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2012年07月24日

『別冊太陽 森鷗外』 山崎一穎監修 (平凡社)

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 鷗外森林太郎は文久二年(1862)に石見国津和野で生まれた。2012年は生誕150年にあたる。

 宗像和重『投書家時代の森鷗外』(岩波書店 2004)のように未発見原稿や資料の発掘は今でもつづいているから、本当だったら新しい全集や選集が編まれてもよかったし、なんなら電子書籍で名作選を出すのもおもしろいと思うが、昨今の厳しい出版事情ではそれもままならないのか、記念出版の話はついぞ聞かない。11月に文京区立森鷗外記念館が開館するくらいがニュースか。

 雑誌の特集号も見かけないのは寂しい限りだが(見落としがあるかもしれない)、そんな中でほとんど唯一『別冊太陽』が「森鷗外―近代文学の傑人」として記念号を出してくれた。

 グラフ雑誌であるから関係者や関連する場所、原稿、掲載誌、初版本、日記、書簡等々の写真が集められている。

 子規や露伴、啄木ら文学者から鷗外にあてた書簡類は封筒の表書きといっしょに掲載されているが、宛名は大体「本郷區千駄木町森鷗外先生」となっている。番地なしでも届いたのである。日露戦争で出征中の鷗外に宛てた葉書の住所は「出征二軍軍司令部軍醫部長森林太郎殿」となっている。当時は兵隊を描いた絵葉書なども作られていた。

 幼い鷗外が学んだ藩校養老館の教科書も載っているが、和蘭語の教本があるのは津和野藩の先進性を示すものだろう。

 小倉赴任時代、長男の於莵のために毎週ドイツ語の通信教授を書き送ったが、それも載っている。晩年、末娘の杏奴のために地理と歴史の教科書の抜き書きをつくってやったのは有名だが、「杏奴のために教科書を手作り」として見開きで掲載されている。

 鷗外が園芸に熱心で、現代のガーデニングに近いことをやっていたというのははじめて知った。

 鷗外は武鑑をコレクションしていて、それが史伝三部作につながったが、「美本ではない」と注記があるように、染があったり手垢で汚れたりしている。本は好きでも、状態には頓着しなかったわけである。蔵書には書き入れが多いが、今は東京大学附属図書館の鷗外文庫書入本画像データベースで家にいながらにして閲覧できる。

 写真だけでなく各分野の専門家による記事もあるが、エリス問題は『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』の六草いちか氏が担当している。山崎一穎氏が六草氏を選んだということは六草説は公認されたといっていいだろう。

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