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2013年01月30日

『三島由紀夫』 ルシュール (祥伝社新書)

三島由紀夫 →bookwebで購入

 フランスではじめて出た三島由紀夫の評伝の邦訳である。

 ガリマール書店といえば岩波書店と新潮社をあわせたようなフランスの老舗出版社だが、「ガリマール新評伝シリーズ」という入門的な評伝を出していて、祥伝社から7冊邦訳が出ている。本書もその一冊だが、「新評伝シリーズ」ではなく祥伝社新書の一冊として刊行された。三島の評伝なら幅広い読者にアピールできると考え、大書店の外国文学のコーナーの片隅におかれるだけの「新評伝シリーズ」よりも目立つ場所に並ぶ祥伝社新書から出したというところだろう。

 著者のジェニファー・ルシュールは30代の伝記作家で、ジャンク・ロンドンの伝記でゴンクール賞を受賞しているそうだが、日本語ができるわけではないらしいし、日本に取材に訪れた形跡も見られない。

 ではなぜ書けたかというと、訳者あとがきでふれられているように、英語で書かれた二冊の伝記――ヘンリー・スコット=ストークスの『三島由紀夫 生と死』とジョン・ネイスンの『三島由紀夫 ある評伝』――を種本にしているからだ。

 外国人の書いた伝記だからといって、この二冊を軽く見てはいけない。

 ストークスは1964年にフィナンシャル・タイムズの日本支局長として赴任して以来、ロンドン・タイムズ、ニューヨーク・タイムズと会社を変えて滞日しつづけて三島と親交を結び、自衛隊の訓練にも同行している。ちなみに『三島由紀夫 生と死』は世界で最初に書かれた三島の伝記である。

 ネイスンの方は東大に留学した日本文学者で三島の『午後の曳航』や安部公房、大江健三郎ら現代日本文学を英訳する一方、ケンタッキー・フライド・チキンの日本進出を描いたドキュメンタリー映画でエミー賞を受賞している。『三島由紀夫 ある評伝』は日本の研究者がふれにくい三島のホモセクシュアルに踏みこんだために、三島の未亡人の意向で邦訳が絶版に追いこまれている(未亡人の没後に復刊)。

 二冊とも三島研究の基本図書として世界的に定評がある。出来はともかくシュレーダーの『ミシマ』という伝記映画も日本以外では公開されており、三島研究は外国で出た本や映画を参照しなければならないのが現状である。ユルスナールの『三島由紀夫あるいは空虚なビジョン』(澁澤龍彥による邦訳がある)もこうした蓄積の上で可能になった。

 さて、ルシュールが先行テキストをどのように料理したかであるが、市谷の自決から書き起こす構成はストークス本を踏襲するが、本文はほぼネイスン本をもとにし、そこにストークス本やその後に英訳や仏訳された資料をつけくわえていると言えそうだ。

 三島のゲイ・バー通いの条を比較してみよう。

 まずストークス本。

 銀座にあったゲイ・バー「ブランスウィック」によく行き、十七歳だった丸山明宏に会ったのもこの前後である。丸山はのちに美輪と改名して舞台に転じ、美しい女装で知られるようになった。美輪と丸山は何度かダンスはしたが、“情事”はなかったらしい。当時の丸山は三島のことを、「そうハンサムではなく、私の好みのタイプでもない」と思ったと言っている。

 つぎにネイスン本。

 昭和二十五年の夏の終わり頃から、三島は終戦後すぐに東京中に作られたホモセクシュアル・バーやカフェにしげしげ通いはじめた。(いわゆるゲイ・バーは、戦前の日本にはなかった。その突然の出現は、占領時代に東京に集まってきた相当数の兵士たちも含めた、外国人の大規模なホモセクシュアル社会に起因するものである。)三島が好んだのは、「ブランズウィック」なる銀座のゲイ・カフェであった。魅力的な若いウェイターたちを働かせている喫茶店兼バーである。金持ちの年配の日本人、外国人のビジネスマン、米軍兵士、日本人の男娼など、奇妙な組合せの群れがその店の常連だった。夜になると、ウェイターたちは「ブランズウィック」の有名なフロア・ショウのスタートの二役を勤める。そうした店のスターの一人だったのが、東島だ無名のゲイ・ボーイだった丸山明宏(美輪明宏)である。後の日本のエディット・ピアフと呼ばれるような人気を博するこのシャンソン歌手は、さらにまた、三島の戯曲『黒蜥蜴』の主役を演ずる「女優」にまでなることになる。

 ルシュール本ではこうなる。

 昭和二十五年の夏の終わり頃から、三島は戦後の東京の次々あらわれたゲイバーやナイトクラブに足繁く通いはじめる。行きつけは銀座にある「ブランスウィック」というゲイ・カフェ。その店の常連は、金持ちの年配の日本人、外国人のビジネスマン、米軍兵士、日本人の男娼などの奇妙な群れだった。夜になると、フロア・ショーがはじまる。そこにいたのが、当時まで無名のゲイ・ボーイだった丸山明宏である。後に美輪と改姓して舞台に転じ、美しい女装で知られるようになる丸山は三島と親しくなり、その交遊は修生つづいた。二人の間に関係はあったのかどうか、三島の死後も同性愛を否定する遺族への配慮から、丸山はさまざまな噂に対しては自らは何も語っていない。

 いやはや、なんといおうか。

 ユルスナールは三島論を書くにあたり『鏡子の家』が欧米語にまったく訳されていないので読むことができないと苦言を呈していた。失敗作とされている上に長いので、どの国の出版社も二の足を踏んでいるのだろう。

 翻訳がないという状況は今も同じであるが、ルシュールの本には『鏡子の家』に関する記述が6ページある。その冒頭はこう書き起こされている。

 『鏡子の家』は予言的な作品であり、昭和三十四年当時の三島がすでに自らの最期を見通していたのではないかとさえ思わせる。この作品に登場する四人の若い登場人物――商社員、画家、拳闘家、俳優――は三島の持ついくつもの顔をそれぞれ代表している。四人の若者が共有しているのは、自分の前に壁が立ち塞がっているという感覚だ。その壁は生に参加するのを阻む障害物であり、登場人物たちは各々のやり方で、いかに生きるか、いかに生きていると感じるか、という永遠の問い――三島自身を苛む問い――に答えようとする。

 『鏡子の家』を実際に読んでいるかのような書きぶりだが、ネイスン本の該当箇所を参照すると、本当に読んだのか怪しくなる。

 さらにまた、『鏡子の家』は不気味に予言的なシナリオのようにも読める。読者の心に、早くも昭和三十四年の三島が自分の向かいつつある目的地、そしてそこに行き着くために何をなすべきかを、明晰に予知していたのかもしれないという胸騒ぎに似た憶測を植えつけるのである。
 三島は、商社員・画家・拳闘家・俳優という四人の若い作中主人公に、自分のいくつもの顔を代表させようと考えた。これらの登場人物を一つに統合するものは、四人が共有している「立ちふさがる壁」という感覚である。ここで「壁」といわれている障害物は、生への参加をはばむ障害物である。四人がめいめいに答えを見つけねばならない問題は、いかに生きるか、いかに生きていると感じるかということである。

 同じ先行テキストに拠っているにしても、ユルスナールの三島論は彼女一流の文体で書かれており、『仮面の告白』を黒の傑作、『金閣寺』を赤の傑作、『潮騒』を透明な傑作と評するような才知のきらめきがあった。

 ルシュールの本にはユルスナールのような日本文化に対するほほえましい誤解はないけれども(日本人の協力者がいたのかもしれない)、オリジナリティは特に感じられない。

(間違った記述は見当たらなかったが、ただ一点、『黒蜥蜴』の映画版が遺族の反対で上映できないとあるのはおかしい。『黒蜥蜴』は京マチ子版も丸山明宏版も名画座にちょくちょくかかっている。)

 フランスは近年日本ブームだそうだが、天下のガリマールからこういう本が出るところを見ると底の浅さは推して知るべし。

 翻訳者があとがきで書いているように、ストークス本もネイスン本も絶版状態がつづいている現在、本書によって両著の概要を手軽に知ることができるという利点は確かにある。その意味では本書の出版に意味がないわけではないだろう。

 ストークス本、ネイスン本そしてユルスナールの三島論の一日も早い復刊を希望する。

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