« 『古代マヤ・アステカ不可思議大全』 芝崎みゆき (草思社)
『マヤ・アステカ遺跡へっぴり旅行』 芝崎みゆき (草思社)
| メイン | 『アステカ帝国滅亡記―インディオによる物語』 トドロフ&ボド (法政大学出版局) »

2011年07月30日

『他者の記号学―アメリカ大陸の征服』 トドロフ (法政大学出版局)

他者の記号学―アメリカ大陸の征服 →bookwebで購入

 スペインのアメリカ征服を記号学の視点から分析した本である。著者のツヴェタン・トドロフはロラン・バルトの弟子で、文芸批評家として知られた人である。

 なぜアステカやマヤの滅亡に記号学が関係あるのか、なぜ文芸批評家が首を突っこむのかと訝しむ人が多いかもしれない。トドロフはブルガリアからフランスに留学していついた人で、フランスではよそ者である。植民地問題や他者の問題に敏感で『われわれと他者―フランス思想における他者像』のような著書もある。本書もその系列の仕事で、近代ヨーロッパが誕生しようとしていた時に遭遇したアメリカ先住民を鏡にして、近代ヨーロッパのアイデンティティを探ろうという試みである。

 本書は四部にわかれる。「Ⅰ 発見」ではコロンブス、「Ⅱ 征服」ではアステカを記号の力で制圧したコルテス、「Ⅲ 愛」ではインディオ救済に生涯をかけながらインディオとすれ違いを演じたラス・カサス、「Ⅳ 認識」ではインディオをようやく他者として認識するようになった晩年のラス・カサスとインディオ側の亡国の記録を後世に伝えた宣教師たちを論じている。

Ⅰ 発見

 まずコロンブスである。本書ではコロンブスを「コロン」と表記するが、これはフランス語の本だからではなく、コロンブス自身が25歳以降、コロンボという伝来の姓を捨てコロンという表記に固執したからである。コロンブスの業績を書き残したラス・カサスは コロンとは「新たに植民する」、クリストバルとは Christum Ferens で「キリストを運ぶもの」という意味で、コロンブスは自分は姓名が意味するところを実現すべく神に選ばれたという考えに動かされたとしている。

 コロンブスは自分自身だけでなく、すべての事物がそれにふさわしい名前をもたなければならないと考えていた。コロンブスはインディオがどう呼んでいるかにはお構いなく「発見」した土地に美しい平野ベル・プラド銀の山モンテ・デ・プラタ乾いた岬プンタ・セカ等々と勝手に名前をつけていく。

 コロンブスはジェノヴァ語、カスティーリャ語、ラテン語など、ラテン系の言語を自由にあやつる多言語生活者だったが、ラテン系の言語が普遍的と思いこんでいて、異質の言語があるという意識が欠落していたらしい。インドを目指す航海に出発したのもアラビア人天文学者アルファルガニの算出したアラビア海里をイタリア海里と同じと思いこみ、インドまでの距離を短く誤認したからにほかならない。

 異質の文化、異なるコードがあるという自覚のない人間がインディオと出会ったのだから誤解の連続だった。コロンブスはインディオは善良で気前がいいと褒めちぎるが、ほどなく野蛮な泥棒だと評価を逆転させる。コロンブスには自分と同じ人間か、文化をもたない動物なみの生き物かという二つのカテゴリーしかないのだ。トドロフは書いている。

 彼の態度は二つに分けられるが、それはつぎの世紀に引きつがれるだけでなく、実際上、現代の植民地支配者一人一人の、被支配者としての原住民にたいする関係のなかにすでに見たとおりである。すなわち、ある場合には、彼はインディオを、完全な権利を有する、つまり彼と同じ権利を持つ人間だと考える。だがその場合、彼らを対等であるばかりでなく、同一のものと見なしているのであって、こうした態度は同化主義に、すなわち自分自身の価値観を他者へ投影することに帰着する。そうでなければ、彼は差異から出発する。だがこの差異は、ただちに、優越と劣等をあらわす言葉に翻訳される。人は、自己のたんなる不完全な状態にとどまらないような、まったく他者的な人間の本質が存在することを、認めたがらないものだからである。

 コロンブスは人間の平等を信じる素朴な同化主義者であり、それがインドにキリスト教を布教しようという夢とないまぜとなってインディオをキリスト教に改宗させようとするが、従わないインディオは奴隷にしてしまう。キリスト教徒でなければ人間ではなく、平等にあつかう必要がないからだ。コロンブスには自分とは異なるが自分と同じ権利を有する主体という観念が欠けており、この欠落が後の植民地主義に引きつがれていく。

Ⅱ 征服

 他者が欠落していたのはコロンブスだけではなかった。最悪の選択をくりかえしてアステカを滅亡に導いたモクテスマ皇帝も異なる文化の存在が理解できなかった。

 アステカ文化は雄弁を尊び、モクテスマも雄弁で名をはせた優秀な人物だった。モクテスマはコルテス以前の遠征隊を知っていて、海岸を見張らせていた。コルテス隊500人の上陸はただちにモクテスマのもとに知らされ、モクテスマはコルテス隊の動静を監視させた。だがモクテスマは情報収集を活かすことができなかった。コルテス隊を全滅させようと思えばできたのに豪華な贈物を差しだしてスペイン人の黄金熱を刺激し、ついにはおとなしく退去してくれれば帝国を贈ると懇願する始末だった。インディオが書き残した年代記は「モクテスマはうなだれ、まるで死者か啞でもあるかのように、口に手をあてたまま、声もなく、長いあいだじっとしていた。彼には話すことも答えることもできなかった」と伝えている。

 トドロフはモクテスマは捕らえられる前から負けていたのだと指摘する。

 モクテスマはただたんに話の内容を恐れているのではない。このテクストに<死者>と<啞>とが意味ありげに並べておかれていることからも分かるように、彼は文字通りコミュニケーションが不可能なことを示しているのだ。この機能停止はたんに情報収集を弱体化させるばかりではない。アステカの君主とはなによりもまず言葉の支配者であり、したがってその言語活動の放棄は挫折の告白である以上、それはすでに敗北を象徴しているのである。

 モクテスマが茫然自失におちいったのは単に呪術師や美々しく飾りたてた戦士の勇姿がスペイン人になんの効果ももたらさなかったからではない。スペイン人がアステカのコード体系におさまらない他者だったからだ。コロンブスは自分のコードからはずれたインディオを動物と同じにあつかったが、モンテスマはスペイン人を神々と同列に置いた。

 コルテスはモンテスマやコロンブスとは違う種類の人間だった。他の征服者コンキスタドールとも異なっていた。キューバを出発した時は他の征服者と変わらなかったかもしれないが、アステカ帝国の存在を知ると帝国全体を手にいれようと決意し、目先の黄金あさりより情報収集を優先させた。彼は通訳を重視し、マヤ人に奴隷に売られていたマリンチェというアステカ女性を手にいれる。コルテスはマリンチェを愛人にしアステカの内情を学び、アステカ側との交渉には必ず立ちあわせた。モンテスマ逮捕では彼女が指揮をとった。同時代のスペイン人の記録もインディオ側の記録もマリンチェを通訳を超えた存在として描いている。

 スペイン人がアステカやインカを電撃的に征服できたのはダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』やマンの『1491』のように、武器の優位性と意識せずに新大陸にもちこんだ疫病のためだという見方が一般的だが、トドロフは記号の関与に注目する。

 コルテスはマキャベリの同時代人だったが、マキャベリばりに自分の行動がインディオにどう解釈されるかを気にしていた。同盟軍の村でニワトリを二羽うばった部下は即座に絞首刑にした。秘密の保持にも神経を使った。インディオは馬は不死身と思いこんでいたので戦闘で死んだ馬の死骸は夜のうちにひそかに埋めさせた。

 モンテスマとの交渉では相手を混乱させるためにことさら矛盾した対応をとった。ケツァル神との同一視もコルテスは積極的に助長した。わずか500人でアステカ帝国を制圧できたのもアステカ側の内紛につけこんで不満部族をとりこみ、5万人もの同盟軍を組織できたからだった。

 一方、アステカの戦士はスペイン人に対しても伝統的な戦い方を変えない。鬨の声は相手を威嚇するどころか自分の位置を知らせるだけだったし、最後の皇帝クァウテモクは帝室の紋章で飾りたてた舟で逃げようとして捕らえられている。コルテスは記号を武器にしたのに対し、アステカ側は伝来の記号体系に自縄自縛になって自滅したのだ。

Ⅲ 愛

 ラス・カサスがアメリカ大陸における植民者の血に塗れた不法行為を告発し、インディオのために尽力したことはよく知られている。彼は従軍司祭として参加したキューバ征討戦でカオナオ族虐殺を目撃する。彼は自分の農場で使っていたインディオ奴隷を解放し、インディオの立場に立って発現するようになる。

 ラス・カサスはスペイン人に虐げられるインディオを狼に襲われた羊、ファラオに酷使されるユダヤ人、モール人の圧政に苦しむスペイン人に喩えた。だがこれはインディオを悪魔に喩えた論敵の主張をひっくり返しただけではないだろうか。

 ラス・カサスの平等主義はキリスト教にもとづいており、インディオをキリスト教徒にし、同化することは自明の前提だった。植民地化も否定しておらず、1531年のインディアス枢機会議への書翰にあるように、植民地化は乱暴なコンキスタドールによってではなく「神を恐れ、良心と真の賢明さをもつ人々」によっておこなわれるべきだと主張しているにすぎない。彼は国王に対する意見書でインディオを大切にあつかえば乱暴な植民地化以上の利益があがり、陛下のためになると説いている。彼の提言がスペイン当局を動かし、部分的にとりいれられたのは彼の平等主義が同化政策の枠内だったからだ。

 その成果はどうか。ラス・カサスはクマナ地方の平和的植民化事業に乗りだし、修道士と農民入植者を連れてくるが、インディオは彼が期待していたほど従順ではなく計画は失敗に終わる。

 ラス・カサスはインディオを愛しているつもりだったが、自己の理想を投影しただけでインディオがまったく見えていなかったと言っていいだろう。ラス・カサスのインディオ観はコロンブスと五十歩百歩であり、コルテスの方がよほどインディオのことを知っていた。インディオ側もそれに気づいていたらしい。

 この当時のインディオがラス・カサスにたいしてどのような感情を抱いていたかについては、ほとんどまったく知られていない。このこと自体がすでにそれなりの意味をもっている。反対にコルテスは非常に人気があり、スペイン皇帝の代理人である法権所持者をふるえ上がらせる。彼らはコルテスが一声かければ、インディオが蜂起することを知っているのである。

 ラス・カサスよりコルテスの方がインディオに慕われていたとは皮肉な話である。

Ⅳ 認識

 新大陸でインディオのために奔走していた時代のラス・カサスは他者としてのインディオに出会いそこねていたが、最晩年、スペインにもどって『インディアス史』を執筆した時期には自分とは異なる主体であることに気がついていたらしい。

 トドロフはラス・カサスの他者認識はインディオの奴隷化の是非をめぐって戦われたバリャドリード論争の中で醸成されていったのではないかと推測している。

 アリストテレスの奴隷肯定論をふりかざすセプルベタは人身御供の儀式を根拠にインディオの劣等生をあげつらった。定期的に生贄を殺し心臓を抉りだして偶像に捧げるなど、インディオの野蛮さの証拠ではないかというわけだ。

 ラス・カサスは一人息子を生贄にしようとしたアブラハムを引きあいに出し、人が神を愛していることを示す最大のあかしはもっとも貴重なもの、すなわち人間の生命を捧げることだとし、「真実の神、あるいは彼らが真実の神だと考えているいつわりの神」に犠牲を捧げることは宗教感情の発露として肯定されると説く。

 この論法が妥当かどうかはおくとして、重要なのは「真実の神、あるいは彼らが真実の神だと考えているいつわりの神」という言い方をしている点である。インディオの神がインディオにとって真実の神だと認めることは、キリスト教の神を相対化することにつながる。ラス・カサスがキリスト教の神の方が高級だと信じているにしても、それはもはや唯一神ではない。晩年のラス・カサスは宗教的多元主義に踏みこみ、事実上インディオを同化することをあきらめていたらしい。

 ラス・カサスにつづく世代からはベルナルディーノ・デ・サアグンやディエゴ・ドゥランのようにアステカ文化を正確に理解し、後世に重要な記録を残した聖職者が出ている。

 サアグンは1499年スペインに生まれた。ラス・カサスより15歳若い。サマランカ大学で学んだ後、フランシスコ会修道士となり、コルテスがオアハカ侯爵に任じられた1529年にメキシコに渡った。フランシスコ会はナワトル語とナワトル文化の研究に力を入れていたが、サアグンも徹底的にナワトル語を学び、1536年にインディオの聖職者を養成するための修道会付属学校が設立されるとラテン語文法の教授に就任している。生徒の多くはアステカ貴族の子弟だったが進歩は著しく、サアグン自身も彼らからナワトル語とナワトル文化をより深く学んでいく。

 ドゥランは現地のフランシスコ会の支持のもとにインディオの口承文芸を収集し、征服戦争の生き残りから聞書をおこない、『ヌエバ・エスパーニャ諸事物概史』という百科全書をまとめあげることになる。

 最初はサアグン同様布教に役立てるためにはじめた仕事だったが、途中からナワトル文化を理解し保存しようという第二の動機が比重を増してくる。彼はナワトル語の本文ができあがると最優秀の教え子を集めて加筆訂正をおこなわせ、完成するとスペイン語の翻訳を添付し、インディオの絵師に挿絵を描かせた。サアグンの『概史』はナワトル語、スペイン語という二つの言語のテキストと挿絵で構成されている。ナワトル語の本文が別にあるので、スペイン語のテキストは逐語訳である必要はなく、注釈を織りこんだ自由訳になっているとのことである。

 『概史』は画期的な仕事だったが、完成した直後フェリペ二世の勅令で禁書とされ、19世紀になるまで図書館の中で埃をかぶることになる。この間の事情については本書の資料篇にあたる『アステカ帝国滅亡記』をお読みいただきたい。

 ドゥランは1537年にスペインに生まれた。ラス・カサスより53歳、サアグンより38歳若い。晩年のラス・カサスがバリャドリードで熱弁をふるっていた頃、家族とともに5歳でメキシコに渡っている。メキシコで育っただけにドゥランは自由にナワトル語をあやつり、アステカの文化・宗教に通じていた。

 ドミニコ会の修道士となったドゥランはインディオと同じように暮らしながら布教につとめるが、インディオがキリスト礼拝に偽装して古い神を拝んでいることを嘆き、偶像崇拝根絶のためにはまず偶像崇拝のなんたるかを学ぶべきだと説いてアステカ文化の貴重な記録を残す。彼はインディオの信仰の中に偏執的に偶像崇拝を嗅ぎだすが、その一方アステカの古い祭儀の中にキリスト教との共通点を見いだし、これほどまでに似ているのは聖トマスがかつて伝道に訪れていたのではないか、ケツァルコアトルとは聖トマスのことではないかという妄想をいだくにいたる。ドゥランはインディオのサンクレティスムを告発しながら、自分自身サンクレティスムにおちいっていたのかもしれない。

 サアグンとドゥランは同時代的には例外的な存在であり、著書は長く埋もれることになるが、その布教・教育活動はスペイン人でもアステカ人でもないメキシコ人という新たなアイデンティティを形成する上で大きな影響をあたえ、ひいてはヨーロッパ人の自己認識を変えていったのである。

→bookwebで購入

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://booklog.kinokuniya.co.jp/mt-tb.cgi/4558