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2011年12月30日

『運動体・安部公房』 鳥羽耕史 (一葉社)/『1950年代』 鳥羽耕史 (河出ブックス)

運動体・安部公房 →bookwebで購入 1950年代 →bookwebで購入

 安部公房の年譜を眺めていると20代から30代にかけて「夜の会」とか「綜合文化協会」、「世紀の会」、「人民芸術集団」、「現在の会」、「記録芸術の会」といったグループに属していたとある。参加者は小説家、評論家、画家、音楽家、映画関係者と幅広く、1960年代以降頭角をあらわす文化人の多くが含まれている。日本共産党への入党も「会」の活動の延長だったらしい。

 1970年代以前にデビューした日本の作家の多くは小説家の卵の集まる同人誌を修行の場としたが、安部の場合『近代文学』の同人にはなったものの、熱心に参加したのは多ジャンルのメンバーが離合集散する「会」の方だった。同人誌の活動が戦中の反動で活発化していたことを考えると、ジャンルを越えた「会」に軸足をおいた安部は珍しい新人作家だったといえるかもしれない。

 安部は岡本太郎らと「夜の会」を立ち上げた直後、自己の実存に視線を集中した『終りし道の標に』を刊行するが、その後社会諷刺という形で視野を広げていき、ルポルタージュ的手法をものにして『砂の女』に結実する硬質な文体を獲得していく。20代後半から顕著になる安部の変貌には「会」の活動がなんらかの影響をおよぼしたと考えるのが自然だろう。

 安部公房を考える上で「会」が重要なのはわかっていたが、『世紀群』などの機関誌の多くはガリ版刷りで復刻版が出ているわけではなく、日本近代文学館に日参するとかしなければ概略をうかがうことすらできない。『人民文学』のような共産党系の雑誌にも当たらなければならないだろうし、花田清輝、岡本太郎をはじめとする「会」の中心人物の伝記や回想録にも目を通しておく必要がある。

 どこから手をつけたらいいのか途方にくれていたところ、まさにまん真ん中を射抜いてくれる本が出た。鳥羽耕史氏の『運動体・安部公房』と『1950年代』である。

 『運動体・安部公房』は三部にわかれる。

 第一部は総論で、潤沢な資金を見返りなしに若手作家につぎこんだ真善美社という特異な出版社を発端に「夜の会」や「世紀の会」が連鎖的に生まれ、それが共産党の引力に引き寄せられて左傾化していき、激動する政治状況の中で記録芸術の理念が若い芸術家の間にわけもたれていった経緯が素描されている。

 第二部と第三部は安部の個々の作品の中に「会」の活動がどのように反映しているかを論じた論文が対象作品の発表年順におさめられている。

 第二部「芸術運動と文学」は1948年の「名もなき夜のために」から「デンドロカカリヤ」、『壁』をへて1951年の「詩人の生涯」までをあつかうが、「マルクス主義と文学」とした方が適切かもしれない。「名もなき夜のために」の章こそ大山定一訳の『マルテの手記』の影響が論じられているものの、他の章はマルクス主義の影響がテーマだからだ。「デンドロカカリヤ」が前後して書かれた花田清輝の社会主義リアリズム批判と軌を一にしているという指摘には目を開かれたが、「壁」の名刺がマルクスの商品論の脱構築であり、「詩人の生涯」はプロレタリア独裁の寓話だというのはどうだろうか。考証部分は勉強になるし、短編集『壁』が画家桂川寛との共同作業だというのは納得できるけれども、当時の文学者が『資本論』の批判的な読解をおこなっていたかどうかは留保したい。

 第三部「<記録>の運動と政治」は1952年の「夜陰の騒擾」から『飢餓同盟』、『東欧を行く』、「可愛い女」、「事件の背景」をへて1961年の『砂の女』までを論じる。それぞれ教えられるところが多かったが、一番面白かったのは『飢餓同盟』論である。鳥羽は『飢餓同盟』が杉浦明平の諷刺小説と柳田國男の民俗学を先行テキストとして成立していると指摘し、一見リアルな背景よりも戯画化された政治的人形の方にリアリティがあるとしている。

 『1950年代』は「記録」というタームを軸に生活綴方、サークル詩、ルポルタージュ絵画、記録映画、テレビ・ドキュメンタリーと、1950年代の左翼文化運動全般に視野を広げており、『運動体・安部公房』以上の労作である。

 共産党員時代の安部公房が党の指令で下丸子の労働者の文化活動の指導にあたっていたことは年譜にあるが、『安部公房全集』月報に載った『下丸子詩集』編集発行人のインタビューくらいしか手がかりがなかったので、具体的にどういう成果をあげていたのか見当がつかなかったし、サークル詩がどういう拡がりをもっていたのかもわからなかった。

 鳥羽によると1950年代前半には「サークル誌」と呼ばれるガリ版刷りの雑誌が各地で族生し、サークルどうしのネットワークで全国的に流通し、『人民文学』のような中央の雑誌が優秀な作品を掲載して広く知らせた。そこまでは同人誌と同じだが、同人誌が作家で身を立てたいインテリのものだったのに対し、サークル誌の担い手は労働者であり、貧困や困難を書き記す生活記録としての性格を強めていき、「へたくそ」に独自の価値を見いだしていったという。

 労働者たちの創作は危機感をあおる紋切り型におちいっていき、高度経済成長とともに生活条件が向上すると運動は退潮していったが、労働者と接触した作家たちには多大の刺激をあたえていた。安部公房がシュールレアリスムのシュール(上へ)をサブ(下へ)に転倒したサブレアリスム(現実の底を潜り抜けていくリアリズム)を提唱していたことを不勉強にもはじめて知った。

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