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2012年06月29日

『学術出版の技術変遷論考』 中西秀彦 (印刷学会出版部)

学術出版の技術変遷論考 →bookwebで購入

 グーテンベルクの徒弟にペーター・シェッファーという男がいた。シェッファーは徒弟とはいってもパリ大学に学び、グーテンベルクに出資したフストが印刷工房を差し押さえると工房の運営をまかされ、後にフストの娘と結婚して印刷を家業とするようになった。シェッファーの息子は1514年に印刷術の発明者はグーテンベルクだと記し、それがグーテンベルクが活版印刷を発明したことを証明する最初期の記録となっている(高宮利行『グーテンベルクの謎』)。

 近年のハイテク調査によってグーテンベルク聖書には後代に継承されなかったさまざまな技術が駆使され、試行錯誤をくり返していたことがわかっている。シェッファー自身が記録を残すか、息子がもうちょっと詳しい記録を書いておいてくれればグーテンベルク革命の実態がわかったのだが、そうはならなかった。

 20世紀の最後の30年間に印刷出版の世界ではグーテンベルク以来の大変動が起こった。ほとんどグーテンベルク時代そのままの技術でおこなわれていた活版印刷は写植に移行し、さらにはコンピュータ印刷に全面的にとってかわられたのだ。日本では1990年代には活字は姿を消し、博物館の中でしか見られなくなった。

 本書は京都で学術書の印刷を手がける中西印刷という印刷所を定点として活版印刷からコンピュータ印刷への変遷を記録した本である。著者の中西秀彦氏にはすでに『活字が消えた日』(最近復刊された)というエッセイ風の著書があるが、本書は実証的な学術書として技術の進歩や人員構成の変化を客観的な資料にもとづいて記述している。

 中西印刷は慶応元年に創業し、創業家が7代150年にわたって経営をつづけている。シェッファー家はたいした記録を残さなかったが、150年間印刷を家業としつづける中西家がグーテンベルク以来の印刷革命にあたって本書のような後世の批判に耐える記録を残してくれたのは幸いというべきだろう。

 本書は七章にわかれる。第一章は総説、第六章はまとめ、終章は学術文書のXML化の展望で、第二章から第五章までが本題の歴史記述になる。活版印刷時代から電算写植をへてコンピュータ組版にいたるまでが四章にわけて語られるが、各章は以下の四つの位相から考察されている。

  1. その段階の技術の印刷史上の位置づけ
  2. 文字コードと漢字問題
  3. 中西印刷の対応(機械配置、人員構成、新機種導入など)
  4. 中西印刷で製作された作例

 各章とも文字コードにかなりのページがさかれているが、それだけ文字コードが難題だったということである。

 歴史の紹介にあたって中西印刷の業務の特殊性についてふれておかなければならない。

 中西印刷は京都府庁の印刷が主な業務だったが、第二次大戦後は入札の激化から学術書に業務の中心を移した。学術書にはベンゼン環を含む化学式やめったに使われない漢字、アラビア文字のような活字化しにくい文字、西夏文字のように廃れてしまった文字が使われる上に、複雑な数式や割注のような特殊な組版もおこなわれる。さらに重要なのは入稿後に著者によるおびただしい訂正が校了ぎりぎりまではいることである。

 一般の印刷所は1960年代から手動写植さらには電算写植へと移行したが、写植では大量の訂正に対応できないことから、中西印刷は活版印刷をつづけ、一時は電算活版という世界に類のない機械を特注したこともあった。

 中西印刷が電算写植機を導入したのはワープロなみに訂正が容易になった1985年のことだったが、それ以降は急激に電子化を進め、1992年の「活字が消えた日」をむかえることになる。

 電算写植はさらにDTPに移行するが、組版がコンピュータ化されたからといって技術的難点が一挙に解決されたわけではない。どんなに難しい組版でも活版なら職人が手を動かしただけ進むが、コンピュータ組版だと標準からはずれた作業はシステムを改変するまではまったく止まってしまうからだ。また西夏文字のような特殊なフォントは自社で作らなければならない。そのためにコンピュータ化して以降の中西印刷はコンピュータ組版の最先端を走ることになる。

 さて第二章は「活版と写植の時代」と題されているが、中西印刷は手動写植を導入しなかったので、ほとんど活版のみが語られ、手動写植については簡単な説明にとどまっている。

 グーテンベルク以降、活版の最大の技術革新は自動鋳植機の発明だった。自動鋳植機には一行単位で鋳造するライノタイプと一文字単位で鋳造するモノタイプがあったが、日本語組版ではモノタイプしか使えなかった。モノタイプの文字コードが日本で実用化された最初の文字コードということだが、文撰の活字箱の文字の配置と同じように印刷所によって違ったそうである。中西印刷はゴシック体をよく使うので、ゴシック体の文字を独立の文字として登録していたという。

 この章は機械フェチの人には相当面白い。

 第三章「電算写植の時代1」はミニコンの段階であり、まだWYSWIGが実現されていなかったので組版指示は専用のプログラミング言語でおこなわなければならなかった。文字コードでは悪名高いJIS83問題がもちあがったが、何が原因で文字化けが起こるのか暫くわからなかったそうである。印刷に必要な漢字はJISでは間にあわないので電算写植の文字コードはメーカー独自の文字コードが使われた。COMPOTEXとモリサワはJISに準拠する方向をとったが、写研は頑なに独自文字コードを貫いたと対応がわかれる。学術出版では大量の外字が必要になるが、中西印刷は外字の蓄積を積極的な売りにして営業したということである。

 第四章「電算写植の時代2」はワークステーションの段階である。UNIXではバックアップファイルが自動的に作られるが、その知識が職人に徹底せず、いくら校正しても誤字が復活してしまう「校正ゾンビ」というエピソードは今となっては笑い話だ。ワープロの普及でフロッピー入稿が増えるが、かえって手間が増えてしまい、フロッピー入稿の手引を配布することになる。

 第五章「DTPの時代」はパソコンで安価なシステムが組めるようになった時代をあつかう。PostScriptとTeXで素人でも組版の真似事ができるようになったが、印刷業界の対応は二分した。積極的にDTPに対応しようとした代表がモリサワで、独自システムに閉じこもった代表が写研である。モリサワが大きく成長したのに対し、写研がじり貧に陥ったことはよく知られている。文字コードではUNICODEがようやく実用段階にはいったことがあげられる。

 出版社や編集プロダクションでは社内で組版までおこなうところが増え、研究者自身が組版をおこなう例まで出てきた。しかし研究者や編集者は組版のプロではないので印刷物としては劣る物しかできないし、習熟度にも差があった。そこで印刷所は素人が組版した版下をプロのレベルまで高めるという共同作業の可能性が生まれた。

 とはいえソフトウェアの進歩と低価格化で素人のレベルはどんどん上がっているし、タブレット端末の普及で印刷の受容そのものが激減する可能性もある。『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』で模索されているようなPDFの版下をオンラインで受注する「印刷ネット通販」は先細りかもしれない。また電子書籍では紙の書籍の品位は求めるべくもなく(EPUBなどお粗末なものだ)、プロが作っても素人と五十歩百歩のものしかできないだろう。では印刷所はどうしたらいいのか?

 終章では今後の印刷所の生きのびる方途として文書の構造化支援をあげている。文書の構造化は直感ではわかりにくいので、プロの仕事が長期的に確保できるというわけである。

 確かに印刷指定の発想で作られた「青空文庫」の青空フォーマットが電子書籍の中間フォーマットとして歓迎されている現状を見ると、文書の構造化は文系人間には相当ハードルが高いと思われるが、あまり大きな市場にはならないような気もする。

 巻末には1967年から2006年まで中西印刷に在職したベテラン職人と、モリサワ社長のインタビューがおさめられている。

 本書は印刷技術の細部にまで記述がおよんでおり、ディープすぎて素人にはわからない部分もあるが、わかる部分だけでもかなり面白い。第二の印刷革命の内側からの記録として歴史に残ることは間違いないだろう。

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