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2012年07月30日

『世界文学のなかの『舞姫』』 西成彦 (みすず書房)

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 『舞姫』が海外でどう読まれているかを研究した本かと思って手にとったが、まったく違った。本書はよく知られた名作を従来とは異なった視点から若い読者に紹介する「理想の教室」シリーズの一冊だが、『舞姫』を祖国喪失文学として読もうという試みなのである。著者の西成彦氏はポーランド文学者で、ゴンブロヴィッチなど東欧ユダヤ人の祖国喪失文学を研究している人だ。

 『舞姫』が祖国喪失文学とはどういうことか? 『舞姫』は日本に向かう船がサイゴンに停泊した際、一人船室に残った太田豊太郎が書き綴った手記という体裁をとっている。豊太郎はエリスを捨てて帰朝の途についたが、西氏はサイゴンで手記を書きあげたことで決断の機会をもったのではないかというのだ。

 太田豊太郎には、そのまま日本へ送り返されるがままになるという安易な選択肢もあれば、いっそ思い切って船を離れ、ヨーロッパ行きの船を待つことだってできたのではないでしょうか。

 西氏は『舞姫』は豊太郎の決断を読者の想像にまかせるオープンエンディングの小説だったのではないかと問題提起しているのである。

 『舞姫』を二度読みかえし、井上靖による現代語訳も読んでみたが、「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり」という最後の文に豊太郎がエリスの元にもどる可能性を読みこむのはいささか無理筋ではないか。

 しかし西氏が補助線として紹介した伊藤清蔵の生涯は刺激的である。

 伊藤清蔵は札幌農学校で学んだ後、農学研究のためにドイツに留学して下宿先の娘オルガと将来を誓いあうようになる。伊藤はいったん帰国するが、再び渡欧してオルガと結婚、そのまま南米アルゼンチンに移住する。アルゼンチンではアジア人は土地を購入できなかったが、伊藤はオルガ夫人の名義で農場を取得し南米各地の入植地から逃げてきた日本人移民を集めて農場経営を成功させた。

 西氏は伊藤を「南米の豊太郎」と呼んでいるが、『舞姫』がオープンエンディングかどうはともかくとして、恋愛のために祖国を捨てた日本人留学生が現実にいたとは!

 わたしが伊藤の存在に衝撃を受けたのは六草いちか氏が『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』の最後にしかけた爆弾が気になっていたからである。

 エリーゼ・ヴィーゲルトは滞日一ヶ月余で説得されてドイツに帰るが、少しの憂いも見せることなく「舷でハンカチイフを振つて別れていつた」(小金井喜美子「次の兄」)という。あまりにも穏やかな別れだったので「人の言葉の真偽をしるだけの常識」に欠けた頭の弱い女とバカにされるほどだった。

 六草氏はエリーゼがおとなしく日本を離れたのは鷗外がすぐに後を追うと約束していたからではないかと推理している(あくまで推理であって、エリーゼ発見の業績とは別である)。

 まさかと思ったが、伊藤清蔵のような人が実際にいたとなると、鷗外がエリーゼに再会を約束していたという仮説は俄然現実味を帯びてくる。

 鷗外はゴンブロヴィッチのような祖国喪失文学者になってドイツ語で作品を発表していただろうか。もしかしたらノーベル文学賞の日本人第一号受賞者になっていたのではないか。

 もし鷗外がエリーゼを選んでいたとしたら日本近代文学はどうなっていただろうと空想するのは楽しいが、現実の鷗外は極度のマザコンだったから母親を捨てることはできず、赤松登志子との結婚を受けいれてしまう。鷗外はエリーゼを二度裏切ったのである。

 六草氏は山縣有朋の欧州視察に随行した賀古鶴所がベルリンでエリーゼと会い、鷗外の結婚を伝えたのではないかと推定している。『舞姫』は賀古の帰国後に書かれているから、もしそうだとするとエリスの狂乱は鷗外の裏切りを知ったエリーゼの姿を反映しているのかもしれない。『舞姫』はいろいろな読み方を誘う作品である。

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