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2011年06月27日

『スイユ―テクストから書物へ』 ジェラール・ジュネット (水声社)

スイユ―テクストから書物へ →bookwebで購入

 ミシェル・ビュトールはどこでだったか、作品はタイトルと本文という二つの要素からできていると語っている。ほとんどの場合、われわれは本文より先にタイトルでその作品を知るわけだし、タイトルいかんによって本文の意味がまったく変わってしまう作品もある。たとえば、ジョイスの『ユリシーズ』。ジョイスは刊行にあたって連載時につけていた章題を削除しており、ダブリンの一日の物語とホメロスの世界をつながりを示すものは『ユリシーズ』というタイトルしかないのだ。

 本文テクストを方向づけるのはタイトルだけではない。作者名や献辞、序文、注釈、後書等々の本文に付属するテクストもタイトルにおとらず読みを方向づけている。実際『ロリータ』につけられたジョン・レイ博士の贋の序文のように付属テクストが創作の重要な一部となっている小説はすくなくないし、『青白い炎』のように注が事実上の本文というテクストまである。

 ここまでは作者自身が書いたテクストだが、それに劣らず重要な付属テクストがある。本の見返しや裏表紙につけられた要約文や帯(いわゆる「腰巻」)に印刷された推薦文である。ほとんどの場合、われわれがタイトルの次に目にするのは物理的な本に付随した紹介なのだ。

 さらに言えば書評や紹介記事、著者のインタビューも無視できない方向づけをおこなっているし、最近は書店員がつけたポップやネット書店の素人評も本の売り上げを左右すると注目されている。

 本書は『アルシテクスト序説』、『パランプセスト』につづくジュネットのテクスト論三部作の最後の本である。ジュネットはタイトル、作者名、序文、推薦文、書評、インタビュー等々の付属テクストを「パラテクスト」と名づけ、これまでほとんど顧みられなかった領域にはじめて光をあてている。ちなみに表題の「スイユ」とは「敷居」という意味であり、本文テクストの内部と外部の境界に位置する曖昧な地帯、「玄関ホール」(ボルヘス)、テクストの「房飾り」(ルジュンヌ)である。

 ジュネットはおなじみの分類癖によりパラテクストを序文や後書、帯の推薦文のように物理的に同じ書物の中にあるペリテクストと、書評やインタビュー記事のように書物外部にあるエピテクストに二分する。

 まずペリテクストだが、献辞や前書、序文、解題等々だけでなく表紙カバーや挿画のような図像的要素、さらには書物の判型や装丁、巻末の広告も含まれるとしている。表紙や装丁、判型などは刊行者が決定するものなのでジュネットは刊行者によるペリテクストと呼んでいる。

 そんなものが重要なのかといぶかしむ人がいるかもしれないが、単行本で出るか、新書判で出るか、文庫版で出るかで読者の受けとり方が違うし、同じ文庫版でも岩波文庫で出るか岩波現代文庫で出るか、あるいは講談社文庫、講談社学術文庫、講談社文芸文庫等々で出るかで作品の立ち位置がずいぶん変わってくる。

 ジュネットは序文に多くのページをさいているが、日本なら解説について書くところだろう。日本では翻訳書には必ずと言っていいほど訳者が解説を書くし、文庫版には第三者による解説をつけるのが出版慣習となっている。

 エピテクストには著者自身によるものと、そうでないものとがある。著者自身によるエピテクストには著者インタビューや対談、座談会のように刊行に前後して公開されるものと、書簡や日記のように時間をおいて(多くの場合没後)公開されるものがある。日本ではほとんどないが、欧米では第三書の批判に対する公開反論もすくなくないという。

 著者自身によるエピテクストで重要なのは他の作品との関連である。ゾラの『居酒屋』は小説単独で読む場合と「ルーゴン=マッカール叢書」の一部として読む場合では意味あいがずいぶん変わってくる。バルザックは「人間喜劇」、フォークナーは「ヨクナパトーファ・サーガ 」という形で意識的に背景を作りだしているが、そうでない作家でも他の作品との関連は無視できない。

 ジュネットはプレイヤッド叢書に同時代の書評が収録されている例をあげてエピテクストがペリテクストに変わる可能性を指摘しているが、電子書籍時代をむかえてエピテクストとペリテクストの境界自体が揺らいでいる。電子書籍を読みながらオンライン辞書を引いたとしたら、辞書の記述はエピテクストだろうかペリテクストだろうか。引用文とリンクの違いは比較的はっきりしているが、注の引照とリンクの違いとなると途端に曖昧になる。紙の書物の帯についた推薦文はネット書店の画像ではほとんど判読不能である一方、素人評は有名人の推薦文以上の影響力をふるう場合もすくなくない。ネット書店の素人評はペリテクストだろうかエピテクストだろうか。

 原著は1987年の刊行なので電子書籍はまったく考慮されていないが、書物の輪郭が揺らぎ、ぼやけている現在、著者の開拓したパラテクストという視点はいよいよ重要性を増している。われわれは今や電子書籍時代のパラテクストを考察すべき段階に来ている。

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