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2013年07月20日

哲学の歴史 別巻 哲学と哲学史』 中央公論新社編集部編 (中央公論新社)

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 日本哲学界の総力をあげて編纂された『哲学の歴史』の別巻である。

 10ページにわたる全12巻の総目次と170ページにわたる総索引、40ページにわたる1700年以降の総年表(18世紀をあつった第6巻以降は言語圏別の編集になるため、各巻の年表も言語圏別になっていた)が中心となる内容だが、哲学史をめぐる論考や鼎談、インタビューがあり、さらに19編の「追補コラム集」と執筆者とゲスト151名に対しておこなった感銘を受けた本のアンケートがおさめられている。

 前半の哲学史関係の部分は玉石混淆である。

 巻頭の小林道夫「哲学史研究の意義と今後の課題」は京大哲学科の想い出を長々と語った後、科学技術至上主義に陥らないためには哲学史が必要と説き、最後にクワインの哲学史不要論を批判し、「人間活動の多元性」を把握できるのは哲学だけだと結んでいる。

 この文章に限らず京都大学哲学科の回顧談がやけに目につく。各巻の責任編集者の経歴を見たところ、半数が京都大学出身か京都大学で教鞭をとったことのある人だった。もちろん日本の哲学の歴史において京都大学が大きな貢献をしているのは確かであるが、京大閥が強大だということでもあるだろう。

 神崎繁、熊野純彦、鈴木泉三氏の「哲学史研究の現在」という鼎談はとても面白かった。

 英米の論理哲学の影響でプラトン、アリストテレスを現代哲学として読めという風潮があるが、それでは古典とわれわれの間にある膨大な注釈の積み重ねを無視することになるという指摘はなるほどと思った。

 カントとヘーゲルは50年しか離れていないが、哲学史の捉え方がまったく異なっているという。カントの時代までの哲学史はラテン語文献中心で、カントはプラトンやアリストテレスの原典を読んでいなかったらしい。それに対してヘーゲルは原典をそれもギリシア語で読んだ明らかな形跡があり、その頃にはギリシア語文献のドイツ語翻訳も本格化していた。

 翻訳でであれ原典を読んだかどうかは大きいというのはその通りだろうが、ドゥルーズはドゥンス・スコトゥスを読んでおらず、ジルソンの研究書をさっと読んですませているという指摘にはおやおやと思った。ドゥルーズのコラージュ的手法についても批判的な論調で、五つの個別研究については正統的な哲学史ではないが、新たな哲学史像を作ったのかもしれないという微妙な評価をおこなっている。同業者からみるとそうなるのか。

 後期スコラ哲学からカントへの移行が用語の問題も含めて研究の焦点となっているらしいが、その関連で16世紀の吉利支丹時代に日本と西洋哲学は一度出会っており、「表象」が「面影」と訳されたり、「身体」は仏教用語の「色身」と訳されたりしていたそうだ。スコラ哲学を日本人に教えるのだから、当然日本語に訳していたわけで、この時に訳語が整備されていれば明治時代の漢字だらけの造語が避けられたのではないかと指摘している。まったくその通りだろう。

 藤田正勝「日本における哲学史の受容」は幕末から明治30年までの西洋哲学受容の歴史を概観した文章である。

 哲学という言葉を作ったのは西周だが、西はコントの細分化された個別科学の統一という思想に共感し、西洋の学問を紹介するにあたり「百学連環」という体系性にこだわったのもコントの影響だという。

 西の講義を聞いたものは少数だったが、明治11年に東京大学に赴任してきたフェノロサは井上哲二郎、三宅雪嶺ら多くの学生を指導し、後世に大きな影響をおよぼした。

 フェノロサは日本美術を救った人として記憶されているが、経済学、社会学、哲学と他分野の講義をおこない、哲学についてはカントからヘーゲルにいたる近代ドイツ哲学をはじめて詳しく紹介し、学生の関心を呼び起こした。

 もっとも来日時のフェノロサはハーヴァード大学を卒業したばかりの25才であり、哲学を専門に勉強したわけでもなく、ヘーゲルを読んだのも英訳を通してだったので、もっと深く知りたいという学生の要求にこたえることはできなかった。

 フェノロサの教え子だった井上円了や三宅雪嶺によって本格的な哲学史が書かれるようになるが、クーノ・フィッシャーに拠りながらヘーゲルに重点をおいた三宅の『哲学涓滴』が日本の西洋哲学理解の土台になったようである。「弁証法」という訳語を広めたのも同書だそうである。

 三宅の『哲学涓滴』は近代哲学史だったが、日本で最初にギリシアから当代にいたる哲学通史をまとめ「明治における西洋哲学史受容の一つの到達点」を示すと評価されているのは大西祝の『西洋哲学史』である。

 大西は同書を刊行した二年後に早逝しているが、その翌年、朝永三十郎は「哲学史攻究の旨趣と研究方法に就いて」を発表し、哲学史とは何かという問題を自覚的に問うている。著者は「それがきわめて深い内容をもつものであったことに驚かざるをえない」と高く評価している。

 清水哲郎「日本における中世哲学研究」は中世哲学会の回顧談で、はっきりいって内輪の話である。中世哲学を研究する人は限られているから、みんな顔見知りという世界だろうと想像はつくが、それにしても狭い世界である。

 松永澄夫「哲学/哲学史の読み方」は編集部がまとめたインタビューで、19世紀フランスにおける官製哲学史の誕生を軸に哲学史について聞いている。

 「哲学の場所」は古代、中世、近世、現代において哲学を研究する場がどのようなものだったかを五人の筆者が分担して書いている。

 古代編では書物にするかしないか、書物にしたなら写本がどう伝わったかが簡単に解説されている。

 中世編では教会からの大学の独立と、古代文献の翻訳の経緯が紹介されている。

 近世編はデカルトの懐事情の話である。デカルトは質素に暮らすには十分な資産を相続していたので、外部からの援助はあえて受けずに一生気ままに暮らしたが、同時代のパスカルやスピノザはそんな気楽な身分ではなかった。

 現代編1では大学から追放されたパースに発表の場を提供した「モニスト」という哲学雑誌が紹介されているが、この雑誌には鈴木大拙も関係していており、西田幾多郎にウィリアム・ジェイムズの「純粋経験」概念を伝えた可能性がある。

 現代編2は帝政期から第三共和制にいたるフランスの哲学教育の話で、公務員となった哲学者がたどるコースが紹介されており、そういうことだったのかと長年の疑問がいくつも晴れた。

 内田勝利「哲学の始点における断片的対話」は黄泉の国でプラトンとアリストテレスが対話するという趣向の戯文だが退屈した。最後にソクラテスが登場してひっかき回したら面白くなっただろうに。

 「アンコール」と題された「追補コラム集」は古代から現代まで19編のエッセイを集めているが、ここが一番読みでがあった。

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