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2011年07月26日

『マヤ文明の興亡』 エリック・S・トンプソン (新評論)

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 本書は1975年に亡くなるまでマヤ学の最高権威として君臨したエリック・S・トンプソンの主著であり、「20世紀最大のマヤ文明のベストセラー」ということである。初版は1954年、第二版が1966年だが、邦訳が出たのは最近で2008年に日本のマヤ研究の第一人者である青山和夫氏によって訳出された。

 第二版からでも半世紀近い時間がたっている。半世紀が短いか長いかだが、この間にマヤ像は一変している。本書の第二版が出版された頃からマヤ文字の解読が急速に進み、碑文から王朝の歴史が読みとれるようになったからだ。今日のマヤ学を代表するマイケル・コウは第二版の出たのと同じ1966年に『古代マヤ文明』を出版したが、現在までに6回改訂版を出している。

 コウの『マヤ文字解読』によると、トンプソンは取りまきとともにマヤ文字の解読の動きを攻撃しつづけ、解読の成果を頑なに受けいれなかった。トンプソンの説は現在では多くが否定されており、本訳書では本文中の現段階で誤りとされている箇所にいちいち脚注をつけ、「その後の調査では……」とか「現在の解釈によれば……」と訂正をおこなっている。さらに巻頭の「訳者序文」ではトンプソンの時代・地域区分を現在の区分の違いを解説し、巻末の「訳者解説」では最新のマヤ文明観を略述している。

 現代のマヤ学の水準から取り残された過去の遺物を青山氏はなぜ半世紀もたってわざわざ翻訳したのだろうか。

 青山氏は困難な野外調査をおこない20世紀前半までのマヤ学を総合したトンプソンの功績を評価する一方、テレビや一般書でおもしろおかしく描かれる「歪められたマヤ文明観」の源流がトンプソンの神秘的マヤ観にあること、20世紀半ばまでのマヤ学がトンプソンに代表される欧米の上流階級出身の趣味的なマヤ学者によってになわれ、彼らの価値観が「神官支配階級と農民の二階層社会」や「農民の反乱による衰退」といった事実にもとづかない解釈を生んだこと、現在のマヤ学がトンプソンの学説との対決を通じて形成されたことを指摘している。いくら過去の遺物とはいっても、議論を細かいところまで理解するには暗黙の前提となっている本書を読んでおく必要があるのである。

 しかし、それだけならマヤ学をこころざす人が原書で読めばすむ話だろう。わざわざ一冊まるごと翻訳したのは青山氏に本書に対するなみなみならぬ思いいれがあったからではないか。本書は注釈を欧米の本のように同じ頁の下部に脚注として組みこんでいる。脚注の方が参照しやすいが、組版に手間がかかるので日本の本ではめったにおこなわれていない。脚注を実現したのは相当なこだわりである。

 わたし自身が本書に興味をもったのはコウが『マヤ文字解読』でトンプソンを愛憎半ばする筆致で描きだし、彼の文体を次のように酷評するのを読んだからだ。

 エリックの発表したものを私が手放しで賞賛しかねる第一の原因は、彼の文章スタイルではないかと思う。彼の学識の深さときたら、並大抵のものではない。論文や本にはいつも、文学や神話からの重々しい引用が詰め込まれている。代表作『マヤ象形文字』では、各章の冒頭に、内容と関係ないイギリスの詩人や散文作家の言葉が引用されているが、私はそれをひどく不快に感じる。そうしたもったいぶった書き方は、わずらわしいだけである。だが、悲しいかな、考古学者、とりわけラテンアメリカの学者には、非常に魅力的にみえるようだ。

 ここまでボロクソに書かれると、逆に読んでみたくなる。本書が3年前に邦訳されていたことを知り、古典というにはまだ早すぎる本をなぜ今訳すのだろうといよいよ興味をそそられた。

 読んでみてわかった。コウは酷評しているが、トンプソンは第一級の文章家であり、ほとんど文学作品のレベルに達しているのである。

 古典期の繁栄の末期に向けて、マヤの諸都市は秋の紅葉のような明るい色合いをなし、その後、落ち葉が落ち始めた。一枚また一枚と、諸都市における様々な活動が停止した。新たな石碑は建立されず、神殿や「宮殿」が建設されなくなった。いくつかの都市では、建設活動が急に停止したために、その上に建物を建てるべく建造された基壇の上に何も建てられずに放棄された。そしてワシャクトゥン遺跡では、最後の建物の壁が未完成のまま残された。マヤ文字の碑文に刻まれた最後の日付から、こうした諸活動が停止した時期を最も正確に推定することができる。
 コパン遺跡では、シャルルマーニュがローマ教皇から西ローマ帝国の帝冠を受けた後800年に、石造記念碑に最後の碑文が刻まれた。

 訳注によればコパン遺跡の最後の日付は822年であることが判明したということであるが、この文章を読むとそれくらいの間違いはどうでもいいという気分になる。

 野外調査を回想した条は神秘とロマンにあふれている。

 小道は南の方へ曲がっていたが、再び熱帶雨林の中に入る急な坂道の前で西に向きを変えた。突然、私たちは畏敬の念を起こさせる光景をちらっと見た。ティカルの大神殿ピラミッド群のうちの4基が、周囲のジャングルの上に聳え立っていたのである。それらは、草木の葉で覆われていた。石灰岩製の古代の神殿を基壇の上に戴き、空を背景に、灰色がかった白色で、まるで頂上に白い雲がかかった緑茂る火山のようだった。私たち「巡礼者たち」は、新世界のカンタベリー市の入口まで来ていたのである。

 トンプソンはティカル入城をチョーサーの『カンタベリー物語』のイメージに重ねて語っている。文学趣味に淫しているといえばその通りであり、コウが論文はヘミングウェイのように簡潔に書くべきだといまいましげにいうのもわからないではないが、文学畑の人間としてはトンプソンのスタイルに魅せられるのも事実だ。勝手な推測だが、青山氏が本書をわざわざ日本語にしたのもトンプソンの文章に惚れこんだからではないだろうか。

 コウが批判するトンプソンのマヤ文字観はどのようなものだったろうか。

 マヤ文字の研究は、今や不確定で欲求不満の段階にある。一部の学者たちは20世紀の半ばから、解読の鍵を見出したと主張しているが、その方法や結果は一致しない。ある1つの文字素について、碑文研究者の数だけ解読があり得る。マヤ文字は部分的に音節文字であり、アルファベット的であるという主張がなされているが、これは承認し難い。遠く離れたシベリアでコンピュータ解析が行われ、この説が提示されているが、コンピュータはソーセージ製造機のようなものである。

 「欲求不満」は「挫折」と訳すべきだろう。1960年代前半の時点で碑文学者の数だけ解読があるような状態だったかどうかはわからないが、「遠く離れたシベリア」とは明かにレニングラードのクノローゾフを指している。レニングラードをシベリア呼ばわりとはひどい言い方だが、トンプソンはクノローゾフの名前をまったく出さずにコンピュータが自動的に解読したかのような揶揄的な書き方をしている。なまじ文才があるだけに印象操作はお手のものだ。

 しかし多くの間違いと偏見を含んでいるにしても、本書は読みふけらずにはおれない本である。神秘とロマンのマヤという古いマヤ観を悪魔祓いするためにも、本書の翻訳は意義があるだろう。

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