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2012年05月28日

『安部公房の都市』 苅部直 (講談社)

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 著者の苅部直氏は『丸山眞男―リベラリストの肖像』などで知られる新進気鋭の政治学者だそうだが、読んでいるうちに、こいつSF者だなと直覚した。SF者の臭いがぷんぷんにおうのである。はたして『第四間氷期』を論じた章の扉には直接関係のないSFマガジンの表紙写真を掲げ、安部公房がSFを愛読していたことや早川書房から出ていた『世界SF全集』の思い出を語っているばかりか、『榎本武揚』にジャック・フィニーの『盗まれた街』の影響がみられるなどという、それまでの慎重な筆の運びからはそぐわない、明らかに我田引水の解釈まで披瀝しているではないか。やはりSF者だったのである。

 安部公房とSFというとぴんと来ない人がいるかもしれないが、安部公房はまぎれもなく年季のはいったSF者だった。安部は地球温暖化とバイオテクノロジーを予見した『第四間氷期』を1958年に書いているし(翻訳SFを相当読みこんでいないと、ああいうものは書けない)、SFマガジンが新人発掘のために開催した第一回「SFコンテスト」では選考委員をつとめ、小松左京の処女作を絶賛している。箱根の山荘を見せてもらったことがあるが、ベッドの枕元の書棚にはハヤカワSFシリーズの銀背がずらりとならんでいて感無量だった。

 苅部氏はおびただしい先行研究を参照したり、共産党とこみいった関係に立ち入ったり、小説の舞台のモデル探しや専門の近代日本政治思想史に寄り道したりして、一見、風に運ばれるまま方向を定めずにふわふわ書き進めているように見えるが、第三章あたりから安部公房のSF的な部分に照準を定めていることがしだいにはっきりしてくる。

 SF的な部分とはセンス・オブ・ワンダーであり、矌野のポエジーである。

 ブライアン・オールディスは『十億年の宴』においてSFの源流は18世紀後半に英国で流行したゴシック・ロマンスにあり、世界最初のSFはメアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』だとした。ゴシック・ロマンスは荒れ果てた古城や墓場を舞台とした中世趣味に淫した小説であり、未来社会を主な舞台とするSFとは真逆に見えるが、SFが描きだす異星の荒涼とした原野や遠い未来の廃墟はゴシック・ロマンスの舞台の現代版であり、そうした風景にふれた時に生ずる寂寥感がSFの本質であるセンス・オブ・ワンダーとなったというわけだ。

 もちろんセンス・オブ・ワンダーなどと言ったら、そこで思考が停止してしまい、それ以上作品に近づけなくなってしまう。苅部氏は『燃えつきた地図』を語る時には都市生活の寄る辺なさの周辺をさまよい、『榎本武揚』では日本近代における忠誠心の空洞化の歴史をなぞり、『第四間氷期』では未来予測をめぐる二つの対立した立場をゆきつもどりつしながら、最終的にはしかし「故郷としての荒野」に近づいていく。

 その荒野は安部公房が育った満州の荒野ということになっているが、視点は突然「身体全体の営み」に転移し、矌野のポエジーが前面に躍り出てくる。「故郷としての荒野」は満州という名の異星であってもかまわないのである。

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