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2012年06月30日

『人文学と電子編集―デジタル・アーカイヴの理論と実践』 バーナード&オキーフ&アンスワース編 (慶應義塾大学出版会)

人文学と電子編集―デジタル・アーカイヴの理論と実践 →bookwebで購入

 中西秀彦『学術出版の技術変遷論考』の終章では今後の印刷所の生きのびる方途として文書の構造化支援をあげていたが、多くの人は文書の構造化という言葉にはなじみがないかもしれない。なじみがないのは言葉だけで、実際は普通に目にしている。

 本でも雑誌でも表題や見出しは大きな活字で組まれているだろう。重要な語句は傍点が振ってあったり、太字になっている。引用部分は字下げして、どこからどこまでが引用か一目でわかるようになっている。これが文書の構造化である。

 以上あげたような構造化ならHTMLにもできるが、それ以上の構造化となると文書の性格に係わってくるので一律にはできない。それを可能にしたのがXMLなのだ。

 欧米ではTextEncodingInitiativeがXMLによる文芸作品の構造化の研究を強力に進めており、その成果をガイドラインとして発表しているが、日本ではあまり知られていない。日本語で読めるものというとTEIガイドライン第五版の一部の邦訳がネット公開されているくらいだろうか。

 そんな中で注目すべき本が出た。MLA(アメリカ現代語文学協会)から2006年に出版された ELECTRONIC TEXTUAL EDITING の邦訳で、MLAで積み重ねられてきた文芸作品の構造化の議論が24編の論文によって概観できるのだ。TEIについて知りたくても、どこから手をつけていいのかわからなかったわたしのような者にとってはありがたい本である。

 監訳者の明星聖子氏は『新しいカフカ』やシリングスバーグの『グーテンベルクからグーグルへ』で編集文献学という新しい学問を日本にもたらした人である。もう一人の監訳者の神崎正英氏はマークアップ言語の専門家で、セマンティックWebをいち早く紹介した『セマンティックHTML/XHTML』がある。

 本書は二部にわかれる。第一部「典拠資料と方針」はケーススタディーで、各分野から12の事例が選ばれている。第二部「実践と手順」は理論編でXML化の前提となる知識や技術が解説されている。

 多くの人が係わっているので翻訳に出来不出来があるのは仕方がないが、「ですます調」はいかがだろうか。監訳者はなじみのないテーマなので、一人でも多くの人に親しんでもらおうとして「ですます調」にしたと断っているが、「ですます調」したから親しみやすくなるわけではないし、平易になるわけでもない(むしろ逆のケースが多い)。こういう本を手にとる人は限られているのだから、余計は配慮はしない方がよかったと思う。

 もう一つ、親しみやすさを出そうとしたためだろうか、固有名詞の原綴がほとんど記載されていない。原綴しか載せないのは確かに困りものだが、原綴がわからないと検索しにくいのだ。カタカナ表記の後ろに原綴を載せるべきだったろう。

 記載されているURLはアクセスできなくなっているものがすくなくない。邦訳では邦訳出版時点で確認できた新しいURLが併記されているが、それもアクセスできなくなっていたりする。わざわざ新URLを併記するくらいなら、本書のサポートページを設け、そこにリンク集を載せて定期的に更新してくれた方がよかった。ネット環境をもたない人を切り捨てることになるかもしれないが、そういう人にはURLそのものが無意味なのだから問題はない。

 第一部から見ていこう。

「デジタルの地平での編集」

 総論らしいが、のっけから悪訳である。字面をながめるとそんなに難しいことは言っていないと思うのだが、まるでわからない。次の章からは読みやすいのに、ここでつまずいて放りだす人もいるだろう。最初の論文なのだから、上手な人にまかせるべきだったと思う。

「『カンタベリー物語』をはじめとする中世テキスト」

 Canterbury Tales Projectの紹介である。『カンタベリー物語』写本の系統図を確立しようという試みは1920年代からあったが、成果をあげることができず、系統図そのものを否定する見方まで出てきた。

 Canterbury Tales Projectでは過去の試みが失敗したのは写本の数が人間が把握できる限界を超えていたからではないかと仮定し、生物の系統図を調べるソフトウェアを使って写本の伝承関係を調べ直すことにした。最初に調査したのは「バースの女房の話」というエピソードで、写本の小さな変異を記述する手段としてTEIのマークアップを採用したところ、系統図が出てきた。

 生物の系統図を調べるソフトウェアで本当に写本の系統図がわかるのだろうか? 著者たちは外的な証拠で写本間の関係がわかっている古ノルド語の『スヴィプダーグの歌』に同じ手法を適用したところ、コンピュータの結果と外的な証拠が一致したということである。なお、CD-ROM版の"Chaucer: The Wife of Bath's Prologue CD-ROM Manual"(1996 Cambridge University Press 絶版)には使用したソフトウェアと全データが収録されており、読者自身が試せるようになっているとのこと。

「記録資料の編集」

 エジソン研究所のアーカイブを整理して「エジソン文書集成」を構築する過程が紹介されている。エジソン研究所には500万ページを超える資料があり、その10%がマイクロフィルム化され、メインフレームでデータベースが作られていた(原綴がわからないので確信はないが、多分Edison exhibit and Menlo Park Laboratoryだろうと思う)。

 1990年代にマイクロフィルムをスキャンしてCD1500枚分のデジタルデータに変換した。オリジナルは200dpiで256階調のTIFF画像で、6Mバイトあったが、ネット公開用に60dpiのJPEG画像を作った(平均60Kバイト)。サイトの構築にあたってはメインフレーム時代のデータベースが役に立った。

 次の段階として電子テキストが作成されたが、最初からSGMLでマークアップした。どのDTDを使うかが問題だが、Model Editions Partnershipをもとにしたということである。

「詩とネットワーク」

 ロマン派詩人の研究サイトであるRomantic Circlesのメンバーが詩のマークアップについて語っている。

 詩のマークアップは当初はテーブルタグを使って表のセルの中に詩の一行をいれていたが、XML化以降は詩行を<l>、連を<lg>でタグづけする。蒲原有明を例にすると以下のようになる。

<lg type="sonnet">

<l>智慧の相者は我を見て今日し語らく、</l>

<l>汝が眉目ぞこは兆悪しく日曇る、</l>

<l>心弱くも人を恋ふおもひの空の </l>

<l>雲、疾風、襲はぬさきに遁れよと。</l>

</lg>

 詩は文字の配置が重要だが、シェリー自身が版組にかかわったと見られる「悪魔の散歩」を例に表示の可能性を論じている。

 版による異動についてはワーズワースとコールリッジの『リリカル・バラッヅ』の「異読校合マップ」を紹介している。

「戯曲のケーススタディ」

 戯曲は卜書や傍白があるなど複雑な内部構造をもつので、TEIでタグセットを開発するにあたり、まっさきにとりあげた経緯があるという。本章では『ケンブリッジ版ベン・ジョンソン作品集』を例に上げているが、ビクトリア朝の戯曲は人物のなりすましや劇中劇など趣向に富んでいるので、マークアップの力試しをするにはもってこいだろう。

 TEIのガイドラインにしたがって鏡花の『海神別荘』の冒頭部分をXML化すると次のようになる。

<speaker>僧都</speaker>
<l>お腰元衆。</l>

<speaker>侍女一</speaker>
<stage type="entrance action">(薄色の洋裝したるが扉より出づ)</stage>はい、はい。これは御僧おそう。</l>

<speaker>僧都</speaker>
<l>や、目覺しく、美しい、かはつた扮裝いでたちでおいでなさる。</l>

「女性作家プロジェクト」

 女性作家の作品をオンライン公開するWomen Writers Projectの紹介だが、女性作家だからといってテキスト構造上の特徴はなく、電子テキスト作成の一般的な注意点の指摘で終わっている。

「著者による翻訳」

 ナボコフのように自作を翻訳したり、フランス語版『資本論』のようにマルクス自身が翻訳に大幅に手を入れたりして、翻訳が新しい異文となるケースがよくある。本章ではベケットの"Stirrings still"とフランス語版の"Soubreautus"を例に改稿過程をどのようにマークアップすべきかを論じている。原稿段階にはなく公刊テキストで追加された部分は <reg type="pro" rend="absence">でマークアップするという具合である。

「散文フィクションと近代の手稿」

 フランドル語の小説『ウォーターホークの没落』の批判版をCD-ROMで出版した経験をもとに、テキストの生成過程を復元するにはどうしたらいいか、またどんな意味があるかを論じている。

「哲学のケーススタディ」

 2000年にオックスフォード大学出版局から6枚組のCD-ROMとして出版された Wittgenstein's Nachlass. The Bergen Electronic Edition の紹介である。

 この著作集には2万頁以上の画像とそれを電子化したテキストが収録されているが、省略や書き直し箇所をどうマークアップしたかが語られている。

 「つまり」をあらわす das heißt は手稿では dh と略記されることが多いが、電子テキスト化する際、dh を das heißt に直してしまってはまずい。そこで次のようにマークアップする。

<abbr expan="das heißt" >dh<abbr>

 dhをそのまま出力するスタイルシートとexpanの属性値に置き換えて出力するスタイルシートを用意しておけば読者は手稿そのままのテキストと、強い編集をへたテキストの両方を読むことができる。

「宗教テキストの電子化」

 新約聖書の批判版の編集はミュンスター大学の新約聖書本文研究所(INTF)とギリシア語新約聖書国際プロジェクト(IGNTP)という二つの団体が進めており、良好な協力関係にあるという。なお、本章は後者の責任者が執筆している。

 『ヨハネ福音書』を例にとっているが、ギリシア語写本だけで1800点以上ある上に、古シリア語や古ラテン語、コプト語、古グルジア語、古アルメニア語などへの古代の翻訳があり、重要な異読を提供している。さらには2世紀にさかのぼるパピルスの断片まである。

 INTFとIGNTPは共同作業をおこなうにあたり、使用するソフトウェアを『カンタベリー物語』の編集のために開発された Collate を用いることにしたが、『カンタベリー物語』は60点ほどしか写本がなかったのに対し、『ヨハネ福音書』は桁違いに写本が多いので Collateの改造からはじめなければならなかった。

 電子編集の副産物としてビザンティン版の制作がはじまったことは特筆していいだろう。ビザンティン版はビザンティン帝国で使われていた聖書で、東方正教会では現在でも聖典としている上に、エラスムスが刊行した1516年のギリシア語聖書がビザンティン版だったために、欽定訳聖書の本文にも影響をあたえている。電子編集によってビザンティン版の批判版が比較的容易に製作できるようになったわけである。

「マルチメディアの解剖図」

 ウィリアム・ブレイク・アーカイブの紹介である。ブレイクは画家でもあり、詩文集に自分で挿画を描いており、マルチメディアの出現は福音といえる。

 ブレイク研究者(人文学者全般の話にしてあるが、ブレイク研究者を念頭においているのだろう)には孤独を好む人が多く共同作業をやりたがらないとか、マルチメディアにはお金がかかるとか、XMLの勉強より本来の研究がやりたいと愚痴をこぼしている。

 JPEGの画質ではブレイクの彩色本を再現するのに不十分なので、JPEG2000をいち早くとりいれたというが、画質の問題はブレイクに限ったことではないので、これも愚痴の一つと受けとっておいた方がいいだろう。

「碑文研究」

 碑文のXML化というとミスマッチの印象があるが、碑文研究の世界では編集者が訂正した箇所や補足した箇所を示すためにレイデン法という一種のマークアップが伝統的におこなわれてきた。だからXML化には抵抗がなかったそうである。

 それどころかTEIの標準的なDTDでは不十分なので、独自のDTDを作ろうという動きまである。

 Unicodeは古代文字をサポートしているが、碑文では数詞をリガチャーであらわすのでまだまだ足りないという。

 古色蒼然たる碑文を相手にしている人たちが電子化にここまで積極的なことに驚くかもしれないが、日本でも仏典を研究している人たちが最先端の電子化をおこなっていた。古は新に通じるのである。


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2012年06月29日

『学術出版の技術変遷論考』 中西秀彦 (印刷学会出版部)

学術出版の技術変遷論考 →bookwebで購入

 グーテンベルクの徒弟にペーター・シェッファーという男がいた。シェッファーは徒弟とはいってもパリ大学に学び、グーテンベルクに出資したフストが印刷工房を差し押さえると工房の運営をまかされ、後にフストの娘と結婚して印刷を家業とするようになった。シェッファーの息子は1514年に印刷術の発明者はグーテンベルクだと記し、それがグーテンベルクが活版印刷を発明したことを証明する最初期の記録となっている(高宮利行『グーテンベルクの謎』)。

 近年のハイテク調査によってグーテンベルク聖書には後代に継承されなかったさまざまな技術が駆使され、試行錯誤をくり返していたことがわかっている。シェッファー自身が記録を残すか、息子がもうちょっと詳しい記録を書いておいてくれればグーテンベルク革命の実態がわかったのだが、そうはならなかった。

 20世紀の最後の30年間に印刷出版の世界ではグーテンベルク以来の大変動が起こった。ほとんどグーテンベルク時代そのままの技術でおこなわれていた活版印刷は写植に移行し、さらにはコンピュータ印刷に全面的にとってかわられたのだ。日本では1990年代には活字は姿を消し、博物館の中でしか見られなくなった。

 本書は京都で学術書の印刷を手がける中西印刷という印刷所を定点として活版印刷からコンピュータ印刷への変遷を記録した本である。著者の中西秀彦氏にはすでに『活字が消えた日』(最近復刊された)というエッセイ風の著書があるが、本書は実証的な学術書として技術の進歩や人員構成の変化を客観的な資料にもとづいて記述している。

 中西印刷は慶応元年に創業し、創業家が7代150年にわたって経営をつづけている。シェッファー家はたいした記録を残さなかったが、150年間印刷を家業としつづける中西家がグーテンベルク以来の印刷革命にあたって本書のような後世の批判に耐える記録を残してくれたのは幸いというべきだろう。

 本書は七章にわかれる。第一章は総説、第六章はまとめ、終章は学術文書のXML化の展望で、第二章から第五章までが本題の歴史記述になる。活版印刷時代から電算写植をへてコンピュータ組版にいたるまでが四章にわけて語られるが、各章は以下の四つの位相から考察されている。

  1. その段階の技術の印刷史上の位置づけ
  2. 文字コードと漢字問題
  3. 中西印刷の対応(機械配置、人員構成、新機種導入など)
  4. 中西印刷で製作された作例

 各章とも文字コードにかなりのページがさかれているが、それだけ文字コードが難題だったということである。

 歴史の紹介にあたって中西印刷の業務の特殊性についてふれておかなければならない。

 中西印刷は京都府庁の印刷が主な業務だったが、第二次大戦後は入札の激化から学術書に業務の中心を移した。学術書にはベンゼン環を含む化学式やめったに使われない漢字、アラビア文字のような活字化しにくい文字、西夏文字のように廃れてしまった文字が使われる上に、複雑な数式や割注のような特殊な組版もおこなわれる。さらに重要なのは入稿後に著者によるおびただしい訂正が校了ぎりぎりまではいることである。

 一般の印刷所は1960年代から手動写植さらには電算写植へと移行したが、写植では大量の訂正に対応できないことから、中西印刷は活版印刷をつづけ、一時は電算活版という世界に類のない機械を特注したこともあった。

 中西印刷が電算写植機を導入したのはワープロなみに訂正が容易になった1985年のことだったが、それ以降は急激に電子化を進め、1992年の「活字が消えた日」をむかえることになる。

 電算写植はさらにDTPに移行するが、組版がコンピュータ化されたからといって技術的難点が一挙に解決されたわけではない。どんなに難しい組版でも活版なら職人が手を動かしただけ進むが、コンピュータ組版だと標準からはずれた作業はシステムを改変するまではまったく止まってしまうからだ。また西夏文字のような特殊なフォントは自社で作らなければならない。そのためにコンピュータ化して以降の中西印刷はコンピュータ組版の最先端を走ることになる。

 さて第二章は「活版と写植の時代」と題されているが、中西印刷は手動写植を導入しなかったので、ほとんど活版のみが語られ、手動写植については簡単な説明にとどまっている。

 グーテンベルク以降、活版の最大の技術革新は自動鋳植機の発明だった。自動鋳植機には一行単位で鋳造するライノタイプと一文字単位で鋳造するモノタイプがあったが、日本語組版ではモノタイプしか使えなかった。モノタイプの文字コードが日本で実用化された最初の文字コードということだが、文撰の活字箱の文字の配置と同じように印刷所によって違ったそうである。中西印刷はゴシック体をよく使うので、ゴシック体の文字を独立の文字として登録していたという。

 この章は機械フェチの人には相当面白い。

 第三章「電算写植の時代1」はミニコンの段階であり、まだWYSWIGが実現されていなかったので組版指示は専用のプログラミング言語でおこなわなければならなかった。文字コードでは悪名高いJIS83問題がもちあがったが、何が原因で文字化けが起こるのか暫くわからなかったそうである。印刷に必要な漢字はJISでは間にあわないので電算写植の文字コードはメーカー独自の文字コードが使われた。COMPOTEXとモリサワはJISに準拠する方向をとったが、写研は頑なに独自文字コードを貫いたと対応がわかれる。学術出版では大量の外字が必要になるが、中西印刷は外字の蓄積を積極的な売りにして営業したということである。

 第四章「電算写植の時代2」はワークステーションの段階である。UNIXではバックアップファイルが自動的に作られるが、その知識が職人に徹底せず、いくら校正しても誤字が復活してしまう「校正ゾンビ」というエピソードは今となっては笑い話だ。ワープロの普及でフロッピー入稿が増えるが、かえって手間が増えてしまい、フロッピー入稿の手引を配布することになる。

 第五章「DTPの時代」はパソコンで安価なシステムが組めるようになった時代をあつかう。PostScriptとTeXで素人でも組版の真似事ができるようになったが、印刷業界の対応は二分した。積極的にDTPに対応しようとした代表がモリサワで、独自システムに閉じこもった代表が写研である。モリサワが大きく成長したのに対し、写研がじり貧に陥ったことはよく知られている。文字コードではUNICODEがようやく実用段階にはいったことがあげられる。

 出版社や編集プロダクションでは社内で組版までおこなうところが増え、研究者自身が組版をおこなう例まで出てきた。しかし研究者や編集者は組版のプロではないので印刷物としては劣る物しかできないし、習熟度にも差があった。そこで印刷所は素人が組版した版下をプロのレベルまで高めるという共同作業の可能性が生まれた。

 とはいえソフトウェアの進歩と低価格化で素人のレベルはどんどん上がっているし、タブレット端末の普及で印刷の受容そのものが激減する可能性もある。『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』で模索されているようなPDFの版下をオンラインで受注する「印刷ネット通販」は先細りかもしれない。また電子書籍では紙の書籍の品位は求めるべくもなく(EPUBなどお粗末なものだ)、プロが作っても素人と五十歩百歩のものしかできないだろう。では印刷所はどうしたらいいのか?

 終章では今後の印刷所の生きのびる方途として文書の構造化支援をあげている。文書の構造化は直感ではわかりにくいので、プロの仕事が長期的に確保できるというわけである。

 確かに印刷指定の発想で作られた「青空文庫」の青空フォーマットが電子書籍の中間フォーマットとして歓迎されている現状を見ると、文書の構造化は文系人間には相当ハードルが高いと思われるが、あまり大きな市場にはならないような気もする。

 巻末には1967年から2006年まで中西印刷に在職したベテラン職人と、モリサワ社長のインタビューがおさめられている。

 本書は印刷技術の細部にまで記述がおよんでおり、ディープすぎて素人にはわからない部分もあるが、わかる部分だけでもかなり面白い。第二の印刷革命の内側からの記録として歴史に残ることは間違いないだろう。

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2012年06月28日

『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』 中西秀彦 (印刷学会出版部)

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 京都に学術書の印刷で知られる中西印刷という印刷所がある。慶応元年創業の150年の歴史のある老舗だが、ビルマ語辞典や西夏文字の仏典などといったややこしい文字の出てくる本ならここしかないと、出版業界では有名な会社である。そこの「若旦那」こと中西秀彦氏が印刷学会の機関誌「印刷雑誌」に連載しているコラムをまとめたのが本書で2006年から2010年にかけての分がおさめられている。

 各文章の末尾には註がついているが、ご本人が書いていてひねりが効いている。こんな具合だ。

トホホファイル

クライアント作成のデータ原稿で、あまりうまく作られておらず、印刷用として利用するのにかえって手間のかかるようなファイルのこと。もちろんトホホという嘆きの言葉に由来する。

 表題となった「電子書籍への抵抗勢力たらん」は電子本ブームで蚊帳の外におかれている印刷業界を憂えて「このまま座して死を待つぐらいなら、抵抗勢力になってやろうではないか。ありとあらゆる法律を駆使して徹底的に言うべきことは主張しよう」と訴える檄文だが、決して玉砕主義ではなく、法律論議で時間をかせいでいる間に印刷業界のビジネスモデルを転換させ、生き残りをはかろうという現実主義が背景にある。

 そもそも中西氏は活版印刷をやめてコンピュータ印刷に一本化するドキュメンタリ『活字が消えた日』で知られている人だし、最近もグーテンベルク以来の印刷革命を実証的に描いた『学術出版の技術変遷論考』を上梓するなど、電子書籍の裏も表も知り抜いた人である。

 だから一番最初に置かれた「ダウンロードは文学を変える」では積ん読需要がなくなるから印税は激減するぞと著者側にあいくちを突きつけ、二番目に置かれた「電子書籍の時代に出版社は必要か」では紙による付加価値がなくなったら今のような手間のかかった「編集」は経費的に維持できなくなるし、リスクの小さい電子出版ではそもそも「編集」の役割が格段に小さくなると、出版社に返す刀を向けている。電子書籍時代になったら印刷所の仕事がなくなるだけではなく、著者や出版社も安泰ではないというのは確かである。

 第一章には殺気立った文章がまとめて置かれているが、第二章以降はユーモラスな文章が多く、檄文と見えたのは実は戯文だったかとわかる。

 中西氏の本意は印刷所や製本所、取次を切り捨てるような電子書籍ブームに浮かれていると徹底抗戦する人たちがあらわれ、日本の電子出版は一周遅れ二周遅れになってしまう。そういう泥沼にはまらないためには軟着陸する道筋を示し、不安に思っている人たちに安心してもらう必要があるということのようだ。

 軟着陸の鍵となると中西氏が考えているのはハイブリッド印刷によるワンソース・マルチユースだ。電子本を出すと同時に初版をオフセット印刷でまとまった部数印刷し、増刷分はオンデマンド印刷で細かく対応する。オンデマンド印刷は技術の進歩の結果、オフセット印刷のレベルに達しているから初版と増刷分で品質が異なるということはなくなっており、紙の本の宿命だった絶版がなくなる可能性がある。著者にとっても、出版社にとっても、読者にとっても、それは望むところだろう。

 軟着陸がうまくいくかどうかはわからないが、印刷のインターネット通販が安くできる理由とか、電子データの長期保存の困難と危うさを指摘した電子式式年遷宮の提案、検索の普及で図書館の存在理由があやうくなっているなど部外者にもおもしろい話題がたくさん載っている。紙の本にセンチメンタルな思い入れをもっている人は絶望的な気分になるかもしれないが、印刷業界から見たリアルな電子書籍観を知ることのできる類のない本だと思う。

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『電子本をバカにするなかれ―書物史の第三の革命』 津野海太郎 (国書刊行会)

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 電子書籍について早くから発言してきた津野海太郎氏の論集である。

 三部にわかれ、第一部は本書のための書き下ろし、第二部は2001年から2009年までに発表した電子書籍関係のエッセイ、第三部は1986年にリブロポートから出た『歩く本―ブックマンが見た夢』に収載されたブラッドベリ論の再録である。

 第一部「書物史の第三の革命』は欧米で1950年代に同時多発的に生まれた書物史の観点から電子書籍を見直す試みである。

 昨今の電子書籍論は近視眼的なビジネスの話ばかりだが、五千年の文明の流れで見ると、電子書籍は文字の発明による口承記録から文字記録への移行という第一の革命、東洋では10世紀、西洋では15世紀にはじまる印刷術による写本から印刷本への移行という第二の革命につづく第三の革命として位置づけられる。

 これまでの革命では冊子本によって巻子本が、印刷本によって写本が廃れたように全面的な代がわりが起こったが、第三の革命でも同じことが起こるのだろうか?

 津野氏はそうはならないだろうという。第二の革命の写本と印刷本の競争は同じ紙の本同士の競争だった。同じ土俵でぶつかる以上、馬車が自動車にとってかわられたように、一冊一冊書き写す写本が一挙に大量のコピーが作れる印刷本に圧倒され、駆逐されるのは必然だった。しかし電子本はモノではない。紙の本とは次元が違うのだ。電子本は場所をとらない、資源を消費しない、文字の拡大が可能、検索性など紙の本よりすぐれた面がある反面、一瞬で跡形もなく消えてしまうなど非物質であるがための固有の欠陥がある。馬車と自動車は並び立たなくても自動車と飛行機は共存可能なように、紙の本と電子本は棲みわけ可能というわけだ。

 ただし棲みわけるといっても、紙の本の比重が下がっていくことは避けられないし、資源の観点からは望ましいことだと津野氏は結論する。中国やインドの人たちが日本人と同じだけの印刷本をもとうとしたら、世界中の森林は丸裸になってしまうからだ。

 津野氏の議論にはおおむね同意したいし、そうなってほしいが、音楽メディアの交代を考えると疑問がないわけではない。音楽の場合SPはLPに、LPはCDにとってかわられ、今CDがオンライン配信におきかわりつつある。SP、LP、CDはいずれもモノだが、オンライン配信は非物質である。物質的メディアから非物質的メディアへの全面移行が起こりつつあるのだ。

 もちろん紙の本が全滅することはないだろうが、中小の書店が存続不能なまでに市場が縮小するということは十分ありうる。今、町のレコード店はどんどん潰れているが、書店もそうならないという保証はないのだ。

 第二部には今はなき『本とコンピュータ』誌関連の文章や、『電子書籍奮戦記』の萩野正昭氏との対談、グーグル・ブックサーチ騒動関連の文章がならぶが、一つだけとりあげるとしたら「ウィキペディアとマチガイ主義」という2009年のエッセイである。

 ウィキペディアに間違いが多いのはご存知の通りだが、津野氏はウィキペディアをはじめた連中は確信犯的マチガイ主義者だなと直感したという。

 急いでお断りしておくと、「マチガイ主義」は津野氏の造語ではない。チャールズ・パースの fallibilism(「可謬主義」と訳されることが多い)に鶴見俊輔があてた訳語である。『アメリカの哲学』から孫引きする。

 絶対的な確かさ、絶対的な精密さ、絶対的な普遍性、これらは、われわれの経験的知識の達し得ないところにある。われわれの知識は、マチガイを何度も重ねながら、マチガイの度合の少ない方向に向かって進む。マチガイこそは、われわれの知識の工場のために、最もよい機会である。

 これこそプラグマティズムのエッセンスだろう。日本人、特にインテリは「マチガッテハイケナイ主義」にがんじがらめになっており、間違っても直せばいいというアメリカ流の乱暴でマッチョな文化を毛嫌いするという指摘はなるほどと思った。

 第三部の「歩く本―ブックマンが見た夢」と題したブラッドベリ論はわざわざ再録するだけあって、一番面白かった。

 表題にある「ブックマン」とはもちろn『華氏451度』に登場する、森に隠れて本を暗唱する人々のことである。

 1953年に上梓された『華氏451度』に当時猖獗をきわめたマッカーシズムが影を落としているのは常識に属するが、津野氏は1952年の線文字Bの解読の成功と、その後に起こった文字に対する関心の高まりもと影響しているのではないかという。

 この仮説は無理筋だと思うが、ブックマンを琵琶法師のような放浪の藝能者になぞらえる見方はぞくぞくするほど魅力的だし、日本が破滅して『坊ちゃん』が口承伝承の過程に置かれたらどのように変形していくかという想像にはセンス・オブ・ワンダーをおぼえた。

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2012年06月27日

『電子書籍奮戦記』 萩野正昭 (新潮社)

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 電子書籍のパイオニアであり「Mr.電子書籍」の異名のあるボイジャーの萩野正昭氏の半生記である。

 はじめにお断りしておくが、本書は Kindleがどうのこうのとか、電子書籍の未来がどうなるといった話題をテーマとした本ではなく、そうした関心で手にとるがっかりすると思う。しかし電子書籍の黎明期と舞台裏に興味のある人にはきわめつき面白い本である。

 パソコン業界は歴史が新しいのでいろいろな経歴の人が流れこんでいるが、萩野氏は映画畑の出身だった。最初に就職したのは東映教育映画だったが、当時の映画業界は衰退の坂を転げ落ちていた時期だったので正社員の採用はなく、萩野氏も「臨時の日雇」という不安定な身分だった。

 教育映画を作る下調べに博物館の記録映像を見る機会が多かったが、未編集の映像が思いのほか面白く、編集してドラマを作り上げる手法に疑問をもつようになったという。

 後の電子書籍を予感させるような出会いもあった。国立癌センターで気管支ファイバースコープを開発した医師が普通の35mmmフィルムでは頻繁にフィルムをとりかえなければならないので、映画用の16mmフィルムでコマ撮りしていたのだ。200フィートのフィルムは動画なら5分間だが、静止画なら一人100コマとしても80人分を記録できる。

 萩野氏は1981年にパイオニアに転職する。パイオニアはレーザーディスク(DVDの御先祖のようなメディアで、30cmの光ディスクにアナログで動画を記録した)に乗りだすことになり、映画のわかる人材を必要としたのである。

 レーザーディスクは映画ソフトよりもカラオケ用に人気が出て、映画の方も外部のメーカーの方が売れるものを出すようになった。萩野氏は閑職に回されたが、ここでレーザーディスクでしか出せないものを出してやろうと、動画に間に静止画で解説文をいれた『昆虫記の世界 カリバチの習性と本能』を出す。静止画の表示はコマ送りのできるレーザーディスクでしかできないものだった。

 この技術に注目したのがアメリカのボイジャーである。ボイジャーはマルチメディアの会社だったが、映画部門では古典的名画をレーザーディスク化したクライテリオン・コレクションで高い評価を得ていたが、映画の末尾に解説文を静止画でいれるようにしたのだ。

 解説文は最初、ワープロで打ちだした原稿をカメラでコマ撮りしていたが、ボイジャーではマッキントッシュでやるようになり、コストが下がるとともに画質が向上した。

 ここで重要な転機が生まれる。ボイジャーのボブ・スタインは萩野氏にハイパーカード(マッキントッシュ上で動いたホームページの原型のようなソフト)を示し、リンク構造でレーザーディスクをコントロールする新しいメディアを共同開発できないかと提案してきたのだ。

 ところがパイオニアは関心を示さず、萩野氏はボブ・スタインの提案に乗り、1992年退職してボイジャー・ジャパンを設立する。

 ここからはよく知られた物語だが、2000年の電子書籍ブームの時、マイクロソフトから買収の打診があったという話は興味深い。提示されたのは莫大な金額で、シアトル本社に交渉にも行ったし半額を株式で支払うと具体的な話だったが、長文のレポートを書かされた上、途中段階の契約書に不審な条項がはいっていたので海外企業との契約に詳しい弁護士に相談したところ、次のような答えが返ってきたという。

 大金で相手の心を浮き上がらせた上で、小出しにいろんなものを出させ、ほしい物を手に取れるだけ取った段階で買収契約を中止する。これが米国式企業買収の手としてあるのだというのです。

 果たして問題の条項に反論したところ、マイクロソフト側は手のひらを返したように態度を変え、買収話はとりやめになる。

 その後、ボイジャーはドット・ブック形式を安心して使いたい大手出版社から出資を受けることになるが、その際はインプレスと他の大手出版社にも資本参加を呼びかけるという保険をかけている。技術だけが売りの小さい企業が生きのびていくのは大変である。

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2012年06月26日

『2015年の電子書籍―現状と未来を読む』 野村総合研究所 (東洋経済新報社)

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 野村総研がまとめた電子書籍に関するレポートで、190ページの本文に100枚の図版がはいっている。図版にはグラフだけでなく、図表、年表、写真なども含まれる。

 大量の図版が投入されていることからもわかるように、本書は徹頭徹尾数字で電子書籍の現状と未来を考えようとしたデータ集である。

 電子書籍に関するレポートとしてはインプレスが『電子書籍ビジネス調査報告書』を毎年出しているが、7万円もする企業向けの出版なので、個人ではとても手が届かない。こちらは1785円だから、即、買いである。

 百科全書的というか、いい意味で総花的な本で、日本では語られることのすくないヨーロッパや中国の電子出版事情についてもページをさいている。

 ドイツではKindleがあまり売れていないと聞いていたが、電子書籍端末の売上自体は2009年の8万台に対して2010年に50万台と急伸しており、Neophonieというメーカーの発売したWe Padや、ドイツ最大の書店チェーンであるThaliaの発売したOyoという端末が健闘しているそうである。Oyoはフランスやポーランドでも発売されていて、ヨーロッパ全土に拡大していく可能性もあるという。

 日本では先日、ようやく国会図書館法が改正され電子出版物の納本が義務化されたが、ドイツでは同様の制度が2008年にはじまっていたという。

 面白いのはヨーロッパでも大人になってマンガを読んでいるのは恥ずかしいという風潮があって20歳を過ぎると「卒業」する人が多かったが、電子書籍のおかげで気兼ねなく読めるようになり、マンガの読者離れがおこらなくなったという指摘だ。電子書籍の普及で日本マンガの市場拡大が見こめるかもしれないというが、とらぬ狸にならなければよいが。

 アメリカの電子書籍事情は今さら感がなくはないが、電子教科書に関する話題がまとまって記述されているのはありがたい。

 プリンストン大学は画面の大きいKindleDXが発売されると教科書の代用として試験的に導入したが、モノクロであること、ページの書き換えに時間がかかることなどから評判が悪く、別の大学でも利用した学生の8割近くが「次の新入生にはKindleDXを勧めない」と回答した。

 ところがカラー液晶でタッチパネルを備えたiPadが登場すると状況は一変し、アメリカでは大学での電子教科書が急速に普及したそうである。

 単なるデータ集かと思ったら、ところどころにマニアックな考察もある。日本のマンガ雑誌は出版社によって連載作品の継続方針が異なる。読者アンケートによって連載を簡単に打ちきるところと、一度はじまった連載は長い目で見守るところにわかれるが、最近はマンガの売行きが落ちているので長い目で見守りたくても雑誌に体力がなくなっている。新人の育成にも同じことがいえる。そこで雑誌のWeb版をつくり、本誌で終了した連載をWebで継続したり、新人に執筆の機会をあたえたりするところが出て来ているというのだ。紙の雑誌とWeb雑誌のあるべき分業の姿かもしれない。

 最後の章では関連業界に対する電子書籍化の影響が考察されている。おやと思ったのはリアル書店に対する影響は当面すくないとしている点だ。電子書籍の書記の読者はオンライン書店の読者と重なるので、共食いカニバリズムが起こるとしたら、オンライン書店で販売される紙の本との間で起こるというのが理由だ。これ以上リアル書店が減ってほしくないので、この予想が当たることを祈る。

 手軽なデータ集として重宝するのは間違いないし、読み物としても意外に面白かったが、2011年3月の発行なので賞味期限は長くない。来年あたり新版を出してほしいところだ。

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『電子出版の構図』 植村八潮 (印刷学会出版部)

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 書籍の電子化を支援する出版デジタル機構の会長に就任して時の人となっている植村八潮氏が印刷学会の機関誌「印刷雑誌」に連載している「デジタル出版よもやま話」というコラムをまとめた本である。序にあたる「電子書籍ブームの中で本の未来を考える」は本にする時に書かれているが、本編には1999年1月号から2010年7月号までの12年分の原稿が発表年順に並べられている。

 植村氏は現在は大学で教職についているが、理系の大学の出版局に長く勤務していた人なので、大学出版関係の裏話が面白い。

 授業開始時までに新本の教科書を買う学生は今も昔も6割くらいで、昔は新本を買わない学生は古本で買っていた。最近は最後まで買わずにすます学生が増えたが、試験が教科書持ちこみ可だと売行きが違う。試験期間中に残業していると、出版局に教科書がほしいと駆けこんで来る学生が必ずいるそうである。

 中国は四庫全書を電子化するなど、電子出版に熱心だが、その背景には紙不足があるそうである。2000年の統計だが、日本の年間紙消費量が3200万トンなのに対し、中国は3600万トン。人口は中国の方が十倍いるから、一人あたりにすると日本の1/9しかない。中国の大学進学者は急増しており、もはや紙の教科書を供給することは困難なのだという。中国の大学では電子出版学科の新設があいつぎ、急ピッチで電子出版の人材を養成していて、日本とは気合いのいれ方がちがうわけだ。

 ケータイ小説に関する考察も興味深いが、一番考えさせられるのは何度も空振りに終わった「電子書籍元年」をリアルタイムで記録した条である。

 「デジタル出版よもやま話」の連載がはじまった1999年1月号は実際には1998年12月に出ているが、1998年が起点というのは意義深い。1998年は最初の「電子書籍元年」だからだ。

 第一回の原稿は「電子読書端末にデジタル紙魚は付くか?」と題されているが、そこでとりあげられている「電子読書端末」とはなつかしのデータ・ディスクマンなのである。

 今となっては信じられないだろうが、データ・ディスクマン用の電子書籍は書店にMDをもっていき、衛星配信されるデータをコピーして購入するという仕組だった。タケルの書籍版のようなものだが、タケルもMDも今では博物館アイテムになってしまった。

 2003年にはソニーのLibrieと松下のΣブックが登場し、二回目の「電子書籍元年」が喧伝された。Librieは液晶ではなく電子ペーパーを使った電子書籍端末で、Kindleの原型というか、ほぼ同じものである。

 ハードウェア的には日本のメーカーはKindleより先行していたが、電子貸本という妙な販売方法をとったために「元年」はまたも空振りで終わってしまった。その経緯が本書にはリアルタイムで書かれていて、懐かしさと空しさをおぼえた。

 本の宣伝のために一部をネットで無料で公開する手法は普通になり、フリーミアムと呼ばれたりもしているが、1998年にスティーブン・キングがすでにやっていたなんていうことも本書は思いださせてくれた。日の下に新しいものなき、である。

 「電子書籍元年」はその後も訪れては徒花で終わるが、その一方で学術雑誌の電子化は怒濤のように進み、大学図書館は巨額の購読料を海外の巨大コングロマリットに支払うようになった。本の電子化は見えないところであともどり不可能な形で進行しているのである。

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2012年06月25日

『リアルタイムレポート デジタル教科書のゆくえ』 西田宗千佳 (TAC出版)

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 電子書籍ブームの余波で電子教科書にも注目が集まっているが、教育現場に近い人ほど電子教科書に冷笑的になる傾向がある。教育の電子化は「元年」を連発する電子書籍以上に長い歴史があり、子供だましのコンピュータごっこを見せられて幻滅させられた歴史も長いからだ。

 著者の西田宗千佳氏もその一人で、中学時代、担任がコンピュータの導入に熱心だったために、プログラムが書けた西田氏は研究授業のためのソフトウェア作りにかりだされた経験があるそうである。出来あがったのがどんなソフトウェアで、どんな授業だったか、おおよそ想像はつく。

 その著者が出版社から注文されたとはいえ、電子書籍の本を書く気になったのは電子書籍と教育のIT化については浅い報道しかされておらず、現状について何も知らないと気づいたからだという。本書は議論のために現状を知ることに主眼がおかれており、これまでの著者の本と違ってルポルタージュというよりはインタビュー集に近い体裁になっている。

 順に見ていこう。

 第一章「デジタル教科書とは何か?」では電子教科書の旗振り役として知られる中村伊知哉氏と、AVジャーナリストで技術家庭の教科書の監修をしている小寺信良氏に話を聞いている。

 電子教科書は読むための端末が必要になるが、一人一台配るべきか、グループに一台でいいのか、さらには端末を家に持ってかえるようにするか、学校内で貸与するだけにするかで議論がわかれているそうである。

 中村氏は一人一台、家に持ってかえるようにする派で、これは自明で説明の必要はないが、面白かったのはグループで一台、学校内で使うだけでいいという小寺氏の意見だ。

 教え方には教師から生徒に教える一方通行型、生徒が一人で学ぶセルフラーニング型、グループ学習型の三つのスタイルがあるが、グループ学習型は相乗作用で公課が高いことがわかっている。iPadのようなタブレット端末を真ん中において皆でのぞきこむようにすると、誰でも手を出せるのでグループ学習がすこぶるうまくいき、「自分ももっと触りたい」が「もっとわかりたい」につながって学ぶ意欲も高まるのだそうである。iPadが教育現場で注目されているというのはそういう意味だったのである。

 電子黒板のような教室全員で見る端末と電子教科書のような一人一台の端末は議論されているが、グループ学習用の教育モデルが脱け落ちているという指摘は目から鱗だった。

 またクラウドから教育材料から持ってくるだけではなく、その成果をクラウドへ返してやることが重要だという指摘も新鮮だった。

 第二章「デジタル教科書の作り手たち」ではNECの文教・科学ソリューション事業部、ソフトバンク系のEDUAS、ロンドンに本拠をおくピアソン・エデュケーションの日本法人であるピアソン桐原に話を聞いている。

 この章のテーマとなっているのは校務のIT化である。教育のIT化というと生徒にどんな端末をあたえるかという話になりがちだが、その前に教師の負担になっている成績管理や保険管理、教材作成、教育委員会とのやりとりといった雑用を処理できるようにしようというわけである。そのためには教師に一人一台の端末を用意することが大前提だが、2009年の補正予算の教育ニューディール政策で整備が一気に進んだという。

 そこで問題になるのは教師のデジタル・リテラシーであり、セキュリティの問題である。成績など生徒の個人データをいれたノート型パソコンやUSBメモリを置き忘れたといった事故はよくニュースになるし、教材をクラウドで提供しようにも、学校はインターネット接続を嫌がる傾向がある。こうした面のフォローが目下も止められているわけである。

 第三章「デジタル教科書・使用現場レポート」は千葉県立袖ヶ浦高校に2011年4月に開設された情報コミュニケーション科のルポルタージュだ。情報コミュニケーション科といっても工業科のような職業高等学校ではなく、あくまで普通科だが、生徒全員にiPad2をもたせ、普通の授業をiPad2でやるという実験的なコースである。

 驚いたことにiPad2は学校が配布したわけではなく、生徒一人一人が入学時に自分で購入したもので「文房具」の位置づけだという。私物であれば大事にあつかうし、自宅に持ってかえって何の問題もない。

 授業ではKeynoteというプレゼンテーション用のアプリが大活躍している。Keynoteは非常にすぐれたアプリで、Androideにはこれに匹敵するものはなく、iPadの優位を決定づけているということである。

 第四章「デジタル教科書への期待と戸惑い」は千葉大教育学部の藤川大祐氏と新潟市立所小学校の片山敏郎氏のインタビューである。藤川氏とは第三章の袖ヶ浦高校のケースを語りあっていて、iPad2を「文房具」化した着想の意義など、なるほどと思った。片山氏は校務のIT化に手探りする今の教育現場の状況を語っているが、これは何年もかかるんだろうなと思った。

 生徒にインターネットにアクセスする端末をあたえると授業とは関係ないサイトにアクセスするという問題がある。小学校低学年までは力のある教師ならコントロールできるが、高学年以上だと随時ネットを遮断する仕掛を作らないと学級崩壊になってしまうという。

 第五章「デジタル教科書と教育に必要なこと」は『緊急提言!ジタル教育は日本を滅ぼす』で電子教科書反対論をぶちあげた田原総一朗氏のインタビューである。同書を上梓した頃から較べれば電子教科書に対する偏見はすくなくなっているようだが、現在でも懐疑的なようである。

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『電子書籍革命の真実』 西田宗千佳 (エンターブレイン)

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 前回、本欄で電子書籍関連本をとりあげた際、もっとも周到な取材にもとづいて書かれた『iPad vs. キンドル』の著者、西田宗千佳氏が2010年末に出版した本である。

 序章と第一章でソニーの Readerとシャープの GALAPAGOSの比較をおこなっているが、今さら感が否めない。Readerはアメリカ市場で四番手で低迷しているし、GALAPAGOSは文字通りのガラパゴス端末でしかないことが明らかになってしまった。iPad vs. キンドルという構図は今でも有効だが、Reader vs. GALAPAGOSの構図ははじまる前に終わってしまったのである。

 本書は冒頭部分で損をしているが、第二章以降は読む価値がある。

 第二章「「プラットフォーム」に勝負をかけろ」ではとかく批判されがちな日本の出版界の水平分業を再評価し、電子書籍時代にどう対応していくかが考察されている。

 水平分業とは一冊の本を読者に届けるまでに出版社、印刷会社、取次、書店と中間業態が介在している構造をさす。欧米の出版社は印刷部門をもっているところがすくなくなく、出版社と書店の直接取引も普通のことだそうである。

 出版社と書店の間にいくつもレイヤーがはさまるとコストがかさむが、編集部門以外を外部委託可能なので、電話一台と机一つで出版社をはじめることができる。日本には出版社が四千社近くあるというが、多種多様な出版社が出版活動をつづけていけるのは水平分業のプラス面といえる。

 しかし電子書籍では中抜きが起こり、出版社さえいらなくなるのではないかという見方さえある。

 日本の場合、ケータイ時代から電子取次があり、凸版印刷系のビットウェイと大日本印刷系のMPJが電子出版のプラットホームを提供している。電子取次が介在することによって中小の出版社が生きのび、簡単に電子書店をはじめることができるようになるのではないかというわけだ。

 第三章「電子書籍を隔てる「壁」の正体」ではいわゆる「三省懇」で開発が決まった中間フォーマットの意義を解説している。

 電子書籍の閲覧フォーマットにはPDF、EPUB、XMDF、BOOKとさまざまあり、ビデオテープのβ vs. VHS戦争の連想から、負けフォーマットの端末や電子データをつかみたくないという懸念から出版社と読者が様子見をしている状況がある。

 しかしそんな懸念はおよばない。なぜならビデオテープの規格戦争はハードウェアの問題だったので別規格のテープは物理的に再生できなかったが、閲覧フォーマットはソフトウェアの問題なので、そのフォーマットを読むアプリを端末にインストールすれば済む話だからだ。

 もっとも多様なフォーマットが乱立したままだと、同じ書籍の電子化を各フォーマットごとにおこなわければならず、出版社のコストがかさむという問題がある。

 それを解決するのが「三省懇」で開発した中間フォーマットで、一度中間フォーマットにしておけば、PDFだろうと、EPUBだろうと、XMDFだろうと、一発で変換できる。「三省懇」からは「出版デジタル機構」が生まれているが、本章を読むと「出版デジタル機構」の背景が理解できるだろう。

 第四章「ぼくらになにが起こったか」は『iPad vs. キンドル』を電子書籍化した際の体験記である。Kindleは日本語化されていないし、ケータイでは固い本は売れないので選択肢はiPadに限られるが、iPadにはAppStoreの審査がある。AppStoreではアップル社に関する本は売れない決まりがあるので、一応申請するものの、保険として中味のはいっていないアプリを無償配布し、中味はボイジャーの「理想書店」で販売するという仕掛を考えた。

 AppStoreではiPad版は拒絶されたものの、なぜかiPhone版は通ってしまったという。iPhoneでは固い本は読みにくいので、結局最初の想定通り理想書店経由の販売が主となった。

 売れたのかというと、まったく売れなかったそうである。iPadの日本発売が延期に延期を重ね、紙版の発売から三ヶ月たってしまったので商機を逃したかっこうだという。

 AppStoreの価格設定が米ドル換算を基本としているために 115円、230円、350円、450円、600円という刻みで、日本流の480円とか980円という値段がつけられないのも出版社側にとっては頭痛の種になっているとのこと。

 AppStoreの印税率が報道されているほど著者側に有利ではないとか、海賊版アプリ問題など、おなじみの問題もふれられている。

 第五章「電子書籍が「変えるもの」とはなにか」はまとめで、少数寡占にさえならなければ Kindleの日本上陸を歓迎するというような突っ込みをいれたくなる意見が紹介されていて、裏読みする楽しみがある。電子書籍はプロモーションと割り切るという著者側の意見も出てくるが、それで済むかどうか。未来は五里霧中である。

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2012年06月24日

『アップルを創った怪物 もうひとりの創業者ウォズニアック自伝』 ウォズニアック&スミス (ダイヤモンド社)

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 世界的な企業は二人の対照的な人物によって創業されることが多い。ソニーの井深大と盛田昭夫、本田技研の本田宗一郎と藤沢武夫、ヒューレット・パッカード社のウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカード、マイクロソフト社のビル・ゲイツとポール・アレン、グーグル社のサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジ。まだまだつづけることができるが、アップル社も二人のスティーブによって創業された。スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックである。

 ジョブズについては波乱万丈の生涯と毀誉褒貶はなはだしい性格からおびただしい伝記が書かれているが、ウォズニアックの方は地味な技術者であり、ウォズという愛称で呼ばれる穏やかで誰からも愛される人柄ということもあって、ジョブズほどには注目されてこなかった。

 本書はそのウォズニアックの自伝というか自分語りである。邦題はおどろおどろしいが、原題は I, Woz(ぼくはウォズ)を iMacや iPodにひっかけて iWozと洒落ている。ジーナ・スミスというライターがウォズニアックにインタビューした内容を、ウォズニアックの語り口を活かして原稿化したということで、日本語版も

 定価は、僕のアイデアで六六六・六六ドル。同じ数字が並ぶのが好きだったからね。
 でも、これはちょっとだったんだよね。あちこちからの手紙で知らされるまで、この数字に悪い意味があるなんて僕らは知らなかった。なんだって? 獣の数字だって? そんなの、ホントに知らなかったよ。映画の『エクソシスト』も見ていなかったしね。アップルⅠが獣のわけないじゃないか。

のように砕けた調子で訳してある。

 意外だったのはウォズニアックもカリフォルニアの反体制文化の申し子だったことだ。ウォズニアックの父親はロッキードでミサイルを開発していたエンジニアで、当然ゴリゴリの保守派だった。ウォズニアックもコロラド大学時代は共和党クラブに籍を置いていたが、カリフォルニアの自宅にもどり、地元のカレッジに移ってからベトナム反戦運動に影響されるようになり、ペンタゴン・ペーパーを読んで父親と大喧嘩したという。

 決定的だったのは徴兵である。ウォズニアックは書類不備のために学生なら受けられる徴兵猶予を受けられず、抽選結果によってはすぐにもベトナムに送られる1Aにされてしまう。何度も抗議したが、駄目だった。幸い、抽選で徴兵の可能性はないという結果になったが、その結果が出た直後、却下されつづけた徴兵猶予を一転して認めるという通知が届く。ドストエフスキーが受けた死刑判決のようなもので、以後、ウォズニアックは政府を信じなくなったという。

 ウォズニアックは同世代のヒッピー文化にも親しんでいた。ヒッピーと同じような「自由な心」をもっていると自負していたが、しかしヒッピーにはなれなかった。襟のあるシャツを着つづけたし、ドラッグをやらなかったので仲間とは認めてもらえなかったのだ。

 ジョブズは正真正銘のヒッピーになるが、ウォズニアックと出会った頃は高校生で、エレクトロニクスのいたずらで意気投合した。後年の二人を知る人間にとっては意外なことにウォズニアックは自分とジョブズが「似ている」と感じたそうだ。

 いや~、似てるなぁって思ったよ。自分の設計を説明しようとすると苦労することが多いんだけど、スティーブはすぐにわかってくれたし……。彼を気に入っちゃってね。あのころの彼はやせぎすだったけど、エネルギーの塊って感じだった。

 この後、二人のスティーブは有名なブルーボックスなどさまざまないたずらをしでかすが、最大のいたずらはアップル社を創業したことだろう。

 ウォズニアックが設計したキーボードとディスプレイがつながる世界最初のパソコン(パソコン第一号とされるアルテアはスナップスイッチで入力し、LEDの点滅で結果を表示した)の将来性を見抜いたジョブズは回路図をクラブの仲間に無料で配ろうとするウォズニアックを押しとどめ、事業化しようともちかける。歴史的な瞬間を本人はこう回想している。

 あのとき、僕らはスティーブの車に乗っていた。そして、こう言われたことを、まるで昨日のことのようにはっきりと覚えている。
「お金は損するかもしれないけど、自分の会社が持てるよ。自分の会社が持てる一生に一度のlチャンスだ」
 自分の会社が持てる一生に一度のチャンス。これには負けた。自分たちがそんなことをすると思っただけで元気が出たよ。親友と二人で一緒に会社を始める。すごい。すっかりその気になってしまった。やるっきゃないじゃん。

 アイザックソンのジョブズ伝によると「お金は損するかもしれない」と言ったのはウォズニアックをその気にさせるためのレトリックで、ジョブズ自身は最初から成功を確信していたそうである。

 二人は電卓(当時は高価だった)やオンボロ自家用車を売って資金を作り、アップルⅠの製作にとりかかるが、ジョブズがすぐに五万ドルの注文をとってきたので遊びではすまなくなる。

 ウォズニアックはヒューレット・パッカード社の社員だったので、余暇に発明したとはいえ、アップルⅠの優先権はヒューレット・パッカード社にあった。ウォズニアックはできれば上司に相談し、社内でデモをおこなったが却下され、法務部から同社は何の権利も主張しないというメモをもらった。

 アップルⅠの成功後、二人のスティーブは伝説の銘機AppleⅡの準備をはじめるが、遅ればせながらヒューレット・パッカード社もパソコンに乗りだすことになった。ウォズニアックは自分を開発にくわえてもらえないかと直訴したが、聞いてもらえなかった。ヒューレット・パッカード社のパソコンはウォズニアックが一人で書きあげたBASICに五人も技術者をわりあてるなど大プロジェクトになったが、出来上がったものはアップルⅡに遠くおよばず、すぐに撤退した。アップルⅡを買いとらなかったのはヒューレット・パッカード社大失策であり、GUI技術に埃をかぶらせていたゼロックス社の不明とならぶ大企業病の最たるものだろう。

 しかしヒューレット・パッカード社がいつまでもウォズニアックの才能に気づかないということは考えられない。ウォズニアックが新技術を発明するたびにヒューレット・パッカード社に権利放棄をするなんていうことはなくなるだろう。ジョブズとアップル社の共同経営者となったマイク・マークラはウォズニアックを一刻も早く退社させ、アップルの仕事に専念させようとしたが、ウォズニアックは首を縦に振らなかった。友人たちや父親までが説得にくわわったが、ウォズニアックを翻意させることはできなかった。

 ウォズニアックが退職を拒んだのは生活の安定を望んでのことではなかった。一生エンジニアでいたかった彼は経営者となることで開発の現場から離れるのが嫌だったのだ。結局、退職を決めさせたのは自分の会社をはじめても、エンジニアでいつづけることはできるというアレン・ボームの一言だった。ジョブズとは違う意味でだが、ウォズニアックも難しい人間なのである。

 ここからは本書とアイザックソンのジョブズ伝では記述が違ってくるが、本書によると創業者ではあっても職制上は一介のエンジニアなので、ジョブズにもマークラにも相談せずに直属の上司にだけ申し入れて非常勤の社員になる。

 その後のアップル社の快進撃はあらためて語る必要はないだろう。ウォズニアックは画期的なフロッピーディスク・コントローラーを開発するなどしてアップル社の成長に貢献するが、大企業になっていくにつれ居場所がなくなったと感じるようになり、1985年に新事業を思いついたのを機に退職を決める。

 ここからは本書とアイザックソンのジョブズ伝では記述が違ってくるが、本書によると創業者ではあっても職制上は一介のエンジニアなので、ジョブズにもマークラにも相談せずに直属の上司にだけ申し入れて非常勤の社員になる。

 一方、アイザックソンによると、ニュースでウォズニアックの退職を知ったジョブズは直後にワシントンで行われたナショナル・テクノロジー・メダルの授与式で同席した際に説得し、発表会などに協力する非常勤社員になることを承知させる。経緯はどうであれ、ウォズニアックがアップル社に今でも籍を置きつづけ、年俸2万ドル(約160万円)の最低賃金を受けとっているのは事実のようである。

 さてアップル社を辞めてまではじめた新事業であるが、これがなんとユニバーサル・リモコンなのである。ウォズニアックは自分の発明したリモコンがいかに凄いか、うれしそうに語っているが、脱力してしまう。カエサルが自慢した杭打ち機のようなものか。ウォズニアックはその意味でも正真正銘の天才だったのである。

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『スティーブ・ジョブズ』1&2 アイザックソン (講談社)

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 ジョブズの伝記はおびただしく出版されており、邦訳されたものだけでも20タイトル以上ある。アップル社を辞めた1985年頃に第一の波があり、アップル社の立て直しに成功した2005年頃に第二の波があった(本欄でもヤングとサイモンの『スティーブ・ジョブズ 偶像復活』をとりあげたことがある)。そして昨年の死去の後に第三の波が来ているが、本書は取材嫌いで知られるジョブズが協力した唯一の公認の伝記であり、第三の波の一番目立つ波頭といっていいだろう。

 著者のウォルター・アイザックソンはタイム誌の編集長をへてCNNのCEOをつとめた人物で、激務のかたわらキッシンジャーやアインシュタインの伝記をものしている。

 本書の誕生は2004年にジョブズが旧知のアイザックソンに自分の伝記を書かないかと持ちかけたことにはじまる。最初の癌の手術の直前のことだったが、ジョブズが癌だということは秘密にされていたのでアイザックソンはまだ早すぎると断っている。2008年に再度提案があり、またも断ったが、ジョブズ夫人のローリーンから癌の再発を打ち明けられ、ジョブズの伝記を書くつもりがあるなら今書くべきだという言葉に執筆を決める。

 ジョブズは細部まで口を出すことで知られており、アイザックソンもそれを懸念していたが、意外にもジョブズは執筆には一切干渉せず、原稿のチェックも求めなかったという。実際、過去の伝記で暴かれた奇行や強欲、裏切り、傍若無人な言行などは本書でも隠されることなく、きちんと書かれている。本人のコメントがついているのがご愛敬であるが、関係者の言い分も載っているので、ジョブズの言い訳が妥当かどうかは読者が判断できるようになっている。

 邦訳は上下二巻にわかれ、上巻は望まれない誕生から『トイ・ストーリー』の成功まで、下巻はアップル社復帰から死までを語る。

 上巻に関してはピクサー社の内情以外、あっと驚く新事実はなかったし、他の伝記に較べて詳しいわけでもない。ジョブズお得意の「現実歪曲フィールド」がヒッピー時代に知りあったヨガの導師、ロバート・フリードランドから学んだものだという話ははじめて読んだような気がするが、後は伝説となったおなじみのストーリーをたどっている。モスクワにマッキントッシュを売りこみに行った際、KGBからトロツキーの話しはするなと言われたのに、講演をトロツキーへの賛辞からはじめるというエピソードはおもしろかった。ジョブズはトロツキーにシンパシーを感じていたのである。アップル社を退職する経緯は本書の記述が公式見解として後世に残っていくのだろう。

 本書の読みどころは下巻にある。アップル社復帰の物語はいろいろな人が書いてきたが、ジョブズを希代の陰謀家に仕立てているものが多かった。ジョブズ自身の目から見た物語は本書ではじめて明かされるが、薄氷を踏むような危ういものだったようである。人間には天からあたえられた役目があるのだと言うしかない。

 CEOに返り咲いたジョブズは年俸を1ドルしか受けとらず、世界一報酬のすくないCEOと自分を売りこんでいたが、取締役会に高額のストックオプションを要求していたことが暴露されたことがあった。著者は金の多寡ではなく、仲間に自分の仕事の価値を認めてもらいたかったというジョブズの言い分を紹介している。

 ジョブズが強欲かどうかはともかく、iPod、iTunes、iPhoneの開発でユーザーの利便性を最重視したという言い分は納得できるように書かれている。特にiTunesはそうである。iPod自体はたいした発明ではないが、楽曲の月額レンタル制で譲らないレコード会社を説得し、iTunesを実現したのはジョブズの功績である。

 ジョブズの癌との戦いがここまで深刻なものだったということははじめて知った。膵臓癌とわかり手術を勧められるが、断食療法や鍼、水療法、腸の浄化などで9ヶ月を空費した。現実歪曲フィールドも癌には効かなかったわけである。

 ようやく手術を承諾するが、タンパク質を積極的に摂らなければいけない術後の回復期にも菜食主義にこだわった。動物性タンパク質を摂らないと免疫力が落ちるから、再発はこの時期に原因があるかもしれない。

 死を意識しはじめた時期にジョブズは素晴らしいスピーチをおこなっている。2004年のスタンフォード大学の卒業式の祝辞である。この依頼があった時、ジョブズは高名な脚本家に原稿を依頼するが、間にあわなかったので直前になって自分で一から書いたという。あの名スピーチは文字通りジョブズの肉声だったのだ。

 伝記作家は最後に歴史的評価を書きつけるものだが、本書ではアイザックソンはその特権を放棄してジョブズが取材時に語った言葉を引用している。ジョブズに対する遠慮もあるかもしれないが、歴史的評価を下すのは早すぎるという判断かもしれない。これはこれでいい締めくくり方だと思う。

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2012年06月23日

哲学の歴史 04 ルネサンス』 伊藤博明編 (中央公論新社)

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 中公版『哲学の歴史』の第四巻である。このシリーズは通史だが各巻とも単独の本として読むことができるし、ゆるい論集なので興味のある章だけ読むのでもかまわないだろう。

 本巻は15世紀から16世紀に勃興したさまざまな思潮をあつかう。副題は「ルネサンス」となっているが、人物で言えばペトラルカからフランシス・ベイコンまでで、間にルターの宗教改革をはさむ。ペトラルカやマキャヴェッリのような従来の哲学史ではあまりとりあげられない名前やはじめて見る名前が多く、なかなか刺激的である。

「Ⅰ ペトラルカ」

 一応聖職者でありながら、享楽的な生活と文学趣味にあけくれたペトラルカがなぜ哲学史にとりあげられるのだろうと戸惑ったが、古典古代の作品の継承に自覚的な使命感を持ってとりくみ、アウグスティヌスの『告白』をきっかけに宗教文学に転じた後半生を見ると、ルネサンスにおける彼の立ち位置がわかってくる。雄弁の尊重すらも神への愛に由来していたのである。ペトラルカの意義を簡潔にまとめた一節を引こう。

 ペトラルカの古典文学熱は、キケロの文体に対する「美的」心酔とともに始まる。しかしペトラルカの中核的関心は倫理的で、「よく生き、幸福に生きること」にあった。そしてこの関心とのからみで、「人間性をまとい獣性を脱ぎ捨てる」人間形成が切実な問題となる。だが、この倫理的問題を追究すればするほど、人間の無力を自覚させられて神の恩寵を求めざるをえず、「宗教的」要求が喚起される。こうしてペトラルカにおいては、倫理的要求を核として、「美的」、「倫理的」、「宗教的」要求が深く結ばれ合っていた。これが典型的表現を得ている作品は、散文では対話篇『わが秘密』、韻文では『俗語断片詩集』であろう。

「Ⅱ 市民的人文主義者」

 人文主義者は聖職者であったり、学者であったりする例が多いが、政治家や官僚、実業家として活躍しながら人文主義の担い手となった者もいる。そうした人々は「市民的人文主義者」と呼ばれているが、本章ではブルーニ、アルベルティ、パルミエーリの三人をとりあげている。

レオナルド・ブルーニ

 ブルーニは1370年頃アレッツォの有力な家系に生まれたが、アレッツォがフィレンツェの支配下に置かれるとフィレンツェに移住する。教皇庁秘書官をへてフィレンツェの市民権を獲得し、1427年にフィレンツェ共和国書記官長に就任。終生在職し、執政の地位についたこともあった。

 共和制的自由を擁護し、『フィレンツェ史』ではフィレンツェをローマの共和制の伝統の後継者と讃えた。

レオン・バッティスタ・アルベルティ

 アルベルティは1404年にジェノヴァに亡命したフィレンツェ貴族の息子として生まれた。ペトラルカの伝統の生きるパドヴァで教育を受けて1432年に教皇庁秘書官となり、以後、32年間その職にあった。聖職者だったので「市民的人文主義者」の定義からははずれるが、公務奉仕と学問追究を両立させたという意味では「市民的」といっていい。

 イソップ、ルキアノス、アプレイウスなどの古代異教文学の影響を受けて『寓話』をものにし、再発見されたルクレティウス『事物の本性について』の唯物論的快楽主義にも引かれたが、本人は謹厳実直な人柄だったらしい。

マッテオ・パルミエーリ

 パルミエーリは1406年フィレンツェの薬種商の息子として生まれ、フィレンツェの公職を歴任する。パルミエーリはギリシア語は不得意でもっぱらラテン語訳や二次文献を通じてプラトンとピタゴラスの思想に親しんだが、輪廻思想を語った『生命都市』は異端の嫌疑をおそれ公刊を差し控えた。

 『市民生活論』では古典古代の作家の書き残した市民生活を理想と讃え、中世のお粗末な教科書と教師では普遍的教養は形成できないとしたうえで、賢慮、勇気、節制、正義の四枢要徳を説いているという。世俗を肯定する道徳観を打ちだした点がルネサンスといえるだろう。

「Ⅲ ニコラウス・クザーヌス」

 とてもわかりやすい好論文である。クザーヌスは「知ある無知」や「反対物の合致」のような禪を思わせる逆説で日本でも人気のある思想家であるが、ジョン・マンの『グーテンベルクの時代』では権謀術数で市民階級から枢機卿になりあがった、権力欲旺盛な教会政治家に描かれていて驚いたものだった。

 本章の描きだすクザーヌスはそれとは対照的である。なるほど教皇のために東奔西走してドイツ諸公を説得してまわり、その功績で枢機卿に抜擢されたのは事実だが、早くからイスラム教に関心をもち、カトリックとプロテスタントの教義的対立を相対化するようなビジョンをもっていたらしい。東西教会の合同のための教皇派使節団に選ばれるや、東方教会総主教の信頼を勝ちえてヴェネツィアに招くという成果をあがることができたのも、儀礼の違いを越えた信仰があるという宗教寛容論のゆえだろう。

 親友だったピッコローミニが教皇ピウス二世として即位し、対トルコ十字軍を提唱するや教皇を批判、コーランは不完全ながら福音を含むとする『コーランの精査』を発表する。しかし教皇の命令には従わざるをえず、兵を率いて参陣する途上、トーディで病没する。三日後にピウス二世もアンコーナで没し、十字軍は中止される。

 クザーヌスの心臓は私財を投じて故郷に設立した聖ニコラウス養老院の礼拝堂に埋葬されたが、この養老院は現在でもホスピスとして存続しているよし。

 「知ある無知」とか「神聖なる無知」と訳される docta ignorantia は「(神によって)知らされた無知」と「深く覚った無知」という二つの意味が含意されているとして本章では「覚知的無知」という訳語があてられている。「反対の合致」は対立するものの融合ではなく両者が共通の関係に立つことであり、人間の認識能力の段階に応じて説明される。すなわち、

  • 感性(sensus)においてはいかなる反対対立の合致も存在しない
  • 理性(ratio)においてはカテゴリー的に包含される反対対立の合致
  • 知性(intellectus)においては矛盾するものの反対対立の合致
  • 神においては万物が相異なしに一致する

 イエス・キリストは「神性と人性が合致する場」とされ、創造者にして被造物、有限者にして無限者、引き寄せる者にして引き寄せられる者である。

 真理は厳密性においては到達不能であり、人間のあらゆる積極的言明は憶測にとどまるが、不可知論と異なるのは人間の精神活動は推測・憶測として一定の有効性をもつと評価している点であり、神の思惟と人間の思惟は<原像-似像>関係とされる。

「Ⅳ フィチーノ」

 ルネサンス期の要となる思想家だが、幹となる説明がなく、話題があちこちに飛んで枝葉末節だけが繁茂している印象を受けた。異教の哲学者という従来のフィチーノ観を越えようとしているのは重要だが、一般向けの論集なのだから、その前に『プラトン神学』がどういう内容かしっかり説明しておくべきだろう。プラトン・アカデミーの存在を自明としているが、なかったという説もあるのだから、ちゃんと説明してほしかった。

 宇宙のヒエラルキアにおける魂の特権的な位置は本巻冒頭の「総論」とピーコをあつかった次章に祖述されているので、そちらを読んだ方が早い。「総論」とピーコの章はたまたまなのか、本章と同じ著者が書いているが、格段に平明で充実した内容である。「総論」とピーコの章を熟読した上で本章にもどった方がいい。

「Ⅴ ピーコ・デッラ・ミランドラ」

 ピーコは1463年にミランドラで領主の三男として生まれた。ボローニア大学で教会法を学ぶが、人文研究に引かれ、フィレンツェでプラトン・アカデミーと交流をもった後、パドヴァ大学でアヴェロエス的なアリストテレスを学び、パリにも遊学している。1482年にフィチーノの『プラトン神学』が刊行されるとフィチーノに書簡を書き送っている。

 ピーコは早くから才能を認められ23才の時にはロレンツォ・デ・メディチの肝煎でローマで討論会を主宰することになるが、この討論会のためにまとめたのが『九〇〇の論題』で、『人間の尊厳について』はその開会の辞にあたる。『九〇〇の論題』は教皇から異端とされ、ピーコはフランスに亡命して逮捕されたり、ロレンツォの働きかけで釈放されたりと波乱の後半生を送り、わずか31才で早逝する。

 『人間の尊厳について』の革新性を要約した条を引用しておく。

 ピーコはフィチーノのように、人間に対して、宇宙のヒエラルキアにおける<中間物>としての特権的な地位を付与するのではない。むしろこのヒエラルキア内に固定されず、自己の地位を自由に選択する存在とみなす。他方、人間の本性については、伝統的な人間=ミクロコスモス観から離脱し、万物をすべて内に内包するものとしてではなく、いっさいの規定を欠きあらかじめ定められていないものとして捉える。

 こうした人間観は占星術に対する態度にもあらわれている。フィチーノは占星術をある程度認め、星の悪影響を抑制するためには音楽と護符が効果的としたが、ピーコは星の影響は自由意志とそこなうとし、占星術は欲深い嘘つきのペテンと全否定した。近年、ルネサンスをオカルトの復活と捉える見方が有力だが、ピーコのような本当の近代の萌芽もあったのである。

「Ⅵ ポンポナッツィ」

 ポンポナッツィは1462年にマントヴァで生まれ、アリストテレス研究で知られるパドヴァ大学で哲学と医学を学んだ後、パドヴァ、フェラーラ、ボローニャなど北イタリアの大学で自然哲学を講じた。

 北イタリアの大学は法学部と医学部が中心で、神学部中心のパリ大学と異なり哲学を哲学として研究することが可能だった。中世には顧みられなかった『詩学』や『政治学』、『動物誌』が読まれるようになり、新しい正確な翻訳や古代の注釈書の出版によって新しいアリストテレス像が生まれようとしていた。その中心となったのがポンポナッツィである。

 『霊魂論』第三巻の能動知性論は霊魂の不滅性と世界の永遠性に係わるので12世紀以来議論の的となっていたが、ポンポナッツィは身体器官なしに普遍的なものを認識する知性体に対し、人間の認識には表象像をつくる身体器官の活動が不可欠とし、人間霊魂は普遍的なものを個別を通じて間接的に認識すると結論した。つまり身体器官の滅失とともに認識も滅失するのである。

 近代的な考え方をしているようにも見えるが、奇跡や魔術は超自然ではなく自然の活動の結果とし、魔術師の治療はダイモンではなく魔術師の隠れた力によると考えた。

 ポンポナッツィはアリストテレスの生物学を大学で講じた最初の一人だったが、あくまで本の学問であって、ハーヴィのような解剖や比較観察はおこなわなかった。あくまで過渡的な思想家だったようである。

「Ⅶ マキアヴェッリ」

 ニッコロ・マキャヴェッリは1469年に繁栄の頂点にあったフィレンツェに生まれる。マキャヴェッリ本家は大貴族だったが、ニッコロの生まれた分家は中流に没落していて、父ベルナルドは法学の学位をとった愛書家だった。どのような教育を受けたかは不明だが、サヴォナローラの没落後、30歳になっていたマキャヴェッリは突如フィレンツェ政府第二書記局長に選ばれ、以後、外交に内政にと八面六臂の活躍をはじめるのはご存知の通りだ。

 あのマキャヴェッリがなぜ哲学史にと思ったが、同時代の混乱を古代ローマを鏡として理解しようとするにあたり、単に教訓を得ようとしたり古代を理想化するのではなく、社会制度の問題として理論的に考察した点が評価されているようである。『ローマ政体論』については次のように論評されている。

 ローマは三つの善き政体の混合政体とみなされ、しかもそれは平民と元老院の不和対立のゆえにもたらされたものだと、この点がとくに強調されている。マキャヴェッリの視座は、古代ローマ共和国が創出した「市民的生活」を理論的に紡ぎ出すにあたり、天上にも偶然にも神にもその根拠を求めることは頑なに慎み、地上の世界における諸力の葛藤から生ずる法と諸制度ならびに住民の気質といったものの関連をよりどころに解きほぐそうとする。

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