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2013年09月11日

『人類20万年 遙かなる旅路』 アリス・ロバーツ (文藝春秋)

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 2009年にBBCで5回シリーズとして放映された「The Incredible Human Journey」の書籍化である。異なる立場の意見も丁寧に紹介されており、現時点で人類のグレート・ジャーニーものとしてはもっとも内容豊かで信頼できる本だと思う。

 著者のアリス・ロバーツは医師でバーミンガム大学で解剖学を教えるかたわらサイエンス・コミュニケーターとして活躍している。彼女のサイトを見ればわかるように大変な美人で、宣伝文句風にいえば美しすぎる解剖学者である。

 解剖学と関連の深い古人類学の学位をもち、最近河出書房から翻訳の出た『人類の進化大図鑑』(以下『大図鑑』)も彼女の編著である。『大図鑑』を見ればわかるが、サイエンス・コミュニケーターとしての実力は第一級である。

 「The Incredible Human Journey」では案内役として世界各地の現場に飛び、先住民や研究者と語りあったり、石器や土器作りから筏による航海、零下70度の雪原での野営まで体当たりの取材をしている。人類史の最新の知見を伝える一方、美しすぎる解剖学者の秘境冒険ものとしての面もそなえている。

 元の番組は先日NHKの『地球ドラマチック』枠で「人類 遥かなる旅路」として放映されたが、5回のうち3回だけだったし(本書の第1章、第3章、第5章に相当)、正味59分が43分に短縮された。アリスの出演場面はすべてカットされ、渡辺徹のナレーションで進むように再編集されていた。秘境冒険もの的な要素がなくなってしまい、ほとんど別の番組である。話の流れのおかしなところが多々あったが、本書を読んでようやく論旨が一貫した。

 人類のグレート・ジャーニーについてはさまざまな本が出ているが、著者がもっとも評価し、本書の下敷きとしているのはオッペンハイマーの『人類の足跡10万年全史』である。グレート・ジャーニーの最初と最後のイベント――出アフリカとアメリカ大陸到達――の時期でオッペンハイマー説を踏襲しているし、オッペンハイマー自身に会いにいき、教えを受けてもいる。オッペンハイマー説は2003年時点では大胆だったが、その後の発見で信憑性をましつつある。

 本書で意外だったのはDNA解析でとどめを刺されたと思っていた多地域進化説の信奉者が世界中にまだ残っていることである。多地域進化論者は化石資料を重視するが、解剖学から古人類学に進んだアリスは貴重な標本を前に彼らの言い分をじっくり聞いており、本書のというか番組の見せ場となっている(NHK版ではカット)。

 アボリジニはジャワ原人から進化したと主張するアラン・ソーンにWLH50の頭蓋骨を見せてもらう場面では明らかに現生人類とは違う特徴をもつ骨に、病気をわずらっていたのではないかと動揺していた。まだ謎はあるのである。

 中国では「中国人は北京原人の血を引く世界最古の民族」という愛国主義教育がおこなわれていて、北京原人の頭骨のレプリカは国宝級のあつかいを受けている。モンゴル人も、チベット人も、ウイグル人もすべて北京原人の子孫ということになれば、中国国内の民族問題が解決するというわけだ。

 アリスは中国古人類学学会の重鎮の呉新智に周口店を案内してもらい、厳重な保管庫からうやうやしく取りだされた北京原人の骨のレプリカを見せられるが、老学者に敬意をはらいながらも「頭骨の特徴の解釈は主観的になりがちだ」とにべもない。頭骨の形状は硬いものを食べて育ったか、柔らかいものを食べて育ったかだけで変わってしまう。解剖学を専門にしている著者は骨の形状の危うさをよく知っているのだ。

 旧人がそのまま現生人類になったとする説のもう一つの根拠は東アジアの石器が原始的な段階にとどまりつづけたことだ。3万年前になってようやく進んだ石器があらわれたが、それはゲノムの研究から東アジアに現生人類が到達したとされる時期より1万年も後のことだった。呉新智は原始的な石器がずっと使われつづけたことも種の交代がおこらなかった証拠としている。

 もっともこれには有力な反論があらわれている。東アジアでは石器にするような石がとぼしいかわりに、すぐれた道具となる別の素材――竹――が豊富だったので、石器を発達させる必要がなかったというものだ。番組では原始的な石器で竹を切り出し、あっという間に竹のナイフを作りあげて鶏肉を切ってみせた。切れ味はなかなかである。

 中国のさまざまな民族のDNAを調べ、中国人がアフリカ起源ではないことを証明しようという調査もおこなわれていた。中心となったのは上海復旦大学遺伝学研究所の金力で1万2000人を超えるサンプルを収集した。結果について金は次のように語っている。

「もちろん中国人としては、わたしたちのルーツが太古の中国にあるという証拠を見つけたかったですね。そういう教育を受けてきましたから。わたしたちは皆そう教わったのです。しかし科学者としては、この結果を受け入れなければなりません。そしてこの結果は、アフリカ単一起源説が正しいことを示しているのです。地域連続説は間違っていたのです」

 この調査の後も中国は北京原人起源説を子供たちに教えつづけているのだろうか。気になるところだ。

 出アフリカが7万4000年前のトバ火山の噴火前だったか(早期拡散説)、後だったか(後期拡散説)はまだ決着がついていないが、6万5000年前に出アフリカしたとする通説にしたがえば後期拡散説になる。日本語で読める本だと早期拡散説はオッペンハイマー本くらいで、ウェイドの『5万年前』、NHKの『ヒューマン』などは後期拡散説側である。

 本書は早期拡散説をとり、トバ火山噴火の時点にはインドまで達していたとする新説も好意的に紹介している。

 その根拠となるのはインドのジャワラプラム遺跡のトバ火山噴出物の堆積層の下と上で石器に連続性がみられるらしいことだ。灰の下の石器を作った人と上の石器を作った人が同じかどうかはわからないし、石器を作ったのが現生人類なのか旧人なのかも決着がついていない。とはいえインド洋を越えてトバ火山の灰が直接降ってくるインドで噴火の前も後も人類が生存していたということに驚く。

 トバ火山噴火は大災害には違いなかったが、絶滅した哺乳類はすくなく、ほとんどの種は百年足らずで回復していたという。トバ火山の影響を大きく考えすぎていたのかもしれない。

 『ヒューマン』で特筆大書されていた農業のお祭り起源説は本書では「宗教が圧力となって農業が発明された」と述べられるにすぎないが、狩猟採集生活から農耕生活への転換によって「全般的な健康状態の低下」がもたらされたという指摘は重要である。

 狩猟採集民に比べて、農民は、歯の欠損や虫歯が多く、成長不良で身長が低く、平均余命は短かった。また、外傷の残る骨が多く見られ、暴力や闘争が増加したことが察せられた。伝染病にかかる人も増えた。おそらく、貧しい生活に加え、多くの人が密集して暮らすようになったことがも影響しているのだろう。貧血症も一般的になった。しかし、個人レベルではそのような不利益をもたらしたものの、農耕の開始は、平均寿命の減少を補って余りある出生率の増加をもたらし、そのせいで人口は増加した。

 ヒトは定住生活向きには進化してこなかったとする西田正規『人類史のなかの定住革命』の指摘は正しかったのだ。

 さて人類学の調査は民族問題や差別問題に抵触しかねない面がある。アメリカ先住民のミトコンドリアDNA調査で過去に不正があり、先住民の研究者でもなかなか協力してもらえない状況があるという。

 本書では蔑称という理由で使われなくなった「ブッシュマン」が使われている。「ブッシュマン」の代りに使われていた「サン」は現地語で「牛泥棒」を意味していることがわかり、「牛泥棒」よりは「薮の人」の方がましという判断のようである。

 ネアンデルタール人がゲノム解析で赤毛だったことがわかったが、赤毛にする遺伝子は現生人類とは違うとわざわざ断っている。はっきり書いていないが、ヨーロッパで赤毛の人が嫌われるのはネアンデルタール人との混血が赤毛だったからではないかという説を想定してのことだろう。

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