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2011年09月25日

『テルマエ・ロマエ』1-4 ヤマザキマリ (エンターブレイン)

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 表題の「テルマエ・ロマエ」とは「ローマ風呂」という意味のラテン語である。マンガ大賞2010、手塚治虫文化賞短編賞などを受賞、現在第4巻が予約募集中で来年には映画が公開されるという話題作である。

 古代ローマの風呂技術者が現代日本にタイムスリップしてくるギャグマンガと聞いていたが、毎回どんぴしゃりの場所にタイムスリップするという御都合主義の一方で古代ローマの考証がしっかりしているのに驚いた。各話の末尾に見開きで「ローマ&風呂、わが愛」という作者自解が載っているが、この人の蘊蓄は本格的である。

 著者のヤマザキマリ氏は17歳でイタリアにわたってフィレンツェの美術学校で学び、イタリア人と結婚したが、夫君はローマ皇帝の名前をそらで言えるほどのローマ帝国オタクだそうである。年季の入り方がちがうのだ。『古代ローマ人の24時間』あたりは邦訳前から読んでいることだろう。

 古代ローマ人である主人公のルシウス技師は現代日本人を「平たい顔族」と呼び奴隷と勘違いしているが、ローマよりも進んだ日本の風呂文化を知って感激するというのが毎回のパターンである。ルシウス技師の反応は笑えるし、大げさな感動ぶりに日本人として自尊心をくすぐられるが、それだけだったら1巻もつづかないだろう。巻が進むごとに評価が高まっているのは単なるワン・アイデア・ストーリーではなく、古代ローマの社会問題と現代日本の社会問題をリンクさせているからではないか。

 たとえば入浴のマナーをめぐる第7話。ローマ帝国では属州民でも25年間の兵役をつとめればローマ市民権を獲得し都市に住むことができたが、兵士あがりのニューカマーと旧来の市民との間にはいろいろと摩擦が生じた。当然、浴場でもトラブルが起きただろう。『テルマエ・ロマエ』では新旧市民の対立を日本の観光地に増えた外国人観光客の入浴マナー問題と重ねあわせ、ルシウス技師が温泉地の工夫から対立解消のヒントをえるというストーリーに仕立てている。この作品を読んでいるとローマ帝国と現代日本はよく似た社会状況にあるという気がしてきて古代ローマ人に親近感をおぼえてしまう。

 一話完結の不定期掲載から連載に格上げされたのはもちろん人気が高いからだが、構想がしっかり組み立てられていたことも見のがせない。

 ルシウス技師は第4話でハドリアヌス帝に引見され、第2巻の半ばからハドリアヌス帝お抱えの建築家になって政治の裏舞台に係わるようになる。第3巻になると連載マンガのスタイルになってストーリーが複雑化し、皇帝対元老院という政治問題に巻きこまれるようになる。

 ハドリアヌス帝との関係が大きな柱になっているが、帝がルシウス技師を重用するようになったきっかけは愛人のアンティノウスの不慮の死で体調を崩したことだった。アンテイノウスが亡くなったのは紀元130年だが、第1話はその2年前、紀元128年という設定になっている。絵になりマンガの材料に事欠かないハドリアヌス帝との関係を中心にしようという構想は最初からあったはずである。

 まもなく第4巻が出るが、読めば読むほど実によく考えられている。ハドリアヌス帝の治世はあと7年つづくし、次の次の皇帝であるマルクス・アウレリウスが早くも子役で登場している。『テルマエ・ロマエ』にはあと何年も楽しませてもらえそうだ。

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2011年09月22日

『エリュトゥラー海案内記』 村川堅太郎訳註 (中公文庫)

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 世界史をとった人ならこの題名におぼえがあるだろう。エリュトゥラー海とはギリシア語で「紅い海」、紅海をさすが、東西の海上貿易がはじまると紅海につづくインド洋やペルシャ湾もエリュトゥラー海という言葉で総称されるようになった。

 『エリュトゥラー海案内記』は1世紀の半ば――クラウディウス帝からネロ帝の御代――にアレクサンドリアのギリシア系商人が書いた実務本位の地理書で、紅海北端からアラビア半島を経てインドにいたる航路にどのような交易地があり、どのような商品が売買されているか、航行にはどのような危険があるかが記されている。

 インド洋横断航路は南西の季節風の発見で可能になった。本書はその発見者はヒッパロスというギリシア人の舵手だとしているが(この季節風のことを「ヒッパロスの風」という)、フェニキア人やアラブ人がすでに発見していたという説の方が有力のようである。誰が発見したにせよ、プトレマイオス朝期にはエジプトとインドの海上交易がはじまっていたが、本格化するのはエジプトがローマに併合され、アウグストゥスの帝政がはじまってからだ。地中海世界にローマの平和が確立された結果、富裕層が増え東洋の奢侈品の需要が急増したからである。本書はまさにこの時期に執筆されたようだ。

 東西交易というと陸のシルクロードが有名だが、交易量は海上ルートの方がはるかに多かった。冒険的な西方商人はインドの南端を越えてマライ半島まで船を進めていたことが確実視されているが(プトレマイオスの地理書は彼らの情報をもとに書かれたと考えられている)、本書の著者である無名氏はローマ交易の中心地だったインド西北部のバリュガザ(現在のバルーチ)までしか行かなかったらしい。

 実際に訪れた土地については記述が詳しく生き生きしている。バリュガザの条を引こう。

 ところでバリュガザのところの湾は狭いので大海から来た者にとり近づき難い。といのは右側なり左側なりに片寄ることになるからであるが、左側の方が別の側に較べれば楽に進める。即ち右側にはちょうど湾の入口に、マンモーニ村のところに当たってヘーローネーという険しい岩だらけの出鼻が横たわり、一方左手にはこれに向かい合ってアスタカブラの前面の岬があり、パピケーと呼ばれ、その辺の海流のために、また険しい岩からなる海底が錨を切り去るために停泊困難である。

 湾内は浅瀬が多く航行が難しいので、王に仕える漁師がタグボートのような舟で出迎えにあらわれ、定められた船着き場まで曳航してくれるとある。こういうことは体験しないと書けないだろう。

 一方、明らかに伝聞で書いたとわかる箇所もある。中国に関する条である。

 この地方の後に既に全く北に当たって或る場処へと外海が尽きると、其処にはティーナイと呼ばれる内陸の大きな都があり、此処からセーレスの羊毛と糸と織物とがバリュガザへとバクトゥラを通じて陸路で運ばれ、またリミュリケーへとガンゲース河を通じて運ばれる。このティス地方へは容易に到達することが出来ない。というのは此処からは稀に僅かの人たちが来るに過ぎないから。其処は小熊座の直下に位し、ポントスとカスピアー海との最も遠隔の部分に境を接するといわれる。カスピアー海の傍らにはマイオーティス湖が横たわり、大洋に注いでいる。

 ティーナイとは支那チャイナ、ガンゲース河とはガンジス河、カスピアー海とはカスピ海、マイオーティス湖とは黒海北部の内湾であるアゾフ海のことである。中国からカスピ海までの広大な地域がギュッと圧縮されたかっこうだが、歪んではいるにしても中国の絹がバクトリア経由でインド北部にもたらされるという経路は間違っていない。

 本書は二千年前の西洋人の世界観をのぞき見ることのできる珍しい本である。本文は40頁ちょっとだが、見慣れぬ地名や人名(そのほとんどは史書に残らなかったローカルな支配者)ばかりなので、80頁の序論と140頁の註釈がついている。地名の考証や香料や象牙、犀角、珊瑚といった交易品の解説は推理小説的で面白いが、多忙な人には向かないかもしれない。

 原著は奇書中の奇書だが、訳本が出た事情も異例である。「序」は校了直前に書かれたらしいが、その日付が昭和19年10月となっているのである。出版社からたびたび催促されたとか、註釈の組版で凸版印刷に面倒をかけたとあるから、空襲の激しい中、編集作業が粛々と進められていたことになる。

 組み上がった活版はさいわい戦火にあうことなく昭和21年1月末に上梓の運びとなった。あの物資のない時代にこんな不要不急の本がよくぞ出版にこぎつけられたものだと思う。

 先人の労苦に頭が下がるが、このような珍籍が安価な文庫で再刊されたのだから日本の出版文化もまだ捨てたものではない。

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2011年09月21日

『悲しみの歌・黒海からの手紙』 オウィディウス (京都大学学術出版会)

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 紀元8年、ウェギリウスもホラティウスもすでになく、50歳になったオウィディウスはローマ随一の詩人の名声をほしいままにしていたが、滞在先のエルバ島から急遽ローマに呼びもどされ、黒海の畔の町トミスへの「左遷」を言いわたされた。元老院の正式決定でこそなかったが、皇帝アウグストゥスの意向であり事実上の流刑であった。

 トミスは現在のルーマニアのコンスタンツァにあたる。ミレトスのギリシア人が築いた古い植民市であり、アルゴ船が立ち寄ったとされているが、当時はローマ帝国領になったばかりの辺境の町であり、野蛮なゲダエ族が混住していた。国境のドナウ河に近いだけに冬に河面が凍れば蛮族の来襲を恐れなければならなかった。

 オウィディウスは『祭暦』や『変身物語』の書きかけの原稿を他の持ち物とともに火に投じてローマを出た。

 詩で罰っせられたオウィディウスだったが、詩なしで生きることはできなかった。流謫地でも詩作をつづけ『悲しみの歌』と『黒海からの手紙』という二作品を残した。

 本書の解説によると両作品とも長らく評価されず、「奴隷のように卑屈なこびへつらいの詩」、「卑屈で臆病なごますりの言葉」等々とくさされてきたという。ようやく再評価されるようになったのは第二次大戦以降である。

 確かに作風は一変し女々しい自己憐憫の言葉が目につくが、ラシーヌよりボードレールを上におくこの国の読者には初期や中期の作品よりむしろ親しみやすいのではないか。

 後に古典主義と呼ばれる文学理念では詩は普遍を描くべきとされ、特殊なもの、個別的なものは詩の対象として値がないと見なされていた。地方色や個人的な体験が堂々と詩に描かれるようになったのはロマン派以降のことにすぎない。オウィディウスの流謫地での作品にはロマン派より1800年も早く地方色や個人的な体験が歌われているのである。

 トミスの様子を教えてほしいという友人にオウィディウスは書き送っている。

この海岸にはギリシア人とゲタエ族とが混在していますが、
 治安のよくないゲタエ族が大半です。
サルマタエ族やゲタエ族の大群が
 馬に乗って道を行ったり来たりしています。
その中で、矢筒と弓を持たぬ者、
 蛇の胆汁で薄黄色の矢を持たぬ者は皆無です。
声は荒々しく、顔つきは恐ろしく、軍神マルスの真の姿をとり、
 髪の毛は切られたことなく、髭も剃られたことなく、
右手は小刀を突き立て傷を与えるにすばやく、
 蛮族の者は一人残らず腰に小刀を差しています。

 オウィディウスは個人的な思いのたけもなりふりかまわず吐露している。たった一人僻遠の地に流され病に伏した心細さを詩人は訴える。

この最果ての地と人々の中で、私はぐったりとなって横になっており、
 弱り果てた私に思い浮かぶのはすべてここにはないものばかり。
あらゆることが思い浮かぶが、妻よ、お前がすべてを凌駕して、
 私の胸の半分以上をお前が占めている。
ここにはいないお前に私は話しかけ、私の声が呼ぶのはお前一人。
 お前なしでは夜も昼も私の所には来ない。

 このような語り口はわれわれにはおなじみだが、ロマン派までは詩とは認められなかったのだ。オウィディウスの後期作品は時代をはるかに先取りしていたといえるかもしれない。

 「卑屈なこびへつらい」、「卑屈で臆病なごますり」とくさされたのはアウグストゥス帝に減刑嘆願の書簡詩を書いたからだが、実際に読んでみると「卑屈」とは感じなかった。

 オウィディウスは流刑地をローマの近くに変えてほしいと嘆願した後、こんなことを書いている。

でも、もし私の罪がなければ、どうしてあなたは寛大さを示すことが
 できたでしょう? 私の運命があなたに寛容の機会を与えたわけです。

 親子ほども年の違う老帝に対してため口をきいていると感じたのは日本的な誤解だろうか。

 詩人は忠誠心をアピールするためにこうも書いている。

さらに言う必要があるでしょうか、私の罪の元になった本でさえ
 千の箇所であなたの名前で一杯だったということを?
未完のもっと大きな作品を調べてみて下さい、
 ――信じられない仕方で変容を遂げた者たちの本を―― あなたはそこにあなたの名前の賛辞を見つけることでしょう、
 私の忠誠心の証拠を数多く見つけることでしょう。

 帝の不興をかった原因をオウィディウスは「詩と罪」と書いている。「罪」は帝の孫娘がらみといわれているが、具体的なことは明らかにされていない。「詩」は『恋愛指南』をさすが、オウィディウスは同作は遊女のために書いた本であり、最初の頁で「高潔な女の手が降れないように警告」したと弁明している。さらに天下のウェルギリウスも同罪だと切り返す。

しかし、あなたの『アエネイス』のあの幸運な作者は
 「英雄」をテュロスの女王の床に導き、
全巻の中で最もよく読まれているところといえば、  不義の恋の部分にほかならない。
この同じ作者は、ピュリスと優しいアマリュリスの恋の火を
 若いときに牧歌の調べで戯れにつくった。
私もまた随分昔にそのようなものを書いて、罪を犯した。
 古い罪が新しい罰を受けているというわけだ。

 異国人の誤解かもしれないが、わたしにはへりくだっているのは表面だけで、腹の中では皇帝に舌を出しているように感じた。

 自作に対する自負も並々ならぬものがある。蛮地についたばかりの頃は原稿を焼いたと書いていたが、焼いたのが事実だとしても作品は後世に伝わっているわけで本気で湮滅しようとしたわけではあるまい。

 落ち着いてくるとローマの友人宛にこんな書簡詩を書いている。

私の詩を整理してくださっているのですか、
 作者を破滅に追いやった『恋愛指南』以外の詩を?
そうして下さい、お願いします、新詩人の称賛者よ、
 可能な限りローマに私の体を引き留めてください。
私には追放が宣告されましたが、本には追放は宣告されませんでした。
 本はその主人の罰を受けなくてもよかったのです。

 『恋愛指南』は公共図書館で廃棄されたもののオウィディウス作品の出版が禁止されたわけではなかったのだ。

 オウィディウスは妻への書簡詩に墓に刻む墓碑銘を書き記した後、こうつづけている。

碑銘にはこれで十分。というのも、私には碑銘より本の方が
 より大きな永続的な記念碑であるからだ。
私は確信している、本は作者を傷つけたけれども、
 また作者に名声と永遠の命を与えてくれるだろうと。

 詩人は流謫地にあってなお意気軒昂である。

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2011年09月20日

『変身物語』上下 オウィディウス (岩波文庫)

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 オウィディウス中期の代表作であり、ヨーロッパ文学の古典中の古典として著名な作品である。ヨーロッパ人がイメージするギリシア・ローマ神話は本書であって、まかりまちがってもアポロドーロスではない。西洋古典絵画はほとんどが本作にもとづいていて、美術史を学ぶ上でも必読書とされている。

 15巻1万2000行の叙事詩形式の雄編で、『アエネイアス』の向こうを張って書かれたといわれているが、一貫したストーリーはなくギリシア・ローマ神話のさまざまなエピソードに託して恋愛や家族愛、情欲、嫉妬を描いている。

 一貫したストーリーはないが、テーマは一貫している。「変身」である。オウィディウスは神のわがままや気まぐれによって、あるいはみずからの意志で他の生物に変身するさまを最近のSFX映画のようにありありと描いてみせる。

 どれもみごとな描写ばかりだが、ここではパエトンの姉妹が彼の死を傷むあまり樹木に変わってしまう条を引こう。

 あるとき、長女のパエトゥーサが、大地にひれ伏そうとしていながら、急に足がこばわって動かなくなったと訴えた。まばゆいばかりに色白のマルペティエが、姉のそばへ駈け寄ろうとすると、これも、突如根が生えたように、動けなくなった。つぎの妹は、手で髪の毛をかきむしろうとしていたが、見ると、むしり取られたのは木の葉だった。ひとりは、脚が固まって木の幹になったと嘆き、もうひとりは、腕が長い枝に化したと悲しむ。彼女たちがこの出来事に驚いているうちに、樹皮が下腹部を包み、腹部、胸部、肩、手というふうに、しだいに上へあがっていく。口だけが残っていて、母親を呼び求める。が、母親に何ができるだろう? ただ、うろうろと、あちらこちらへ駈け寄って、時間の許すかぎり、口づけをしてやることしかない。しかし、それだけでは足りなくて、娘たちのからだを幹から引き離そうと試みたり、細い枝を手で折りとってみたりする。と、そこから、傷から出るかのような血の滴が、滴り落ちるのだ。
 「やめてちょうだい! お願いだから、お母さん!」傷つけられた娘は、こう叫ぶ。「やめてちょうだい、お願いだから! あなたが裂いている木は、わたしたちのからだなのだもの。ああ、これがお別れ!」――樹皮が、この最後の言葉をふさいでしまった。そして、そこから、涙が流れ落ちる。できたばかりの枝からしたたるこの樹脂は、日光で凝固して、琥珀となり、澄んだ流れの河がこれらを受けとって、ローマへ運び、妙齢の婦人たちの身につけられることとなった。

 ほとんど映画ではないか。映画が発明される二千年も前にイメージの変容をコマ送りのように精密に追いかけることがどうしてできたのだろう。人間の想像力は最初から完成の域に達していたということか。

 『変身物語』の登場人物は牡鹿に変えられたり、蛇に変えられたり、イルカに変えられたりする。きわめて稀だが、獣に帰られた人間が元に戻されることもある。

 河の神イオナコスの娘イオはユピテルにおいまわされるが、ユピテルは彼女を追いかけているところを妻ユノーに見つかりそうになり、あわてて彼女を真っ白な雌牛に変えてしまう。ユノーの機嫌がなおったところで、ユピテルはイオをもとの姿にもどしてやる。

 女神の怒りが和らぐと、イオはもとの顔をとりもどし、姿も、前どおりになった。からだからは荒い毛が抜け落ち、角がなくなる。丸い目が小さくなり、大きく裂けた口もせばまる。肩と手が、もどって来る。ひづめは消えて、五本の指の爪に変わる。まぶしい白さのほかには、雌牛のおもかげはどこにもなかった。二本の脚の働きを頼りに、乙女は、真っすぐに立つこともできている。しかし、ものをいうことは恐ろしかった。雌牛のようにモーと泣きはしないかと心配なのだ。そして、久しぶりの言葉を、おずおずと口に出してみる。

 オウィディウスの世界では人は動物になり、動物は人になる。人と動物の垣根は低く、神々のちょっとした気まぐれで行ったり来たりさせられる。

 オウィディウスはなぜこれほど変身のテーマにこだわったのだろうか。どうもピタゴラスの思想がからんでいるらしいのである。

 最後の第15巻に変身の秘密をうかがわせるエピソードが出てくる。ローマを建国したロムルスのあと、世評に高いヌマが第二代の王に推戴されるが、ヌマは見聞を広めるために旅に出る。ヌマが訪れたのは南イタリアのクロトンの町である。ヌマは土地の古老からかつてクロトンに住んでいたピタゴラスの教えをさずかる。

 ピタゴラスは現代ではピタゴラスの定理など数学の業績で知られるが、古代には肉食と豆食を禁ずる禁欲的な教団の教祖として知られていた。クロトンはピタゴラス教団が誕生した地である。

 ヌマがさずかった最初の教えは食の禁忌だった。かつて「黄金時代」と呼ばれた時代、人は木の実や草木を食するだけで幸せだった。生けるものみなは、罠を知らず、欺瞞を恐れる必要もなかった。いたるところに平和がみちていていた。ところがある時どこかの誰かが獅子の食べ物を羨んで肉をくらい、それを意地きたない腹へ送りこむことを始めた。人は重い鋤を牽いて畑を耕してくれる牛を屠り、あろうことか牛殺しを神々が犠牲を求められたからだと神々のせいにしている。

 なぜ肉食がいけないのか。ピタゴラスの教えによれば生命は死んでも生まれ変わり、輪廻転生してつづいていく。現世では人でも来世では動物に生まれ変わるかもしれないし、逆に現世は動物でも前世では自分の親や子供だったかもしれない。子牛の喉にナイフを突き立てる行為は家族殺しに等しい行為なのである。

 霊魂も、つねに同じものではありながら、いろんな姿のなかへ移り住む――それがわたしの説くところだ。だから、警告しよう。口腹の欲に負けて、人の道をあやまってはならぬ。そのためには、非道な殺戮によって、われわれの同類というべき魂たちをそのからだから追い出してはならないのだ。生命によって生命を養うことは許されぬ。

 生命の観点から見れば変身と輪廻転生は同じだ。生きたままの生まれ変わりが変身であり、死を契機にした変身が生まれ変わりである。

 オウィディウスがピタゴラスの徒だったかどうか、生まれ変わりを本当に信じていたかどうかはわからない。流謫後の『悲しみの歌』には魂の永世を茶化すような一節があるからだ。

私の魂は私の肉体とともに消滅し、私の
 いかなる部分も貪欲な火葬の薪から逃れることがありませんように!
というのも、魂が不死で空中高く飛んでいき、
 サモス島の老人ピュタゴラスの言葉が本当だとすれば、
ローマ人の亡霊がサルマティア人の亡霊の間をさまようことになり、
 永遠に野蛮な亡霊の中で異邦人でありつづけるだろうから。

 死後も流刑地の蛮族とつきあうのはごめんだから、肉体とともに魂も滅びてくれというわけだ。ピタゴラス教団の一員だったらこんなことは書けないだろう。

 しかし第15巻の前半をまるまる費やして教説を祖述するのはよほどピタゴラスにいれこんでいるからだろうし、人から動物へ、動物から人へとたやすく移行する『変身物語』の世界はピタゴラスの輪廻転生の世界と地つづきでつながっている。西洋の古典中の古典に輪廻説が封じこまれていた可能性を考えるのはおもしろい。

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2011年09月19日

『恋愛指南』 オウィディウス (岩波文庫)

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 ラテン文学の黄金時代を代表する詩人、オウィディウスによる恋愛の指南書である。

 オウィディウスはカエサルが暗殺された翌年、アペニン山中のスルモ(現在のスルモナ)に生まれ、15歳になると勉学のためにローマに出た。アウグストゥスが帝政をはじめた頃である。ウェルギリウスやホラティウスはアウグストゥスと同年代だから、一世代あとということになる。

 ウェルギリウスやホラティウスはアウグストゥスら有力政治家の庇護を受け、ローマの繁栄をたたえる硬派の作品を残したが、子供の世代にあたるオウィディウスはエロチックな恋愛詩で民衆の喝采をはくした。さらには男女の機微をあけすけに書いた本書を上梓してさらに文名をあげた。中期になると露骨にアウグストゥスにごますりをはじめるが、青年時代は反骨精神があったのかもしれない。

 オウィディウスはユゴーに対するボードレールにあたるような立ち位置にあったと考えても間違いではないだろう。ボードレールは風俗紊乱のかどで罰金刑を受けたが、オウィディウスには辺境の地に流刑になるという悲劇が待っていた。

 本書は反骨精神が旺盛だった頃に教訓詩のパロディの形で恋愛指南をおこなった長編詩で、洒脱な語り口といい、露悪趣味といい、ローマ社会の爛熟を感じさせる。スタイルは古典主義そのもので、なにかというとギリシア神話を引きあいに出すが、ローマの風俗に言及した部分もある。

 だが君は焼き鏝を当てて髪を巻き毛にして悦に入ったりしないことだ。ざらざらした軽石で脛をこするのもやめたまえ。

 質実剛健をもってなるローマでも、女性にもてるためにパーマをかけたり脱毛したりする軟弱な若者がいたわけだ。共和制から帝政に変わる時期の生活がうかがえる史料としても貴重である。

 女性の望むものも現代とさして変わらない。

 よくあることだが、お目当ての女性の膝に塵が落ちかかるようなことがあったら、指で払い取ってやらねばならぬ。たとえもし塵など全然落ちかかってこなくとも、やはりありもせぬ塵を払い取ってやりたまえ。なんでもいいから、君が彼女に尽くしてやるのに都合のいい口実を探すのだ。

 オウィディウスは詩人だが詩の限界はよく知っていて、女性には詩よりも贈物だと現実的なアドバイスをしている。

 やさしさあふれる詩をも贈れなどと、どうして私が勧めたりしようか。悲しいかな、詩歌は大して敬意を払われはしない。詩歌は誉められはするが、求められるのは立派な贈り物なのだ。金持ちだというだけで、異国の蛮人でさえも(女たちに)好かれるのだ。まことに当代こそは黄金時代である。黄金のあるところ名誉もまた多く群がり、愛も黄金で手に入る。

「愛も黄金で手に入る」とは身もふたもないが、永遠の真実だろう。

 日本では本当の年齢を聞きだすために干支を訊いたりするが、古代ローマにも同じような手段があった。生まれた年に誰が執政官だったかを聞くのだ。

 何歳だとか、誰が執政官だった年の生まれかなどと、訊いたりしないことだ。そんなことは厳格な監察官の務めである。ことにも女が花の盛りを過ぎ、女盛りも終わってしまい、白髪を見つけては抜いているような場合はなおさらのことだ。おお、若者たちよ、この年頃の、あるいはもっと年増の女は、身のためになるぞよ。こういう畑こそは稔りをもたらす、こういう畑にこそ種をまくにふさわしい。

 ローマ時代にも熟女ブームがあったということだろうか。ローマ女性が恋愛に積極的だったのは確かなようで、こういう一節もある。

 接吻を奪ってからは、満願成就までなにほどのことがあろうか。ああ、なんたることぞ。そんなのは恥じらいではない、野暮というものだ。力ずくでものにしてもいい。女にはその力ずくというのがありがたいのである。女というものは、与えたがっているものを、しばしば意に添わぬ形で与えたがるものだ。

 本書は三巻構成になっていて、第一巻は女性と知りあうまで、第二巻は女性をものにするまでのテクニックが披露されているが、第三巻では女性が男性を落とすための技術が指南されている。

 男をつかまえるにはあらゆる機会を使えというアドバイスはいいとして、夫を失った女性に対して夫の葬式がボーイハントのチャンスだと勧めるのはどうしたものか。確かに喪服の女性は美しく見えるが。

 釣り針は絶えず垂らしておくがいい。こんなところにまさかと思う淵にも魚はいるだろう。森に覆われた山を猟犬どもが駆けまわっても無駄だということもよくあるが、誰が駆り立てたわけでもないのに、鹿が網にかかることもあるものだ。縛りつけられたアンドロメダには、涙を流して誰かの心をとらえることのほかに、どんな望みがあるのだ。夫の葬式の際に新たな夫が求められるということがよくあるものだ。髪をふり乱しこらえきれずに泣く姿がよく映るのだ。

 ローマ時代は不倫が盛んだったが、不倫の証拠になるものを相手の男に握られたら危険だという実践的な教えもたれている。

 しかしながら、髪紐を巻くという名誉ある地位はもたないにせよ、旦那に隠れて不貞をはたらいてみたいとの願いをいだいているからには、小間使いや奴隷の不器用な筆つきで手紙を書かせ、心の証となるものを、不慣れな奴隷に託するようなことはしてはならぬ。そんな心の証を後生大事にとっておくような男は信が置けない男だが、とはいうものののやはりアエトナ山の雷霆のようなものを手中にしてはいるのだ。女たちが哀れにもそんな恐怖に蒼ざめて、いつまでも男の意のままにされているのを、この私は眼にしたことがある。

 現代のフェミニストが呼んだら目を剥きそうな条もある。

 男たちは確かに騙すこともあろうが、だからといって、そなたたちがどんな損をするというのだ。なにもかも元通りなのだから。千人もの男がそなたのからだをむさぼったとしても、それで失われるものはなにひとつない。鉄だって摩滅するし火打石も使っているうちに摩り減るが、あの部分だけは存分に使うに耐え、摩耗したりすることはない。

 なんともコメントのしようがない。

 オウィディウスは紀元8年、51歳の時にアウグストゥス帝によって黒海沿岸のトミスに追放される。はっきりした罪状はわかっていない。本書の刊行のためとも、アウグストゥスの孫娘にオウィディウスがちょっかいを出したためともいわれているが、綱紀粛正のためにスケープゴートにされたという説が有力なようである。

 スケープゴートにされたとすれば、オウィディウスがエロチックな詩で有名になったけしからぬ詩人だったからだが、もう一つ、初期においては皇帝におもねらない独立独歩の姿勢を示していたこともあるかもしれない。

 若気のいたりといっていいかどうか本書にはアウグストゥスの機嫌をそこねたかもしれない一節がある。

 つい最近のこと、カエサルが模擬海戦でその模様を再現して、ペルシア軍とケクロプスの末裔(アテナイ人)との軍船をわれわれに見せてくれたが、あのりはまあどうだ。あちこちの海から若者たちが、また若い娘たちがやってきて、広大な全世界がローマ一都の中に収まったかの観があった。これほどの人々が群集まった中で、愛する相手を見つけられぬ者があっただろうか。

 ここでいう「カエサル」はユリウス・カエサルではなく称号としての「カエサル」であり、皇帝のアウグストゥスをさす。アウグストゥスはBC2年、マルス神殿を寄進した記念にヤニクルムの丘に巨大な池を掘ってサラミスの海戦を再現した大規模な模擬海戦を興行した。訳注には「彼はこれを誇りにしていたが、オウィディウスはそれにはふれず、ただ大勢の人が集まるので、男女出会いの場を提供した出来事としか見ていない」とある。確かにこれでは機嫌をそこねるだろう。

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2011年09月01日

『ラテン語名句小事典』 野津寛 (研究社)

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 コンピュータのおかげで調べ物は格段にたやすくなった。電子辞書は以前から重宝していたが、ちょっとした単語ならインターネットで無料で調べられるようになった。自動翻訳の訳文は読めたものではないが、知らない言語の文章のおおよその意味がわかる程度の精度には達しており、それはそれでありがたい。

 しかしラテン語のような過去の言語となると数がぐっと減るし、引用句を調べるとなると英語版Wikiくらいしか思いつかない。ラテン語の決まり文句や格言、金言は今でも欧米語の文章中によく引用されるから需要はあるはずなのだが。

 サーチエンジンで検索するという手もあるが、関係ないページが多すぎて正解にたどりつくまでが手間である。たとえば diem perdidī を検索すると最初に出てくるのがダイエットのサイトだったりする。

 ラテン語の引用句辞典は英語なら定評のあるRoutledgeのが手ごろな値段で出ているが、日本語では岩波書店から出ている『ギリシア・ラテン引用語辞典』がほとんど唯一の選択肢だった。しかしギリシア語やラテン語の基礎知識のない者には敷居が高いし、値段も六千円を越えているのでよほど必要に迫られないと手を伸ばしにくいだろう。需要と供給の問題になるが、ラテン語の辞書も羅英辞典ら安くていいものが出ている。

 最近ラテン語の知識がなくても使える名句事典が岩波版の半分の価格で出たので紹介しよう。野津寛編著の『ラテン語名句小事典』で、岩波と較べると判型は一回り大きいもののページ数は1/4である。

 さきほどの diem perdidī を引くとこうある。

diem perdidī
ディエム ペルディディー
私は一日を失った [Suet. Tit.8]
▼スエトニウス『ローマ皇帝伝』によれば、その情け深さで民衆に好かれた皇帝ティトゥスは、自分に会いに来た人々に常に何らかの約束を与え、希望を与えて帰していたが、誰にも何も与えなかった日は、後悔して「私は一日を無駄にした」と言ったという。

 「一日を無駄にした」ということでダイエットのサイトの表題になっていたわけである。

 ラテン語の読みはローマ字と同じだが、カナで読みが書いてあるのは心強い。和訳の後ろの [Suet. Tit.8] はスエトニウスの「ティトゥス皇帝伝」第8章という意味で、凡例に出典の略語の一覧があるが、多くの項目では説明の部分に「スエトニウス『ローマ皇帝伝』」のように出典を織りこんであるので凡例にもどる必要はない。

 すべてではないが、簡単な文法解説もはいっている。

mendācem memorem esse oportet
メンダーケム メモレム エッセ オポルテト
嘘つきは記憶が良くなければならない [Quint. 4.2.92]
▼クインティリアヌスは、演説家が演説の中で嘘の陳述を行う場合、その演説全体を通じ首尾一貫して嘘を貫かなければならず、どんな嘘をついたかをよく覚えている必要があると言っている。人はついた嘘を忘れてしまう傾向があるからである。
文法mendacem 嘘つき< mendax の単数・対格>/memorem 記憶力がよい< memorの男性・単数・対格>/esse oportet ~であるべきである<sum の不定法現在+非人称・動 直接法現在>

 よけいな情報と考える人もいるかもしれないが、ラテン語は動詞だけでなく名詞も活用するので、こういう説明がないと初心者は辞書を引くのもおぼつかないのである。

 ラテン語の引用には聖書の章句も多いので聖書由来の言葉も上げておこう。

omnia munda mundīs
オムニア ムンダ ムンディース
清い人にはすべてが清い [新約聖書「テトス書」1章15節]
▼この後に「しかし、汚れた不信仰な者には、清い物は一つもなく、その精神も良心も汚れてしまっている」と続く。

 文脈の解説があるので聖書の当該箇所にあたる手間が省ける。出典を参照すればいいという人がいるかもしれないが、聖書ならともかく、ウェギリウスやオウィディウスの元の文章を調べるとなると大変な手間である。

 もちろん近世以降の名句も載っている。

in [ad] ūsum Delphīnī
イン[アド] ウースム デルピーニー
王太子御用(の)、(卑猥な箇所などが)削除された(本)
▼文字通りの意味では「皇太子が使用するための」となる。ちなみに、フランスの国王ルイ14世の息子の教育のために39人の学者によって注釈を施され出版された古典作家のコレクションのテキストでは、教育上不適切箇所がほとんどすべて削除されていたという。

 読む事典としてもなかなかのものである。

 これだけ使い勝手のいい事典が三千円ちょっとで手に入るのはありがたいが、普通の平綴じなのですぐにガタがきそうである。長く使いたい本なので500円くらい高くてもいいから装丁をもうちょっと頑丈にしてほしかった。

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