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2012年11月28日

『ハングルの成立と歴史』 姜信沆 (大修館)

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 韓国で1987年に上梓された姜信沆『訓民正音研究』の日本語版で、著者自身が邦訳している。『訓民正音』の訳読と関連論文を四部にわけて収録している。

 困ったことに本書はすべて横書である。漢文を引用する場合はまず白文を掲げ、括弧ではさんだ邦訳を改行せずにつづけておりかなり読みにくい。横書にする必然性はないと思うのだが、なぜ横書にしたのだろう。

 しかし内容は読みにくさを補ってあまりある。

 第一部の「世宗とハングル」は総論でハングルが作られた背景やハングルの表現する音韻体系、ハングル製作と平行して進められた漢字音の整理を簡潔にまとめている。

 本書で蒙を啓かれたのであるが、ハングルは朝鮮語を表現するためだけの文字ではなかった。朝鮮語対漢文、話し言葉対書き言葉、声対文字という二項対立でハングルをとらえる論があるが、ハングル創制に係わった人たちには朝鮮語と漢文を対立関係でとらえる発想はなかった。

 御製序にあるように「愚民」のために朝鮮語の簡便な表記手段を提供することもハングル創制の目的だったが、もう一つ漢文を正しく音読するための発音記号にするという目的もあったのだ。

 漢文を正しく発音しなければならないのは鄭麟趾の後序に「漢字音は清音と濁音が区別でき、音楽は旋律がきれいに調和する」とあるように音楽を正しく奏するためである。著者は書いている。

 ハングルを作った頃の当事者たちがこのような考えを持つようになったのは、儒教の礼楽思想に由来するものであった。儒学者達は、礼を治国安民のために設ける不可欠の制度・儀式の作法として、楽も治国の要訣であると考えていた。

 デリダが槍玉にあげた声の形而上学そのものではないか。ハングルは声の形而上学の粋というべき文字なのである。デリダを援用してハングルを持ちあげている本があったが、明らかにすり替えである。

 第二部は『訓民正音』の訳読である。

 まず解題でハングルの表現する音韻体系と『訓民正音』の5つの伝本を紹介した後、ハングルがモデルとした文字が何かをめぐる議論を9の説に分類している。

 これも本書ではじめて知ったのだが、ハングルの子音字母が調音器官の形をかたどっているという事実がわかったのは1940年に『訓民正音解例本』が発見され「制字解」に「正音二十八字、各象其形而制之」という条があったからで、それまでは諸説紛紛としていたそうである。

 こんな基本的なことが忘れられていたとは信じられないが、そういう詮索に熱心なインテリがハングルを使わなかった時代が長くつづいたということだろう。

 次に「例義」と「解例」の訳読がくる。一ページを左右にわかち、左側に白文、右側に邦訳、その後に【注】を配置している。【注】は東洋文庫の『訓民正音』(平凡社)よりも詳しく現代の言語学から見た解説が充実しているが、横書で読みにくいのが難である。

 本書には東洋文庫版にはなかった『訓民正音諺解』が収録されている。『訓民正音諺解』は『訓民正音解例本』の翌年に作られた異本で、「例義」のみをハングルで朝鮮語に訳し注を加えている。本書では左に寄せて『諺解』の書影を掲げ余白に邦訳を配置している。

 冒頭の「世宗御製訓民正音」にハングルでつけられた通釈を引用しておこう。

 製は文を作るということで、御製は王様がお作りになった文である。訓は教えると言うことであり、民は百姓である。音はおとであって、訓民正音は百姓を教える正しい音である

 鄭麟趾の後序と「崔万理等諺文創制反対上疏文」は東洋文庫版にも載っているが、上疏文は鄭の後序をいちいち反駁するように書き進められており、解題で両者の主張を各条ごとに対比しているのは便利だ。

 第三部の「訓民正音関連文献」には「東国正韻序文」、「洪武正韻訳訓 序文」、「四声通改 凡例」、「直解童子習序」、「保間齊集内 訓民正音関係記事抄」、「訓蒙字會 凡例」をおさめる。このうち東洋文庫版が載せるのは「東国正韻序文」だけである。

 『洪武正韻』は明の建国直後、洪武帝が天下の字音を統一するために編纂させた韻書だが、明は南で興った王朝なので編纂にあたった学者は江南人ばかりで江南系の音を記す韻書だった。そのために一般には歓迎されず、あまり使われなかったらしい。

 欽定韻書とはいえ中国ではポピュラーとはいえない『洪武正韻』を世宗は最高権威とあがめ、申叔舟らにハングルで表音するように命じ『洪武正韻訳訓』とその索引にあたる『四声通改』を作らせた。どちらも原本は失われ序文だけが申叔舟の文集である『保間齊集』で伝わっていたが、1950年代になって『訳訓』の原本が不完全な形ながら発見されたということである。

 『直解童子習』は申叔舟と並び称される成三問があらわした漢語の教科書だが原本は失われ序文だけが伝わる。漢字にハングルで振り仮名をふり、文の大意をハングルで記載してあったというから完全に教科書である。こういう実用的な書物までなくなってしまったのだからインテリの間ではハングルはまったく使われていなかったのだろう。

 『訓蒙字會』はハングルが創制されてから約70年後の1527年に崔世珍によって著された漢字の教科書で上中下三巻に3360字を収録するが、「凡例」におまけのような形で「諺文字母」の項目があり、ハングルの変遷を知る貴重な資料になっているということである。

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