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2013年12月31日

『シンメトリーの地図帳』 マーカス・デュ・ソートイ (新潮社)

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 今回、途中で放りだしたのも含めると群論関係の本を13冊手にとったが、1冊だけ選べといわれたら、迷わず本書を選ぶ。わかりやすいというだけでなく、文章に含蓄があり、天才たちのエピソードの紹介にも人間的な奥行が感じられるのだ。本書は数学の啓蒙書を超えて一個の文学作品になっているといっていいだろう。

 著者のマーカス・デュ・ソートイは現役の数学者で、群論と整数論を専門にしている。BBCの科学番組にたびたび出演していて(未見であるが、NHKから「オックスフォード白熱教室」として放映されている)、最初の著書『素数の音楽』は世界的なベストセラーになった。

 本書は数学者の一人語りの体裁をとっていて、40歳の誕生日の2005年8月から翌年7月までの1年間の出来事――家族旅行で訪れたアルハンブラ宮殿に平面で可能な17種類のシンメトリーを探したこと、沖縄で開かれた群論の小さな学会、共同研究者のいるドイツのマックス・プランク研究所への出張、自分の研究室の院生とのつきあい方等々――が語られ、それを縦糸として自分の生い立ちと群論の歴史が織りこまれていく。

 デュ・ソートイと数学の出会いは12歳の時の教師の勧めにさかのぼる。大学院で群論を専攻することを決めた際にはサイモン・ノートンに会いにいっている。

 サイモン・ノートンはジョン・コンウェイとともにあらゆる単純群を分類する「アトラス計画」を推進した群論の大御所である。『シンメトリーとモンスター』の後半では颯爽と活躍しているが、外観は颯爽とはかけはなれていた。

 わたしが目にしたのは、まるで浮浪者のような身なりの人物だった。もじゃもじゃの黒髪が四方八方におっ立ち、ズボンは折り返しのところがすり切れていて、着ているシャツは穴だらけ。まわりにたくさんのビニール袋があって、どうやらそこに、身の回りのものがすべて入っているらしい。かかしに似ている。「あの人が、サイモンだ」

 そうこうするうちに、大柄な男がわたしたちのほうにやってくると、ノートンの隣に腰を下ろした。こちらは相手が誰かわからないでいるのに、相手は当然わたしが自分を知っているものと決めこんでいるようだった。この人物も、やはり頭の毛があっちこっちにおっ立っていたが、髪の色は黒ではなく濃い赤で、わたしのほうを見てにやついているその目のきらめきは、怖いまでに荒々しかった。真冬だというのにサンダル姿で、でっぷりとした体をπの小数展開模様のTシャツに包み、ご機嫌な様子で座っている。いささか気の触れたピエロといった趣だ。わたしもじきに知ることになったのだが、この人こそが、海賊船ケンブリッジ号の船長ジョン・コンウェイだった。

 『シンメトリーとモンスター』とのなんという落差!

 二人の大御所以外にも現存の数学者がたくさん登場するが、いずれも期待にたがわぬ奇人変人ばかりで、縁遠いと思っていた数学の世界に親しみが湧いてきた。

 群論を説明するにあたり幾何学を前面に出すのは『シンメトリーとモンスター』と同じだが、方程式の歴史は丁寧に説明している。

 3次方程式の解法をめぐるタルターリアとカルダーノの諍いについてはタルターリアに同情的な人が多く、カルダーノは嘘つきの軽薄才子と相場が決まっているが、デュ・ソートイはカルダーノの言い分を十分紹介し、最初から騙すつもりではなかったとしている。

 カルダーノはタルターリアから秘密を聞いた後、数学書を2冊出版しているが、3次方程式の解法は載せていない。3冊目で載せる気になったのは弟子のフェッラーリがタルターリアの解法を発展させて4次方程式の解法を発見したからだった。それでもカルダーノは躊躇し、公開を決めたのはシピオーネ・ダルフェロの息子と知りあい、ダルフェロがタルターリアよりも早く3次方程式の解法を見つけていたと確認してからだった。もちろん著書にタルターリアの名前は明記している。

 その後の泥仕合はともかくとして、カルダーノは一応の仁義を切っていたのである。

 ずっと敵役とされてきたコーシーは加藤文元『ガロア』で突然親切な恩人になってしまい、いささか困惑していたのであるが、デュ・ソートイはコーシーを生い立ちにさかのぼり、傲慢で自己中心的であるが、血の通った人物として描いている。若い頃は造船所建設に駆りだされたり、知的刺激が受けられなくなって鬱になったり、傷つきやすい若者だったのである。

 しかし「自己宣伝を優先させて基礎工事を行なった人間に体する評価を怠る」傾向はいかんともしがたく、アーベルに先駆けて5次方程式に解法がないことを証明したルッフィーニの業績を科学で紹介すると手紙に書いても、実際はルッフィーニの成果を自分流に発展させたものだけを発表し、ルッフィーニの名前はとうとう出さなかった(ガロアの名前を出したのは異例中の異例だった)。

 科学アカデミーの会合が誰でも出席し質問できたというのも本書ではじめて知った。科学アカデミーで発表するとは会員だけではなく、不特定多数に発表することだったのである。

 別の本でソフィー・ジェルマンという女性数学者がガロアを無礼な若者と書簡に書いていると読み気になっていたが、本書によると三度目の論文を科学アカデミーに提出したガロアは、自分の論文が話題になるかもしれないと思い、毎週科学アカデミーに通い、「報告に口をはさんでは攻撃的な非難を繰り返す人物」としえ札付になっていたというのだ。

 ガロア理論の解説では方程式の解を複素平面上に図示し、解の間の対称性を目に見えるかたちにしている。解の置き換えがようやく腑に落ちた。

 リー群に関しては『シンメトリーとモンスター』の方がわかりやすいのではないかと思う。どちらも比喩による説明ではあるが。

 最後のモンスター群とムーンシャイン問題ではコンウェイが主役となる。『シンメトリーとモンスター』では「アトラス計画」を推進するコンウェイが描かれたが、本書では生い立ちからたどり、『アトラス』刊行後の活動におよぶ(デュ・ソートイが大学院に入った時点では「アトラス計画」は完了していた)。ここまで大きくあつかうのはコンウェイをガロアやリーに匹敵する天才として敬意を払っているのだろう。どこがすごいのか門外漢はわからないが、魅力的な人物であるのは確かなようだ。

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『シンメトリーとモンスター』 マーク・ロナン (岩波書店)

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 群論の研究者が書いた一般向けの本だが、内容はかなり高度である。

 日本版の副題は「数学の美を求めて」だが、原著では「もっとも偉大な数学の探求の一つ」となっていて、著者自身が参加した「アトラス(地図帳)計画」をさす。

 群論を開拓したガロアは群を部分群に分解していくと、それ以上分解できない単純群と呼ばれる特別な群に行き着くことを発見した(単純群とは整数論における素数のようなものといえるかもしれない)。「アトラス計画」とは、この単純群をすべて分類しつくそうという壮大な計画で、1960年代にはじまった。当初は終わりがあるのかどうかもわからず、すくなくとも20世紀中には終わらないだろうと言われていたが、1980年頃には終わってしまい、1985年から電話帳のような『アトラス』の刊行がはじまった。

 めでたしめでたしと言いたいところだが、探求の過程で「モンスター群」と呼ばれる巨大な群が見つかり(最小のものでも19万6883次元空間にある!)、しかもその次元数が整数論の鍵のなる数と1違いということがわかった。モンスター群の巨大な次元数と整数論の鍵となる数の一致はそれ以外にも続々と見つかり、まったく違う分野だと考えられてきた群論と整数論の間に秘められた関係があるのではないかという新しい課題が姿をあらわしてきた。これをムーンシャイン問題という(ムーンシャインとはアイルランドの妖精が月明かりを浴びて踊る情景を意味すると同時に、禁酒法時代の密造酒の意味もあるよし)。

 本書は群論の歴史をふりかえりながら、「アトラス計画」の完成とモンスター群の出現(モンスター群は素粒子論や超弦理論と関係があることがわかってきた)、ムーンシャイン問題という最新の話題をカバーしている。

 群論は方程式の解法を探す過程で生まれたが、本書は群論の基礎にある対称性を重視し、プラトン立体からはじめている(現代の群論は幾何学との関係が深いそうであるが、本書も幾何学を前面に出している)。

 正三角形4面からなる正四面体、正方形6面からなる正六面体(立方体)、ピラミッドを二つ底面で貼りあわせたような正八面体、五角形12面からなる正一二面体、正三角形20面からなる正二十面体はプラトンの学園にいたテアイテトスが発見したとされているのでプラトン立体というが、きわめて対称性の高い図形であることは一目でわかるだろう。

 対称性が高いといっても、それは印象にとどまり、数学的に語る方法がなかった。

 対称性を数学の問題として厳密に語れるようになったのはガロアが群論の基礎を築いてからである。本書にもガロアと5次方程式の話は出てくるが、全17章のうちの1章にすぎない。

 本書のヒーローはガロアよりもむしろソフス・リーである。

 リーはアーベルと同じくノルウェイの牧師の息子として生まれたが、夭折したアーベルと違い頑健な巨体と体力に恵まれ、郷里では「良い子にしなさい。さもないと、ソフス・リーが来て、あなたを連れていってしまうわよ」と言われていたそうである。普仏戦争の時にはちょうどパリに遊学していたが、戦乱の中を徒歩でイタリアまで行こうとし、スパイ容疑で一ヶ月間監獄暮らしをする破目になったという武勇伝まで残っている。

 リーは曲線や曲面のような連続に変化するものを有限の構造に落としこむ方法を開発し、後にリー群とかリー代数と呼ばれる新分野を切り拓くが、ガロア理論のようになかなか理解されなかった。しかしリーは57歳まで生きたので、多くの論文を書き弟子を育てることができた。

 連続を有限の構造に落としこむといわれても雲をつかむような話であるが、著者のロナンは例としてコンピュータの2進法をあげ、音声や画像を周期2の有限代数系に落としこんでいるとしている。

 よくわからないのであるが、単純群探しにはリー群が大活躍するそうで、後半は「アトラス計画」の話になっていく。2129万6876次元空間とか、8億4260万9326次元空間、185億3875万76次元空間等々、途方もない数字が次から次へと出てきて、頭の中が真っ白になる。

 最後の方で超ひも理論の26次元空間や10次元空間が出てくると、なぜかほっとしてしまった(どちらもわからないのであるが)。

 とうてい理解できなかったが、群論の最先端をちょっとだけのぞかせてもらい、こういう世界もあるのだなあと嘆息した。

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2013年12月30日

『もっとも美しい対称性』 イアン・スチュアート (日経BP社)

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 本書の表紙には左右対称の美しい蝶の写真が大きくレイアウトされている。原題は Why beauty is truth: The story of Symmetry(なぜ美は真実か――対称性をめぐる物語)で、エピグラフに掲げられたキーツの詩の「美は真なり、真は美なり」にもとづく。

 著者のイアン・スチュアートは『世界を変えた17の方程式』や『パズルでめぐる奇妙な数学ワールド』などの一般向け数学書を書いている数学者だ。

 著者はガロアの群論によって対称性がはじめて数学の問題になったと評価している。

 ガロアより前、この質問(対称性とは何か)に対するどんな答えも、漠然として内容がなく、均衡の美といったような特徴に訴えるものだった。筋道立てて数学を進めていけるような概念ではない。だがガロア以降、そして数学界が彼の特定の応用法に隠された一般的な考え方を理解して以降は、疑う余地のない単純な答えが姿を現した。第一に“対称性”という言葉は、一つ二つと数えられるものとして解釈し直さなければならない。物体は単に対称性をもつだけでなく、いくつもの異なる対称性、対称変換を持ちうるのである。

 対称性が美であり真実であるなら、群論によって美と真実が計算可能になったことになる。そんなことがあるのだろうか。

 本書は対称性をめぐる数学・物理学史で、バビロンの書記学校からギリシア、アラブ、近世ヨーロッパを経て現代の超ひも理論まで、人間精神の三千年の歩みを概観している。

 といえばわかるように、本書は先ほど紹介したリヴィオの『なぜこの方程式は解けないか』とかなりかぶっている。もっともスチュアートにはリヴィオのような才気走ったところはなく、生物学や病跡学にまで話を拡げたりはしない。あくまで数学と物理学の土俵を守り、ことに数学については一般向けの本としてはかなり突っこんだ内容まで語ってくれる。

 たとえばアーベルに先駆けて5次以上の方程式に代数的に解をもとめる公式がないと証明しようとしたパオロ・ルッフィーニ。彼の証明はまわりくどく、516頁もの長さだったので同時代の数学者は一人を除いてまともに読んでくれなかったという。

 リヴィオはルッフィーニの証明は後に間違っていたことがわかったで片づけていて、欲求不満が残った。本書ではルッフィーニの証明について次のように書かれている。

 ラグランジュが認識していたとおり、根に関する式の中には、ある種の置換に関しては対称的だが、別の置換に関しては対称的でないものがある。この“部分的対象式”は、方程式の解の公式と密接に関わっている。ルッフィーニ以外の数学者たちも、置換の持つこの性質のことはよく知っていた。だが、ラグランジュのもう一つのアイデアを体系的に用いるというルッフィーニのやり方は、あまり理解していなかった。そのアイデアとは、二つの置換を連続して施すことでそれらを“掛け合わせる”ことができる、というものである。

 アーベルと同じ戦略ではないか。ルッフィーニはアーベルの一歩手前まで行っていたのである。

 ルッフィーニの証明をきちんと読み、評価した同時代人が一人だけいたと書いたが、それはあのコーシーだった。コーシーはルッフィーニが亡くなる半年前に送った書簡で「私の判断では、五次以上の一般的な方程式が解けないことを完全に証明しています」と激賞し、科学アカデミーで彼の証明を紹介したと述べているそうである。

 コーシーがガロアの論文を評価できた背景にはルッフィーニがいたわけだ。コーシーはルッフィーニの証明を完全な証明と思いこんでいたが、そう考えるとガロア理論の真価を見抜けなかった理由もわかる。

 スチュアートはアーベルとルッフィーニの証明における方程式像を 梯子付の塔になぞらえている。1~4次方程式までは天井の上がり口に梯子をかけて最上階まであがれるが、5次以上の方程式は2階の天井に上り口がなく、それより上にあがれない欠陥建築だというわけだ。

 この比喩はいまいちピンと来ないが、スチュアートはガロアの証明法は方程式を塔ではなく木になぞらえるようなものだとしている。幹がガロア群で、幹からわかれる枝葉が部分群にあたるが、こちらの譬えは秀逸だと思う。部分群の説明は結城浩『数学ガール ガロア理論』の図解がわかりやすかったが、あれは木を年輪方向に輪切りにした図解だった。横から見れば枝わかれする樹木になるわけだ。

 群論はノルウェイのソフス・リー(彼もアーベル同様牧師の息子だった)によって新たな段階にはいる。ガロアは代数方程式から群を作ったが、リーは微分方程式から群を作ろうとした。リー群である。

 『なぜこの方程式は解けないか』はリー群について「連続タイプの群」という矛盾した言い方で片づけていたが、本書を読んでなぜ「連続タイプの群」なのかがようやくわかった。

 物理学は連続の世界をあつかうので、リー群はきわめて強力な、なっくてはならぬ武器となる。素粒子論や超ひも理論もリー群なしには成立しないという。

 本書のクライマックスでは8元数が語られる。8元数は4元数を発見したハミルトンの友人のジョン・グレーヴスが、そんなものなら自分にもできると発見(考案?)したもので、グレーヴス自身何の役にも立たないと考えていたが、10次元の超ひも理論の中で現実の宇宙に対応している可能性の最も高い4つのモデルはいずれも8元数によって基礎づけられているのだそうである。もしかしたら我々の宇宙は、19世紀の暇人が余興に考えついた8元数でできているのかもしれない。

 このあたりさっぱりわからないし、わかるはずもないのであるが、物理学者が世界の対称性を探しているということだけはうっすらと理解できたような気がした。対称性は真実、真実は対称性というわけだ。

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『なぜこの方程式は解けないか』 マリオ・リヴィオ (早川書房)

なぜこの方程式は解けないか →紀伊國屋ウェブストアで購入

 題名は『なぜこの方程式は解けないか』となっているが、方程式にふれているのは9章のうち3~5章で、全体の1/3ほどにすぎない。それ以外はすべて群論と対称性の話で、量子力学から生物学、さらには宇宙論にまで話がおよぶ。群論はそれほど射程が広いのだ。

 著者のマリオ・リヴィオは宇宙物理学者だが、『黄金比はすべてを美しくするか?』という一般向け数学書で国際ピタゴラス賞とペアノ賞を受賞していて、才筆には定評があるようだ。

 群論に関する本は本欄でとりあげなかったものも含めて何冊か読んだが、情報量は本書が飛び抜けて多く、トリビアが機関銃のように連射される。対称性がテーマだけに章題を

対称性を見る心の目

と鏡字で記すなど遊び心にあふれている。

 第3章「方程式のまっただ中にいても忘れるな」ではメソポタミア文明から16世紀のヨーロッパまでの方程式の研究史が駆足でたどられるが、タルターリアの条では三次方程式の複雑な解法を記憶しておくために、謎詩を作ったという話が出てくるのだ。当時は数学試合の結果で実入りのいい就職が決まったから、解法は絶対に秘密にしておかなくてはならず、他人に盗み見られてもわからないように謎詩にするのが賢明な選択だった。こんな話は他の本には載っていないが、巻末の付録には謎詩と、その詩を解いて出てくる式引用されているのである。

 第4章「貧困に苛まれた数学者」は結核で若くして死んだアーベルが主人公だが、ノルウェイ政府の補助金でベルリンに遊学した際、留学仲間と協同で部屋を借り、パーティでどんちゃん騒ぎをし、同じ建物に住んでいたヘーゲルを怒らせたというエピソードが出てくる。芝居にもよく行っていたという。アーベルというと少女漫画風の繊細そうな肖像画の印象が強いが、実は大の芝居好きで、パーティで騒ぐような陽気な面もあったのである。

 方程式はガロアによって最終的な解決があたえられ、方程式の研究には終止符が打たれるが、そのガロアはご存知のように決闘で腹部に銃弾を受け、腹膜炎で夭折してしまう。

 ガロアの死体は病理解剖にまわされ検死報告書が作られたが、報告書の半分以上は脳の解剖所見なのだそうである。銃弾が当たったのは腹部なのに、「大脳は重く、脳回は広い。脳溝は深く、とくに側面で顕著……」というような記述が必要なのか。リヴィオはこう推測している。

 この病理学者は、死因が明らかなガロアの脳をなぜこれほど徹底的に調べたのだろう? 報告書の冒頭の一文が手がかりになるかもしれない。「若き優秀な数学者エヴァリスト・ガロア(二一歳)は、何よりもその旺盛な想像力で知られていたが、二五歩の距離から撃たれた弾丸による急性腹膜炎のため、一二時間後に死亡した」。思うに、この病理学者は、ハーヴェイがアインシュタインの脳を持ち出したのと同じ好奇心に駆られたのではなかろうか。

 そうだとするなら、天才児ガロアの名は数学者の間のみならず、インテリの間で広く喧伝されていたことになる。

 ガロアは5次以上の方程式は代数的方法では解けないことを証明したが、楕円関数(アーベルの最後の研究テーマ)を使って解くことに成功した数学者がいる。シャルル・エルミートで、彼はガロアが卒業した11年後にルイ・ル・グラン校に入学し、ガロアの天才を見出したリシャール先生に教えを受けている。なんと在学中に権威ある数学の専門誌に論文が掲載され、その題名が「五次方程式の代数的解に関する検討」だというのである。

 因縁はさらにつづく。彼はエコール・ポリテクニークに合格したものの、足の奇形が理由で一年で退学させられてしまうのだ。陸軍省所管の学校だからだろうか(エコール・ノルマルとエコール・ポリテクニークについては彌永昌吉『ガロアの時代 ガロアの数学〈1〉時代篇』参照)。

 楕円関数による五次方程式の解法はほぼ同時にクロネッカーも発見していて、なぜ楕円関数を使うと解けるのかという理由まで掘りさげたという。

 クロネッカーの成果をもとにエルランゲン・プログラムで有名なクラインは『正20面体と5次方程式』を書き、5次方程式の五つの解の置換群と正20面体の回転群が同型だと証明したということである。リヴィオは「5次方程式と回転の群と楕円関数が絡みあった壮大なタペストリー」と書いている。さっぱりわからないが、大変なことらしい。

 量子力学の根底に群論があり、超ひも理論も群論の産物だということは他の本にも出ているが、リヴィオはさらに生物の性選択と対称性の問題まで語りはじめる。竹内久美子が悪名高き『シンメトリーな男』で紹介した、左右の対称度が高いオスほどもてるという例の理論である。

 対称度の高い顔を美しいと感じる傾向は脳のMRI画像でも確認されていて、文化に関係ないそうである。「健康で生殖能力の高い配偶者を求めるという点で、われわれの心は、石器時代の祖先とまったく同じようにプログラムされている」というわけだ。

 最後の章「ロマンチックな天才へのレクイエム」では天才の病跡学まであつかっている。話題を拡げすぎではないかと思わないではないが、最後の最後まで息つく暇もないほどの面白さである。

 なお本書はよくも悪くも「広く浅い本」である。専門書は歯が立たないが、もうちょっと数学的な内容を知りたいという人は次に紹介する『もっとも美しい対称性』をお勧めする。

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2013年12月29日

『数学ガール ガロア理論』 結城浩 (ソフトバンククリエイティブ)

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 わかりやすいといわれているガロア理論の解説本をもう一冊読んでみた。ライトノベル風の物語にしたてた数学書として非常に人気のある『数学ガール』の五冊目である。

 このシリーズは高校生の「僕」と、同じ高校にかよう秀才のミルカさん、一年下のテトラちゃん、そして「僕」の従妹で中学生のユーリの四人組が楽しくおしゃべりしながら数学を学んでいくという趣向で、今回は数学好きの集まる双倉図書館で「ガロア・フェスティバル」が開かれることになり、四人組も群論にチャレンジする。

 第1章から第9章までが準備段階で、ガロア理論に必要な群論や体、線型空間、剰余類などの武器を入手し、経験値を高めていく。そして最後の第10章でいよいよガロアの「第一論文」の攻略にとりかかる(科学アカデミーに三度目に提出した論文だが、遺書に書かれた三本の論文の構想では一本目にあたるので「第一論文」と呼ばれることが多い)。

 本欄にとりあげた以外でも群論の入門書を何冊か覗いたが、ほとんどの本があみだくじを例にあげている。本書もあみだくじから説明をはじめているが、あみだくじのイラストがわかりやすいし、縦三本のあみだくじを《すとん》、《ぐるりん》、《どんでん》に分類するのもアイデアである。《すとん》、《ぐるりん》、《どんでん》は後々何度も出てくるので、直感的にわかった方がいいのだ。

 巡回群から複素平面、正n角形、共役複素数、作図を例にした代数と幾何学の関係へと話題を進める順序は実に自然で、この流れで線型空間の概念がすらすらとわかる。

 ラグランジュの分解式は本書では「ラグランジュ・リゾルベント」という名前で登場する。二次方程式を復習問題にまわし、規則性が見えやすい三次方程式からはじめたのはよかったし、三つの解を《すとん》、《ぐるりん》、《どんでん》で置換すると共役複素数になるというのもわかったが、最小分解体のところで理解に自信がなくなった。こういう初歩的なところで足踏みしてしまうのだから、年はとりたくないものだ。

 それでも二次方程式の解が、有理数体に判別式の √b^2-4ac を添加した体の中にあるのはわかり、これだけでも世界が広がった感じがした。

 塔の理論から作図可能性に進む条はわくわくしてきた。この辺りが数学の醍醐味なのだろうか。

 剰余群の部分はガロア理論理解の鍵になるらしいが、ここも難物だ。時間を置いてから読み直してみようと思う。

 さてアイテムが一通りそろったところで、いよいよガロア理論である。

 物語の上ではフェスティバルの前日、四人組が準備のために残っていると電車が不通になってしまい、図書館に泊まることになる。翌朝、開場前の展示室を歩きながら、ディスプレイされた第一論文の文言をもとに四人が議論しあうという設定になっている。

 体の塔と群の塔が対応しあうことをガロア対応と呼び、補助方程式の根を添加していくと体は拡大して行き、一方群は縮小していく関係にあるそうだ。このあたり、わたしにはもうお手上げである。

 もともと難しい上に、あてられた紙幅が多くないので早足になっているような気がする。若い人ならすらすらわかるのだろうが、わたしの老化した脳ではついていけなかった。

 ガロア理論がわかったとはいえないが、レヴィ=ストロースを読むのに必要な群の知識は十分知ることができたような気がする。本書が群論の入門書としてすぐれていることは間違いないだろう。

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『13歳の娘に語るガロアの数学』 金重明 (岩波書店)

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 方程式の研究は16世紀に急激に進んだ。まず3次方程式の解法が発見され、すぐに4次方程式が解かれた。次は5次方程式だが、多くの数学者が挑戦したもののどうしても解けなかった。そこで解けない理由があるのではないかという疑いが出てきた。

 5次方程式が加減乗除と√では解けないことを証明したのはノルウェイのアーベルだが、どういう方程式なら解けるのかという証明がまだ残っていた。

 方程式の問題を最終的に解決したのは17歳のガロアである。彼は単に方程式が解ける必要十分条件を示しただけでなく、証明の過程で無限の問題を有限のモデル(群)に落としこんで解決する手法を編みだした。これがガロア理論で、現代数学のもっとも強力なツールとなっている。

 今日大学でガロア理論をとりあげる際は、アルティンの『ガロア理論入門』(ちくま学芸文庫)のように、まず抽象化された群論を教え、最後にその応用として方程式論にふれるそうである。ガロア理論は方程式論からはじまったが、方程式が解けるか解けないかは今では単なるおまけなのだ。

 書店でアルティンの本をぱらぱらめくってみたが、とうてい歯が立ちそうにないので、中学生にもわかるという『13歳の娘に語るガロアの数学』を読むことにした(高校生を想定した結城浩『数学ガール ガロア理論』も読んだが、一長一短である)。

 著者の金重明氏は『算学武芸帳』で朝日新人文学賞した小説家である。和算ものの時代小説を得意としているが、『戊辰算学記』という小説にガロア理論を盛りこもうとしたところ、読者にはわからないという理由で編集者にばっさり削られてしまった。その捲土重来を期して書かれたのが本書である。

 講義パートに娘との議論パートがつづく体裁だが、執筆の際は講義パートを書きあげるごとに中学一年生だった娘さんに読ませ、その時のやりとりを議論パートに活かしたという。

 アルティンの本は著者も挫折したそうで、本書は歴史的な流れに沿う形で話を進めている。第1章で2次方程式を復習し、第2章では3次方程式と4次方程式の解法が出てくる。4次方程式は3次方程式におろすところまでだが、ややこしい数式がつづく。4次方程式まで引っ張りだしたのは著者の趣味だろう。

 放りだしそうになったが、和算家が代数学に向かわなかったのはなぜかという話題が出てきたので興味をつなぐことができた。

 和算家は求積問題を追求して微積分の一歩手前まで行ったが、代数学では目だった成果を上げていない。その理由は算盤だそうである。和算家は3次方程式でも4次方程式でも、算盤を使ってたちどころに近似値を出すことができた。算盤で簡単に近似値を出せたので、原理的な解法を探求したり、数学を抽象化したりする方向には向かわなかったわけだ。

 第3章ではラグランジュの分解式が出てきて群論につながるが、この部分がわからなかった。式の展開はついていけるし、

 方程式を解くとは、体の立場で言えば、係数の体Qにその体の元の巾根を添加して、方程式の根を含む体に拡大していくことを意味していた。

という条は視界が一気に開ける感動を覚えた。しかし

代数方程式が巾根で解ける、つまり

  X^n=A

をつぎつぎに解くことによって解けるのは、根の置き換えによってその巾根の間を動いていくような値を見つけることができたからだ、ということを発見する。

という条はわからない。もっと説明してほしかったと思う。

(余談だが、通常「冪」ないし「囂」と書くところを著者は「巾」と書いている。和算ものの時代小説を書いている著者だけに和算の伝統にしたがったのだろう。)

 群の説明はあみだくじや15ゲーム、ルービックキューブを例にしている。ルービックキューブを例としたのは、根の置換えが120通りもある5次方程式を説明するためだが、必要以上に難しくしてしまったのではないか。4次方程式の解法同様、著者が趣味に走ったのではないかという気がする。

 第4章でいよいよガロア理論となるが、わたしの場合ラグランジュの分解式の理解があやふやなので、論旨は追っていけたが、あやふや感が消せなかった(もちろん、すらすらわかる人もいるだろう)。

 ガロアの生涯についても語られているが、研究が進んでいない段階で書かれた『神々の愛でし人』に寄りすぎている。ガロアの伝記に興味のある人は加藤文元『ガロア 天才数学者の生涯』(中公新書)を読んだ方がいい。

 本書はわたしには難しかったが、5次以上の方程式が代数的な方法では解けないということの意味について、以下の条ははじめて腑に落ちる答えをあたえてくれた。

 前に数の拡張を考えるとき、実数を有理数と無理数に分けた。そしてそのときには無理数として √2 のような巾根を考えた。しかし今の結果は、無理数の中に、巾根であらわすことのできない数が無数に存在することを示している。
 ただ、今発見した「巾根で表現できない数」も、代数方程式の根であるという重要な手がかりがあり、まったくわけのわからない数というわけではない。実は無理数の中には、代数方程式の根では表現できない数が無限にある。そのような数を「超越数」と読んでいる。円周率πは代表的な超越数だ。
 実数は数直線上に並んでいる。
 どんなに近い有理数を取ってきても、その真ん中には別の有理数がある。つまり、有理数はぎっしり詰まっている。
 その有理数の隙間に、巾根であらわされる数が無限にある。さらにその隙間に、巾根であらわすことのできない代数方程式の実数根が存在する。そこまででも想像を絶するのに、さらにその隙間に、超越数がこれまで考えたいかなる数よりも濃密に存在するというのだ。

 眩暈がしてくるようなビジョンだが、5次以上の方程式の解法がないとはそういう意味だったのである。

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2013年12月28日

『ガロアの時代 ガロアの数学』時代篇&数学篇 彌永昌吉 丸善出版

ガロアの時代 ガロアの数学〈1〉時代篇
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ガロアの時代 ガロアの数学〈2〉数学篇
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 百歳の天壽をまっとうした日本を代表する数学者が93歳と96歳の時に上梓した本である。こういう言い方は失礼かもしれないが、よくある回想録の類ではなく、原資料や最新の研究にあたって書かれた本格的な著作である。文章はきびきびしていて無用のくりかえしはない。90代半ばにしてこれだけの文章が書けるとは。かくありたいものだ。

 本書はガロアの生涯を描いた「時代篇」と業績を解説した「数学篇」の2巻からなる。

 「時代篇」は4章にわかれ、各章の末尾には簡単な年表がついている。

 第1章「時代背景 政治史から」は25頁ほどの簡単なものだが、ガロアが在籍したルイ・ル・グラン校やエコール・プレパラトワール、入学を果たせなかったエコール・ポリテクニークについてまとめられているのはありがたい。

 エコール・ポリテクニークとエコール・ノルマルは恐怖政治が終わった1794年に国家を立てなおすためのための学校として設立された。

 エコール・ポリテクニークは土木技術者の養成が主目的で内務省所管だったが、革命を守るための軍事技術者が必要となり、陸軍省所管に移された。帝政期にはナポレオンが肩入れしており、共和主義的色彩の強い学校だった。

 エコール・ノルマルは教員資格の認定権を教会から国家に移すために文部省所管の師範学校として設立された。王政復古で教会が復権すると格下げされてエコール・プレパラトワール(準備校)という屈辱的な名前になり、共和主義的な教員が追放された。七月王政で再びエコール・ノルマルにもどり、エコール・ポリテクニークと同格のエリート校になっていくわけであるが、ガロアが入学したのはエコール・プレパラトワール時代の最後の時期だった。

 第2章「時代背景 数学史から」はギリシアからガロアの時代にいたる数学史で110頁ほどある。興に乗ってリーマンやワイエルストラスなど、ガロア後の展開にもふれているが、ガロアと因縁のあるコーシーの人となりと業績については類書よりも詳しく書かれている。

 いきなり読んだら歯が立たなかったろうが、リヴィオの『なぜこの方程式は解けないのか?』を読んでいたので、何の話をしているかぐらいは見当がついた。

 第3章「生涯」は本書の中心部分で80頁ほどある。加藤文元『ガロア』と重なるが、本書の特色は原資料や、1896年に書かれその後のガロア観を方向づけたとされるデュピュイの伝記を随所で引用していることである。書簡類や親友のシュヴァリエの記事などが生に近い形で読めるのは貴重だが、デュピュイの伝記の最後の部分は引用する価値がある。

 デュピュイはガロアの不運と早すぎる死を嘆く人々に対し、もしエコール・ポリテクニークに入学していたなら7月革命の時に街頭で殺されていたかもしれないし、決闘で死ななかったとしても6月暴動で命を落としていただろう、だから彼は「生命を生ききった」と考えるべきだと説き、こうつづける。

 エヴァリストは不滅なものは、人間の思い出のうちにあるとよく言っていたが、そうだとすれば、人間のいる限り彼は不滅である。一般大衆には知られないかもしれないが、彼の名はエリートの賞賛によって忘却から守られるであろう。その人たちのために私は次の願いをこめてこの論文を書いたのである。それは天才への賞賛だけではなく燃えるような魂、苦悩に充ちた哀れな心情への同情心を持つことである。理念のみを表すこの名の傍らに、生きた人間の姿があることを知っていただきたいのである。

 全部読みたくなるではないか。70頁ほどの短い伝記らしいので、誰か翻訳してくれないか。

 ガロアの死については断定していないが、陰謀説には否定的で、自殺説というか革命の人柱説をかなり肯定的に紹介している。決闘で死ぬのは1/14程度の低い確率だったのに、遺書で死に確定的に言及しているのはおかしいという説である。これ以上資料は出てこないだろうし、何ともいえないけれども。

 第4章「ガロアが書き残したものから」はガロアの遺稿3編が解説付で収録されている。

 まず1829年に『数学年報』に「ルイ・ル・グラン校の生徒」という肩書で発表されたガロアのデビュー論文「循環分数に関する一定理の証明」で、すでにガロア理論の基礎となる定理が含まれているという。連分数は当時流行の問題だったので多くの人に読まれたのではないかという。

 2番目は1832年3月にフォートリエ療養所で書かれた「純粋解析の進歩についての討論」というエッセイである。論文集の序文にするつもりだったらしいが、権威に対する批判を乱暴な言葉づかいで述べている。

 最後は『神々の愛でし人』でも引用された、決闘の前夜に書かれたシュヴァリエ宛の遺書である。これは涙なくしては読めない。

 「数学篇」は3章にわかれる。

 第1章「19世紀遺稿の数学の発展から」は「歴史篇」の数学史の章のつづきであるが、いきなり偏微分が出てきてまったく歯が立たなかった。

 第2章「ガロアの理論」は純粋数学の基礎として発展した現代の群論の視点から再構成したガロア理論だが、これもまったく歯が立たない。結城浩『数学ガール ガロア理論』の1~9章までと展開が似ているような気がするので、『数学ガール』を読み終えてからもう一度チャレンジしたが、やはりわからない。『数学ガール』の群の解説は非常に明快でわかったようなつもりになったが、ラスボスのガロア理論となるとやはりわかっていなかった。

 第3章「ガロアの主著」は科学アカデミーに提出した三度目の論文の全訳をもとに、ガロアがどのように証明したかを再検証している。最初はまったく歯が立たなかったが、金重明『13歳の娘に語るガロアの数学』と、ガロアの論文を逐条的に解説している『数学ガール ガロア理論』の10章を読んだ後にながめたら、何をやっているかがうっすらとわかるような気がした(気がしただけで理解できたわけではない)。

 考える材料をたくさん提供してくれる本だ。数学に自信のない人は「数学篇」は飾っておくだけになってしまうかもしれないが、「歴史篇」の方は十分有益だろう。

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2013年12月27日

『ガロアの生涯』 インフェルト 日本評論社/『ガロア』 加藤文元 中公新書

ガロアの生涯 神々の愛でし人
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ガロア 天才数学者の生涯
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 数学に群論という新分野を切り拓きながら、20歳で決闘に倒れたエヴァリスト・ガロアの劇的な生涯はある年齢以上なら文系の人間でも知っている。1970年代に高校生だった人はインフェルトの『ガロアの生涯 神々の愛でし人』を読んだか、評判を聞いたかしたことがあるだろう。羞しい言い方になるが、この本は多くの高校生にとって青春の書だったのだ。

 レヴィ=ストロースの『神話論理』を読みはじめて、いよいよ群論を勉強しないといけないなと思い、まず頭に浮かんだのが『神々の愛でし人』だった。絶版を危惧したが、2008年に新版が出ていた。今でも読みつがれているのだろう。

 高校時代に感動した本を読みかえすには躊躇があったが、今でも面白かった。ただ、伝記だと思いこんでいたが、これはまったくの小説だった。しかもガロア研究があまり進んでいなかった1948年に出版されただけに、多くの間違いが含まれている。

 決闘の原因を作った女性として、小悪魔的な魅力をもったエーヴというコケティッシュな娘が登場し、ラストでガロアを陥れるために警察が放ったスパイだったことがほのめかされるが、これはインフェルトの完全な創作だった。ガロアの片恋の相手が判明したのは1968年だから仕方がないにしても、警察による陰謀説をとる人は今ではほとんどいない。

 リシャール先生とアーベルの五次方程式の論文をいっしょに読む場面で、

 エヴァリストは、怒りと憎悪に眼を見開きながら言った。「アーベルは貧乏しながら二七歳で死んだんですね。彼の原稿もコーシー氏が失くしたんですね」。むきになって彼は言い続ける。「それは別々の出来事ではありません。ある型にはまっていますよ。ね、リシャール先生、互いに関係のある出来事じゃありませんか? ぼくの父が死に、ルイ=ル=グランに反乱があり、アーベルやぼくの原稿が消え去り、またアーベルが死んでいるんです」

と吐露する条は迫害妄想的になっているガロアの心境をよくあらわしているが、この時点ではまだアーベルの論文を読んでいなかったことが後に発見されたノートで明かになっている。エコール・ポリテクニークの愚昧な試験官に黒板拭きを投げつけ「これです、ぼくの返答は」と見えを切る場面もやはり創作だった。

 過激王党派に加担して暗殺されたベリー公の追悼ミサを共和主義者の仲間とともに妨害にきたのに、ミサにきた貴族の娘の肉感的な美しさにくらくらしてしまう条など小説としておもしろい場面がある。インフェルトは物理学者にしておくには惜しいくらい小説家の才能がある。

 センチメンタル・ジャーニーは苦いものになったが、オスマンの大改造前のパリのごみごみした街並やルイ・ル・グラン校の冷え冷えとした寮生活を描いた条はリアルに迫ってくる。

 インフェルトはクラクフの貧しい靴屋の家に生まれたユダヤ系ポーランド人だった。長じて理論物理学者になったが、ナチスの迫害を逃れてアメリカにわたり、プリンストン高級研究所でアインシュタインの共同研究者になった。小説の筆をとった背景には中世都市の面影を残した故郷のクラクフを懐かしむ気持があったのかもしれない。

 ガロアの事実に即した生涯とはどのようなものだったか。

 ガロアの生涯については多くの本が出ているが、現時点で最も新しく、目配りがきいているのは加藤文元氏の『ガロア 天才数学者の生涯』だろうと思う。

 この本を読んで驚いたことがいくつもあるが、その第一はガロアの生涯が『レ・ミゼラブル』とほとんど重なっていたことである(なぜ気がつかなかったのだろう!)。

 ジャン・バルジャンが徒刑場から仮釈放されるのは1815年だが、ガロアはその4年前に生まれている。コゼットの恋人のマリユスはABCの会という共和派の過激集団のメンバーだったが、ガロアはそのモデルとなった団体に属していた。物語のクライマックスは1832年の6月5日にはじまるパリ暴動だが、ガロアはその5日前の5月31日に亡くなり、6月2日には葬儀がおこなわれ2000人以上の共和派の同志が集まっている。

 もし前日にラマルク将軍が亡くなっていなかったら、ガロアの葬儀をきっかけにパリ暴動が起きたとする見方があり、そこからガロアは革命のためにみずからを人柱にしたという自殺説が出てくる。

 『レ・ミゼラブル』を読めばわかるが、当時のパリは民衆の不満で一触即発の状態だった。ガロアは決闘で命を落とさなかったとしても、マリユスのような同志とバリケードに立てこもって、銃撃戦で死んでいたかもしれないのである。

 つぎに驚いたのは吉良上野介なみの悪役にされてきたコーシーが実はガロアの庇護者だった可能性があることである。

 他人の研究に無関心なコーシーが珍しくガロアから送られてきた論文を読み、科学アカデミーの席上で報告すると予告した。科学アカデミーの議題にするとはガロアの研究のオリジナリティに報告者が責任をもつということである。これは異例中の異例であり、コーシーがガロアの真価を理解していた証左となるはずだが、これまでは無視されてきた。というのもコーシーは結局報告せず、論文もなくしたとされてきたからだ。

 ところが近年コーシーが報告でガロアをとりあげなかったのは、ガロアに科学アカデミーの数学論文大賞に応募を勧めたためという説があらわれた(科学アカデミーの議題にすると論文は既発表になり、応募できなくなってしまう)。

 コーシーはアーベルの論文も無視したことになっているが、すくなくとも五次方程式に関する論文は読んでいて、ガロアにアーベルを教え、アーベルにないガロア独自のアイデアを強調して書き直すようアドバイスした可能性まであるという。だとしたらコーシーは論文をなくしたのではなく、書き直すように本人にもどしたのである。

 ガロアは大賞に論文を応募しているし、コーシーに対しては何ら不平を述べていないから、この推定は説得力がある(論文の査読はフーリエが担当するが、急逝したために論文は行方不明になる)。

 ガロアはエコール・ポリテクニークの入試に失敗し、当時二流校だったエコール・プレパラトワールに入学するが、ここでもコーシーの世話になったらしい。

 ガロアのような天才なら「二流校」のエコール・プレパラトワールくらい難なく入れると思いがちだが、現在のエコール・ノルマルの前身だけに、エコール・プレパラトワールの学生は国家公務員に準ずる身分で給料がもらえ、就職先も保証されていた。当然倍率も高かった。

 当のガロアは最先端の数学以外にはまったく興味がなく、入試の成績は惨憺たるものだった。入試の物理担当の試験官の所見はこんな具合だ。

 私はここまでロクな答えもできない学生に出会ったことは初めてだと言い得る。彼はまったく何も知らない。
 彼には数学の才能があるということを聞いていたが、またく驚くべきことだ。なにしろ試験において見る限り彼にはほとんどまったく学識があるようには見えない。……たとえ彼が世間で言われているような人物だったとしても、私は彼が良き教師になれるとは到底思えない。

 天才は単なる秀才とは違い、かくもあつかいにくい代物なのだ。

 こういう成績でよく入学できたものだが、そもそもエコール・プレパラトワールの出願期限は過ぎていて、受験できたこと自体が異例中の異例だった(ガロアは教育大臣に受験を認めてもらう請願書を出している)。リシャール先生は一介のリセ教師にすぎず、教育大臣を動かすような力があったとは考えにくい。コーシーが裏で動いてくれたのではないかという説が出てくる所以である。

 ガロアは周囲の人々の骨折りでなんとかエコール・プレパラトワールにすべりこむ。ガロアは無理解な大人たちから迫害された悲劇の天才とされてきたが、すくなくともこの時点までは迫害されるどころか特別な待遇を受けていたようである。

 しかしガロアはこの後いよいよ政治にのめりこみ、エコール・プレパラトワールを放校処分になる。

 ガロアは前年に応募した論文がフーリエの死で行方不明になったために、1831年1月再度書き直して科学アカデミーに提出する。この三度目の論文が幸い残ったのでガロア理論が世に知られるようになったが、科学アカデミーの大賞はとれなかった。

 査読報告が残っているが、加藤氏は「そもそも論文の目的を把握することに失敗している。これは驚くべきことだ」と評している。

 1831年10月ガロアは二度目の逮捕で懲役6ヶ月となるが、コレラ騒動のために監獄からフォートリエ療養所に移される。この時療養所長の娘のステファニー・デュ・モテルが親切に接してくれ、女性経験のなかったガロアは彼女の親切を自分に気があると誤解し、一方的にのぼせあがったらしい。

 ガロアの決闘は謎が多い。大きくわけると陰謀説、自殺説(革命の人柱説)、恋愛説の三つの見方があるが、加藤氏は陰謀説は論外とし、自殺説については革命のきっかけにするなら人の集まりやすい月曜日が好都合なのに、決闘は水曜におこなわれていると疑問を呈している。断定はしていないが、消去法で恋愛説に傾いているような印象を受ける。わたしも恋愛説というか、片恋説が妥当ではないかと思う。

 市街戦で重傷を負ったマリユスはジャン・バルジャンに救われるが、ガロアにはジャン・バルジャンにあたる人物はいなかった。

 フーリエがもうちょっと長生きしていたら、あるいはコーシーが七月革命で亡命しなかったら、ガロアは正当に評価され、あんなにも政治にのめりこまなかったかもしれない。しかし早すぎる死も含めて、これが運命だったのだろう。

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2013年12月26日

『神話論理〈1〉生のものと火を通したもの』レヴィ=ストロース(みすず書房)/『アスディワル武勲詩』(ちくま学芸文庫)

神話論理〈1〉生のものと火を通したもの
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アスディワル武勲詩
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 レヴィ=ストロースの大著『神話論理』の第一巻である。視力が落ちないうちに読みきりたいと思い、手をつけることにした。

 レヴィ=ストロースには『アスディワル武勲詩』という神話研究の傑作がある。わずか120頁の小著ながら、カナダ太平洋岸、バンクーバーのあたりからアラスカにかけて伝承されたツィムシアン族の神話群を水際立った手際で分析してみせ、新しい神話研究の方法論を世に問うた構造分析宣言とでもいうべき本である。

 『神話論理』四部作は『アスディワル武勲詩』の延長上で起稿されたが、最初の二巻が主に南アメリカ、後半の二巻が主に北アメリカと南北両アメリカ大陸を覆い、邦訳にして3000頁近くにおよんでいる。

 規模がこれだけ違う以上、重点の置き方も違ってくる。

 神話にはオリジナルがなく、すべて異文だという立場は同じであり、異文を生みだす神話素をとりだすのに構造言語学の音素分析の方法を援用する(英語話者には law と raw は別の音だが、日本語話者にはどちらも「ロー」で同じ音になるというように)点も共通だが、『アスディワル武勲詩』が神話素とツィムシアン族の習俗や宇宙観の相関関係を重視するのに対し、『神話論理』では神話素の対立が部族から部族をまたいでどのように変形されていくかにより注目している。最終的には現実につながるのかもしれないが、とりあえず神話は現実に根をおろすのではなく、神話固有の時空に枝葉を伸ばしていくのである。

 『アスディワル武勲詩』には神話が部族の現実に直結するという「岩底に達する」ような安心感があったが、『神話論理』では神話が神話を際限なく生みだしていくという浮遊感が広がっている。

 本書の章立ては音楽用語で統一されているが、序文にあたる「序曲」には次のようにある。

 そしてたぶん、すでに示唆してあるが、さらに踏み込んで、主体というものを取り除いて、ある意味では、神話たちはお互いに考え合っている、と想定すべきであろう。というのは、本書で取り出して示したいのは、神話の中に何があるかであるよりは、互いに最大限離れた精神や社会や文化から取り出した具体的資料である無意識に作られたものに共通の意味を与えることのできる、最上のコードを決めている公理と公準の体系だからである。

 「神話たちはお互いに考え合っている」という表現を奇矯と受けとる人がいるかもしれないが、『神話論理』を行きつもどりつしながら読みすすめていくと、まさに神話が神話を考える世界なのだと実感する。わたしは本書を二回読んだが、二回目の方が浮遊感がよりいっそう深い。

 さて『生のものと火を通したもの』である。本書は人間が火を獲得して料理が可能になり、自然と文化が分割されたという料理の起源をあつかうが、出発点となるのは『悲しき熱帯』でおなじみのボロロ族の神話で、『神話論理』全体の「基準神話」ともなっている。

 「鳥の巣あさり」と呼ばれる神話だが、長いのでごくかいつまんで要約してみよう。

 成人式をむかえる若者にペニスの鞘を作ってやるために母親が森にはいるが、若者は森の中で母を犯してしまう。父親は息子が母親を犯したのを知り、死者の霊のがらがらを取りに行かせるが、彼は祖母と鳥の助力で無事にもどってくる。
 父親は若者に崖の上のコンゴウインコをとりにいかせる。巣の高さまで登ったところで棒を倒してしまい、彼は宙吊りになった。どうにか頂上にたどりつき、木の枝で弓矢を作ってトカゲをとらえた。
 若者はトカゲを食い、残りを手足にくくりつけたが、腐ってあまりに臭いので気絶する。そこにコンドルが降りてきてトカゲをたいらげ、彼を尻から食いはじめた。尻を全部食べたところで満腹になり、コンドルは若者を地上に下ろしてやった。
 彼は我に返り果実を食べるが、尻がないので素通りしてしまう。彼は祖母の話を思いだし、塊根を練って尻を作った。
 若者はようやく村にもどるが、村には誰もいない。彼は親兄弟を探してさまよい、祖母と弟を足跡を見つける。彼は恐れからトカゲの姿を身にまとっていたが、ついに決心して真の姿を見せた。
 その夜、嵐になり、村の火が全部水につかり、祖母の火だけが残る。翌朝、村人全員が種火をもらいにきた。父親は何ごともなかったように彼をむかえた。
 若者は父親に復讐するために狩りを催すように仕組む。彼は父親が待ち伏せしている場所を見つけると、偽の角をつけてシカに変身し、父親に突進して突き刺し、湖に突き落とした。父親はブイオゴエの霊(人食魚)に食われ、骸骨は底に沈み、肺は水草になった。
 若者は村にもどると父親の妻たちにも復讐した。

 この神話のどこに料理の起源があるのか、自然と文化の分割があるのかと不思議に思う人がほとんどだろう。ボロロ族の神話そのものは料理に直接は結びつかない。料理につなげるにはボロロ族の隣接地域に居住するジェ語を話す諸部族が伝える火の起源神話を仲立ちにする必要がある。

 本書にはジェ系の火の起源神話の異文が六話収録されているが、その中からカヤポ族の神話を紹介しよう。

 あるインディアンが岩山の頂にコンゴウインコの巣を見つけ、妻の弟のボトケを連れて雛鳥をつかまえにいく。梯子を登ったボトケは巣から卵を投げおろすが、卵は途中で石になり、義兄は怒って梯子をはずしてしまう。
 ボトケは岩山の上で数日間立ち往生し、飢えと渇きで自分の糞便を食べる。
 そこの弓矢と獲物をもったジャガーが通りかかる。ジャガーは地面に映っているボトケの影をとらえようとするがつかまらない。上を見て影だとわかると梯子を治し、ボトケに降りるように言う。
 ボトケが降りてくるとジャガーは彼を背中に乗せ、住家に連れていって焼いた肉を食わせる。人は火を知らなかったので、火を通した肉を食べたのはボトケが最初である。
 ジャガーはボトケを養子にするが、ジャガーの妻は彼をいじめるので森に逃げる。
 ジャガーは彼に弓矢をあたえる。ボトケは継母を射殺すが、怖くなって弓矢と焼いた肉をもって村に逃げる。
 ボトケは夜中に村に着き、母親の寝床を見つけ自分が死んでいないと納得させる。彼は出来事を語り、火を通した肉を配る。インディアンたちはジャガーから火を奪いとることにする。
 インディアンたちはジャガーの留守宅を襲い火を持ち去る。村にはじめて灯りがともり、肉を焼き、竈で暖をとれるようになる。
 ジャガーは火と弓矢を奪った養子の忘恩を怒り、人間に憎しみを抱く。ジャガーは牙で狩りをし、肉を生で食べることにする。

 ボロロとジェの神話は内容こそ異なるが、構造がよく似ている。

 どちらの神話の主人公も鳥の巣を荒らそうとして高所から降りられなくなり、飢える。臭気の原因は異なるが(腐ったトカゲと自分の糞便)、悪臭を身にまとう点も同じである。

 その一方相違点もある。ボロロの主人公は実の父親に棒を倒されるが、ジェの方は姉の夫によって梯子をはずされる。ボロロの主人公は人間の実子だが、ジェの方はジャガーの養子である。ボロロの主人公は母親に近づきすぎてインセストを犯し、父親を殺してしまう。ジェの主人公は養父の方から接近してきて母親のように面倒をみてくれるが、恩知らずにも養母を殺してしまう。

 さらに言えば、ジェの神話が火の起源神話だとするなら、ボロロの方は雨風の起源神話である。内容が真逆なのだ。二つの神話は単に相違するというより、対称性にもとづいた反転関係にあるといった方がいい。

 部族から部族へ神話が伝播する際、神話素に何らかの変換がおこなわれる。変換の理由は部族の習俗の違いによる場合もある。たとえばジェ系の部族の多くは母系で妻方居住なので、村にもどってきた主人公は母親か姉妹によって自分だと認めてもらうが、夫方居住のシェレンテ族の伝える異文では兄弟によって認められるというように変換されている。

 しかし現実だけが変換を左右するわけではない。ティンビラ族の伝える異文では父親によって認められるとなっているが、ティンビラ族は妻方居住なのである。

 神話は蜘蛛の巣状に広がっており、今の言葉でいえばハイパーテキストを構成している。ハイパーテキストのノードからノードへ移る際に変換が起き、変換がくりかえされて元にもどることもある。

 レヴィ=ストロースが『親族の基本構造』につづいて、本書でも群論に助けをもとめているのも決して根拠のないことではない。厳密な群を構成しているわけではないが、神話の網の目は群に似た閉じた構造をとっているらしいのである。

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