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 本書の表紙には左右対称の美しい蝶の写真が大きくレイアウトされている。原題は Why beauty is truth: The story of Symmetry(なぜ美は真実か――対称性をめぐる物語)で、エピグラフに掲げられたキーツの詩の「美は真なり、真は美なり」にもとづく。

 著者のイアン・スチュアートは『世界を変えた17の方程式』や『パズルでめぐる奇妙な数学ワールド』などの一般向け数学書を書いている数学者だ。

 著者はガロアの群論によって対称性がはじめて数学の問題になったと評価している。

 ガロアより前、この質問(対称性とは何か)に対するどんな答えも、漠然として内容がなく、均衡の美といったような特徴に訴えるものだった。筋道立てて数学を進めていけるような概念ではない。だがガロア以降、そして数学界が彼の特定の応用法に隠された一般的な考え方を理解して以降は、疑う余地のない単純な答えが姿を現した。第一に“対称性”という言葉は、一つ二つと数えられるものとして解釈し直さなければならない。物体は単に対称性をもつだけでなく、いくつもの異なる対称性、対称変換を持ちうるのである。

 対称性が美であり真実であるなら、群論によって美と真実が計算可能になったことになる。そんなことがあるのだろうか。

 本書は対称性をめぐる数学・物理学史で、バビロンの書記学校からギリシア、アラブ、近世ヨーロッパを経て現代の超ひも理論まで、人間精神の三千年の歩みを概観している。

 といえばわかるように、本書は先ほど紹介したリヴィオの『なぜこの方程式は解けないか』とかなりかぶっている。もっともスチュアートにはリヴィオのような才気走ったところはなく、生物学や病跡学にまで話を拡げたりはしない。あくまで数学と物理学の土俵を守り、ことに数学については一般向けの本としてはかなり突っこんだ内容まで語ってくれる。

 たとえばアーベルに先駆けて5次以上の方程式に代数的に解をもとめる公式がないと証明しようとしたパオロ・ルッフィーニ。彼の証明はまわりくどく、516頁もの長さだったので同時代の数学者は一人を除いてまともに読んでくれなかったという。

 リヴィオはルッフィーニの証明は後に間違っていたことがわかったで片づけていて、欲求不満が残った。本書ではルッフィーニの証明について次のように書かれている。

 ラグランジュが認識していたとおり、根に関する式の中には、ある種の置換に関しては対称的だが、別の置換に関しては対称的でないものがある。この“部分的対象式”は、方程式の解の公式と密接に関わっている。ルッフィーニ以外の数学者たちも、置換の持つこの性質のことはよく知っていた。だが、ラグランジュのもう一つのアイデアを体系的に用いるというルッフィーニのやり方は、あまり理解していなかった。そのアイデアとは、二つの置換を連続して施すことでそれらを“掛け合わせる”ことができる、というものである。

 アーベルと同じ戦略ではないか。ルッフィーニはアーベルの一歩手前まで行っていたのである。

 ルッフィーニの証明をきちんと読み、評価した同時代人が一人だけいたと書いたが、それはあのコーシーだった。コーシーはルッフィーニが亡くなる半年前に送った書簡で「私の判断では、五次以上の一般的な方程式が解けないことを完全に証明しています」と激賞し、科学アカデミーで彼の証明を紹介したと述べているそうである。

 コーシーがガロアの論文を評価できた背景にはルッフィーニがいたわけだ。コーシーはルッフィーニの証明を完全な証明と思いこんでいたが、そう考えるとガロア理論の真価を見抜けなかった理由もわかる。

 スチュアートはアーベルとルッフィーニの証明における方程式像を 梯子付の塔になぞらえている。1~4次方程式までは天井の上がり口に梯子をかけて最上階まであがれるが、5次以上の方程式は2階の天井に上り口がなく、それより上にあがれない欠陥建築だというわけだ。

 この比喩はいまいちピンと来ないが、スチュアートはガロアの証明法は方程式を塔ではなく木になぞらえるようなものだとしている。幹がガロア群で、幹からわかれる枝葉が部分群にあたるが、こちらの譬えは秀逸だと思う。部分群の説明は結城浩『数学ガール ガロア理論』の図解がわかりやすかったが、あれは木を年輪方向に輪切りにした図解だった。横から見れば枝わかれする樹木になるわけだ。

 群論はノルウェイのソフス・リー(彼もアーベル同様牧師の息子だった)によって新たな段階にはいる。ガロアは代数方程式から群を作ったが、リーは微分方程式から群を作ろうとした。リー群である。

 『なぜこの方程式は解けないか』はリー群について「連続タイプの群」という矛盾した言い方で片づけていたが、本書を読んでなぜ「連続タイプの群」なのかがようやくわかった。

 物理学は連続の世界をあつかうので、リー群はきわめて強力な、なっくてはならぬ武器となる。素粒子論や超ひも理論もリー群なしには成立しないという。

 本書のクライマックスでは8元数が語られる。8元数は4元数を発見したハミルトンの友人のジョン・グレーヴスが、そんなものなら自分にもできると発見(考案?)したもので、グレーヴス自身何の役にも立たないと考えていたが、10次元の超ひも理論の中で現実の宇宙に対応している可能性の最も高い4つのモデルはいずれも8元数によって基礎づけられているのだそうである。もしかしたら我々の宇宙は、19世紀の暇人が余興に考えついた8元数でできているのかもしれない。

 このあたりさっぱりわからないし、わかるはずもないのであるが、物理学者が世界の対称性を探しているということだけはうっすらと理解できたような気がした。対称性は真実、真実は対称性というわけだ。

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