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2013年08月26日

『宗教を生みだす本能』 ウェイド (NTT出版)

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 山極寿一の『暴力はどこからきたか』では狩猟採集時代までのヒトはわかちあいの心をもったやさしい平和な生き物だったが、農業の開始とともに所有の観念が生まれて国家が誕生し、戦争をするようになった。集団内部でも階級が分化し、格差が生じたとしている。一種の原始共産制賛美だが、こうした見方をする人は多い。

 本書は副題に「進化論からみたヒトと信仰」とあるが、狩猟採集民の理想化に冷や水を浴びせかけるような内容である。集団的な暴力は狩猟採集時代の後期に激化し、戦争の起源も、集団に対する献身の起源もそこにあるというのだ。

 著者のニコラス・ウェイドは「ニューヨーク・タイムス」で健筆をふるう科学ジャーナリストで、本欄では人類のグレート・ジャーニーを描いた『5万年前』をとりあげたことがある。

 狩猟採集時代が平和だったというのは戦いの跡が発見されていないことが根拠になっているが、そもそも全体で150人、戦闘可能な男子成人が30~40人程度の集団間の争いでは考古学的な痕跡は残りにくいだろう。

 現代の狩猟採集民に目を転じると、彼らは決して平和的な集団ではない。集団内部では争いを避け、平等にわかちあって暮らしているが、集団と集団の間では抗争があるのだ。ある調査では75%の集団が2年に一度戦い、死者の13~15%は戦死だという(二度の大戦を経験したヨーロッパとアメリカの男性死亡者の戦死者の割合は1%にすぎない)。

 サミュエル・ボウルズによれば2万年から1万5000年前までつづいた最終氷期最盛期に戦闘が激化し、それを勝ち抜いた集団がわれわれの祖先になった。

 戦いに勝つには集団の団結力が強くなければならない。団結の鍵となるのが原始宗教である。

 原始宗教は音楽、言語、心の理論を生みだした。

 アボリジニ、サン族、アンダマン諸島人といった現代の狩猟採集民の日常生活は大半が宗教行動で占められており、歌い踊る宗教儀礼を夜通し、何日もつづけることがある。戦いの前には必ず歌と踊りで精神を昂揚させ、しばしば集団的なトランス状態にはいる。ニューギニア高地の原始的な農業を営む部族も同じである。

 音楽は非生産的な活動と見なされているが、生後6ヶ月の赤ん坊でもメロディを聞きわけることができ、すべての民族が固有の音楽をもっていることからすると、音楽は進化の過程で獲得された生得的な能力といっていい。音楽で団結力を高めることのできなかった集団は淘汰されてしまったと考えられる。

 近代的な軍隊の調連では兵士に単純な動作を延々と反復練習させるが、人間の脳にはリズミカルな反復動作で恐怖心が抑制されるメカニズムが組みこまれているのである。調連のシステムを開発したマウリッツ・フォン・ナッサウは古代ローマの文献にヒントをえたというが、その根は原始宗教にあったのである。

 狩猟採集民の宗教儀礼に歌詞のない歌があることから、言語は音楽の後に生まれたという見方が有力である。言語はコミュニケーション能力を飛躍的に高めたが、しかもそれは集団内限定のコミュニケーションであり、外部の人間には理解できない。初歩的な農業を営むパプアニューギニアには800もの言語があるといわれているが、言語は敵味方をわける有効な手段なのである。

 相手の心の状態を推測する能力を心の理論というが、精霊であれ、祖先の霊魂であれ、原始宗教があがめる超自然的な存在はヒトの心の奥底まで見通し不正を罰っする。

 狩猟採集民の集団は全員が顔見知りだけに怨恨が残りやすく、不正に懲罰をあたえると本人か近親者から後々復讐されかねない。そこで一番近い血縁者に懲罰を執行させるなどの工夫をしているが、誰もがやりたがらない監視と懲罰を超自然の存在が代行してくれるならそれに越したことはない。あらゆる宗教が超自然的な監視と懲罰システムをそなえている。

 ヒトが定住し、農業をはじめ、国家を形成するようになっても宗教の重要性が減ずることはなかった。中近東では紀元前4000年くらいまでは全員で歌って踊る狩猟採集民の宗教儀礼がつづいたが、都市国家がうまれると聖職者階級が成立し、宗教儀礼を独占するようになった。都市国家の支配者は宗教によって支配を正当化した。

 聖職者は神との交渉を独占したが、神と直接交信する願望は民衆に残った。シャーマン的な能力をもった人間がトランス状態にはいって神の言葉を伝えたり、集団的なトランス状態を作りだすと、聖職者は異端邪教として弾圧した。

 異端派は神憑りを売物にして信者を集めたが、一つの宗派として確立すると今度は神憑りを弾圧する側にまわった。宗教の歴史はこの繰返しである。

 その典型がキリスト教で、初期の教会はイエスの手かざしやパウロの異言のように神憑りの要素がたっぷりあったが、ローマ帝国の国教になると信者の熱狂を恐れるようになり、教会音楽は舞踏を誘発しない方向に発達した。教会の座席は情熱的に語る司祭に信者が反応して衝動的に動きだすのを防ぐために設置された。

 本書の後半では三大一神教の発展に宗教の本能がどうかかわったかが跡づけられているが、ユダヤ教徒キリスト教の部分は穏当というか新味がないが、イスラム教の部分では興味深い新説が紹介されている。

 通説ではイスラム教ができてから征服戦争でイスラム帝国がつくられたことになっているが、新説ではまずアラブ人国家があり、その国家を簒奪したアッバース家が支配を正当化するためにつくったのがイスラム教だという。

 7世紀初頭ササーン朝ペルシアとの戦いに疲弊したビザンチン帝国は国境地帯にアラブ人の戦闘集団を移住させ防衛にあたらせたが、近東を支配する力がなくなっていた。アラブ人の戦闘集団の中心だったウマイヤ家は権力の空白をついてアラブ人国家をダマスカスに建国し、領土を広げていった。

 ウマイヤ家のムアーウィヤはシリアに勢力をはっていた単性説キリスト教を信じていたが、領国内にはネストリウス派などさまざまな宗派が存在し、帝国の不安定要因となっていた。

 ウマイヤ家を倒してアラブ人国家の支配権を握ったアッバース家は宗教対立を解決するためにムハンマドの宗教とウマイヤ家を悪者にした系譜を創作した。それがイスラム教だというわけである。

 ウェイドが依拠したのは『Crossroads to Islam』と『The Hidden Origins of Islam』という本で、後者については紹介の動画が公開されている。

 面白い説だが、海外の書評などを見るとトンデモ説の疑いが濃厚である。『5万年前』にもけっこう眉唾な説が紹介されていたが、この人はトンデモ説が好きなのかもしれない。

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