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2011年02月26日

『記号論と言語哲学』 エーコ (国文社)
『テクストの概念』 エーコ (而立書房)

記号論と言語哲学
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テクストの概念
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 エーコの記号論を二冊紹介しよう。

 エーコは記号論関係の本をたくさん書いているが、中心となるのは記号論三部作と呼ばれる『記号論』、『物語における読者』と今回とりあげる『記号論と言語哲学』である。

 『記号論』はソシュールからパース、イェルムスレウ、記号論理学、情報理論にいたるまで、記号に関するさまざまな視点を網羅し整理した記号論大全というべき本で、記号を論ずる上での基本図書中の基本図書といえよう。

 『物語における読者』は『記号論』の整理をもとにテクストに複数の読み方が成立するメカニズムを精密に跡づけた本で、1982年の『開かれた作品』の深化といえる。読みの複数性を様相論理学の可能世界論で記述したのがポイントだろう。

 『記号論と言語哲学』は前二作における共時的な議論を歴史的にとらえなおした本で、若い日にスコラ哲学を学んだエーコならではの学説史が展開されている。

 『記号論と言語哲学』は読者は前二作を読んでいるという前提で書かれているが、困ったことに『記号論』の邦訳も『物語における読者』の邦訳も絶版(長期品切?)であり、入手がむずかいくなっているのだ。

 エーコ自身がチェックした英語版で読むという手もあるが("Theory of Semiotics"と"The Role of the Reader")、幸いなことに両著をダイジェストした本が邦訳されている。『テクストの概念』である。

:『物語における読者』は2011年3月に新版が刊行され入手可能になった。翻訳は篠原資明訳の方が格段に読みやすい)

 『テクストの概念』はサンパウロ大学大学院で1979年にエーコがおこなった講義をブラジルで出版したもので、『記号論』と『物語における読者』を要約した内容となっている。いわば二番煎じ本だが、あれもこれも詰めこみすぎの二作と較べるとずいぶん見通しがよくなっているのも確かだ。原著はポルトガル語でイタリア語版は出ていないが、翻訳にあたって講義のもとになったエーコのイタリア語原稿をとりよせたということだから重訳ではない。

 『記号論』にあたる部分ではパースとイェルムスレウを統合した

       解釈項
     /    \
  代表項………………直接対象
  (記号)    (イメージ)
             ↓
           力動的対象
           (物自体)

というおなじみの図式からはじめ、構造意味論で意味の階層構造を紹介した後、換喩と提喩の考察に移っていく。

 換喩とは「沖の白帆」のように「帆」という部分で「船」という全体をあらわすことをいい、提喩とは「痩せたソクラテス」のように「ソクラテス」で「賢者」という上位概念をあらわすことをいう(上位概念で下位概念をあらわしてもいい)。では「春秋をかさねて」のように「春秋」で「歳月」をあらわす場合は換喩だろうか、提喩だろうか。

 こういう曖昧なケースをどう受けとるかは読者の問題になり、ここで読者論に話が移る。読者論では『物語における読者』と同様、アルファンス・アレーの二編の笑劇を題材にして考察しており、大筋は同じである。

 訳文がややぎこちないのが難だが、本書を出してくれたことは感謝したい。

 さて『記号論と言語哲学』である。エーコは言語や人為的記号のみならず、煙が火事をあらわすといった自然的記号をも統一的に論ずるパースの立場を引きついでいるが、それに対するギルバート・ハーマンという論理学者の批判を槍玉にあげることからはじめる。

 ハーマンはパースの記号論は三つの異なる分野の理論――意図された意味の理論、徴候の理論、絵画的表示の理論――を含んでいるが、これら三つの分野が共通の原理にもとづいているという証拠はないとしている。エーコはストア派から中世のスコラ哲学、ロック、フッサール、ヴィトゲンシュタインにいたるまで、こうした三つの分野のための共通の基盤を見いだそうと試みてきたと反論するが、ここで重要なのは「ストア派から」と書いている点である。ストア派の論理学が出てくるまでは言語と記号は別ものと考えられていたからである。

 記号はギリシア語ではセーメイオンだが、糸口、徴候、症状の同義語とみなされていた。一方、言葉は名称オノマと同一視されており、パルメニデスは記号セーマタ名称オノマゼインを対比して論じていた。アリストテレスも記号と言葉は区別しており、言葉にはシンボルという語をあてていた。アリストテレスが記号に距離をおこうとしたのは糸口、徴候、症状という意味での記号は三段論法の根拠として不十分だからだ。熱があるからといって、風邪をひいているとは限らないのだ。

 これに対してストア派の論理学は p⊃q という命題論理学であり、語の意味するものも霊魂の状態でもイデアでもなく、非物体的なものという範疇があらたに設けられ(本書では「無体的」と訳しているが、ストア派の訳語としてはあまり使わないのではないか)、言語理論と記号理論の統合が試みられている。

 言語理論と記号論を最終的に統合したのはアウグスティヌスだそうで、いよいよスコラ哲学者エーコの本領が発揮されるが、興味のある方は本書を読んでほしい。

 ややこしい議論にはこれ以上立ち入らないが、特筆したいのは最後の章で鏡像は記号といえるのかどうかという意表をついた問題提起をしていることだ。鏡を代名詞になぞらえるなど面白い観点を次々とくりだし、記号とは何かという問いに哲学史とは真反対の角度から光をあてている。映画の最後にNG集をつけるようなもので、お堅い本でこういう読者サービスをやるところがエーコである。

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