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2013年07月27日

『脳に刻まれたモラルの起源』 金井良太 (岩波科学ライブラリ-)

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 道徳は長らく理性の働きと考えられてきたが、18世紀英国で同情心や共感といった感情の働きに根ざすという道徳感覚説が登場した。ハッチソン、ヒューム、アダム・スミスらで、特にヒュームは道徳を情念の働きと見なした。

 高級な理性の働きであるべき道徳を低級な感覚に、それもよりによって低級な中でも低級な情念に結びつけた道徳感覚説に対する反発は激しかった。カントの『実践理性批判』がたまたま道徳にかなっているように見える行為でも、道徳法則にもとづかない感情によって引き起こされた行為にすぎないなら道徳的ではないとする厳格な道徳観を打ちだしたのは道徳感覚説に対する反論という側面があったといっていいだろう。

 だが現代の脳科学は道徳感覚説を復活させつつあるらしい。著者は本書の狙いをこう語っている。

 倫理観というのは、人間の脳の中にある根本的な道徳感情に由来する。人類が誕生し集団生活を行なうなかで、倫理的な感覚をもつ集団が生存に有利であったがために、倫理観をもつ脳が自然選択によって選ばれてきた。現代の人間社会の倫理に根拠があるとすれば、それは進化の結果としての人間の脳の仕組にある。脳という人類共通の基盤があるということは、実は人類に共通の倫理観というものが想定できる可能性を示している。倫理観は主観的なものかもしれないが、脳という視点で見れば、このような主観的な感情もまた科学研究の対象になる。

 チンパンジーからわかれて独自の道を歩みはじめたヒトは牙もたいした身体能力もなく、爪も貧弱だった。生存競争の激しいアフリカの原野で生きのびていくには集団で行動するしかなかった。

 集団生活をいとなむには共感能力やルールを尊重する能力、エゴイズムを抑制する利他的行動が必要だが、そうした能力は感情として発現する。道徳は感情に根ざすものであって、もはや理性の介在する余地はない。

 道徳の脳科学とはどのように研究をおこなうのだろうか。

 ハーバード大学のサンデル教授のTV講義でトロッコのジレンマや歩道橋のジレンマが広く知られるようになった。

 トロッコのジレンマとは五人の作業員が作業をしている線路にトロッコが突進している。このままだと五人全員が事故死してしまうが、分岐点を切換れば一人が作業している待避線にトロッコを進ませることができる。切換で一人が死ぬ代わりに五人を救うことができる。その行為は正しいかどうかというわけだが、ほとんどの人は切換を正当な行為と認めるという。

 一方歩道橋のジレンマとは、作業中の五人の作業員に暴走トロッコの危険を知らせるために、線路またぐ歩道橋の上から一人の男を突き落とすことが正しいかどうかを問う。一人の犠牲で五人を救うという点ではトロッコのジレンマと同じだが、人間を突き落とすという直接的な行為をしなければならないので、大部分の人は正しくないと回答する。

 fMRIでジレンマを考えている被験者の脳を見たところ、突き落とし行為をともなう歩道橋のジレンマでは直感的・感情的機能にかかわる内側前頭回が活動していたのに対し、ポイントの切換だけでいいトロッコのジレンマでは合理主義的認知制御機能にかかわる背外側前頭前野の活動性が高かった。マンガなどでは頭の中で天使と悪魔が戦っている図がよく描かれるが、似たような戦いが脳の中で実際におこなわれているのである。

 社会心理学では倫理観は以下の五つの道徳感情のバランスで決まるという説が有力で、各道徳感情の強さを点数化するMFQという質問が考案されている。

個人の尊厳
  1. 傷つけないこと
  2. 公平性
義務への拘束
  1. 内集団への忠誠
  2. 権威への敬意
  3. 神聖さ・純粋さ

 五つの道徳感情は「個人の尊厳」にかかわる最初の二つと、「義務への拘束」にかかわる後の三つにわけられるが、リベラルな信条の持主は「個人の尊厳」の点数が高く、保守的な信条の持主は「義務への拘束」の点数が高いことが知られている。

 fMRI画像から局所的な灰白質の量を推定するVBM解析という技術で調べたところ、「個人の尊厳」の点数が高い人ほど楔前部が小さく、「義務への拘束」の点数が高い人ほど梁下回と島皮質前部が大きいことがわかった。

 個人の倫理観はある程度脳の構造を反映しているらしい。ちなみに卒中や外傷などで腹内側前頭前野が損傷すると、異常なまでに功利的に判断するようになるそうである。

 道徳の脳科学的研究はまだはじまったばかりだが、目下のところ政治心理学の仮説を確認する方向で研究が進められているようである。

 政治心理学では政治的傾向とモラルファンデーションの関係を次のように分類している。

個人義務
宗教左派
リベラル
保守
リバタリアン

 「宗教左派」とはキリスト教原理主義のことであり、いかにもアメリカ的な分類である。アメリカ的な、あまりにもアメリカ的な政治心理学を卒業しなければ、本当の意味での道徳の脳科学ははじまらないのではないかという気もする。

 アメリカの政治文化にそれほど依存していない研究としては脳に対するホルモンの影響の研究がある。

 たとえばオキシトシンは母乳分泌や出産時の子宮収縮をうながすホルモンと考えられてきたが、家族の絆に一役買っていることがわかってきた。たとえば一夫一婦のネズミは一夫多妻のネズミより側坐核のオキシトシン受容体が多いという。

 オキシトシンは人間にも効いて、鼻先にスプレーで噴霧するだけで他者をより信頼するようになることが実験で確認されているが、家族など自分の属する集団への忠誠心も高めるので差別感情を引き起こす可能性もある。

 ちなみにアメリカでは吸引用のオキシトシンはFDAが母乳を出やすくする薬品として認可しており、通販で簡単に買うことができる。欲しい人は「Oxytocin spray」で検索するといい(30mlで60ドル前後)。

 オキシトシンに対する感受性はオキシトシン受容体遺伝子で決定され、楽観的かどうかはrs53576の、扁桃体の大きさはrs2254298Aの塩基配列で決まる。

 アメリカでは個人のゲノム解析が比較的安い費用で受けられるが、著者はwww.23andme.comというところを利用しているそうである。

 社会的つながりの広さと深さをソーシャルキャピタルというが、どれだけソーシャルキャピタルをもっているかを数量化するのは困難である。一つの指標として友人の数が考えられるが、友人をどう考えるかは人によって違い、質問の仕方によっても変わってしまう。

 著者は個人のソーシャルキャピタルの大きさを推定する目安としてフェイスブックの「友人」の数を使うことを提案している。「友人」として承認するかしないかという明示的な行動が基準となるので、単なるアンケート調査よりも客観性が高いというわけだ。

 学生を被験者としてフェイスブックの「友人」の数と脳の構造の関係を調べたところ、承認数の多い人ほど中側頭回と上側頭溝が大きく、扁桃体と嗅内皮質の体積も関連していることがわかったという。

 脳の皮質部分は加齢によって体積が減っていくが、扁桃体の大きさは変わらないので老人ほど扁桃体の比率が大きくなる。著者はヒトが老人になるにつれて保守化していくのは扁桃体の相対的大きさが増大していくことと関連があるのではないかと推定している。

 身も蓋もない話ばかりであるが、カントが現代に生きていたら何と言うだろう。

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