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2013年09月15日

『悲しき熱帯』Ⅰ&Ⅱ レヴィ=ストロース (中公クラシックス)

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 世界的なベストセラーとなったレヴィ=ストロースの自伝的紀行である。

 原著は1955年に刊行されたが、日本では1967年に『世界の名著』第59巻にマリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』(これも文化人類学の古典)との合本で抄訳がはいった後、1979年に全訳がオレンジ色の表紙の二巻本で刊行された。本書は2001年に出た新版で、レヴィ=ストロースが寄せた「「中公クラシックス」版のためのメッセージ」(2000年12月付)と、訳者の川田順造の「『悲しき熱帯』のいま――四十六年ののちに」(1979年版の訳者前書の再録を含む)が巻頭に付されている。

 レヴィ=ストロースは「メッセージ」で労働観の比較研究の一環として1977年から12年間にわたってほぼ毎年のように来日し、日本各地の職人を訪ね歩いている。その調査から日本人にとって「はたらく」こととは「西洋式の、生命のない物質への人間のはたらきかけではなく、人間と自然のあいだにある親密な関係の具体化」だと確信したという。

 その一方、日本の自然破壊、なかんずく隅田川の舟遊びで目の当たりにした現在の隅田川と北斎の版画に描かれた景色との落差に驚き、捕鯨批判と絡めて次のように述べている。

 日本人がある時は自然を、ある時は人間を優先し、人間のために必要なら自然を犠牲にする権利を自らに与えるのも、おそらく自然と人間とのあいだに、截然とした区別が存在しないことによって説明されるのかもしれません。

 川田の「『悲しき熱帯』のいま」では原著が26ヶ国語に翻訳され、現代の古典として現在も広く読まれていること、日本でも700頁近い全訳版が22年間に21版を重ねていることを述べた後、邦題の「悲しき」では原題のtristesの「憂鬱な、暗い、うんざりする」という重苦しい語感との間に距離がある点に注意をうながしている。

 川田はレヴィ=ストロース門下ではないが、しばしば教えを受ける機会があった。ある時、東洋の自然観について質問したところ、レヴィ=ストロースは仏教思想には敬意をいだくものの、特別な修行でしか到達できない輪廻思想などには否定的で、自分は認識論では「ごく常識的なカント主義者」であり、不可知論に立って認識の深化につとめる「ラディカルなペシミスト」だと語ったという。

 本書もペシミズムに深く染めあげられているが、次の条は引用しておきたい。

 地球環境の保護などという考え方も、所詮は人間のアメニティないしは生き残りのための自然維持論であり、先生の壮大なペシミズムからみれば、形を変えた人間中心主義ということになるだろう。『悲しき熱帯』には、一九三〇年代のブラジル奥地の、まだ人間にひどく汚されていない自然と、そこにつつましく生きるインディオたちの、息をのむような叙述がふんだんにある。

 川田はアフリカをフィールドとする文化人類学者だが、本書でとりわけ印象的に語られたナンビクワラ族の居留地を1984年に雑誌の企画で訪れている。「『悲しき熱帯』のいま」というタイトルだとその話を期待してしまうが、本書の前書ではさわり程度である。興味のある人は『「悲しき熱帯」の記憶―レヴィ=ストロースから50年』(中公文庫)を読めということだろう。

 さて本編である。わたしは全訳版を出た直後に読んでいるので、34年ぶりの再読になるが、ところどころ、それもどうでもいいエピソードしか憶えていなかった。

 こくのある文章に魅せられたが、本書の魅力は若書きではないということにあるだろう。

 レヴィ=ストロースは24歳から28歳の4年間サン・パウロ大学で社会学を講じながら、休暇に先住民の調査に出かけていたが、最後の年に補助金をえてキャラバンを仕立て、ブラジル横断を敢行している。その体験を20年間反芻し、40代半ばで一気に書き下ろしたのが本書なのである。

 20年の間に第二次大戦の応召と敗戦による除隊があり、アメリカへの亡命があった。かつて途上国の大学のお雇い外国人として往復した大西洋を無一文の亡命者として渡るのは愉快な経験ではなかったが、同じ船にはアンドレ・ブルトンらも乗り合せていた。たまたま航海士が顔なじみだったために特別待遇を受けることができたものの、土語を書きためたノートは暗号文と誤解されかねず、ヴィシー政権のスパイと疑われてホテルで軟禁状態におかれたこともあった。

 レヴィ=ストロースはもの悲しくもあれば滑稽でもあった亡命行から、夢見るように語りはじめる。学生時代にさかのぼり、順当な学者コースを捨ててサン・パウロ大学に赴任した経緯と新大陸での生活に話を進めていく。新大陸では実際は驚きの連続だったろうが、初発的な驚きは後年のインドの調査や北米での体験と比較・相対化され、セピア色の憂いをおびた夢語りの中に溶けこんでいく。

 満ちて来る忘却の潮の中で私が思い出を転がしているあいだ、忘却は思い出をすり減らし、埋め隠す以上の働きをしたようだ。思い出の断片から忘却が築き上げた深い構築は、より堅固な平衡を私の歩みに与え、より明晰な下絵を私の視覚に示してくれる。一つの秩序が他の秩序に置き換えられた。私の視覚とその対象とを隔てていた二つの谷間の崖を、歳月は崩し、そこに残骸を詰め込み始めた。

 理論的な著作からはうかがいしれない繊細の精神の流露だが、第五部の「カデュヴェオ族」からは幾何学の精神が動きだし、けぶるような映像はきっかりと焦点が合いはじめる。

 カデュヴェオ族は大学の休暇を利用して民族学調査をはじめたレヴィ=ストロースが出会った部族だ。ムバヤ=グアイクル語族という大集団の最後の生き残りで、貴族・戦士・下層階級という一種のカースト制をとっており、世襲貴族の子供と同じ日に生まれた子供は「戦の兄弟」として一代貴族に列せられる。

 堕胎と嬰児殺しが普通におこなわれ、子供は遠征によって他の部族から奪ってくる。本来の部族の血を引いている成員は10%程度という報告がある。

 精緻な工芸品と顔の隈取で知られており、貴族の女は金を払って写真を撮れと、毎日着飾って撮影を強要に来た。レヴィ=ストロースはフィルムを節約するために、金だけ払って写す真似ですませた。

 男は彫刻、女は絵画の伝統を保持していたが、名人芸を維持しているのは少数の老人に限られていた。レヴィ=ストロースは老人たちの作品を買いとり、長い伝統の消滅する時期に最後の逸品を手に入れたとよろこんだが、15年後にブラジル人民族学者が最近収集したという絵を見て驚く。様式も技術も着想もレヴィ=ストロースがもっていたものとほとんど同じだったからだ。

 何とも食えない民族であるが、レヴィ=ストロースはカデュヴェオ族の巧緻を極めた芸術は社会構造の矛盾を芸術に移しかえた結果ではないかと書いている。

 もしこの分析が正しいとすれば、社会の利害や迷信が妨げさえしなければ実現したはずの諸制度を象徴的に表わす方法を、飽くことのない情熱で探し求める一社会の幻覚として、最終的にはカデュヴェオ族の女の絵画芸術を解釈し、その芸術の神秘的な魅惑や、一見何の根拠もないように思われるその錯綜ぶりを説明すべきであろう。素晴らしい文明ではないか、そのクィーンたちは化粧で夢を囲むのだ。化粧は決して到達できない黄金の時を叙述する神聖文字であり、法典がないので、クィーンたちは身を飾ってその時を祝福するのである。そして自らの裸体を現わすように、黄金の時のヴェールを外して見せるのだ。

 次に出会ったボロロ族は二つの半族にわかれた双分組織をとり、それを反映した環状集落を作っていることで知られている。レヴィ=ストロースの構造概念の出発点となった部族で、『構造人類学』や『親族の基本構造』でも大きくとりあげているし、『神話論理』冒頭の「基準神話」もボロロ族のものである。

 環状集落という構造はボロロ族の社会生活、なかんずく儀礼と密接に結びついている。農耕をつづけていると土地が消耗するために村は長くとも30年以上同じ場所にとどまることはない。したがって「村を成しているのは、土地でも小屋でもなく、すでに記述したような或る一つの構造であり、その構造をすべての村が再現する」というわけだ。

 サレジオ会の宣教師はこの点にいち早く気づき、頑としてキリスト教を受け容れないボロロ族を家が平行にならぶ集落に移住させた。家の並び方が変わっただけで彼らは混乱し、儀礼がないがしろにされるようになり、しだいにキリスト教に飲みこまれていった。

 サレジオ会は民族資料を多く書き残して先住民文化の保存に多大の貢献をおこなったが、民族学的知見をもっているだけに文化破壊にも長けているのである。

 次のナンビクワラ族はレヴィ=ストロースがもっとも哀惜をこめて描いた部族である。写真が何点か載っているが、男も女も岸田劉生描くところの麗子像のような顔立ちで、日本人には親しみがもてる。

 全財産は負い籠におさまってしまい、インディオの発明したハンモックすらもたず、裸で地面に転がって寝る。男はペニスサックさえつけていず、夫婦は他人の前でもいつもじゃれあっている。まさに「人類の幼年期」を髣髴とさせる部族だ。

 この何ももたない純真な部族に文字の概念が入ってきた瞬間をレヴィ=ストロースはとらえている。有名な「文字の教え」の章で、後にジャック・デリダが『グラマトロジー』で大々的に批判したことでも知られている。

 久しぶりに読み直してみたが、ここは実に面白い。

 最後はトゥピ=カワイブ族だが、タペライという首長のキャラが立っている。彼は集団中の結婚可能な6人の女性のうち4人を自分の妻にしているが、妻を仲間や来訪者に貸すことで女の独占を中和している。

 タペライは食えない男だが、彼が独り芝居で演ずる「ジャピンの笑劇」の条は感動的で本書のクライマックスである。

 本書を読み直してみたかった動機の一つに実松克義の『衝撃の古代アマゾン文明』に描かれたような古代文明の痕跡が描かれていないだろうかという年来の疑問があった。レヴィ=ストロースが最後の年に踏破した地域にモホス平原が含まれているのではないかという気がしていたのだ。

 巻末の地図で確認してみると、ナンビクワラ族の遊動する地域がモホス平原とかぶっていた。そして次の一節を見つけた。

 その貧乏ぶりにもかかわらず、身体形質からはメキシコの最古の住民を、言語の構造からはチブチャ王国を髣髴させるこのナンビクワラ族が、真の未開人である可能性はきわめて少ないように思われる。

 あくまで直観であって何も証明されているわけではないが、意味深な感想である。

 古代アマゾン文明とは関係ないが、アメリカ大陸に人類が到達した年代を2万年前としているのにも驚いた。1万3000年前に無氷回廊が開き、クローヴィス文化をもった狩猟民が南下したという説はついこの間まで主流派だったのであり、クローヴィス以前に人類がいたなどといおうものならトンデモ説の烙印を捺されかねなかった。

 ところがレヴィ=ストロースは1955年の時点で、人類のアメリカ大陸移住経路には沿岸ルートがあったはずだとして、次のように書いていたのである。

 太平洋岸全体――アジア側でもアメリカ側でも――にわたって或る強力な活動が生まれ、それが、数千年のあいだ、一つの地域から他の地域へと沿岸航海によって弘まって行ったという仮説を認めることなしに、アメリカ大陸の諸文明の起源を理解するのはむずかしい。……中略……今やわれわれに残されているのは、恐らく第二の誤り、すなわちアメリカ大陸は二万年のあいだ、全世界から切り離されていたという考えを訂正することであろう。西ヨーロッパからアメリカ大陸が切り離されていたというだけの理由で、われわれはそう思い込んで来たのであった。あらゆる事実はむしろ、大西洋の深い沈黙に対して、太平洋を取り囲む全域には、分封する蜂の唸りにも似たざわめきあがあったことを暗示している。

 現在の説ではアメリカ到達は1万6000年か1万7000年前くらいまで遡るとされているが、発見があいついでいるから2万年前までいく可能性はゼロではないだろう。レヴィ=ストロースの直観はないがしろにできない。

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