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2013年12月27日

『ガロアの生涯』 インフェルト 日本評論社/『ガロア』 加藤文元 中公新書

ガロアの生涯 神々の愛でし人
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ガロア 天才数学者の生涯
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 数学に群論という新分野を切り拓きながら、20歳で決闘に倒れたエヴァリスト・ガロアの劇的な生涯はある年齢以上なら文系の人間でも知っている。1970年代に高校生だった人はインフェルトの『ガロアの生涯 神々の愛でし人』を読んだか、評判を聞いたかしたことがあるだろう。羞しい言い方になるが、この本は多くの高校生にとって青春の書だったのだ。

 レヴィ=ストロースの『神話論理』を読みはじめて、いよいよ群論を勉強しないといけないなと思い、まず頭に浮かんだのが『神々の愛でし人』だった。絶版を危惧したが、2008年に新版が出ていた。今でも読みつがれているのだろう。

 高校時代に感動した本を読みかえすには躊躇があったが、今でも面白かった。ただ、伝記だと思いこんでいたが、これはまったくの小説だった。しかもガロア研究があまり進んでいなかった1948年に出版されただけに、多くの間違いが含まれている。

 決闘の原因を作った女性として、小悪魔的な魅力をもったエーヴというコケティッシュな娘が登場し、ラストでガロアを陥れるために警察が放ったスパイだったことがほのめかされるが、これはインフェルトの完全な創作だった。ガロアの片恋の相手が判明したのは1968年だから仕方がないにしても、警察による陰謀説をとる人は今ではほとんどいない。

 リシャール先生とアーベルの五次方程式の論文をいっしょに読む場面で、

 エヴァリストは、怒りと憎悪に眼を見開きながら言った。「アーベルは貧乏しながら二七歳で死んだんですね。彼の原稿もコーシー氏が失くしたんですね」。むきになって彼は言い続ける。「それは別々の出来事ではありません。ある型にはまっていますよ。ね、リシャール先生、互いに関係のある出来事じゃありませんか? ぼくの父が死に、ルイ=ル=グランに反乱があり、アーベルやぼくの原稿が消え去り、またアーベルが死んでいるんです」

と吐露する条は迫害妄想的になっているガロアの心境をよくあらわしているが、この時点ではまだアーベルの論文を読んでいなかったことが後に発見されたノートで明かになっている。エコール・ポリテクニークの愚昧な試験官に黒板拭きを投げつけ「これです、ぼくの返答は」と見えを切る場面もやはり創作だった。

 過激王党派に加担して暗殺されたベリー公の追悼ミサを共和主義者の仲間とともに妨害にきたのに、ミサにきた貴族の娘の肉感的な美しさにくらくらしてしまう条など小説としておもしろい場面がある。インフェルトは物理学者にしておくには惜しいくらい小説家の才能がある。

 センチメンタル・ジャーニーは苦いものになったが、オスマンの大改造前のパリのごみごみした街並やルイ・ル・グラン校の冷え冷えとした寮生活を描いた条はリアルに迫ってくる。

 インフェルトはクラクフの貧しい靴屋の家に生まれたユダヤ系ポーランド人だった。長じて理論物理学者になったが、ナチスの迫害を逃れてアメリカにわたり、プリンストン高級研究所でアインシュタインの共同研究者になった。小説の筆をとった背景には中世都市の面影を残した故郷のクラクフを懐かしむ気持があったのかもしれない。

 ガロアの事実に即した生涯とはどのようなものだったか。

 ガロアの生涯については多くの本が出ているが、現時点で最も新しく、目配りがきいているのは加藤文元氏の『ガロア 天才数学者の生涯』だろうと思う。

 この本を読んで驚いたことがいくつもあるが、その第一はガロアの生涯が『レ・ミゼラブル』とほとんど重なっていたことである(なぜ気がつかなかったのだろう!)。

 ジャン・バルジャンが徒刑場から仮釈放されるのは1815年だが、ガロアはその4年前に生まれている。コゼットの恋人のマリユスはABCの会という共和派の過激集団のメンバーだったが、ガロアはそのモデルとなった団体に属していた。物語のクライマックスは1832年の6月5日にはじまるパリ暴動だが、ガロアはその5日前の5月31日に亡くなり、6月2日には葬儀がおこなわれ2000人以上の共和派の同志が集まっている。

 もし前日にラマルク将軍が亡くなっていなかったら、ガロアの葬儀をきっかけにパリ暴動が起きたとする見方があり、そこからガロアは革命のためにみずからを人柱にしたという自殺説が出てくる。

 『レ・ミゼラブル』を読めばわかるが、当時のパリは民衆の不満で一触即発の状態だった。ガロアは決闘で命を落とさなかったとしても、マリユスのような同志とバリケードに立てこもって、銃撃戦で死んでいたかもしれないのである。

 つぎに驚いたのは吉良上野介なみの悪役にされてきたコーシーが実はガロアの庇護者だった可能性があることである。

 他人の研究に無関心なコーシーが珍しくガロアから送られてきた論文を読み、科学アカデミーの席上で報告すると予告した。科学アカデミーの議題にするとはガロアの研究のオリジナリティに報告者が責任をもつということである。これは異例中の異例であり、コーシーがガロアの真価を理解していた証左となるはずだが、これまでは無視されてきた。というのもコーシーは結局報告せず、論文もなくしたとされてきたからだ。

 ところが近年コーシーが報告でガロアをとりあげなかったのは、ガロアに科学アカデミーの数学論文大賞に応募を勧めたためという説があらわれた(科学アカデミーの議題にすると論文は既発表になり、応募できなくなってしまう)。

 コーシーはアーベルの論文も無視したことになっているが、すくなくとも五次方程式に関する論文は読んでいて、ガロアにアーベルを教え、アーベルにないガロア独自のアイデアを強調して書き直すようアドバイスした可能性まであるという。だとしたらコーシーは論文をなくしたのではなく、書き直すように本人にもどしたのである。

 ガロアは大賞に論文を応募しているし、コーシーに対しては何ら不平を述べていないから、この推定は説得力がある(論文の査読はフーリエが担当するが、急逝したために論文は行方不明になる)。

 ガロアはエコール・ポリテクニークの入試に失敗し、当時二流校だったエコール・プレパラトワールに入学するが、ここでもコーシーの世話になったらしい。

 ガロアのような天才なら「二流校」のエコール・プレパラトワールくらい難なく入れると思いがちだが、現在のエコール・ノルマルの前身だけに、エコール・プレパラトワールの学生は国家公務員に準ずる身分で給料がもらえ、就職先も保証されていた。当然倍率も高かった。

 当のガロアは最先端の数学以外にはまったく興味がなく、入試の成績は惨憺たるものだった。入試の物理担当の試験官の所見はこんな具合だ。

 私はここまでロクな答えもできない学生に出会ったことは初めてだと言い得る。彼はまったく何も知らない。
 彼には数学の才能があるということを聞いていたが、またく驚くべきことだ。なにしろ試験において見る限り彼にはほとんどまったく学識があるようには見えない。……たとえ彼が世間で言われているような人物だったとしても、私は彼が良き教師になれるとは到底思えない。

 天才は単なる秀才とは違い、かくもあつかいにくい代物なのだ。

 こういう成績でよく入学できたものだが、そもそもエコール・プレパラトワールの出願期限は過ぎていて、受験できたこと自体が異例中の異例だった(ガロアは教育大臣に受験を認めてもらう請願書を出している)。リシャール先生は一介のリセ教師にすぎず、教育大臣を動かすような力があったとは考えにくい。コーシーが裏で動いてくれたのではないかという説が出てくる所以である。

 ガロアは周囲の人々の骨折りでなんとかエコール・プレパラトワールにすべりこむ。ガロアは無理解な大人たちから迫害された悲劇の天才とされてきたが、すくなくともこの時点までは迫害されるどころか特別な待遇を受けていたようである。

 しかしガロアはこの後いよいよ政治にのめりこみ、エコール・プレパラトワールを放校処分になる。

 ガロアは前年に応募した論文がフーリエの死で行方不明になったために、1831年1月再度書き直して科学アカデミーに提出する。この三度目の論文が幸い残ったのでガロア理論が世に知られるようになったが、科学アカデミーの大賞はとれなかった。

 査読報告が残っているが、加藤氏は「そもそも論文の目的を把握することに失敗している。これは驚くべきことだ」と評している。

 1831年10月ガロアは二度目の逮捕で懲役6ヶ月となるが、コレラ騒動のために監獄からフォートリエ療養所に移される。この時療養所長の娘のステファニー・デュ・モテルが親切に接してくれ、女性経験のなかったガロアは彼女の親切を自分に気があると誤解し、一方的にのぼせあがったらしい。

 ガロアの決闘は謎が多い。大きくわけると陰謀説、自殺説(革命の人柱説)、恋愛説の三つの見方があるが、加藤氏は陰謀説は論外とし、自殺説については革命のきっかけにするなら人の集まりやすい月曜日が好都合なのに、決闘は水曜におこなわれていると疑問を呈している。断定はしていないが、消去法で恋愛説に傾いているような印象を受ける。わたしも恋愛説というか、片恋説が妥当ではないかと思う。

 市街戦で重傷を負ったマリユスはジャン・バルジャンに救われるが、ガロアにはジャン・バルジャンにあたる人物はいなかった。

 フーリエがもうちょっと長生きしていたら、あるいはコーシーが七月革命で亡命しなかったら、ガロアは正当に評価され、あんなにも政治にのめりこまなかったかもしれない。しかし早すぎる死も含めて、これが運命だったのだろう。

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