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2012年07月31日

『『舞姫』エリス、ユダヤ人論』 荻原雄一編 (至文堂)

『舞姫』エリス、ユダヤ人論 →bookwebで購入

 エリスのモデル、エリーゼ・ヴィーゲルトの実像が判明したのだから今さらであるが、何が書いてあるのだろうという好奇心から読んでみた。ユダヤ関係では凡人には理解しがたい天才的なひらめきで書かれた本をよく見かけるが、本書も超天才のひらめきを満載した本だった。

 たとえば劈頭に置かれた「『舞姫』再考」の「エリーゼの腸の長さは」という条。この論文の著者で本論集の編者でもある荻原雄一氏はユダヤ人には食物の禁忌があると指摘して次のようにつづける。

 では、ユダヤ人の腸の長さは、どうであろうか。彼らはヨーロッパに住みながら、日本人と似たような食事をしている。鷗外が興味を持たない訳はないだろう。

 しかも、この『日本の食物問題』は、カルルスルーエへ旅立つ十日前に、ベルリンで(それもクロステル街に下宿していたときに)書きあげたのだ。この時期を考慮しながら、エリスのモデル問題に触れると、刺激ある結論が出るのではないだろうか。

 確かに刺激的な結論である。鷗外がエリーゼに近づいた理由は彼女の腸の長さにあったからというのだから。ユダヤ人の腸が東洋人なみに長いとはナチスの人類学者もびっくりであろう。

 同じ論文には豊太郎とエリスが出会った場面で、豊太郎が葬式代のために時計をわたしたのは「小説構成上の破れ目」だという指摘もある。金のもちあわせがないならいったん下宿にとりに帰るかエリスを下宿の前まで連れてくればよく、時計をわたすのは不自然だというのである。

 なぜそれが不自然なのか、わたしは頭が鈍いので理解できないが、荻原氏はエリスがゲットーの住民ならこの問題は解決すると書いておられる。

 ところが、エリスはユダヤ人の貧民階級で、ユダヤ人街、それもいわゆるゲットーに住んでいる設定なのだ。すると、この小説の構成上の破れ目の場面は、少しも破れ目でなくなる。つまり、ゲットーの扉は、夜になると締まってしまうのだ。外部との交流はいっさいできなくなる。このため、豊太郎が下宿にお金を取りに帰って戻って来ても、ゲットーの中に入れない。またエリスをつれて行ったら、今度はエリスが戻れない。

 すなわち、時計を置いてくるしか方法がないのである。

 天才的な着眼で敬服するしかないが、ただ一つ難点がある。ベルリンにはゲットーがなかったことである(山下萬里氏は「森鷗外『舞姫』の舞台・三説」(本書所収)でゲットーがなかったという文献を引用しておられるが、荻原説に疑問を呈してはおられない)。

 他にもエリスの言葉が訛っていたのは両親が地方出身者だからではなくユダヤ人だからだとか、母親がエリスを身売りさせようとしたのは律法にしたがうためだとか(「母の背後には神がいる」)、森家がエリスとの結婚に反対したのは彼女がユダヤ人だったからだとか、天才的な断定が次々とくりだされる(ユダヤ団体が知ったら目を剥くだろう)。しかし後につづく諸論文に一番影響したのは次の条だと思われる。

 結局、ヴァイゲルトもヴィーゲルトもワイゲルトも、みな源は<ヴァイカント>で、ユダヤ人のファミリー・ネームである。このため、カール・ヴァイゲルト博士とエリーゼ・ヴァイゲルト(ヴィーゲルト)に縁故関係があろうがなかろうが、博士もエリーゼもそのファミリー・ネームからユダヤ人なのである。

 根拠といってもヴァイゲルトという姓の著名なユダヤ人がいたという程度のことではないかと思うが、ユダヤ問題のような不案内な分野で自信たっぷりに断言されてしまうと、わたしのような知能の低い人間はそうだったのかと恐れいってしまう(この説になんの根拠もないことは六草いちか氏が『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』でナチスの国勢調査を史料に論証済みである)。

 カール・ヴァイゲルトとエリーゼ・ヴァイゲルトという名前が出てくるが、前者は金山重秀氏の「エリーゼの身許しらべ」(本書所収)が見つけだしてきた名前で、鷗外がライプチヒ大学に籍をおいていた当時、病理学研究所所長代理の職にあった。金山氏はカール・ヴァイゲルトの姉妹がエリスのモデルではないかという説をたてておられる。金山説を発展させたのがテレビ朝日系列で1989年5月に放映された「百年ロマンス・舞姫の謎」で、番組ではカール・ヴァイゲルトの周辺を調査してエリーゼという女性を発見した。鷗外と別便で来日した女性の名前がいくつかの英字新聞の船客名簿に残っているが、一紙だけ Elise Weigertとなっている例があり、まさにその名前の女性が見つかったのである。

 わたしは「百年ロマンス」を見ていないが、本書の中の詳細な紹介によると番組はエリーゼ・ヴァイゲルトを中心に作られていたようである。彼女は1857年にフランクフルトの裕福な銀行家フルダ家に生まれ、実業家のリヒャルト・ヴァイゲルトと結婚した。結婚直後から第一次大戦までベルリンの自宅で文学サロンを主宰していたが、日本文化に関心が深く日本の文物をならべた「日本の間」を作っていた。彼女は鷗外より5歳年長で、鷗外が留学していた頃には二人の子供がいた。もし彼女が鷗外を日本に追いかけてきたとなると不倫ということになる。彼女の息子の嫁と孫にインタビューしたが、日本に行ったという話は聞いていないと答えたとのこと。番組の最後では彼女が埋葬されているユダヤ人墓地が映しだされたようである。番組がヴァイゲルト姓がユダヤ人特有の姓であるとしていたかどうかまでは本書ではわからなかった。

 金山論文のカール・ヴァイゲルト周辺説で提起されたエリス=ユダヤ人説を「百年ロマンス」がエリーゼ・ヴァイゲルトという実在の女性で「実証」した形になり、鷗外研究者にエリス=ユダヤ人説を注目させたが、5歳年長の二人の子供のいる人妻では『舞姫』のエリスと違いすぎる。

 この難点を解決しエリス=ユダヤ人説が認知される契機となったのが荻原雄一氏の「「エリス」再考」という論文のようである。本書には14本の論文が収録されているが、そのうちの12本は「百年ロマンス」が放映されて以降に発表されており、いずれも荻原論文を参照している。

 荻原論文は「日本の間」を作ったこと自体が彼女がエリスではない証拠だと指摘する。愛人を追いかけて日本とドイツの往復に3ヶ月、日本滞在に1ヶ月、合計4ヶ月も家を空けておいて元の鞘におさまるのは難しいし、万が一夫が許したとしても、堂々と「日本の間」を作るわけにはいかないだろうというのだ。

 もっともな推論であるが、ここから荻原氏の超天才の推理がはじまる。

 荻原氏はヴァイゲルト夫人がエリスではないと断定しながら、鷗外とは関係があったはずだという。一例だけにせよ船客名簿と一致したエリーゼ・ヴァイゲルトという名前、エリスというニックネーム、そしてカール・ヴァイゲルトの縁者という点をあげ「これを偶然だ、ではとても片付けられない」とする。

 この矛盾を解決するために荻原氏はヴァイゲルト夫人の文学サロンには男客をもてなすために歌手や踊り子といった芸能関係の仕事に就いている貧しいユダヤ人の娘を集めていたはずだと断定する(実地調査をしたわけではなく、超天才のひらめきにもとづく断定である)。そして、こう書いておられる。

 ここで、一つの推理を提言する。舞姫のエリスのモデルであり、鷗外を追って来日した少女は、エリーゼのサロンの片隅に咲いた、この<小さな草の華>のうちの一人ではなかったか。

 この後、<小さな草の華>説の物証として「百年ロマンス」に登場した九谷焼の皿の考察がおこなわれるが、超天才の炯眼によって謎の少女<A>にたどりつく推理は凡人の頭ではとてもついていけない。

 荻原氏は「百年ロマンス」を批判しておられるが、真下秀樹氏が「『舞姫』と19世紀ユダヤ人問題」で荻原論文を「この番組の結論を延長した線において独自の結論を出している」と評価しておられるように、「百年ロマンス」の否定ではなく批判的継承というべきだろう。西成彦氏も『世界文学のなかの『舞姫』』巻末の「読書案内」で「本論集も大筋では(「百年ロマンス」と)同じ流れに沿っている」と要約しておられる。本論集に掲載された論文はいずれも荻原説を当然の前提として受けいれて論を展開しており、荻原氏のエリス=ユダヤ人説が鷗外研究者の共通理解になっている情況がうかがえる。

 本書には荻原氏以外にも犀利な洞察を披瀝した論文が多数おさめられている。山下萬里氏は豊太郎とエリスの出会った「古寺」を考証し、『舞姫』には少数の読者のみが解読できる一種の暗号が仕込まれていると指摘しておられる。

 『舞姫』には、当時の日本の一般的読者以外に、ベルリン事情に通じた少数の読者もいるはずだった。作者の戦略は、一般読者には「古寺」にマリア教会を想定させ、後者の読者には旧シナゴーグを透視させることであった。テクストには「頰髭長き猶太教徒の翁」とある。これが作者の送るサインである。

 何という鋭い天才的な読みであろう。眼光紙背に徹するとはこのことだ。ただただひれ伏すほかはない。

 なお本書の前年に出版された植木哲氏の『新説 鷗外の恋人エリス』について「<あとがき>にかえて」で荻原論文のパクリという見方が示されているが、植木氏の研究は地道な実地調査によって「百年ロマンス」の結論を全面否定したのであって、超天才のひらめきによって書かれた論文とは性格を根本的に異にする。

 それにしても「百年ロマンス」という番組の影響力には驚かされる(こういうトンデモ番組はぜひ見てみたい。誰かYouTubeにあげてくないだろうか)。エリス=ユダヤ人説はいい加減なテレビ番組が学界をひっかき回した例として記憶されるべきだろう。

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