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2012年12月29日

『ドレスを着た電信士マ・カイリー』 松田裕之 (朱鳥社)

ドレスを着た電信士マ・カイリー →bookwebで購入

 女電信士マ・カイリーを軸にアメリカの電信事業の栄枯盛衰を描いた本で、読物として抜群に面白い。

 マ・カイリーは綽名で、本名をマッティ・コリンズという(カイリーは二度目の夫の姓)。彼女は22歳から62歳まで40年間電信士として働き、引退後の1950年、70歳にして『バグ電鍵とわたし』という自伝を出版した。ちょうど電信の時代の幕が引かれる頃だったので、同書は話題になり女電信士マ・カイリーの武勇伝が後世に残ったわけである。

 表題にあるバグ電鍵とはヴァイブロプレックス社製の横振り式電鍵のことで、商標がバグだったことからその愛称で親しまれた。

 バグ電鍵はレバーを右に振ると短符号が、左に振ると長符号が打てるすぐれもので、手首や肘に負担がかからないので女電信士がよく使った。マ・カイリーが愛用したのもヴァイブロプレックス社製である。

 彼女はジェシー・ジェイムズ一味が暴れまわっていた1880年にテキサス州西部のアタスコサ郡に生まれた。7歳で両親が離婚し一時酒乱の父と暮らすが、母親が幸せな再婚をしたのを期に再婚相手の大家族に引きとられ、恵まれた少女時代をすごした。16歳の時に20歳年上のメキシカン・インターナショナル鉄道で管理職をやっていた20歳年上のフリーゼンに望まれて結婚するが、夫は男尊女卑で妻を物扱いした上に、極度の吝嗇だったので長男カールが生まれたところで離婚。マ・カイリーは子供を連れて実家にもどってくる。19歳の時である。

 継父はデル・リオでホテルを経営していたが、宿泊客から電信士になれば女でも自活できると教えられ、中古の電鍵をもらってホテルの手伝いの合間に練習にはげんだ。電信士は10代半ばで電報配達員になり、勤務の合間に練習するのが普通だったので遅いスタートである。送信の方は独習できたが、受信は無理だった。マ・カイリーは伝手をたよってカムストック駅に出入りできるようにしてもらい、当地のホテルで下働きをしながら信号音を復号する練習にあけくれた。

 3年後、電信士として働くチャンスが訪れた。メキシコのサビナス駅で欠員ができたのだ。彼女は一人息子のカールを連れて赴任するが、12時間勤務で体を壊して一時実家にもどらざるをえなくなる。しかし自活を望む彼女は継父が心配するのを振りきってすぐに駅の夜勤の仕事を見つける。

 電信士には二種類あった。一般の電文(多くは商用文)を送受する商用電信局に勤務する商用電信士と、駅に勤務し列車の運行指令を送受する鉄道電信士だ。鉄道電信士は駅舎で寝泊まりし、信号灯を振ったり、信号機やポイントを切換えたり、通過する列車に指令シートを手渡したりしなければならなかった。

 マ・カイリーは商用局でも勤務したが、鉄道で働く方が長かった。加入したのも鉄道電信士組合(ORT)だった。勤務地は大規模な操車場のこともあったが、大平原にぽつんと建つ駅舎のこともあった。ORTのバッジがあれば鉄道はフリーパスだった。彼女はカールを連れて大西部の駅から駅へ渡りあるいた。カールが12歳になってからは学業のために実家に預け、一人で電鍵無宿の生活をつづけカナダにまで足を伸ばした。

 ならず者や追いはぎが跋扈する辺鄙な西部の駅で一人で寝泊まりして勤務するのは並たいていではない。次に引くのは組合の機関誌に載った女電信士の作業環境を描いた文章である。

 停車場には、窓越しに彼女を一目見ようとする粗野で野蛮な男たちが押し寄せ、ぶしつけで無礼な質面をし、想像もできないほどショッキングが冒瀆の言葉を投げつけます。彼女はそれをひたすら耐え忍ばなければなりません。押し寄せる男どもを罰することもできず、自分の身を守ることもままならないのです。
 自分の勤務する管区で鉄道事故が発生すると、夜であろうが嵐であろうが現場に駆けつけ、電線に電信機をつなぎ、冷たい雨でびしょ濡れになりながら、口の悪い男たちの中でただ一人無防備に立ちつづけていなければならないのです。

 ちょっかいを出してくる荒くれ男を怒鳴りつけるくらいでなければ辺鄙な駅の一人勤務はつとまらないのである。

 こういう過酷な生活の中でマ・カイリーは腕を磨き、一流の電信士の技量を身につけた。彼女は二重電信機で送信と受信を同時にやってのけるという神業を披露し、男の一級電信士と同じ65ドルの月給を獲得する。年収にすると780ドルで同時期の男性労働者の平均年収440ドル、女性労働者の273ドルと較べると電信士がいかに高給とりだったかがわかる。

 マ・カイリーは学校が夏休みになるとカールにORTの発行する無料乗車券を送り、勤務地に呼び寄せて夏を一緒にすごした。駅で一人勤務をする女電信士が駅舎で子供を育てるのはありふれた光景だった。

 もっともマ・カイリーの腕をもってしても仕事につけないこともあった。プライドの高い彼女は上司としょっちゅうぶつかっていたし、仲間を大切にする彼女は組合のスト指令を忠実に実行してブラックリストに載せられたこともあった。

 新しい勤務先は組合の斡旋を受けたり、仕事の合間に旅先で知りあった電信士仲間に連絡をとったり、鉄道運行本部に売込の電文を送ったりして見つけたが、それでも仕事が見つからないと保険の外交員をしたり、洗濯婦や家政婦をして食いつないだ。同じ境遇の仲間の援助を受けることもあった。『バグ電鍵とわたし』の中で彼女は「流れ者生活は電信士に必要な自身と力をあたえてくれる」と述懐している。

 こうした電鍵無宿の生活を14年間つづけた末、1916年からサザン・パシフィック鉄道ソルトレーク管区に腰を落ちつけ、1942年の引退まで常勤しつづけることになる。大恐慌とテレタイプの導入で電信士が大量にリストラされた1930年代も職にとどまれたことからも彼女のすぐれた技量の持主であることがわかる。

 息子のカールだが、なんとファースト・ナショナル銀行の頭取にまで出世している。毅然として生きる母親の背中を見て育ったということだろう。

 マ・カイリーの一代記は映画にしたら面白いと思う。主演はアンジェリーナ・ジョリー、人情味あふれる継父はトミー・リー・ジョーンズでどうだろう。

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