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2011年04月19日

『さまよえるグーテンベルク聖書』 富田修二 (慶応義塾大学出版会)

さまよえるグーテンベルク聖書 →bookwebで購入

 1987年10月22日、洋書の輸入販売で知られる丸善はニューヨーク・クリスティーズのオークションでドヒニー本として知られるグーテンベルク聖書を490万ドル(当時の邦貨で約7億円)で落札した。オークションの時点で現存するグーテンベルク聖書は48部が知られていたが、いずれも欧米の図書館が所蔵しておりアジアに招来されたのはこれが最初である(おそらく最後でもあるだろう)。

 丸善は1989年に創業120年をむかえたが、前年の1988年から4年かけてドヒニー本グーテンベルク聖書を中心とする印刷文化の展覧会を全国各地で開いた。ドヒニー本は1996年に慶應義塾大学に売却されたが、落札から売却までの9年間、ドヒニー本に係わってきたのが本書の著者富田修二氏である。

 富田氏は正規の勤務の終わった後や土日に出勤してドヒニー本を子細に調査し、1992年に『グーテンベルク聖書の行方』(図書出版)という研究書を上梓しているが、その後もおりにふれてグーテンベルク聖書をめぐるエッセイを書いていて、それをまとめたのが本書である。前著があくまで専門書なのに対し、本書はエッセイ集なので気楽に読める。

 3部15章にわかれているが、第1章「グーテンベルク生誕六〇〇年にちなんで」は2000年にマインツで祝われたグーテンベルク生誕500年祭を枕に、伝記と各地に残るグーテンベルク聖書の現況を紹介している。第2章「グーテンベルクの暦」は聖書以外のグーテンベルクの作品にふれている。グーテンベルクはいきなり聖書のような大仕事にとりくんだわけではなく、まず免罪符やカレンダーなど端物の印刷で技術を磨いたと考えられている。なかでもカレンダーはよく売れて重要な収入源になったらしいが、消耗品なのでほとんど現存しない。わずかに残っている「トルコ暦」と「医学暦」と通称されるカレンダーの考証までが第1部だ。

 第2部は現存する49部のグーテンベルク聖書がそれぞれたどった数奇な運命を語っていて実に面白い。「ナチの手から逃れたグーテンベルク聖書」はナチス・ドイツのポーランド侵攻の数日前、ポーランドの愛国者がポーランドの国宝を守るために奮闘した話を紹介する。歴代ポーランド国王が戴冠式で用いた剣やショパンの直筆楽譜とともにグーテンベルク聖書も密かに国外に持ちだされカナダの修道院に保管されるが、第二次大戦後新たな問題が持ちあがる。国宝を守ったのはロンドンのポーランド亡命政府の人間だったが、ソ連占領下のポーランドでは共産党政権が成立すると、カナダを含む多くの国が正統の政府として承認してしまったからだ。ポーランド亡命政府は今度は共産主義者の手から国宝を守るために戦うが……。

 「モスクワにあったグーテンベルク聖書」も政治がらみだ。ロシアのペテルスブルク帝室図書館が所蔵していたグーテンベルク聖書は革命政府によって売却されたのでソ連にはないはずだったが、1993年にいたって1部存在することが判明した。それは1945年にライプツィヒで行方不明になったグーテンベルク聖書だった。ソ連群が他の文化財とともに強奪し、密かに保管していたのである。ドイツは当然返還を要求したが、ソ連が応じるはずはない。ロシアになっても同じである。

 「タイタニック号遭難とグーテンベルク聖書」はタイタニック号にグーテンベルク聖書が乗っていたということではなく、グーテンベルク聖書を遺贈されるはずだった人がタイタニック号と運命を共にしたのでハーバード大学に寄贈されたという話であるが、この本も数奇な来歴を持っていて歴史の奥深さを感じる。

 「鎖付きのグーテンベルク聖書」は1999年に発見されたグーテンベルク聖書、レンツブルク紙葉の話である。レンツブルク本ではなくレンツブルク紙葉と呼ばれるのは全1282ページのうち260ページしかない不完全な本だからだ。しかも装飾文字の部分が切り抜かれるなど状態がきわめて悪いという。

 ところが15世紀の装釘をそのまま残している上に、本棚につなぐ鎖までついているという他にない特徴をもっていた。グーテンベルク聖書だと気づいた人がいなかったので修復されなかったのが逆によかったのだろう。こういうこともあるのである。

 グーテンベルク聖書というと今でこそ人類の至宝となっているが、ある時期までは写本より低く見られていた。その間の事情を語ったのが「グーテンベルク聖書の誤植」、「落書きされたグーテンベルク聖書」、「写本として売られたグーテンベルク聖書」の三篇で、誤植の訂正を欄外や行間に書きこむならともかく、文字をヤスリで削りとってインクで上書きするといった荒療治をほどこしたものまであるという。

 グーテンベルクは印刷の仕上がりについては徹底した完全主義者だったが、中味のテキストについては無頓着だったというのも意外だった。ありあわせの写本数種をもとに活字を組んだらしく、一部は「パリ校訂本」と呼ばれる悪本にもとづくという。グーテンベルクは職人であって、学者ではなかったのだ。

 「グーテンベルク聖書のオークション」は詳しい記録が残っている1911年のオークションと著者自身が経験した1987年のオークションを対比したもので、後日譚があまりにもそっくりで笑える。なお丸善は7億円の落札で世界的に名をあげたために欧米の古書商から善本の売りこみがあいつぎ、おりからのバブル景気でいいビジネスをしたそうである。

 第3部はグーテンベルク聖書研究の最新の動向である。500年以上も研究されていたらもう何も出てこないのかと思いきや、ハイテク機器の発達で新しい事実が次々と発見されており、グーテンベルクが活版印刷を発明したかどうかを疑問視する見方まで出ているということである。これは目が離せない。

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