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2012年12月28日

『ヴィクトリア朝時代のインターネット』 スタンデージ (NTT出版)

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 19世紀の通信革命を描いた本である。

 通信革命というと電信の発明が目立つが、革命は電信以前からはじまっていた。フランスのクロード・シャップが発明した腕木通信である。

 シャップは電気的にメッセージを伝えようとしたが、まだ技術的に無理だったので音による通信を考え、最終的に丘の上に腕木のついた柱を立て、腕木を動かすことでメッセージを伝えるようにした。いわば手旗信号の機械版である。

 シャップはこれをテレグラフと名づけた(ギリシャ語の「遠くに書く」による)。日本ではテレグラフには「電信」という訳語があたえられているが、本当は「伝信」と訳すべきだったろう。本書では腕木通信を「光学式テレグラフ」、いわゆる電信を「電気式テレグラフ」と呼んで区別している。

 シャップは腕木通信システムをジャコバン党独裁時代の革命政府に売りこんだ。革命政府は各地の反乱や外国の干渉戦争に悩まされていたのでさっそく採用し、1894年5月にパリ=リール間の通信路が稼働をはじめた。1799年に権力を掌握したナポレオンは腕木通信を重視し、フランス帝国の領土の拡大とともに腕木通信網を拡充していった。一方フランスと敵対する国々、特に英国とスウェーデンも対抗して腕木通信網を敷設していった。

 腕木通信はそれまでの最速の通信手段だった早馬よりも桁違いに速く、パリ=スットラスブール間をわずか36分でつないだが、雨がふったり霧がかかると通信できなくなった。また部外者にも見えてしまうので頻繁にコードを変える必要もあった。

 天候に左右されず、秘密も守りやすい通信方式が求められた。電気式テレグラフである。

 電気による通信は静電気式、電気分解式、火花放電式、生物式等々が試みられたが、いずれも不安定であり使いものにならなかった。しかし1820年にエルステッドが電線の周りに磁界が発生することを発見するとようやく突破口が開けた。

 電気式テレグラフ(電信)の発明者としてはモールスが有名だが、英国ではクックがやや遅れて五針式テレグラフを発明している。クックの機械は協力者の名前をとってホイートストン電信機と呼ばれているが、モールスが符号によって文字をあらわしたのに対し、ホイートストン電信機では五本の針組合せによって20の文字を直接示したので特別な訓練を受けなくても使えた。

 アメリカでは最初からモールスの符号による電信が普及したが、ヨーロッパではホイートストン式などさまざまな方式が乱立した。1851年のロンドン万博では13種類の電信機が展示された。しかし構造が単純で、電信士が熟練していくことで高速の通信が可能なモールス方式が最終的な勝利をおさめた。

 モールス電信網が津々浦々までくまなくはりめぐらされていき世界を変えていくのであるが、電信による通信革命はインターネットによる社会変革と驚くほどよく似ている。

 インターネットはバケツリレー式にメッセージを伝えていくが、電信も同じである。19世紀末まで電池を電源にしていたので、中継局で人間が受信したメッセージを、最短距離になるような次の中継局に送信し直さなければならなかった。ルーターの役割を人間がしていたのである。

 モールス電信士は今日のIT技術者のような地位にあり、仲間内だけでわかる略語を多用したり、暇な時間には電信士どうしでチャットをして遊んでいた。女性の進出も著しく、遠距離恋愛がうまれ、オンライン結婚式までおこなわれる一方、ネットオカマのような女性電信士のふりをする男性電信士もすでにあらわれている。ネット犯罪もちゃんとあり、暗号も使われていた。著者は「ヴィクトリア朝の人々がタイムトラベルをして20世紀に末にやってきても、インターネットには感動しないだろう」と書いている。

 興味深い話がたくさん載っているが、わたしが一番おもしろく思ったのは気送管の沿革である。

 意外なことに気送管は電信が普及した後に、電信を補完する通信システムとして誕生した。1850年代にはいると通信量が急激に増大し、ロンドンでは輻湊が深刻な問題となった。当時の電報の半分は証券取引所関係で、証券取引所内に作られた支局と220ヤード離れた電信中央局との回線がボトルネックとなったのだ。

 電報を一本一本送っていたのでは時間がかかるので、取引所支局=中央局を地下に埋設した1.5インチのパイプで結び、金属のカプセルに電報用紙を5枚まとめていれて空気圧で送る方式が考案された。

 これがうまくいったので気送管はロンドン中にはりめぐらされ、市内は気送管、市外は電信と棲みわけがおこなわれた。気送管網はリヴァプールやパリなど他の都市にも作られたが、ニューヨークでは郵便局の間を気送管で結び、小包や猫まで送ったそうである。

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