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2013年08月27日

『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』 NHKスペシャル取材班 (角川書店)

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 2012年1月から4回にわたって放映された同題のNHKスペシャルの書籍化である。

 10年前だったらアート紙でカラー図版をふんだんに入れ、全4巻で出たところだろうが、厳しい出版事情にかんがみ一冊にまとめたということか。

 本書は4章にわかれ、各回の担当ディレクターが執筆している。NHKの取材ネットワークを総動員した4時間の番組を一冊にしただけあって、情報量がすこぶる多い。

 番組では信頼とわかちあいの心ばかりが強調され、脳内お花畑の印象がなくはなかったが、本書を読むと人間性の暗黒面もちゃんと取材していたことがわかり、説得力が格段に増した。

 世界最初の戦争がおこなわれたネムリク遺跡を取材しようとしたが、イラク内戦の激戦地エルビル近郊のために断念した顛末が語られている。なんともいいようがない。

 ウェイド『宗教を生みだす本能』と重なる部分が多いが、本書はさらに一歩を進め、農業誕生にも宗教がからんでいるという最新の説を紹介している。

 『宗教を生みだす本能』では部族間抗争は狩猟採集時代を通じておこなわれており、特に激化したのは2万年前の最終氷期最寒冷期とされていた。考古学的痕跡が残っていないのは抗争が小規模だったためと説明されていたが、本書には棍棒や短剣のような人間に対して使われた武器が出てこないという説が登場する(棍棒は木なので残らないと思うが)。

 本書によると部族間抗争がはじまったのはかなり暖かくなってきた1万年前からである。それは農業の試行錯誤をしていた時期であるとともに、世界最初の宗教施設ギョベクリ・テペ遺跡が建設された時期でもある。

 農業の起源については、これまでは最終氷期が終わって定住したものの、1万1000年前から数百年間の「寒のもどり」(ヤンガードリアス期)があり、食料不足からやむなく農業をはじめたとされていたが、農業の模索は1万3000年前からはじまっており、「寒のもどり」で一気に農業化が進んだわけでもなかった。近東で農業社会が確立したのは8000年前で、農業化には5千年もかかっていた。

 そんなに時間がかかったのは近東では主食になる作物がなかったからである。小麦が決定打となるが、野生の小麦は風で種子がばらばらに飛び散ってしまい、収穫が困難だった。

 そんな稔りのすくない作物の改良を倦まずにつづけたのは小麦がハレの日の特別な御馳走だったからではないかというのだ。小麦からビールがつくられていた可能性もあるが、ビールもまたハレの日のための特別な飲み物だったのだろう。

 最新の農業起源説は「お祭り説」といって、宗教儀礼に使われた効率の悪い作物がだんだんに改良され、主食となるような栽培種になっていったと考える。ちなみに小麦の原産地であるカラジャダー山はギョベクリ・テペ遺跡からわずか60kmの距離である。

 そうした仮説が出てきたのは、農耕をはじめる動機になるような、明確なメリットが見当たらないということがある。農耕をはじめた当初に限れば、「そちらのほうが得することが多い」とか「そちらのほうが安定する」という明らかなプラスがなかったように見える。それは、数千年かけて実現されたことであり、植物の突然変異という思いがけない恩恵によって実現されたことなのである。「好きではじめてしまった」、「つい、はじめてしまった」としか思えない状況なのだ。あるいは、集団の意志という言葉でしか説明できない状況ともいえる。

 主食になるまでの数千年がかりの改良には持続的な集団の意志が必要だろう。そうした集団的意志の持続を可能にするのは宗教だけではないか。

 そこでギョベクリ・テペ遺跡であるが、高さ5mほどの石柱を14~5本サークル状にに並べたエンクロージャーと呼ばれる遺構が20近く存在するが、人間が居住した形跡はない。石器は見つかっているが、さまざまな場所の石器がいりまじっており、各地の部族が集まる聖地というか、宗教センターのようなものだったらしい。

 各エンクロージャーは浮彫の様式が違い、異なる部族がつくったと見られるが、石柱を1本運ぶにも500人が必要で、150人程度の部族単独では無理である。おそらく複数の部族が協力しあってエンクロージャーを一つ一つ建設していったのだろう。

 部族間の協力がみられる一方、この時期は戦争がはじまった時期でもある。ギョベクリ・テペ遺跡から400kmほど離れたところにケルメズ・デーレ、メムリク、ムレファートという三つの遺跡群があり、いずれも防衛しやすい地形であること、穂先が念入りにつくられた武器が出土していること、武器で殺されたと推定される人骨が見つかっていることから、組織化された部族間の戦いがあったと考えられている。

 戦争と大規模宗教施設が登場した1万年前は農業以前の定住性狩猟採集の時代だったが、この定住性狩猟採集から初期の農業の段階、ちょっとだけ豊かになった段階が部族間の激しい戦いが起こりやすいという。食うや食わずなら戦いどころではないが、余裕が生まれると集団の規模が大きくなり、もっと豊かな縄張を手に入れたいという欲が出てくるわけだ。

 戦争の遂行に宗教が重要な役割を果たすのは『宗教を生みだす本能』にあるとおりで、番組ではニューギニアの部族に出撃前の踊りを踊ってもらい、テストステロンとストレスホルモンが上昇することを実証していた。勇壮な踊りは確かに人間の攻撃性を高めるのだ。

 しかしギョベクリ・テペ遺跡が部族間の協力で建設されたことから考えると、宗教は部族間の対立を調停する役割をになっていた可能性

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2013年08月26日

『宗教を生みだす本能』 ウェイド (NTT出版)

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 山極寿一の『暴力はどこからきたか』では狩猟採集時代までのヒトはわかちあいの心をもったやさしい平和な生き物だったが、農業の開始とともに所有の観念が生まれて国家が誕生し、戦争をするようになった。集団内部でも階級が分化し、格差が生じたとしている。一種の原始共産制賛美だが、こうした見方をする人は多い。

 本書は副題に「進化論からみたヒトと信仰」とあるが、狩猟採集民の理想化に冷や水を浴びせかけるような内容である。集団的な暴力は狩猟採集時代の後期に激化し、戦争の起源も、集団に対する献身の起源もそこにあるというのだ。

 著者のニコラス・ウェイドは「ニューヨーク・タイムス」で健筆をふるう科学ジャーナリストで、本欄では人類のグレート・ジャーニーを描いた『5万年前』をとりあげたことがある。

 狩猟採集時代が平和だったというのは戦いの跡が発見されていないことが根拠になっているが、そもそも全体で150人、戦闘可能な男子成人が30~40人程度の集団間の争いでは考古学的な痕跡は残りにくいだろう。

 現代の狩猟採集民に目を転じると、彼らは決して平和的な集団ではない。集団内部では争いを避け、平等にわかちあって暮らしているが、集団と集団の間では抗争があるのだ。ある調査では75%の集団が2年に一度戦い、死者の13~15%は戦死だという(二度の大戦を経験したヨーロッパとアメリカの男性死亡者の戦死者の割合は1%にすぎない)。

 サミュエル・ボウルズによれば2万年から1万5000年前までつづいた最終氷期最盛期に戦闘が激化し、それを勝ち抜いた集団がわれわれの祖先になった。

 戦いに勝つには集団の団結力が強くなければならない。団結の鍵となるのが原始宗教である。

 原始宗教は音楽、言語、心の理論を生みだした。

 アボリジニ、サン族、アンダマン諸島人といった現代の狩猟採集民の日常生活は大半が宗教行動で占められており、歌い踊る宗教儀礼を夜通し、何日もつづけることがある。戦いの前には必ず歌と踊りで精神を昂揚させ、しばしば集団的なトランス状態にはいる。ニューギニア高地の原始的な農業を営む部族も同じである。

 音楽は非生産的な活動と見なされているが、生後6ヶ月の赤ん坊でもメロディを聞きわけることができ、すべての民族が固有の音楽をもっていることからすると、音楽は進化の過程で獲得された生得的な能力といっていい。音楽で団結力を高めることのできなかった集団は淘汰されてしまったと考えられる。

 近代的な軍隊の調連では兵士に単純な動作を延々と反復練習させるが、人間の脳にはリズミカルな反復動作で恐怖心が抑制されるメカニズムが組みこまれているのである。調連のシステムを開発したマウリッツ・フォン・ナッサウは古代ローマの文献にヒントをえたというが、その根は原始宗教にあったのである。

 狩猟採集民の宗教儀礼に歌詞のない歌があることから、言語は音楽の後に生まれたという見方が有力である。言語はコミュニケーション能力を飛躍的に高めたが、しかもそれは集団内限定のコミュニケーションであり、外部の人間には理解できない。初歩的な農業を営むパプアニューギニアには800もの言語があるといわれているが、言語は敵味方をわける有効な手段なのである。

 相手の心の状態を推測する能力を心の理論というが、精霊であれ、祖先の霊魂であれ、原始宗教があがめる超自然的な存在はヒトの心の奥底まで見通し不正を罰っする。

 狩猟採集民の集団は全員が顔見知りだけに怨恨が残りやすく、不正に懲罰をあたえると本人か近親者から後々復讐されかねない。そこで一番近い血縁者に懲罰を執行させるなどの工夫をしているが、誰もがやりたがらない監視と懲罰を超自然の存在が代行してくれるならそれに越したことはない。あらゆる宗教が超自然的な監視と懲罰システムをそなえている。

 ヒトが定住し、農業をはじめ、国家を形成するようになっても宗教の重要性が減ずることはなかった。中近東では紀元前4000年くらいまでは全員で歌って踊る狩猟採集民の宗教儀礼がつづいたが、都市国家がうまれると聖職者階級が成立し、宗教儀礼を独占するようになった。都市国家の支配者は宗教によって支配を正当化した。

 聖職者は神との交渉を独占したが、神と直接交信する願望は民衆に残った。シャーマン的な能力をもった人間がトランス状態にはいって神の言葉を伝えたり、集団的なトランス状態を作りだすと、聖職者は異端邪教として弾圧した。

 異端派は神憑りを売物にして信者を集めたが、一つの宗派として確立すると今度は神憑りを弾圧する側にまわった。宗教の歴史はこの繰返しである。

 その典型がキリスト教で、初期の教会はイエスの手かざしやパウロの異言のように神憑りの要素がたっぷりあったが、ローマ帝国の国教になると信者の熱狂を恐れるようになり、教会音楽は舞踏を誘発しない方向に発達した。教会の座席は情熱的に語る司祭に信者が反応して衝動的に動きだすのを防ぐために設置された。

 本書の後半では三大一神教の発展に宗教の本能がどうかかわったかが跡づけられているが、ユダヤ教徒キリスト教の部分は穏当というか新味がないが、イスラム教の部分では興味深い新説が紹介されている。

 通説ではイスラム教ができてから征服戦争でイスラム帝国がつくられたことになっているが、新説ではまずアラブ人国家があり、その国家を簒奪したアッバース家が支配を正当化するためにつくったのがイスラム教だという。

 7世紀初頭ササーン朝ペルシアとの戦いに疲弊したビザンチン帝国は国境地帯にアラブ人の戦闘集団を移住させ防衛にあたらせたが、近東を支配する力がなくなっていた。アラブ人の戦闘集団の中心だったウマイヤ家は権力の空白をついてアラブ人国家をダマスカスに建国し、領土を広げていった。

 ウマイヤ家のムアーウィヤはシリアに勢力をはっていた単性説キリスト教を信じていたが、領国内にはネストリウス派などさまざまな宗派が存在し、帝国の不安定要因となっていた。

 ウマイヤ家を倒してアラブ人国家の支配権を握ったアッバース家は宗教対立を解決するためにムハンマドの宗教とウマイヤ家を悪者にした系譜を創作した。それがイスラム教だというわけである。

 ウェイドが依拠したのは『Crossroads to Islam』と『The Hidden Origins of Islam』という本で、後者については紹介の動画が公開されている。

 面白い説だが、海外の書評などを見るとトンデモ説の疑いが濃厚である。『5万年前』にもけっこう眉唾な説が紹介されていたが、この人はトンデモ説が好きなのかもしれない。

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