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2011年08月30日

『古代ローマ人の24時間』 アンジェラ,アルベルト (河出書房新社)

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 表題のとおり古代ローマの一日を事実にもとづいて再現した架空ルポルタージュである。著者はイタリア国営放送で科学番組のキャスターを長年勤めてきた人だけに、ローマ帝国絶頂期の帝都に実際にテレビカメラを持ちこんで番組を作ったかのような臨場感にあふれている。

 時は五賢帝の二番目、トラヤヌス帝の治政の終わりに近い紀元115年。ちくま文庫版『ローマ帝国衰亡史』でいえば第一巻、塩野七生の『ローマ人の物語』でいえば第九巻にあたる。とある火曜日の夜明けから深夜までを時間を追って描いているが、カメラは奴隷市場から元老院の内部まで自由自在にはいりこみ、歴史書や映画だけではわからない古代都市の生活をリアルに描きだしている。

 この時代のローマは1800ha(新宿区とほぼ同じ面積)に、120万人(新宿区の4倍!)の人口がひしめいていた。新宿西口のビル街にあたるような巨大建築が林立する公共区域や新宿御苑にあたるような神域が大きな面積を占めていたから居住区域は狭く、建物は上に伸びるしかなかった。ドムスと呼ばれる一戸建ての邸宅はわずか1700戸しかなく、かなり裕福な者でも4万棟以上あったインスラと呼ばれる集合住宅に住んでいた。

 インスラの高さは18m以下(6階建相当か)と法令で定められていたが、貸し手市場だっただけに違法建築が後をたたず、後から上に継ぎ足す危険な建物が多かった。現代では眺めのいい最上階が一番高いが、この当時は逆で金持ちは二階に住み、上に行けば行くほど貧乏人が住み、最上階は貧民窟だった。一階は商店や工房になっていたが、商人や職人は中二階を作って家族で住んでいた。

 インスラにはトイレはなかった。昼の間は外の公共トイレを使い、夜はおまるで用をたした。おまるの中味は一階においてある壺にためることになっていたが、上の階に住む者は下まで運ぶのがめんどくさいので、窓から路地に捨てる不心得者がすくなくなかった。見つかればもちろん厳罰である。

 インスラで集めた尿は洗濯屋が金を払って引きとった。尿は洗剤の代わりだったのである。洗濯屋は道路脇に壺を置いて尿を集めたが、それだけでは足りないのでインスラから買ったわけだ。

 現代ともっとも違うのは奴隷がいたことだ。奴隷は戦争捕虜や外国から売られてきた者が多かったが、捨子や犯罪を犯したり破産したりして奴隷身分に落とされた者、貧しさから自分で自分を奴隷に売る者もいた。奴隷はローマ市民の正装であるトガの着用を禁じられており、金属製の首輪をはめられている者もいた。

 奴隷の持ち主は金持ちだけではない。貧乏人でも生計のために奴隷を持つ者がいた。奴隷を賃仕事に貸しだすことで現金収入がえられたのである。能力のある奴隷には主人が資本をあたえ、商売をさせることもあった。大きな利益をあげれば奴隷でもいい暮らしができ、自由を買いもどすこともできた。奴隷の解放は制度化されており、解放奴隷はローマ社会の活力源となっていた。

 労働時間は現代より短く、大体昼には仕事を終えていた。インスラの狭い家にもどっても窮屈なだけなので、ほとんどのローマ市民は浴場で時間をつぶしたり、コロッセオで公開処刑や見せ物を見物した。浴場には温水浴室や冷水浴室などさまざまな風呂があり、運動場が併設されていた。現代のスーパー銭湯とスポーツ・ジムを兼ねたようなものと考えればいいが、現代と異なるのは混浴だったことだ。

 このほか料理や饗宴、剣闘士の試合、裁判、教育、本屋(タキトゥスとすれちがう!)と、生活の細部まで蘊蓄を披露している。

 現代の都市生活そのままの部分もあれば、現代では想像もつかない部分もあるが、ローマ人たちが二千年前とは思えないくらい高度な文明を享受していたのは間違いない。都市に住むというのは25年間の兵役に値する特権だったのだ。

 訳文は平明で読みやすい。服装や髪型などは挿画が理解を助けてくれるが、欲をいうならローマの地図や住居の間取りの平面図もほしかった。

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